FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

呪縛からの解放

2006年12月21日 | Weblog
今日は降雪もなく、いつもよりあたたかい一日の始まりとなった。今朝の新聞、「歴史と向き合う」第5部真実と和解。フランスの新進歴史家という42歳のパスカル・ブランシャール氏へのインタビュー記事。

「植民地支配の過去を直視できないという点で、フランスと日本は似ています。」「フランスにとっては世界に共和国の思想を広めることであり、日本にとってはアジアに覇権を築き、先進することでした。」「明治日本の多くの軍人が仏海軍から学んだ。」「日本はドイツから国家というものを、英国からビジネスを、米国から外交を、そしてフランスから植民支配の考え方を学んだのです。」

「両国とも植民地政策は破綻したが、日本は開国以来の発展の過程が失敗だったとは国家の体面上、受け入れがたい。フランスは、共和国の価値が見限られたと認めることがなかなか出来ない。」「そして今、両国とも植民地にかかわる教科書の記述や政治家の発言が批判の的になる。

フランスはアルジェリアから、日本は中国から非難される。植民地支配の歴史、記憶から政治的影響まで日仏はそっくり。早期に植民地支配の問題にとりくみ、歴史のトラウマから解き放たれた英国とはきわめて対照的といえます。」

「そのフランスで大きな変化が起きています。05年2月に”植民支配の肯定的な面も学校で教えるよう”求めた条項(06年1月に削除)を含む法律が出来たことは、封印されてきた植民地の議論を一気に噴出させるきっかけになった。05年秋の暴動は、エリート層に限られていた議論を大衆に広げました。」

「植民地時代が終わって生まれた世代に植民支配を正当化したい欲求はない。ビシー政権のユダヤ人迫害を国家責任と認めたシラク氏以降の大統領も、歴史直視の流れを踏襲せざるを得ません。いずれ植民支配の歴史をきちんと学べる博物館ができ、過去と正面から向きあえる日も来る。」

「日本は多民族社会ではなく、敗戦国として被害者意識が強いなど、フランスとの違いがあるものの、同様の過程をを歩むのではないか。」「歴史に向き合うのは、外圧によるものでも罪滅ぼしのためでもない。植民支配を理解しなければ、日本の近代化のプロセスは理解できない。」

「歴史の記憶の再編・再構築という作業を通して、共同のアイデンティティーは築かれるものであり、それが国の統合の基礎になります。日本人自身が日本をよりよく理解し、世界における日本の位置を見定めるためにも必要です。」「記憶や歴史の内部対立を解消するのは政治の役割であり、政治の肩を押して促すのが知識人の役割です。」(終)

日本の政治は内部対立を解消する方向に向うだろうか。戦後向き合ってこなかったことが、中国ばかりか朝鮮半島との緊迫した状況を生み出したともいえるのでは・・・。

うれしいニュースもあった。
パレスチナとイスラエルの若者が中心の管弦楽団「ウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ」が、8月にベルリンで演奏したベートーベンの「第9」ライブがCDになったことが紹介されている。指揮はバレンボイム。(日本の音楽番組の中で、なんかいもヨーロッパでの演奏会の模様が放送されている。ピアニストと指揮者と両方で。)

思想家のエドワード・W・サイードとともに99年に結成、サイードが03年に死去した後も、楽団の指揮・育成に情熱を傾けているそうだ。ゲーテの「西東詩集」にちなんだ楽団名には、反目しあう民族の精神が文化の力で通い合うように、との願いがこもる。本公演に向けての練習は「イスラエル・レバノン紛争」のさなかに始まった。パレスチナ自治区ラマラで開いた演奏会のドキュメンタリーもDVD(5月)になっているそうだ。

パレスチナとイスラエルのニュースは攻撃と破壊ばかりと思いがちだが。別のところでこんな未来へ向けてのニュースがあった・・・。



















旧友のために

2006年12月19日 | Weblog
雪の白さは夜になっても消えない。ほの白い雪が街灯の光に浮かび上がる。紫外線を反射してまぶしい昼間の雪景色とまた違う、静かな美しさー。綺麗だなあと見とれながらも、雪かきはかなりきつい作業だ。

