FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

春一番

2007年03月31日 | Weblog
まだ雪がちらほら降ってきたりするが、庭には春一番に咲く予定!の球根たちが新しい緑をつけて顔を出している。殺風景でただ土があるばかりというところに、こういう緑を発見したときのうれしさは格別だ。室内に咲き誇る花より何倍もの価値がある。

毎週のように見ているポール・スミザーの四季のガーデン生活。なかでも土作りや剪定の方法など、画面で見るので参考になっている。番組の最後のところでは土手に咲く水仙の黄色い色が鮮やかだった。我が家の庭はまだ咲くまでかなり時間がかかりそうー。

上京したときにはどこか花の見られるところ、などといって騒いだが、結局どこにいってもまだバラどころか葉っぱしかないよ、といわれて実現しなかった。番組でよく出て来る関西の宝塚にある広大なガーデンへは行こうと思えば行けたようだ。もっとも咲いているのはせいぜいスノードロップの小さな花くらいだろうけど。

ポールのいうナチュラルガーデンというのは、日本のその辺に咲いている野草を家庭の庭にもという考えらしい。しかし、見回すとこの当りには自然がいっぱいで、自分のうちの庭までナチュラルにしようとは思わないなあというところだ。やっぱり半年雪に覆われていれば、華やかな色彩溢れるバラの魅力にはかなわない。

東京の六本木に出来た国立新美術館を見に行ったとき、入り口から会場まで少し歩いていく道があった。その横は塀のようになっていて、以前雑誌で読んだような壁面ガーデンというのか、壁面の緑化というのか。近寄ってよく見ると、塀の壁には雑誌で解説していたようなフェルトが張られていて、針金も縦横に張り巡らせてあった。

緑はアイビーのようなツタ類を這わせていた。これからあたたかくなったり、時間が経てば壁面いっぱいになるだろうという計画のようだった。雑誌にはフランスのパトリック・ブランという植物学者が建物の壁に垂直な庭(バーティカルガーデン)を作ることをはじめたと書いてあった。その記事の記憶が頭の隅に残っていて、フェルトを見た途端に思い出した。

これの壁に使われているのが「特別なフェルト」。根が成長するための深さは必要でなく、平面的な広がりがあればいいということで、パリばかりか、日本でも金沢の21世紀美術館に使われて話題になったということだ。大都会では高さのあるビル群にこれを適用したら、40度近くまで上昇する気温を少しでも抑えられるのでは、などと思った。子どもたちが住んでいるところでもあり、なにか遠い出来事ではない気がしている。

(写真は庭で写した、春一番)









大きな違い

2007年03月29日 | 雑感
27日に判決が出た沖縄返還密約に関する西山事件訴訟。親の代から読んでいる!全国紙の朝日新聞がほんのちょっとの記事でがっかり。今日はその分を社説扱いにしていた。逆に地元の北海道新聞が28日付の新聞では一面トップの記事で、これには大いに見直した。

この間見た、映画『大統領の陰謀』。ワシントンポスト紙の若いボブ・ウッドワード記者とカール・バースタイン記者のコンビが1972年、ウォーターゲート事件から、実はそれは単独の事件ではなく、泥棒と思われた5人の民主党本部への盗聴装置をつける事件として発覚したが、ニクソン再選委員会が糸を引いている選挙妨害で、CIA,FBIともつながった一代謀略だったということを元になる二人の本から映画にしたものだった。

1971年6月に日米間で調印された沖縄返還協定で、米側負担と定められた軍要地の原状回復補償費4百万ドルを日本側が肩代わりする密約があったのではないかと、調印直後に毎日新聞記者だった西山太吉さんが記事で指摘。

1972年3月、西山さんが外務省の女性職員から入手した極秘の電文を基に、当時、社会党の横道孝弘衆議院議員が衆院予算委で密約の存在を追及した。日本政府は現在も密約を否定しているが、2000年~2002年、密約を裏付ける米公文書が発見され、昨年、交渉を担当した吉野文六・外務省元局長も密約があったことを認めた。(道新記事から)

