FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

10年がかり

2007年02月26日 | 雑感
朝はかなり気温が下がったということが、窓につく結露でわかる。午前中にもどんどん気温が上がり、お昼ごろになると暖房が必要でなくなるほどあたたかい。早く雪が融けないかなあーと植木鉢が満開の花を咲かせている。

今朝の新聞にはうれしいニュースが載っていた。
【10年がかりの日韓共作】
日韓の歴史学者や教師たちが、両国の高校生のための「歴史教材」を10年がかりで編んだ。3月1日に日本語版と韓国語版が同時出版される。先史時代からサッカーワールドカップを共催した現代まで、すべての時代の「交流史」を扱うはじめての本だそうだ。

日韓を往復して開いたシンポジウムは15回をかぞえる。編集委員の一人である東京学芸大学の木村教授は「日韓双方の自国史を集めるだけではいけないと考えた。共通の文章になったことに意義がある。」

読本では、吉野作造や石橋湛山が日本の朝鮮支配を批判していたことを取り上げた。こうした事実は韓国ではあまり知られていないという。反対に日本ではなじみのうすい朝鮮の民族独立運動について、主要人物をあげて書いている。

読本が出版される3月1日は、植民地時代の朝鮮で「3・1独立運動」が始まった日にあたる。「韓国と日本は長い時間をかけても共同で成果を出せる。そのことを示すには素晴らしいタイミングだ。」日本では「日韓交流の歴史 先史から現代まで」と題して、明石書店から出版される。

もう一つのうれしいニュース。
【中国で日本語専攻】
北京で開かれた第2回「中国人の日本語作文コンクール」で吉林大学4年の付暁さん(22歳)が「壁を取り除きたい」という作文で、応募1616作の中から最優秀賞に選ばれた。

「そんなに日本に行きたいなら、さっさと行けよ」と長春市内のタクシー運転手に投げつけられたこんな言葉から始まっている。日本語専攻だと知った運転手に「愛国心を持ってないの?」と問い詰められた。いったんは落ち込んだが、日本人留学生との交流の中で「中国人にありのままの日本を伝えたい」と、ふたたび日本語を学ぶ意味を見出すまでを書いている。

受賞の副賞として今月末、1週間の日本旅行に行くはずだったが、卒業論文や実習で忙しくて時間が取れず、辞退せざるを得なかった。将来の夢は、テレビ局か新聞社で人に何かを伝える仕事をすること。「今は我慢して夢に向って頑張る。将来、取材で訪日したい。」













なつかしい映画その2

2007年02月16日 | 映画
木々の枝が凍るほどの寒さから、今日はやや気温が上がっている。春の嵐、冬の嵐はないほうがいいが、少しづつ春に近づくためと思えば、これもしょうがない。米アカデミー賞の授賞式の前に、それを盛り上げようと過去の受賞作を放送している。今回は「カサブランカ」と「明日に向って撃て」。

「カサブランカ」は1942年制作、受賞は1944年。このころの日本は恋愛映画どころではない状況で、アジアやアメリカ相手に戦争していた。まだ生まれる前の作品。なんといっても白黒映画の映像効果もあって、イングリッド・バーグマンが抜群に美しいー。

戦争の不穏な空気のなか、人々はフランスからアメリカへ自由を求めて逃れようとするが、マルセイユ経由でいける人たちはわずかで、大半は仏領のモロッコ経由になる。いついけるのかとひたすらカサブランカで通行許可証が得られるその日を待つという状況。

その中に、ナチから逃れてやってきたレジスタンスの闘志のラザロとその妻、イルザ(イングリッド・バーグマン)。この地でレストランを経営しているリック(ハンフリー・ボガート)。イルザはかつて、ラザロがナチ収容所へ行っていた間にリックと恋に落ちたという過去があり、再会してまた3人の関係はどうなる・・・という筋書き。

イングリッド・バーグマンが輝くように綺麗で見とれているうちに映画は終わってしまいそうだが、ハンフリー・ボガートは帽子にコートといかにもかっこいい姿にしていて、彼が中心の映画なのかもしれない。ナイトクラブでかつてパリで聞いた「時の過ぎ行くままに」(この歌がまたいい!)という歌を聞くイルザ。パリで過ごした時間がよみがえってくる。

