NHKBS「世界のドキュメンタリー」~見えない敵~(ドイツ2006年制作)。1986年のチェルノブイリ原発事故から25年になろうとする年に、他国の出来事として見ていた日本でもとうとう地震津波の大震災によって、安全神話が崩れ、福島第一原発の事故が起こった。
この番組ではドイツのドキュメンタリー作家クスストフ・ボーケルが、ナチスドイツが行ったソビエト攻撃のドキュメンタリー番組取材のために事故の翌年、高濃度汚染地域へ入り、同行した通訳のウクライナ人女性マリーナとは2年後に結婚。その後妻は乳がんと診断され、死亡。マリーナの死によって原発事故にかかわった人々から当時の状況を聞き、被害の真相を追う決意をしたのだった。
当時はソ連邦末期、最後の書記長ゴルバチョフ時代。共産党機関紙「プラウダ」の編集長だったというジャーナリストの証言。ゴルバチョフ書記長と政府はこの事故が敵対する勢力が自分に仕掛けた攻撃だと解釈し、それに対する恐怖が強く、一度も現場に行かなかったというのだ。
証言は続く。原子炉の下にはまだ冷却用の水が残っていて危険。炉心の溶融していたので炉心が冷却水に触れたら、新たに大規模な爆発が起きかねないので、そうなったらウクライナの大都市全域も放射能に汚染される。だから何としてもこの水を抜く必要があった。
水を抜くために真っ暗な中で二人の若者が原子炉の下へ入っていき、この水を抜いた。彼らは大量の放射能を浴びたが水を抜くことには成功した。モスクワ郊外にある「ミチノ墓地」にはチェルノブイリ事故で早い時期に事故処理に当たった人々が埋葬されている。彼らは被爆から数週間で無残な死に方で亡くなっている。
消火作業に当たった人たちは致死量の放射線を1回ならず10回分も浴びている。一か月以内に死ぬことが明白だったので、国家英雄の名誉称号を送るべき。そうすれば生きている間に国が称えたことを知ることが出来るとゴルバチョフに進言。しかし送られてきたのは6か月が過ぎてからだった。
「被ばくの恐ろしいところはどんな影響が出てくるのか想像しにくいことです。放射性物質のストロンチウムは骨やあごに蓄積され、やがて歯が抜け落ちます。しかし痛みを感じるものではありません。だからこそ兵士たちはどんな仕事でも引き受けたのです。そして後になって代償を支払わされました。それがチェルノブイリの悲劇です。」
もう一人の証言者はディーマという画家の青年。モスクワの小さなアトリエで。原子炉の爆発事故の汚染処理に動員された80万人の一人。86年6月始め。その後内面を絵で表すようになり、作品を残しながら、体は次第に衰弱し入院もしたが、政府からは因果関係が認められず。映像に映っている当時は「体に多少の痛みと不快感があります」と語っていたが、まだ元気に証言している。
毎朝ミネラルウォーターと片手一杯の白い粉が支給され、貯水タンクもあり、熱いお湯やぬるめのシャワーも使えた。給水トラックも来ていた。汚れは洗い落とせたので安全対策が不十分とは思わなかった。1997年当時は我慢できるような普通の病気の人も被災者と認定された。ところが1999年には状況が変化。傷病手当は命にかかわる病気の人にのみ支払われると書かれ、つまり癌だけが対象となったのだった。ディーマの病気は認定されず、少ない年金で留め置かれた。
チリには放射性物質が含まれているとは知らされたが、それがどんな悪影響を与えるか教えられなかった。遠隔装置を使う重機はすぐ強い放射線で使えなくなった。あとはシャベルと水、手押し車、人間の体しかない。ディーマたち作業員は野営のテントに寝泊まりしていた。みんな明るかった。ちょうどその頃サッカーワールドカップメキシコ大会があったので、みんな大声を上げて応援していた。兵士たちは作業を10時間以上もやった後で這うようにしてTVのある部屋へ行き、ワールドカップの試合を見ていたという。
クラスメートの女性の証言。「ディーマは学生時代から自由な雰囲気で芸術家タイプだった」「彼はこう言いました。僕は行列の最後尾かもしれない。すでに多くの人が死んでいるので自分もその列に並んでいたのを知っていたのです。」2002年夏、モスクワ近郊の森の中で遺体で発見された。彼が子供時代に休暇を過ごした別荘のすぐ傍だった。1964年~2002年、4か後には40歳の誕生日を迎えるはずだったディーマ。身元不明者の墓地の一角にひっそりと埋葬されている。
番組の中では実写の映像もあった。作業員に手順を説明している。「手押し車にガレキを乗せろ。一人が乗せてほかの二人が運ぶ。向こうに着いたらすぐに数え始めろ。90まで数えたら駆け足で戻る。数を数えながらガレキをすくえ。90まで数えたらすべてを放り出して走って外へ出ろ」
人間が作った見えない敵との戦い。チェルノブイリでも日本でも責任者は一番危険な現場には行こうとしない。危険に晒されるはいつも弱い立場の人間たち。東電は2か月も経ってから実は…というように1号機ではメルトダウンが起こっていましたと発表。安全神話を壊したくないために被害を大きくしたのではないかという疑いが持たれている。台風の季節になれば距離の離れた地域にも放射性物質は運ばれてしまう。だらだらやっている場合じゃないと、日本でもいよいよ高濃度に汚染された建屋の内部に作業員が入るという段階になってきた。いつまでも事態が動かなければ、誰かが”選ばれて”入って行かざるを得ない。この番組でも恐ろしい映像の数々。水を抜くために原子炉の下へ入っていった若者二人の姿が今でも残像になって消えない。