FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(80)

2008年04月25日 | 万葉集
日めくり万葉集(80)は東歌(あずまうた)。選者は、万葉時代のように植物の染料で色を染め、創作と研究で【色】を追究している、染色家の吉岡幸男さん。

【歌】
真金(まかね)吹く
丹生(にふ)のま朱(そほ)の
色に出て
言はなくのみそ
我(あ)が恋(こ)ふらくは

   巻14.3560   作者は東歌(あずまうた)

【訳】
鉄を精錬する炎のように、赤い丹生(にふ)の赤土のように、顔色に出して言わないだけだ。わたしの恋する思いは。

【選者の言葉】
朱に対する人々の気持ちが強く出ている歌で、人間が一番最初に発見した色は朱。やはり太陽や火、人間の体内を流れる血液の色。朱にたいする強い気持ちがある。人の目に鮮烈に浮かんでくる色。そういう原色の色を恋する気持ちに表したいと詠っている。

朱をじぶん達の身近に置くためには、朱を塗るとか。太陽や炎というものに対する人間の畏敬の念と畏怖の念、両方が表れているように思う。仏教文化が来てからは建造物に赤く彩色するという文化が入ってきた。

お寺、神社は町の人々からこういう場所があると見えやすい、わかりやすいという、一つの広告的なアドバルーンでもあったと思う。この歌の中でも自分たちの気持ちというものを恋をしてるんだ、なんとなく気恥ずかしく、遠慮がちというものではないんだということを典型的に出すために、赤い色を使ったのではないかという風に想像する。

【檀さんの語り】
この歌に詠まれた丹生(にふ)の丹(に)とは朱の顔料のこと。朱は水銀と硫黄が結合した鉱物。それが取れた土地を丹生(にふ)といい、奈良県吉野にある丹生川上神社など、各地に地名が残っている。天然の鉱物から取れる朱は、人間が最初に手に入れたものの一つだといわれている。

【感想】
赤い色というのは一番人間が感情移入しやすい色ではないだろうか。生きている証、生命の色でもあり、戦いのとき、先頭にあって後ろの人々を鼓舞するのは赤い旗。なにか高揚感を表す場合はかならず赤い色が使われている。サッカーのエンブレムやユニフォームでも赤が断然多いようだ。

吉岡さんは前回でもやはり、古代の色が歌の中に入っているということで、紫色が入った歌を選んでいたのが印象深かった。“灰さすものそ”というところでは、紫色を出す工程が入っているという説明だった。丹=朱の説明では、古代からすでに石を使って色を出しているというのが驚き。

これには水銀が関係しているようで、ちょっと検索してみただけでも、そういう研究がいろいろあるのがわかった。興味深いが、なにしろ化学記号が出てきたりして、これは難しすぎる。確か朱捷さんが選んだ歌の中でも、赤い土の説明が出てきていたのではと、ふと思い出した。


【調べもの】
○まかね【真金】
くろがね、鉄。

○しゅ【朱】
①黄味を帯びた赤色。
②赤色の顔料。成分は硫化水銀(Ⅱ)。天然には辰砂(しんしゃ)として産する。水銀と硫黄とを混ぜ、これを加熱昇華させて製する。銀朱。

○に【土・丹】
(地・土の意を表す「な」の転)
①つち。
②赤色の土。あかつち。
③(赤土で染めた)赤色。













芝桜が咲くと

2008年04月25日 | ガーデニング
例年より桜の開花が2週間早く訪れ、連休の始めごろには見ごろを迎える、という桜前線のニュース。こんなに暖かい4月は珍しいと喜んでいたら、昨日あたりからまた例年並の肌寒さが戻ってきた。この寒さで桜の花はかえって長持ちするのだそうだ。

庭の薔薇は小さな芽があっという間に新緑の葉っぱになってきて、目にまぶしい。雪印種苗センターから注文していた薔薇の苗木が送られてきた。追加注文したピエール・ドゥ・ロンサール、ミミエデン、それにアルフォンソドーテ。もう青々した葉っぱが出ている。

