FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

カミーユ・クローデルとロダン

2005年11月26日 | Weblog
今朝の新聞にカミーユ・クローデル(1864~1943)とオーギュスト・ロダン(1840~1917)のことが載っていた。カミーユ・クローデルという存在を知ったのは、何年前かに見た仏女優イザベル・アジャーニ主演の映画を見てから。

女性は公立美術学校も受験できない時代において、彼女は単なる助手を超えた才能の持ち主であり、恋愛関係にありながらロダンは師にして競争相手にもなった。時代に先駆けた才能を生かしきれず、最後には出口をふさがれたように精神に変調を来たしてしまう。イザベル・アジャーニの熱演もあって随分印象深い映画で、見た後にいろんなことを考えたものだった。

「カレーの市民」という群像彫刻について。
英国と結ぶユーロトンネルの入り口にあるカレー市は、人口7万7千の港町だそうだ。英仏百年戦争で、英国のエドワード3世は1346年9月、カレーを包囲した。抵抗は翌年8月まで続き、犬や猫、馬まで食べつくし、餓死者も出た。フランス王の援軍も英軍の包囲網を破れず、撤退。降伏するしかなかった。

イギリス王はあくまで無条件降伏を求めたが、部下に説得され折れた。カレーのもっとも有力な6人が命をささげるなら、残りの命を助けよう、と。一番裕福なユスターシュ・ド・サンピエールが立った。みんなが彼の足元に集まり、泣き伏せた。

2人の娘を持つジャン・デールが「私も行く」。3人目はジャック・ド・ビッサン、弟のピエールも続いた。5人目、6人目も続いた。命令通り、裸足で、頭に何もかぶらず、首に縄を巻いた。町と城の鍵を持つと、エドワード3世のもとへと歩き出した。

ロダンは注文されたサンピエール一人の代りに、6人の群像を作ることにした。カミーユが助手として手や足を担当し、それをロダンが仕上げた。当時は「手や足は弟子の仕事というのが常識でした。ロダンだって、42歳まで下働きを勤めたくらいです。」

除幕式は1895年6月、制作に10年以上かかった。遅れた背景にはカミーユとの別れ話があったそうだ。結婚を迫るカミーユに対して、ロダンは長年連れ添った内妻ローズ・ブーレ(1844~1917)の存在を理由に拒否し通した。

カミーユと別れた後のロダンは、これといった作品を残さず、一方のカミーユは、ロダンへの強迫観念と貧困に苦しみ、精神病院に収容されていった。彼女の弟、ポール・クローデル(1868~1956)は、詩人で劇作家、外交官でもあり、日本ともつながりがあって、1921年から6年間、駐日大使も務めたそうだ。

新聞を読んだ後、TSUTAYAに行って奥の棚まで探してみたら、イザベル・アジャーニが演じた「カミーユ・クローデル」があったではないか。しかもDVDにもなっていた。時の流れというものを感じながら、早速借りてきた。
























女性審判

2005年11月23日 | Weblog
ちょっとばかり風邪をひいてしまった。ひいたというか、うつされたというか。昨夜は鼻水が出ていたけど、今はかなりいい。普段は不死身?の健康を誇っていたんだから、人並みになれたー。

Jリーグの企画部に勤務する女性職員、深野悦子さん(33)がFIFAから来年の国際主審に登録されたという連絡がとどいたそうだ。公式戦の審判の割り当てを担当する仕事だったそうで、その苦労を見て、審判資格に挑戦したのがきっかけ。03年1月には女子1級になり、Lリーグでも主審をしていたということだ。

嬉しいニュース、おめでとうございます。
国際舞台で活躍されることを祈ってー。
その前向きに生きる姿が素晴らしい・・・。













ダルデンヌ兄弟

2005年11月21日 | Weblog
先週の新聞に載っていた記事が印象深かったー。「ある子供」(12月日本公開)で2度目のカンヌ映画祭最高賞を受賞したダルデンヌ兄弟と作家の重松清さんとの対談。(重松さんという作家の作品は読んだことはない。)

ダルデンヌ兄弟については、どれもドキュメンタリーのような描き方をするのが好きで、忘れていたので検索してみたら、じつは(映画館ではないけど)全部見てたんだよね。「イゴールの約束」(1996年)「ロゼッタ」(1999年)「息子のまなざし」(2002年)。それほど好きな監督だったんだ。ジャンピエールは51年、リュックは54年のベルギー生まれ。