27日の判決は国家公務員法違反の罪で1978年に有罪が確定した西山さんが「協定には違法な密約があったにもかかわらず、違法な起訴で名誉を傷つけられ、記者活動の停止に追い込まれた」などとして、国に謝罪と3千3百万円の損害賠償を求めた訴訟に対するものであった。

東京地裁の加藤謙一裁判長は、不法行為から20年で損害賠償の求償権が消滅する民法の「除斥期間」を適用し、請求を棄却した。はじめから国家のウソを裁く気概も何もないのだから、米公文書が発見された後に、外務省側がアメリカ局長の吉野氏に「密約はないと否定してほしい」と口止め工作をしたとする原告側の主張についても「的確な証拠がない」。

西山さんは「想定した中で最低の判決」と怒りをあらわ。提訴したのは2000年以降に米国で密約を裏付ける資料が続々と出たことによる。日本の財政負担は6億ドルを超え、「うその協定を国会に出し、うその財政支出をした国家犯罪」であると。

当時、マスコミは外務省女性職員からの電文入手をスキャンダラスに扱い、問題の本質がずれていった。「恥をしのんで」提訴に踏み切ったのは「国家犯罪を法廷の場で国民に知らせる」という西山さんのジャーナリズムがあったからだ。

「歴代外相が密約を否定し、それを社会、メディアが容認する。これは先進国じゃない。裁判を通じて密約問題が知られた。無駄ではなかった。戦い続ける」とこれからも控訴する方針だ。

当時のことは西山記者の存在とスキャンダルがあったということは多少覚えているが、随分時間が経った。しかし、おんなじころにアメリカのほうで、ウォーターゲート事件からニクソン辞任という事態まで引き出した二人の記者の報道とそれを擁護した側がいたということを知れば、あまりにも取り巻く姿勢の違いに愕然とする。西山さんはすでに75歳になった。戦い続ける人生はまだ終わらない。

(写真は上京した時に撮った、上野国立西洋美術館の入り口付近に展示されてあったロダンの「地獄門」。考える人の像ははるか上にあった。)













終わりは始まり

2007年03月28日 | Weblog
新聞のコラムも3月いっぱいで最終回になるものもあり、その中の一つがあざらし日和の旅日記。舘浦海豹(あざらし)さんという方が書いていたもので、いつも道内の温泉を紹介する楽しい1文が載っていた。今日は最後のところに憲法についてのことも書いていて、これには感激した。

高速道路も80キロ制限の制限速度で走っている車はない。朝、新千歳空港へ向うとき、左車線なのに全員130キロで走っていたことがある。でも捕まったらスピード違反。それが大人の現実。

憲法9条を変えようと言っている人は、法定速度が現実と合わないから、高速道路の制限速度を100キロにしよう、といってるのと同じ。人間は80キロ制限でも100キロ以上で走る生き物なんだから、制限速度を100キロにしたって、実際はそれ以上のスピードでみんな走るし、取り締まるオービスの設定も100キロには出来ない。それが現実。

でも、憲法9条が非戦の理想を掲げているから、自衛隊が罪もないイスラム人を殺すことを日本人は認めない。理想という歯止めは、少しずれて現実にブレーキをかける。憲法9条を現実に合わせて後退させたら、現実はもっと暴走する。太田光や湯川秀樹の全世界非核武装論のほうが「現実的な理想」に思える・・・。

いやー、まったく、そう思いますねえ。国民投票法案も9条アレルギーのない18歳以上に設定しようとしているというところまで、政府の策動は進んできましたが。理想を捨てたらどうなるかー。この年齢で(といってもお年は分かりませんが)、「理想」という言葉が出てくるというのは、おそらく「おんなじ世代」に違いないと確信しています。

文中にあったはるみ知事が出ているという「米チェン」っていうCM.道外米に米チェンしろって言うことかよとお怒りでしたが。確かにー。おいしいかどうかは二の次でずっと我が家は「きらら397」を食べています。いまだに雪印(メグミルク)の乳製品を探してでも買うというのとおんなじ心境です。

