FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(135)

2008年07月18日 | 万葉集
日めくり万葉集(135)は七夕を詠った山上憶良の歌。選者は日本の伝統の色を追究する染色家の吉岡幸男さん。

【歌】
彦星(ひこほし)し
妻(つま)迎(むか)へ舟(ぶね)
漕(こ)ぎ出(づ)らし
天(あま)の川原(かはら)に
霧(きり)の立(た)てるは

    巻8・1527    作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【訳】
彦星が妻の織姫(おりひめ)を迎えに行く船を漕ぎ出したようだ。天の川原に霧が立っているのは、この水しぶきに違いない。

【選者の言葉】
七夕伝説は天竜と織姫が仲良く結婚したが、結婚した途端に織姫のほうが織りをやめてしまったので、織姫のお父さんが怒って、自分のほうへ帰し、機(はた)に励むようにといい、一年に一度だけの逢瀬となったという。

七夕は今日の人たちは笹に短冊をかけるという風習があるが、絹の布や糸、時には針も飾るという、染色の歌。もともと七夕伝説を探っていくと、中国の絹の発明と織りを織るという慣わしから来ている。

今のように既製品の服を買ってくるということではなく、みなが織物を織って衣服を作り、美しく装う。そのためには技が上手にならないければいけない。蚕(かいこ)から糸を取るのが綺麗に取れる。機にかけていい織物が織れる。お裁縫が上手になれる。そういうことを願う節句が七夕。

シルクロードは絹の文化が中心となり、東西文化の交流が深まった。それぞれの地域では、奈良の都を中心としたところに、そういう大きな世界の中の、壮大な文明の交流の波が押し寄せてきた、そういう時代。

技術の向上というものに対しても気持ちが込められていた。そういう行事も大事にして、機がうまくなるとか、裁縫が上手になるとか。それがとても大事ですよということが、広まっていったことでもある。そういう創成の時期のいいとき、だったと思う。

【檀さんの語り】
吉岡さんは七夕は染めや織りの職人にとって、大切な行事だという。七夕の日、吉岡さんの工房では中国古代の風習に習って、布を飾る。

自然の五大元素を表す色(水=黒、金=白、土=黄、火=赤、木=青)、に万葉時代に最高の色とされた“紫”を加え、1300年前に思いを馳せる。

【感想】
七夕伝説の由来を探していくと、中国で絹というものが出てきたことと関係があり、さらにそれはアジアとヨーロッパを結ぶシルクロードにも関わってくる。古代の街並みに人々が行き交う姿が、具体的な色彩とともに目に浮かぶようで、俄然興味深いお話になった。














ラベンダー

2008年07月16日 | ガーデニング
この季節の観光地はなんといってもラベンダーの花がいっぱい。富良野の近辺はどこもラベンダー色。中富良野にある《ファーム富田》は観光バスも寄り、大賑わいだった。

8月になる頃にはもう花も終わりなので、見ごろは7月いっぱいぐらいだろうか。カットした夕張メロンやラベンダーソフトなども売られていた。台湾あたりの観光客らしく中国語が飛び交い、札幌からの日帰りバスツァー客がどっと溢れていた。

いろんな種類があるらしいが、乾燥しても長く香りを保っているので、庭の花を刈り取った後には袋に詰め、タンスの引き出しに入れたりすると効果がある。湿気と暑さに弱いということだから、この辺の冷涼な気候はぴったりだ。

【花新聞199号】に寄れば、日本国内へは昭和12年に《曽田香料》がフランスから種子を輸入し、同社の農場が精油の抽出用に札幌市南区南沢で栽培していたことから、ここが発祥の地、なのだそうだ。

道内では香料用としての栽培が昭和50年ごろまで行われ、その後、精油の生産が下火になったが、中富良野町の富田忠男さんが香料用ラベンダーの栽培を継続し、これがたしかJRのポスターか何かに掲載されて一躍注目され、ラベンダーのファーム富田として有名になったらしい。

深い紫色の絨毯(じゅうたん)が一面に続き、いつまでも見飽きない魅力がある。日本人にとって紫は高貴な色。古くからアヤメ、カキツバタ、今はハナショウブとして、紫色の引き込まれるような美しさに接してきた。その伝統があるから、ラベンダー畑の紫色にも納得するのだろうと思う。










日めくり万葉集(130)

2008年07月11日 | 万葉集
日めくり万葉集(130)は山上憶良が詠んだ七夕の歌。選者は天文学者の海部宣男さん。

【歌】
彦星(ひこぼし)は 織女(たなばたつめ)と
天地(あめつち)の 別れし時ゆ
いなむしろ 川に向き立ち
思(おも)ふそら 安(やす)けなくに
嘆(なげ)くそら 安けなくに
青波に 望みは絶えぬ
白雲(しらくも)に 涙(なみた)は尽きぬ
かくのみや 息づき居(を)らむ
かくのみや 恋(こ)ひつつあらむ
さ丹(に)塗(ぬ)りの 小舟(こぶね)もがも
玉巻(たまま)きの ま櫂(かい)もがも      (抜粋)