どれも淡い色彩で中ほどが少し濃い色になるという、クラシックな感じがする薔薇だ。うまく根付いてくれるかどうか。毎年何本かは越冬できない。耐寒性がないものは自然淘汰されてしまう。

庭に咲く一番手のスノードロップの花はすでに枯れ、今はムスカリやチューリップなどの球根が咲いている。土止めの意味もあって、ボーダーの縁取りのように周囲に植えている芝桜が次々に咲き出し、濃いピンク色が庭を華やかにしている。

ほとんど雑草のように丈夫なので、植えておけば毎年春になると咲き出すという手間要らずがいい。少し垂れるように咲き出すと、アチコチがピンクの絨毯になって鮮やかに北の春を告げる。あー、新しいシーズンが始まったんだ。こうやってまた春を迎えられたんだと、誰ということもなく感謝の気持ちが込み上げてくる。















日めくり万葉集(75)

2008年04月22日 | 万葉集
日めくり万葉集(75)、作者は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)。選者は【水底の歌】という~柿本人麿論~の著書もある、哲学者の梅原猛さん。

【歌】(万葉仮名)
春楊(はるやなぎ)
葛山(かづらきやまに)
発雲(たつくもの)
立座(たちてもゐても)
妹思(いもをしそおもふ)

   巻11・2453  作者は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)歌集より

【訳】
葛城山に立つ雲のように、立っても座っても、あの娘のことばかり思っている

【歌】
春柳
葛城山に
立つ雲の
立ちても居(ゐ)ても
妹(いも)をしそ思ふ

【選者の言葉】
これは万葉集の中でも字が最短の歌。(万葉仮名で)たった10字。しかし一つ一つがイメージの連続で見事につながっている。漢詩に近いような歌だがいい。春楊(はるやなぎ)というのは柳の目が吹くころ。遠くの葛城山に立つ雲のように、いてもたってもいられない。あなたが恋しくて仕様がないという、人麻呂の若き日の熱烈な恋の歌。

(【水底の歌】で展開した仮説は)100%間違いないと思っている。それは古今集以来の人麻呂伝承を考えると、やはり人麻呂は流人であり、最後は刑死したのではないかという、悲劇がある。

万葉集は単なる叙情ではなくて、恐ろしい人間の悲劇が隠されていた。これを見出したのは大きいし、驚いた。ある意味で万葉集は政治的な歌集でもある。そんな素朴なものだけではない。政治と深い悲しみが染み込んでいる。むしろそのことによって、万葉集は素晴らしいと思うようになった。

【檀さんの語り】
万葉集随一の宮廷歌人として知られる柿本人麻呂。その生涯は長く謎とされていたが、梅原さんは1973年に発表した【水底(みなそこ)の歌】(柿本人麿論)で、その悲劇の生涯を明らかにした。

人麻呂は時の政権に追われて流罪(るざい)となり、石見(いわみ)の国へ送られ、その地で水死刑に処せられ、以来、人麻呂の名も正史から消された。それは従来の人麿像を根底からくつがえす大胆な仮説だった。

梅原さんにとって、柿本人麿を通してみた万葉集は、古代の謎に光を当てるメッセージでもあった。

【感想】
古代史は実際に目の前で確かめて見ることが出来ない分、想像の域を出ないというところだろうが、貴重な資料として万葉集を見てみれば、梅原さんのように大胆な仮説を打ち立てることも可能なんだと、俄然興味深くなった。【水底の歌】というのは文庫本でも出ているようなので、どうしようか。なければ図書館に行って借りてこようかなあ。

【調べもの】
○いわみ【石見】
旧国名。今の島根県の西部。石州。









日めくり万葉集(73)

2008年04月19日 | 万葉集
日めくり万葉集(73)の作者は大伴三中。選者は精神科医の香山リカさん。長歌から抜粋された歌の内容は過労死を考えられるような、多すぎる労働時間によって、非人間的な生活を余儀なくされている現代人を思わせる歌。

【歌】
大君(おおきみ)の命(みこと)恐(かしこ)み
おし照る難波(なには)の国に
あらたまの年(とし)経(ふ)るまでに
白たへに衣(ころも)も干さず
朝夕(あさよひ)にありつる君は
いかさまに思ひいませか
うつせみの惜しきこの世を
露霜(つゆしも)の置きて去(い)にけむ
時にあらずして   (抜粋)

