昨日からいい天気。明るい日差しを浴びると、なんだか今日はいい日になるような気がするから不思議だ。閉ざされた生活までのつかのまのやすらぎ。それでもないよりずっといい。
池澤夏樹さんのアンゲロプロス監督へのインタビューが続く。「アレクサンダー大王」〈1980年)について。民衆と独裁者の関係、共産主義の限界について描かれているのではという問いにー。
政治とイデオロギーが主題の、ある意味予言的な映画になった。〈その後のソ連邦の崩壊。社会主義圏の国々の独立を指しているのだろうか。)社会主義的な体験と誰もが見ていた社会主義の夢。その終焉を見つめた映画。
寓話の形をとっているが、構造としてはミサの形を取っている。ビザンチン形式で一方に独唱者たち、一方の大衆は声に順応してあるときは大王を称え、あるとは”神を食べる”。それは古代社会におけるセレモニーだった。キリスト教社会では周知のあの儀式に受け継がれている。
神の血を飲み、神の体を食べる。〈この辺のことはちょっとわからない内容。映画では確かに大王は食べられてしまうが。)ビザンチン美術では重要な円形広場の概念があって、村の広場にも円形広場と時計塔がある。すべては広場で起こる。
この映画は私自身にも深く刻み込まれた作品だ。長い年月信じていた一つの夢の終わり、希望と変革の時代の終焉がテーマだからだ。やがて来る終焉は私には既に見えていた。アレクサンダーはスターリン現象の寓意で、カリスマ的君主が独裁者と化す現象の寓意だ。
世界の変革を語る思想を信じようとしてきた。世界は変わるもの、より良く変わるものだと。よりよい世界、社会主義とはそれだった。人々はすべてを失った。唯一のよりどころであった夢さえなくした。夢の向こう側にあるもの、つまり形而上学を。世界にとってこれほど重大なときはなかった。
この映画の後には、歴史を後景に押しやること、人間について語る。歴史を信じ、歴史がもたらすものを担い、すべてを失った人間を。その思いが「シテール島への船出」〈1984年)になっていった。夢を信じ、海へ捨てられる人々。老主人公のように。「シテール島」にいたるまで4年間かかった。長い空白だった。その年月が歴史の変化を引き受け消化する為に、必要だった。・・・
これは胸を打たれる重い内容だった。そして夢というのは世界がよりよくなるという社会主義のことだというくだりになると、ぐっと来てしまった。あの老主人公に、そばへ行きたいと叫ぶ老妻を添わせて、海へと送り出すシーンはせめてものアンゲロプロス監督のはなむけなんだろう。
社会主義は一つの国では成就できないという、国境を越えた、むしろ国境をなくそうという思想でもあったはずだ。しかし実際にはスターリンを筆頭にそれとは逆のことをした。あちこちで、地図上の国境どころか、内なる精神的な国境も越えようとはしなかった。
アンゲロプロス監督がその変化を引き受けるのに4年間もの時間が必要だったというのは、その作業の大変さを物語っている。かつて政治的季節に出会ったものは、その夢を捨てることは出来ない。世界はよりよくなる、きっとよくなると今でも毎日、TVニュースや新聞の中に、夢のかけらを探している。時を経ても、種火のような炎は消えてない。
池澤夏樹さんのアンゲロプロス監督へのインタビューが続く。「アレクサンダー大王」〈1980年)について。民衆と独裁者の関係、共産主義の限界について描かれているのではという問いにー。
政治とイデオロギーが主題の、ある意味予言的な映画になった。〈その後のソ連邦の崩壊。社会主義圏の国々の独立を指しているのだろうか。)社会主義的な体験と誰もが見ていた社会主義の夢。その終焉を見つめた映画。
寓話の形をとっているが、構造としてはミサの形を取っている。ビザンチン形式で一方に独唱者たち、一方の大衆は声に順応してあるときは大王を称え、あるとは”神を食べる”。それは古代社会におけるセレモニーだった。キリスト教社会では周知のあの儀式に受け継がれている。
神の血を飲み、神の体を食べる。〈この辺のことはちょっとわからない内容。映画では確かに大王は食べられてしまうが。)ビザンチン美術では重要な円形広場の概念があって、村の広場にも円形広場と時計塔がある。すべては広場で起こる。
この映画は私自身にも深く刻み込まれた作品だ。長い年月信じていた一つの夢の終わり、希望と変革の時代の終焉がテーマだからだ。やがて来る終焉は私には既に見えていた。アレクサンダーはスターリン現象の寓意で、カリスマ的君主が独裁者と化す現象の寓意だ。
世界の変革を語る思想を信じようとしてきた。世界は変わるもの、より良く変わるものだと。よりよい世界、社会主義とはそれだった。人々はすべてを失った。唯一のよりどころであった夢さえなくした。夢の向こう側にあるもの、つまり形而上学を。世界にとってこれほど重大なときはなかった。
この映画の後には、歴史を後景に押しやること、人間について語る。歴史を信じ、歴史がもたらすものを担い、すべてを失った人間を。その思いが「シテール島への船出」〈1984年)になっていった。夢を信じ、海へ捨てられる人々。老主人公のように。「シテール島」にいたるまで4年間かかった。長い空白だった。その年月が歴史の変化を引き受け消化する為に、必要だった。・・・
これは胸を打たれる重い内容だった。そして夢というのは世界がよりよくなるという社会主義のことだというくだりになると、ぐっと来てしまった。あの老主人公に、そばへ行きたいと叫ぶ老妻を添わせて、海へと送り出すシーンはせめてものアンゲロプロス監督のはなむけなんだろう。
社会主義は一つの国では成就できないという、国境を越えた、むしろ国境をなくそうという思想でもあったはずだ。しかし実際にはスターリンを筆頭にそれとは逆のことをした。あちこちで、地図上の国境どころか、内なる精神的な国境も越えようとはしなかった。
アンゲロプロス監督がその変化を引き受けるのに4年間もの時間が必要だったというのは、その作業の大変さを物語っている。かつて政治的季節に出会ったものは、その夢を捨てることは出来ない。世界はよりよくなる、きっとよくなると今でも毎日、TVニュースや新聞の中に、夢のかけらを探している。時を経ても、種火のような炎は消えてない。