毎日モーツァルトは第196回、澄みきった魂。クラリネット協奏曲、イ長調。K.622.第2楽章より。1791年モーツァルト35歳。

ゲストはドイツ文学者の小塩節さん。
私にとってはお母さんが生まれて育ち、お姉さんのナンネルがお嫁に行った、ヴォルフガング湖という、彼の名前がついた湖がある。ザルツブルクのずっと東に、綺麗な真っ青に澄んだ湖。彼の名前のついた湖の上を風がすーっと上がっていく。まさにそういう音がこのクラリネットの音。このモーツァルトのクラリネット。

真っ青にさえわたっている湖の上を鳴り響いていく風の音、宇宙の音。それがこのクラリネットにこもっている気がして、どこがどういう風にいいということではなく、音楽そのもの、その心の中をすっと流れていって、広がってくれるような。余りにも美しいので涙が出るほど悲しくなる。美しいってこういうものなんだなあとー。

1791年10月初旬、モーツァルトはバーデンで療養していた妻に手紙を送る。
”君が発った後、ぼくはシュタードラーのための曲を、ほぼオーケストレーションし終えたよ。もし仕事がなければ、すぐにでも発って、1週間君と一緒に過ごしたいよ。”

このとき旧友のクラリネット奏者、シュタードラーのために書いた曲は、クラリネット協奏曲イ長調。モーツァルトは完成した楽譜を演奏のために、プラハ訪問中のシュタードラーに送った。

プラハのスタボフスケー劇場(旧国立劇場)では1か月前に「皇帝ティートの慈悲」が初演されたばかりの国立劇場。シュタードラーはこの劇場で「クラリネット協奏曲イ長調」を初演した。

モーツァルトが書き残した唯一のクラリネット協奏曲。その清澄な響きで、モーツァルトの協奏曲の集大成ともいわれる。多忙の中、夏ごろから体調を崩し始めていたモーツァルトだが、旧友シュタードラーとの約束を果たすため、この曲を完成させた。

ウィーン、ヴィルヘルミーネンベルク宮殿で、クラリネットの名手シュタードラーはこの館の主、ガリツィン侯爵に仕えていた。ウィーンの宮廷楽団員だったシュタードラーとの交友を通じて、モーツァルトはクラリネットの魅力を知った。2年前のクラリネット五重奏曲。そしてこのクラリネット協奏曲と、2つのクラリネットの名曲はいずれもシュタードラーに捧げられた。10月中旬、バーデンまで妻を迎えに行ったモーツァルト。ウィーンに戻ったあと、生涯最後の作品に取り掛かる・・・。

小塩さんが、いろんな形容を使って表現したモーツァルトのクラリネットの美しさ。余りにも美しいので、涙が出るほど悲しくなるという気持ち。この第2楽章のクラリネットの音が響くと、かならず泣きたくなってしまいますね。それほどこの世のものと思えない美しさと静かさは、確かに宇宙に通じる音なのかもしれません。

この曲が強く耳に残ったのは、リチャード・ギア主演の「アメリカンジゴロ」(1980年前後?)という映画のラストシーン。このシーンのためにこの映画があるというほど、最後が印象的でした。レンタルしたビデオで見たというリチャード・ギアが最高に綺麗だった頃(今はそれほどでもない?)。とっかえひっかえ、いろんなスーツを着て登場し、流れるような歩き方がモデルのようでしたねえ。。

ジゴロというとおり、金持ちの女性たちの相手をしては暮らしているような生活の中で、事件に巻き込まれて、最後は警察に追われ、とうとう捕まってしまう。それを救い出そうとある決心をして女性が拘置所を訪れる。ガラスのように透明な板の向こうとこちら側と電話で話しているうちに、気持ちが高ぶって板越しに手と手を合わせる。

確かそういうシーンのときにモーツァルトのこの音楽が鳴り出す。というものだったようなー。小塩さんの宇宙の音からすると、かなり下界に降りてしまいましたが。そのときはこの音楽がモーツァルトの曲とは知らなかったのです。あまりにも素晴らしい音色だったので、いつまでも忘れずに覚えていたのでしょう。












時代は大きく動いていた

2006年12月16日 | Weblog
随分前のオペラのビデオを見ることが出来た。「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」・・・。急遽、近くの店に電話して、ビデオからDVDにダビングできるようにしてもらった。映像は1991年、1954年のザルツブルク音楽祭ー。