   巻3・443  作者は大伴三中(おおとものみなか)

【訳】
天皇のご命令を謹んで承って難波の国で年が経つまで、長い間衣も洗い干す暇もなく、朝夕忙しくお仕えしていたあなたは、どのように思われて、惜しいこの世を後に残して、逝ってしまったのだろうか。死ぬべきときでもないのに。

【選者の言葉】
万葉の時代の人々は日本人の心の故郷のような感じで、ゆったりしている、心が伸びやかというイメージを持っていたが、そんな時代にすでに自殺という状況があったのかということで驚いた。

“白たへの衣も干さず”というように。どうやら着ている物の洗濯をする時間がなかったのか、余裕がなかったのか、追いつめられた状況。診察に来ていたら、“うつ”状態と診断されたかもしれない。

過労状態になるとどうしても仕事の能率が下がったり、ミスが増えたりする。それは本人の能力とか努力に問題があるわけではなく、過労から来るストレスが影響を与えているのだが、真面目な人ほど、自分は疲れすぎている、ストレスが増えているとは考えない。

“私がいけないいんだ”というように自分を責めてしまう。それでもどんどんミスが多くなったり、仕事が溜まってくると、もう自分には仕事を続ける資格がないと考えてしまう。さらにこれが進むと生きていく資格がない。会社に迷惑をかけてしまうんだったら、もう死んでしまったほうが良い、と死を選んだりしてしまう。

多分、意欲満々で出かけて行って、自分の中でも頑張ろうという意欲が高かっただけに、途中でこれは無理だなあと思っても、出来ませんとか、忙しすぎますと言い出せなかったのかもしれない。その辺も現代人の真面目で頑張るビジネスパーソンと瓜二つという感じがする。

【檀さんの語り】
729年、奈良の都から大阪に赴任していた若い役人が業務多忙の余り、自ら命を絶った。そのときの先輩の役人が嘆いて詠った長歌の後半自殺した役人は、戸籍と課税の制度【班田収授法】の実施のために忙殺されていた。この役人は天皇に仕えることを名誉と思い、故郷に父母と妻子を置いて、単身赴任で仕事に励んでいた様子が長歌の前半から伺える。

【感想】
香山リカさんは働く女性たちについての1文をよく新聞に寄せている。ここでも働く人間の問題が詠われている歌を取り上げた。この長歌では過労死ともいえる状況が伝わってきて、とても1300年前の出来事とは思えない。

残された家族や両親など、その後の生活は当時はどうだったのかと気になる。現代でも多すぎる労働時間やストレスによって体調を壊したり、うつ状態になって休職したりなど。

香山さんのお話を聞くと、親元を離れて都会で働きながら頑張っている子どもたちの姿が目に浮かぶ。送り出した親の方は、社会人になればもう親の出番はないと思いながらも、絶えず心配しているものだ。

管理職といいながら、名ばかりで尋常ではない労働時間をこなしてきたというマクドナルドの店長や、残された遺族によって過労死に当てはまるのではないかといった、会社を相手取って争われている事例がある。払われなかった残業時間の支払いを求めて裁判を起こしたマクドナルドの例は、労働者の側からも抵抗し、声を上げ始めたということで、大変な勇気だと思う。












名古屋高裁判決

2008年04月19日 | 雑感
このところの気温の上昇で、日中は汗ばむ時間もある。窓辺に置いている種まきポットの中では、小さな芽の育ちに勢いが出てきた。こうなると毎朝、様子を見るのが楽しみになる。

昨日の朝日新聞は17日、“自衛隊イラク派遣を巡る集団訴訟の控訴審判決の中で、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)が、航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示したこと”を、一面トップで報じていた。

裏面には「イラク空自違憲判断」と、“周辺でゲリラ攻撃や自爆テロが頻発しても、航空自衛隊の輸送機が離着陸するバグダッド空港は「非戦闘地域」。戦地への自衛隊派遣と憲法とのつじつまあわせのために政府がひねり出した理屈の矛盾を、名古屋高裁が突いた”

