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~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(19)

2008年01月31日 | 万葉集
日めくり万葉集(19)では、万葉を代表する歌人、山上憶良の歌。選者は20年にわたる裁判官生活の折に触れて万葉集をひもといてきたという、九州の大分地方裁判所で判事をつとめる浅見宣義(あさみのぶよし)さん。

【歌】
天(あま)ざかる
鄙〈ひな〉に五年(いつとせ)
住(す)まひつつ
都(みやこ)のてぶり
忘(わす)らえにけり

巻の5・880  作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【現代文】
遠い地方に5年も住み続け、都のみやびな振る舞いもすっかり忘れてしまった。万葉を代表する歌人の一人、山上憶良が都から赴任した九州筑前で詠んだ歌。

【選者の言葉】
浅見さんは裁判官というのは職責上、全国に転勤しなければならない中で、時には単身赴任したり、故郷を離れるということで思うことがあるが、万葉集を読んでいると、同じ気持ちを詠っているのがあるじゃないかと。

こんなに世の中紛争が多いのかとびっくりするほど紛争がある。軽いものから、最後は命にかかわるものまで、山のようにあって、扱うものは基本的に人間関係。人間の紛争。

財産をめぐっていろいろ争うとか。その過程で、大事なものを再確認すること。そういうものをきちっと素直に詠っているのはなんなのかと考えると、大事な価値観を詠っているのは万葉集かなということで、特に仕事に就いてから惹かれるようになった。

自分の故郷とか、東京などの大都会以外のところへ行ったとき、裁判官のやりがいということがすごくある。その地域の全事件が来て、自分の知らなかったカルチャーがあり、違う地域の歴史を感じるので、ものすごく勉強になる。

それが日本社会の人間や歴史紛争を見るときのいい視点になるかなと思うので、転勤もマイナスばかりではない。私は3,4年だが(憶良は〉五つとせだから5年?もう早く帰りたいな、という気持ちがすごく出ている。

単に地方にいたから、ちょっとつらいなという気持ちだけではなく、故郷に帰りたいという気持ちがあるんじゃないかという気がする。(おわり)

【壇さんの語り】
万葉の歌人の中でも浅見さんが特に惹かれる歌人の一人が山上億良。社会に目を向け、弱者への愛を詠った歌人。憶良が地方長官に任命され、筑前に来たのは60代後半。

筑前は今の福岡県に当たり、大陸との外交の窓口が大宰府〈だざいふ〉に置かれた重要な地だった。この地で憶良は都では知ることがなかった貧しい人々の暮らしに触れ、人間の苦悩や弱さを見つめる歌を数多く作った。

九州に滞在すること5年。都のふるまいもすっかり忘れてしまったと詠った憶良は、任期を終え、都へ帰ると、一年余りで世を去った。

〈父が生前に、ここへ転勤になった人は二度泣くと言われているという話をしていた。一度目はこんな北の遠いところまで飛ばされたなあという気持ち。二度目は温かい地元の人々の人情に触れて、任期を終えて帰るときには去りがたい気持ちになるということだった。)

☆天(あま)
〈造語〉《本来、【天あめ】より古い形か。【天あめ】の交替形》
☆天(あめ)
〈名〉《交替形に【天あま】がある》
 ①「地」「国」に対して空。天上。②天上の世界。
☆さかる〈離る)
(自ラ四) はなれる。遠ざかる。隔たる。「かる」とも。
(天ざかるで、鄙にかかる枕詞)
☆鄙(ひな)
〈名〉都から遠く離れたところ。地方、田舎
☆てぶり〈手風)
〈名)ならわし、風俗、習慣
              ~岩波書店「古語辞典」~

       













日めくり万葉集(18)

2008年01月30日 | 万葉集
日めくり万葉集〈18〉。選者は画家の安野光雅(あんのみつまさ)さん。以前に、子どものために買った絵本の挿絵があまりにも魅力的で、親のほうが夢中になったことがある。その挿絵を描いた方が安野光雅さんだった。

【歌】
むささびは
木末(こぬれ)求(もと)むと
あしひきの
山の猟師(さつを)に
あひにけるかも

巻の3・267  作者は志貴皇子(しきのみこ)

