FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

ゴッホ~黄色い夢の町~3

2008年10月31日 | 絵画
ゴッホの夢はとてつもなく大きかった。この家の仲間を集め、世界の芸術を変えようとしていたのだから。ゴッホにとって黄色い家はその夢の象徴だった。

夏~ヒマワリ~、6月、アルルではいっせいに麦が黄色に色付く。毎日麦畑で新しい表現に挑んでいた。1ヵ月麦畑を描き続け、独特のあの激しい筆使いがはじめて生まれた。

その記念すべき作品は【種まく人】黄色28.9%。畑に種をまく農民の姿はゴッホ自身の姿だと言われている。この夏、ゴッホの黄色はドンドン深みを増し、暗い黄色や緑を加えた。

遺品の中には編み物に使う毛糸玉があった。二色の色を組み合わせて色の効果を試していた。この頃から絵の具そのものも工夫し、金属を材料とする【クロームイエロー】を使うために頻繁にパリから取り寄せていた。

友人に宛てた手紙のなかで【種まく人】では【クロームイエロー】を自分なりに工夫して用いたと書いている。太陽の内側には明るい【クローム1号】、外側の放射する光の部分には色の濃い【クローム2号】を使った。

そこに黄緑が重ねられ、最後には全体を黄土色で引き締めた。ゴッホはさまざまな色を混ぜることなく塗り重ねることで、アルルの輝く太陽を表現しようとした。8月、アルルの夏が輝き、ヒマワリがいっせいに太陽のほうを向き、大輪の花を咲かせる。

この姿を見て同じような仲間と共にし、同じ夢を追いたいという気持ちが高まってきた。しかし仲間からの手紙を待ったが、アルルに来るように誘った仲間はほとんど、金がないからいけないというような返事ばかりだったが、ゴッホは絵を描き続けた。

【ヒマワリ】黄色69.8%。花びんに書かれたヒマワリの数は全部で14本。この数にはゴッホの願いが託されていた。13人の仲間を呼ぼうと考えていたからだ。仲間たちの顔を思い描きながら一輪一輪描いていった。

(【ヒマワリ】は子どもからのプレゼントで、複製の絵が我が家の壁にかけられている。かなわなかったゴッホの夢がここに描かれているのかと思うと切ないが、描かれているヒマワリは14本も納まっているとは思えないほど、ノビノビとした動きがあって、いかにもゴッホの絵だなあという感じがする。実際の絵は写真の黄色の色よりはるかに明るい。)











ゴッホ~黄色い夢の町~2

2008年10月31日 | 絵画
南フランスのアルル、ゴッホがこの町に求めたのは南国の光が照らすまばゆい黄色。アルルは古代ローマ帝国の武将シーザーが築いた古い街。ゴッホの時代には暖かい保養地となっていた。

アルルには北のパリより一足先に春が訪れていた。ゴッホは早速戸外へ出て絵を描き始める。その頃、弟テオ(1857~1891年)宛ての手紙では「色が綺麗な自然のとりこになっている」と書かれていた。

さらにほかの手紙では「アルルはまるで日本のようだ。僕は今、日本にいる」とも書かれているのは日本人から見れば勘違い?日本の浮世絵師たちの暮らしに憧れていたゴッホはここにパリの画家仲間を集めて芸術家のユートピアを作ろうと夢見た。

その手始めに北のはずれのある壁が黄色い家を借りた。住み始めたらさらに鮮やかな黄色に塗りなおしさえした。こんな夢のような暮らしを支えるお金はどこから?

2002年、テオの家の家計簿が公開された。画材屋などへの支払い197フランは今のお金で30万円ほど。そのほか画家組合や医者への支払いなど、1年間にかかったお金は1904フラン。今にしておよそ300万円にもなった。

ゴッホ美術館の学芸員クリス・ストルウェイクさんは「ゴッホは月々の生活費を弟から仕送りしてもらった上に、絵の具、洋服、家具など。買い物をするたびにお金をねだっていた。

ゴッホは自分ではまったく稼ぎがなかったのに、なにか欲しいと我慢できない性分で金遣いが荒かった。幼いころから仲の良かった兄だからやりくりして仕送りを続けていたが、こんな兄を持つ弟は大変だったと思う」

(いや、まったく・・・。運命の巡りあわせとはいえ、なんでこうなるの?)

