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日めくり万葉集(239)

2008年12月26日 | 万葉集
日めくり万葉集(239)は万葉集の最後の歌、巻20・4516、大伴家持(おおとものやかもち)の歌。選者は映画監督の篠田正浩さん。

【訳】
新しい年の始めに立春が重なった今日降る雪のように、ますます重なれ良いことよ。

【選者の言葉】
実に皮肉なことになった。因幡(いなば)の国、鳥取県に赴任しているとき、大伴家持は中央政府に受け入れられなくて辺境へ辺境へと国の守(かみ)として派遣された。

これだけ天皇家に対して忠誠を尽くして見事な歌を書き上げながら、彼の最期は無残なものだった。彼が死んで埋葬された直後に、藤原種継(ふじわらたねつぐ)の暗殺事件が起きた。

時の【桓武天皇(かんむてんのう)第50代天皇、737~806年】の世を覆(くつがえ)そうとする皇位継承権も絡んで、大伴一族は罰せられる。埋葬された大伴家持は冠位を剥奪される。

息子の大伴永主(おおとものながぬし)は隠岐島(おきのしま)へ流された。そのときに大伴家持の遺骨も、隠岐島へ家族と一緒に【流刑】になった。それくらい、大伴氏は罪人として葬り去られた。

古代は万葉集の言葉が美しいからといっても、実は血まみれの骨肉相食(は)む政治闘争の怨霊(おんりょう)の都として、奈良の都は出来上がり、そこから逃れるように平安遷都(せんと)をしたのだ。

生前の家持は知っていた。だから万葉集を彼はそういう痛烈な権力の裏切り、自分たちがいくら奉仕しても受け入れられない権力の非情さ、というものに対するアンチテーゼとして、プライベートセレクションの万葉集を作ったのではないか。

歌の調べで行くと権力が何を考えようと自分たちは御祖(みおや)から伝えられた大伴氏の真情を守り抜くという気持ちで詠っている。それだけに家持と大伴氏一族が受けた悲惨な運命というのは一層、この歌によってあぶりだされて来ていると思う。

【檀さんの語り】
西暦759年の元旦。今の鳥取県東部に当たる因幡の国に国司として赴任した大伴家持が詠んだ歌。篠田さんは大友家の運命と家持の万葉集の編纂を重ねて考えた。

【感想】
桓武天皇の時代には遷都が繰り返されたらしい。本来皇位を継ぐべき皇太子が殺され、担ぎ出されるようにしてなった天皇だったということらしいのだ。それだけにそれを不当なものと思う不満が漂い燻っていたのだろう。

大伴一族はその権力闘争に巻き込まれて、流刑にあったというのだからたまったものではない。こんな新春を寿ぐ歌を載せているというのに。篠田さんのお話を聞いて、梅原猛さんの柿本人麻呂論の仮説が頭に浮かんだ。お二人のお話しには共通の認識があるように思えた。

《奈良は骨肉相食む政治闘争の怨霊の都》という言葉にそれが込められている。万葉集は美しい歌によって彩られてはいるが、よく読むと実はそういうものではない、といったことのほうが現代人の実感としてピンと来る。

柿本人麻呂も大津皇子も大伴家持一族も権力闘争に翻弄され、最後には歴史の怨霊となった。篠田さんが古代に対して、梅原さんと同じような認識を示したということがわかっただけでも、この番組をずっと見てきた甲斐があった。





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