WOWOWで放送された2005年9月28日、BUNKAMURAのシアターコクーンでの舞台中継。井上ひさし作、蜷川幸雄演出、宇崎竜童音楽による『天保十二年のシェイクスピア』。明治以来、翻訳され続け、英文購読の授業の必読だったシェイクスピアをここまで日本人が読み砕いてきたかという歴史の集大成のような劇に思えた。しかも、作家は笑い飛ばし、音楽までつけて、ミュージカル風にまで発展させていた。
はじめはキャストへの関心から劇を見ていたものが、次第にこの作品の素晴らしさにどれだけ苦心したろうか、時間がかかったろうかという、作者の井上ひさしさんへの感歎とも言える気持ちに変わっていった。性描写はかなりどぎつい場面もあり、R指定ともいえる内容にもなっている。放送は3時間59分。長くて大変ではあるが、場面転換が早いので、時間の割りにはだれてしまわなかった。
劇の冒頭から流れる「もしもシェイクスピアがいなかったら~」というテーマ曲をはじめ、歌って踊る場面もあり、普段歌声を聴く機会もないような役者たちの以外な芸を見られる楽しみもある。「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リチャード3世」「リア王」など、すべての作品を連想させるキャラクターが次々に登場する。
天保、下総国の清滝村。交通の要所でにぎわいもあり、鰤(ぶり)の十兵衛は二件の旅籠(はたご)と賭場、それに相撲の巡業のときの興行権などをもっていたが、隠居生活をしようと決心する。三人の娘、長女のお文(高橋恵子)、次女のお里(夏木マリ)、三女のお光(篠原涼子)がどれだけ自分に孝養をつくすかで、財産分与を決めると宣言。(長女、次女にはそれぞれ夫がいる。)三女のお光(捨て子だが、瓜二つの双子の女の子がいる。)は正直者でうまくいえず、家を追い出されてしまう。
長女と次女は15丁離れた場所でそれぞれ旅籠を経営していたが、さらに財産を狙い、それによって村を争いに巻き込むことになる。そこへ、父親の訃報で帰ってきた、お文の息子、きじるしの王次(藤原竜也、ハムレット))とその恋人お冬(毬谷友子、オフィーリア)、やはり流れてきた佐渡の三世次(唐沢寿明、リチャード三世)がからみ、策略が飛び交う壮絶な悲劇とそれを笑い飛ばすセリフとで、終局へと進んでいく。
以前見た舞台の放送で、ハムレット役が素晴らしかった藤原竜也はファンが見たらドッキリするような場面もあり、コミカルな演技もありで、イメージが変わるかもしれない。この若さで!芸達者は相変わらず。アニメの主人公ばりの顔が気になっていたが、かなり演技の幅が広がっているように見えた。
若い頃見た映画でのヒロイン役の高橋恵子さんが、舞台女優としてこうして重要な役をやっていることに、いつも感激する。華やかで堂々たる舞台女優になっている。毒のある役の夏木マリさんも見事だし、シェイクスピアも草葉の陰からさぞ満足しているだろうという、うまい役者ぞろいー。
導入部で、客席から汚い裸の格好をした男衆が多分!人糞のおけを肩に担いで登場し、大理石風の立派なシェイクスピアの舞台装置を片っ端から壊したり、桶の中のものをひしゃくでかけている。これがこの劇の精神なんだとー。続いてテーマ曲が流れると観客はあっという間に井上ひさしの目線に引き込まれていく。
もしもシェイクスピアがいなかったら~ 文学博士になりそこなった英文学者も随分出ただろう~もしもシェイクスピアがいなかったら~全集が出せずに儲けそこなって出版会社はつくづく困ったろう~もしもシェイクスピアがいなかったら~大入り袋の出しようがなくてプロデューサーたちはほとほと弱ったろう~シェイクスピアは飯の種~あの方がいるかぎり飢えはしない~シェイクスピアは米の蔵~あの方がいるかぎり死にはしない~
はじめはキャストへの関心から劇を見ていたものが、次第にこの作品の素晴らしさにどれだけ苦心したろうか、時間がかかったろうかという、作者の井上ひさしさんへの感歎とも言える気持ちに変わっていった。性描写はかなりどぎつい場面もあり、R指定ともいえる内容にもなっている。放送は3時間59分。長くて大変ではあるが、場面転換が早いので、時間の割りにはだれてしまわなかった。
劇の冒頭から流れる「もしもシェイクスピアがいなかったら~」というテーマ曲をはじめ、歌って踊る場面もあり、普段歌声を聴く機会もないような役者たちの以外な芸を見られる楽しみもある。「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リチャード3世」「リア王」など、すべての作品を連想させるキャラクターが次々に登場する。
天保、下総国の清滝村。交通の要所でにぎわいもあり、鰤(ぶり)の十兵衛は二件の旅籠(はたご)と賭場、それに相撲の巡業のときの興行権などをもっていたが、隠居生活をしようと決心する。三人の娘、長女のお文(高橋恵子)、次女のお里(夏木マリ)、三女のお光(篠原涼子)がどれだけ自分に孝養をつくすかで、財産分与を決めると宣言。(長女、次女にはそれぞれ夫がいる。)三女のお光(捨て子だが、瓜二つの双子の女の子がいる。)は正直者でうまくいえず、家を追い出されてしまう。
長女と次女は15丁離れた場所でそれぞれ旅籠を経営していたが、さらに財産を狙い、それによって村を争いに巻き込むことになる。そこへ、父親の訃報で帰ってきた、お文の息子、きじるしの王次(藤原竜也、ハムレット))とその恋人お冬(毬谷友子、オフィーリア)、やはり流れてきた佐渡の三世次(唐沢寿明、リチャード三世)がからみ、策略が飛び交う壮絶な悲劇とそれを笑い飛ばすセリフとで、終局へと進んでいく。
以前見た舞台の放送で、ハムレット役が素晴らしかった藤原竜也はファンが見たらドッキリするような場面もあり、コミカルな演技もありで、イメージが変わるかもしれない。この若さで!芸達者は相変わらず。アニメの主人公ばりの顔が気になっていたが、かなり演技の幅が広がっているように見えた。
若い頃見た映画でのヒロイン役の高橋恵子さんが、舞台女優としてこうして重要な役をやっていることに、いつも感激する。華やかで堂々たる舞台女優になっている。毒のある役の夏木マリさんも見事だし、シェイクスピアも草葉の陰からさぞ満足しているだろうという、うまい役者ぞろいー。
導入部で、客席から汚い裸の格好をした男衆が多分!人糞のおけを肩に担いで登場し、大理石風の立派なシェイクスピアの舞台装置を片っ端から壊したり、桶の中のものをひしゃくでかけている。これがこの劇の精神なんだとー。続いてテーマ曲が流れると観客はあっという間に井上ひさしの目線に引き込まれていく。
もしもシェイクスピアがいなかったら~ 文学博士になりそこなった英文学者も随分出ただろう~もしもシェイクスピアがいなかったら~全集が出せずに儲けそこなって出版会社はつくづく困ったろう~もしもシェイクスピアがいなかったら~大入り袋の出しようがなくてプロデューサーたちはほとほと弱ったろう~シェイクスピアは飯の種~あの方がいるかぎり飢えはしない~シェイクスピアは米の蔵~あの方がいるかぎり死にはしない~