FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

フェルメールの青

2007年11月21日 | 絵画
世界美術館紀行ではオランダ、ハーグにあるマウリッツハイス美術館にあるフェルメールを取り上げていた。平成16年放送とあって、何回も再放送されている番組のようだ。

ハーグはオランダの第3の都市。フェルメールが生きた17世紀のオランダは海外との交易によって空前の繁栄を遂げ、芸術文化が花開いた時代。マウリッツハイス美術館ではフェルメール・ルームという部屋があり、そこには・・・

「ディアナとニンフたち」(1655年ごろ。画家としての出発点となった23歳のとき)
「真珠の耳飾の少女」(別名青いターバンの少女。1665年ごろ)
「デルフトの眺望」(デルフトはフェルメールの故郷、生涯をここで暮らした。1660~61年ごろ)。

「・・・少女」のターバンに効果的に使われていた青とは?
アフガニスタン原産の「ラピス・ラズリ」という高価な石。風車小屋では職人によって今でも鉄の棒で石をくだき、ふるいにかけて細かい粒子にし、亜麻仁油を加えて混ぜ合わせるという方法で作られていた。ウルトラマリン・ブルーという名がつけられている。

フェルメールが生きていた時代には金に匹敵するくらいの値段で取引されたのだという。この青は古代エジプトのピラミッドや中世の大聖堂に用いられてきた。「デルフト・・・」は縦97、横116cmの風景画。ここでも青が効果的に使われている。

空にはまだ黒い雨雲が残り、雨上がりの早朝の情景。川には漁船があり、丘では立ち話をしているらしい女性たちがいる。対岸の建物は雨水がまだ光に反射している様子。

空の青だけではなく、川の水面の白い下塗りの色にも薄くウルトラマリン・ブルーが塗られている。生垣の木々も緑色は一切使われず、ウルトラマリン・ブルーと黄色を混ぜ合わせものだ。

建物の壁や屋根には砂を混ぜて凹凸を出し、レンガの肌触りと光を乱反射させている。さらに「少女」の唇にも使われていたのと同じ手法で、ところどころ小さな白い点を置くことで朝の光を輝かせ、雨上がりの町並みの雰囲気を出している。

滑らかな水面、重厚な質感のある建物、空の青という、精密で立体的な風景。見れば見るほど魅了される風景画。何時間見ても飽きないだろうと思われる素晴らしさだ。

こんなに時間をかけた丁寧な描き方ではたしかに、油絵が生涯30数点しか残されていないというのもうなずける。壁に砂を混ぜるという手法はユトリロの絵を思い出した。パリの建物を描いたユトリロは、この絵の壁の手法を知っていたのだろうか。

フェルメールの故郷デルフトはハーグから電車で10分ほどのところにある。フェルメールが住んでいた住居跡は青の陶磁器が置かれている土産物屋になっていた。この色のルーツは中国や日本の陶磁器に使われている光沢のある青い色。

17世紀初頭のアジアとの貿易によって、それまでヨーロッパの人々が見たことがなかった品々がオランダにもたらされた。これを使ったデルフト・ブルーのデルフト焼きは人気を博し、ヨーロッパ各地に輸出され、フェルメールもこの色に魅せられた一人だった。

今、東京の国立新美術館ではフェルメールの「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展が12月17日まで催されている。








学びは遊び

2007年11月21日 | 雑感
道路にも雪が残るようになってきて、今冬はじめての雪かきで汗をかいた。昨日の朝日新聞には天野祐吉さんのCM天気図というコラム。TVのCMのことを書いているものだが、題は「学びと遊び」。「学び」と「遊び」は同根で「学び」は一番ぜいたくな「遊び」という言葉には、その通りと同感!!

カルチャーセンターでは女性たちがにぎわい、機嫌よく遊んでいると書かれてあった。ゴンドラに乗った男が二人、ビルの掃除をしながら英語で話しているというCMではー

「Are you angry?」「You knou what you did.」・・・なんと二人の会話は英語。カメラが動いて、窓の中は英語教室。先生が黒板に書いた英文を、窓の外から二人が大声で読んでいる。

・・・「教室の中の生徒たちより、窓の外の二人のほうが楽しそうに見えるところが楽しい。そうなんだよね。学びという遊びは、当事者よりも傍観者のほうが楽しかったりする。