“高裁判決は「バグダッドは国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、物を破壊する行為が現に行われている。イラク特措法にいう『戦闘地域』に該当する」と指摘”

裁判所の判決がようやく戦争というものに対する市民感覚と合致した、と言う印象を受けた。小泉元首相がいくら“戦闘地域かどうか私に聞かれてもわかるわけがない”などと言っても、半数以上の人々が反対していた中でのイラク派遣だった。

しかも今となっては、ブッシュ大統領が開戦時に理由とした核兵器と疑われるものなどなかったというのだから、多くのイラク人を空爆の被害に巻き込み、以前の平和な生活を取り戻せないほどに破壊した後に、あれは間違いだったなどと・・・。

これは航空自衛隊の派遣に反対する3千人あまりの市民が、派遣差し止めを求めておこした訴訟なのだそうだ。裁判長の青山氏(64歳)は、この3月に依願退官したために、この日の法廷では別の裁判長が判決を代読したという。一人の裁判長の覚悟の判決文が一石を投じたということなのだろう。

相変わらず憲法改正への動きは続いている。そのためには戦争に対するイメージが希薄で、9条を変える事へ抵抗感のない若者をなんとか国民投票へ組み入れたいと、政府は成人20歳を18歳に引き下げてしまおうと画策。そうした流れが進む中で、一人の裁判長が示した勇気には、頭が下がる思いがする。










日めくり万葉集(71)

2008年04月17日 | 万葉集
日めくり万葉集(71)は志貴皇子(しきのみこ)の読みやすい歌。選者は画家の安野光雅さん。鮮やかに情景が目に浮かび、印象深いお話だった。

【歌】
石走(いはばし)る
垂水(たるみ)の上(うへ)の
さわらびの
萌(も)え出(い)づる春に
なりにけるかも

  巻8・1418   作者は志貴皇子(しきのみこ)

【訳】た
岩を叩き、しぶきを散らす、滝のほとりのわらびが芽を出し始める春になったんだ

【選者の言葉】
あー、春になったんだなあと、春が来たんだ。ただそれだけの歌。57調のせいか、言葉の並べ方か。音を立てて流れていく中に春が来たという印象がよく詠われているという気がする。

(戦後間もなく若かったころは)絵なんかで食えやしないが、どういうわけか谷川へ行って絵を描きたいという気持ちになった。ほとんど衝動的な意味しかなかった。練習でもない、勉強でもない、なんだろうか。

谷川の中に入って、静かなところで絵を描いていると気持ちがいい、生活の一部だった。そういうことをするのがうれしかった。田舎の教員をしていたそのころ、クラスの中に一人、まったくものを言わない子どもがいた。

体操だろうと国語だろうと、一切受付けない。なにもしない。その子が道の傍で遊んでいたとき、私は絵を描きに行った。日曜日だったと思う。「おまえ、ついて来ないか?」と訊くと草履を履き替えて付いてきた。

その子はずっと付いてくる。普段しゃべらない子が付いてきたから、多少うれしい気がしていた。「待ってろ!」と言って私は絵を描いていた。(その子は)石ころをはがしてみたり、沢蟹(さわがに)を捕まえてみたり。

そうしているうちにその子が見えないところで「鳴くな~小鳩よ~心の妻よ~」と歌っている。彼の声をはじめて聞いた。それを聞いてうれしかったが、それきり、ついに彼の言葉を聞くことはなかった。まもなく東京に来てしまった。渓流についてでは、彼のことが忘れられない。

【檀さんの語り】
和歌に秀でた皇子(おうじ)、志貴皇子が詠んだ歌。山がちで滝や渓流の豊かな国、日本。安野さんも戦後間もない若いころ、その魅力に取り付かれスケッチに熱中していたことがあった。

【感想】
志貴皇子のこの歌は声を出して読みやすい歌。流れるような言葉のつながりがどこか洗練されたものに感じられた。安野さんの話はまるで映画のシーンのようでもあり、目の前で動いている姿が想像できる。

