FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(39)

2008年02月28日 | 万葉集
日めくり万葉集(39)は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の歌。選者は日本の服飾の歴史を古代まで遡って研究している歴史学者の武田佐知子さん。

【歌】
住吉(すみのえ)の
波豆麻(はづま)の君(きみ)が
馬乗衣(うまのりごろも)
さひづらふ
漢女(あやめ)を据(す)ゑ(え)て
縫(ぬ)へる衣(ころも)ぞ

巻7・1273   柿本人麻呂歌集より

【訳】
住吉の波豆麻のあの方の乗馬服はね、大陸から渡来した女性を雇って縫わせた服なんですよ。

【選者の言葉】
当時の人の気持ちになって考えてみたら、たとえばフランスの新しいコレクションを見ているような、そんな気分で受け止めたのではないだろうか。住吉というのは渡来人たちがたくさん来ていた場所。

馬乗衣というのも、乗馬用のズボンのことを指していたのだろう。日本は乗馬の風習が入ってきたのが遅く、最先端のファッション日本人の手では縫えない。今なら、“青い目のテーラー”なんかで作っているような、それの古代バージョンだという気がする。

おそらく当時の乗馬服は、埴輪の男子の全身像のダブダブズボンの部分。膝のところで足結(あゆい)という紐でくくる、単衣大袴(たんいおおばかま)といったファッションだったのではないかと思う。

馬にまたがって馬の腹を足で締め付けて走らなければならないので、内股が馬の肌とすれて傷つくので、ズボンというのは不可欠のファッションだった。多分、うらやましいなあ、かも知れないし、進んでいるハイファッションを見て、あー、ここまで世の中進んで来てるんだという感じだったのかもしれない。

【檀さんの語り】
一般庶民の服は簡単なもので、裁縫の技術をほとんど必要としなかった。そのため乗馬服を作る技術は渡来人に頼らなければならなかった。さひづらふ漢女(あやめ)とは、鳥がさえずるような耳慣れない言葉を話す外国人という意味。そうした職人を雇う財力のあるものだけが、乗馬服を身につけることが出来た。

(乗馬服は女性がズボンを穿くようになる“きっかけ”だったというのは、ヨーロッパのほうでも確か同じだったのではないかと記憶している。記憶違いでなければ・・・。スカートから開放される歴史は、女性の現在への歩みと同じ時を刻んでいるのではないかという気がする。

長い裾のある着物やコルセットにがんじがらめのスカートではなんといっても、走って逃げることは出来ない。花魁(おいらん)が高下駄を穿き、引きずるような着物を来ていたのは、その格好では逃げられないという一番の理由になる。

女性が登場してくると愛や恋に関連したことばかり。このところちょっと、息が詰まるような気分になっていた。それも確かに人生には必要だが、今は女性の日常も、そんなことばかり考えて生きているわけではない。女性の武田さんの解説は、愛や恋抜き?でほっとした。)

【調べもの】
○住吉(すみのえ)
「すみよし」の古称。
○さひづらふ【枕】
【囀(さえず)る】の未然形+反復・継続の助動詞「ふ」
“さひづるや”とで同意で、【漢(あや)(=外国人)】にかかる。









日めくり万葉集(37)

2008年02月27日 | 万葉集
日めくり万葉集(37)は、山部赤人(やまべのあかひと)が雪の富士山を詠んだ歌。選者は富士山の絵を400点近く描いてきたという絹谷幸二(きぬたにこうじ)さん。

【訳】
田子の浦を通り、眺めの良いところに出てみると、まっ白に富士の高嶺に雪が降り積っている。

【選者の言葉】
純粋なまっ白な雪。手付かずのというのか。これから人間の少ない世界へ出て行く。(それを前にした)高潔な決意が感じられる歌。奈良の人々も新天地を求めて、富士山の裾野(すその)を通って、関東や東北の方にも出て行った。

わたしも高校を出てから東京へ行ったが、東海道の、当時は煙を吐く汽車に乗って富士山の前を通って東京へ行った。戦後、日本が戦争に負けて、大人たちも(復興へ向けて)頑張らなければいけない。日本をもう一度立て直さなければいけない。という思いの中で東京へ東京へと出て行った。

