FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(166)

2008年09月26日 | 万葉集
日めくり万葉集(166)は“あなたを待つ”という大津皇子の歌。選者は画家の安野光雅(あんのみつまさ)さん。

【訳】
山のしずくに あなたを待って わたしは立ち濡れてしまった。 山のしずくに

【選者の言葉】
今は待って濡れているというのは余りないし、木の陰で雨のしずくに濡れながら待つというはないのでは。それがまた、風情があって、昔の人はおおらかで良かったなあと感心する。

本当に濡れながら待っていたかどうかというのは歌なので、本当のところはわからない。でもそれぐらい、あなたのことを考えているんだよということかもわからない。

そこのところが歌のいいところで、それが本当に待っていたとしてもおかしくない。表現の一種として雨に濡れながら待っていたんだよという言い方がなかなか迫力がある。

木のしずくに濡れて待ってるのと違う。戦争中の女の人が男の人が帰ってくるかどうかわからないのを待つわけだから。待っているほうも大変だった。戦いに出て行くとき、出征するときは別れに一番いいとき。戦争に行くのだから。

今までのことはなかったとまるで調子いい。ところが女から見ると男がいなくなるとき。女はどういしていたかというと、わたしは誰某を待っている、先に唾付けるという感じで、わたしは誰某を待っていると先に言われてしまうと、後の人は私もその人を待っているというわけにはいかなくなる。

今度は誰でもいいから仮想の人を見つけてきて、相手は関係なく、わたしはあの人を待っているという言葉で言っていた。

【檀さんの語り】
大津皇子が石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈った歌。古代、恋人を待つのはもっぱら女性。皇子(おうじ)という身分でありながら、山で女性を待つというのは人目をはばかる事情があったのではないかとも言われている。

この歌に対して石川郎女はこんな歌を返した。

我(あ)を待(ま)つと 君(きみ)が濡(ぬ)れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

【訳】
わたしを待ってあなたが 濡れたという そのやまのしずくにならたらよいな

恋愛には古代から付き物だった“待つ”という行為。安野さんが思い出すのは戦争中に出征していった男たちを待つ女たちのこと。出征する男たちを待つしかない女たち。それは男と女の機微があらわになる場面でもあった。

【感想】
万葉集の中の待つ行為を歌った男女の歌が、戦争中の話に飛ぶと、一気に現実味を帯びてくる。一番最初に頭に浮かんだのはアメリカの南北戦争を題材に取った映画【風と共に去りぬ】のシーン。

戦死者の名簿が発表されるとスカーレットは、まっ先に親友メラニーの夫であるアシュレイの名前がそこにないかと必死に探し、名前がなかったことでメラニーが横にいながらも思わず喜ぶシーン。

もう一つはスカーレットが心の中でいつも恋焦がれていたアシュレイが戦争から帰ってくるシーン。アシュレイには妻がいて、それはスカーレットをいつも擁護してくれる賢いメラニー。

しかし実際には夫がいるスカーレット(すでに戦死した?)はそんなことはおかまいなしに一方的にアシュレイを恋焦がれていた。アシュレイはそんなスカーレットの強さに引っ張られるがかといって、妻を裏切れない。

カメラは引いて、遠くまで見通せる赤土の一本道をこちらの屋敷に向かって、誰かが歩いて帰ってくる。小さい点のような姿が次第に大きくなり、それは疲れきった兵隊でアシュレイだとわかったとき、妻のメラニーは狂ったように飛び出していく。

スカーレットも思わず飛び出していこうとしたとき、その様子をじっと見ていた子供のころからの使用人、黒人の婆やに止められるといったシーンで、これはいまでも強く印象に残っている。

人の生死が頻繁に起こるような絶えられない日常の中で、アシュレイを恋焦がれていることが唯一、現実であって夢のような気持ち。スカーレットにはこれがあるから行き抜くことが出来たとも言える。

もう一つは現代の映画、80歳を過ぎているポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の最新作の映画【カティン】の中の1シーン。(この映画を見たというのではなく、紹介する番組の中で見たシーン。)