学校で英語を教わるのは、試験とか点数とかが付きまとってあまり楽しくないが、大人になって学ぶのは、そんな制約がないからのびのびと遊べるようなものだ。で、そんなときぼくらは、『学ぶ』というのは未知の世界に触れて『遊ぶ』ことだと、いや応なく実感することになる」・・・

たしかにー。いろいろな束縛もないし、学べる時間があるのは子育て後の生活。旅行は年々おっくうになるが、頭の中ではいくらでも旅をすることが出来る。

今やTVでは人間の目より精巧なカメラによるハイビジョン放送があり、好きな歴史番組や音楽、絵画の番組が目白押し。スポーツ番組では海外の国々のことを知るいい機会にもなる。退屈する暇がないほどだ。学びは遊び!!











藤田嗣治のアトリエ

2007年11月02日 | 絵画
北海道新聞、10月30日の夕刊。一面の左端にある小さなコラムは「今日の話題」。題して「画家のアトリエ」。そこでは藤田嗣治(1886~1968)のアトリエが来年7月、札幌の道立近代美術館に再現されると紹介されている。

昨年、東京の国立新美術館開館記念で開催された「異邦人たちのパリ」。そのときに上京していて見たのが、黒い衣装の白人女性を描いた「カフェにて」。乳白色の肌色が強く印象に残り、そこだけスポットライトを浴びたような存在感があった。

・・・「渡仏したパリでピカソらと親交を結び、名声を獲得した栄光の時代。これとは対照的に、帰国後は、太平洋戦争に戦争画家として従軍し、戦意高揚の国策絵画との厳しい批判を浴びる。

戦後、ふたたび渡仏した藤田は日本国籍を捨て、カトリックに改宗した。戦争中の自らの行為に対する免罪符との見方もあるが、真意はわからない。」

「日本の画壇から冷遇されてきた藤田だが、フランスでは今なお、『もっとも著名な日本の画家』として不動の地位を占める。芸術家の運命とは皮肉なものだ。」

「藤田が晩年をすごしたパリ近郊のエソンヌ県の小さな村を訪れる機会があった。住宅は7年前から『メゾン・アトリエ・フジタ』として一般公開されている。画家の息遣いが伝わってくる生活空間。妻にさえ入室を許さなかったという絵の具や筆、パレットなどが往時のまま、そっくり残されていた」

「そのアトリエが来年7月、札幌の道立近代美術館で再現される。没後40年にあわせて、北海道新聞社が主催する『レオナール・フジタ展』の一環だ。レオナールとは改宗後の名前である。」・・・

地方ではなかなかこういうものが目の前で見られる機会が少ないので、これは是非見に行きたいと思っている。フランスから日本に帰り、その間、先の世界大戦に翻弄された藤田の波乱に満ちた生涯。

芸術の都のパリで日本人の独自性を出すことの難しさ。いろいろな国の人間が集まるパリでも、おかっぱ頭はいかにも風変わりな姿だったようだが、その中で苦労して作り出したあの誰も真似の出来ない乳白色。あの透明感のある肌色には東洋の美意識が感じられた。なんにせよ、TVではなく肉眼で見られるのはしあわせなことだ。








どういうわけか

2007年11月02日 | ガーデニング
鉢植えにしていたハイビスカスは出窓のところが朝晩の冷え込みで寒くなり、もっと温かい室内の場所へ移動してきた。その途端に、どういうわけか今頃になってたくさん花が咲いている。やわらかい日差しが気に入ったのだろうか。

「趣味の園芸」9月号にハイビスカスの記事が載っているので、引っ張り出して読んでみた。昨季は剪定しすぎだったのが、今季は一回り大きな鉢に植え替えたのが良かったのか、戸外でもぼちぼち花が咲いていた。

それが室内に入ったらこれだから驚く。もっとも生育温度が15度~25度ということだから、暖房を入れるようになったこの時期のほうが居心地がいいのかもしれない。

一度夏バテしてしまった株は秋になって気温が下がっただけでは回復してくれません、と書いてあったが、本州ほど暑さが厳しくはないので、余力が残っていたのだろう。

この時期は街路樹の緑が少なくなり、街中が枯葉色に覆われてきた。どんよりした曇り空を見ていると、いよいよ冬だなあと気分も沈みがち。思いがけず、いっせいに咲きだしたハイビスカスの花。南国気分でちょっと気持ちが明るくなる。