その中で富士山がどんな戦争になっても、どんなつらいことがあっても、大和の当時から、その姿が変わらない。振り向いてみれば思いがけない美しい山が後ろにある。風も吹き、波も立っている。そういう姿というのは、わたしが今、生きているということを、実感させてくれる瞬間だったのではないだろうか。

富士の高嶺(たかね)に雪は降っている。雪の降っているところは冬だが、自分が見ている場所は、多分、秋ごろだったり、春先だったり。そういう広い時間の経緯、それに大和びとは感動しているのだと思う。

【檀さんの語り】
この歌の作者、山部赤人(やまべのあかひと)は宮廷に仕える役人だった。任務で東北へ赴いた際、実際に富士山を目にしてこの歌を詠んだと考えられている。それまで伝説や伝聞でしか富士山を知らなかった都の人々に、赤人は歌で雪を頂いた美しい富士山の姿を、鮮明に伝えた。

(振り向くとくっきりとそびえる富士山の姿が見え、それは想像していたのより、実際に見てみると、はるかに大きい山であった。しかも、富士山にはまだ融けていない雪が頂上にある。人間社会を見下ろし、それを超越したような、ゆっくりした時間の流れ。それに驚き、感動した様子が伝わってくる歌。

選者の絹谷さんの話の中では、敗戦後の大人たちはいわば生き残った人々。彼らには、死者に対する使命感みたいなものがあったのではないだろうか。それに加えて、今と違って、ものがない貧しい時代。

しかしその時代に教育を受けた子どもたちには、大人たちの自分たちに未来を託した思いというものが伝わってきていた。古びた木の椅子に机。ゴムの長靴を入れる靴箱もなく、母親が作ってくれた手作りの靴袋を教室の机の側につるして授業を受けた時代。

そんな時代ではあったが、教室の授業には教師たちの熱気が溢れていた。しばしば授業を脱線しては、いろんな話をしていた。そのほうが通り一遍の授業よりはるかに面白かった。

もう他界した父は後になって、勉強しているわが子たちの姿に励まされて、よし、もうひとつ頑張ろうという気になったといっていた。その時代にはTVもなく、個室もない時代。なにをするにも、一つの食卓に集まっていた。大人たちは子どもたちに励まされて、あの時代を生き抜いたのだ。)

【調べもの】
○大和・倭
(【山処(やまと)】の意か)
①旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。はじめ【倭】と書いたが、元明天皇のとき、国名に2字を用いることが定められ、【倭】に通じる【和】に【大】の字を冠して【大和】とし、また【大倭】とも書いた。











擁護者

2008年02月22日 | 雑感
本棚や段ボール箱をゴソゴソと整理していたら、古い新聞記事のスクラップを何の気なしに読み出し、これがなかなか面白くて止められない。朝日新聞、平成10年7月14日という、相当古い日付。作家島田荘司氏の一語一会というコラムから。

この間もモーツァルトの映画【アマデウス】がTV放送されていた。天才アマデウスを凡庸なるものの代表者、サリエリの視点から描いた映画。禁欲的な生活を貫き、懸命に努力するサリエリから見れば、モーツァルトは鼻持ちならない若者だ。

最初の出会いからして、妻コンスタンツェと廊下を走っていく、床に転げまわってイチャイチャふざける、誰だこんなやつ?と思っていたら、遅れて指揮をしにきたのがその人間。彼がモーツァルトだったという具合。

おまけに皇帝の目の前で、サリエリの曲をこうしたほうがもっと良くなる、なんていって、ピアノを弾きながら「モーツァルト風」にあっさり即興で直してしまう。サリエリの面目丸つぶれだ。

ところが、映画ではコンスタンツェが仕事を頼みに、サリエリのところへモーツァルトの書いたオリジナルの楽譜を持ってくる。それを見たサリエリは顔色がさあーっと変わる。一切直したところがない清書したような譜面だったからだ。

ということで、映画ではサリエリが最後に「わたしはすべての凡庸なるもののチャンピオンなのだ」といっている、そうだ。そうだというのはそこまで確信はないが、島田氏が書いているということで・・・。

