FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『微笑みに出逢う街角』

2006年03月31日 | Weblog
2002年/カナダ/イタリア/98分。世界のどこかに自分の居場所を見つけるために必要な勇気を描いたそうだ。大人になった女たちの自分探しの映画。この映画が100本目というソフィア・ローレン、ミラ・ソルヴィーノ、デボラ・カーラ・アンガーに、ピート・ポスルスウェイト、ジェラール・ドパルデュー、マルコム・マクダウェルの男優たち。イタリア人、フランス人もカナダのトロントを舞台に英語のセリフで通している。

オリビア(ソフィア・ローレン)は車椅子の夫、ジョン(ピート・ポスルスウェイト)と長く生活を共にしている。ジョンは仲間と年金を賭けながらカードを楽しみ、一方のオリビアは昼間パートで働きながら、公園のベンチに行っては好きな絵のデッサンをして、花壇や温室を管理するマックス(ジェラール・ドパルデュー)と会話をすることもある。夫はそういうオリビアを知らなかった。オリビアはいつか芸術の都フィレンツェへ行くという夢を断ち切ることが出来ない。

ナタリア(ミラ・ソルヴィーノ)には『TIME』などの雑誌の表紙を何枚も飾った高名なフォト・ジャーナリストの父親がいる。アンゴラで撮った写真が雑誌の表紙となり、父親を喜ばせた。しかし、いろいろ思い起こすうちに、実は目の前の少女を助けないでシャッターを押す行為を選んだ自分が許せなくなり、父親の期待を背に今後どうするか悩みだす。

チェロ奏者のキャサリン(デボラ・カーラ・アンガー)は夫と娘がいながら、母親を死に追いやった父親アラン(マルコム・マクダウェル)が22年の刑に服した後出所してきたことで、父親を殺すということにとらわれ、家庭にも戻らず、音楽活動にも集中できなくなる。・・・

それぞれが独立した一本の映画になりそうな問題ばかり。カメラマンのナタリアの問題は女だからというのとちょっと違って、たとえば戦場ジャーナリストなら一度は悩む道、という感じだ。画面は彼女たちの心に寄り添うように撮りながら、一人称ではなく、オリビアの夫ジョンの立場も描いたり、子供の頃にはわからなかった、キャサリンの父親の葛藤も次第にわからせるように描いている。

オリビアには少女時代にあった出来事が伏線としてあり、夢のような願望というより、人生をやり直すというものがあり、これが強い意志を後通ししている。主婦が家族のためではなく、人生を振り返る年齢になり自分のための人生を求めはじめる。仕事に対するあり方が生き方まで変える、しかも豊かな国に生きる人間であるが故の悩み。音楽家という仕事でそれなりに成功している身でありながら、両親にDVがあったのか。というようにそれぞれに現代的な問題を含んでいる。

問題が多すぎて詰め込みすぎているという感がしないでもないが。俳優陣も豪華で、それぞれの出演した映画を思い出したりという楽しみもある。大人には生活があり、周囲の振り回されようには大変だなあとそっちに同情する気も起きないでもない。それでも3人の笑顔が何より素晴らしい。

ソフィア・ローレンを久しぶりに見た。息子の監督デビューを飾って嬉しいことだろう。背筋がぴんと伸びて、ゆっくり歩く動作も昔のままだ。『特別な一日』が一番鮮烈な記憶。ピート・ポスルトウェイトはなんといっても『ブラス!』の指揮者の役。威風堂々の音楽をバックにアップになった彼の顔はいつまでも忘れられない。

マルコム・マクダウェルは『イフ』だったか。60年代後半、学生の反乱が当時の空気をあらわした映画が衝撃だった。白髪になって年を取ったなあ。ミラ・ソルヴィーノが際立って綺麗だった。身の上相談のように身につまされて見てしまう女性のための映画。3人の人生は、その後どうなっているだろうか。








『クレールの刺繍』

2006年03月26日 | Weblog
2003年/フランス/88分。シアターキノで見たかった映画。レンタル店で見つけた。職人仕事の精巧な見事さ、その素晴らしさに魅いられた少女が刺繍の中に生きる場所を見つけるまでの映画。日本でもミシンで縫ったり、忍耐の要る刺繍は、家庭でもなかなか見られなくなったのでは。器用さを世界に誇っていた日本人も随分不器用になって、華やかなファッションショーを陰で支える職人の中に、時間をかけて作り出すその真髄を教えられるという時代になった。