毎日モーツァルトはこのところ連日オペラ「魔笛」が放送されている。192回、盟友。オペラ「魔笛」K.620.第一幕。1791年、モーツァルト35歳。

ゲストは作曲家の甲斐正人さん。(ミュージカル「モーツァルト」の音楽監督)
まさにミュージカルだ。シカネーダーとモーツァルトはミュージカルを作ろうとしていたのではないか。荒唐無稽でもお客さんを喜ばせて、不思議な世界へ引きずり込む。その中でしっかり人間賛歌をうたっていて、人間というのは平等なんだ、みんなが神の下に平等なんだ、ということを高らかにうたっている。笑いながらぞくぞくして見ながら、ああ、人間ていいなあー、と当時の人たちは思った。こういう文化の力が、ヨーロッパを新しい時代へと引っ張り上げていったんだなあーと。

モーツァルトはザルツブルク時代にシカネーダーに出会い、その斬新な魅力のとりこになった。シカネーダーによって建てられたアン・デア・ウィーン劇場。入り口の上には「魔笛」の道化役パパゲーノ像が飾られている。

シカネーダーは「魔笛」の初演に自らパパゲーノ役で出演した。
モーツァルトの手紙、1791年、10月8日。
”パパゲーノがアリアを歌うとき、ぼくはいたずらをして鉄琴の和音をパラパラと鳴らしたのだ。奴は驚いて、辺りを見回し、ぼくを見つけた。ぼくはもう一度鳴らしてやった。すると奴はうるさいと怒鳴ったのだ。そこでみんなどっと沸いた。”

第1幕、アリア「おいらは鳥刺し稼業」
大蛇に襲われ、気を失っていたタミーノ。目が覚めると鳥刺しパパゲーノが現れる。個性的な登場人物が多い「魔笛」の中でもパパゲーノはもっとも人気のあるキャラクター。

”さてもおいらは鳥刺し稼業。 いつも朗らかホイサッサ。 老いも若きもこの国中で、知らぬ者なき鳥刺し稼業。 罠のことならまかしておくれ。 笛を吹くのもかなりの腕前。 鳥は残らずおいらの獲物。 されば朗らかよい機嫌。”

パパゲーノは王子タミーノに連れられ、危険な冒険のお供をする羽目になる。誘惑に弱く茶目っ気があふれるパパゲーノはモーツァルト自身の投影ともいわれる。

王子タミーノと3人の侍女の前に夜の女王が現れる。誘拐された娘パミーナの救出をタミーノに頼む。「魔笛」の中でひときわ存在感のある夜の女王は闇の支配者。夜の女王の悲しみに打たれ、王子タミーノはパミーナの救出を誓う。

「おお、おののくことはない愛する若者よ」
”娘がいなくなり、私は悲しみに明け暮れています。 すべての幸福が失われました。 悪者が娘を連れ去ったのです。 私には娘を救う力がなかったのです。 あなたは娘を救って下さるでしょう。”

不思議な力を持つ魔法の笛を夜の女王はタミーノに託す。タミーノはパパゲーノを連れて勇んでパミーナを助けに向う。初演では夜の女王のこの難曲を妻コンスタンツェの姉ヨゼーファが歌った。劇が進むに連れて、夜の女王にはさらに難曲中の難曲が待っている・・・。

いろんなゲストのお話の中で甲斐さんの言っている内容が一番納得した。イギリスでは産業革命が起こりつつあり、フランスでは市民革命が起きていた。モーツァルトのウィーンでもトルコ戦争があって、貴族たちは優雅に演奏会を開く余裕がなくなった。プラハでモーツァルトのオペラが受けたのもやはり、市民の時代の幕開けが訪れたからではないだろうか。時代は大きく動いていたのだ。

ここに登場するシカネーダーの台本による「魔笛」は大衆演劇の典型というように、恋あり冒険あり、教訓を垂れて?いる間に、観客が安心する結末が用意されているといった、文字通り荒唐無稽のストーリー。

映画「アマデウス」の中で描かれているほど下品ではないにしても、宮廷の雰囲気に合うほど上品とは思えないモーツァルト。エネルギーに満ちて、大衆を取り込む魅力のあるシカネーダーとはいかにも肌が合いそうだ。これだけ才能があるモーツァルトが貴族たちの宮廷で職を与えられないことに、ずっと悔しさがあっただろうし、だからこそフリーメイソンに入ったのだろう。もう少し長く生きていたら、貴族だけの時代が終わりをつげ、市民という新しい階層が台頭する時代の息吹を感ずることが出来たろうにー。