実際にワイダ監督の父親はソ連に行き、カティンの森でソ連軍に殺された一人だった。この映画の中では実の母親の取った行動を主役の女優に演じさせている。夫が戦死していないかとやはり【風と共に去りぬ】のスカーレットとおなじように食い入るように戦死者の名簿を見る。

似ている名前はあったが夫の名前ではなかった。それを待っている夫の母親である姑のところへ行って報告する。姑は夫も亡くなり、息子まで亡くなる筈がないというような意味のことを言う。二人はほっとする。この姑のセリフはなんと残酷なんだろう。見ていてもたまらなくなった!!






リセット

2008年09月26日 | 雑感
自民党は福田さんが任期途中で辞任した後に、アメリカの大手証券会社の経営破たんのニュースが流れてきた中、騒々しく総裁選を行い、あらかじめ決まっていたかのような圧倒的多数で麻生新総裁が誕生した。

すでに突然の引退を表明した小泉さんだが、前回の解散総選挙の時には郵政民営化という、大都市圏の選挙民にとっては痛みのない?テーマに絞って、“改革”をキャッチフレーズに無党派層の若い選挙民の取り込みに成功した。

実際民間の事業になって郵便局の一つや二つなくなったって、大都市の人間にとってはどうでもいいことだったのだろうし、その結果がどういう日常に変わるかという想像もつかなかったのだろう。“改革”という言葉の魅力につられて、いっせいに風がなびくように旋風が起きた。

今度の選挙ではイエスかノーかというほど劇的な改革、旋風は吹かないだろうが、小さい政府を目指し、市場論理にゆだねられた後に生じたさまざまな問題を、何とか修正しようとする方向へ変わってきた。

同時に農林水産省がらみで起きた食の問題に限らず、50年以上政権与党だった自民党におもねてさえいればいいといった、各省庁の腐敗や癒着のニュースが後から後から出てきてうんざりする。

財源がどうのといった論議の前に、まずは一度政権交代して、今までのべったりこびりついたものを取りはがすといった、大きな転換が必要ではないか。大都市の選挙民がこの辺の意識をどう捕らえているのだろうかと気になる。

小泉さん流の何でも“自己責任”では社会保障もままならない。マイケル・ムーア監督の映画【シッコ】で暴かれていたような、お金がないものは健康保険もない。病院へも行けず、治療も受けられないといった“アメリカ型社会”でいいのか、それとも弱者に手厚い“ヨーロッパ型社会”を目指すのか。

政権交代になれば、こうしたものを生み出す財源を巡って、既得権益を守ろうとする官僚とのすさまじいバトルが展開されるだろうが、本物の改革は一度リセットした新しい政権によって、これくらいの覚悟がないと出来ないのではないかと思う。












原点

2008年09月23日 | サッカー
海外サッカーが始まると土日はライブやら録画やらで試合を見るのに忙しいが、これにチャンピオンズリーグというカップ戦が入るともうゴチャゴチャだ。これにストレスの溜まる?Jリーグの試合も加わりと。

まあー、頭の中はこんな具合だから、最近は一通り見た後にはハイライト番組で整理するようになった。3節の試合ではバルセロナは苦手のアウェイでまたどうなるかと心配されたが、なんと6-1というスコアで大勝。

一度にこんなに得点しなくていいから、コンスタントに得点してよという感じにもなるが、相手がいまだ勝ち星なしのスポルティング・ヒホンという昇格組だからということなのかもしれない。

この試合に限らず、いつもいい連係を見せる《中盤の黄金コンビ》、チャビとイニエスタがこの日も大活躍。カンテラという下部組織から育っている選手たちはバルサのサッカーというのが身体に刷り込まれているようだ。

文字通り《あうんの呼吸》でイニエスタがボールを持って頭を上げた瞬間にチャビが動き出すというプレー。こうやってリズムが作られていくうちに、バルサに次々得点が生まれた。

特に後半のイニエスタのゴールは迫ってくるGKをうまく交わして、ネットの中へ、コロコロと転がすようなボール。なんとも芸術的ともいうのか、職人芸というのか、技ありのゴールで素晴らしかった。