しかしまあ、長く生きていると、リックがイルザに言う「君の瞳に乾杯」というセリフにはあまり気分が乗らない。それよりラザロに向って、リックがイルザは愛しているふり、自分も信じているふりをしたというセリフのほうが胸に響く。人生にはそういう演技力のほうが必要だと。

こういう時代には3人の関係など大した問題じゃないんだ、いつか君にもわかる、というのが一番印象的なセリフ。まさにそういう時代を描いていたわけだから。それぞれ俳優の特徴を生かし、ラストシーンを余韻のあるものにするというのは名作の条件かもしれない。霧の飛行場で、イルザとラザロが飛行機に向かい、それを見送るリック。何回見てもやっぱりいいー。

「明日に向って撃て」1969年の作品。当時はアメリカンニューシネマの時代で、「俺たちに明日はない」「イージーライダー」が印象的だった。何十年経っても実によく出来た傑作だと感心する。無駄なシーンが一つもないなあと。西部劇の時代に強盗団を率いていた口先?ブッチ(ポール・ニューマン)と早撃ちサンダンス(ロバート・レッドフォード)、それに学校教師のエッタ・プレース(キャサリン・ロス)。この3人の不思議な関係が続く。

列車強奪と銀行強盗を繰り返し、執拗に追跡してくる6人組の追ってを逃れるが、昼も夜も距離を置きながら追跡してくる彼らの遠景の映像。これが効果的だった。とうとう国外に生き延びる道を求めてボリビアまで行く。

しかしここでも強盗したことで、手配が回っているのを知らされる。いよいよ仕事に就こうと山賊から給料を守る用心棒に雇われるものの、雇い主は彼らに殺され、二人もまた彼らを撃ってしまう。とうとう地元の警察も大掛かりに動き、ついに二人は・・・。

3人が共同生活をする家の前で、ブッチがエッタを乗せて自転車をこぐシーン。サンダンスの恋人だったエッタにブッチの気持ちが傾き、愛情を表すというシーン。これは今でも覚えているほど印象的。バックに流れる歌は当時ヒットした。歌詞に「自由」という言葉があるのが、いかにも当事の時代の空気という感じがする。

強盗を引退しようと思いながら、なかなか手が引けない二人に、強盗されようとする!男が説教する。二人はよく生き延びたものだ。もうこういう時代は終わったのだ。いい死に方はしないぞという。馬は古いと自転車が登場したりする。変わろうとする時代の終わりに生きた二人を象徴していた。

追い詰められるほどに明るい調子になり、そういう曲がバックに流れる。どこか抜けている二人という感じで、重いところがない。社会の枠の外で生きる二人に痛快さを感じる。そういう時代だったのだろう。

ポール・ニューマンの芸達者ぶりにはあらためて驚いた。ロバート・レッドフォードはこの名前と同じ、サンダンスで独立系の映画祭を開き、当事の志をそのまま受け継いでいるところはほんとにえらいものだ。キャサリン・ロスも若々しいみずみずしさが溢れている。これは実話に近いと字幕が出ていた。この映画も最後のシーンがいい・・・。








子ばなれ

2007年02月12日 | Weblog
他人に説教できるほど立派な親ではないが、今日の新聞の生活欄に天野祐吉さんがいいことを書いているなあと思って読んだ。題して「子ばなれのすすめ」。いつもCMについてあれこれ書いているコラムだ。

ミラ(ダイハツ)のCMで、ひとつは息子に肩車された母親が「ちょっと遊んでくる」とミラに乗って去っていく。「母の子ばなれのはじめでした」と息子がつぶやきながら、それを見送る。もうひとつは、息子がバイトで働いているガソリンスタンドに「洗車、お願いします」と母が車でやってくる。

「ガソリンは?」「あまり減らないんだもん」。「遅くなるかも」と言い残し笑顔で走り去る。「母はきれいになって、ぼくからはなれて行く」というもの。母はYOU,息子は柳楽優弥という「誰も知らない」(是枝裕和監督)の名コンビ。そのせいか、言葉以上の空気感がある。たしかにクルマにはうまく使えば”自立”の有用な道具になる。