この時期の【アルルの跳ね橋】は黄色23.1%。
【黄色い家】は黄色29.7%。
【寝室】は黄色57.1%にもなる。
【寝室】の絵は東京で開催されたオルセー美術館展でじかに見ることが出来たので印象深い。

















ゴッホ~黄色い夢の町~1

2008年10月31日 | 絵画
NHKアーカイブス、2005年に放送された番組を10月18日に再放送したもの。1888年、南フランスのアルルに移り住んだゴッホ(1853~1890年)はここに芸術家たちが共に住む理想郷を作ろうという夢を抱いた。

南フランスの明るい太陽の光を浴びたこの時期、【ひまわり】【黄色い家】【種撒く人】【夜のカフェテラス】など黄色い色を使った数々の傑作が生まれている。アルルにいる間の一年間を中心に理想と現実に揺れたゴッホの苦悩、ゴッホの絵とそれが生まれるまでを検証した番組。

ゴッホは27歳のときに画家を志し、このときには35歳になっていた。黄色い色が好きになったきっかけは日本の浮世絵との出会いから。鮮やかな色を大胆に置く浮世絵独特の表現は西洋の絵画の常識をくつがえすものだった。

歌川広重【名所江戸百景大はしあたけの夕立】では夕立が降る中、川にかけられた橋の上を蓑や笠を被って走りながら渡っていく人々が描かれている。ゴッホの部屋の壁は浮世絵だらけになっていた。ゴッホはこうした絵を何枚も模写して勉強を続けるうちに、その中から見つけた色が“黄色い色”だった。

34歳のとき、1887年に描いた【白い葡萄、りんご、なし、レモン】の絵は背景もテーブルも果物もまっ黄色。よく見ると緑など他の色も使っているがほとんどが黄色で覆われている。

1888年2月20日、ゴッホは南フランスの小さな駅、アルルに降り立った。友達からここが光溢れる太陽の国と聞かされ、いてもたってもいられなかったからだ。

(以前に札幌で【ゴッホ展】があったときに見に行った。大変な人出で絵の前は押すな押すなの盛況ぶりだった。そのときの【図録】をみないとはっきりしないが、かなりの絵の枚数だったのではないかと思う。その中では【自画像】が印象的だった。同時に展示してあった直筆の【テオの手紙】もいくつかあって、ゴッホを影のように支えた生涯には深く胸を打たれたものだ。)












日めくり万葉集(176)

2008年10月30日 | 万葉集
日めくり万葉集(176)は巻3・348、大伴旅人の酒を讃(ほ)むる歌。選者は酒をこよなく愛する発酵学者の小泉武夫さん。

【訳】
この世でさえ楽しかったら、来世では虫にでも鳥にでもわたしはなってしまおう。

【選者の言葉】
この世で酒を飲んで楽しかったら、もうそれでいい。あの世に行ったら虫にでも鳥にでもなってやっていい。つまり、虫にも鳥にももう人間の感覚はないので、もうなんでもいいよという。

逆にこの世の酒をいかに自分が離せないかという、すさまじい歌。この酒を讃える13首は晩年の歌で大切にして愛していた奥さんを(この13首の前に)亡くしてしまう。

大宰府に赴任してからすぐ亡くなり、ものすごく悲しみ、ものすごく酒を飲んだ。老い迫った晩年に奥さんが亡くなった。あー、悲しいなあということで日ごろから好きな酒にさらにわびしさ、悲しさが加わった。

酒を讃える歌だが、人生における無常の人生観を詠っている。酒を飲むと現世から遠ざかるようなフワフワした気持ちになる。これは空を飛ぶ鳥とか虫にかけている。

酔い心地がこの歌のなかに入っている。それがとてもおもしろい。しかし何といってもこの世でもう長く生きていないと言うことで、この2年後くらいに旅人も亡くなってしまう。

自分がこの世を去るということを心の中で知っていて酒を飲んでいた。旅人の人生哀歌の中における酒の味というのは、ほろ苦い味もあったし、思い出の味、いろんな味があったと思う。