クレール(ローラ・ネマルク)は17歳でスーパーで働きながら、バイクに乗って自宅に帰るとこつこつと好きな刺繍に打ち込む生活。同じ仕事場で働く男との関係で妊娠し、5ヵ月半にもなっていた。男は独身ではなかった。母親にもこのことは打ち明けられなかった。

診察した医者には「匿名出産」にして育てず、産後すぐに養子に出すといっている。突き出してきたお腹を誰からも隠すようにしてきたが、これからの生活も不安でたまらない。親友リュシルとの手紙だけがなぐさめだ。彼女の家を訪ねると兄のギョーム(トマ・ラロップ)がバイクの大事故を起こし、顔に怪我をして帰ってきていた。

一緒にいたイシュハンは事故が元でなくなり、その母親がやっている刺繍職人のアトリエをリュシルの母親に訪ねていってほしいといわれる。病気を理由に10日間の休みを取っていたクレールは打ち込んでいた刺繍の作品を手にして出かけていった。ドアを開けたメリキアン夫人はまるで生気のない土色の顔を出し、「明日また来て腕試しをしてみて」。

「ミシン使える?資格はあるの?」と厳しい口調で問うことから始まった仕事も、アトリエに通えることになった。そんな生活を続けていたある日、夫人が自殺を図って倒れていた。クレールが第一発見者となり、救急車を呼んで病院へ運び込まれる。翌日、夫人は会おうとしたがらず、お金を渡そうとした。クレールは怒って付き返すが、毎日病院に見舞う。

それまでほとんど夫人と話をしなかった関係も、これをきっかけに彼女に心を開くようになる。アトリエではファッションショーに使う依頼された刺繍を見ているうちに、その魅力に引きつけられていくようになる・・・

映画の中ではアトリエにある薄い布地にひとつひとつビーズが刺繍されていく手作業が何回もでてくる。伝統の手仕事は光が当ると息を呑むほどの美しさだ。息子をなくしたショックから立ち直れない夫人とこれから生命を生み出すクレール。不安定な精神状態の二人が刺繍の美しさを通して、次第に協力し合う関係になっていく。それに連れて次第にお腹の子に対する感情も変化していく様子が描かれる。

この二人にからむのが事故への責任に苦しむギョーム。友達リュシルの兄だ。この役者がいい顔なんだよねえ。また別の作品で是非見たいものだ。クレールのローラ・ネマルクは画面に登場すると全身から若さが溢れていてかわいい。彼女のための映画という感じだ。メリキアン夫人は飛び込んできたクレールによって、また人生に向かう気持ちになった。

クレールはようやく未来をここに見つけた。打ち込む何かがあれば、つまづきながらもまた立ち上がって歩き出すことが出来る。見終わった後あたたかい気持ちになった・・・




















野田秀樹/透明人間の蒸気(ゆげ)/WOWOW

2006年03月21日 | Weblog
2004年3月31日/東京/新国立劇場での中継の再放送を3月20日にWOWOWで。1991年劇団「夢の遊眠社」で初演されているのを13年ぶりに演出、再演したのだそうだ。宮沢りえ、阿部サダヲ、野田秀樹、手塚とおる、高橋由美子などのキャスト。

昭和16年12月8日、「20世紀を後世に伝えよ」という天皇の勅命が下り、華岡軍医、愛染かつら看護兵(高橋由美子)、のらくら軍曹、ロボット三等兵は「20世紀で消滅してしまうもの」を大きな日の丸の風呂敷包みに集める。(味噌カツや番台やアルミの弁当箱やら)最後に「20世紀を生きた人間」を入れるとして、消えても誰も困らない結婚詐欺師の透アキラ(阿部サダヲ)を選び、人工冬眠のカプセルに入れられるが爆発事故で透明人間になってしまう。

