2005年/ベルギー=フランス/95分。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督のどうしても見たかった映画。シアターキノで見て来た。カメラはブリュノ役の青年俳優の行動をどこまでも追っている。『イゴールの約束』という映画の中で、14,5歳のイゴール役を演じていた少年ではないか?金髪の髪型や顔立ちが良く似ている。やっぱりそうだ。あの少年に違いないと、画面を見ながら、なつかしい気持ちになった。
18歳のソニア(デボラ・フランソワ)は20歳の青年ブリュノ(ジェレミー・レニエ)の子供を出産し、赤ちゃん(ジミー)と共に病院から帰ってきた。ところが、部屋には別の男女がいて、入ることが出来ない。ブリュノがお金の為に貸したからだ。ブリュノは年下の子供たちを使って盗んだものを闇で売り、それで生活している。仕方がなくほかのところに泊まった晩に、盗品を買う仲介者から子供を養子に売る話を聞く。そのときは売らないという返事をしたが・・・。
カメラはほとんどブリュノに密着して撮っている。『息子のまなざし』という映画でやはり息子をなくした父親には、もっと密着して撮っていた。音楽も付かないという点も同じだ。ブリュノがまるで砂場で遊ぶ子供と同じような精神年齢であるということを、あとさきを考えずに行動してしまってから、どうしようもなく困ってしまうところなど、一つ一つの些細な行動を丹念に追っている。
盗んだ金で乳母車やソニアの上着を買いながら、その何日か後でその半分にも満たないお金で売ってしまう。待っている時間にも川の水を右に左にバシャバシャと長い棒でかき混ぜる。助走を就けて飛んで行っては建物の壁に泥んこの靴型をつけたり。ソニアはジミーのことで遂にブリュノを受けつけなくなる。彼女の母性は二人の子供は同時には愛せないと。生まれたばかりで何も出来ないジミーの命を優先する。
このごろよく日本でもニュースになっている子供への虐待のニュースを、どうしようもなく思い浮かべてしまう。その背景にはやはりこういう仕事に就かない、就けない親のいらだちがあるのだろうと。ブリュノの親に会いにアパートに行くと、そこで母親は別の男と一緒に暮らしている。ソニアの親は一度も登場しない。そういう家庭の温かさも得られていないというところも、多分日本での背景と共通するものがあるような気がした。
コンビニに行けば簡単に食べ物が手に入るような豊かさとは裏腹に、人間の核になるような部分、誰が見ていなくてもそれをやってはいけないというような、そういうものが失われてきたような気がする。その点、ソニアのような本能的なものからきているものには、時代を超えた強さがあって、救えるのはそこかなあ。本能的というのは、自然という言葉にも置き換えられる。赤ちゃんという存在はもっとも自然に近いものだしね。
その日暮らしのブリュノだけでなく、盗みの使いをやらされているあの小さな子供たちの行く末はどうなるのか。乳児を抱えているソニアはどうなるのか。などとダルデンヌ兄弟の映画はいつものことながら、なにも答えを示さないが、やがて観客は彼らがブリュノにあたたかいエールを送っていることがわかる。
ドキュメンタリーのように淡々と描いているようでいて、実は演技一つにも入念な何ヶ月にも及ぶリハーサルを繰り返しているのだそうだ。ジェレミー・レニエの成長した姿が嬉しく、大きくなったんだなあと。ソニア役のデボラ・フランソワがみずみずしい。『イゴールの約束』 『息子のまなざし』のオリヴィエ・グルメも刑事役で出演している。若者を通して、今の社会が抱える問題を深く観客に問いかける映画。物語はすべて、あのラストの為にあり・・・。
18歳のソニア(デボラ・フランソワ)は20歳の青年ブリュノ(ジェレミー・レニエ)の子供を出産し、赤ちゃん(ジミー)と共に病院から帰ってきた。ところが、部屋には別の男女がいて、入ることが出来ない。ブリュノがお金の為に貸したからだ。ブリュノは年下の子供たちを使って盗んだものを闇で売り、それで生活している。仕方がなくほかのところに泊まった晩に、盗品を買う仲介者から子供を養子に売る話を聞く。そのときは売らないという返事をしたが・・・。
カメラはほとんどブリュノに密着して撮っている。『息子のまなざし』という映画でやはり息子をなくした父親には、もっと密着して撮っていた。音楽も付かないという点も同じだ。ブリュノがまるで砂場で遊ぶ子供と同じような精神年齢であるということを、あとさきを考えずに行動してしまってから、どうしようもなく困ってしまうところなど、一つ一つの些細な行動を丹念に追っている。
盗んだ金で乳母車やソニアの上着を買いながら、その何日か後でその半分にも満たないお金で売ってしまう。待っている時間にも川の水を右に左にバシャバシャと長い棒でかき混ぜる。助走を就けて飛んで行っては建物の壁に泥んこの靴型をつけたり。ソニアはジミーのことで遂にブリュノを受けつけなくなる。彼女の母性は二人の子供は同時には愛せないと。生まれたばかりで何も出来ないジミーの命を優先する。
このごろよく日本でもニュースになっている子供への虐待のニュースを、どうしようもなく思い浮かべてしまう。その背景にはやはりこういう仕事に就かない、就けない親のいらだちがあるのだろうと。ブリュノの親に会いにアパートに行くと、そこで母親は別の男と一緒に暮らしている。ソニアの親は一度も登場しない。そういう家庭の温かさも得られていないというところも、多分日本での背景と共通するものがあるような気がした。
コンビニに行けば簡単に食べ物が手に入るような豊かさとは裏腹に、人間の核になるような部分、誰が見ていなくてもそれをやってはいけないというような、そういうものが失われてきたような気がする。その点、ソニアのような本能的なものからきているものには、時代を超えた強さがあって、救えるのはそこかなあ。本能的というのは、自然という言葉にも置き換えられる。赤ちゃんという存在はもっとも自然に近いものだしね。
その日暮らしのブリュノだけでなく、盗みの使いをやらされているあの小さな子供たちの行く末はどうなるのか。乳児を抱えているソニアはどうなるのか。などとダルデンヌ兄弟の映画はいつものことながら、なにも答えを示さないが、やがて観客は彼らがブリュノにあたたかいエールを送っていることがわかる。
ドキュメンタリーのように淡々と描いているようでいて、実は演技一つにも入念な何ヶ月にも及ぶリハーサルを繰り返しているのだそうだ。ジェレミー・レニエの成長した姿が嬉しく、大きくなったんだなあと。ソニア役のデボラ・フランソワがみずみずしい。『イゴールの約束』 『息子のまなざし』のオリヴィエ・グルメも刑事役で出演している。若者を通して、今の社会が抱える問題を深く観客に問いかける映画。物語はすべて、あのラストの為にあり・・・。