FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

新しい歴史を作る

2010年02月27日 | 雑感
昨日は朝から女子フィギュアスケート、フリーの競技時間が気になっていた。いよいよその時間になると、浅田真央さんの氷上の演技には心拍数が上がりっぱなし。なんとかトリプルアクセルを決めて、逆転してほしいと願いつつ・・・。

直前にはキム・ヨナ選手が過去の記録を塗り替える高得点を得ている。入れ替わって真央さんが登場すると、重々しい鐘の音が鳴り響く音楽に合わせて赤と黒の衣装、黒い手袋。心配されたトリプルアクセルも二度成功したが、後半はミスが出て残念だった。大技を決めた後の疲れも出たのかもしれない。

結果はキム・ヨナ選手を上回ることは出来ずに2位。真央さんに笑顔はなく、インタビューでも悔し涙を流したが、女子フィギュアでは史上初、ショートプログラムとフリーで3回トリプルアクセル(3回点半ジャンプ)を決めた。誰も出来なかった新しい歴史を作ろうと、それに挑戦したことが素晴らしい!!

採点で決めるというこうした競技ではいつも疑問が出てくるが、今回も改めて歴史を作る新しい技に対して、どうしてこんなにも評価が低いのか。男子フィギュアでも金メダルは3回転しか飛ばなかった選手に与えられたが、何も挑戦しない無難な演技に高得点が与えられたことにブーイングが起きて当然。

真央さんはキム・ヨナ選手よりもっと高度なことが出来たのに勝てなかった。最後のところは“コーチ力の差”という気がする。配点内容に問題があっても、現状ではそれを計算しなければ勝てない。タラソワ・コーチから離れることが必要では?

随分前の話で正確な記憶は薄れたが、旧東ドイツのカタリナ・ビット選手(1988年カナダ・カルガリーオリンピックで金メダルを獲得したそうだ)が当時はそのエレガントな美しさで大変な評判だった。

ビット選手は氷上の演技に平和のメッセージを込めるという選手でもあった。真央さんにも一途に自分との戦いに挑んできた神々しいほどの美しさが漂っていた。









挑戦する姿勢

2010年02月24日 | 雑感
今日は日中の気温が上昇し、住宅街の道路は車のハンドルが取られるほど雪が解けてグチャグチャ。このところ連日、女子カーリングなどオリンピック競技を楽しんでいる。今日のハイライトは浅田真央さんが出場したフィギュアスケート、ショートプログラム。

女子フィギュアでは史上初というトリプルアクセルを成功させたが、すぐ後に滑った韓国のキム・ヨナ選手が1位となり、真央さんは2位になり残念。採点方法ということでは何年か前にも、政治力に左右される曖昧さが問題になったような気がする。

メダル獲得のための“傾向と対策”はある程度仕様がないとしても、どうも“挑戦する姿勢”に高い配点をしない。ロシア代表プルシェンコの採点にもそれが表れていた。安全な滑り方の方がいい点数が与えられるというのなら、そのうち誰も難しいジャンプを飛ばなくなるのでは?と腹立たしい。明日はお休みで明後日に今度はフリーが行われるそうだ。

雄大な山の景色をバックにしながらのスキー競技も迫力があって面白い。スキーは高いところから一気に低いところに降りてくる瞬間に、スリルと冒険心が詰まっている。こどものころは坂の上からそりに乗ったり、ストックが竹だった時代のスキー、竹を割って曲げてある竹すべりなど、遊びながら雪のスポーツを楽しんでいたなあとふと思い出した。










春を待ちながら

2010年02月17日 | ガーデニング
「猫のしっぽカエルの手~京都大原ベニシアの手づくり暮らし」はVol.27冬のぬくもり。今回はバレンタインデーの前ということで、キマちゃん(11歳)ジョー君(10歳)と一緒に、フェルト作家の旧友を訪ね、ハート型ブローチを作ってみる。もう一つはミントゼラニウムを使ったミントチョコケーキづくり。

