FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『ブラス!』

2006年01月27日 | Weblog
1996年/イギリス映画/107分。1917年に結成された炭鉱夫たちのグライムコープ・コリアリー・バンドの実話を基にした映画。映画の中で流れる音楽は彼らが演奏したものだそうだ。バンドの指揮者ダニーの役を『ロミオとジュリエット』の神父を演じた名優ピート・ポスルスウェイトが重厚に、バンドの一人アンディをユアン・マグレガーが若さで溌剌と演じている。

サッチャー政権になってから、炭鉱閉鎖政策により次々と廃坑になっていくなか、ヨークシャー地方、グリムリーの町のグリムリー・コリアリー・バンドはロンドンで行われる決勝大会を目指していた。会社側と組合側の交渉が行われ、今退職すればといくらいくらと具体的な金額まで提示される。家族や生活を背負う中、組合員同士が揺れ続ける。女たちもテントを張って、会社側の攻勢に対抗していた。このあたり、度胸がすわって彼女たちは実にたくましい。

ダニーは「組合や抗夫が屈してもわれわれは屈しない」と楽団員たちを鼓舞するが、絶望感から自殺しようとするものまであらわれる。演奏される楽曲を聞くだけでも素晴らしいがロイヤル・アルバート・ホールでのダニーの大演説がしびれるほどすごい。

「この10年間政府は産業を破壊してきた。われわれの産業を、さらにはわれわれの共同体、家庭生活を。発展の名を借りたまやかしのために。」「大勢が職を失った上に大会に勝つ意欲まで失いました。生きる意志さえ失ったら悲惨です。」「皆さんはアシカや鯨のためには立ち上がる。彼らは普通の正直で立派な人間です。その全員が希望を失っているのです。」

生きる希望を失うことで人間は内部から破壊されてしまう。政府に抗議する彼の言葉は痛切だ。日本だって、似たような状況が起きている。この作品が彼に託したものは、計り知れないほど重い。人間が人間らしく生きるという、当たり前のことが出来ない社会なんて、どんなに発展しても意味があるのかと問うているからだ。

以前にも見ているのに何回見ても涙が出てしまう作品。
ダニーの言葉とともに管楽器のすんだ音がいつまでも胸に残る。
「アランフェス協奏曲」「ウィリアム・テル序曲」「威風堂々」などよく耳になじんだ曲・・・。












『アトミック・カフェ』

2006年01月27日 | Weblog
第二次世界大戦後、ソ連との冷戦という新しい時代に備えて、アメリカ政府は核開発の競争に邁進した。ナレーションや説明を入れず政府広報映画を中心につなぎ合わせた1982年のドキュメンタリー。マイケル・ムーア監督に影響を与えたということで以前から見たかった映画。

マイケル・ムーア監督の『華氏911』に見られるような、ちょっとからかったような感じの明るさというのは、この映画にはない。それでも、広島、長崎のニュースフィルムや日本の映画にいろんな形で描かれているのを見ているだけに、原爆と聞くと、それだけで慄然としてしまうけれど、落としたほうの側はなにかぴんと来ないという次元の受け止め方で、彼我の差の溝がどうしようもなく伝わってくる。

アメリカ国民自身にもその恐ろしさがキチンと説明されていない。日本に原爆を投下した操縦士の会見にしても、ニューメキシコのほうで爆発実験をしたあとで、その写真の写しを持ってきて落とすとこういう感じになるというだけで、原爆とは言わなかったという話だ。

ビキニ環礁での核実験では、島民たちはアメリカの指揮官の説明にもなにもこわがらず、むしろその島の長をはじめ大歓迎振り。ため息が出るほど知らされていない。大らかに「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌って見せたりしている。これに第5福竜丸だったか、日本のマグロ漁船が遭遇し、大きなニュースになったのを今でも覚えている。

1949年にはソ連も核実験をするようになった。アメリカ陸軍の原爆作戦というフィルムでは、カリフォルニアの海岸地帯から上陸し、内陸部まで入り込んだ敵と戦うという設定だった。原爆投下後の陸上作戦ともいうもので、かりだされた兵士たちへは放射能は無害という説明で、冗談を通り越している。

アメリカ市民たちにもほんとのことは何も知らされていない、騙されているんだとこのドキュメンタリーは訴えたかったのだろう。ソ連圏への異常な脅威論はついにレッドパージにまで発展していった。なにかで常に発火状態になるアメリカの臨戦態勢下のようなおびえかた。これがイラク戦争へ突入していった今の空気につながるような気がした。その結果、なにが恐ろしいって戦争開始を一人で決められるアメリカ大統領ほど恐ろしい人間はいない。そのボタンを政争の具に使われたら・・・。













新年おめでとうございます

2006年01月01日 | Weblog
新年おめでとうございます。大晦日の31日にプレミアリーグはしっかり試合があった。アーセナルは苦手なアウェイでアストンビラと。あっちこっちとチャンネルを変えて、応援に気が散ったせいか?0-0で連勝はストップ。元旦から昇る朝日のようにとはいかなかった。今年はこんなものですかねえー。

試合日程が立て込んでいるせいか、ポーツマス戦で活躍したベルカンプ、レジェス、ピレスをベンチに置き、アンリ、ファン・ペルシと2トップ。ファン・ペルシは怪我から復帰だったか。アストンビラの早いプレスに、真ん中のセスクとフラミニはボールを取られるし。アーセナルは終始押されていた。

試合を作るのが、フレブぐらいなせいか、アンリもチャンスメーカーに徹して、FKのときですら、ショートコーナーでフレブにボールを回す始末。アーセナル守備陣は相変わらずGKレーマンとの連携がしっくりいかず、特にレーマンは相手FWの近くで、ボールをカットされるんじゃないかという危険なプレーが何回もあり、危なかったなあ。

フラミニがゴール右サイドでフリーになり、シュートを打つ場面は決定的だった。これがしっかり外すしねえ。リュングベリのシュートもバーに当ったり。ファン・ペルシもシュートを打ったりしたが、やはり本調子でないのか、ボールキープできない場面が目に付いた。フレブもゴール前に進みながらシュートを打たず、せっかくのチャンスを生かせない。

アンリは後半、ベルカンプやレジェス、ピレスが入ってくるとようやく、本来のFWの動きが出来るようになったようだ。しかし、アストンビラも守備ばかりでもなく、ホームの観客の声援にこたえようと果敢に攻撃してきて、ゴールを奪う時間がなかった。キャプテンを意識して、中盤を助けようとしたんだろうけど、アンリはトップの位置にいないと、相手チームに対して、やはりこわさがでないものねえ。なんだか、胸のつかえが取れないまま終わった試合だった。

結果にがっかりしていたらー。
そばで一緒に見ていた子供がファン・ペルシのことを、「この人めんこい!」。終了後に音楽が流れると、「この人たち、cold playっていってさあ。イギリスではすごい人気なんだよ。ほら、グイネス・パルトロウという女優がいるでしょ?彼女が結婚したのがこのグループのひとなのさ!」