人生を振り返ったり、いろいろな喜怒哀楽のためにお酒はあって、今もお酒はそういう役割をしているんだということを旅人が教えてくれるような歌。

【感想】
選者の小泉さんが実に機嫌よく、この歌を解説している姿が印象的。打ちひしがれるようなことがあっても、ちょっとお酒に付き合ってもらって、愚痴話を聞いてもらえば、また“人間”をやる気になるかともいうような歌。

お酒付きも程度問題でアル中にまでなると厄介だが、フワフワした酔い心地でまた機嫌を直してくれるんならまあ、いいかと。もう他界した父も毎晩晩酌をしていたものだった。

旅人のように妻を亡くし、その後転勤した土地では相手はまだ10代の末娘が一人。こちらも転校してなにかと大変なとき。毎晩どこかへ飲みに行っていたらしく、その筋の?女性から電話がかかったりして、親子の仲は一時かなり険悪になったりしたものだ。

もう大人になって考えれば、どうしようもなく淋しかったんだろうなあとは思うものの、なにしろ融通の利かない?10代の頃だから、何でもストレートな反応しか出来なかった。実際、父は鼻筋が通った“いい男”で大変なお洒落。それでどこへいっても“持てた”ので、若い頃はそのことで母と一悶着あったらしい。

しかしそのころも家にいるとき、もっと後になってから退職した後で食卓を囲んだときの話は貴重だった。父が“一杯”やりながらいろんな話をした。まあ、細かいことは忘れたが、そんな風にじかに父と長く話したのは他の姉兄にはない体験だった。

今も印象に残っているのはこちらの話をじっくり聞いた後に《問題意識を持て》ということ。そういうことがとても大事だという話をしていた。そんな話をやりとりして成長したものだから、母親に育てられたのとはかなり違う。

父は戦争を共に乗り越え、病気のときには寄り添ってくれた妻を亡くし、どうしようもない寂しさをお酒に救われた一人だったのだろうと思う。猛烈仕事人間だった厳しい父も晩年は穏やかになり、次第に健康を気遣ってお酒はまったく飲まなくなっていた。






漠然とした不安

2008年10月29日 | 雑感
毎日の日課の一つが新聞を読むこと。これは洗顔や歯磨きと同じようにもう習慣になっている。隅から隅まで丁寧に読むには時間がかかりすぎるので、その後にもう一度読みたい記事や、印象に残った記事を切り抜いておくというのも欠かせない作業の一つ。

この頃はそういう切り抜きには圧倒的に難しい経済面の記事が多くなった。そもそも住宅の世界的な高騰がバブルを生み出したということだが、バブルはいつかはじけ、はじけたアメリカではサブプライムローンが発端となった証券会社大手の経営破たんから、あっというまにアメリカ発の世界的な金融不安にまで広がった。

いまや日本でも毎日株価の変動が新聞のトップの見出しになるほどで、株安円高の動きが止まりそうもない。朝のワールドニュースを見るとその影響はヨーロッパやアジアにまで及んでいるというのが伝わってくる。

専門家は大戦前のような世界恐慌にはならないと不安を打ち消すように言っているが、最近はついに地方にも円高の影響で外国からの観光客が減り始めているということがニュースになり始めた。

ニセコや富良野ではオーストラリアドルの下落でスキー客の予約が少ないとペンションのオーナーの不安顔が映し出されたり。函館では韓国からの飛行機の便数が減ったり、高校生の就職状況が芳しくなく影響を受けているなど。

この先もっと身近にこういうニュースが聞かれるようになるのかと思うと、なんだかこれからどうなるんだろうかという心配が出て来る。自分も含めたこうした人々の不安定な気持ちが世の中全体に広がると、漠然とした不安が社会を覆いつくすようになるかもしれない。こういう得体の知れない空気が実は社会にとって一番危険なものになる可能性がある。






エディット・ピアフドキュメンタリー

2008年10月28日 | 音楽
昨日、WOWOWで放送された。これは以前にもレンタルで借りてきたDVDを見ていたが、放送されるならともう一度見たら、案の定そのすごさにまたも圧倒された。シャンソン歌手・ピアフの人生と歌の魅力が溢れる必見のお勧め。

「ナポレオンのように大胆で、華奢な身体には非凡な才能。その一生は波乱万丈」。生後母親に棄てられ、大道芸人の父親は売春宿を営んでいた祖母にピアフを預けた。体が弱く視力を失っていた時期もあったが、売春婦たちのマスコットだった。