楽しそうにスケッチをする安野さんの姿からは、教壇に立っている「先生」とは別人として、飾らない人間性が溢れていたのではないだろうか。山の中の自然に触れてその「子ども」も警戒心が薄れ、のびのびと気持ちが開放されたのだろう。

戦後間もないころという説明には、誰もが食べていくこと、生きることに懸命で、なにか屈託を抱えている子どもの声に耳を傾けている余裕がないという、時代の空気が感じられた。

淡々とした語り口の安野さんの言葉からは、余計な説明がない分、かえって聞き手の想像力を駆り立てるものがある。その子はどういう人生を生きたのだろうか。

【調べもの】
○たるみ【垂水】
垂れ落ちる水。たき。





















春なのに雪

2008年04月12日 | ガーデニング
昨夜の天気予報では、このあたりに明日は雪が降るでしょう、という雪だるまマークがついていた。例年より早い春の兆しが訪れ、今季は土中に眠っていた薔薇の苗をすでに地上に立ち上げている。まさか雪が積もるんじゃあと、窓から外を見ては気が気でない。

積もるまでは降っていないが、道路が濡れて水気がひかっている。ちらちらと窓からも雪が見える。春先の庭では、あたたかい春の陽光を浴びて一番手のスノードロップに加えて、クロッカスが咲き、チューリップの葉っぱも元気に大きくなってきた。

せっかく春が早いと喜んでいたのに、ここでなんで雪なんだよ!!と、今朝はどんより曇った空を見上げて文句の一つも言いたくなる。小鳥たちもひっそりとして、あの騒々しい鳴き声も聞こえない。

このごろ、家の前を通る人に冬の間、薔薇はどうやっているのかと聞かれたりする。土の中に倒して埋めたり、大きくて倒せないものはネットを巻いていると答えるとへエーと驚かれる。

最近街中で、葉っぱも取らずにフラワーアーチに枝を絡ませたままのつる薔薇を見かけた。凍結する寒さのこの土地で大丈夫だろうか?なんて思うが、おそらく越冬を経験しているからだろう。

出窓で育てている種たちも、小さな葉っぱが芽を出してきた。昨季はあまりにも早く戸外へ出して失敗した。今季は慎重に様子を見ているのでうまくいっている。ゴマ粒より小さな種から、ピンセットでつまむほどの小さな葉っぱが見えた。なんと可愛い!!

今日は外の作業は無理のようだ。これからちょっとひとっ走り、本屋まで行ってこようかなあ。










日めくり万葉集(67)

2008年04月11日 | 万葉集
日めくり万葉集(67)は作者未詳の歌からの抜粋。選者は古代史・服装史の歴史学者・武田佐知子さん。

【歌1】
にほひよる
児(こ)らが同年児(よち)には
蜷(みな)の腸(わた)
か黒(ぐろ)し髪(かみ)を
ま櫛(くし)もち
ここにかき垂(た)れ

巻16.3791   作者未詳

【訳1】
輝くばかりの皆様方と同じ年頃には、わたしも黒くつややかな髪を上等の櫛で梳(と)いて、このくらい迄垂らしたりしてね。

【歌の抜粋2】
さ丹(に)つかふ色なつかしき
紫(むらさき)の大綾(おおあや)の衣(きぬ)住吉(すみのえ)の
遠里(とおさと)小野(おの)のま榛(はり)もち
にほほす衣に
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)に縫(ぬ)ひ付(つ)け・・・

【訳2】
赤みがかった色に似合う紫の大柄模様が付いた、住吉の遠里小野の榛(はん)の木の実で渋く染め上げた衣をまとい、ハイカラな高麗錦を飾り、紐に縫い付けたものさ・・・。

【歌の抜粋3】
稲寸娘子(いなきおとめ)が妻(つま)問(ど)ふと
我(われ)におこせし彼方(こちかた)の二綾裏沓(ふたあやしたぐつ)・・・

【訳3】
稲寸娘子が旧交の証にわたしにくれた彼方で作られた“段(だん)だら縞(じま)の靴下”をはき・・・

【歌の抜粋4】
飛(と)ぶ鳥(とり)の明日香壮士(あすかおとこ)が
長雨(なかめ)忌(い)み縫(ぬ)ひし黒沓(くろくつ)
刺(さ)し履(は)きて庭(にわ)にたたずめ・・・

