FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

ロウメンテナンス

2007年09月16日 | ガーデニング
連日の降雨もようやくおさまり、今日は明るい青空が見えた。これはいいチャンスと庭の改造計画を実行中。3列に植えてある薔薇の株が大きくなったので、真ん中の薔薇を移植して、手入れしやすいように空き地?を作るというものだ。

さっそく2列目のホワイトクリスマス、ウェストミンスター、テイネケ、ニコルが移り、2列目ではないがこの際、株間が込み合っている真紅のローズオオサカやピンクのルノアールも別のところへ。穴を掘り、植える前には木酢液の薄めたものをそこへ流す。最近見つけた細身の小さなスコップが使いやすい。かなり疲れた・・・。

ウルメールムンスターやアイスバーグやエバーゴールドのつる薔薇は冬支度をするもっと寒くなってから車庫のところに移す計画だ。この春に1年苗を買って植えつけたモッコウバラが何メートルにも伸びて、その成長ぶりにはびっくり。

今朝の「趣味の園芸」ではハイビスカスが実は秋に咲く花という紹介には驚いた。15度~25度が適温で、ハワイのかんかん照りの日差しの中で咲いているイメージと実際は違っていた。番組後、庭においていた鉢植えのハイビスカスを取り込んで出窓に置くことにした。

ついでに玄関前の鉢植えも整理。裏庭に持っていって、鉢ごとダーっと空けると、鉢底に置いてあった小石と土がてんこ盛り。そこから一つ一つ小石を取り出す分別作業はいつも大変だった。もっと簡単にならないかと、スーパーで三角コーナーネットというものを買ってきた。

鉢底に敷くときあらかじめこれに入れてから作業すると、冬になって取り込むときに楽になる。年は取る一方なんだからねえと、なるべくいやにならないようにロウメンテナンスを考える。長続きの秘訣はこれ!!







心の旅・レンブラント

2007年09月10日 | 絵画
心の旅、拝啓レンブラント様。旅人は作家の太田治子さん。レンブラントの絵が印刷してあった小さな切手には、サスキアと一緒の絵の中で楽しそうに乾杯しているレンブラントの姿があった。太田さんはそこに理想の父親像を見出し、同時にオランダの人々にも親しみを持っていた。

4月5日のイースター当日。レンブラントの代表作「夜警」の格好をした市民たちが現れて、お祝いの行進に加わった。メンバーは76歳から9歳まで26人。公務員や営業マンなどさまざまな職業の人々。隊長役はバスの運転手さん。時々立ち止まっては「夜警」の中で人物たちがしていたのと同じポーズをする。今もなおレンブラントの絵ははオランダの人々に愛されていた。

この絵は第2次世界大戦中、戦争をしていたオランダとドイツの兵士に守られていたという事実があった。「聖ピータースブルグ」の地下深くの洞窟。もともとローマ時代の石切り場だったが、1942年に爆撃がひどくなるとドイツ軍の命令でこの洞窟に隠された。全長200キロに及ぶという迷路のようになっている。

ドイツがオランダを占領すると、連合軍による爆撃が激しくなり、鉄道で運ぶのは危険だったし、国内の水路は閉ざされていたからだった。地下12メートルに作られた場所は迷路のように入り組んでいて、ドイツとオランダが敵同士の国を超えて「夜警」を戦禍から守った。ここにおよそ4年間保管されていた。

古い砦が残るオランダ東部の町、ライデン。レンブラントは1606年、製粉業者の息子としてこの町に生まれた。ライン河のほとりに父親の風車があった。この町で絵の才能を発揮し、22歳の時の「自画像」では既に光と影を巧みに利用して内面を描き出す手法を用いていた。25歳のときにアムステルダムへ移住。

26歳のとき書いた、1632年「トゥルプ博士の解剖学講義」という絵が注目された。レンブラントがはじめて集団を描いた肖像画。死体解剖している博士、それを見入る人々の表情。計算された構図。一瞬を切り取ったかのような絵。この後レンブラントは肖像画家としての注文が相次ぐようになった。

そのころ名声を手にしたレンブラントの前に、貴族の娘サスキアが表れ、身分の違いを乗り越えてレンブラント28歳、サスキア22歳で結ばれた。1636年「レンブラントとサスキア」、レンブラントの新婚時代の絵。太田さんが好きだった切手の絵。当時二人はこの絵のように贅沢三昧をしていた。

しかしとどまることのないレンブラントの浪費。サスキアは3度の流産の末に、病に臥し、一人の息子を残して30歳の若さで亡くなった。レンブラントが再婚すれば、サスキアの財産の相続権を失うという遺書を残して。

それから3年後、レンブラントは家政婦としてやってきたヘンドリッケと恋に落ちる。1655年の作品「ヘンドリッケ」。田舎から都会に出てきたヘンドリッケ23歳、レンブラント43歳。

そのあと、ヘンドリッケは教会から呼び出しを受け、その調書には売春の二文字さえあった。太田さんは自殺した作家太宰治の愛人の子として育ち、母は太宰を思い出しては泣いていた。友人にどこかこの絵が母に似ているといわれ、ヘンドリッケと共通する立場が気になっていた。

ブレダボードというオランダ東部の町。人口およそ1600人の町、ヘンドリッケはこの町で生まれた。古本と骨董の町として知られ、図書センターの責任者を中心にヘンドリッケの正確な実像を残そうという動きがあり、彫像も立っていた。