モーツァルトの生誕記念ではなくても、毎年行われているザルツブルク音楽祭。それを収めているビデオは古くて、1980年代ごろのカラヤン指揮のものは、残念ながらテープの具合がよくなくて、途中で見るのをやめた。1991年の「魔笛」はゲオルク・ショルティ指揮のもの。

これはベルイマン監督の映画の「魔笛」を最初に見ていたので、おもしろいものだったが、それがかなり脚色していたものだということがわかった。やはり後でどういうものを見るにしても、原形というのか、正統なものを一度は見ておかないと思った。場面転換などはかなり時間がかかって、いかにも舞台劇という印象。舞台装置も大掛かりでかなり奥行きもあり、大きな舞台には驚いた。

今までは日本人歌手が歌うアリアを聞いても、ただいい声で歌っているという風にしか聞こえなかったが、こうやって、ストーリーが分かってくると、劇のどんなところで歌っているのか、歌の順番が大体わかってきて楽しめるようになった。1954年のはフルトヴェングラー指揮のもので「ドン・ジョバンニ」。映画のような作り方で舞台の全景を映すということはなく、時代を表す華やかな服装に、ふと、かつてのハリウッド映画を見ているような気がした。













脳と心の謎

2006年12月14日 | Weblog
未来への提言。脳科学者、ナンシー・アンドリアセンさん。~脳と心の謎に挑む~。ブレインマッピングという脳の地図を作り上げていく技術の開発によって、アルツハイマー病や統合失調症、PTSDなどの病気を克服しようと、アイオワ大学で専門家18人の研究チームを率いて、その研究の最先端にいるアンドリアセンさんを、吉成真由美さんがインタビューする。

(吉成さんはボストンで暮らし、子供たちの心のストレスや教育の観点からも、脳科学に注目し、著書も発表。3人の子の母。夫はノーベル賞を受賞した利根川さん。)

アンドリアセンさんは、シェイクスピアを専攻し英文学者だったが、24歳のときに出産後の感染症で生死の境をさまよったことから、大きく運命が変わった。病院のベッドに横たわりながら、私の命は救われた。100年前だったら恐らく死んでいただろうと。生きている間に何か価値のあることをすべきと強く思った。

20世紀は数学と物理学の世紀。21世紀は生物学の世紀といわれる。生物学の中でも一番大切なのは人間の脳を理解すること。なぜなら私たち人間の脳は驚くべき能力があるからだ。

【PTSD】
一生背負うような重要なストレスから発症する。人の心の問題に踏み出していくきっかけはベトナム戦争(1960年~1975年)。戦争は泥沼化し、アメリカ兵の死者は6万人近くに達した。極限状態で戦った兵士の中には戦争体験が心の傷となり、社会復帰できずに苦しむ人々が続出した。

この深刻な事態を目の当たりにして、病気として定義すべきと考え、世界ではじめてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と名づけた。脳は使うことやきたえることでよくすることが出来る。誰かの役に立つことも大事。人生の目的を定めて、生きていくことが出来ればストレスに対抗する助けになるだろう。

【統合失調症とアルツハイマー病】
アンドリアセンさんの専門は統合失調症。100人に一人が発症するといわれる。アルツハイマー病が老人の認知症とするとこちらは若者の認知症とも言うべき病気。一般的な発症年齢は16歳から25歳くらいの間。

20年前にMRIで脳が小さくなっていることを発見。ある意味で統合失調症とアルツハイマー病は密接な関係がある。脳の回路の接触が悪くなったことから起きる。それはグルタミン酸の量のバランスが崩れると、情報の伝達がうまく行われず、妄想などにつながる可能性がある。どの遺伝子がグルタミン酸をコントロールしているかが分かれば画期的な治療法が可能となり、多くの患者を救うことができる。

神経細胞が破壊されたアルツハイマー病の患者の脳には、大量のベータアミロイドという物質が分解されずに残っている。そうした状況を生み出す原因の一つがヒト染色体。19番染色体のアポリポタンパクE.これに関連する遺伝子を持つ人がアルツハイマー病になることがわかってきた。

【脳と遺伝子の研究の合流】
アンドレアセンさんが今、もっとも力を注いでいるのは脳の分野の遺伝子の研究と遺伝子の分野の研究を結ぶ付けること。2003年に人の遺伝子情報の配列を解明するヒトゲノムプロジェクトが完了。3万個から4万個あるといわれる遺伝子地図が明らかになり、遺伝子の研究は飛躍的に進歩した。

