FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『ある子供』

2006年02月25日 | Weblog
2005年/ベルギー=フランス/95分。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督のどうしても見たかった映画。シアターキノで見て来た。カメラはブリュノ役の青年俳優の行動をどこまでも追っている。『イゴールの約束』という映画の中で、14,5歳のイゴール役を演じていた少年ではないか?金髪の髪型や顔立ちが良く似ている。やっぱりそうだ。あの少年に違いないと、画面を見ながら、なつかしい気持ちになった。

18歳のソニア(デボラ・フランソワ)は20歳の青年ブリュノ(ジェレミー・レニエ)の子供を出産し、赤ちゃん(ジミー)と共に病院から帰ってきた。ところが、部屋には別の男女がいて、入ることが出来ない。ブリュノがお金の為に貸したからだ。ブリュノは年下の子供たちを使って盗んだものを闇で売り、それで生活している。仕方がなくほかのところに泊まった晩に、盗品を買う仲介者から子供を養子に売る話を聞く。そのときは売らないという返事をしたが・・・。

カメラはほとんどブリュノに密着して撮っている。『息子のまなざし』という映画でやはり息子をなくした父親には、もっと密着して撮っていた。音楽も付かないという点も同じだ。ブリュノがまるで砂場で遊ぶ子供と同じような精神年齢であるということを、あとさきを考えずに行動してしまってから、どうしようもなく困ってしまうところなど、一つ一つの些細な行動を丹念に追っている。

盗んだ金で乳母車やソニアの上着を買いながら、その何日か後でその半分にも満たないお金で売ってしまう。待っている時間にも川の水を右に左にバシャバシャと長い棒でかき混ぜる。助走を就けて飛んで行っては建物の壁に泥んこの靴型をつけたり。ソニアはジミーのことで遂にブリュノを受けつけなくなる。彼女の母性は二人の子供は同時には愛せないと。生まれたばかりで何も出来ないジミーの命を優先する。

このごろよく日本でもニュースになっている子供への虐待のニュースを、どうしようもなく思い浮かべてしまう。その背景にはやはりこういう仕事に就かない、就けない親のいらだちがあるのだろうと。ブリュノの親に会いにアパートに行くと、そこで母親は別の男と一緒に暮らしている。ソニアの親は一度も登場しない。そういう家庭の温かさも得られていないというところも、多分日本での背景と共通するものがあるような気がした。

コンビニに行けば簡単に食べ物が手に入るような豊かさとは裏腹に、人間の核になるような部分、誰が見ていなくてもそれをやってはいけないというような、そういうものが失われてきたような気がする。その点、ソニアのような本能的なものからきているものには、時代を超えた強さがあって、救えるのはそこかなあ。本能的というのは、自然という言葉にも置き換えられる。赤ちゃんという存在はもっとも自然に近いものだしね。

その日暮らしのブリュノだけでなく、盗みの使いをやらされているあの小さな子供たちの行く末はどうなるのか。乳児を抱えているソニアはどうなるのか。などとダルデンヌ兄弟の映画はいつものことながら、なにも答えを示さないが、やがて観客は彼らがブリュノにあたたかいエールを送っていることがわかる。

ドキュメンタリーのように淡々と描いているようでいて、実は演技一つにも入念な何ヶ月にも及ぶリハーサルを繰り返しているのだそうだ。ジェレミー・レニエの成長した姿が嬉しく、大きくなったんだなあと。ソニア役のデボラ・フランソワがみずみずしい。『イゴールの約束』 『息子のまなざし』のオリヴィエ・グルメも刑事役で出演している。若者を通して、今の社会が抱える問題を深く観客に問いかける映画。物語はすべて、あのラストの為にあり・・・。













『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』

2006年02月17日 | Weblog
1999年/英/95分。1972年9月ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ・ゲリラ「ブラック・セプテンバー(黒い九月)」のメンバーが乱入し、イスラエル選手団2名を射殺後、残り9人を人質に立てこもった事件をドキュメンタリーにした映画。生き残ったメンバーも証言している。

西ドイツ政府に対して、ゲリラはイスラエル警察にいる政治犯234名(この中には日本赤軍の岡本公三もいた)の釈放と人質を道連れにエジプトのカイロへの国外逃亡も要求していた。政府当局は、要求されたミュンヘン国際空港ではなく、ひそかに空軍基地に移し、ヘリコプターからボーイング機に乗り移る隙にテログループを狙撃し、人質も釈放するという作戦だった。これが失敗に終わる。実写なので正視できないような、かなり凄惨な光景がある。