このコラムでは、実はチャンピオンという意味について、大事なことを言っている。「過去チャンピオンという語は、ただ競争を勝ち抜いたナンバー・ワンという意味で、輸入されたが、これにはもう一つ別の意味があって、実はこちらこそ重大な意味がある。それは『擁護者』という意味だ。」

「多くのライバルとの競争に勝利し続け、ついに彼らのすべてを眼下に見る立場に立ったとき、彼又は彼女には、そのジャンルを擁護し、育てる義務が発生する。欧州での長い歴史のある地点で、名もない誠意者が、未来へ向けてそういう真理を含ませてこれを送り出した。」

「サリエリは、精神病院で没する直前、自分がすべての凡庸なるものの擁護者であった使命を悟ったのだ。そしてこの言葉を吐いた瞬間、凡庸なる彼は、『アマデウス』の主役に躍り出た。」(終わり)

“そのジャンルを擁護し、育てる義務が発生する”というのは、別に音楽の世界でなくても通じる話だ。今、サッカーではアジアでも大会があり、ヨーロッパではクラブのチャンピオンの戦いが繰り広げられている。

トップに立つということは、ただ守るだけではなく、それを育て、未来への道も指し示さねばならない。なるほど、その国やクラブが未来への道標を用意しているのかどうか。それがチャンピオンのカップを手にする資格なのかもしれない。













日めくり万葉集(34)

2008年02月22日 | 万葉集
日めくり万葉集(34)は作者未詳の歌。万葉時代にもこんな楽しい歌があったのかと思わせる、名もない庶民の喜びが溢れている歌。選者は発酵(はっこう)学者の小泉武夫さん。巻8・1657.

【訳】
今日のような宴(うたげ)には役所でもお許しになっている。今夜だけ飲もうと思っている酒なのかい。花のあるうちはこうして集まれるよ。だから梅の花よ、散ってくれるなよ、ゆめゆめ。

【選者の言葉】
さあー、お上から許しを得たから堂々と飲もうじゃないか。という喜びがこの歌にはある。奈良時代には禁酒令がいっぱいあった。だから酒は自由に飲めない。群飲(ぐんいん)といって、連なってお酒を飲むということがダメだった。群れて飲むと乱れたり、殴り合いなんてことになったのではないか。

もう一つは主食の米を原料にしているので、お酒ばかり造っていたのでは大変なことになる。禁酒令は出せば破られる。だからまた出すということの繰り返し。一方では隠れて飲むというスリルもあった。

場合によっては隠れて【どぶろく】を作ったりして、お上に捕まったりするものもいただろう。そういう者がいるからこそ、お上の許しが出たから今日はいくらでも飲んでいいぞという歌があるのだろう。

逆に言えば、お酒は今のように自動販売機でいつでも手に入るということがなかったので、(万葉の時代には)「あこがれ」でもあった。

【檀さんの語り】
お酒をこよなく愛する発酵学者の小泉武夫さん。古今東西の食文化をエネルギッシュに訪ね歩き、その奥深さを伝え続けている。親族が内輪で飲むときは別として、大勢が集まって酒を飲むことを禁じたのは、謀反の相談を恐れて出された禁酒令ということもあった。

梅は古代に中国から日本に伝えられた。花見の宴を開いた上流の人々は、杯(さかずき)に梅の花を浮かべ、歌を詠み、風流な宴を楽しんだ。

(万葉の時代はまだ稲作の生産性も低く、それがお酒になるというのは大変にぜいたくなことだったのだろう。それを今日はおおっぴらに飲めるよと大喜びするという、庶民のささやかな日々の喜びが伝わって来る歌。読んでいるほうも良かったねえと相槌を打ちたくなる。

生産性が飛躍的に上がったといっても、日本のようにほとんどの食べ物を輸入している国は何かあると、国中に不安が渦巻く。このごろは餃子を自分で作ろうと、ひき肉や餃子の皮が売れているそうだ。あまりにも簡単に食べ物が手に入って、それがどんなにいろんな過程を経て、目の前に並んでいるのか、人々が忘れてしまった。この歌を読むと、食べ物のありがたさが身にしみる。)