ブレダボードは古い城下町。ヘンドリッケの父は狩人の番人で、城は1646年に落雷で炎上。そこで父と兄がなくなる。母はまもなくある男性と再婚。ヘンドリッケは居場所がなくなり、アムステルダムへと向かう。

サスキアの遺書のため二人は結婚できなかった。「結婚した二人」1668年の作品。太田さんはこの花嫁がヘンドリッケに思われた。借金に苦しむレンブラントの工房を切り盛りし、レンブラントが心置きなく絵が描けるよう、精神的にも経済的にも支え続けた。

レンブラントの晩年は悲惨だったと言われる。14年間連れ添ったヘンドリッケが亡くなり、翌年には一人息子にも先立たれていた。しかし絵は描き続ける。1669年「自画像」。63歳の時の自画像と対面した太田さんは、その絵と書き続けたレンブラントに励まされる・・・。

太田さんは以前、日曜美術館にレギュラーで出ていたので覚えていた。ヘンドリッケの実像と歴史に残っていた姿の違いには驚く。当時の女性が経済的後ろ盾を失って尚も生きるには、レンブラントとの関係は恋とは簡単に言えないものがあったのではないだろうか。敵として戦っていたドイツとオランドの兵士が「夜警」を守ったという事実には感銘を受けた。果たして日本人が当時、それが出来るかと問うと・・・。















秋の味覚

2007年09月09日 | 雑感
お盆に帰れなかったこどもたちが連休に引っ掛けて帰ってくる。帰省しても特別夢のようなことがあるわけでもないが、なにか頭の中にはふるさとに帰れば、空の色から、景色から、空気の味から違う。いいことが待っている、というイメージがあるらしい。

親も今では年を取って一緒に公園へ行って遊んだときのような体力はないから、歓迎のもてなしはせいぜい家庭料理の味。それも秋の味覚。秋はサンマというくらい、脂が乗っておいしい時期。3枚におろし、生姜を乗っけてお刺身でも生寿司にしてもおいしい。

もう一つはいくらの醤油漬け。今はたれも市販のものが売っているので、生のいくらをふた腹くらい用意すれば簡単に作れる。100円くらいで売っている金網にこすりながらいくらをバラバラにして、ボールの塩水につける。そのあとは市販のたれにつければ出来上がり。これで毎食いくら丼が食べられる。

コーンのとうもろこしは、このあたりでは、とうきびと言う。塩を入れて沸騰させたお湯に7,8分もゆでれば出来上がり。甘くておいしい。ジャガイモは同じように塩を入れて沸騰させたお湯に入れてゆで、くしが通るくらいにやわらかくなったら、お湯を捨てて、ゆすりながら粉をふかす。それにお好みでバターをつけるとか。太りたくない人は?つけないとか。

かぼちゃは2,3センチくらいの幅に切って、それをさらに一個3,4センチ四方くらいにぐっと力を入れて、包丁で切る。それを一個ずつ、皮をむくというか、削ぐというのか。このとき滑りやすいので、しっかり左手でかぼちゃを固定しながら作業する。

それを耐熱皿に真ん中ではなく、はじにぐるりと置くようにする。お水も少し入れる。それをきっちりラップして、電子レンジで5,6分強にしてかける。出来上がったら、熱いのでタオルなどでやけどをしないようにして、ラップをはがす。お皿にたまったお湯を捨て、ボールにかぼちゃを移す。これにマヨネーズをまぶしてお皿に盛ると出来上がり。

生寿司はやすくておいしいというところに注文して。食べる前にはサッポロビールで乾杯っと。こんな具合かなあ・・・。





虫の音も

2007年09月03日 | ガーデニング
夏の暑さが戻ったような天気だった土日とは違って、今朝は秋の季節を実感させるひんやりした朝だった。雨模様なので、日差しの強い日には聞こえていた虫の音もぱったりと止んでいる。このところの忙しさと慌しさに追われて、なんだかバタバタと時間が過ぎた。

花好きな泊り客は庭の薔薇を見て喜んで帰っていった。温泉と近くの薔薇園も案内した。札幌はよく知っていても、このあたりまで足を伸ばすということがなかなかなかったらしい。老後というほどの年齢ではなくても、飛行機に乗って遠くまで行ってみようかということになったようだ。もう少し経ったら兄弟の家族を招待して、運転手になって旅行をすると楽しそうに話していた。

庭には秋薔薇なのかどうなのか、何回目かの開花になり、一時より多く咲いている。花壇の縁取りにしているへメロカリスの黄色い花が明るい。造園に行ったら、2割引なので、また宿根草を仕入れてきた。

カンパニュラ、フィフティブルーという青紫のベル状の花。白い花をつける八重咲きの宿根カスミソウ。草丈が1メートルになるというのには驚いた。あとは低い丈にに抑えてあるコスモスを3鉢。これは来シーズンのための種とり用。

週末に花盛りのサッカーの試合は、こんなときには録画をつい新聞を読みながら見てしまう。ところがサッカーは一つのシーンが途切れることなくつながっていて、ゴールまでの過程をよく見ていないとさっぱりわからない、ということになる。

そんなわけで、いいシーンを見過ごしたとか、ゴール前での混戦模様がよくわからなかったとか、どうしてカードをもらったのか、などとおんなじ所を巻戻したり行ったり来たりしては、かえって時間がかかってしまう。