FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

【鶏肉の酒蒸し】

2008年08月28日 | 雑感
もう一つ子どもからリクエストがあったのは、夏場によく作っていた【鶏肉の酒蒸し】という料理。これはトマトとキュウリがおいしい季節に作る料理。暑さで食欲がないときにはちょうどいい。

~鶏肉酒蒸し~
【材料】(3~4人前)
・とりの胸肉(ひとり100グラム見当で用意する) ・トマト2個~3個 ・キュウリも2本~3本 ・卵を一人一個 

【調味料】
・お醤油・お酒(安い日本酒で十分)・米酢 ・お砂糖

【作り方】
【蒸し器】を用意する。
水をナベに4分の3ほど入れて、火にかけておく。蒸し器のふたにはフキンを包むようにかけて置く。ぴったりと隙間がないようにするため。蒸しのナベにはステンレス製など高温に耐えるボールを入れる。鶏肉は火の通りをよくする為に一枚を二つに切る。そこへアラビキのコショウをかける。さらにボトルのような容器に入った普通の塩コショウをかける。

それをボールにいれ、その上にお酒をいれる。これはコップ一杯くらい。蒸し器から湯気がドンドン立ち上ってきたら、その湯気が上がり続けるように中火にする。この状態を20分くらい続ける。

途中、鶏肉の天地返し(上と下をひっくり返すの意)をしたりして、中まで火が通るようにする。蒸しあがったら、ナベをそのままにして、鶏肉を冷ます。ボールの中のお酒に鶏肉のだしが出ているので、これがあとに“たれ”となるので大事。

蒸し器で蒸している間に、【薄焼き卵】を焼く。
長方形の卵焼き器で1個を3枚くらい。【ポイントは小さじ一杯の水に同量の片栗粉】を溶かし、これを卵が入っているボールに入れる。これで薄くても破れない卵焼きが出来る。焼いた薄焼き卵はバットなどに入れて冷ましておく。これを細く千切りに切っておく。

【キュウリ】は中華風に斜めの千切りにしておく。
【トマト】は一個を縦半分に切り、それを横に倒して、芯の所から半月型に切る。用意した大皿の一番外側にトマトを一周するように並べる。その内側に千切りキュウリを一周させる。残った皿の真ん中の空き地?に冷めている鶏肉を薄切りにして横一列に並べ、その上に細く切った錦糸卵を載せる。

【たれを作る】
ボールに溜まっているお酒と鶏肉の蒸し汁が混ざったものに、お醤油と米酢とお砂糖を加える。同量では酸っぱすぎ、お醤油味も少し薄く感ずるので、2対1対2くらい。たれを多くする場合にはこれにお水をたしていく。好みで適宜に。

蒸し器は火にかけてしまうと何もしなくても出来上がる。調理するときには冷めているので、以外と夏場でも出来る料理。赤いトマト、緑のキュウリ、黄色い卵と彩りよく、お砂糖が入っているたれはちょっと甘め。子どもも喜び、大皿に盛り付けるのでご馳走に見える料理・・・。







帰省

2008年08月28日 | 雑感
お盆の日程を外して子どもが一人、帰省して来ている。今朝は外出前に庭掃除の手伝いをしてくれた。汗がドンドン出て来るという“労働”を体験したようだ。実家に帰る一番の楽しみは、子供のころから食べてきた“家庭料理”を味わうこと。そこで【炒りどり】の作り方を・・・

~炒りどり~(3~4人分)
【材料】(これは大体の目安。我が家ではいつもこの倍ぐらいの材料で大量に作っている。)
・油大さじ2杯 ・とりもも肉(300グラムくらいのを1枚)・ごぼう1本 ・水煮竹の子一個 ・こんにゃく一枚 ・(干)椎茸(生椎茸でもいい)一人一枚なので3~4枚 ・ニンジン二分の一本

【切り方】
鶏肉は一口大に切る。他の材料も同じように切る。ごぼうは包丁の背の部分を使って、左から右に引っかくようにして、皮をこそげとる。ニンジンも皮をむく。ごぼう、竹の子、ニンジンは材料を回しながら一口大に切る。椎茸は干したものなら水につけておいて、戻しておく。一枚を半分に切る。

【調理は簡単】
全部の材料を油でいためるので、中華なべのような広口の大きいなべを使う。油をいれ、【中火】にしながら野菜とこんにゃくを炒める。その次に鶏肉を入れて、大きくかき混ぜるようにして炒める。あまりなんども鶏肉をひっくり返すと崩れてくるので、その辺は注意しながら・・・。

【調味料】
まずコップ半分くらいのお酒を入れ(かなり大目なので、これは適宜に)、次にキッコーマンめんみ(濃縮5倍液の醤油だし)を大さじ4杯、みりんを大さじ2杯入れる(お醤油だしとみりんが2対1の割合)。最後にお水を材料がかぶるくらいに入れて、ナベの材料の上に【おとしぶた】を置く。フライパン料理に使うような【ふた】でもいい。