【調べもの】
○どぶろく(濁酒)
滓(かす)を漉し取らない日本酒。濁りざけ。もろみざけ。だくしゅ。しろうま。










大きな違い・その2

2008年02月22日 | 雑感
昨日の朝日新聞には、元毎日新聞記者、西山太吉氏(76)の控訴審判決の記事が載っていた。1971年の沖返還協定における密約報道を巡り、名誉を傷つけられたとして、国に損害賠償を求めた控訴審判決が、20日に東京高裁であった。

東京高裁、大坪丘裁判長は、西山氏敗訴の一審・東京地裁判決を支持し、同氏の控訴を棄却した。西山氏は上告する方針。判決は一審と同じく、民事上の請求権が不法行為から20年で失われる「除斥(じょせき)期間を適用。密約の存在については、審理の対象にしなかった。

「密約」は日本の政府側が否定してきたにもかかわらず、米国側が支払うべき補償費を日本政府が肩代わりすることを前提とした内容の米国の「公文書」の存在が00年と02年に明らかになった。

また06年には、外務省の元アメリカ局長が一転して、存在を認める発言をしている。控訴審では西山氏は元局長の証人尋問を求めたが、東京高裁は棄却した。

「国は組織をあげて、密約はなかったと偽証している。その密約の存否について、いまの裁判所が判断を示すなんて出来やしないと思っていたが、案の定、その通りだった」と西山氏。

「密約はあった」という元外務省アメリカ局長の吉野文六氏への尋問申請も却下した。「こんなことが堂々とまかり通る。日本は法治国家の基礎を消失しているということです。」と西山氏の怒りは続く。

1971年沖縄返還協定において、米側負担とされた軍用地の原状回復補償費4百万ドルを日本側が肩代わりする密約があったのではないかと調印直後、毎日新聞記者だった西山氏が記事で指摘。

当時はその証拠となる極秘資料を外務省の女性職員から入手したということでスキャンダルになり、肝心の西山氏の国家犯罪を暴く重要な内容の報道は脇へ追いやられ、スキャンダルの主役として潰された。

同じころ、アメリカではウォーターゲート事件を新聞記者の調査報道から、暴かれることになり、ついにニクソン辞任まで追い込んだという経緯があり、日米のあまりの違いが浮かび上がる。

今も、毎日のように沖縄を巡る報道があり、米兵の女子中学生に対する暴行事件に端を発する、「日米地位協定」の見直し論議にまで及んでいる。ついこの間の基地移転問題のアメとムチによる地方選挙の模様など。戦後60年以上経っても、日本はアメリカから独立している国家なのか、と疑問符が付く日米関係が依然として続いている。

尚、「大きな違い」は、2007年3月29日の日付で、当時、東京地裁の判決が出たときのことを書いてあります。




















日めくり万葉集(31)

2008年02月19日 | 万葉集
日めくり万葉集(31)は、大宰府(だざいふ)では山上憶良とも交流があったという、大伴旅人(おおとものたびと)の歌。選者は作家のリービ英雄さん。巻5・822

【訳】
わたしの園に、梅の花が散る。天から雪が流れてくるのだろう。

【選者の言葉】
読めば読むほど不思議な歌。他の歌は川とか山とか、確実な風景を詠むが、この歌は庭にいる人間が自分の主観、見る人の問題になる。これなのか、あれなのか、こう見えるけどあれかも・・・。

多分、それまでの万葉集には、自然はもっと確実な、客観的なものだった。ま白にそ富士の高嶺に雪は降りける(山部赤人の歌から)。とにかく降っていたと言っているが、ここに来ると、非常に不思議な日本語が歌の中で登場する。

日本語として不思議な【かも】。これは英訳することがすごく難しい。maybeとかprobablyとか、isit?というはっきりしたquestion、質問になる。日本語はquestionではないかもしれない。ただ【かも】といっているだけ。この【かも】の感覚が1300年、まだ日本語の中に生きているのではないだろうか。

実はこの間中国を旅していてある中国人と話をしていたとき、アメリカに行って、アメリカ人と話をしていると、yesかno、こうであるということをはっきり言うから、すごく話しやすい。ところが日本に来ると、こうかもしれないけど、ああかもしれない。という話になり、日本人と話するとくたびれちゃう。