今回登場するフェルト作家・ジョリー・ジョンソンさんも、ベニシアさんに負けず劣らず妥協のない人生を選択してきた。アメリカボストンで羊毛を扱う商人の家に生まれ、フェルトに囲まれて育った。大学で技法を学び、研究のため世界中を巡るうち、23年前にシルクロードの旅の果て、日本に辿り着く。ベニシアさんとは英会話学校を手伝っていた仲という。

フェルトは羊毛に石鹸液を加えて圧力をかけると丈夫な生地になるそうだ。キマちゃんは鮮やかなブルー、お母さんに贈りたいというジョー君は赤い色、ベニシアさんは落ち着いた小豆色と、それぞれ羊毛を選ぶ。

仕上げにはフェルトを型から外し、棒に巻き付け、根気良くローリングしていく。どんどん縮まり、しっかりした布地が出来るとブローチとして完成。最近、フェルト作りは注目されているそうだ。

遠い異国の地で創作活動を続けるジョリーさんには、強い意志とりんとした空気が漂っていた。ベニシア日記・・・むかし、古代シュメール人は野生のやぎや羊の毛でフェルトという最初の布地を作りました・・・。

ベニシアさんは今日も毛糸のセーターを厚着して庭を見回っている。早咲きのスミレを見つけ、その上の落ち葉を取り除くのに忙しい。この辺りはベニシアさんのところと違って、スミレの花を見るのは5月ごろだろうか。毎日の雪かきは大変だけど、春を待つ心は一緒。

ベニシアさんはキマちゃんに、ハーブを使ったチョコレートケーキの作り方を伝授。孫のキマちゃんはものづくりが大好き、目が輝いている。ベニシアさんも“後継者”を見つけてうれしそうだったねえ。





自分の頭で考える

2010年02月12日 | 雑感
ハイチ地震による被害状況が刻々とニュースとなり、支援活動が伝えられる中、日本の新聞、TV番組はそれどころじゃないと、検察リークによる小沢政治資金問題の報道に明け暮れていた。国内問題ということでいえば、経済、雇用問題が余程優先されるはずなのに。

そんな中、検察批判で一人気を吐いていたのが【日刊ゲンダイ】。2月9日付【小沢捜査を斬る!】では、ニューヨーク・タイムズ東京支局長、マーティン・ファクラー氏(43歳)が登場している。今回の報道では“世界基準”はどうなのかが一番知りたいところ。

・・・小沢さんの事件だけじゃなく、去年の西松事件や鳩山首相の偽装献金の時もそうでしたが、9割以上の記事が検察の言うことをうのみにしている。小沢さんは、逮捕も起訴もされていないのに、新聞を読むと【有罪】。日本を含めた民主主義国家では、裁判で判決が出るまでは【無罪】。

記者として基本的な出発点を無視して、検察の言うなりになってしまっています。・・・西松事件では、(自民党の)二階さんや森さんの名前も挙がったのに、なぜ彼らは追及されなかったのか?もっと報道に主体性があっていい。

欧米の検察では日本ほど大きな裁量権はありません。日本の検察は捜査権、逮捕権、公訴権があるだけでなく、何週間にもわたって容疑者を拘束できる。そして拘束している間に毎日のようにリークの爆弾を落とす。

容疑者本人は拘束されているから自分の弁護ができない。これでは読者が【有罪】だと思ってしまっても仕方がない。なぜ、どうして、なんの目的で検察がこういう捜査をしているのか。そういう記事をほとんど見かけません。

検察を完全に信じて、情報源としているだけ。検察という非常に大きな権力を持っている機関が、その権力を乱用しているのではないか、そういった問題提起がまったくありませんね。問題意識を提示するのがマスコミの役割の一つ。

たまにそういう記事を見るとほとんどが記者が書いたのではなく、外部の識者のコメントで、自分たちで検察を批判することが出来ない。無責任です。・・・それは記者クラブ制度があるからでしょう。・・・若い記者たちを話すと、みんな記者クラブがダメだというのはわかっている。

・・・米国でも既得権益が強かったが、インターネットの参入で、新聞社が倒産して、古い仕組みでは生き残れなくなった。日本もそうなれば流動化するかもしれませんが、まだそこまで切羽詰ってないですね。(おわり)

