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~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(102)

2008年05月28日 | 万葉集
日めくり万葉集(102)は東歌・相模国歌。選者は鎌倉山に近い湘南海岸に住む、若手書道家の武田双雲さん。

【歌】
薪(たきぎ)伐(こ)る
鎌倉山(かまくらやま)の
木垂(こだ)る木(き)を
待つと汝(な)が言(い)はば
恋(こ)ひつつやあらむ

  巻14・3433   作者は東歌(あずまうた)・相模(さがみ)国歌

【訳】
薪を刈る鎌の名が付く鎌倉山を茂らす木じゃないが待つ(松?)、待ちますとおまえがいうのなら、こんなにヤキモキと恋してなどいうものか。

【選者の言葉】
自分が住む近くの鎌倉に鎌倉幕府以前に人が住んでいて、恋の歌を詠っているというのが新鮮で驚き。(万葉仮名で書いてある原文は)音だけで漢字を拾っている。

多分漢字が入ってきた時には、緊張感があったり、文字に対する畏敬の念があったと思うが、時が経ち、漢字に対する遊び心が感じられる。弧悲(こひ)、孤独で悲しいは恋のイメージが伝わりやすい。古非(こひ)は古く非ずという文字。自分らしい恋を当てはめて個性を求めている。

最初は漢字の意味から採っているが、だんだん音だけに変換し、一つの音に対してあらゆる漢字を使えることになった。それが一音一句に変わっていったことによって、僕らが今、使っている平仮名と片仮名に結びついたという歴史があった。万葉集から紐解いて、平仮名の原点が蘇るということがおもしろい。

【武田双雲さんが書いた万葉仮名による歌の原文】
多枝木(たきぎ)許流(こる)
可麻久良夜麻(かまくらやま)能(の)
許太流木(こだるき)乎(を)
麻都等(まつと)奈我(なが)伊波婆(いはば)
古非(こひ)都追夜(つつや)安良牟(あらむ)

【檀さんの語り】
たとえば「恋」という言葉に、万葉の歌人は幾通りかの漢字を当てはめた。弧悲、古非。この歌のように万葉仮名を当てはめるものも多く、それがやがて平仮名と片仮名という、日本固有の文字に発展することになる。

【感想】
漢字というといかにも難しいイメージ。読むのも書くのも苦労する。この頃は簡単に変換してくれるので、その分、脳もすっかり退化してしまった。たまにちゃんと手紙を書いたりするときに、どうだったのかなあと自信がなくなって、あわてて辞書を引いたりしている。

今は四川省大地震で連日、大変なニュースが報道されている中国。万葉の時代のころははるかな先進大国として遣隋使、遣唐使を送り、最先端の文化と政治体制を学ぶべき存在だったようだ。

中国から入ってきたときには難しく考えていた漢字を、だんだん日本人にあうように使いこなしていくうちに、平仮名や片仮名が生まれたというのは興味深かった。【音】だけで当てはめて遊んでみるというのは今、TVで流されているコマーシャルなどの広告文化では、現代でもよく見られる。

とくに万葉仮名の原文最後のところで、【安良牟(あらむ)】などという使い方は、これ、、外国人の名前に当て字にするのに使えそうじゃないの?などとちょっと遊んで見る気になった。









日めくり万葉集(99)

2008年05月23日 | 万葉集
日めくり万葉集(99)は1巻目に収められている、女帝・持統天皇の歌。選者は古代史・服装史が専門の歴史学者、武田佐知子さん。

【歌】
春過ぎて
夏来(きた)るらし
白たへの
衣(ころも)干(ほ)したり
天(あめ)の香具山(かぐやま)

巻1・28   作者は持統天皇(じとうてんのう)

【訳】
春が過ぎて夏が来たらしい。真っ白な衣が干してある天の香具山には。

【選者の言葉】
視覚的に思い浮かべると、香具山の新緑の若葉が萌えだしているいい頃。衣が翻っているのを見て、季節の移り変わりをすっと実感するという、色彩的にも綺麗で、空気も澄んでいる(のを感じ取れる)歌。