上京したときには、つややかな葉っぱに赤い花の椿があたたかい春の陽光を浴びて、なんて綺麗なんだろうと。帰ってみるとまだ緑は雪の下。あーあ、春はまだだなあーとまだ白い外界を眺めた。それでも冬に雪のないところで過ごしたらどうなるのだろうか、という考えがふと頭に浮かんだ。雪はどこにあるの?とボケた頭で必死に探してしまうかもしれない。

(写真は上野公園で見た赤い椿の花)










プレゼント

2007年03月21日 | 絵画
今回の旅は誕生日を記念して、3人の子どもたちがプレゼントしてくれたものだった。自分たちが行くより上京してくれたほうが旅費が安くつく、併せて観光もかねてというもので、東京から北海道へ行く飛行機代がとんでもなく高くつくことから始まったもの。こどもたちが飛行機のチケットに始まって、なにからなにまで手配してくれた。

今までは子どもの引っ越しや緊急に入院したということでの上京で、一人で電車に乗ってあちこち都内に出かけるというほど余裕もなく(実際、電車の乗り継ぎはそこまでわからない)、あまり観光という旅行にはならなかった。

関西空港に降り立ち、ここで仕事についている一番下の子の新しい住いへ。日中は大阪や神戸へ行き、夜には天然温泉があるからと車で連れて行ってくれるなど、案内するところを一度下見をしに行ってくれたようで、周到な用意には驚いた。中華街は観光客でにぎわっていて、たのしかったねえ。アンリとベルカンプのゴール集は宝物だし、イヤリングとレースのバッグは大切にするからね。カーブのときの運転と食事には気をつけてねー。新幹線のぞみ号に乗って、東京へ。

東京では八王子に住んでいる一番上の子が出迎えてくれた。夜にはお友達と一緒にイタリアンの店へ。おいしかったよー。仕事は30歳になってからがおもしろいと下の子に助言しているようで、親としてはこの大都会でよくぞ頑張っていると頼もしくもあり、同時に結婚の心配もするという、微妙な?立ち位置でもある。

翌日はオルセー美術館展へ。上野公園は晴天もあって、行き交う人がぶつかりそうなほどの、大変な人の数でにぎわっていた。ジャズを演奏している周りにも人だかりがあり、動物園もあるからか、出店も出ていてまるでお祭り気分。椿の赤い花が明るい春の陽光を浴びて輝いていた。ピンクの花をつけていたあの木は何の木?綺麗だったなあー。

入場券を持って、3列か4列になって入り口に並ぶなど、尋常じゃない混みようになっている。説明を耳に当てて聞くイヤホンをつけている人々はじっくり派!でこれがなかなか進まない。お目当てのゴッホのアルルの寝室とアルルのダンスホール。これは最前列の場所へ無理矢理!進み出て見た。(このあたりは普段からサッカーを見ているのが役に立った?)

これだけで目的達成という感じだったが、紹介するTV番組を見ていたので、バジールの大きな絵やマネが描いた黒い服のベルト・モリゾは見てよかった。マネのベルト・モリゾの絵は大きなものではなかったが、一番印象に残った。

その次は練馬の住むこどものところへ。つれあいが何かと気を使ってくれるのが申し訳ないやら。結局疲れてきたので、お手製の餃子などの中華料理をご馳走になった。どれもおいしかったよー。餃子を上手に作るのには感心したし、みず菜と大根の千切り、それに赤いクコの実、クルミが乗っかっている中華風サラダ。あんまりおいしかったからこれからスーパーで材料を探して、作ってみるつもり。

もう一つ見た~異邦人たちのパリ、1900-2005~というのは六本木に新しく出来た国立美術館のオープンを記念して開催されている。出展物が多かったが、目玉は藤田嗣治の絵。「カフェにて」という白人女性がカフェで座っている絵は大きくはなかったが、圧倒的な存在感があった。その透明な乳白色の肌は随分苦労して作り出したもので、西洋の文化の只中にいても、どこか東洋の香りがするという独自色を打ち出したものだ。