重松―僕は二人より10歳ほど若い42歳ですが、僕たち以降の世代は「大人になれない世代」といわれます。だから、あなた方の映画「ある子供」の主人公ブルュノの幼さにリアリティーを感じました。

リュック―小さな盗みなどでその日暮らしをしている20歳のブルュノは、生まれたばかりの自分の子供まで売ってしまおうとする。そんな彼がどうやって大人・親になるかという物語です。今は30歳代でも、大人になれない大人、思春期の問題をそのまま抱えている人たちが多いと感じます。そこには「若いままでいたい」「子供のままでいたい」という一種のナルシズムがあると思います。

重松―今、話していることは日本の若い世代の父親・母親にも当てはまります。

  ―僕の場合はニュータウンに住み、世間から「普通」と呼ばれている少年少女、親たちの問題を取り上げています。あなた方の作品には貧しさというのを根底に描いていると思うんですが、日本の若い世代には経済的な貧しさより内面の貧しさというものを感じます。その貧しさの正体を書きたいということが僕の作家としての主題です。

リュック―日本の若い世代の内面的な貧しさとは?

重松―70年代のあるときまで、子供・若者は社会全体の希望の象徴でした。ところが今、なかなか若者であることに希望が見出せなくなってくる。それが、内面の貧しさにつながっていると思っています。

ジャンピエール―私達の住んでいる街でも、70年代を境に孤独に暮らす若者が増えました。「ある子供」の主人公の感情のなさは、まるで世界の動きが彼にとって何もかかわりがないかのようです。彼らは社会の外にある余白の部分にいる。そういう若者が西洋社会では多く見られます。彼らはグループを作って、自分たちの小さな世界をつくっていますが、それによって自分たちが目指す社会を実現しようとするわけではありません。ただ単にその世界の外にいるだけなのです。

重松―主人公が乳母車を押して車道を横切るときに、車にまるで頓着しない場面がありますが、外の世界と無関係ということを象徴する場面と感じました。
                        (中略)
リュック―「ある子供」では最後で、人間的な感情を持っていなかった主人公ブリュノが、他者とふれあうことで、人間性を持てるようになります。
                        (中略)
重松―どんな希望を、次の世代に託そうとしていらっしゃいますか?

リュック―どのような生活状況で置かれても、若い人々が人間としての威厳をきちんと持てるように、と願っています。

重松―僕は、自分の小説に「人生は生きるに値するもの」というメッセージを込めたいといつも思ってやってきたし、今後も続けていきたいと思っています。そんな僕にとって、2人の作品からは勇気をもらえたことは本当に幸せでした。(終)

12月公開だそうで、是非みたい。見られるだろうか。
シアターキノを見たら、見たいのが続々と来るではないか。
「アワーミュージック」(ゴダール監督)「愛をつづる詩」「ランド・オブ・プレンティ」などー
うーん、懐具合とにらめっこだねえ。全部札幌まで行くのはきびしいなあ。














『ベルンの奇蹟』~ドイツ・ワールドカップの栄光~

2005年11月04日 | Weblog
1954年7月のスイス、ベルンで行われたW杯優勝への道と、ロシアから帰還した父親リヒャルト(ペーター・ローマイヤー)と11歳の息子マチアス(ルーイ・フラムロート)、その家族を描きながらドイツの戦後復興の苦しみとそれを吹き飛ばすような優勝の喜びを描いている。この父子は実際の親子だそうで、監督、プロデューサー・脚本を担当したゼーンケ・ヴォルトマンは実際の元プロサッカー選手だったそうだ。

冒頭、煙突が立ち並ぶ工場が写され、その町の空気とそのチームがエッセンなんだとわかる。マチアスは屋根裏に行き、アーヘンーエッセン、1-0と出て、伝書鳩にいう場面。「しかもアーヘンにチキショー。リーグ優勝は無理だなあ」なんてセリフを聞くと、サッカーファンとしては思い当たり過ぎて?ドキッとしてしまう。