夏が来たというのを衣を干してあるというのでわかるというのは、いつも夏の晴れた空に洗濯物が翻(ひるがえ)っているということとは違って、春から夏、あるいは秋から冬へという、その季節に限って洗濯というのがされたかもしれない。

今の(TVで流れている)洗剤の宣伝のような、白い洗濯物が翻っているというのとは、まったくイメージが違う、衣替えの季節の洗濯なのだろうと思う。(当時は)1年以上、麻の着物の洗濯をしていなくて臭くて仕様がないなどと、正倉院などで下級役人たちが待遇改善要求をだしていたりする。

皇位継承権の問題で、非常に微妙な立場にある夫に嫁いで、彼が皇位を狙うということで、都を去らなければいけないときに、それに付いて吉野まで行くという、決断力のある、おそらくあっぱれな女性だったと思う。

それでも自分が産んだ、多分あんまり出来のよくない、身体も弱い男の子に、どうしても皇位を譲りたいと、他の出来のいい“坊や”を次々に排斥していく。というようなところは、女というのか、母ゆえの情愛というのか。

そういうものを二つながらに持っているという。どちらだけでは哀しいが、二つとも持っているというところが、私がすきなところ。女性らしいかどうかわからないが、ある光景から季節の移り変わりをピッと気がつく、それを鮮やかに歌に詠ったというところが素晴らしい。

【檀さんの語り】
この歌を詠んだ持統天皇は、天地天皇の皇女で、天皇の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)の妃となり、夫と自分の弟が争った【壬申の乱(じんしんのらん)】でも夫に従った。

夫・天武天皇が亡くなり、さらに我が子、草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなると、自ら天皇に即位し、古代国家の完成に努めた。

【感想】
とうとう【日本史年表・地図】(吉川弘文館)を本屋で買ってきた。このあたりの行ったり来たりする皇位継承なるものがなかなか覚えられないし、複雑で理解できないからだ。万葉集から入門して、すっかり古代史の森を彷徨うこの頃になった。

ついでに古本屋まで足を運んで見たら、この間図書館に返却してしまった【水底の歌】(上下巻)梅原猛著の文庫版を見つけた。【天武朝】(北山茂夫著)という(中公)新書版もあって、これなら素人でも読めそうだ。新刊として買うのより安いし、返却の日を気にしないで読めるというのがありがたい。

武田佐知子さんは何回もこの番組に登場している、古代史の専門家。持統天皇のイメージは、以前に大きなニュースになった、関西の船場吉兆の女将と重なってしまうというのが、我ながらどうにも困ったものだ。

もっと後の歴史に登場してくる戦国時代に生きる女性たちも夫の運命次第というところがあるのだろうが、この時代も血を血で洗うすさまじい権力闘争に、付き合っていかねば生きられない。

武田さんの言う、出来が悪く身体も弱いわが子というのは、あまりにも近すぎる血族結婚によるのではないかという気がする。現代では考えられないような近親結婚を繰り返せば、どうしたって劣性遺伝になってくるのではないかと思うが。

天武天皇の子どもは6人いても、持統天皇との子どもは草壁皇子、ただ一人。吉野へ行って詠んだ【淑き人の良しとよく見て・・・】という天武天皇の歌も、家族を集めて遊びに行ったというだけではなく、6人の子どもに(うち兄の天地天皇の皇子が二人)、皇位を草壁に譲るための布石を打ったという出来事の後の歌らしい。

この歌にある、当時は1年以上麻の着物の洗濯をしていないなどとという話には、湿気の多い気候なのに耐えられないだろうとびっくりだ。麻は皺が寄りやすく、今のようにアイロンのない時代にそれを延ばすのはどうしたのか。

もっとも、うろ覚えの子供のころの記憶では、(もう他界している)母が夏になると細くてかなり長い板に、ほどいた着物をのりを付けて貼り付けていた。それを屋根に当たるように立てかけて干し、乾くとぴっと皺一つない新品のようになり、これをまた縫い直していた。










オーガニック宣言

2008年05月21日 | ガーデニング
今週になって本屋から連絡があり、奇数月発刊の園芸雑誌【ビズ】が手に入った。巻頭を飾る紙面いっぱいの花の写真はいつも堪能する。それを見ながら、いつしか花の世界を漂っていたら、昨日は雨に加えて、強い風が夜になっても止む気配がない。