【現代文】
むささびは梢〈こずえ〉に登ろうとして、山の猟師に見つかってしまったよ。

【選者の言葉】
ムササビが滑空して飛んでいくのを一回しか見ていないが、そのときには空を飛ぶ獣〈けもの〉がいたなんて、とショックだった。そのことが印象にあって、後に万葉の歌を知った。

昔から名前がムササビでずっと同じということが面白かったが、飛ばなきゃわからないものを、飛んだばかりに見つかって、捕まった。殺されたのかどうかわからないが、”あひにけるかも”ということだから、それが一瞬あわれに思えるし、心打つ歌だ。

ムササビが飛んでいって猟師に見つかったとうだけの歌だが、それが57577の歌になると、どうしてこんな風に磨かれていくのかなと。万葉の場合はストレートに自然だけ。ムササビを見たということだけで歌になる。それがかえって私には新鮮な気がする。

もっと出世しようと思って、色々もがくもんだから、こういう失敗をするんだよというたとえに持っていってしまう。そういう解釈は、今の人はやりやすいが、そういう風にしない方がいい。

なんのためにどういう意味があるかというのは、本人が言ってるわけじゃないんだから。やっぱり素直に自然のままに読んだほうがいいと思う。(おわり)

【壇さんの語り】
ムササビは古来から、日本各地で獲物にされてきた。木から木へと滑空する為に、高いところに登るムササビ。その性質を知って、森の中で見つける猟師。天智天皇の皇子(おうじ)、志貴皇子〈しきのみこ〉は、旅先での一こまを詠んだものとも言われている。

この歌は古くから別の解釈もなされてきた。志貴皇子が生きた飛鳥時代から奈良時代のはじめにかけて、朝廷は血なまぐさい権力闘争の舞台になっていた。志貴皇子と同時代を生きた大津皇子〈おおつのみこ〉は、謀反の罪に問われ、処刑されていた。

そんな時代背景が一つの解釈を生んだ。この歌は高い地位を望んで失脚した人々をたとえたもの、という解釈だ。

〈安野さんの絵本は、子どもが大きくなった後にも我が家には何冊か残っています。絵の隅々まで生き生きと描かれて、細密でありながらとても楽しい絵でした。安野さんのオランダ紀行でしたか、ヨーロッパの街並みを描いたカレンダーの絵も飾ってあります。

大津皇子は皇太子、草壁皇子に次ぐ皇位継承者の立場だったらしいが、謀反の罪で処刑される。つづいて689年皇太子の草壁皇子も亡くなった。というわけで、690年、皇后が女帝、持統天皇として即位ということになる。

朝廷のどろどろした権力争いなどといっても、東洋の日本だけではなくて、イギリスの王室なんかも、王様や女王様になるときの争いはひどいものがあるよ。どこも権力争いは血にまみれて目も当てられない。

この持統天皇のときには、太政大臣に抜擢されたのが高市皇子。その後死ぬまでこの位置にいて大変な財産を残したということだ。まあー、こういう激動の時期だったから、但馬皇女と不倫関係になった穂積皇子も、夫である高市皇子の力が相当怖かったんだろうねえ。)



日めくり万葉集(16)

2008年01月29日 | 万葉集
日めくり万葉集〈16〉、選者は作家の林望(はやしのぞむ)さん。林さんは日本文学の研究者から作家になった。恋愛や女性の生き方についても多くのエッセイを書いている。

【歌】
験なき          しるしなき
恋をもするか       こひをもするか
夕されば         ゆふされば
人の手まきて       ひとのてまきて
寝らむ児故に      ねらむこゆゑ(え)に

作者未詳   巻11.2599

【選者の言葉】
この歌は人妻に恋している歌。夫がいて夫の腕枕(うでまくら)に寝ているに対してのもの。これはいくら恋しても無駄なことだが、そういうことを歌に詠むということ自体が、自由な心。

これは詠んでなにもしないでおくわけがない。何かにかこつけてこの女の下へ歌をおくる。これは女にとっては殺し文句。おれはおまえ故に何の効果もない、何の甲斐もない恋ををしている。夕方になれば、おまえは夫の手の中で寝ているというのになあ・・・と。

恋の文字は乞うという意味。恋=乞う。何かを頂戴、物を乞う、心を乞う。相手の心を自分にくださいということ。乞うためには呼ばなきゃいけない。自動的には誰もくれないので、殺し文句を相手に送って、どうぞ、おまえの心を私におくれと乞う。