MRI,磁気共鳴イメージングという技術で脳のスキャン映像を映し出すことが出来る。ドーナツ型の大きな磁石の中に人体を横たえて、強い磁気を発生させ、体内の様子を観察する。CTスキャンがエックス線を用いることに対し、MRIは磁気を使うため、人体の放射線被爆がない。脳の中の血液の流れや科学物質まで観察できる。現在はブレインマッピングという脳の中の地図を作り上げていく技術と遺伝子研究が合流することによって、問題解決を図ろうとしている。

【脳の柔軟性】
脳は生物学的な現象で心は脳の生物学的な活動によって生み出される。脳は自ら変化し、環境に順応し、常に新たな脳に作り変えていく力がある。こうした脳本来の力にブレインマッピングの持つ力を加えることが出来るのは大きな希望となる。脳には驚くべき柔軟性があり、自ら良く修正することができる。

このことを知れば私たちの生活はよくなっていくだろう。もう一つ重要なのはさまざまな事柄を判断し、人生に責任を負っているのはどこか。私たちは遺伝子に支配された単なる生物で、運命は生まれたときに既に決定されているのか。そうではない。私たちは遺伝子によって決定されているのではなく、常に環境を受け止め変化しているのだと。

【心と脳】
心は脳の活動をあらわしたものといえる。その意味で脳と心は同じもの。心が脳にあるなら、自分というアイデンティティはどこにあるのか。魂はあるのか。個人的には精神というべきものがあると信じている。心の中に高尚なものを求める何かがあると思うから。

【人間の幸福を祈って】
新しい技術は心の病を克服し、21世紀を生きる子供たちの未来に希望をもたらすことが出来るとアンドレアセンさんは考えている。人間の脳が持つ柔軟性を信じているから。もし使い方を誤れば、一部の人間が脳や遺伝子の情報をあやつれるようになる危険性も秘めている。最先端の技術は人類の恩恵であって、脅威であってはならない。人間の幸福を祈って・・・。

人間の身体は脳が引っ張っているといっていたのはTVだったか、新聞だったか。はっきりしないがー。年を取っていくほどに、いつか自分の名前も子供の顔もわからなくなるときが来るのではないか。これは高齢者が誰でも持っている恐怖感ではないだろうか。

アンドレアセンさんの研究は、さまざまな病気に苦しむ患者だけではなく、等しく老いることを運命付けられている人間へのあたたかい励ましのメッセージに聞こえた。人間の脳には限りない能力があり、それによって未来を変えることができるのだと・・・。









集団提訴

2006年12月11日 | Weblog
今朝は細かい雪が降る中、朝のゴミだしへ。9日の新聞に、作家の早乙女勝本さんが、東京都台東区で行われた東京大空襲犠牲者遺族による、国に対する被害の賠償と謝罪を求める「原告団結成の集い」についての1文が寄せられていた。

早乙女さんは1945年3月10日、B29による下町大空襲でようやく一命を取りとめ、「炎の夜」が戦後の原点のような気がして、10万人以上が犠牲になった都民の戦禍を記録する会を呼びかけたのがまだ30代だった、そうだ。

そのときに家族4人を失って、その後米軍機の機銃掃射で右腕を失ったある女性の発言。「私たちを戦争の被害者だと国は認めてくれなかった。切り捨てられたという負い目があったから、ずっとこそこそ生きなきゃならなかったの。このままじゃ死ぬに死ねないのよ。」当時19歳だった彼女も、自らの権利を主張する最後の機会と自覚したのか、会場に姿を見せていた。

戦争の被害については「すべての国民が等しく受忍しなければ・・・」の受忍論が法的にも政府答弁でもまかり通っている。しかし、旧軍人軍属の恩給などは、現在の国家予算でも1兆円近い巨額。それも階級別で支給額に差があるのは、「戦中」かとも錯覚させる。

ところが、民間の空襲犠牲者や傷害を受けた人には何の救済措置もとられていない。人権が尊重される時代に国際的にも異例なことで、明らかな不条理ではないか。また、国家のためなら誰もが「等しく」犠牲になっても当たり前だという考え方は、主権在民の憲法の精神にも反するのではないか。

遺族たちが提訴を決断するには61年という歳月が必要だった。憲法の下での平等を求め、何よりも人権と、人間としての尊厳を守るための一歩を踏み出した。この「異議申し立て」の志に打たれたからこそ、弁護団も北海道から沖縄まで、総勢95人。明日の平和の力とも結び合うと信じたい・・・。