夜通しの風で庭はどうなっただろうかと、朝一番に見て回った。先端のやわらかい枝は耐え切れず、いくつか折れていた。まだこの春から伸びてきたばかりの新しい薔薇の枝には過酷な試練だったようだ。

今回の【ビズ】にはこの雑誌の精神を表すような感動的な1文が載っていた。日本におけるオーガニックな薔薇の育て方を自らの庭で試験的に繰り返し、その結果を引っさげて、先駆的な存在となった梶みゆきさんの書いた文だった。

【女性が作る新しい日本式ガーデン】というタイトル。
日本各地に女性たちがつくっている薔薇が咲く庭。最初はイングリッシュガーデンに庭作りを学んだが、次の段階になり、きちんとしたルールがある英国式ガーデンの影響から徐々に開放されて、日本式ガーデンともいうべきものが誕生している。

しかも世界では薔薇の庭は強い薬品で消毒することが不可欠という古い考えがまだ残っていて、イギリスでさえようやくオーガニックに舵を切ったばかり。一足お先に、植物も昆虫も小動物も、もちろん人間も共存できるという生命感あふれる庭を実現してこそ、【日本式ガーデン】を胸を張って世界に誇れるのではないか、という内容。

いやー、もう、素晴らしい!!の一言。こういうの、世界へ向けた【オーガニック薔薇宣言】とでもいうのか。伝統あるお家元イギリスを飛び越えて、日本から世界へ先駆けて発信しようという、その心意気には深く感動した。

これには梶みゆきさんの農薬に対する敏感な反応から、それを使わない薔薇作りを模索した日々。自宅の庭で長年薔薇相手に実験を繰り返し、とうとう農薬を使わない方法を作り出したという努力があってこそ。この成果が自信を持って、こういう言葉を言わしめたのだろうと思う。

我が家の庭でもこの春からなんとかオーガニック一本でやってみようと、木酢液の散布をやりはじめたところ。雑誌を見て一緒にニームオイルを使うのもいいかと、買ってみることにした。一番花が咲いた後にいつもうどん粉病や黒点病が出てくる。その辺りをどう乗り越えるかというのが大きな問題。

この雑誌ではバラ界のファーブル先生という方が、さらに進んでそれも散布しないという段階のバラ作りを実践している、という記事が掲載されていた。さすがに、仙人のような!この境地まで行き着くには相当年季が要りそうだ。

写真は上野ファームへ行ったときの一枚。花の名前はわからない。













日めくり万葉集(90)

2008年05月17日 | 万葉集
日めくり万葉集(90)は天武天皇の歌。選者は薬師寺管主の安田暎胤(やすだえいいん)さん。

【歌】
淑(よ)き人の
良しとよく見て
良しと言ひし
吉野(よしの)よく見よ
良き人よく見

   巻1・27  作者は天武天皇(てんむてんのう)

【訳】
昔のよい人がよいところだ、とよく見てよいと言った。この吉野をよく見なさい。今のよい人よ、よく見なさい。

【選者の言葉】
天武天皇の歌は少ないが、この歌は良しという字が8回も出てくる。吉野というものに深い気持ちがあって、詠った歌。天武天皇の発願(ほつがん)の寺の者として、この歌を選ばせていただいた。

良き人というのがたくさん出て来るが、最初は天武天皇と皇后、終わりは6人の子どもたちのこと。壬申(じんしん)の乱という争いがあり、これからそうした兄弟の争いをして欲しくないという、千年の未来へ向かっても仲良くしてくれという、強い願いを込めた歌。

(薬師寺には)二つの塔があり、東塔は天武天皇、西塔は持統天皇(じとうてんのう)をあらわすののか。金堂も屋根が4つ。大きな屋根が天武天皇、小さな屋根が持統天皇という理解も出来るか。それほどご夫婦愛が結晶となったお寺ではないだろうか。

(この時代を白鳳時代というが)白鳳(はくほう)時代というと、ぐっと伸びていく力強さと美しさと華麗さがある。建物、仏像を見ても、はちきれんばかりの美しさがある。この歌にも他にはない独特の調べで詠われている。万葉集の中でも際立って珍しい独創性に満ちた歌とあえて申し上げたい。