【気を付けるのは火の強さ】
容易万端整ったので、さあー、はじまり!!まずは火の強さを【強火】にする。材料が“ぐつぐつ”いって、なべの中が高温になり、火が回ってきたら、ここからは【中火】にする。弱火に落とさず、一気に汁気がなくなるまで煮る。

ただし、途中でなかなか柔らかくならないようなら、火の強さを【弱火】にしてもっと時間をかけて煮るとか。そこは臨機応変に。油断していると焦がしてしまうので、煮ているのを忘れないこと!!大体20分くらいかなあー、煮えるのは。

根菜はお腹の調子を整えるし、やわらかく煮れば、抵抗なく食べられるよ。料理は難しく考えないで、何回も作るのがコツ。残りはタッパーにいれておけば、冷蔵庫で保存出来るしね。












パンとスズメ

2008年08月24日 | ガーデニング
朝早くカーテンを開けて窓越しに庭を見たら、なんとスズメがいるではないか。驚きながら息を殺して?様子を見ていると、庭の空き地でパンくずを食べている。そういえばときどき庭の中にパンくずが落ちていて、妙だなあとは思っていた。

パンを置いていった《真犯人》はスズメだったのかと、ようやくこのミステリーも解決した。おそらく近所にバードテーブルがあって、鳥たちはいつもそれを《ご馳走》になっているのだろう。

しかしあわてて食べては食べた気がしないと、我が家の庭にゆっくり食べる《穴場》を見つけ、確保したエサを食べようというわけだ。なるほどなあと、飛び立って行くのを見送った。

そういえばカラスの羽も落ちていたから、家人のいない隙を縫ってカラスも来訪者なのだろう。家の前の電線に何羽も止まって、高いところからあの“だみ声”でよく鳴いている。

それを見ながらいつも人間がカラスに襲撃されるという、ヒチコックの映画【鳥】を思い出したりしていた。あの映画ほど不気味ではないが、今出て来たよ、いなくなったよーなんて、《隣人》の行動をお互いに情報交換しているのかもしれない。











日めくり万葉集~セレクション

2008年08月22日 | 万葉集
日めくり万葉集も暑さでちょっと一休みということで、今までに放送された歌の中からの“セレクション”となった。作者は山上憶良、選者は作家のリービ英雄さん。

【歌】
神代(かみよ)より
言(い)ひ伝(つ)て来(く)らく
そらみつ大和(やまと)の国(くに)は
皇神(すめかみ)の厳(いつく)しき国
言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国(くに)と
語(かた)り継(つ)ぎ
言(い)ひ継(つ)がひけり     (抜粋)

   巻5・894   作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【訳】
神代(かみよ)の昔から伝えるには、大和(やまと)の国は神が威厳(いげん)を持って守る国、言霊(ことだま)が幸いをもたらす国、と語り継ぎ、言い継いで来た

【選者の言葉】
わたしの国は偉い国である、わたしの国は素晴らしい国であるというのは、世界のどこでもあり得るような表現。そこでわたしの国は言葉の魂(たましい)が活発な国であるという。この表現こそ日本独自のものではないか。

ちょうど日本語で書こうかなと思っていたころに万葉集の中の一人の大歌人の存在に気が付いた。それは《山上憶良》。(彼が)異国から日本に渡り、日本文化の内部に入り込んで、この島国の表現者となった。

ということがわかったときに《開放感》をもった。(自分が)そんな異端なことはやっていない。1300年前にやった人たちが(すでに)いたのだから。どこの出身であったとか、などというのは近代的な発想では?果たして奈良時代の人たちはそういう風に考えていたか?

出身などどうでもいいと思うようになった。ただ日本語に魅せられて日本語を書き出したのでは?つまり、中国の漢文ではなく、自分で日本語を書く、その詠い出しの中に《言霊》。《大和の国は言霊の幸はふ国》であるという表現がそこにある。

そうすると、朝鮮、中国、日本という一つの世界の中で、日本語の特徴はこういうものだという風に書いてある。これは僕にとってちょっとした《発見》だった。

【檀さんの語り】
この歌は奈良時代の西暦733年、大陸へ向かった遣唐使を送る際に、旅の無事を祈って、山上憶良が詠んだ長歌の一部。日本を言霊(ことだま)の国とうたった《言霊の幸はふ国》で知られている。

古代の日本人は言葉に神秘的な力、《言霊》があると信じ、《言霊》の働きによって《幸せ》や《不幸》がもたらされると考えていた。アメリカ生まれのリービ英雄さんは、西洋の出身でははじめて、日本語の作家。17歳で日本に来て移住して以来、日本とアメリカ、中国の間を行き来して創作を続けてきた。