    巻8・1520  作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【訳】
彦星は織女と天と地が別れた遠い昔から、天の川に向かって立ち、恋する心のうちは苦しくて、嘆く胸のうちは落ち着けない。青い波で向こう岸が見えなくなった。白雲に遮(さえぎ)られて、涙はかれた。

ああ、こんなにもため息ついていられようか。こんなにも恋焦がれていられるものか。川を渡る赤く塗られた小舟が欲しい。玉を巻きつけた櫂はないものか。(抜粋)

【選者の言葉】
山上憶良が中国へ遣唐使となって行き、8世紀のはじめに帰ってくる。そのときに(中国の)七夕のしきたりを持ち帰り、宮廷でその歌をたくさん詠む。見事なイメージでこの星の恋の物語を伝えた。さぞかし印象的だったのでは。

七夕は唐の時代にもっとも盛んだったのではないか。その時代にはいろんな詩がたくさんある。笹に願い事を下げたり、飾りを付けたりするというのは、山上憶良の時代に唐からそもそも持ち込まれたものと思われる。

女性が裁縫が上手になりますようにということで、唐の長安の都では七夕の日には娘たちが月の光の下で、針に赤い糸を通す。うまく通ると裁縫が上手になるという言い伝えがある。

機女(たなばたつめ)星=ベガで、ベガは彦星=アルタイルという星よりも実は明るくて白い。彦星はややあったかい黄色い色。七夕の織女のほうは白いので、いかにも清純な乙女と若者という印象はわかる。

実際は七夕の星はずっと遠いので、ほとんど同じ距離に持ってきたら、織姫のほうがずっと大きくてノミの夫婦のようになってしまう。距離が違うということもあって、いい組み合わせになっている。

【檀さんの語り】
日本の七夕は中国と日本の風習が集合したものと考えられている。似合いのカップルと人々が考えた彦星と織姫(たなばたつめ)。そこにはこんな星の秘密が隠されていた。

【感想】
笹の葉に願いごとを書いてつるす、折り紙でさまざまな飾りをつくり、それを付けるというような子ども時代の風習が中国から来ていて、しかも唐の時代に日本へ持ち込まれたもの。それも山上憶良のように遣唐使が中国へ行ったことからだったということをはじめて知った。

さらにもっと科学的な秘密が解き明かされて、海部さんのお話で実際は二つの星はずっと距離が離れているから成り立っているというのは、なんだか月にはウサギが居て・・・というような話が実はウサギどころか石ころとクレーターだらけだったという話にも似ている。

科学者らしく正確に伝えようとする内容、これも大人になれば一つ知識が増えて、聞いてよかったというお話になる。








日めくり万葉集(122)

2008年07月11日 | 万葉集
日めくり万葉集(122)は大海人皇子(おおあまのみこ)の歌。選者は比較文化研究者の朱捷(しゅしょう)さん。

【歌】
紫(むらさき)の
にほえる妹(いも)を
憎(にく)くあらば
人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に
我(あれ)恋(こ)ひめやも

     巻1・21    作者は大海人皇子(おおあまのみこ)

【訳】
紫の花のように美しいあなたを憎いと思ったら、人妻であるのにどうして恋しくおもいましょうか。

【選者の言葉】
現代日本語では匂立つような娘という、今は死後になりつつある言葉で、美しい表現がある。実はこの用例の一番古い例がこの歌である。

“匂”という言葉は現代ではほとんど嗅覚的な意味として使われる。しかし本来は万葉集の時代では“色”を表す。つまり“視覚的”意味が主だった。

外国人から見ると、それがおもしろい。なぜかというと、そもそも日本語の“匂”のように、一つの言葉で視覚も嗅覚も表現できる言葉というのは、他の外国語にはあまり見られない。

万葉集に、“にほへる妹”、“にほへるをとめ”、というような表現が他にも何例かある。その中に香りの“香”をいう漢字を当てている歌がある。ということは万葉人もこの表現に嗅覚的な意味合いを持たしている。意識しているということが言える。

つまり、女性の美しさを見て、嗅覚的な衝撃を受けるということは、実際考えられる“色香”を感じる。実際の嗅覚的な“匂”というのは、おそらくイメージの“匂”、“色香”の意味の“匂”。

