今朝の新聞にカミーユ・クローデル(1864~1943)とオーギュスト・ロダン(1840~1917)のことが載っていた。カミーユ・クローデルという存在を知ったのは、何年前かに見た仏女優イザベル・アジャーニ主演の映画を見てから。
女性は公立美術学校も受験できない時代において、彼女は単なる助手を超えた才能の持ち主であり、恋愛関係にありながらロダンは師にして競争相手にもなった。時代に先駆けた才能を生かしきれず、最後には出口をふさがれたように精神に変調を来たしてしまう。イザベル・アジャーニの熱演もあって随分印象深い映画で、見た後にいろんなことを考えたものだった。
「カレーの市民」という群像彫刻について。
英国と結ぶユーロトンネルの入り口にあるカレー市は、人口7万7千の港町だそうだ。英仏百年戦争で、英国のエドワード3世は1346年9月、カレーを包囲した。抵抗は翌年8月まで続き、犬や猫、馬まで食べつくし、餓死者も出た。フランス王の援軍も英軍の包囲網を破れず、撤退。降伏するしかなかった。
イギリス王はあくまで無条件降伏を求めたが、部下に説得され折れた。カレーのもっとも有力な6人が命をささげるなら、残りの命を助けよう、と。一番裕福なユスターシュ・ド・サンピエールが立った。みんなが彼の足元に集まり、泣き伏せた。
2人の娘を持つジャン・デールが「私も行く」。3人目はジャック・ド・ビッサン、弟のピエールも続いた。5人目、6人目も続いた。命令通り、裸足で、頭に何もかぶらず、首に縄を巻いた。町と城の鍵を持つと、エドワード3世のもとへと歩き出した。
ロダンは注文されたサンピエール一人の代りに、6人の群像を作ることにした。カミーユが助手として手や足を担当し、それをロダンが仕上げた。当時は「手や足は弟子の仕事というのが常識でした。ロダンだって、42歳まで下働きを勤めたくらいです。」
除幕式は1895年6月、制作に10年以上かかった。遅れた背景にはカミーユとの別れ話があったそうだ。結婚を迫るカミーユに対して、ロダンは長年連れ添った内妻ローズ・ブーレ(1844~1917)の存在を理由に拒否し通した。
カミーユと別れた後のロダンは、これといった作品を残さず、一方のカミーユは、ロダンへの強迫観念と貧困に苦しみ、精神病院に収容されていった。彼女の弟、ポール・クローデル(1868~1956)は、詩人で劇作家、外交官でもあり、日本ともつながりがあって、1921年から6年間、駐日大使も務めたそうだ。
新聞を読んだ後、TSUTAYAに行って奥の棚まで探してみたら、イザベル・アジャーニが演じた「カミーユ・クローデル」があったではないか。しかもDVDにもなっていた。時の流れというものを感じながら、早速借りてきた。
女性は公立美術学校も受験できない時代において、彼女は単なる助手を超えた才能の持ち主であり、恋愛関係にありながらロダンは師にして競争相手にもなった。時代に先駆けた才能を生かしきれず、最後には出口をふさがれたように精神に変調を来たしてしまう。イザベル・アジャーニの熱演もあって随分印象深い映画で、見た後にいろんなことを考えたものだった。
「カレーの市民」という群像彫刻について。
英国と結ぶユーロトンネルの入り口にあるカレー市は、人口7万7千の港町だそうだ。英仏百年戦争で、英国のエドワード3世は1346年9月、カレーを包囲した。抵抗は翌年8月まで続き、犬や猫、馬まで食べつくし、餓死者も出た。フランス王の援軍も英軍の包囲網を破れず、撤退。降伏するしかなかった。
イギリス王はあくまで無条件降伏を求めたが、部下に説得され折れた。カレーのもっとも有力な6人が命をささげるなら、残りの命を助けよう、と。一番裕福なユスターシュ・ド・サンピエールが立った。みんなが彼の足元に集まり、泣き伏せた。
2人の娘を持つジャン・デールが「私も行く」。3人目はジャック・ド・ビッサン、弟のピエールも続いた。5人目、6人目も続いた。命令通り、裸足で、頭に何もかぶらず、首に縄を巻いた。町と城の鍵を持つと、エドワード3世のもとへと歩き出した。
ロダンは注文されたサンピエール一人の代りに、6人の群像を作ることにした。カミーユが助手として手や足を担当し、それをロダンが仕上げた。当時は「手や足は弟子の仕事というのが常識でした。ロダンだって、42歳まで下働きを勤めたくらいです。」
除幕式は1895年6月、制作に10年以上かかった。遅れた背景にはカミーユとの別れ話があったそうだ。結婚を迫るカミーユに対して、ロダンは長年連れ添った内妻ローズ・ブーレ(1844~1917)の存在を理由に拒否し通した。
カミーユと別れた後のロダンは、これといった作品を残さず、一方のカミーユは、ロダンへの強迫観念と貧困に苦しみ、精神病院に収容されていった。彼女の弟、ポール・クローデル(1868~1956)は、詩人で劇作家、外交官でもあり、日本ともつながりがあって、1921年から6年間、駐日大使も務めたそうだ。
新聞を読んだ後、TSUTAYAに行って奥の棚まで探してみたら、イザベル・アジャーニが演じた「カミーユ・クローデル」があったではないか。しかもDVDにもなっていた。時の流れというものを感じながら、早速借りてきた。