【訳4】
明日香男が長雨の湿気を避けて、黒の皮靴をさあーっと履いて、庭にたたずんでいたら・・・

【歌の抜粋5】
罷(まか)りな立(た)ちと禁(いさ)め娘子(をとめ)が
ほの聞(き)きて我(われ)におこせし
水縹(みはなだ)の絹(きぬ)の帯(おび)を引(ひ)き帯(おび)なす
韓(から)帯(おび)に取らせ・・・

【訳5】
いっちゃ駄目と引き止めていた禁め娘子が、稲寸娘子(いなきおとめ)の贈り物のことを小耳に挟んで、引き帯のように韓帯に取り付けてくれたものさ・・・

【歌の抜粋6】
古(いにしへ)ささきし我やはしきやし
今日(けふ)やも児(こ)らにいさにとや
思(おも)はれてある・・・

【訳6】
その昔、こんなにも華やかにもてた私だというのに、あー惨めなものよ。今日はかわいいあなた方に本当かしらと思われている。・・・

【歌の締めくくり7】
古(いにしへ)の賢(さか)しき人も
後の世の鑑(かがみ)にせむと
老人(おいひと)を送りし車(くるま)
持ち帰(かへ)りけり
持ち帰りけり

【訳7】
年を取るとこんな風にされるから、昔の賢い人も後の世の戒めにしようと、老人を山に捨てに行った車を持ち帰ったとさ。持ち帰ったとさ。

【選者の言葉】
昔はとてももてた男が、若い娘たちに笑われているのだが、昔いかにもてたかという話を延々とする。着物尽くしで、いろんな衣服が出てきておもしろいということで注目した。

“紫の大綾の絹”。紫の着物のというのは最上級の人しか着られない衣服で“大綾の衣”というのは、昔、機織をするときに模様を大きくするというのが一番困難なことだった。“高麗錦”という舶来の錦に紐が付いているというように、話がドンドン豪華版になっていく。

靴下を履いている、ソックスみたいなものを履いているとか、靴を履いているとか。きわめて高度な技術を結集した、さまざまな服飾品、織物、等々を身にまとっていた彼がもてないわけがない。こんな服装をしていれば(笑)・・・。

【檀さんの語り】
昔、翁(おきな)がいて名を竹取の翁といった。この翁が春の末の3月、丘に登っていくと、この世のものとも思えない美しい9人の乙女が鍋を煮ていました。乙女たちはからかい半分に「おじいさん、ここへ来て、火をふいてくださいな」

ところが翁がその座に加わると、乙女たちは「誰がこんなおじいさんを呼んだの?」と言い出す。そこで翁は「こう見えても昔はね」と詠いだす。

【感想】
かなり長い歌!だったが、当時の服装や靴下、靴などが紹介され、興味深い写真が出てきたりした。ただこれはかなり高級感が漂うファッションなのだ、ということが武田さんの説明でわかった。

武田さんの語り口は、職業を持つ女性のサバサバした感覚が伝わってきて、見ている側も小気味がいい。こんなに最先端の豪華な服を着ていれば、そりゃあ、もてるはずよ、という感じのお話には、こちらまでおかしくなって思わず一緒に笑ってしまった。

3月に掲載されていた朝日新聞の「女と男」エピローグという生活面の記事には、男女が近づいてきて、女性が男性化し、男性が女性化しているというTVプロデューサーのインタビューが載っていた。

女性が意思を持ち始め、結婚をバネにさらに仕事に頑張るといった選択肢が増えて、それを実行する人が増えている。一方の男性はむしろロマンチストになってきていて、一生懸命に男女関係を美しいものにキープしようとしている。そういう話が多かった、という内容だった。

【調べもの】
○みな【蜷】
ニナの古名

○にな=ニナ【蜷】
巻貝の一群の総称。カワニナ・ウミニナ・イソニナなど。

○み・はなだ【水・縹】
藍の薄い色。みずいろ。














コンスタブル

2008年04月04日 | 絵画
「名画への旅」は19世紀、イギリスを代表する風景画家ジョン・コンスタブル(1776~1837年)の代表作【干草車】。180年前に描かれたこの名作の舞台は、保存運動によってコンスタブルカントリーとなり、蘇っている。