【檀さんの語り】
皇位継承を巡って骨肉の争いとなった壬申(じんしん)の乱は大海人皇子(おおあまのみこ)の吉野隠遁(よしのいんとん)に始まり、戦いに勝利した大海人皇子は即位して天武天皇となった。その聖地、吉野に皇后や皇子たちとともに行幸(ぎょうこう)したときに詠んだ歌。

薬師寺はこの歌が詠まれた翌、天武9年、680年病に倒れた皇后の回復を祈って、天武天皇が発願したのがはじまり。天皇の祈りが通じたのか、皇后は治るが、その数年後、天武天皇は崩御(ほうぎょ)する。薬師寺は亡き人の遺志を継ぎ、即位した持統天皇と孫の文武天皇(もんむてんのう)によって完成した。

天武天皇と持統天皇が国を治めた7世紀後半は文化史や美術史の上で【白鳳時代(はくほうじだい)】と呼ばれ、活気に満ち、独創性があふれ、文化が花開いた。

【感想】
この間から、図書館へ行って借りてきた【梅原猛】著の【水底(みなそこ)の歌】上下巻、~柿本人麿論~を読んでいる。装丁を見ると普通の単行本扱いなのに、内容はといえば、人麿についての先人が繰り広げてきた今までの数々の仮説を片っ端から論破するという大作業。

研究する気がないもの?にとってはあまりに難しい。斉藤茂吉が仮説を立てた「鴨山考」から始まって、国学者、賀茂真淵の仮説、年齢、官位、古今集序文をめぐってなど。これではいつまでも終わらないと古文の原文は大幅にぶっ飛ばして、なんとか最終のページまでたどり着いたが。

梅原の執念ともいえるものが伝わってきた。この本を読んだショックで、どうも万葉集はただ愛や死や自然を歌った歌という風には捉えられなくなってしまった。梅原の論に寄れば、この歌が入っている巻1、巻2が【原万葉集】ともいわれる核になる歌。

雄略天皇から奈良時代までの、政治的人間、およびその周辺の人々を登場させ自由に歌わせているが、直接、間接に重要な政治的事件に関係している人々で、事件を詳細には語らないが、短い歌から多くの歴史的事実と無数の人々の哀感がこめられている、という捕らえ方だった。

この天武天皇の歌は即位した後で、語呂合わせのようにおおらかさが滲み出ているが亡くなった後が大変で、皇后は何とかして自分の腹を痛めた子ども、草壁皇子に引き継がせようと、有力は後継者候補、大津皇子を謀反の罪で殺したが、ためらっているうちに草壁皇子は亡くなってしまい、持統天皇が即位することになる。

一代飛んで草壁の息子、孫の文武天皇になんとか引き継がせたが、これも亡くなるという歴史が繰り返され、それに律令体制への過程で頭角をあらわしてきた藤原不比等が権力を拡大してくるなど、めまぐるしく変転する。

柿本人麿は、一時は持統天皇の行幸で歌を読むほどの宮廷歌人だったものが、勢力を増した藤原一門に対する反発があったのか、何らかの理由で流罪となり、ついには離れた島に流され、水死刑に処されて刑死したというのが、梅原の展開した人麿論だった。

【調べ物】
○ほつがん【発願】
①仏・菩薩が衆生を救おうとの誓願を起こすこと。
②神仏に願を立てること。

○ぎょうこう【行幸】
(キョウコウ・ギョウゴウとも)天皇が外出すること。みゆき。

                  






届いたよ

2008年05月11日 | 雑感
届いたよー。素敵なお花のバスケット!!いつも贈り物をありがとう!!カーネーションのほかにはガーベラや薔薇や赤い穂のような形の花もかわいい。緑の葉っぱがつるのように花にからまっていて、春らしい華やいだ明るい色が素敵だねえ。

慌しく日々が過ぎていくと普段は“母”であることを忘れている。こうやって遠方からわざわざこの日のためにプレゼントを贈ってくれる子どもたちがいる、というのはしあわせなことだなあーとしみじみ。