日本では男がいろんな女のところへ通う。女もいろんな男のもとへ通う。そうすると恋も真剣勝負になる。法律に守られているから大丈夫という世界じゃない。日本的であるのは何かというと、こういう恋に対する自由な心。これがアジアの中で独自なところ。中国でも朝鮮半島でも儒教の影響が強いところでは、こういうことはあり得ない。(おわり)

【壇さんの語り】
〈現代文では〉甲斐もない恋をしたものさ。夕べになると他の男の手枕で寝るに違いないあの子のために。

万葉の時代の恋愛と結婚。そこには妻問婚〈つまどいこん〉という習慣があった。男が好きな女のもとに通い、結婚してもしばらくは夫婦が同居せず、妻の家を夫が訪れた。そのために恋愛も結婚も現在に比べ、はるかに自由なものだった。

〈林さんの恋に対する自由な心、の熱弁に圧倒された感じ。この歌はかなり危ない?内容なので、作者未詳というのがポイントだろうか。週刊誌の見出し風に言えば、万葉の時代はおおらかでW不倫も許された!?

それに近隣の国に比べれば日本の女性はかなり自由があったらしい。現代的な目からすれば、それが社会の成り立ちとどうつながっていたのか。自由があっていいわ~と言った先には何があるのか。そこのところをもうちょっと詳しく聞きたい気がした。)

~験(しるし)について~
・角川書店の【古語辞典】から。
・名詞・「しるす」の連用形名詞
①きざし。前兆。
②霊験。御利益。ききめ。効能。
③それだけの価値。甲斐。















音楽映画「魔笛」

2008年01月27日 | 映画
ケネス・ブラナー監督の音楽映画「魔笛」は映画館で上映していたのを見逃してしまったので、DVDをレンタルしてきたときにはうれしかった。モーツァルトの「魔笛」は、今まで見たTVの音楽番組でもいろいろなところで、現代的な装置や衣装なども使ったりして、幾度も繰り返し上演されてきたものだ。

ケネス・ブラナーは今回は役者としても出ているかと思ったら出番はなく、もっぱら監督業に専念していた。時代を第1次世界大戦のころに設定したということで、平和ということを前面に出したメッセージ性の強いものにしている意欲作だ。

タミーノ〈ジョセフ・カイザー)が、夜の女王〈リューボフ・ペトロヴァ)に頼まれて、父親ザラストロ〈ルネ・パーぺ)のお城にいる、娘のパミーナ〈エイミー・カーソン)を救い出し、魔笛の助けもあって、試練に打ち勝ち最後には結ばれるという愛と冒険のストーリー。これにパパゲーノも同行する。ここでは現実的なものになり、怪竜に襲われるという出だしは、塹壕の中でガスが流れてきて・・・というものになっていた。

そこで夜の女王の侍女たちに助けられるというところも、3人の侍女は従軍看護婦となり、お城へ行ってみると、そこには傷ついた者たちがいる。広い戦場の後ろには際立つように白い色で、世界中の人間の名前が刻まれた大きな墓碑があり、カメラが引くと白いお墓が並ぶ墓地が延々と続くというシーン。これが圧巻だった。

なるほど。ケネス・ブラナーはこれを言いたかったのだと納得した。モーツァルトが亡くなってから何百年も経って、この歌劇を映画化する今日性はここにあるということなのだろう。

戦争を描く場面と対照的に鳥刺しパパゲーノ〈ベン・ディヴィス)が出てくる場面にはCGを豊富に使って、色彩も鮮やかに明るく楽しい。パパゲーナが、パパゲーノを騙すおばあさん役で出て来るシーンでは、本物のおばあさんが出てきたときには、リアル過ぎて?ちょっと仰け反ってしまった。

ただあまりにも映画的になって、そちらに目が奪われて歌に集中出来ないという点もあり、この辺が難しいところかもしれない。夜の女王が率いる邪悪な闇の勢力の軍隊を一掃するために、ザラストロ率いる太陽の光が、軍隊として出てきて打ち負かしてしまう、というやりかたはどうかなあと疑問符。

夜の女王は世界を支配しようとするとか。たとえそうであっても、日本人の目からすると、こういうやりかたでは遺恨が残っていつの日か、また戦争が起こるのではなどと。現代的な目から見れば、子どもを間に挟んで親権を争っている夫婦に見えないこともない。