父親は道端でピアフに歌を歌わせ、日銭を稼いだ。しかし15歳くらいで家を飛び出す。不良グループと付き合い、仲間と組んで歌うことで生き延びていったというのだからそのころから大したものだ。

その後に売り子の仕事に付いたりもしたが性に合わなくて止めたという。まさに歌こそ人生。血縁の温かい愛に薄い人生。そのために生涯愛を捜し求めた。また彼女に惚れたのか、歌に惚れたのか、次から次ぎに男たちが出てきて、その人数たるや・・・。

近所のキャバレーの支配人から始まって、歌手やら作詞家やら。1945年には30歳になっていた。若いころのシャンソン歌手イヴ・モンタンもピアフに引き立てられた一人。コクトーもピアフを愛していた。

その中でもボクシングのチャンピオン、マルセル・セルダンとの出会いは決定的だった。ピアフの倍くらいももありそうな立派な体格。父親のような包容力があったのだろう。しかし彼には妻も子もある。なかなか会えないのが淋しく、飛行機に乗って会いに来てと言ったことが運命を分けた。

1948年、彼の乗った飛行機が墜落した。その事故でセルダンは死亡。悲劇に終わった恋に打ちのめされてピアフは食事も取らずにただ薬で眠る日々。ようやく回復した後には歌手活動のツアーに没頭した。

アメリカへもツアーを行い、そこで楽屋にはマレーネ・デートリッヒが訪ねてきて意気投合。その後英語の歌を披露している。さらに1958年、雨の降る夜に乗っていた車がトラックと衝突して自動車事故。

その後、胃潰瘍の手術など、晩年はそれまでの無理が祟って、歌うのがやっとと言う状態だったようだ。それでもピアフはステージに立ち、歌を歌い続けた。亡くなる前には最後の命の炎のように、20歳も年下の歌手と結婚し、世間を騒がせてもいる。

付き合った男の一人が、目が覚めたら、時間にお構いなく押しかけたり、電話をかけてきた。特別のエネルギーがあったと話している。映像で見る素顔のピアフはいつまでも少女のように可愛らしく、茶目っ気たっぷりだった。

「バラ色の人生」(1946年)「愛の讃歌」(1949年)「ミロール」(1959年)「アコーディオン弾き」「谷間に三つの鐘が鳴る」「水に流して」(1960年)など。

ピアフの歌の中ではやはり「愛の讃歌」が一番いいが全曲聴けないのが心残り。セルダンに対する愛を歌ったものだそうだ。子供のころ、母がイヴ・モンタンの来日公演のTV放送(白黒画面)を熱心に見ていたのを思い出す。

また当時は日本人のシャンソン歌手がよくTVの歌番組に登場し、シャンソンを歌っていたという時代でもあった。年の離れた姉たちがシャンソンを口ずさんでいるのをなんども聴いたことがある。

しかしそれは“いきでお洒落なパリ育ちのフランス人”が歌う歌というイメージが強く、日本人歌手も大体音楽大学を出たような歌手が歌う教養主義的なところがあった。

華美なものは一切付けず、真っ黒い衣装で登場し、全身で表現する力強い歌声のピアフの映像と歌はそういう日本人が抱くシャンソンのイメージをぶち壊し、ガツンと殴られるような衝撃を与える。

アメリカ人も大体日本人と同じイメージだったらしく、アメリカツアーでは最初は見栄えのしない?ピアフに対する人気はパッとしなかったものが、生のステージを見た人々から評判が広がったらしく、ついにはハリウッドスターもこぞってその舞台を見に来ていた。最後にはスタンディングオベーションが7分間も続いたそうだ。

1963年10月10日、ピアフは47歳でこの世を去った。
一度聞いたら忘れられない歌声、心を揺さぶる“本物の芸”がここにある。






















まだ咲いている

2008年10月28日 | ガーデニング
今朝も寒かった。さすがにこのごろは長い時間庭にいるには寒すぎる。朝晩には気温が下がり手袋が必要なほど。寒さに弱い花の鉢植えは室内に取り込んだものもある。あれもこれもと取り込むと通路もなくなるので、これは少数厳選。