額田王(ぬかたのおおきみ)は嗅覚的にも視覚的にも男性をとりこにしていたほどの美人だったんじゃないかと想像してしまう。

【檀さんの語り】
上海出身の朱捷さんは日本人が“にほひ”という言葉を使って、女性の魅力を表すことに興味を持ち、その由来を古典文学に求めて研究している。

“紫のにほへる妹”と詠まれた額田王。その紫とは?紫色の染料に使われた植物、ムラサキ。その根が生み出すあでやかな色とは対照的に、花は可憐な白。額田王の気品ある美しさが感じられる。

【感想】
たしかに人間も動物で、求愛行動の先には子孫を残すという行為があるわけで、そのためには人間以外の、鳥も虫も必死に異性へアピールしようとする。視覚でも嗅覚でも五感を使って相手へ訴えないと、恋愛行動にはつながらない。

でも人間には他の動物と違って、いったん脳に情報が集められるわけだから、イメージというのは重要だ。露出が多いからいいとは限らないというのは、人間には発達した脳で考えてから、動き出す動物だからだろう。

それにしても天地天皇と天武天皇の愛人であったという額田王という女性が、楚々としたムラサキの白い花に例えられたというのは以外だった。
















日めくり万葉集(121)

2008年07月08日 | 万葉集
こう暑くなってくると暑さに弱い人間は青菜に塩。集中して何かをするという意欲がなかなかわかない。日めくり万葉集(121)は広河女王(ひろかわのおおきみ)の歌。選者は作家の川上未映子(かわかみみえこ)さん。

【歌】
恋草(こひぐさ)を
力車(ちからぐるま)に
七車(ななくるま)
積(つ)みて恋(こ)ふらく
我(わ)が心(こころ)から

   巻4・694   作者は広河女王(ひろかわのおおきみ)

【訳】
恋草を荷車7台に積んでひくような苦しい恋をしているのは、そういえば自分の心から求めたことでした。

【選者の言葉】
恋する気持ちをもっとキラキラしいものに置き換えたり、比喩したりしたくなる気持ちを抑えて、雑草というのがいいなと。ちょっとチャカシ(茶化し)が入っているところがいい。

雑草であり引く車を七台くらい積んだと大げさに言っているが結構、それは軽いんじゃないの?みたいな、この詠んでいる人もちょっとおもしろい人なんじゃないかな。

表現の中で優劣はないが、“笑い”の要素というのは“力”だと思う。斜に構えているのではなく、燃えているときもそれをちょっと疑ってみる、という姿勢のあるものに、惹かれるところがある。

私の経験した恋心は“草”という感じではなく、爆発するようなもので、20代の頃は、骨の髄までなめあうような恋愛。それくらい好きじゃないといけないと思っていた。

仕事が出来てくるとそうでもなくなる。恋愛ばかりしていられない。だからどっちかというと、今は“草”みたいにパッと見たらあるみたいな、飄々(ひょうひょう)として。

もしかしたら(この歌は)そんなに激しい恋愛じゃないのかもしれない。2回目、3回目という、肩の力の抜け方にちょっとシンパシーを感じた。

【檀さんの語り】
恋草とは、抑えようもない恋心を抜いても抜いても生えてくる雑草に例えた言葉。この歌の作者広河女王は穂積皇子の孫娘。万葉集には2首収められているが、どちらもニュアンスに富んだ歌。

作家の川上未映子さんは女性の身体と心のずれを句読点のない独特の文体で書いた小説で芥川賞を受賞した。この歌を即興で現代語訳にすると・・・

好きな気持ちは雑草です
例えばですけど
車七台分ぐらいです
重いけれども
まあ仕方ありません

【感想】
川上さんはいかにも若い現代女性という感じで、作家とは思えない?お洒落な雰囲気もあり、そのままTV番組に出演してなにかコメントを言えば、タレントになってしまいそうだ。

川上さんが言っていた笑いは力というのは、例えば、人間なら誰しも失敗するが、そのとき、そういう自分を笑ってみせれば、物事はうまくいくという風にも考えられる。もう一人の自分が離れたところで見ているというような感じだろうか。

これは女性も生活していかなければならないということで仕事を持つようになれば、恋愛ばかりに没頭もしていられないということにも通じる。目の前のことに一直線ばかりでは視野も狭くなる。

チャカシというのは余裕とでもいうのか、遊びの精神にもつながるし、ひいては視野の大きさにもなっていく。古代の時代に一人称だけではない、そういうものを持って物事を眺めていたこの歌の作者は大したものだと思う。

そういう意味で、初の女性大統領誕生かと期待して見守ったヒラリーさんの敗北は悔しいが、斜に構えて眺めてみるという、もう少し遊びの精神があれば、オバマ候補とTV討論でももっと魅力的に映ったかもしれないと、勝気なだけにちょっと一直線すぎたかなあと、それが残念でもある。