父親が兵隊にとられて帰ってこない。末の息子のマチアスが生まれたことも知らない。母親はバーを開き、息子も娘もそれを手伝って生計を立ててきた。そこへ父親が帰還する。しかし、家族との深い溝、新しいドイツにもなじめない父親。TVでは帰還兵への募金が呼びかけられていた。元いた炭鉱で働こうにも掘削機の音を聞くと精神が不安定になり働けない。戦争が終わっても父親の苦しみは終わらない。

一方のマチアスはエッセンが生んだ選手ドイツ代表ラーン(ボス)のかばん持ちになって、サッカーと関わっている。マチアスがいればチームは何とか勝つことが出来るというマスコットで、そのお陰でただで試合が見られるというわけだ。しかし、厳しい教育が必要という父親にサッカーを禁止され、ついに家出してしまう・・・。

サッカーの記者がでてきて結婚する妻とのシーンはちょっとおかしいような、今でも身近にあるようなー。「気をつけろ、女はサッカーの敵なんだからな」というセリフが出てくるからだ。もっとも、彼女の格好たるや1950年代、オードリー・ヘプバーンスタイル。スカーフの端をクルクルと首に巻いて結んだり、ウェストを絞り、フレヤースカートはふわふわしている。

しかし、そうしたもやもやもドイツの優勝によってすべて吹き飛んでしまう。その試合経過やサッカーのプレーはかなりていねいに描かれ、当時のラジオの実況に一喜一憂する様子はサッカーファンも堪能できるのではと思わせる。実際の父と息子という親子の役者もどちらも胸を打つ名演技。

サッカーファンもサッカーファンでなくても!楽しめるよく出来たドラマ。
2006年W杯を自国で開催するドイツ国民がこぞってこの映画に熱狂したようだ。また優勝の夢をもう一度という期待があるのだろう。CLでスイスのトゥーンがアヤックスと戦った試合で使われたベルンにあるスタッド・ド・スイス・ヴァンクドルフ、というスタジアムはこのときの決勝戦で使われたものなのだろうか。映画の中でもヴァンクドルフという名前が使われている。















是枝監督

2005年11月02日 | Weblog
いよいよ冬タイヤにとっかえた。車検のついでにー。自動車税の領収書も一緒にもってきてといわれたけど、さあーない。大あわてで、いろんなとこを探した。なんといつも持ち歩いているバッグの中だった。引き出しに入れておかなかったのが悪かったなあ。

「誰も知らない」の是枝監督が新聞に登場していた。憲法の自民党案についてだった。

第2章のタイトルが「戦争の放棄」でなくなったのが象徴的ー。国際貢献って名のアメリカの戦争に今以上の支援をする方向をめざしているのは間違いない。結局、アメリカの都合。9条をアメリカの軍事戦略と一線を画すための担保として残しておくのが、ぎりぎりのリアリズム。

「正しい戦争がある」という考え方を否定するものとして、9条をもっと積極的に国際的な共有財として活用していくべきだと考えている。「正しさ」を競うことは幸せに導かない。アメリカの世界戦略の行き詰まりを見ても、9条は先進的な思想だと思う。

父は出征して中国で終戦を迎えて、シベリアに抑留された。彼にとっても、東京大空襲を体験した母にとっても、被害者の意識が強かった。それを否定するつもりはないけど、彼らの記憶をどう乗り越えていけるかが、僕のベースになっている。

アジアの映画監督とは共有する感覚っていうのがある。アジアも、欧州連合〈EU〉のような形でお互いに軍縮して経済的に一つになろうって方向で生き残っていくしかない。

軍備を増強して普通の国になっていくための憲法なのか。武力ではなく、話し合いで紛争を解決できる国と国の関係の構築を目指す憲法なのか。どちらも100パーセントの安全はないし、犠牲を伴うけど、僕は後者のリスクなら受ける。

ある時期まで映像以外の発言はしないって決めていた。でも、専門家に任せていたら、改憲ムードがどんどん広がっていった。憲法って自分たちのものでしょう。自分の言葉で話すべきだって、考え方を変えたんです。〈終)

是枝監督はこのごろ、確かに映像以外の発言が目に付く。アジアもEUみたいな形を方向性として持っていくという言葉は頼もしい。道遠しでも嬉しい言葉だ。希望がわいてくる。もう生き残る道はこれしかないんだものね。

「幻の光」にはじまって、「ワンダフルライフ」「ディスタンス」「誰もしらない」。どれも印象深く日本人監督の中で、もっとも期待している監督・・・。