薔薇の花は咲いているものも、これから咲きそうなものもあり、寒さに強いなあと感心する。昨季は10月の下旬には越冬のために薔薇の株を倒伏し、土中に埋める作業をした。

温かいうちに作業できるというのがいいが、その後薔薇情報の記事を読むと、どうやら少し早すぎたのかもしれない。【花新聞】にも花がら、つぼみは11月中旬までに切り取るとあった。なるほどやっぱり早すぎたんだと反省。

11月に入ってからになると、間違いなく!鼻水をすすりながらの作業になることを覚悟しなければならない。ちょっとつらいけど、これも来年にまた薔薇を見ることが出来ると考えればいいか。

薔薇の講習会では越冬前に薔薇を倒伏する作業の手順を丁寧に教えられて、そのとおりにやってみていた。確実に越冬できるが、新聞には薔薇の根を切ることになり、お勧め出来ないと書いてあった。

どっちみち今年は周囲に宿根草をいろいろ植えたので、倒して埋めるのは難しそうだ。1本1本ネットで巻いていくのは大変だけど、これも薔薇とのお付き合いの一つだからねえ。

今は薔薇の最後の開花を楽しむ時期。しばらく楽しんだら、長靴を履いてしっかり身支度をして、さあー、作業開始!!







青春のスポーツ

2008年10月24日 | サッカー
チャンピオンズリーグ、グループ第3節、E組はスペインのイエロー・サブマリン、ビジャレアルがホームでデンマークのオールボーと打ち合いの試合の末、6-3という珍しいスコアで勝利。後半から登場したピレスの久しぶりのゴールを見られたという“おまけ”まで付いた。

チャンピオンズリーグのような試合では大抵、用心深い試合運びになり、あまり大量得点はないと思っていたが。大量得点とはいっても片方の一方的なゲームではなく、点の取り合いになって、これはおもしろい試合だった。

ビジャレアルはホームというのが緊張感になったのか、なんだかぎこちない立ち上がり。そこを付け込まれて?前半のうちにオールボーの先制点を許す。しかしその後すぐにFWロッシが同点ゴール。スペイン代表でもあるDFカプデビラの浮かしたボールが右隅に入り、2-1と勝ち越した。

カプデビラは利き足でないほうの足で蹴ったらしく、思いがけなく入ってしまったんだよ、というように祝福に来たチームメートに手を横に振って照れている。これがなんとも可愛い。

チームメートはなにか特別なしぐさをして、おもしろがって?みんなで祝福している。アップになった映像を見れば、ラテンの国でも!こういう落ち着いた顔立ちもあるのかと、バルサのチャビの太い眉を見慣れた目には、ちょっと以外な感じ。

ところが前半のうちに、またオールボーの同点ゴールを許し、追いつかれて2-2のスコア。前半だけで双方4点も入るという動きのある展開。ところがピレスが言うにはハーフタイム中に、いつもは温厚なペジェグリーニ監督が怒り心頭で、選手たちに猛烈な雷が落ちたらしい。

その効果覿面で、後半から投入されたFWジョレンテが大活躍のハットトリック達成。途中から入ったピレスまでゴール前のこぼれ球に反応して頭で押しこみ、大量得点の一員になった。

ビジャレアルはバレンシア近郊の小都市だそうだ、ビジャレアルというのはスペイン語で【王の町】という意味。しかしスペイン統一前のアラゴン王国の冠がエンブレムについていて、現在のスペイン王室のものではないという。

スペインの政府と歴史的に深いつながりのある、首都マドリードのチーム、レアル・マドリードの王冠とは違うという話が興味深い。スタジアムも2万5千人くらいの収容人員しかないクラブが健闘している。がんばれと応援したくなる。

この試合ではエリア内までパスをつなぐというチームの従来の方法ではなく、手数をかけないでシュートまで持ち込みゴールを奪っていた。CLのようなレベルの舞台では手数をかけてしまうと相手も堅い守備で勝ちあがってきているチームばかりなので、なかなかゴール出来ないことが多いようだ。

ショートパスをゴール前でも細かくつないでシュートに持ち込むというサッカースタイルの典型は、ロシアのゼニト・サンクトペテルブルグ。今までの試合でもチャンスを作りながら、手数をかけるので相手守備陣に阻まれてどうしてもゴールを奪えなかった。