歌の方はどれも吹き替えではないらしいが、やはりザラストロ演じるルネ・パーぺはその低音部分のバリトンが素晴らしく、これはこの人の当たり役で何度もこの役で見ている。

この映画では衣装が短い上着にズボンだけで、この人は舞台ではいろんなものを身につけたり、化粧したりで登場しているので、もっと重々しさを出す衣装にしたほうが良かったのでは。役者ではないので、素顔で出て来るとちょっと物足りなくなる。

以前に札幌の紀伊国屋まで行って買ってきたイングマール・ベルイマン監督の「魔笛」(DVD)を家捜し!!して見つけ出し、もう一度見てみた。これは1975年の元旦にスウェーデンで全国に向けて放送されたというもので、子どもにも楽しんでもらうためにドイツ語ではなく、スウェーデン語で作られている。

冒頭の序曲には小劇場の座席に座っている観客一人一人の顔のアップが出て来るシーンが続く。これがいろんな人種で、この辺にも世界中の人々、人類全体へのメッセージという意味が込められているようだった。その劇場の舞台で演じられているのが「魔笛」という設定だ。

出て来る動物たちはどれも着ぐるみにしたり、子ども向けを意識した作り方。やたら劇中に愛の大切さを強調する言葉を画面に出したりするのが、どうもお説教調で玉に瑕!!(ベルイマン監督が5回も結婚したのは愛がありすぎた?)

モーツァルトも当時脚本を書いたという大衆劇団を率いていたシカネーダーもともにフリーメイスンに加入していた。この歌劇の中でパミーナを目の前にしながらも開放せず、タミーノが試練に勝たないとダメだと沈黙や水や火の行を出してくるというあたり、フリーメイスンの教義が披露されているらしい。

その秘儀を劇中で明かしたのでモーツァルトはフリーメイスンに殺されたのだろう、という仮説まで飛び出したというのだから、物騒な話なのだ。この映画は何回も見られるようなおだやかな描き方をしている。タミーノもいかにも王子様らしい顔立ち、パミーナ姫も清楚な感じがして、見ていてもしっくりくる。

修業から早々に脱落したパパゲーノにもパパゲーナという愛する女性が現れ、子どもたちに囲まれた未来が最後に登場する。神殿の僧侶たちのように立派な人間ではなくても、幸せに生きていける人生はあるよと。このあたりが、この物語のいいところだ。

どちらの映画にも共通する描写が一つあった。タミーノがパミーナにまだ会う前に、ロケットの中の写真を見せられ一目ぼれするというところ。この写真が動画になっていて、パミーナの姿が動いている。

タミーノやパパゲーノとパミーナ、それに夜の女王など。聞きごたえのある綺麗なメロディのアリアが何曲もある。どちらも原語が理解出来れば、もっと素晴らしさがわかっただろうと思う。












日めくり万葉集(15)

2008年01月26日 | 万葉集
日めくり万葉集(15)。卷16・3874.作者未詳。選者は伝承料理研究家で奈良時代の食文化を研究する奥村彪生(おくむらあやお)さん。

【歌】
射ゆ鹿を       いゆししを
認ぐ川辺へ      つなぐかわへへ
和草の        にこぐさの
身の若かへに     みのわかかへに
さ寝し子らはも    さねしこらはも

【選者の言葉】
この歌は非常にドラマティックでドラマ性を含んでいる。弓で射られた鹿の後を追っていく。川辺の柔らかい草。”にこぐさ”のように私もわかかったころ。追憶の中で歌っているので、歌った方はお年寄りだろうとわかる。

この鹿は小鹿だろう。多分かわいそうだなあと思いながら討っている。傷を負っている鹿が逃げていって、倒れて命を絶えた。ふと見ると春を知らせる若草が生えていた。その若草と小鹿とを引っ掛けて、少年のころか、成人か、いとおしい人と共に若草の上で寝転んで語り合ったころのことを思い出している。

射ゆ鹿というのは男の力を表し、それと共に彼女を射止めたという意味もないことはない。昔の彼女を思い出しながら、今も元気に生きていこうという気持ちも込められていると思う。年は老いても感覚は少年のごとくという、私に元気を与えてくれる歌。