この前段に今の世の中、子どもが大きくなってもまだ子どもべったりというか、子ばなれ出来ていない親がけっこういる。親ばなれ出来ていない子と比べたら、子ばなれ出来ていない親のほうが多いような気がするということが書いてあった。明治生まれの父も、大正生まれの母も、自信を持って子どもを厳しくしつけていたように覚えている。

昔の親は本気で子どもをしかった。震え上がるほどの迫力があった。今は生活が便利になってきて、その分、親も文化を楽しむ余裕を持てるようになった。子どもを自立させて社会へ送り出すためには、やっぱり子どもから離れることが必要だし、そのためには楽しみを見つけることが先に来る。何をしても昔の親ほどえらくはなれないが・・・。

もう一つは「私の視点」。
歴史認識と愛国心。東大教授(国際法)の大沼保昭さんの1文。世論調査の結果は、94%の人が日本に生まれてよかったと思い、自分は愛国心があるという人が78%。ないという人の20%の4倍である。

他方において、アジア諸国への侵略や植民地支配に対して、実に85%の人が反省する必要があると答えている。反省する必要がないという人は11%に過ぎない。侵略と植民地支配を自虐と批判する意見は、明らかに国民の支持を得ていない。

愛国心がある人ほど反省の必要があると考える傾向が強い。愛国心がまったくない人では反省を必要という答えが63%という答えで、愛国心が大いにある人では反省が必要という答えが、なんと88%にのぼる。

このことはリベラル=非愛国主義者(対)反省は恥ずべき自虐と見る愛国主義者という対立がまったく国民の意識から乖離した虚偽の図式であることを物語る。メディアも「リベラル対愛国主義」というステレオタイプに乗った番組作りや紙面作りを考え直してほしい。

日本に駐在する海外メディアの特派員も、この世論調査の結果を正確に、自国民に伝えてほしい。中国や韓国のメディアが世論調査に示された日本国民の気持ちを正確に伝えてくれるなら、韓国人も中国人も、日本国民が自然な愛国心と過去への反省を持っているを理解してくれるだろう。

愛国心が強いほど自国に誇りを持ち、それゆえに自国の過去を反省し、克服しようと努める。嫌なニュースが多い最近の日本に、こうしたまっとうな感覚があることをうれしく思う。そして世界の一人でも多くの人に知っていただきたい。(おわり)

ほんとですねえー。「まっとうな感覚」が存在した、しかもこれだけのパーセンテージを集めて。Jリーグでは在日4世の柏の李忠成選手が日本国籍を取得したというニュースがあった。そのほかにもハーフといわれる人達、彼らが日本代表として国際試合に出場できるようになれば。もっと日本人の「まっとうな国際感覚」を広く世界に認めさせることができるのではと・・・。










なつかしい映画

2007年02月11日 | Weblog
今冬はあたたかくて、鍋料理の白菜が売れないそうだ。路面も雪がないところがあり運転は助かるが、白い世界が何ヶ月も続くと、無性に鮮やかな色が恋しい。デジタルの鮮やかな映像にひきつけられて、なつかしい映画を見る時間が長くなった。

『大統領の陰謀』1976年/アラン・パクラ監督。出演はロバート・レッドフォード、ダスティ・ホフマン。これは再選を果たしたニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーター・ゲート事件を描いた映画。

主演の二人が記者になり、危ない取材を続けて、事件の真相を暴いていくというもので、実話に近いものらしい。ロバート・レッドフォードはポール・ニューマンと共演した「明日に向って撃て」がなんといっても一番だが、これも負けないくらい印象深い。

ニクソンが1974年に辞任していることを考えると、1976年制作というのは、驚くほどはやい。二人をずっと応援して取材を援護していく上司を演じている俳優の名前が分からないが、この人の存在感が抜群。

「守るべきは憲法の修正1条、報道の自由、この国の未来」と暗闇の中で二人に言う最後のセリフを聞くと、胸がジーンとなる。この当時はまだアメリカにもこういう映画を作る気概があったなあと。ベトナム戦争でたくさんの犠牲者を出しながら、また同じ間違いを犯しているブッシュ大統領に、この映画の題名をそっくり返したい。

