日めくり万葉集(113)は作者未詳の歌。選者は精神科医の香山リカさん。
【歌】
安積香山(あさかやま)
影(かげ)さへ見ゆる
山の井(ゐ)の
浅き心を
我(わ)が思(おも)はなくに
巻16・3807 作者未詳
【訳】
安積香山、その陰まで見えてしまう、山の井の浅いように浅い心を私は抱いてなどいるものですか。
【選者の言葉】
心というのは多層構造で、深い部分は無意識、浅い部分には意識がある、というように、立体構造として捕らえたのはフロイト。20世紀最大の発見は人間の心の無意識という人もいるくらい。
万葉時代に、深い意味があったかどうかは別として、心を井戸のように浅い部分、深い部分に分けて、深いほうが大切なんだ、そちらが重みがあると考える。そういう発想というものがすでにあったんだなあと。しかも日本に。
人間の心というのは複雑。表面的な部分だけでは決してわからないなあというのは20年以上、この仕事をやっていて日々感じている。だからといって表面的は言葉のコミュニケーションを省いて、いきなり心の深いところにダイビングするのは、残念ながら、今まで人間にはまだ出来ない。
心の深い部分に隠されているような問題に気付いて、それを言葉にするというのは大切な作業で、そのことで現実の問題は解決していないのに「そっちはもうこだわらなくなりました」とか「そっちはうまくやれるようになりました」という風に、解決することが多い。
それで急に機嫌が良くなったとも考えられる。王(おおきみ)の中で問題を解決したような気持ちになった。この采女(うねめ)はある種、カウンセラーの役目を果たしたのかもしれない。
【檀さんの語り】
福島県郡山市額取山(ひたいとりやま)。歌に詠まれた安積香山(あさかやま)と呼ばれている山の一つが額取山(ひたいとりやま)。この歌の詠まれた経緯が万葉集に記されている。
葛城王(かずらきのおおきみ)という貴族が、当時、最果て、今の東北地方、陸奥国(みちのくのくに)に派遣された。しかし地元の国司の接待が大変非礼なもので、王は不愉快に思い、宴の席でも楽しめない。
そのとき、以前、天皇のそばに仕えていた女性が、右手に水を持ち王の膝(膝)を叩いて、この歌を詠った。歌はその場にあった都ぶりの風流な歌だった。王の気持ちはほぐれて、ひねもす楽しく飲んだという。
【感想】
一つはこの場合の“非礼”というものがどういうことなのか、よくわからないが、もしかしたら、地元の人々は精一杯もてなしたつもりだったのに、風習がわからないからということでの行き違いだった可能性もある、ということも考えられるかなあと。
もう一つはコミュニケーションということでは、最近あった秋葉原通り魔事件のように、若者が鬱積したものを爆発させるように、殺傷事件を引き起こし、こういう事件を繰り返さないために、背景やそこへ追い込まれる心理状態はどういうものか、メディアも大人たちも考えるようになっているということ。
一つの原因ということだけではなく、いろんな要素が重なってということなのだろうが、労働の環境も含めた生活の不満などということも、組織としてということではないので、一人一人が分断され、単独で会社のやり方に立ち向かうことになり、一層、孤独感や焦燥感を募らせているように見える。
【調べもの】
○やまのい【山の井】
山の岩間などから水がわき出るところ。山の泉。
【歌】
安積香山(あさかやま)
影(かげ)さへ見ゆる
山の井(ゐ)の
浅き心を
我(わ)が思(おも)はなくに
巻16・3807 作者未詳
【訳】
安積香山、その陰まで見えてしまう、山の井の浅いように浅い心を私は抱いてなどいるものですか。
【選者の言葉】
心というのは多層構造で、深い部分は無意識、浅い部分には意識がある、というように、立体構造として捕らえたのはフロイト。20世紀最大の発見は人間の心の無意識という人もいるくらい。
万葉時代に、深い意味があったかどうかは別として、心を井戸のように浅い部分、深い部分に分けて、深いほうが大切なんだ、そちらが重みがあると考える。そういう発想というものがすでにあったんだなあと。しかも日本に。
人間の心というのは複雑。表面的な部分だけでは決してわからないなあというのは20年以上、この仕事をやっていて日々感じている。だからといって表面的は言葉のコミュニケーションを省いて、いきなり心の深いところにダイビングするのは、残念ながら、今まで人間にはまだ出来ない。
心の深い部分に隠されているような問題に気付いて、それを言葉にするというのは大切な作業で、そのことで現実の問題は解決していないのに「そっちはもうこだわらなくなりました」とか「そっちはうまくやれるようになりました」という風に、解決することが多い。
それで急に機嫌が良くなったとも考えられる。王(おおきみ)の中で問題を解決したような気持ちになった。この采女(うねめ)はある種、カウンセラーの役目を果たしたのかもしれない。
【檀さんの語り】
福島県郡山市額取山(ひたいとりやま)。歌に詠まれた安積香山(あさかやま)と呼ばれている山の一つが額取山(ひたいとりやま)。この歌の詠まれた経緯が万葉集に記されている。
葛城王(かずらきのおおきみ)という貴族が、当時、最果て、今の東北地方、陸奥国(みちのくのくに)に派遣された。しかし地元の国司の接待が大変非礼なもので、王は不愉快に思い、宴の席でも楽しめない。
そのとき、以前、天皇のそばに仕えていた女性が、右手に水を持ち王の膝(膝)を叩いて、この歌を詠った。歌はその場にあった都ぶりの風流な歌だった。王の気持ちはほぐれて、ひねもす楽しく飲んだという。
【感想】
一つはこの場合の“非礼”というものがどういうことなのか、よくわからないが、もしかしたら、地元の人々は精一杯もてなしたつもりだったのに、風習がわからないからということでの行き違いだった可能性もある、ということも考えられるかなあと。
もう一つはコミュニケーションということでは、最近あった秋葉原通り魔事件のように、若者が鬱積したものを爆発させるように、殺傷事件を引き起こし、こういう事件を繰り返さないために、背景やそこへ追い込まれる心理状態はどういうものか、メディアも大人たちも考えるようになっているということ。
一つの原因ということだけではなく、いろんな要素が重なってということなのだろうが、労働の環境も含めた生活の不満などということも、組織としてということではないので、一人一人が分断され、単独で会社のやり方に立ち向かうことになり、一層、孤独感や焦燥感を募らせているように見える。
【調べもの】
○やまのい【山の井】
山の岩間などから水がわき出るところ。山の泉。