それを聞いていて、日本語の発想の特徴はmaybeだと。これは弱さじゃなくて一つの力ではないかと思う。この歌も見事に【かも】。梅か雪かもはっきり言えない。100%言えない。戸惑い、迷い、わからない。見ているけどわからない。見れば見るほどわからなくなる。それが一つの見事な文学。そのような感覚は既に奈良時代のこのような表現にあった。

【檀さんの語り】
730年、大宰府の長官だった大伴旅人(おおとものたびと)の官邸で、梅の花を愛(め)でて、歌を詠む宴が開かれた。その宴で主催者の旅人が詠んだ歌。リービさんはアメリカ、中国、日本を行き来しながら執筆を続けている。

(万葉集も毎日ではなく選んで書くことにしよう、と考え始めていた。この歌そのものは訳にすると短いものになるが、リービさんの比較文化のような話が付くと、立派に講義の形になる。それで書く気になった。

さらにこの歌の中には雪があった。雪が出てくるだけでうれしい。厳しい寒さの中で暮らしているものとしては、とにかくこの寒さを乗り越えて生き延びることが第一。愛やら恋やらはもっとあたたかくなってから、というのが実感だ。)

【調べもの】
○大伴旅人(おおとものたびと)
奈良時代の歌人。安麻呂の子。家持の父。大宰府師(だざいのそつ)として筑紫へ下り、山上憶良と交わり、大納言となり、帰京、翌年没。歌は万葉集に多く見え、文人的な風流の作が多い。(665~731)。

○大宰府(だざいふ)
律令制で、筑前国筑紫郡に置かれた役所の名。九州および、壱岐・対馬の2島を管轄した。福岡県太宰府市にその遺跡がある。

○ひさかたの(久方の・久堅の)
【枕詞】
①天(あめ)、天(あま)、空(そら)にかかる
②転じて、天空に関係ある「月」「日」「昼」「雨」「雪」「霞」「星」「光」または「夜」にかかる。













日めくり万葉集(30)

2008年02月19日 | 万葉集
日めくり万葉集(30)は作者未詳の旅の歌。選者は若いころから民芸を求めて海外や日本各地を旅してきた女優の浜美枝さん。

【歌】
足柄(あしがら)の
箱根(はこね)飛(と)び越(こ)え
行(ゆ)く鶴(たづ)の
ともしき見れば
大和(やまと)し思(おも)ほゆ

巻7・1175   作者未詳

【訳】
足柄の箱根の山を飛び越えていく鶴のうらやましい姿を見ると、故郷の大和が思われることだ。越えるに越えがたい箱根の山を眺めながら、都の旅人が詠んだ望郷の歌。

【選者の言葉】
もう鶴を見ることは出来ないが、毎日見ている空を、作者も見ているかなと思うと何か、つながっている気がする。旅が大好きで、17歳でヨーロッパ一人旅をして以来、ずっと旅を続けている。万葉の人々がどんなに大変だったか。命がけの旅だったのではないか。鶴になって一飛び越えられたらという気持ちはよくわかる。(人々が)神や自然に対する恐れというものを(このごろは)見失いかけているのではないか。

この歌では、鶴は反対方向の東北へ下っていたと思う。大和し思ほゆという言葉から見て、この人は役人として位の高い人ではなく、それについていった人ではないか。故郷に残してきた家族か、恋人か、そういう人を思って旅をしてるんだなあと感ずる素晴らしい歌。

【檀さんの語り】
箱根にある浜美枝さんの家は、北陸や山陰の旅で出合った古い農家を譲り受け。移築したもの。険しいことで知られる箱根の山は、万葉時代、山を迂回する足柄峠があった。その一部は足柄古道(あしがらこどう)として、今も残っている。

当時の人々は足柄峠には「荒(あら)ぶる神」が住むと、この峠を越えることを大変に恐れた。万葉集には足柄、箱根の歌が17首納められているが、これは足柄峠にいる恐ろしい神を詠んだ歌。【足柄のみ坂恐(かしこ)み】
また足柄の峠で行き倒れになって死んだ人を悼む長歌も残されている。

鶴を見て望郷の思いにかられていることから、鶴が都のほうへ飛んでいったことがわかる。ではこの歌はどこへ向かって旅をしたのか。東北へか、それとも任務を終えて、都へ帰る途中だったのか。