日中はかなり気温が上がっても朝晩はまだ冷え込むこの頃。このあたりはまだ桜の季節が続いている。咲いている桜の花の上に雪が積もっている、というニュースの映像にはびっくりした。

いっせいに春の花が咲き始め、街の中は白黒映画から突然色の付いた映画に変わったかのようだ。冬の間のモノトーンから解放され、我が家でも芝桜の濃いピンク、ムスカリのブルー、チューリップの黄色や赤い色とにぎやかだ。これから北国の一番いい季節が始まる。

今週はコンサドーレ札幌が連敗脱出で久しぶりの勝利。これ以上負けたら底なし沼だなあと思っていたから、とりあえず良かった。次はどうかという心配があるけどね。

これからの梅雨の季節はカビに注意!!スーパーに【キッチン用のアルコール除菌スプレー】というのがあるから、カビの生えそうなところにかけて、こまめに拭き取るといいよ。













9条にエール

2008年05月09日 | 雑感
今日の朝日新聞には、千葉市の幕張メッセで6日まで開かれた初の【9条世界会議】には世界中から約2万2千人が訪れて、9条にエールを送っていたという記事が載っていた。

「9条を広めるために私は来た。日本は一人ぽっちではない。世界から支持されているのです」という基調講演したアメリカの平和運動家。

・・・【9条世界会議】は「世界がもし100人の村だったら」の著者池田香代子さんらが中心にとなり、井上ひさしさん、ピーコさんら約90人が呼びかけ人に名を連ねた。国際貢献のためには日本も血を流す必要がある、そんな改憲派の主張は本当なのか。「それを確かめたかった」と、実行委員でピースポート共同代表の吉岡達也さんは趣旨を語る。・・・

・・・イラクで人道支援をしているカーシム・トゥルキさんは「戦争のない世界をつくる」と題された全体会議で体験を語った。03年の開戦時、共和国防衛隊として米軍と戦った。兄もいとこも友人も失った。「軍は国民を守ると教えられたが、そうではなかった。非暴力こそ人々を守る最善の方法だ」・・・

・・・中国・韓国・台湾などからは、9条は戦後日本の対外公約だ、というメッセージが異口同音に語られた・・・(記事にはアメリカ、オランダ、イラク、コスタリカ。千葉市・幕張メッセに世界各地の人々が参加したという写真が添えられていた。)・・・

戦争の放棄をうたう憲法9条が生まれたのは15年に及んだ過去の戦争への反省から。近隣のアジアの国々にとっては、自分たちの国へ再び日本の軍隊が攻めて来ないという保障の意味もある。9条があるから、彼らは夜の眠りに付くことができるのだ。

太平洋戦争を経験した父が亡くなる少し前に、孫である子どもたちに向かって、「憲法の前文を読んでくださいね」と言った姿が、今でも目に焼きついて離れない。














日めくり万葉集(87)

2008年05月07日 | 万葉集
日めくり万葉集(87)は山部赤人の歌。選者は日本文学研究者ののドナルド・キーンさん。

【歌】
み吉野(よしの)の
象山(きさやま)の際(ま)の
木末(こぬれ)には
ここだも騒(さわ)く
鳥(とり)の声(こえ)かも

  巻6・924   作者は山部赤人(やまべのあかひと)

【訳】
み吉野の象山、その谷あいの木々の木末で、こんなにもにぎやかに囀(さえず)る鳥たちの声。

【選者の言葉】
赤人の自然の描き方は特別に美しく、こういう風景のなかに入りたいという気持ちになる。この後の日本の歌人たちは自然歌集、日本の美をじぶん達の歌のテーマにした。

古今集、新古今集の場合は、まず春の歌があって、次は夏、秋、冬の歌。他の国ではそういうものはない。いかにも平和的な風景。日本人は昔からそういう静かな生活、音が聞こえないような美しさ。そういうものをなぐさみに思っていて、憂鬱なときでも自然から、何か救いを得られるようだ。

激しい太陽でもないし、冷たい風でもない。理想的なやまとの風景。山はあるけど非常にやさしい山、人々に挑んでくるという感じではない。日本人にとっては夢のようなもので、そこへ行きたいと思っている。