映画はゲリラ側の首謀者の結婚相手まで登場させたり、生き残りのメンバーに理由らしきことを語らせている。最初から選択肢はなく難民しか生きる道はない、ゲリラになってアラブ人の誇りを取り戻したという、パレスチナ側のこの事件を引き起こす動機付けをしているシーンも見られた。

しかし、結果としてテロの被害にあうものは権力を持った為政者ではなく、懸命に生きてきた市民たちであるというところに、どうしようもないやり場のなさというのか、やりきれない気持ちになる。

発端はイスラエルという国がイギリスのお墨付きでアラブ人の土地に出来てしまったときからだ。たしか1947年だったか。欧米はそのことについてはもう住み着いてしまったのだから、今更どうしようもないということなんだろうか。

アラブの人々に取っては、自分たちが住んでいた土地を追い出されたものとして受け入れがたい気持ちなのだろう。実際、イスラエル軍の軍事力は圧倒的で1967年の第3次中東戦争では周辺の土地を占領し、国土を4倍にも拡張している。こういう長年にわたる不公平感が最近のムハンムド風刺漫画へのイスラム社会の抗議行動という形になっているような気がする。表現の自由なんていうけど、あなたたちはわれわれを対等に扱ってますかと。

この1970年代というのは、ハイジャック事件が頻繁にあったころだった。日本でも1970年に日本赤軍による日航機よど号ハイジャック事件があり、犯人たちは北朝鮮に渡っていった。1972年には浅間山荘に日本赤軍やら他の一派やらの寄せ集めの過激派が冬山に立てこもって、最後は警察との銃撃戦の模様が連日TVニュースになった。

海外に渡った日本赤軍の3人はオリンピック事件の数ヶ月前にテルアビブ空港で乱射事件を起こし、二人はその場で死亡。残った岡本公三がイスラエル警察に収監されていた。岡本は自分たちはパレスチナゲリラに連帯を証明するためにテロを実行したと証言している。このドキュメンタリーを見ると、当時の遠くなった記憶がよみがえって来る。

テルアビブ事件の後には、アラブゲリラの重要な人間が郵便物で爆破され、それに対して計画されたのがオリンピック村の襲撃らしい。数週間後には、パレスチナ・ゲリラのルフトハンザ機ハイジャック事件が起こり、人質との交換に「黒い九月」のメンバー3人の釈放を要求し、ドイツ政府はそれを受け入れた。彼らは祖国の英雄としてリビアに迎え入れられた。しかし、これでは終わらなかった。その後のイスラエルの対外諜報機関「モサド」による報復劇はすさまじいものがある。どこまでも追いかけて暗殺している。















タイムスリップ

2006年02月09日 | Weblog
一日の最高気温が0度を下回る厳冬に疲れを感ずるこのごろ、2月に入り雪祭りが行われている。子どもが小さな頃は、一緒に会場を見て回ったり、雪の滑り台なんかすべるのを楽しんだり。挙句の果てには誰か迷子になって大騒ぎで締めくくったり。もう会場に行くこともなく、鬼母もいつしか静かに年を取り、なんて日々ー。

昨日のニュースのトップは第3子ご懐妊が大きく取り上げられていた。おめでとうございますといっているのは、女子高校生くらいの世代と高齢の女性たち。子供を生むことにストレスを感じている世代の女性たちの声は聞かれなかった。まるでずっと昔の時代にタイムスリップしているような話だ。男性たち、特に議員たちが大騒ぎしている様子も、今は平成という時代ではないの?と目を凝らしてしまいそうになる。

お正月に見た『プライドと偏見』という映画を思い出した。キーラ・ナイトレイが昔のオードリー・ヘップバーン(『戦争と平和』)にちょっと似てるなあと思い、見に行ったものだ。ジェーン・オースティン原作の18世紀のイギリスの物語で、女性に相続権がなく、働くということも出来ず、とにかく結婚しなきゃと周囲も本人も必死になるというストーリーだった。

家柄が第一で、次にはダンスをうまく踊ることとマナーをしっかり守ることがほとんどで、女が何を考えているかはまったく問題にされないといった時代状況。昨日のニュースでは、この問題が男の子を生むことにすり替わっただけではないか。何をか言わんや、とはこのことだ。この際、上野千鶴子さんでもコラムに一筆寄せるとか、ないんですかねえー。