最近の映画では俳優のジョージ・クルーニーが監督した「グッドナイト&グッドラック」がこういう流れを汲んでいる映画。これは映画館まで見に行った。1950年代に全米を襲ったレッドパージの嵐に敢然と立ち向かったニュースキャスターがいた!!命がけで報道の自由を守った人間が現場にいた、ということの重み。クルーニーの父親がニュースキャスターだったということで、どうしても映画化しておきたかったというのが大きいようだ。

「ザッツエンターテインメント」はMGMのスターのハイライト集。お目当てのフレッド・アステアを見られて満足ー。パート2になるとかなりおじいちゃんになって登場しているが、ジーン・ケリーと一緒に元気に踊る姿には、うれしいのを通り越して泣けてきたー。これが一番映像の違いを実感した。見事に綺麗な映像になってよみがえっている。華やかで楽しいハリウッド映画全盛の頃の映画。元気だった母の姿とダブってくる。よく映画に連れて行ってくれた母は49歳で亡くなった。











『インドへの道』

2007年02月10日 | Weblog
デビッド・リーン監督/1984年/イギリス/163分。WOWOWで放送があった映画。1928年、英領のインドへ若い女性が婚約者を訪ねて旅をする。その母親と一緒だった。本物のインドを見たいとインド人と婚約者の母親と一緒に洞窟見物に行くが、行き違いからイギリス人とインド人を巻き込む大事件に発展する。

洞窟への観光へ行き、そこでアデラ(ジュディ・デービス)はインド人医師アジズ(ビクター・バーナジー)に暴行されたとして、その場を逃げるようにして帰る。後でそのとき彼女を助けたカレンダー大佐の妻などの証言により、事件としてアジズを告訴することになる。アジズがチャンドラポアの駅に着いてみると、もう事件の重大さが伝わっており、待っていた警察官に逮捕される。

これが一番の映画の核心部分なのだが、そこへ行く前に、いかにインド人が植民地インドで差別的な扱いを受けているかをかなりの時間を割いて描いている。アデラの定まらないこころの動きや、アジズがモア夫人(ペギー・アシュクロフト)に絶大な信頼感を抱くやりとり、モア夫人とともにインド人と対等な立場で人間的なかかわりを持とうとするイギリス人大学長のフィールディング(ジェームス・フォックス)のシーンも出てくる。

モア夫人とアデラが婚約者のいる町、チャンドラポアに着くと、駅には物々しい護衛が立ち並び、その後ろにはインド人が大勢詰め掛けて長官夫妻に歓迎の意を表す。イギリス人たちを乗せた車はインド人たちが生活している狭い道路をものともせず、猛スピードで駆け抜けていく。自転車のアジズと友人は当られて自転車とともに転がってしまう。アジズはイギリス人め!と叫ぶ。

しかしモア夫人にだけは特別だった。イギリス人の倶楽部の入り口前で待っているとき、モア夫人に会う。モア夫人との会話から、その誠実な受け答えにこんなやさしい顔をしたイギリス人を見たことがないと深く感銘を受ける。

そのアジズもアデラとモア夫人を自宅に呼ぶということは出来ない。イギリス婦人は床に座らない。手で食事をしない。テーブルとイスがいる。男はウイスキー、女にはワイン。おまけに給仕人がいる。結局、洞窟観光を選ばざるを得ない。

アデラは複雑な揺れる心の中にいた。まだ自分の中で人生の答えを探している。モア夫人にロニーは嘱望されているの?と問う。だからあなたが来たのよという答えを聞くと、自分のことをいやな女ねと小さく言ってみたりする。ロニーとダンスしているとき、愛していないからあなたとは結婚しないと口走って、ロニーを驚かせる。

翌日強い日差しに照らされて一人自転車に乗り、狭い道を背丈ほどもある野原を分け入って遺跡の探検に行く。好奇心いっぱいだ。しかし行ってみると男女の裸身が抱擁する彫像がたくさんあり、帰ろうとすると野生のサルの一群の追いかけられ、ほうほうの体で逃げ帰る。文化の違いに戸惑い、寝付かれない夜を過ごす。