この黄金コンビは代表戦でも活躍し、スペインに44年ぶりの優勝をもたらす原動力になった。エトーもメッシも得点して、バルサファンもさぞ満足したことだろう。(もっともアンリが出てないので冷静に試合を見られたということもあるが。)

この試合では大敗したヒホンが昇格組、しかも北のチームということでどうも他人事とは思えないと、身につまされてしまった。ヒホンというチームは1905年創設、11年ぶりにトップチームに昇格したという北部の州の都市、ヒホンにあるという。

番組でちょっと地図を見たときにもデポルティーボと同じくらいの最北に位置するチームらしい。2万5千人くらい収容のスタジアムには熱いサポーターが駆けつけ、終始選手たちを鼓舞する歌声が響いていた。

アウェイならともかくホームで6点もやられて、ファンの反応はどうかと気になったが、応援の熱気が下がることはなかったようだ。思わず“がんばってよ~”と声をかけたくなるようなスタンドの雰囲気。海の向こうから逆に励まされたような気持ちになった。

イングランドでもトップリーグに昇格するのは大変だ。プレミアリーグでも今季の昇格組、1904年創設の《ハル・シティ》がはじめてトップリーグ入り。100年以上も待つという英国人の気の長さには感嘆する!!

もっともこのチームは開幕以来好調で上位に付けているらしい。勝つならまだチームの形が整っていないこの時期しかないということだろう。昨季には《レディング》というさらに古い1871年創設というチームがいて、これは135年目にしてトップリーグ入り。これにはもっと驚きだが2期目で降格となってしまった。

選手たちは地元ファンの応援を背に受けて、チャンピオンズリーグやリーグ優勝とは無縁でも懸命にプレーしている姿には胸を打たれる。これがサッカーというスポーツの《原点》なんだろうと思わせる地元ファンの熱気が、TVを通しても伝わってくる。

とまあ、中途半端に書いているうちに地元チームの試合の時間が来てしまった・・・。







息つく暇もない試合

2008年09月18日 | サッカー
今週からヨーロッパのチャンピオンズリーグが始まったので、また試合を見るのに忙しくなる。レベルの高い試合が目白押し。“金は力なり”というのがサッカーでも象徴されているが、一つでも無名のビッグとはいえないチームが活躍してほしい。

イングランドの昨季の覇者、マンチェスターユナイテッドとスペインのビジャレアルの対戦は見ごたえがあった。後半途中から、ホームのユナイテッドは怪我から復帰したばかりのクリスティアーノ・ロナウドを使ってきた。まあー、攻守の切り替えの速い息つく暇もない試合とはこのことだ。

この試合のお目当てはビジャレアルのピレスのプレー。ビジャレアルはピレスが加わると流れるようなパス回しを演出しながらユナイテッドゴール前まで迫る。ユナイテッドの攻撃に押されながらも、シュートパスをつなぐビジャレアルのチームプレーも素晴らしい。

この流れの中にアンリが入ったら、きっとピレスとの連係で、アンリもノビノビと気持ちよくゴールするだろうなあと、バルサでなかなか本領発揮が出来ないアンリの現状を考えてしまった。

そういえばアーセナルのユニフォームのアンリとピレスが肩を組みながら、意気揚々としている写真があったなあ。二人でPKを遊んでしまった?試合なんかもなつかしく思い出すよ。(何年か前、レアル・マドリーをアーセナルのホームに迎えて0-0という試合も、スコアレスとは思えないほど迫力があった。)

試合は後半60分ごろ、ピレスもからんで右サイド、18番をつけた確か、アンヘルという選手が上がりが見せ、ゴール前にクロスを送ると、そこへFWフランコが飛び込んで後ろへヒールでシュート。先制ゴールかと思いきや、このボールが左のポストに当たって跳ね返るという不運。

一方のユナイテッドもロナウドが入ってからはまた攻撃にリズムがでてきて、70分過ぎ、上がったテベスが右サイド、角度のないところからシュート。これにビジャレアルのGKが飛び出し、がら空きで危ない。