アキラは騙した娘の父親の刑事に追われていたが鳥取砂丘まで逃げてきて、そこでみやげもの屋をやっているサリババ先生(野田秀樹)と暮らしているヘレン・ケラ(宮沢りえ)と出会う。彼女は目と耳が不自由で足の裏で振動を聞きその和音で世界を感じる少女。会ってすぐにアキラにながいキスをされたヘレン・ケラは「口の中のゆげをお前の中に入れた」と言われ、それを「神様のゆげ」と思い、私がずっと待っていた奇蹟を起こす神様、砂浜で因幡の白兎の肌に薬を塗ってくれる神様とアキラの言葉を「ことだま」と信じてしまう。

ヘレン・ケラにだけは透明人間のアキラは見えていた。サリババ先生が世間は冷たいのだと憎悪とか嫌いとかいう言葉を教えられても、それは象(ゾウ)、とか家来(ケライ)といって覚えようとしなかったヘレン・ケラもアキラを砂丘から自由にし、必ず帰ってくるものと信じて、あらゆる追っ手から彼を守ろうとウソを言い続けることになる・・・

ヘレン・ケラーとサリバン先生の有名なシーン。ものには名前があるというのをわからせるために、手に水をかけてウォーターと言わせるという、サリバン先生のヘレン・ケラーへの人間教育の原点となったシーンを野田と宮沢が演じている。華岡軍医が自分たちが残そうとしたのはこんな腐った果実のような20世紀ではなかったというセリフ。この華岡軍医のセリフの中に野田秀樹の言いたいことが詰まっているようだった。

昭和16年12月8日というのは日米開戦、真珠湾攻撃の日。この日に立ち返ってから現在の日本を考えようということのようだ。スサノオ=アキラに代表される自由にものをいう戦後民主主義(と私は解釈した)の力が坂の上を上ってくる前に(皇居のことだろうか?)、つぶしてしまわなければならないといった、現世での現人神は天皇一人でいいという華岡軍医に代表される旧勢力の亡霊たち。しかし彼らの砂丘の奥深く根を張った地続きの未来がほしいと思わないかという問いかけも、ケラとスサノオが死ぬラストが待っている。

初演のときには最後にアキラに長いセリフをいわせて、それは二人が死なないことを暗示しているのだそうだ。もっと希望のある終わり方ということだったらしい。野田秀樹の言葉によるとそういう詐欺師の言葉というのは、物を作っている人たち、世を作っている人たちという意味で、それに対する自分なりの不信表明なのだそうだ。これはイラク戦争の始まりが関係しているような気がするけど、どうなのだろうか。最後に死へ向う二人をより悲劇的にしたかったのだろう。

奥行きのある舞台から走って登場してきた宮沢りえがなんといっても素晴らしかった。彼女のすきとおるような透明感、いつまでもか細く、肉体を感じさせない少女のような清潔な輝き、それでいて周りが明るくなる華やかさ。これがこの作品を成功させていたような印象をもった。台詞回しも思ったよりはっきりと聞き取れて、随分頑張って練習したのだろうと感心した。脚本の核になるセリフをいう華岡軍医役のちょっと狂気が入ったようなおどろおどろしい表情が印象的。

野田秀樹は加齢に負けず!いつまでも舞台狭しと動き回るエネルギーには脱帽する。彼だからこういう役は出来るのだろうと納得。速いテンポに最後まで引っ張られてしまう。何回も見ないとわからないというむずかしい内容でしたねえ。

スサノオというのは「古事記」に登場するイザナギとイザナミとの3人の子供の3番目で、乱暴を働いてアマテラスに追放された後、ヤマタノオロチを退治してクシナダ姫と結婚すると言う神話があると書いてあった。アマテラスは太陽で弟のツクヨミは月、スサノオは海や嵐の神様だそうだ。

【追記】
因幡の白兎を検索したので追記します。

「古事記」に出てくる因幡の白兎は、隠岐島のうさぎが因幡の国へ渡る方法として、ワニをだまして一列に並べ、数えながらその上を通って、渡り終える前に、「お前たちは私にだまされたんだよ」といい終わるや否や、最後に並んでいたワニがうさぎを捕らえて皮を剥ぎ取った。

砂浜で泣いていると大勢の神様が通って、「海水で洗い乾かせ」というのでその通りにすると、かえってひどくなって苦しんでいたところ、大国(大黒)主命が通りかかり、「真水で洗って、ガマの穂の花粉を取ってまき散らし、その上に寝転がっていれば元の肌になる」といわれ、その通りにしていたら治ったというもの。