(万葉集にはみやびな生活をしている人々ばかりではなく、こうした名もない人々の歌もたくさん収められているというところに、価値がある気がする。毎日見ている空を千年以上昔の万葉の人も見ている、その作者とのつながりを感ずるという浜さんのお話。周囲はヨーロッパの景色に近い感じがする山々や自然の姿。なるほどそうか、それが感覚的なものにも影響しているのかもしれないなあと・・・。)

【調べもの】
○ともし(乏し・羨し)
(一説には「とも」は【稀】の意が原義とも)
量的、質的に不十分・不満足である。
①少ない、ものたりない
②貧しい
③(珍しくて)飽きない
④うらやましい






日めくり万葉集(29)

2008年02月18日 | 万葉集
日めくり万葉集(29)は,紀少鹿女郎の歌。選者は古典文学の日本を代表する研究者、奈良県立万葉文化館館長の中西進さん。

【歌】
ひさかたの
月夜(つくよ)を清(きよ)み
梅(うめ)の花(はな)
心(こころ)開(ひら)けて
我(あ)が思(おも)へる君(きみ)

巻8・1661  作者は紀少鹿女郎(きのおしかのいらつめ)

【訳】
空遠くまで輝く月夜が清らかなので、夜開く梅の花のように、心も晴れ晴れと、わたしがお慕いするあなたよ。

【選者の言葉】
万葉集は4516首ある。その中の10首を選べといわれれば、それにはいるほどの素晴らしい歌。梅の中が月光の中に開花する。そのことだけでも素晴らしいイメージがある。それを比喩とする恋の心はどんなものか。

そのようにわたしはあなたの心をお慕いしているという歌。これは近代の詩人として提供してもおかしくないほどの、近代性を持っている。梅の花がどうして開くのか。月光が清らかだから開く。そん なことを言った詩人や歌人は、世界でいるのだろうか。

実はこの人は人妻。夫は安貴王(あきのおおきみ)という人。清潔感のある清らかなたたずまい、溢れるような教養を持った人が、人間のレベルで美しい貴公子の家持に恋をする。

【夜来香(イエライシャン)】などという、夜開く花もあるが、梅の花が開くかどうかはわからない。静かに人目につかず花を咲かせていることと、人妻のひそかな名門の貴公子への恋心とよく合うのでは。(おわり)

【檀さんの語り】
春を待たずに咲き始めた梅の花に託して、恋の思いを詠んだのは、人生経験を積み、大人の恋を知る紀少鹿女郎(きのおしかのいらつめ)。ウイットに富んだ歌を12首、万葉集に残している。歌でわたしがお慕いしたあなたと呼びかけた相手は、年下の恋人、大伴家持(おおとものやかもち)だといわれている。

(訳がないとわからないので、すーっと感情移入するのは難しい。この歌は月光に照らされた梅の花が、カラー写真のように目の前に広がっていく。現代の人間にも理解しやすい。万葉時代の人妻の恋などということになると、結婚のありかたがちょっと想像を超えるものがあり、現代人が考える自由とは違う気がするなあ。)

【調べもの】
○紀少鹿女郎(きのおしかのいらつめ)
安貴王(あきのおおきみ)の妻。養老末年ごろ(724年ごろ)、夫は因幡八上采女(いなばのやかみのうねめ)という人妻と、密通事件を起こした罪で不敬罪になり、官職を追われ、都を追放された。

その後夫と離別する際に「怨恨歌」(巻4)を残している。天平12年(740年)、恭仁京遷都前後、家持と歌を贈答。遷都語、早い時期に、新京に仮住いを建てていることが知られ、女官だったと推測される。

○安貴王(あきのおおきみ)
天智天皇の末裔で、志貴皇子の孫とも言われている。













映画【眺めのいい部屋】

2008年02月17日 | 映画
1986年/117分/イギリス/ジェイムズ・アイヴォリー監督。アカデミー賞授賞式が迫り、NHKBSで過去の受賞作を放送しているが、これはその中の1本。何回も見ている大好きな映画。時の流れと共に、自分の中の見る目も変わっているのかなと。