ところが、GKの代わりに他の選手がライン上に戻ってきて間一髪ボールをクリアすると言う離れ業?を見せる。ビジャレアルもアウェイで必死に守る。80分過ぎ、またまたユナイテッドの決定的チャンス。

右サイドから大きなクロスが蹴られ、そのボールに合わせて若い選手が低い態勢から頭で飛び込んで押し込もうとしたが、なんと勢いよくポストの当たってしまった。ユナイテッドの攻撃を何とか防いでいるという構図だったので、終盤でこのシーンは、ビジャレアルには《付き》もあった。結果は0-0の引き分け。

昨季のように優勝決定戦の2チームが一つの国からでは、またリーグ戦を見ているようで意外性がない。今季は他の国のチームにも頑張ってもらいたい。スペインだけだなく、フランスやドイツやイタリアなど。金満クラブ以外のチームが出来るだけ活躍してくれれば尚いいし、盛り上がる。

その前日にあったバルセロナとポルトガルのスポルティング・リスボンのゲーム。ホームということを考えれば、3-1の勝利は妥当なのだろう。アンリもリーグ戦を休んでこの1戦に懸けていたのだろうがゴールならず。

この試合ではちょっと焦って無理なところからシュートを打っているシーンもあり、枠内に飛ばないというのが気がかり。それでも昨季はシュートではなくパスを選択していたことが多かったので、まずはシュートを狙うというのは確かに《進歩》あり。若い選手が続々後に控えているだけに、早く結果を出さないことには・・・。

マルセイユとリバプールの試合はアウェイでリバプールが勝利。ジェラードの弾丸シュートの迫力には圧倒された。またそれが枠内に決まるというんだから!!他にはまだ見たい試合がいくつもある。

イングランドのアーセナル、フランスのリヨン、ドイツのバイエルンの試合など。それにイタリアのローマに勝ったという、ルーマニアのクルージュというのはどんなチームなんだろう。もしかしたら旋風を巻き起こす?これから試合を見るのが楽しみだ。












日めくり万葉集~セレクション

2008年09月16日 | 万葉集
およそ一ヶ月前に放送されたセレクションから。作者は沙弥満誓(さみまんぜい)という僧侶。選者はアメリカ人の東洋文化研究者のアレックス・カーさん。

【歌】
世間(よのなか)を
何(なに)に喩(たと)へむ
朝開(あさびら)き
漕(こ)ぎ去(い)にし船(ふね)の
跡(あと)なきごとし

       巻3・351    作者は沙弥満誓(さみまんぜい)

【訳】
世の中を何に例えたらいいのだろうか。それは朝早く港を漕ぎ出ていった船の航跡が何も残っていないようなものだ。

【選者の言葉】
若い人はこの歌を感動しないかもしれない。この年齢になるとこの歌の純粋なきれいさに惹(ひ)かれる。静かな海の船がどこかへ行ってしまったあとに、何も残らないというイメージがきれいだ。

いろんなことをやっていると心配もあるし、やりたいこともある、イライラもある。もちろん、うれしさ、楽しさ、いいこともあるが、そういう喜怒哀楽、ぜんぶ乗り越えて、あと何も残らない。すーっとしたきれいな世界に憧(あこが)れる。最後には何もないという恐ろしさがあるが、純粋でピュア。

万葉が一種の原点で原始的なものだと思う。いろんなものが霧の彼方から見えてくる。はじめて言葉になってくる。人間と海とか、そういうものが密接な時代であった。

《世間(世の中)を》という言葉そのものがおもしろい。《世間(世の中)》という発想や響きは不思議なものがあって、万葉時代から、今でもわたしたちは《世の中が》とそっくりな言葉で言う。そのまま生きている。

今の歌は世の中で始まるが世の外という別次元で終わる。というムーブメントがある。仏教的にいうと《此岸》(生死を繰り返す迷いのこの世界)《彼岸》(生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界)という。