ガマの穂の花粉は「蒲黄」(ほおう)と呼ばれる漢方薬で、止血剤や鎮痛剤として用いられている。ここでいうワニとはこの地方独特の言い方で、鮫(さめ)のことだそうだ。また劇中、サリババ先生が、アキラはウソをいって騙したので、肌をなくした透明人間になったのは因幡の白兎と同じだ、といったセリフがあった。
































『やさしくキスをして』

2006年03月15日 | 映画
2004年/イギリス/ベルギー/ドイツ/イタリア/スペイン/104分。『ケス』(1969年)という少年と鳥の映画に出会ってからずっとケン・ローチ監督の作品が好きで、見てきた。甘いタイトルにはちょっとびっくり。見終わった後はやっぱりただのラブストーリーには描かなかったと納得した映画。

スコットランドのグラスゴーのお話。
パキスタン移民2世のカシム(アッタ・ヤクブ)は妹のタハラをカトリック高校に迎えにいった。下校時、タハラは男子生徒にからかわれたことに腹を立て、学校に逃げ込んだ彼らを音楽教室まで追いかけていく。そのとき音楽教室においてあった楽器を壊したことから、音楽教師のロシーン(エヴァ・バーシッスル)と知り合う。二人は急速に近づき、一緒に暮らすことを意識するようになったが、カシムにはすでに両親が決めた母親の姪に当る婚約者がいた。ロシーンに「あなたは何でも両親のなすがまま。それとも自分の意思で何かしたことある?」と激しく批判される。両親を裏切れないと悩むカシム・・・

パキスタン移民社会が一つのコミュニティを作り、助け合いだけではなく、宗教も絡んだお互いの縛りの中で生きているさまが描かれている。イギリス社会に生きていても、やはり差別が存在するからだろう。カシムの周囲はあんな白人女は飽きたら捨てるんだぞ、それよりも家族が大事だろうとひきとめようとする。このあたりは愛があればなどという一刀両断が通じないほど、切実な彼らの歴史が描かれている。

インド独立後、イスラム教徒はヒンズー教徒と袂をわかってパキスタンに移住した。1500万人の大移動だった。そのとき、8歳のカシムの父さんの双子の弟は誘拐され、それ以来あっていない。イギリスに渡って40年、今更彼らは故国には戻れない。ここで生きていくほかはない。だから異質なものを排除してコミュニティを守ろうとしてきた。

ロシーンはおそらく差別の心を植えつけられずに育てられたのだろう。だからこそ、カシムを愛情の対象として純粋に見ることが出来た。しかし、現実にはさまざまな障壁があった。カトリック高校ではスコットランド教育法まで持ち出して説教する司祭がいる。ロシーンは結婚の前歴があり、しかも他の男と暮らしていることが知れていた。正教員になるためにはこの司祭の資格証明書のサインがいるといわれる。

イスラム社会ばかりか、ロシーンの住む社会も実は保守的な高い障壁があったのだ。しかし、それでもロシーンの能力を評価して雇うといってくれた上司がいた。ところが教育委員会から横槍が入り、結局無宗教の高校に行けということになる。公立高校は100%税金でまかなわれているんだから、と怒っていきまいていたロシーンもこれにはどうしようもない。

ロシーンの自由な精神と行動力も押しつぶされるかというとき、末娘のタハラが強力な助っ人になって、カシムの背中を押す。地元のグラスゴー大学ではなく、エジンバラ大学へ行って、ジャーナリストになりたいと両親に反旗!を翻す。推薦入学の面接までこっそり受けて、資格を取り付けていた。次の世代にロシーンより1歩先を歩む女の子がいたのだ。タハラがいる限り、前途多難な二人もきっと乗り越えていくだろうと思わせる。

彼女の教室での大演説のシーンが素晴らしい。
西欧社会は50カ国10億人のイスラム教徒を一緒くたにしている。国家によるテロを排除した西欧社会のテロリズムの定義には反対。国連憲章を破った英米が優れているという考えにも反対。なにより西欧社会がイスラム教徒を単純化するのに反対。