ホームでのベラルーシのバテボリソフとの試合でも攻めに攻めていたが結局先制点を許し、後半80分、同点ゴールを決め、今度こそ勝つのかと期待したが、結局引き分けのまま。グループ突破は難しくなったのが残念。

今までうまく戦って勝点4を稼いできたクルージュ(どこの国だったか?)もアウェイということで、守備的な策を弄しすぎたということらしく、ホームのフランス・ボルドーに1-0で敗れた。

ボルドーにはフランス代表の若手グルクフがいるので、まだCLの試合に出場してほしい。彼のFKからのボールが相手のミスでオウンゴールのなり、これが貴重な決勝点となった。

ボルドーのユニフォームがぶどう酒の産地のワイン色を意識しているようで、紺地に赤紫色が部分的に入っていて、余り見ない色使い。難しい配色なのにうまくデザインされているのには感心した。

イタリアの名門クラブ、ユベントスはホームでレアル・マドリーに勝ったらしいが、ユベントスはラテン語で【青春】を意味するのだそうだ。たしかにサッカーは青春にふさわしいスポーツ。TVに登場する関係者たちは良くも悪くも?いまだに青春の中にいるような印象を受ける。

スピードや躍動感ばかりか、ゴールに向かうまでのパスワークやゴールシーンには芸術的な美があり、これが他のスポーツと大きく違う。さらにピッチに入ってしまえば監督の力はほとんど及ばず、選手たちにはプレーを選択する自由があるということ。この自由が許されているというところが、青春のスポーツと言える所以かもしれない。














存在感

2008年10月21日 | サッカー
この間のリーガ・エスパニョーラ7節、バルセロナはアウェイで北に位置するアスレチック・ビルバオと対戦した。試合はエトーの虎の子の1点を守り、1-0という地味な?スコアで勝利。無失点というのは久しぶりでは?

こういうスコアで勝つっていうのは、全員が動き回ってチームに貢献しているからだろうねえ。グアルディオラ監督がローテーションを採用して、メッシでも誰でも特別扱いせずに、平等にベンチに置くというやり方がいい効果を生んでいるのかもしれない。

そして何よりもこの試合でアンリが存在感を示せたというのがうれしいよ。この日は中盤の指揮者、チャビが怪我のために欠場。前半はなかなかいいパスも来ないし、チャンスも作れなかったが。

後半60分過ぎ、このまま行ったらまた代えられるなあという時間帯に、アンリはずっと真ん中まで下がって、そこからパスの出しどころがなかったのか、交通渋滞の中を縫うようにドリブルで進み、前線のエトーのところへパス。そこから貴重なエトーの決勝点が生まれた。

アーセナルでも余り見られなかったようなドリブルだった。決勝まで行ったCLでレアルとのアウェイの試合でドリブルからシュート、そして決勝点というゴールがあった。こういう長いドリブルはそれくらいしか記憶にない。試合に出られないんなら移籍もありでは?なんてこの頃は考えていたので、存在感をアピール出来て良かった。体調も良さそうだ。

ミランのロナウジーニョが2得点し勝利へ貢献したというので、どんな試合かと久しぶりにセリエAの試合を見た。イタリアやフランスのリーグ戦はユニファームの色使いやデザインがいいという見所があり、こういう楽しみがある。

ロナウジーニョは相変わらずそれでサッカーの選手?というくらい、もたもたと歩いていたが、後半になってカカが登場すると動きが出てくるようになり、相手のサンプドリアの選手がエリア内でハンドを取られたことによりPKで1点。その後に左サイドカカからのパスを受けてシュート。これが右隅に決まって2点目。

ブラジル人選手たちに囲まれて気持ち良さそうだった。ミランへ行ったことが正解だったようだ。もっとも終了間際に出場したインザーギも追加点を加え、控えにはまだシェフチェンコもいるなど、前線はだぶつき気味。

この上にベッカムまで移籍してくるのではという情報もあり。そうなると右サイドのフラミニは果たして出番があるのかどうか。うらやましい話だけど、多すぎるのも難しそうだ。“ピン”には“ピン”の悩みありか。

昇格組はどうなのかというところでは、リーガの気になる北部州の昇格組、スポルティング・ヒホンがなんと20チーム中15位まで上昇しているではないか。いや、すごい。その調子でがんばれ。