今、北朝鮮の核実験(といってもしっかりした証拠となる映像も写真もないが。)のニュースから、にわかに日本も核を持つかどうか議論すべきとか、憲法改定の前哨戦ともいえる教育基本法改定。愛国心を盛り込み、日本国民の人格的な規定をうたうような動きがある。

実際に被害を受けた方々が、こうして軍人だけでなく、市民が平等に救済措置を求めるというのは大きなことだ。(戦後になってようやく「市民」という意識が芽生えた日本と比べ、何世紀にも渡って市民という存在があるヨーロッパなどから、大きく遅れている気がする。)今朝も中国残留孤児の方々が帰国してから高齢になり、頑張って働こうにも働けず、老後の生活の救済を求めている様子がニュースになっていた。

何ほどの人数の人たちが軍人なのだろうか。ほとんどの日本国民は市民としてその被害に立ち向かわなければならないとしたら、非戦を誓った憲法9条を変えるということは、今は実感がないにしても、大きな代償を払っていくことになると思う。













永遠の別れ

2006年12月08日 | Weblog
映画「アマデウス」を久しぶりに見たら、まるで違う作品のように思えたのには驚いた。画面に流れる音楽をただのBGMではなく、それに聞き入っていた。この半年以上、毎日モーツァルトを聞き、最初は名前を覚えるのに精一杯だったものが、最近では急速に大きな楽しみになってきていた。自分の世界がモーツァルトの音楽によって、確実に進化していることを実感した。

このごろの毎日モーツァルトは最後の段階に入り、あまり一般的ではない作品が放送されている。第190回、最後のプラハ。オペラ「皇帝ティートの慈悲」第2幕。1791年モーツァルト35歳。

ゲストは声楽家の中嶋彰子さん。
これは私のデビューオペラです。シドニーオペラハウスの声楽コンクールに優勝して、やりませんか?ときたオペラ。何か道徳的なものが入っていて「魔笛」みたいなものと随分違う。同じ作曲家が書いたものかと思うぐらい。

セリア(オペラ・セリア。正歌劇。)の中にも、自分の何かがなければ。私はこう思いますってことじゃないんですけど、人間味があるというものを自分で理解しなければ、聞いている方たちに伝わらないというのがある。やはり研究して深みを考えてやらなければいけない。そういう難しいところがあると思います。

レオポルト2世のボヘミア王としての戴冠式を祝うオペラとして「皇帝ティートの慈悲」はウィーンの宮廷詩人メタスタージヨの台本を基に作られた。第2幕「花で愛のかすがいを」。スタボスケー劇場(旧国立劇場)で、1791年9月6日初演された。

皇帝レオポルト2世はじめ多くの貴族が列席した。モーツァルト自らの指揮で初演の幕が開いた。皇妃の座を巡る野望と謀略を描いたこのオペラは寛大な心で首謀者たちを許す皇帝の徳をたたえる物語。ウィーンの宮廷詩人メタスタージョが18世紀前半に書いた古い台本に、台本作者のマッツォラが手を加え、時代の趣味に合うように仕上げた。

先帝の娘ヴィテッリアのアリア。自分が抱いていた野望と邪心への後悔を歌う。”私のこの深い悲しみを知ったなら、みんなはきっと慈悲の心をかけてくれるでしょう。花で愛のかすがいを編もうと、結婚の女神はもう降りてこない。”

モーツァルトが心血を注いだこの作品は、台本に欠陥が多いと受け取られ、初演の評判は芳しくはなかった。しかし、近年、熟達の音楽に光が当り、傑作として評価されるようになった。モーツァルトを大喝采で迎え入れ、モーツァルトを愛したプラハ。オペラ「皇帝ティートの慈悲」の上演を終えての帰途が、モーツァルトとプラハとの永遠の別れとなった。

この作品は聞いたことはないが、以前、ソプラノ歌手でモーツァルトの生涯の友人であるヨゼーファ・ドーシェクの回想記を基にしたチェコ制作の番組があり、その中でいきさつが描かれていたので覚えていた。

1790年モーツァルトの理解者であった皇帝ヨーゼフ2世が亡くなると、レオポルト2世が後を継いだ。戴冠式用のオペラを作曲したが招待客リストには外され、それはモーツァルトが当時宮廷から危険視されていた、フリーメイソンに入っていた事情もあったということだった。