丁度その意味合いの歌ではないか。こちらは世の中なんだけど、向こうへ漕いでどっかへ行ってしまったのが世の外で、極楽浄土とか、天国とか、いろんな表現があるが、そういう意味だろう。

【檀さんの語り】
徳島県東祖谷でアメリカ生まれのアレックスさんは35年前にこの土地にひかれて《庵(いおり)》を構えた。東洋文化を研究するかたわら、日本の自然や民家の保護活動をするアレックスさんはここには日本の原風景があると。

歌の作者は僧侶の沙弥満誓(さみまんぜい)。無常観を表す船のイメージは後世の歌人たちをも魅了し、このイメージは繰り返し詠まれるようになる。

【感想】
イメージがきれいで強く印象に残った歌。仏教的なものはわからないが、日本人が《世の中》という場合に使うのはまさに《世間》のことで、これは騒々しいスズメのように?うるさいが、あちらに行くときには波一つない海のような心境になって行くということだろうか。

ここまで生きていて一番良かったなあと思うのは、もちろん山上憶良のように《まされる宝 子にしかめやも》なんだけど、もう一つ、実は親もその辺に生きているただの人間と同じで。

判断が間違うこともあるし(つまり感情で怒ることもあり)、生活を背負っているわけで(つまり子どものことよりお金の心配が先に来ることもあり)、なんでも教育的に言ったりやったりしているわけではない、ということが自分も親をやってみて、よくわかってくることだ。








実は黒白

2008年09月14日 | ガーデニング
庭の手入れをしている時に目の前にトンボが止まった。これはチャンスとすかさず写真をバシャ!!トンボは動かないまま。いい被写体になった後で、ふわりとどこかへ飛んでいった。

数日前に車庫から車を出そうとしているとき、お向かいの裏庭に猫がいて、こっちを見ている。動かないでジーっと様子を見ているではないか。

もしかしたら?とこの間、窓から見えた猫。あー、あの時のねーとハーブのキャットミントに顔をこすり付けるように、しばらく《すりすり》していた猫だとピンと来た。

上から見ていたときには全身真っ黒に見えたが、座っている姿は白と黒。お腹の辺りには白い毛が見えた。きっとその辺の飼い猫なんだろう。

むかーし、子供のころに実家で飼っていた白黒猫に似ている。付近をうろついていたらしい野良の子猫を無理やり飼って貰ったはいいが、声も猫?相も悪くて、評判はいまいち。

母とはよく遠くのマーケットまで歩いて買出しに行ったが、魚の頭を必ずもらってきていた。それを白黒猫なのに《シロ》と言われていた飼い猫は、《ごろにゃーごろにゃー》となにか言いながら、嬉しそうに食べていた姿を思い出す。

今のようにペット用の缶詰など売っていない時代だった。愛猫は家に帰るとまっ先に足元に擦り寄って出迎えてくれたものだ。







拍手!!

2008年09月12日 | 雑感
この頃余り手紙や電話のやり取りもしていない三鷹に住む姉から、丁寧な封書が届いた。なんだろう?と思って読むと、東京に揃って住んでいる子どもたちのうちの一人が今度、地方へ転勤することになり、その挨拶に他の二人も連れ立って来たという内容だった。

受験の時には宿泊したので、すっかりお世話になった。挨拶に行ってくれてよかった。こちらから送った子どもたちの幼いころの写真などを見ながら、いとこに当たる姉の子ども同席し、二時間ぐらいお邪魔をして帰ったそうだ。

上の子はまさにパイオニアになって、地方から上京し、受験のときにも全く知らない土地で一人で試験に挑んだものだった。就職してからも怪我をして松葉杖を付いたり、体調を崩して大学の付属病院に入院したり。

そのたびに姉が見舞いにきてくれたようだ。それでも一度は転職を考えたときもあったが、とにかく10年間同じところで働き、10年勤続による有給休暇なるもので旅行にも行ったらしい。