ジョン・コンスタブルは1776年、製粉業者を営む家の次男として、サクソン語で森の多い丘を意味するイースト・バーゴルトに生まれた。ロンドンからおよそ北東に100キロのところにある。

20代にはほとんど注目されなかったコンスタブルが大きく変わったのは30歳を過ぎてから。33歳のとき、地元の裕福な家の娘と恋に落ちた。【マリア・ビクネル・ジョン・コンスタブル夫人】(1816年)

売れない画家に孫を嫁がせることを拒んでいた祖父の存在があって、7年の歳月が必要だったが、この肖像画を描いた1816年に二人は結婚。それからは意欲的に作品に取り組むようになった。

【フラットフォードの製粉所】(1817年)
父親の経営するフラットフォードの製粉所をモチーフにした作品は結婚の翌年、展覧会に出品された。

コンスタブルの風景画がそれまでと異なるのは、絵は科学的でなくてはならないと考え、木の緑を種類によって書き分け、雲も忠実なデッサンに基づいて描いていた。

【干草車】(1821年)は45歳のときに描かれた幅2メートル近い大作。
夏の真昼の日差しの中で、干草車が浅瀬を渡って草刈場へ向かっていく。細やかな雲の描写。丹念に塗り分けられた木の葉。

穏やかな農村の風景が輝きを見せる一瞬を捉えている。荒々しいタッチの水面のきらめき。この絵の従来にない革新的な表現は、保守的な画壇から不評だった。

しかし1824年【干草車】はパリのサロンに出品され、高く評価された。活力あふれる表現に刺激され、ドラクロワは自分の絵を書き直したといわれる。作品はフランスの画商に買い取られ、コンスタブルはパリへ招待された。しかし彼はその申し出を断ってしまった。

ロンドン市の北のはずれの町、ハムステッド。1819年、コンスタブルはこの町の家を借りた。病気がちだった妻や体の弱い子どもを静かな環境の中で過ごさせたかった。

家の周りにはハムステッドヒースという荒野が広がっていた。コンスタブルはその雄大な風景に魅せられ、刻々と姿が変わる「雲」に心を奪われ「雲」のデッサンに夢中になった。コンスタブルの絵に大きな位置を占める雲。それは雲が風景に時間を感じさせる大切な要素だったからだ。

【ハムステッドの荒野:遠景に「塩の家」と呼ばれる家】
この作品を見る人は日傘が欲しくなるだろうといわれるほど、強い夏の日差しに輝く荒野が生き生きと描かれている。【干草車】と共にパリのサロンに出品されたこの絵は人々の賞賛を浴びた。

家族をこよなく愛したコンスタブル。しかし1828年に妻、マリアが亡くなる。「太陽の輝きはすべて私から消え去った。嵐が絶えずほえ続けている。」

【ハドリー城、テームズの河口~嵐の夜の翌朝のための等寸大の習作】
マリアの死と前後して描きすすめられていたハドリーの城。嵐が去っても尚荒れ狂う海。その荒涼とした眺めに立つ廃墟となった城。

繁栄を誇った者もいつかは滅びる。廃墟には二度と戻れないしあわせな日々を思うコンスタブルの心情が重ねあわされている。晩年、コンスタブルの風景画は深い精神性をたたえて、より象徴的になっていった。

50歳の時の発表した【麦畑】
谷に沿って麦畑に続く小道。川の水をうつ伏せになって飲む少年。それは少年時代、学校に通った実在の場所を描いている。コンスタブルの作品には少年の日の思い出が込められている。

身近な風景に深い愛着を感じていたコンスタブル。その愛着を出来るだけ忠実に生き生きと表そうと一瞬のきらめきや鮮やかさを見逃すまいとした。19世紀の風景画に革命をもたらしたコンスタブルの絵は、現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーに展示されている。

日本人の目から見てもどこか安らぎが感じられる絵。【麦畑】に登場する水を飲む少年はにかつての子ども時代へ戻ったような存在感となつかしさがある。【干草車】の絵に目立たないように、ひっそりと描かれた少女は水で遊んでいるのだろうか。

