FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(220)

2008年12月13日 | 万葉集
日めくり万葉集(220)は巻20・4332.大伴家持(おおとものやかもち)が防人(さきもり)とその妻のことを詠った歌。選者は映画監督の篠田正浩さん。

【訳】
雄々(おお)しい男が、矢を入れる靫(ゆき)を手に取り背負い、旅に出て行くというとき、さぞ別れを惜しんで嘆いたであろう その妻は

【選者の言葉】
家持は防人と同じ目線に立って、自分たちの置かれた状況を詠っている。防人に対する同情と悲しみがあった。武装して弓矢を持って家を出るとしたら、妻は嘆くだろう。これは家持一人ではなく、彼が徴集した部下たちも同じ悩み。それを目の当たりにしている。

自分の心情も「大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」という美辞麗句で書きながら、天皇の賞賛に応えたが(【177】で篠田さんが選者の言葉を語った家持の歌のこと。)実際、防人の先頭に立って行けば、私の妻を悲しませるだけだと実に率直。こんなことを昭和の軍人が言えば「重塀送」。リンチに合う。

【檀さんの語り】
防人の監督に当たっていた家持は防人が詠んだ歌を数多く万葉集に載せた。その1首。

【歌】
防人(さきもり)に 行(ゆ)くは誰(た)が背(せ)と 問(と)ふ人を 見るがともしさ 物思ひもせず   巻20・4425

【選者の言葉】
防人に行くのは誰?誰が選ばれたの?実に屈託なくいう声を聞いて、その人の顔を見たときに、その悲しみを全然気にかけない呑気(のんき)さがうらやましいと。

別れをしなければならない妻が夫と向き合っていると、誰が選ばれたの?言う声がして、パッと振り返るという、一種のストップモーションがかかっている。感情がフリーズしてパーッと。万葉時代と思えない生々しい、そして普遍的な悲しみがこの歌にはある。

これは【大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)】という、恋愛主義者で素晴らしい歌人でもあり、お父様の叔母様で自分が孤児のようになった時に育ててくださったという、その「芸術的指導」!の影響ではないかと思う。

実に率直に、男だけの世界じゃなくて女にも世界があるよ、というのが万葉集の特徴でもある。儒教や仏教の道徳律が言葉を邪魔していない。自分の中にある情動を言葉に置き換える。その中に邪魔者が入らない伸びやかさがこういう歌を生ませたのではないかと思う。

【感想】
映画監督の篠田正浩さんは太平洋戦争へと向かう昭和史を再現した【スパイゾルゲ】を最後の映画として監督された。これは明るくて軽い映画ではなく、およそ大ヒット御礼など望めそうもないような重い内容。それにあえて挑み、渾身の力で映像に時代への思いを込めた。胸に迫る素晴らしい映画だった。

篠田さんは、まるで目の前に映画の場面が動いているかのように、映像的に万葉の時代の歌のことを語っている。さらに戦争体験に裏打ちされて、防人の歌を取り上げ、その妻の心情を汲むような歌に驚嘆する。

篠田さんが少年時代だった太平洋戦争の時には窮乏生活に対し、《欲しがりません勝つまでは》なんていうスローガンがあったらしいし、《銃後》の妻が徴兵に対して何かしらの気持ちを訴えるなんて言うことは即、《非国民》。とても出来るような時代ではなかったのだろう。

そうしたことを考えると万葉集の中で《率直に男だけの世界じゃなくて女にも世界があるよ》ということを歌に詠うというのは驚きを通り越す。フェミニストの篠田さんを感心させるような、はるかな万葉時代にすでに《先輩》がいた!!








最新の画像もっと見る