【日本を含めた民主主義国家では裁判で判決が出るまでは無罪】これは今回の報道で一番欠けていた問題意識、人権意識ではないだろうか。書く側の問題ばかりではなく、読む側も“なぜ”、“どうして”と“自分の頭”で考えていけば、またメディアの狂騒曲とは違った視点で見ることが出来るし、おのずと答えも見つかるのではないかと思う。






抗議に抗議

2010年02月12日 | 雑感
薄い桃色の衣装を着て氷上を舞う浅田真央ちゃんの表紙が可愛い「週刊朝日」2月19日号。検察から出頭要請があったというその後はどういう紙面になるのかと、地方では少し遅れて店頭に並ぶ雑誌を買いに本屋へ・・・。

まずは毎号検察批判記事を展開している【ジャーナリスト上杉隆+本誌取材班】による〈東京地検の「抗議」に抗議する〉という記事には拍手喝采。自信を持って反論している。権力に屈しないのがジャーナリストの矜持。痛快!!えらい!!

・・・先週号で筆者は、検察が何の罪もない若い母親である女性秘書を騙して呼び出し、10時間近くにわたって「監禁」し、「恫喝」を繰り返すという卑劣な取調べを行ったことについて詳細かつ具体的に報じた。

・・・2月3日、突如、当の東京地検から谷川恒太・次席検事名で、記事が「全くの虚偽である」とする「抗議書」がファクスで送られてきた。しかもその内容は反論するのも気が引けるほどお粗末な代物だったのだ。その抗議書で「虚偽だ」と具体的に挙げているのは3ヵ所だけである・・・

・・・夫への電話で子どものお迎えの都合がつかなかったことで、この瞬間、この若い母親はパニック状態に陥り、手が震え、過呼吸症候群に陥ったのだ。ちなみに取り調べ後、病院で診察を受けた女性秘書には診断書が出され、いまだに精神的ショックから立ち直れず、完全な職場復帰が出来ないでいる・・・

・・・この際、筆者の記事と谷川次席検事の抗議書のどちらが正しいか、はっきりさせようではないか。国会は10日から議連として捜査可視化の検討が始まる。その時期を前に、まさか無記録だとは言わせない。・・・

・・・それにしても、女性秘書に対する検察の「犯罪行為」を報じる新聞・テレビが皆無なのはなぜか。幼い子を持つ母親への卑劣な行いなど、普段ならばワイドショーが飛びつきそうなネタではないか。

実は新聞・テレビがこのニュースを避ける理由は、それが検察批判につながり「共生関係」にある記者クラブ自体の自己否定になってしまうからだ。そのため、日本社会にはこの「事件」が存在しないことになっているのである。・・・(おわり)

【編集後記】には・・・「東京地検から出頭要請を受けた」ということについて「そのような事実はありません」・・・。さまざまな人から多数の暖かい応援、激励のメッセージをいただきました・・・涙が出るほど感激しました・・・とあった。

今回の報道では本家の朝日新聞はじめ新聞各社、TV報道番組が検察と一体化している状況で、その圧力に抗して踏ん張っている「週刊朝日」は貴重な存在。“自己否定”なんていう、なつかしい言葉まで飛び出すとはね。何とかがんばってほしいと、毎号買いに走っているこのごろ・・・。











内なる炎

2010年02月09日 | ガーデニング
「猫のしっぽカエルの手、京都大原ベニシアの手作り暮らし」はVol.25~明かりを灯して~。ベニシアさんは冬になっても忙しい。つばきやつつじの木の根元に腐葉土を撒くガーデニングの手入れ、庭のローズマリーを使ってイタリアンハーブブレッドを手作りする。

ベニシアさんの大原暮らしは14年目。今回は和ロウソクに興味を持って、その老舗で植物のハゼの実から取った蝋を使うという伝統の技法を学び、作った何本かは持ち帰り、お孫さんのキマちゃん(11歳)とジョー君(10歳)と一緒に絵付けに挑戦。こういうときが一番楽しそうだ。

ロウソクは朝の瞑想の時間そばに必要、庭の手作り簡易温室にも雪になりますと予報が出れば夜通し灯しておく。今でも生活の必需品。番組を見ているうちにふと、そういえば子どものころ、「ロウソク」と名前がついた童話を読んだなあということをかすかに思い出した。