奥村さんはこの番組の中で、当時の鹿肉を使った料理を披露しながら・・・。
鹿の肉は脂肪を含んでいないので、火を通すと締まりすぎる。生で食べるのが一番おいしい。

すべてを水で清めてから調理にかかる。それを美しく切るということも重要。料理というのは、生のものを綺麗に切って、綺麗に器に盛る。というものを料理という。〈日本料理には)その伝統が現在でも受け継がれている。(おわり)

【壇さんの語り】
当時の日本人は秋から冬にかけて鹿や猪(いのしし)の肉を食べたという。生物を食べる日本人の食文化は洗い清める、清らかな水に恵まれていたことから生まれた。

自然に食の知識を身に付けていた万葉の時代。生肉には殺菌効果があるニンニクが添えられる。鹿肉は当時の日本人の貴重なエネルギー源。鹿狩りの思い出は和草と共に、若き日の恋を鮮やかによみがえらせる。

~和草(にこぐさ)について~
角川書店の【古語辞典】によればー。
①生えたばかりのやわらかい草。

〈言葉の中に幾重にも想像力を膨らませる余地がある、一つの言葉がそれだけの意味で終わっていない、というところが古語の素晴らしさだと思う。奥村さんの料理は包丁使いからはじまって、切り口がなんと美しいこと。まさに料理は日本人の文化そのものという感じがした。鹿肉の料理は増えすぎて鹿害に悩まされている農家の方々、鹿肉料理を出しているレストランにも参考になりそう。)










波が引くように

2008年01月06日 | 雑感
子どもたちは3日、4日、5日と波が引くように、また大都会の生活の場へと引き揚げていった。そのあとはバタバタと後始末で大忙し。帰るときにも、帰った後にも、お礼や報告のメールや電話。いつのまにか大人になったものだなあと。

TVのお正月番組は例年見ようと思うものがないが、今年は古代ローマを特集した番組があった(TBS?)。ちょうどWOWOWのほうで年末に「ローマ」という連続番組の一挙放送があり、最後の回では後継者となったオクタヴィアヌスが「第一の市民」になったというところで終わっていた。その内容もそのあとも知りたかった。

そういうタイミングで見たので、社会の構造を図解したりして、見せ方にも工夫が見られ、大変にわかりやすい内容だった。古代ローマ帝国の繁栄には領土拡大に伴い、相手の言語や宗教を柔軟に受け入れるという、寛容の精神による支配の方法を取っていた、ということを訴えたかったようだ。

一神教と多神教を比較して並べたところにも、それを言いたかったということがわかる。アメリカは寛容なんてものではないし、それを考えるとアメリカの超大国という世界支配も、そう長くは続かないのかもしれない。

ユリウス・カエサルというのを英語読みにしたのが、ジュリアス・シーザーということがわかった。ポンペイウス、クラックスと第一次3頭政治。今でいうフランスに当たるガリア、その「ガリア戦記」を書いて、これは元老院への報告書という意味合いがあったらしいが、この戦記によってローマ市民を熱狂させたようだ。

クラックスの没後、政敵ポンペイウスと争ったが、この人物も滅ぼす。ローマに帰って独裁者となるが、議事堂で反対派のブルータスらによって暗殺される。そのときの遺書によって、後継者は姪の息子のオクタヴィアヌスと指名される。わずか18歳か19歳のとき。

実は後に初代皇帝となり、ローマに平和な時代をもたらした、というこの人物に一番興味があった。彼はアントニウスらと第二次3頭政治を行い、カエサルの失敗から学んで出来るだけ、権力が自分に集中しないようにした。アントニウスがエジプトで戦いに敗れた後自殺、その後単独の支配者となるが、そのやり方が実にたくみで驚く。

武勲は親友の武将アグリッパにおまかせという感じで、戦いの才能はないらしかったが、アグリッパが離反するということもなしに乗り切っていくあたり、妥協しながらも周囲の人々をあやつる才能があったのだろう。これこそ平和を実現させるリーダーではないか、と思わせる知性があった。

途中の時間からNHKBSで「風と共に去りぬ」が放送されていたので、こちらも気になった。今までにないほどTVの映像が鮮やかに調整されていて、スカーレット役のビビアン・リーがこの世のものと思われないほど美しい!!なんて綺麗なんだろう!!