なにげないわが町のどこにでもある風景。それを見ている毎日に幸せがある。コンスタブルの絵はその大切さを、見る人に思い起こさせるものかもしれない。








日めくり万葉集(62)

2008年04月04日 | 万葉集
日めくり万葉集(62)は山部赤人の富士山を称えた長歌。選者は宗教学者の山折哲雄さん。巻3・317のこの歌には巻3・318の反歌が添えられている。

【歌】
天地(あめつち)の分れし時ゆ
神(かむ)さびて高く貴(たふと)き
駿河(するが)なる富士の高嶺を
天の原降り放(さ)け見れば
渡る日の影も隠らひ
照る月の光も見えず
白雲(しらくも)もい行(ゆ)きはばかり
時じくそ雪は降りける
語り継ぎ言ひ継ぎ行(ゆ)かむ
富士の高嶺(たかね)は

巻3・317   作者は山部赤人(やまべのあかひと)

【訳】
天と地が分かれたときから神々しくて高く貴い駿河の国にある富士の高嶺を、天空に振り仰いで見ると、空を渡る太陽の姿も隠れ、照る月の光も見えない。白雲も進みかね、時を定めずいつも雪は降り積っている。語り伝え言い継いでいこう。この富士の高嶺は。

【反歌】
田子の浦ゆ
うち出でて見れば
ま白にそ
富士の高嶺に
雪は降りける

巻3・318(317に対する反歌)

【選者の言葉】
神(かむ=かみ)さびてという言葉が重要。これは神のごとく振舞う意味と解釈している。なぜ富士は神なのか?これは日本人の山岳信仰の本質を表している歌かもしれない。

若いころ、学生10くらいと、箱根八里を足で歩いて越えたことがある。3日目になると雨が降っていてその日は日が暮れて御殿場(ごてんば)に到着。翌朝はカラッと晴れていた。庭に出て富士山を眼前に振り仰いだ。そのときの感動は今でも忘れられない。

恐ろしいような美しさ。圧倒的な存在感を持って、そこにそびえ立っていた。その前にいる自分がまるで木っ端のような頼りない存在に思えた。これが実感だった。山こそがこの宇宙の中心に存在しているという感覚になった。

葛飾北斎の富士山を描いた版画に中に、富士山が大きく描かれ、その前で歩いている旅人が米粒のように小さく描かれている。北斎もまた、あるときその存在感に圧倒されて、人間なんてものは小さい存在なんだという感じに打たれたのではないか。

日本人にとって山が神様のごとき存在だ、山そのものが神であるという「神体山信仰(しんたいざんしんこう)」はそういうことから生み出されたのではないか。その感覚を山部赤人は富士山を詠ったこの歌の中でさりげなく、しかし深く美しい言葉で表現しているのではないだろうか。

【檀さんの語り】
広く知られた“田子の浦ゆ”の歌はこの長歌に添えられた反歌。“反歌(はんか)”とは“長歌(ちょうか)”の内容をまとめたり、補ったりする“短歌(たんか)”のこと。長歌が富士への敬虔な畏(おそ)れを詠っているのに対し、反歌は目の前に迫る富士の姿を詠っている。

【感想】
日本の美しさの象徴的存在としての“富士山”の起こりは、こんな古い時代に遡るのかと驚く。多くの画家が今も富士山を描いているというのも、その仰ぎ見たときの大きさと、均整が取れている山の形に美しさを見ているからなのだろうか。この近辺に見られる山々もパノラマのように美しい。夏になっても残雪が消えることはない。

“語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ”というところに、格調の高さと時空を超えたスケールの大きさが表れていて、感銘を受けた。それに対する反歌の方にはそうした内容の重々しさは見られず、普通の歌になっている、というのが不思議なところだ。

【調べもの】
○するが【駿河】
旧国名。今の静岡県の中央部。駿州。

○ときじ【時じ】
形シク《「じ」は体言に付き否定の意を持つ形容詞を作る》
①その時ではない。時期はずれだ。
②その時だけではなく、いつもある。常にある。