日めくり万葉集(39)は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の歌。選者は日本の服飾の歴史を古代まで遡って研究している歴史学者の武田佐知子さん。
【歌】
住吉(すみのえ)の
波豆麻(はづま)の君(きみ)が
馬乗衣(うまのりごろも)
さひづらふ
漢女(あやめ)を据(す)ゑ(え)て
縫(ぬ)へる衣(ころも)ぞ
巻7・1273 柿本人麻呂歌集より
【訳】
住吉の波豆麻のあの方の乗馬服はね、大陸から渡来した女性を雇って縫わせた服なんですよ。
【選者の言葉】
当時の人の気持ちになって考えてみたら、たとえばフランスの新しいコレクションを見ているような、そんな気分で受け止めたのではないだろうか。住吉というのは渡来人たちがたくさん来ていた場所。
馬乗衣というのも、乗馬用のズボンのことを指していたのだろう。日本は乗馬の風習が入ってきたのが遅く、最先端のファッション日本人の手では縫えない。今なら、“青い目のテーラー”なんかで作っているような、それの古代バージョンだという気がする。
おそらく当時の乗馬服は、埴輪の男子の全身像のダブダブズボンの部分。膝のところで足結(あゆい)という紐でくくる、単衣大袴(たんいおおばかま)といったファッションだったのではないかと思う。
馬にまたがって馬の腹を足で締め付けて走らなければならないので、内股が馬の肌とすれて傷つくので、ズボンというのは不可欠のファッションだった。多分、うらやましいなあ、かも知れないし、進んでいるハイファッションを見て、あー、ここまで世の中進んで来てるんだという感じだったのかもしれない。
【檀さんの語り】
一般庶民の服は簡単なもので、裁縫の技術をほとんど必要としなかった。そのため乗馬服を作る技術は渡来人に頼らなければならなかった。さひづらふ漢女(あやめ)とは、鳥がさえずるような耳慣れない言葉を話す外国人という意味。そうした職人を雇う財力のあるものだけが、乗馬服を身につけることが出来た。
(乗馬服は女性がズボンを穿くようになる“きっかけ”だったというのは、ヨーロッパのほうでも確か同じだったのではないかと記憶している。記憶違いでなければ・・・。スカートから開放される歴史は、女性の現在への歩みと同じ時を刻んでいるのではないかという気がする。
長い裾のある着物やコルセットにがんじがらめのスカートではなんといっても、走って逃げることは出来ない。花魁(おいらん)が高下駄を穿き、引きずるような着物を来ていたのは、その格好では逃げられないという一番の理由になる。
女性が登場してくると愛や恋に関連したことばかり。このところちょっと、息が詰まるような気分になっていた。それも確かに人生には必要だが、今は女性の日常も、そんなことばかり考えて生きているわけではない。女性の武田さんの解説は、愛や恋抜き?でほっとした。)
【調べもの】
○住吉(すみのえ)
「すみよし」の古称。
○さひづらふ【枕】
【囀(さえず)る】の未然形+反復・継続の助動詞「ふ」
“さひづるや”とで同意で、【漢(あや)(=外国人)】にかかる。
【歌】
住吉(すみのえ)の
波豆麻(はづま)の君(きみ)が
馬乗衣(うまのりごろも)
さひづらふ
漢女(あやめ)を据(す)ゑ(え)て
縫(ぬ)へる衣(ころも)ぞ
巻7・1273 柿本人麻呂歌集より
【訳】
住吉の波豆麻のあの方の乗馬服はね、大陸から渡来した女性を雇って縫わせた服なんですよ。
【選者の言葉】
当時の人の気持ちになって考えてみたら、たとえばフランスの新しいコレクションを見ているような、そんな気分で受け止めたのではないだろうか。住吉というのは渡来人たちがたくさん来ていた場所。
馬乗衣というのも、乗馬用のズボンのことを指していたのだろう。日本は乗馬の風習が入ってきたのが遅く、最先端のファッション日本人の手では縫えない。今なら、“青い目のテーラー”なんかで作っているような、それの古代バージョンだという気がする。
おそらく当時の乗馬服は、埴輪の男子の全身像のダブダブズボンの部分。膝のところで足結(あゆい)という紐でくくる、単衣大袴(たんいおおばかま)といったファッションだったのではないかと思う。
馬にまたがって馬の腹を足で締め付けて走らなければならないので、内股が馬の肌とすれて傷つくので、ズボンというのは不可欠のファッションだった。多分、うらやましいなあ、かも知れないし、進んでいるハイファッションを見て、あー、ここまで世の中進んで来てるんだという感じだったのかもしれない。
【檀さんの語り】
一般庶民の服は簡単なもので、裁縫の技術をほとんど必要としなかった。そのため乗馬服を作る技術は渡来人に頼らなければならなかった。さひづらふ漢女(あやめ)とは、鳥がさえずるような耳慣れない言葉を話す外国人という意味。そうした職人を雇う財力のあるものだけが、乗馬服を身につけることが出来た。
(乗馬服は女性がズボンを穿くようになる“きっかけ”だったというのは、ヨーロッパのほうでも確か同じだったのではないかと記憶している。記憶違いでなければ・・・。スカートから開放される歴史は、女性の現在への歩みと同じ時を刻んでいるのではないかという気がする。
長い裾のある着物やコルセットにがんじがらめのスカートではなんといっても、走って逃げることは出来ない。花魁(おいらん)が高下駄を穿き、引きずるような着物を来ていたのは、その格好では逃げられないという一番の理由になる。
女性が登場してくると愛や恋に関連したことばかり。このところちょっと、息が詰まるような気分になっていた。それも確かに人生には必要だが、今は女性の日常も、そんなことばかり考えて生きているわけではない。女性の武田さんの解説は、愛や恋抜き?でほっとした。)
【調べもの】
○住吉(すみのえ)
「すみよし」の古称。
○さひづらふ【枕】
【囀(さえず)る】の未然形+反復・継続の助動詞「ふ」
“さひづるや”とで同意で、【漢(あや)(=外国人)】にかかる。