二番目はすでに結婚し、今回の同行にも何かと気遣いをしてくれている。下の子はいったん関西のほうへ行って寮生活など現場で苦労をし、また東京に戻ってきた。姉には便りのお返しに折に触れてよくお菓子を送ったりしていたようだ。

子どもたちに久しぶりに会って、たくましく都会の中で成長した姿に感動し、胸があつくなったという話だった。それを読んで、なんだか涙がこぼれそうになった。自分のこれまでの年月も走馬灯のように蘇ってくる。

子どもたちの頑張りに大きな拍手!!そして懸命に育て、夢中で生きてきた自分にも拍手を送りたい。










交代のとき

2008年09月12日 | 雑感
福田首相辞任のニュースの残像が消えないうちに、今度は自民党総裁選に候補が続々。はしゃいでいる総裁選候補の言い分?を追うTV番組を見ていると、郵政改革一本やりに争点を絞り、刺客を送っては面白おかしく選挙戦を演出した小泉劇場を思い出した。

TV番組は視聴率ばかりでよくも懲りないものだ、またあれの二の舞か、とイライラして見ていたが、その後に消された年金問題。ここ数日は日本人にとって大事なお米の問題が急浮上。輸入された事故米が流通し、安いということでさまざまなところで使われているというニュースになってきた。

まったく内輪ではしゃいでいる場合かというものだ。いよいよ次はいつ総選挙が行われるのかと、身近に日程が迫ってきたということのようだ。戦後60年以上も政権与党が同じというのは、やはり議会制民主主義とは相容れないことではないか。

昨年、今年と立て続けに二度も首相が突然の辞任という事態になり、ここまでくれば政権交代してもいいはず。交代するとなれば、誰かが言っていたが《無血革命》。確かに大変なことだ。

しかし長期政権の代償として、これまでの腐敗癒着も極み。いくらでもそういうニュースが出て来る。この現状を打破するためには、欧米のように駄目なら別の政党が政権に付く。日本もそういう緊張感のある政治風土にならなければおかしいと思うが、果たして・・・。








とりの酒蒸し~その後

2008年09月05日 | 雑感
少し前に、とりの酒蒸しを作ったよ~という子どもからの連絡。まずは蒸し器の相談があった。これから買いに行くというではないか。ちょっと見て回ったら、4000円くらいはするという。そんなに高いの?とはるか前に買って、今の値段がわからない親としては驚き。

第一、一年に何回も使わないのに・・・ともったいない感じがする。蒸し器を置いておくのは台所の場所もとるしね。狭いところでは空間を圧迫する。そうだ!!“電子レンジの調理”というものがあるではないか。

と、この場合は耐熱ガラスボールを買って、それで電子レンジに入れて作ってみれば?と勧めた。ステンレスのボールは駄目だよ。金属は入れられないからね。そんなわけで、《これから作る》という晩にがんばって作ってみたという写真がこれだ。

すごい!!上手に出来ている!!大皿に盛れば、りっぱにおもてなし料理にもなるよ。とりの胸肉はそんなに高くないので、また作ってみてね~










黒猫も来た

2008年09月04日 | ガーデニング
昨日の激しい雨が嘘のように、今朝からいい天気になっている。気温も上がって、一時、夏の暑さが戻ったようだ。9月は長月(ながつき)、菊月、稲刈り月、紅葉(もみじ)月などというそうだ。

先日の朝早く、カーテンを開けて庭を見たら、なんだか黒いものがボーダー花壇のところでゴソゴソしている。上から見ているのでどんな表情かは見えなかったが、どうやら手前に植えている“キャットミント”の辺りらしい。

黒いかたまりはどうやら《黒猫》とわかった。このハーブの名前の由来は猫がこの花を大好きだから、ということらしい。今までも家人の気配のないときにそっと“キャットミント”に《すりすり》していたのかもしれない。

花壇の中ほどは薔薇が植えられていて、大事なシッポも引っかかる羽目になる。《すりすり》していたのは、ボーダーの手前にある“キャットミント”だった。花といっても芳香とは程遠い。そんなに好きなのかい?と《蓼(たで)食う虫もすきずき》という《ことわざ》を思い出した。