20世紀初頭の時代に、上流階級の若い女性ルーシー・ハニーチャーチ(へレム・ボナム・カーター〉は、年上のシャーロット〈マギー・スミス〉に付き添われて、フィレンツェへ旅をする。ペンションでは眺めのいい部屋という注文だったのに、着いて部屋に行くと、中庭に面した部屋。アルノ川が見える部屋ではない。

食事時にその話を聞いたエマソン氏(デンホルム・エリオット)と息子ジョージ(ジュリアン・サンズ)は部屋の交換を申し出るが、ぶしつけで無作法と怒るシャーロットに、偶然同じ教区のビーブ牧師(サイモン・カロウ)も居合わせ、仲介役をしてくれて、部屋は交換された。

ルーシーが一人街に出て、美術を見るため名所を訪ねていくと、そこにはエマソン氏。ジョージとも出会う。そのあとに行った広場ではイタリア人同士が血を流す大喧嘩。ショックを受けて倒れるルーシーを抱えて、二人は川のそばへ。そこでジョージはルーシーに特別な思いを抱くようになり、その気持ちを伝える。

シャーロットは人気作家エレノア・ラビッシュ(ジュデイ・デンチ)と入り組んだ町並みへ。そこでラビッシュはシャーロットが驚くようなことを言った。ルーシーの心は肉体の喜びに開かれている。実はあなたのいとこを観察している。若い娘がイタリアで変わるか、変わらないかと。・・・

エマソン父子というのは労働者階級。絵を見ても、あの太った男は風船のように浮かんでいる。安い賃金で働かせたってことだ。というセリフがある。一方、有産階級のルーシーの婚約者セシル(ダニエル・デイ・ルイス)は自分は働かないと公言し、テニスをしているそばでも読書をするような男。

ハニーチャーチ家に招かれたジョージはさらに情熱的に愛情を示す。キスシーンもセシルとジョージでは違いを際立たせ、二人の関係を浮かび上がらせる描き方。旅情のはずだった、イタリアで起こった出来事が次第にルーシーを変えていく。

今回は何回目だろうというくらい、この映画は見ているが、保存版にしたいほど好きというのは変わらなくても、たとえば冒頭で歌われるプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」から「わたしのお父さん」という綺麗なアリア。(これはキリ・テ・カナワが歌っているということがわかった。)

それにルーシーが弾くピアノ曲。ベートーベン、シューベルトの曲はなにかわからなかったが、その次に弾いたモーツアルトのピアノ・ソナタは耳に馴染みがあった。そして一番の違いは、花に対する関心が高まったこと。

薔薇がある庭や田舎道を通るときに画面に入る花々。ルーシーの家のバルコニーには藤のつるが絡まり、紫色の花が咲き乱れていた。真紅のドレスを着たルーシーが立つ庭には濃桃色の花がグラウンドカバーのように広がり、そこにラビッシュの赤い表紙の本が置かれている。といった映画を引き立てるさまざまな仕掛けの数々も楽しめるようになった。

ジョージの、彼(セシル)は君が意志を持つことを嫌う。僕の腕の中でも君の考えを持って欲しいなどというセリフを聞くと、階級意識からの開放と性の解放を絡めた内容か?と、D・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」がふと頭に浮かんだ。

それをどれほど意識しているのかは、原作を読んでいないからわからないが。セシルがその階級意識の世界だけで生きようとして、生身のあたたかさがまるで感じられない姿、ルーシーが旧態依然としたその枠から飛び出していくという描き方からすれば、いくらか意識して、接点があるのかもしれない。

ダニエル・デイ・ルイスはこのごろ見ていないが、今でも大のファン。この映画の中でも歩く美術品のようで、神々しいくらいの美しさ。この圧倒的な美しさを見ると、この映画の描き方がどうあれ、イギリスではいまだに貴族階級が生き残って、体制が変わらない証なのか、などとまで考えてしまうほど。

もう一人重要な脇役はシャーロット役のマギー・スミス。この人のうまさは思い出せないくらいいろんな映画のなかで見ている。働きながら、いまだに独身で一人暮らし。ルーシーの母親とは違う生き方を選んだ。彼女なりに外へ飛び出して挑戦してきた人生のはず。ルーシーはやがて、不器用なシャーロットのほんとの価値がわかるときが来るだろうと思う。