21世紀の現代から見れば、スカーレットは今でいう不倫というほどでもないだろうという気もする。戦後の混乱期にいささかあくどい商法で、たくましく実業家になって、高額の税金を払い、家族を背負って乗り切っていく。

そういうキャラクターとは対照的なメラニーが彼女を支えるように、いつも助けに回っては危機を乗り越えていく。この描き方には女の友情が感じられて、この辺はさすがに原作者が女性ということで納得する。

WOWOWの「ローマ」では、女は肉体を武器にするか、呪術で相手を呪うか、さもなくば、優しい妻を演ずるしかないというのは、腹が立つのを通り越してあまりにも悲し過ぎた。戦時に女は非力ということを考えても情けなさ過ぎる描き方。

カエサルを演じた役者も存在感があり、ポンペイウス、ブルータス、オクタヴィアヌス、とそれぞれ適役だったにもかかわらず、この女の描き方は何?というのが最後まで割り切れない。そういうときに映画「風と共に去りぬ」を見たので、原作者の女の目が感じられ、ようやく少し救われた気分になった。





そういえば

2008年01月02日 | 雑感
新年2日の朝には炊飯器をタイマー予約にしていなかったことに気が付いて、あわてて朝早く起床。昨夜は途中までプレミアリーグを見たので、そっちに気を取られていた。冷蔵庫を開けて、そういえば朝食に食べる納豆がないよと、まだ夜が開けきらない薄明かりの中、近くのコンビニへ。

ついでにスポーツ紙を買おうと思ったら、2日の新聞を置いていない。そういえば今日は新聞の休刊日だったと思い出した。しょうがないからアイスと納豆だけをぶら下げて、まだふわりとやわらかい新雪を踏みながら帰ってきた。

帰りにはこの春、つる薔薇を分けてくれたご近所の方の庭を見るためにちょっと寄り道。雪が少ないので薔薇の株が雪の下にならず、かえって凍害になるのではと心配になっていたからだ。

ところが行って見ると、ネットも巻かず、つる薔薇の枝も葉もむきだしのまま。なるほど、過保護にしないのがいいのか、と妙に納得。これで株が生き残るのなら、この方が手間がかからずにいい。

今日のこれからは、毎年のことなのに飽きずに?動物園に行くというコース。冬にはペンギンのお散歩タイムがあるのでそれがお目当てらしい。車に全員は乗っからないので、どうしようかと思案中。

昨日の天皇杯には参ったなあ。コンサの開幕戦はこういう勝負強いチーム、しかもかつての強さを取り戻し、2冠も獲得した鹿島アントラーズと当たるからだ。三浦監督はデータを重要視するということだから、どこか無理やり穴を見つけて、攻略法を考えてくれることを・・・。

そろそろ試合があるかとバルサの公式サイトを読んでみたら、カタルーニャ選抜とバスク選抜の試合という内容が載っていた。ゴヤの絵は好きだし、ガウディの建造物でおなじみという感覚でも、詳しい地方色まではわからない。カタルーニャとバスクは違うのか?と、もう一度スペインの地図を見てみよう。

こうして書いているうちに、みんな起きてくる時間になったので・・・。











明けましておめでとうございます

2008年01月01日 | 雑感
明けましておめでとうございます。大晦日、新年の朝と時間に追われ、なにやら忙しく料理を出すと、年末年始の一大イベントが終わったという感じになる。役目を果たしたので、ここでようやく一息ついてホッとする。

そのあとは写真を撮ったり、年賀状を見たりしているうちにボーっと時間が過ぎそうだ。子どもに「ブログっていったってさあ、日記でしょ?毎日書くには大変だよ」

なんて言われるが、まあー、毎日書こうなんて肩肘を張ると大体は続かなくなるので、「書けるときに書く。書けないときには次に書くときのために用意をする。」というくらいで丁度いい。それでなんとか続いてきたのだからこのペースがあっているのだろう。

このあと松の内明けごろから歯医者通いが待っている。年末に歯医者に駆け込むのは嫌だと思って、しばらく飲まないでいた。医学的にお酒も薬物に当たるのだそうだ。週末にちょっとだけ飲むという楽しみより、これ以上歯を失ったら大変という恐怖感のほうが強かった、ということかなあ。

そういえば午後には天皇杯の決勝がある。コンサもいよいよJ1で戦うんだなあという実感が沸いてきそうだ。新年のお願い事はなんとかコンサJ1残留を!!・・・が一番目ですかねえ。今年もよろしくお願いします。