后のマリア・ルイゼが、宮殿に火をつけた首謀者たちを許す場面で「つまらない!」と叫んだことが、このオペラの評価を表していた。ドーシェクと帰る途中にキリスト像があり、そこで馬車と止めると「彼らはぼくをはりつけにするためにプラハに来たのだ」といったというところが今でも印象に残っている。

その頃のモーツァルトは精神的にかなり追い詰められているようで、顔色も悪く、眠ることも出来なくなっていたらしい。交響曲第39番、40番、41番という傑作を生み出しているにもかかわらず、世評に上らないというほど、周囲を取り巻く状況は一変していた。失意のまま、プラハを後にしたというのがつらい晩年を象徴しているようだった。しかし、この苦しい中だからこそ、時を超えても、人々の心にいつまでも残るような音楽が作られたのだろうと思う。

最初はピアノの音がいいと思い、次には交響曲、今では重奏曲というのか、少ない数の弦楽器や管楽器が一緒に作り出す音に魅力を感ずるようになってきた。












あれもこれも

2006年12月03日 | Weblog
昨日は吹雪の中、朝早くから札幌へ。冬の天候になれば行くのは大変になるので、あれもこれもあれもー、などと欲張ってしまう。シアターキノで上映中のケンローチ監督「麦の穂をゆらす風」を見てから、すぐに別の用事を足し、急いで札幌ドームへ行ってコンサドーレ札幌の応援へと、こんな具合だ。

コンサドーレは今季最終節の鳥栖戦。一万5千人弱の観客。最後にしては少ないなあとちょっと淋しい感じ。鳥栖には元コンサのFW新居がいて、ゴールの後には、鳥栖の監督のところへ行って抱きついていた。見ていても複雑な気持ち。

前半積極的に攻撃して決定的チャンスを作りながら何回も外しているうちに、相手に先制点を許すという展開。鳥栖は選手たちが良く動き、パス回しをしても、守備で寄せるにしても、とにかくスピードがコンサを上回っていた。結局、2-0のスコアという敗戦で今季終了となった。

せっかく集まったコンサファンに、もう少しいいところを見せて欲しかったなあ。年配のファンや家族連れで赤ちゃんや小さな子供の姿も見かけたから、尚のこと残念だった。ドームのあの急な階段を上り下りしてもコンサの応援に来たいという、その気持ちに応えるプレーを見せないと。天皇杯の試合で柳下監督の采配も終わりになるし、頑張ってほしい。

「麦の穂をゆらす風」は、イギリスからなんとか独立したいというアイルランドの闘争を描いた映画。実際、イギリス軍が引き上げるという成果と条約が結ばれたが、今度はこれに対する考え方の違いで、かつての仲間が殺し合うという方向へ向うという、重いテーマ。簡単に答えなど見つからない内容だ。

家に帰ってきてからビデオの棚を探して、以前に見たフランスからの独立闘争を描いた「アルジェの戦い」とケン・ローチ監督のスペイン戦線で見殺しにされた者たちの戦いを描いた「大地と自由」を見つけた。とにかくこれをもう一度見てからじゃないと、という気持ち。

コンサの負け試合にがっかりして、帰ってからはすっかり疲れて眠ってしまっているうちに、なんとアーセナルの試合が始まっていた。試合の開始時間を勘違いして、タイマー録画にしていなかったというのが、そもそもの間違いなんだよねえ。途中から分かってあわてて見たら、これが先制点を入れて勝っているー。

まあ、PKで2点もじゃあ、主審からのプレゼントゴールみたいなもんだけど。今までジャッジには不運だったから、勝ってくれたら何でもいいよという心境。この勝利でアーセナルは3位に浮上したそうだ。この試合もアンリはスタンドだったが、当分体調不良で休むことになるらしい。ポルトと対戦するチャンピオンズリーグはどうなるかと今度はそっちが心配。

現在グループ3位で次節はどうしてもブレーメンに勝たなければならないバルセロナも大変だ。リーグ戦はロナウジーニョを温存して、引き分けに持ち込まれたようだ。監督が辞めるとかなんとか、次の監督はだれだとか、ライカールト監督に対しての周囲もおかしい。監督も選手たちもチャンピオンズリーグのグループステージ突破で頭がいっぱいというのは、どこもおんなじ・・・。