イングランドのプレミアリーグでも創立から100年以上も経ってトップリーグまで上ってきたハル・シティがなんと、現在は3位につけている。黒と黄色のユニフォームで愛称はタイガースというのだそうだ。やっぱり開幕ダッシュが効いている。3位というのもびっくりだ。








またリーグ戦

2008年10月17日 | サッカー
Jリーグも海外サッカーもW杯予選があって、リーグ戦はお休みだった。それほど長く遠ざかっていたわけでもないのに、前のリーグ戦はどうだったかなあ、なんてすぐに思い出せないのは困ったものだ。

その前にあったヨーロッパのW杯予選はアンリファンとしてはフランス代表のパッとしない成績にはハラハラ。今はふがいない成績でもかつての栄光の記憶がまだ人々の頭には残っているわけだしと思っていたら、ルーマニアとは引き分け。

ところがその後の親善試合、チュニジア戦はアンリの2得点で3-1と言う勝利に終わり、チーム状態が上向きになっているという判断らしく、次のW杯も続投に決まったということだ。(もっともチュニジアがどのくらいのランクなのかよくわからない。)

このところ、フランスがホームの試合ではスタンドからドメネク監督に対するブーイングが沸き起こったり、フランスサッカー協会は成績次第で首なんていう暫定監督のようなノルマを突きつけたりしていた。

ところが、これにアンリなどの代表選手たちは監督擁護の意見をメディアで公表しているというのだから、なんだか関係がややこしくなる。たしかに監督の首を挿げ替えても、実際にプレーするのは選手だからねえ。

どんな名監督を連れてきても、最後のところは選手の質の問題ではないか、という気がしているが、まあー、ドメネク監督はどうにも好きになれないので、ずるずると続投というのもすっきりしない。

その中でもミランからボルドーに移籍したグルクフだったか、今まで脚光を浴びてこなかった若い選手たちが代表で活躍しているというのはいい流れだ。チャンピオンズリーグでもグルクフはローマ戦で先制ゴールを決めて、活躍していた。長身でがっしりした体格。これからか核になって活躍してくれれば《レ・ブルー》にも希望が湧いてくる。

そのチャンピオンズリーグでは、ゼニトやクルージュ以外にキプロスから初めて出場したと言う《アノルトシス・ファグマスタ》というクラブのことが新聞記事になっていた。

選手の総年俸は300万ユーロ、日本円にして約4億5千万程度と言うのだから、日本のJ2のクラブくらいだろうか。これが本選進出を果たしたのだから、たしかに奇跡の快進撃。TVで見たホームゲーム、ギリシャのオリンピアコスとの試合も3-1でうまく戦って勝利していた。

キプロスはトルコ系住民とギリシャ系住民の対立があり、今も国連の緩衝地帯を挟んで南北の二つの国に分断されている。“くしくも、その日はキプロス共和国の独立記念日。迫害に屈せずに生き伸びたアノルトシスのエンブレムには『永遠』の願いをこめて不死鳥が描かれている”そうだ。

海外サッカーでは、こういう世界の歴史の勉強が《おまけについてくる》というところがたまらない魅力の一つ。その代わり、フランス対チュニジア戦ではフランスにいるチュニジア移民がスタジアムに駆けつけて、フランス国歌が流されたときに観衆の一部がブーイングしたというのが問題になったというニュースも伝わってくる。

こういう試合は中止するとかサッカー協会や政府のほうが怒っているようだ。いろんなところからの移民が混ざり合ってフランス国民を形成していると言うことなのだろうが、アルジェリアとの対戦でもこういうことはあったらしい。

過去の歴史も絡んで、こういうことの単純な理解は出来ない。フランス国歌の《ラ・マルセイエーズ》は革命の歌らしいが、これがフランス以外の国、日本のスタンドやもう一つはスペインだったろうか。歌われていたのを耳にしたことがあるがどうにも不思議。どういう歌詞で歌われているのだろう。

そういえば、前節のリーグ戦ではスペインのリーガでビッグクラブのバルサやレアル・マドリーに大敗していた昇格組の《ヒホン》がこの前のリーグ戦で勝利した。記念すべき1勝!!

それに大都市のクラブでもない、大きなスタジアムもない、ピレスのいる《ビジャレアル》が今季も上位を維持している。こういうクラブは応援したい。どんな国のリーグでもこういうクラブの存在はうれしい。