ウィキペディアで検索してみると「小川未明」という作家の「赤いロウソクと人魚」(1921年・大正10年)というお話だった。子供心になにか人魚らしい挿絵や悲しいお話だったというのが印象に残っていた。

日本のアンデルソンといわれた童話作家と書いてあった。多分本好きな両親は日本が誇る童話作家の本をグリムやアンデルセンと一緒に是非読ませたかったのだろう。この本に書かれているロウソクはもちろん和ロウソクで、京都の職人の方が長く伝統を守ってこられたものだ。

ベニシア日記から印象に残った“内なる炎”
・・・誰しも心の奥に燃える炎を抱いています。この“内なる炎”のおかげでわたしたちはこの一瞬を、この一日を生きていけるのです・・・

青春時代にもっとも燃え盛った炎。その後、挫折したり、社会に取り込まれてひっそり胸の奥にあっても、内なる炎はずっと燃えている。伝えられる出来事にもこれはおかしい、なにか裏があるに違いないという“嗅覚”を私達の世代は真っ先に感じるのではないだろうか。

ベニシア夫婦は暖かいストーブの前、まずぶどう酒で乾杯。その後イタリアンハーブブレッドを食べ、語らいながら夜が更けていく。おいしそうだったねえ。








勇気ある記事

2010年02月02日 | 雑感
昨日の北海道新聞朝刊、第7面に注目に値する記事が掲載されていた。文芸評論家、斉藤美奈子さんによる~小沢氏資金問題、検察よりの報道に疑問~。しかも自分のコラムを掲載している新聞社を批判しているわけだから、大変に勇気ある記事。

一連の小沢幹事長に関する報道をわかりやすく総括したような内容で、この記事の大きな意味は新聞記事やTV報道だけ見ていてはわからないもう一つの世界、“ネット”があって、そこではいわゆる新聞紙上での世論調査と違う見方が存在している、といっていることだ。

引用すると・・・Aタイプ(素直派)「小沢さんはやっぱりゼネコンの裏金を受け取っていたのかな」「秘書と元秘書が3人も逮捕されたんだからね」「結局自民党と同じか」「民主党には期待していたのにがっかりだよ」この辺が「街の声」の標準的な線であろう。・・・しかしながらこれはあくまで一方の見方に過ぎない。有識者のブログを含むネット上では、Aとは逆のもう一方の見方も少なくない。

Bタイプ(懐疑派)「これは検察の暴走だよ」「よっぽど小沢さんをつぶしたいんだ」「国会開幕直前に現職議員を逮捕するのは異常だよ」「贈収賄事件でもないのに」「検察よりのマスコミもおかしいよ」もしBの見方がAと同程度の分量で報道されていたら、世論調査の結果も違ったのではないか。・・・

ちなみに直近で私が目にした限り、メジャーな活字媒体でBのような立場の記事や意見を載せたのはジャーナリスト上杉隆氏との連名で〈検察の狂気/これは犯罪捜査ではなく権力闘争である〉と題する検察批判記事をトップに掲載した「週刊朝日」1月29日号。

〈検察とメディアが生む「小沢冤罪」の危険性〉を指摘したジャーナリスト田原総一郎氏。「週刊文春」1月28日号の連載コラムで〈検察による小沢一郎叩き〉への違和感と怒りを表明した作家小林信彦氏。

やや及び腰ながら〈総力をあげて小沢つぶしにきた検察〉の危険な体質を報じた「AERA」2月1日号。連日検察批判の記事を載せ続け、小沢氏の事情聴取後の1月25日号には〈大マスコミ検察より報道の検証〉と題してメディアの問題点を報じた夕刊紙「日刊ゲンダイ」。そのくらいだった。

NHKも民放も全国紙も地方紙も、右へならえで「小沢金脈」に疑惑の目を向けている現状では、ま、多勢に無勢である。・・・脱官僚政治や記者クラブの解放を掲げる民主党は、検察官僚にとってもテレビ局や新聞社にとっても好ましい存在ではない。