大学長のフィールディングはモア夫人と同じくインド人と対等に付き合いたいとおもっている人物。アデラとイギリス人たちがアジズを訴えた裁判でも、もしアジズが有罪になったら辞職すると言い、最後までアジズを弁護する側に回る。モア夫人もアジズの無罪を信じて、この裁判にはかかわりたくないと旅行に出かけてしまう。

この裁判のシーンでは、アメリカ映画でよくあるような法廷での丁々発止のやりとりはなく、インド人俳優たちのオーバーな演技が目に付き、アデラが自分の誤りを認める重大なシーンにもかかわらず、ちょっと重みに欠けるという印象。裁判長があんなにあたふたするのはー。

アデラの無邪気な好奇心から生まれたインド人との行き違い。余りに警戒心もなく、インド人の善意を信じた。だからこそ問題が白日の下に晒されたともいえる。アデラは危ういところで自分の過ちに気づき、それを認めた。ロニーを失うことになっても、人間としての誠実さを失いたくなかった。

この当時にはすでにガンジーは独立運動をやっていたのだろうか。その辺のかかわりは避けては通れないと思うが、この映画では触れていない。裁判になったとき、興奮したアジズ側の弁護士が中に入れない支援のインド人たちにモア夫人(アジズの無罪を証言してくれるはずが、どこかに連れ去られていないという意味で)、と叫ぶとそれに呼応するように群衆が叫ぶというような場面があるが。

植民地の統治に長い歴史を持つイギリスはいわば、植民地をうまく占領するやり方を持った国。(だからいいということではなく、少なくとも日本などよりはずっと経験がある、という意味で。)

しかし、モア夫人やフィールディングの善意と誠実さを持ってしても、容易にその立場の相違は乗り越えられるものではないだろうし、植民地の人々の苦しみが解決されるものでもないだろう。植民地のものとしてではなく、独立国の人間として認められない限りは。

モア夫人の慈愛に満ちた日本で言えば弥勒菩薩のような表情というのだろうか。限りなくやさしさに満ちた表情は引き込まれるような魅力があった。モア夫人がペギー・アシュクロフトという女優に決まった瞬間がこの映画のすべて、ともいえるような気がする。『アラビアのロレンス』と同じ、モーリス・ジャールの音楽が素晴らしかった。











今も日々の中にある

2007年02月07日 | Weblog
昨年の生誕250年を記念した番組「毎日モーツァルト」が終わっても、その音楽は今も日々の生活の中にある。今年に入ってから他の作曲家の登場が多くなったかなあと思って聞いてみるが、やっぱりもう一回聞きたいと思うのはモーツァルトとベートーベンぐらいだ。

今日のクラシック倶楽部で昨年の音楽コンクール、クラリネット部門をやっていた。その曲がモーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622 だったのでこれは聞いてみようと。

若い演奏者たちー、伊藤さんが4位、女性の近藤さんが3位、2位は沖縄の大学の大学院で学んでいる川上さんは普通のものより長いというバセット・クラリネットを使っていた。1位は4年前に挑戦して2位だったという金子さん。今は外国の音楽大学に留学しているようだ。

貴族だけの楽しみだった音楽が市民の側に降りてきて楽しめるようになったとはいうものの、音楽家一人生み出すのは大変な負担だ。音楽大学に行った子どもの友達が使っていたバイオリンは、祖父から買ってもらったという話をだいぶ前に聞いた。

それぞれに素晴らしく聞こえたが、この間放送されたN響演奏会でザビーネ・マイヤーさんが演奏したときの模様を聞いてみた。ザビーネさんも長いバセット・クラリネットというものを使っていた。当時はこの音色だったらしい。

サビーネさんは若くしてカラヤンに評価され抜擢された女性演奏家。すらりとした長身で女優のような雰囲気を持っている。しかし1年でオーケストラではなく独奏者の道を選んだらしい。それからかなり時が経っているはず。やはり肺活量からして違うかなあというぐらい、音が歌っているというのか、強弱のアクセントを大きくしているというのか、陰影にとんだというのか。

