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日めくり万葉集(209)

2008年11月19日 | 万葉集
日めくり万葉集(209)は巻18・4111の大伴家持(おおとものやかもち)の長歌。選者は菓子の始まりを探求しているという京菓子の店の五代目、太田達さん。
 
【歌】【前半】
かけまくも あやに畏(かしこ)し 天皇(すめろき)の神の 大御世(おおみよ)に 田道間守(たじまもり) 常世(とこよ)に渡り 八桙(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出来し時 時じくの 香(かく)の菓実(このみ)を 畏(かしこ)くも 残(のこ)したまへれ
 
 巻18・4111  作者は大伴家持(おおとものやかもち)

【前半の訳】
口にかけていうのも誠に恐れ多いが、天皇のご先祖の神の時代に 田道間守が常世の国に渡っていき、多くの苗木を持って帰ってきた時に、その“時じくの香の木(こ)の実”をかしこくも後の世にお残しになった。

【後半の訳】
雪の降る冬ともなると 霜は置くけれども その葉も枯れないで いつまでも変わることのない岩のように、いよいよ栄輝く。 だからこそはるか神の時代から まことにふさわしく この橘(たちばな)を“時じくの香の木(こ)の実”、すなわち時ならず、香りの良い菓実(このみ)と名づけたのであろうよ。

【選者の言葉】
“時じくの香(かく)の菓実(このみ)”とは時を越えた香りの良い木の実を意味し、【橘(たちばな)】を指すといわれる。【橘】はみかんのルーツといわれる木。菓子という字の草冠(くさかんむり)を外すと“果物”という字になる。

菓子の始まりは何だったのだろうか。狩猟時代に「何も捕れない、ああ、しんど」と座ったときに森を見ると赤いもの、オレンジの色が目立つ。これを手にし、口にすると甘酸っぱい。これはビタミンがあるので元気になる。これが本来の菓子の概念ではないかと思う。

和歌山県には門前町がたくさんある。当然門前の菓子が発達しそうなものだが、あまり発達していない。いっぱい売られているのは“みかん”。菓子とみかん、もともとこの国では”みかんが菓子”だったんだなあと思える歌。

実は京都の丹後(たんご)に橘小学校があり、ここは田道間守が持ち帰って上陸したところ。ここには浦島伝説や羽衣伝説もある。海から来るという【常世(とこよ)】思想、常に変わらぬものとして、葉の青さ、次ぎの実がなるまで実が落ちない、代々実がなっていくという思想が入っている。

【感想】
菓子の起源、そのルーツは橘にあり、古代の頃には菓子は“みかん”だったという。どうしてそうなのかという大事な意味はむしろ長歌の後半にあったので、写真は後半の部分。【訳】のほうも前後半と長くなるが、意味を理解するのはやはり必要と思ったので。

橘が常緑樹で雪が降っても、緑の葉っぱは変わらない色を保ち、実のほうも落ちないでいつもなっているというのが代々栄る、おめでたいことに通じるということだった。

3月に祝う【桃の節句】の【お雛様】にはいつも【橘】が飾られてあるが、これでようやく!どうしてそんなに大切にされ、お祝いにふさわしいかという理由がわかった。









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