だから小沢つぶしなんだ、と考えるのは短絡的だとしても、従来の特権を行使できるか否かの瀬戸際にある以上、検察もマスメディアも「利権の当事者」であるのは否定できない。監視が必要なのは政治家やゼネコンだけではないのである。(おわり)

一地方新聞だから書けたのかもしれないが、このところ長年購読してきた「朝日新聞」やその影響下にある「報道ステーション」には、とことん腹が立っているので、これには拍手喝采だ。このごろは応援しようと「日刊ゲンダイ」も毎日買うようになった。

田中角栄元首相を失脚させたロッキード事件はアメリカから火の手が上がり、その中身も新聞やTV報道でしか知ることが出来なかった。ネットなどなかった時代には街頭で呼びかけるか、泣き寝入りするしか方法がなかった人々が、そこで自分の冤罪を訴えている。

今回グーグルで検索しながらこの問題を考えるうちに、そうしたネットメディアの存在、冤罪を訴えている人々がもっとも検察の姿勢を批判し抗議しているのを知って、大きな感動を覚えている。一般市民も出来ることとして、「検察官適格審査会」に審査申出書を送ろうという動きさえあるのだ。

検察とメディアが一体となって作り上げた小沢幹事長の“疑惑”。これが裁判まで行くような事になったら、たとえ長い時間の後に無罪になったとしても、その政治生命は失われてしまう。検察の狙いはそこにある。マスメディアこそ“自浄能力”を示すべきだ。“当局の情報操作に手を貸した”などというのはもっとも恥ずべき事ではないか。











生で見たのに

2010年02月01日 | サッカー
昨夜というのか真夜中というのか、イングランドプレミアリーグでの大一番、現在2位のマンチェスターユナイテッドと3位のアーセナルの試合は、アーセナルのホーム、エミレーツで開催。これはなんとしても生放送を見ようとがんばって!見たにもかかわらず・・・。

前節のアストンビラ戦は0-0で終了。プレミアリーグきっての得点力にもかげりが出てきて、3トップにはアルシャビン、ロシツキー、ナスリといずれも本来はMFでFWではない選手。ちょっと不安な気持ちで見ていた。アルシャビンが積極的に左サイドから上がってシュートまで持ち込み、これはいいと思わせたが先制点を奪うことが出来ない。

ユナイテッドが俄然得点意欲をむき出しにして速い攻撃を仕掛けてくると、自陣に張り付いてピンチの連続。前の試合でマンチェスターシティとの熾烈な戦いを最後に競り勝った、という勢いが出ていた。

前半32分にはアーセナルのGKアルムニアがボールをはじききれず、それがオウンゴールになってしまう。どうしてセンターバックのギャラスが相手エリアまで上がっているんだろうと思ってみていたら、そのギャラスが失ったボールからカウンター攻撃が始まり、長い距離を走ったルーニーの速い足に追いつかず、37分追加点を許し、前半のうちに2点を追いかける展開。

後半反撃開始と意気込むが、さらに52分には日本のJリーグにいた韓国人選手、パク・チソンに3点目を決められるとさすがに敗色濃厚。60分過ぎウォルコット、70分過ぎにはエブエ、怪我から復帰のベントナー投入。本職のFWが入ったことで攻撃が活性化。80分にはゴール前の混戦からDFヴェルメーレンが押し込んで1点返す。1-3.

しかしスコアはこのまま動かず、不本意な結果で終了。ルーニーがこの試合で得点を20点に伸ばしたという好調さがあったにしても、ナスリの守備は気になってしようがなかったし、こういう大一番にはちょっとしたミスが命取り。やはり守備力の差かなあ。

CL予備戦から戦って試合数が多いわけだし、プレミアには冬の休みがないということもじわじわ影響していたのだろう。アンリがいたころの選手たちに比べるといかにも小柄で、ごつごつぶつかり合うプレミアリーグでは不利かなあという印象は拭えない。

まあー、それでもあのころから中盤を省略した速いカウンターや、肉弾戦でぶつかってくるチームには勝負弱さは定番?仕様がないという感じもあった。それでも本来のスピード感溢れる洗練されたパスサッカーには、人々を楽しませる圧倒的な魅力がある。次はチェルシー戦か・・・。