という風に何かしらの違いを感じた。この曲は自分が死んだ後、葬式のようなものがあったらかけてほしいという希望をもっている。それくらい好きな曲だ。なんど聞いてもいいなあと思いながら、もう一回はじめから終わりまで聞いてみた。第2楽章の澄んだ音色にはいつも泣きそうな気持ちになる。















夢のような時間

2007年02月03日 | Weblog
映画「ザッツ・エンターテインメント」(1974年)は夢のような時間だった。放送の途中から気がついて、あわてて録画した。恐らく当時のカラー映像より鮮明ではないかというハイビジョンの映像が素晴らしかった。

子ども時代に母に連れられてハリウッド映画を見に行ったことが映画ファンの始まりだった、なんていう記憶までよみがえってきた。必ずしも子供を対象にした映画ばかりではなかったから、小さかったので一人留守番にしては置けないという単純な理由だったのだろうが、これが思わぬ映画教育になった。

今見てもパワフルなジーン・ケリーではなく、軽やかな身のこなしで天性のエレガンスを持ち、共演者の中でもっとも紳士的といわれるフレッド・アステアのファンだったのだから、とんでもない渋好みというものだ。

よく見るとかなりあごは長いし、どうみても二枚目という感じではないのに、かもし出す雰囲気はこうやって何十年のときを経ても、やっぱりいいなあーとファンであることに変わりはない。

この映画はMGMの看板スターを集めているので、他の映画会社のオードリー・ヘップバーンと共演した「パリの恋人」は入っていない。これは母と一緒に映画館で見たような記憶がある。フレッド・アステアの映画の中では最も好きな映画。

パリを舞台にカメラマンとファッションモデルのラブストーリー。オードリーも歌って踊ってという映画だった。原題はファニーフェイスだったか?最後のほうで公園の中で踊るシーンが一番印象的。

二人が音楽に乗ってくるくると回りながら最初は緑の芝、次にはそのまま白鳥の浮かんでいる小川の小さいイカダ?の上に乗るという演出まであった。オードリーの白いウェディングドレスが緑とマッチして、息を呑むような美しさ。

レスリー・キャロンと共演した「あしながおじさん」もこの映画にはなかったようだ。これも母と一緒に映画館で見たという記憶がある。もしかしたら母と見にいったのを忘れてしまったのかもしれないが、他は後にレンタル店のビデオで見たというのがほとんど。ジュディ・ガーランドの「オズの魔法使い」もそのひとつ。

有名な「虹のかなたへ」という「オーバー・ザ・レインボウ」の歌いだしには、なんだかなつかしくて涙が出そうになった。両親の庇護の下で暮らしていた子ども時代。二度と戻れないゆりかごに揺られているようなふんわりしたあたたかさに、全身が包まれるようだった。

ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアが共演している「イースター・パレード」。ダンスに歌にと、二人とも実に芸達者。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」もなつかしい。彼らはダンスをよどみなく踊った後にも、呼吸の乱れもなく、にっこりと笑顔を見せる。

時間もお金もかけてじっくりと練り上げた芸をスクリーンで披露する。当時は当たり前と思っていたものが今では貴重なものに思える。華やかで豊かな世界が広がるハリウッド映画。それがアメリカという国なんだと当時は思っていた。

ケネディ暗殺、ベトナム戦争と次第にアメリカの内実がわかってくるにつけ、恋が冷めた後のようにアメリカのイメージが崩れ落ちてきたというのが実感だ。繰り返される戦争によって、アメリカというフィルターが取り外され、別な視点から世界を見るようになったという気がする。

以前にも見たことがあった映像も、デジタルのハイビジョン映像で見ると、まったく別物のように見事によみがえってきた。所狭しと踊るフレッド・アステアがこんなにも生き生きした姿になるとは!!遠い日の楽しい夢を見ているような映画だった。

こうやって、またハリウッド映画をおさらいしていれば、あの世に行ったとき母と映画談義が出来ることだろう。父とはモーツァルトの話をしよう。いつの日か、そのときが来るのを楽しみにしつつ・・・。