【檀さんの語り】
山部赤人が奈良県南部の吉野にあった、天皇の離宮をたたえて詠んだ歌。赤人は自然を描写する【叙景歌】の名手であった。自然を愛する万葉歌の影響は後の詩歌集のあり方にまで及んでいるとキーンさんは考えている。赤人が描いた風景は日本人が理想とする自然だとキーンさんは言う。

【感想】
万葉時代の自然の描写がある歌がその後の日本人の詩歌の道筋を作ったというのは、たとえば富士山に対する描写や位置づけなども、日本人の原風景はここから始まっているということがわかる。

雑木林の中などに入ると体験する、一瞬、外の世界の喧騒が消え、澄んだ空気の中で聞こえるのは風の音、鳥の声という世界。無機質なビル街であくせく働く人々にとっても、子供時代を思い出させる、もう一度戻りたい風景なのかもしれない。

【調べもの】
○きさやま【象山】
奈良県吉野郡吉野町宮滝の南方にある山。ここを過ぎて吉野川の入る流れを「象の小川」という。

○こぬれ【木末】
(コノウレの約)木の若い枝先。梢(こずえ)








上野ファームへ

2008年05月03日 | ガーデニング
今日は朝方はどんよりして少し肌寒かったが、次第に気温が上がって好天になった。薔薇の開花には間があるので、まずは宿根草の珍しい花を見ようと、【上野ファーム】へ行ってきた。

元々はお米を作っている農家から始まったということで、お母さんと娘さんの親子2代でガーデンを作っている。娘さんのほうが英国へ行ってイングリッシュガーデンを学んできたが、この土地にはこの土地らしいガーデンをということで、ここの気候や風土にあった庭を作ろうという考えが基本にあるようだ。

連休のはじめからオープンしたばかりだろうが、駐車場にはたくさんの車が並んで訪れる人の多さに驚く。園芸雑誌には必ず載っている人気ガーデンということで、花好きは遠くからも来ているのだろう。

昨年は秋に行って見たので、花苗の割引セールがあったが、はじまったばかりでさすがにそれは望めない。入り口にはこれまでは無料だったが諸経費がかかり、今季から入場料400円を頂くことになりましたという内容の文が書いてあった。たしかに公営ではないのだから、維持するために人も雇って無料、というのは厳しいかもしれない。

入り口の表示がある店内に入っていくと、近くの酪農場の牛乳から作っているソフトクリームなどが販売していて、椅子とテーブルが置いてある。受付では入場料は600円払うと、何回来てもOKですよという年間のカードになっているので、そっちを申し込んだ。薔薇が咲くころにもう一度行ってみたい。

ガーデンにはまだ一部しか開花していないが、背丈の低い桜の木もあり、球根類や写真では花苗のカタログかどっかの園芸雑誌で見たことがあったなあという、名前のわからない花たちが咲いていた。

それをみて回るだけでも結構楽しかった。帰りにはビニールハウスによって見たつもり?が、やはり薔薇に合うような、風通しの邪魔をしない、背丈の低い宿根草はないかと探し回るうちに、籠の中は苗で埋められていった。

ダブルフラワーカモミールという10cmという草丈のものがあった。種で売られているカモミールは30cmくらいになるだろうか。これは芝生代わりに出来るということで、珍しいと買い求めた。

そのほかには紫色のものと色違いのホワイトキャットミント。エリゲロングラウカスというのは20cmのブルー花。ブルーリーフルー、スコパリアのハニーメロン。紫色のミヤコワスレ、白色のアネモネシルベストリス。

ビニールハウスの近くにいた女性にそれらしく見えたので、店員さんかと思い苗のことをたずねたら、なんとただの!お客さんだった。庭を広げたので宿根草を植えたいという話だった。

帰ってから、コンサドーレ札幌の試合を見てみたら・・・。その結果はあーあだ、まったく!!その後はさあー、やってしまうぞと、長靴を履き、スコップやつるはしを持ってきて庭土を掘り、買ってきた苗を一気に!植えてしまった。

写真は上野ファームで写したもの。目立たない色形ながら印象的。花の名前はわからない。