山上憶良は万葉集を代表する歌人の一人。一説に寄れば朝鮮半島にあった国《百済(くだら)》に生まれ、日本に渡って来たとも言われている。憶良は自らも遣唐使の一員として中国に渡り、中国文化を吸収していたインテリだった。

【感想】
そういえば最近、日本の文学賞を受賞した中国人の女性作家とリービさんの対談が朝日新聞の記事になっていた。一番印象に残っているのは、アメリカ人のリービさんが日本とアメリカという関係ではなく、中国と日本という関係、その立ち位置から考えていくことに独自性を見出しているということだった。

山上憶良も、朝鮮半島に生まれ、日本に来て日本語で生活し、最先端の中国文化も現地に行って学んできた。当時としては国際的な視野を持てる国境を越えた人ということで、リービさんにとっては驚きの《ちょっとした発見》。

日本や日本語に魅せられて歌を詠んでいるという憶良も、そうした背景から社会性を帯びた内容のものもあり、その客観的にちょっと離れてみている視点が、現代人にも理解しやすいのだろうと思う。







日めくり万葉集(140)

2008年08月13日 | 万葉集
日めくり万葉集(140)は旅の歌が多い高市黒人(たけちのくろひと)の歌。選者は文化人類学者の片倉もとこさん。

【歌】
旅(たび)にして
もの恋(こひ)しきに
山下(やまもと)の
赤(あけ)のそほ舟(ぶね)
沖(おき)に漕(こ)ぐ見(み)ゆ

     巻3・270   作者は高市黒人(たけちのくろひと)

【訳】
旅にあって、なんとなく恋しい思いでいる折りしも、山すそにいた朱塗りの船が沖に向かって漕いでゆくのが見える

【選者の言葉】
この人は旅の歌をたくさん作っているが旅心が良く出ている。“赤のそほ舟”が山すそにあったと思ったら、もう沖のほうまで行って、ああ、もうすぐ愛する家族のいる(都の)ほうへ行くんだなあと。

赤はそのころは魔よけの色だったとも言われる。自分の大切にしている家族を守ってほしいという、気持ちもあって、“そほ舟”と言っただけで赤いが、“赤の”といっているところに、家族を魔から守りたいという気持ちも入っているように見える。

アラビアの魔よけは青。子どもたちを母のところに預けて、娘と息子はまだ二つと三つくらい。アラビアの砂漠の中にフィールドワークに行っていた。そのころ、東の日本のほうへ行く飛行機、空の青の染まったような飛行機。

それが日本のほうに飛んでいくのを見て、黒人が家族のことを思ったあの気持ち、と同じだなあと思った。万葉集は6世紀頃に始まって、8世紀にそれが20巻、4516首にまとめられた。

ちょうど6世紀の同じぐらいのときに【アラビアンナイト(千一夜物語)】が編集され始め、8世紀くらいに完成した。シルクロードの向こうとこちらで時を同じくして、世界的な文化が花開いた。

【檀さんの語り】
イスラム文化を研究する片倉さんはアラビアの砂漠で、ベドウィンの人々とともに暮らして、長い間フィールドワークを重ねてきた。黒人(くろひと)の歌をもとにアラビアで家族を思う歌を作った。

【片倉さんの歌】
旅にして
吾子(あこ)恋しきに
アラビアの
青の飛行機
東に飛び行(ゆ)く

【感想】
イラク戦争が始まった頃、切迫した状況の中で、TV番組には連日、イスラム文化の研究者が登場したが、それまでいかに日本人がイスラムのことを知らないで来たかを、思い知らされるキッカケになったのではないだろうか。日本の社会は石油がなければ一日も暮らせないというのに、あまりにも無知であった。

イスラムの宗教に伴う摩擦というものが、度々ニュースになっているこのごろはとりわけ、こうしてアラビアの現地に行って、実際に生活している日本人がいるというのは大変に貴重で、心強い気がする。

最後のほうでお話しにあったシルクロードでは、今、北京で開催されているオリンピックのことが頭に浮かぶ。カシュガルなどという都市や新疆ウイグル自治区という名前が出てくるたびに、大都会北京の恵まれた生活との違いに、胸が痛んでくる。

そこに住む彼らは旅人が通り過ぎる街ではなく、実際に日々生きていかなければならない。中国の西の端に住み、中国人といってもイスラムの人間として暮らす彼ら。

13億の人間を飢えから救い、教育を受けさせるというのは気が遠くなるほど大変なことだが、一方で少数民族などは徹底して押さえつけてきた。遅かれ早かれ、彼らのような少数民族の自主独立を認めざるを得ない日が来るのでは、という気がする。













日めくり万葉集(138)