大阪で見た佐伯祐三が描いた絵の中にある、顔の部分を自らの手で剥ぎ取ったように、日本人が芸術の発祥地と見なしていたフランスで、東洋文化と融合した自分の画風を確立するのは至難のワザ。藤田はそれを成し遂げた後に、太平洋戦争をはさみ、今度は日本との関係で疎外されてしまう。戦争協力を批判され、その後日本を離れ、二度と戻ることはなかった。「カフェにて」という素晴らしい絵を、肉眼で見られただけでも行ってよかったー。

次は就学旅行以来という浅草へ。雷門がなつかしい。外国人の観光客がいっぱいいた。人の顔が描かれている羽子板と赤や緑や黄色などの色の着いた羽に黒豆か何かの重りをつけたもの。これがいまだにお店で売られたのには感激した。このあたりがいかにも下町の浅草なんだなあと。お正月になると羽子板つきをやっていた昔の思い出がよみがえってきた。なつかしいー。

旅行中はいうなれば興奮状態で、疲れているのかどうかわからないという感じだったが、帰ってくると正気に戻り?どっと疲れが出てきた。文章も考えるどころじゃないというくらいで、今日の休みでようやく一息。

旅行ということもなく、通販で買ってあったドイツのベアー社の靴。柔らかい皮で足指の部分が幅広く、靴紐がくるぶしの上のあたりにあって、調節できるというもの。これを履いていったので、旅行も楽しいものになった。かなりの距離を毎日歩いたが、ひざも大丈夫でホッとした。

子どもたち3人を都会に送り出し、その余波!で老後も悠々自適といえるほど優雅にはいかないが、3人というのは親と子の関係とは別に、きょうだい間の関係があり、これが親としてはなによりもうれしい。ケンカもあるが、助け合って情報交換したり、一緒に旅行もしているようだ。

みんな大人になって、今では親を気遣ったり、助けようとしてくれたり。
とにかく感謝の気持ちでいっぱい!!
涙とともにありがとう!!







旅行中

2007年03月17日 | 絵画
今、旅行中。実家から一番遠く、関西に就職した子どもの住んでいるところへ行ってみるという約束がようやく実現した。思ったより風が冷たいが、いいお天気に恵まれて、雪のないところの色とりどりの花壇や梅の花が楽しい。

車を運転していろいろなところを案内してくれた。毎朝食べているヨーグルトに冷凍のブルーベリー、それに好きなブラックチョコレートまでを用意してくれていたのにはびっくり。大阪の心斎橋ビルの展示室で大阪市近代美術館の佐伯祐三とパリの夢展へもー。

1898年(明治31年)から1928年(昭和3年)までわずか30歳の生涯。西洋崇拝が今より強いのではないかという時代に、西洋絵画の模倣から一歩抜け出して、自分の画風を確立するというのは、さぞや大変なことだったのではないのだろうか。

描かれている絵は日本人画家というより、パリに住む画家という感じに見えた。建物が経ってからの時間が塗りこめられたような壁のあるパリに町並み。そういう絵より作品の数はすくないが、太い線で描かれた人物画にひかれた。

今日は神戸まで行って、中国人街のお店で食事。横浜の中華街を思い出した。サッカーショップ、KAMOに行って、アーセナルのアンリとベルカンプのゴール集を見つけたときはうれしかったなあー。その店の人が釧路出身の人ということで話が盛り上がった。

コンサの今季第1試合の京都戦へ応援に行ってきたそうだ。神戸に住んでいてヴィッセルを応援しないわけにいかないだろうし。両方応援してくださいねということでさよならしてきた。これからちょっとばかりそのDVDを見ることにしようー。





『大統領の陰謀』

2007年03月16日 | 映画
1976年/アメリカ/132分。アラン・パクラ監督。何回かWOWOWで放送された。ウォーターゲート事件を追うワシントンポストの若き二人の記者、カール・バースタインとボブ・ウッドワードが事件の真相に迫る地道な活動をドキュメンタリータッチで描いている。見ていくうちに、映画という枠を超えた衝撃を受けた。