日めくり万葉集(28)

2008年02月15日 | 万葉集
日めくり万葉集〈28〉は、「貧窮問答歌」ですっかりファンになってしまった山上憶良〈やまのうえのおくら〉の歌。選者は日本の天文学界をリードしてきた海部宣男(かいふのりお)さん。

【歌】
白玉(しらたま)の我(あ)が子(こ)古日(ふるひ)は
明星(あかぼし)の明(あ)くる朝(あした)は
しきたへの床(とこ)の辺(へ)去(さ)らず
立(た)てれども居(を)れども
共に戯(たはぶ)れ
夕星(ゆふつづ)の夕(ゆふへ)になれば
いざ寝(ね)よと手(て)を携(たづさ)はり
父母(ちちはは)もうへはなさがり
さきくさの中(なか)にを寝(ね)むと
愛(うつく)しくしが語(かた)らへば   〈抜粋)

巻5・904   作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【訳】
白玉のようなわが子、古日ふるひは
明けの明星(みょうじょう)が輝く朝になれば
床のあたりを離れず
立っても座っても共にたわむれ
宵(よい)の明星〈みょうじょう〉が輝く夕べになれば
さあ一緒に寝ようと手をとって
お父さんもお母さんもそばを離れないでね
僕は真ん中で寝るんだよ
と可愛くいう。

【選者の言葉】
万葉集の中に星や空、宇宙を詠んだものがあるかと、ずっと調べていたら見つかったが、この歌はそれをはるかに超えて悲しいけど素晴らしい歌。明けの明星が輝く朝は寝床から去らない。立ったり座ったりしてたわむれる。夕ずつの同じ金星が光ると夕方になるが、それが光るころには父母の手を取って、手を離さない。

幼い子どもを亡くした嘆きの歌。読むたびに涙が出てしまう。子供のかわいさとそれを失った悲しさ。最初に出てくる子供のかわいさが圧倒的なので、その後の悲しさが強く伝わってくる。(おわり)

【檀さんの語り】
山上憶良の晩年に詠んだ歌。前半の仲むつまじい歌の光景が後半は一変する。突然、無情の風が吹いてきて子どもの命を奪おうとする。両親は天を仰ぎ、地にひれ伏して神に祈るが、甲斐はない。

【後半の訳】
わたしはひたすら祈ったけれども、すこしの間もよくはならずに
だんだんと姿はやつれ、朝ごとにものも言わなくなり、命は絶えてしまった。
わたしは飛び上がり、地団太を踏み、地に伏し、天を仰ぎ、胸を叩いて嘆いた。
ああ、わたしの手の中の愛しい子どもを死なせてしまった。これが世の無情というものか。

(かなりまとまった内容を詠おうとすると、短文では正確には表現しきれず、やはり長いものになるのではないか。憶良の場合はそれが社会性を帯びているのでなおさらだ。

その対象から距離を置いて、もう少し大きな視野で物事を見つめ、何かを訴えているという感じがする。前半と後半を劇的な構成にし、それがこの歌の世界を広げ、強烈な印象にしているという、素晴らしいところだ。

あまりにも劇的な歌なので、ゲーテの詩によるシューベルトの歌曲【魔王】が、イメージとなって聞こえてきた。)

【調べもの】
○山上憶良(やまのうえのおくら)
奈良時代初期の歌人。下級貴族の出身で、百済系帰化人説もある(というのは興味深い!)。702年、第七次遣唐使船に同行し、唐に渡り、儒教や仏教など、最新の学問を研鑽した。死や貧、病といったものなど、社会的弱者を観察した歌を多数詠む。当時としては異色の社会派歌人。

○古日(ふるひ)
この歌に登場する子どもの名前。

○明星(みょうじょう)
金星の異称。

○しきたへ〈敷栲・敷妙)
寝床として敷く栲(たへ)で作った布、敷布団。

○栲(たえ)
カジノキなどの繊維で織った布。

○さきくさ〈三枝)
〈幸草さきくさの意)
①茎の三枝に分かれている草。吉兆の草といい、ミツマタ・ヤマユリの説がある。さいぐさ。
②ヒノキの異称。