2008年08月06日 | 万葉集
日めくり万葉集(138)は、以前にも取り上げられた作者未詳の歌。選者は発掘調査で万葉集に関する大きな発見をした、歴史学者の栄原永遠男(さかえはらとわお)さん。

【歌】
安積香山(あさかやま)
影(かげ)さへ見(み)ゆる
山(やま)の井(ゐ)の
浅(あさ)き心(こころ)を
我(わ)が思(おも)はなくに

       巻16・3807     作者未詳

【訳】
あさか山、その陰さへ見えてしまう、山の井の浅いように浅い心で、私は思ってなどいるものですか。

【選者の言葉】
去年12月、慎重に《木簡(もっかん)》をひっくり返した途端に「阿佐可(あさか)」という文字が読めたので、あっと思った。ドキッとしてえらいこっちゃと。

(史跡の)「紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)」から見つかった木簡はごく小さな断片。一応歌が全部書いてあると想定すると、2尺(しゃく)というものになると思う。普通、木簡というのは20cm、30cm、あるいはもっと小さいもの。2尺60cmというのは非常に大きい立派な木簡。

今回の木簡は発掘調査の状況がかなりよくわかっていて、天平16~17年(744~5)の頭ぐらいのものだろう。万葉集の第一部の編纂(へんさん)よりも、先に書かれたということが、まず《確実に言えること》。

歌を書いた人も、木簡に書いた人は万葉集を見て、書いたわけではない。彼はどこからか知ったわけだから、「あさか山」の歌がある程度流布(るふ)していたから知っていたと言える。

それは翻(ひるがえ)って、万葉集の編纂(へんさん)の問題として考えられる。ある程度広がっている「あさか山」の歌を万葉集編纂のときに取り入れた、という話になってくる。そこが万葉集の成立の問題に迫る一つの手がかりを与えたということになると思う。

【檀さんの語り】
2008年5月、万葉集に関する大きな発見があった。奈良時代に聖武(しょうむ)天皇が造営した史跡、紫香楽宮跡(しがらきみやあと)から、万葉集と同じ歌が書かれた木簡が発見された。

「あさか山」は東北地方の山の名。この歌は万葉集、巻16に収められている。遺跡の排水溝から発掘された《木簡》の中から、「あさか山」の歌が書かれた《木簡》を発見したのは歴史学者で大阪市立大学教授の栄原永遠男さん。

あさか山の木簡のうち、判読できたのは7文字。
【阿佐可夜(あさかや)】ま・・・
かげさへみゆ【流夜真(るやま)】のいの、というところ。

一音一字の万葉仮名で書かれ、同じ《あさか山》の書き方でも、訓読みを主体とした万葉集の書き方と大きく異なる。

【万葉集の書き方】
安積香山(あさかやま)
影副(かげさへ)所見(みゆる)  山井之(やまのゐの)
浅心乎(あさきこころを)  吾(わが)念(おも)莫国(はなくに)

万葉の歌が万葉集に収録される前に、どのように記(しる)されていたのか、そしてどのように編纂(へんさん)されたのかは謎に包まれている。同時代の資料がまったくなかったからだ。今回の発見は、その《謎》の解明に一石を投じるのではないか、と期待されている。

【感想】
この歌は香山リカさんが精神科医の立場から、20世紀になってフロイトが発見されたとされる、無意識と意識という、人の心の多層構造に触れていた。それがはるか昔の万葉の時代に、“浅き心”ではなく、より深い心のほうが大事なんだよ、ということが歌に歌われていることを驚いて、選んだ歌。

今回の発見が、今まで多くの謎に包まれていた古代について、栄原さんが自信を持って仰っていたような、《確実に言えること》をもっと増やすことにつながってくれればと・・・。









まさか君がそこに

2008年08月05日 | ガーデニング
朝、洗濯機のそばに行ったら、近くに置いてあるお風呂マットの上に褐色の葉っぱのようなゴミ?が落ちているように見えた。ちょっと大きいので、なんだろう・・・と思って近づいたら、なんと~、カエルが座っているではないか。一瞬、なに?これは?

まさか君がそこにいるなんて・・・。驚いたがとっさにクルクルとお風呂マットを巻いて、そーっと裏庭に連れ出し!、草花が密集しているところへ行って、マットを下に向けて広げると姿が見えなくなった。

そういえば、茄子(なす)の苗が1本88円で売っていたので、何の気なしに2本買って来て、裏庭の空いたところに植えていたら、いつの間にか大きくなり、綺麗な紫色の花をつけていた。なんの手もかけないというのに、なんというたくましさ。

それが見事な実となり、もう食べられそうになってきた。茄子紺というのは深い紺色のような紫のような、夏を涼しげに彩る色。この間、ケイ山田さんの番組「英国庭園便り」ではナスの花はサフィニアやジャガイモの花と同類で、どちらも人間にとって大切、という話をしていた。野菜の花も飽きない美しさがある。