1972年6月の土曜日、午前2時ごろ。ワシントンにあるウォーターゲートビルの5階にある民主党中央本部に5人の男たちが侵入した。ビルの警備員が泥棒かと思い、不法侵入の現行犯で捕まる。

入社してからまだ9ヶ月のボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)と16歳からこの仕事をしているというカール・バーンスタイン(ダスティ・ホフマン)がこの事件の担当になる。

ボブが裁判所に行ってみると官選弁護人以外の弁護士が既に雇われていた。侵入者の一人が最近CIAを辞めたことを認めたとき、これは大変な事件だと気づき始める。誰がなぜ、民主党本部に盗聴装置をつけたのか。二人の必死の捜査が始まる。

最初は裏づけがないと記事も没にされるが、ボブには助け舟が現れた。ディープ・スロートという犯人側に近い極秘の情報を流す人物。次第に電話は危ないと深夜の地下駐車場の暗闇で会うことになった。この人物に金を追えといわれる。

やがてニクソン再選委員会への募金が侵入犯の元へ渡っていることを突き止める。「ウォーターゲートの侵入犯に選挙資金が」という記事を書く。こうしてカール・バースタインとボブ・ウッドワードの連名による記事が次々と新聞に掲載されることになる。

しかし、上司の主幹ブラッドリー(ジェイソン・ロバーズ)たちにはまだ不安があった。情報源が不正確、ホワイトハウスはすべて否認。他社はほとんど取材を中止。ウォーターゲート事件に熱を上げているのはうちだけだとー。

ジョンソンがFBI長官の後任を物色中という特ダネを記事にしたら、その日に大統領はフーバーを終身長官にした。そしてこういったとさ。”くたばれブラッドリー”

皆に言われた。私がフーバーを長官にしたと。だが誤報じゃなかったのだ。ディープ・スロートはなにものだ。信じられるか。自分の部下を信頼するしかないな。信頼が苦手だがー。朝刊に出せー。

”ミッチェル、共和党秘密資金を管理”ワシントンポストによれば、ミッチェルは司法長官のときも共和党の資金を管理。ミッチェルこれを全面的に否定。

ディープ・スロートの言葉。驚くほど多い関係者。米国の諜報社会の全部に及んでいる。FBI,CIA,司法省、想像以上だ。ウォーターゲートは二の次。もみ消しは全部のためだ。皆が一味。君らの生命も危険だ。

二人はこの言葉を受けて、深夜ブラッドリーの自宅へ行く。いぶかしむブラッドリーに監視があって生命も危険な状態を知らせる。二人に向ってブラッドリーが言う。「守るべきは憲法の修正第1条。報道の自由、この国の未来」・・・

映画を見ている側にも、ずしんと胸に響くブラッドリーの言葉。1974年にニクソンは再選を果たした後に辞任する。そして時間をおかずに作られたこの映画。アメリカの映画人の情熱と世に問うべきは今だという強い意志が感じられた。このことだけでも胸が打たれる。

この時期に比べると、イラク戦争から数年経ってもこういう種類の映画が作られていないという状況が、逆に「今」を語っているのかもしれない。ディープ・スロートの諜報社会の全部が関わっているという言葉はおそろしい。そういう人間しか周りには選んでいないということでもあるからだ。なるほど、それなら9・11についての噂もありうるだろうなとー。

ロバート・レッドフォードとダスティ・ホフマンの若々しい姿が輝いている。特にロバート・レッドフォードはこれが代表作ではないかというくらいにいい。しかしなんといっても主幹のブラッドリー役のジェイソン・ロバーズが素晴らしい。これでアカデミー助演男優賞を受賞したようだ。

昨夜、ボブ・ウッドワード記者へのインタビューを少し見ることが出来た。本を出しているようなので、そのうち読んでみたい。最近、暗闇でしか見ることがなかったディープ・スロートが、姿を表したそうだ。

FBIかCIAだったか、それの副長官だったようなー。そういう側にいる人間にも良心があった。それをなんとか新聞記者に伝えようとした。そういう行動に奮い立たせる人間の勇気というものはどこから生まれるものだろうか・・・。