私はグラスゴー生まれでイスラム教徒の10代の女の子。誇り高い文化のミックス。みんなで偏見に立ちむかいましょう!最後にレンジャースのサポーターといって、制服からユニフォーム姿になる。そこでどよめきと笑いと拍手がおきる。すかさず俺はセルティック・ファンだーという男子生徒の野次が飛ぶというおまけまでついた。

この映画はロンドンでのバス爆破テロの前に制作されたのだろうか。イスラム教徒はこの映画の頃より一層排除され、差別されているのでは。などとラブシーンを見ながら、現実世界を思い浮かべてしまった。ロシーンのエヴァ・バーシッスルが実に自然に演じている。その辺にこういう音楽教師がきっといるに違いないと思うほど、のびのびした演技が印象的。











『ベルエポック』

2006年03月05日 | Weblog
1992年/スペイン/仏/ポルトガル/109分。スペインの1930年代はじめ。王制から共和制への移行が期待され、自由な空気が漂う時代。4姉妹の末娘をペネロペ・クルスが演じ、『蝶の舌』での先生役でいつまでも心に残る感銘を受けた俳優、フェルナンド・フェルナン・ゴメスがその父親を演じて、味わい深い映画にしている。

軍隊を抜け出した脱走兵のフェルナンド(ホルヘ・サンス)は売春宿でカード遊びをしているマノロ(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)と知り合い、一夜の宿を借りる。宿を去り、駅へ行って別れようとすると、そこへマドリードの暴動から田舎に逃れてきた美しい4姉妹、クララ、ビオレタ、ロシーオ、末娘のルース(ペネロペ・クルス)に出会う。汽車に乗り遅れたといって、また戻ってきたフェルナンドはそれぞれ事情がある4姉妹に翻弄されながらも、かかわりを持つことになる・・・

スペインの明るい陽光が降り注ぐ自然を、道端に咲くなにげない小花を低いアングルで撮ったり、つる性の藤の花やピクニックのシーンなど、平和を象徴するように画面におさめている。4姉妹が実に個性的だ。夫に先立たれた若い寡婦のクララ、まるで宝塚の男役のようなビオレタ、妖艶な魅力でマザコン男を虜にするロシーオ。ルースは素直で可愛がられている。

母親はいないのかと思いきや。愛人を連れてきて窓の外でオペラ歌手としてたっぷり歌う場面は印象的。家の中からは窓を開けて、夫も子供たちもまるで小鳥のようにそれにあわせるように歌う。楽しいシーンだった。愛人がお金がなくなったら捨てられると夫に嘆く!と夫のほうは寝取られたのは私のほうだよと説明?して、納得させる。いかにもラテンの国の開放的なエピソードがおかしくてたまらない。

フェルナンド・フェルナン・ゴメスが出ているから、この映画を最後まで見たというほど『蝶の舌』の先生の姿は今でも忘れられない。先生の仕事を終えるとき、生徒たちに情熱を持って自由の尊さを語った姿がよみがえるようだ。ここでも軽妙な演技の中にも、年月が蓄積された人生の重みを感じさせる。ペネロペ・クルスが若々しくて可愛い。

ベルエポックは良き時代の意味。フランスでパリを中心に新しい文化芸術が栄えた19世紀末から20世紀初頭にかけての時代をいうと辞書にある。その後に続く、物言えぬ時代の前のつかの間の間隙。嵐の前の静けさ。自由と希望が溢れたこんな時代もあった、といとおしむように描いている。

【背景の歴史の重要な動き】
1930年1月には軍事独裁政権が崩壊し、アルフォンソ13世は国外亡命し、ブルボン王朝は終わった。しかし、1933年にはアサーニャ内閣が総辞職。右派勢力が巻き返し、「くらい2年間」が始まる。そのご1936年、人民戦線が誕生するが、右派勢力側もフランコ将軍が反乱を起こし、内乱状態になる。

イギリス、フランスなど27カ国が参加して不干渉委員会が成立するが、ドイツ・イタリアはこれを破り、フランコ側を支援する。世界中から賛同した国際義勇軍が結集するが、コミンテルンはついに救援軍を送らなかった。1939年1月、バルセロナが占領され、3月にはマドリード陥落。1975年死去するまでフランコ独裁政権が続くことになる。