FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

雪の夜に

2006年11月29日 | Weblog
今日は朝から降雪。運転のときは気になって、モーツァルトの調べもなかなか耳に入らない。スピードをダウンしたり、止まるときはブレーキを何回も踏んだり。まだ水分の多い雪質だが、いずれ気温が下がると凍り道になる。アイスバーンのつるつるは毎年のこととはいえ、やはり怖くてたまらない。

月曜日の新聞にフランス最大野党、社会党の大統領候補に指名されたロワイヤルさんの記事があった。指名後の初演説で「女性への暴力を国策にする」と公約したそうだ。当選したら、まず女性への暴力追放に関する法案を議会に出す意向を示し、「ある社会が正しいか不正かは女性の地位と相関関係にある」と述べた。また、著書「テレビに子守される赤ちゃんたち」で日本製のアニメの暴力に触れ、「日本のテレビでは幼い少女が常に虐待されている」と批判しているそうだ。

日本でもDVの暴力が問題になっているほどだから、フランスでこういう女性候補が出るのも当然なのだろう。大いに道筋を示してもらいたい。ある社会が・・・のところは、イスラムの社会とまともにぶつかりそうで、ちょっと心配だ。ロワイヤルさんが言っていたという、男たち中心に進んだフランス革命時に女権を要求した女性、オランプ・ド・グージュという名前ははじめて聞いた。ロワイヤルさんの基準からすると、日本も確実に「正しくない社会」に入りそうだ。

「惜別」という紙面にイタリアの映画監督、ジッロ・ポンテコルボさんのことが載っていた。この監督の名前は知らなかったが「アルジェの戦い」(66年)の監督と出ていてびっくりした。まさかイタリア人の監督だったとはー。今まで見た中でも5本の指に入るのではと思うぐらい強烈な印象で、随分前に見たのに忘れられない。

「フランスからの独立を求めるアルジェリア民族解放戦線(FLN)と仏軍による壮絶な闘争を描いた映画。仏の将軍が徹底した抗ゲリラ戦を展開し、カスバの地下組織を追いつめていく。62年の独立後、同作品は66年ベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得。ゲリラ側の主張に偏っていると抗議した仏関係者が揃って式典をボイコットし、唯一残ったのがフランソワ・トリュフォー監督だった」。

「ドキュメンタリーではなく、ニュース映像も使っていない。キャストは将軍役以外ほぼ全員が素人。そんな作品が現実以上にリアルといわれるほどの迫力を持ったのは、構想から5年かけた執念の賜物だといっていい。多くのプロデューサーに断られ、監督や脚本家らが資金を持ち寄って完成させた」・・・。

映画館で見たのではなく、かなり後でビデオを見たものだが、こういう事情は知らなかったのでなるほどと納得した。この映画はアメリカ側からはテロとの戦いの生きた教材とされたという。追い詰められた非力な者たちが自分たちの身体を武器にするというのは、随分前から行われていたようだ。(日本でも太平洋戦争末期に神風特攻隊として、若者が生きて帰れない戦闘機に乗って、敵に向っていった。)

イタリアのネオリアリズムの伝統がこの監督に受け継がれていたんだなあと、あらためてロッセリーニの時代の重要さを思い出した。イギリスのケン・ローチ監督がアイルランドの独立運動を描いた「麦の穂をゆらす風」が今年のカンヌ映画祭のパルムドールを取った。最高傑作と激賞される一方で、ややIRA(アイルランド共和軍)に甘いのではないかという評価があるそうだが、どうしてもこれは見たいと思っている。「アルジェの戦い」のあとを受け継ぐ作品であってほしい。
















春というのは5月

2006年11月24日 | Weblog
昨日から本格的な冬になって、当り一面雪で真っ白になった。秋の落ち葉の黄色から銀白色へ。季節が一夜にして劇的に変わっていく。外の景色を窓から眺めながら、これから長い冬が始まるなあと思っていたときに、今の気持ちにぴったりの「毎日モーツァルト」が流れた。

毎日モーツァルト第180回、春を待つ心。リート「春へのあこがれ」K.596.「春のはじめに」K.597.「子どもの遊び」K.598.1791年、モーツァルト34歳。

ゲストはドイツ文学者の小塩節さん。
5月よ来いというのですが、確か題名は「春へのあこがれ」になっていると思います。冬の寒いときに春よ来い。ドイツ、オーストリア、ウィーン、ザルツブルクの場合。春というのは5月なんですね。3月、4月はまだ冬なんです。5月になるといっせいに花が咲くんです。

経済的にも苦労する。女房は病気ばかりしている。でも彼の心の中で5月よ早く来いと春にあこがれて歌った。草が萌えてくる野原、あるいは川辺。小川のほとり。スミレがぽっと顔を出してくる。あー、すみれを摘みたいな。すみれを早く見たいな。今は寒い冬なんだけれど、と。彼の晩年の心をうつしていると思いませんか?

1791年1月14日、モーツァルトは子どもの為のリートを3曲完成させる。この「春へのあこがれ」の弾むようなメロディーは、直前に完成したピアノ協奏曲27番第3楽章にも使われていた。春を主題にした3つのリートはフリーメイソンの仲間が出版。

”なつかしい5月よ来い 小川のほとりに すみれの花を咲かせておくれ
すみれの花にまた会いたい ぼくは散歩に出かけたいんだ”
”天気が穏やかになって、あたり一面緑になればなあ。いとしい5月よ、ぼくたち子供は君が来るのを待ちきれないんだ。早く来てすみれの花を咲かせておくれ。それから忘れずに小鳥たちも連れてきておくれ”

リート「子供の遊び」K.598.
”ぼくたち子供は遊びながら仲良くなる。叫んで歌って走り回って草の上を飛んだりはねたりする。見てごらん。チョウチョだ。捕まえたりしちゃ駄目だよ。あそこにも飛んでる。きっとこいつの仲間だね。

ああ、太陽ももう沈んじゃう。ぼくたちはまだちっとも疲れてなんかいないのに。じゃあ、みんな、また明日。明日また楽しく遊ぼうね”

モーツァルト晩年の苦しいときにこそ、楽しいことを考えていたいという子供の世界に浸っているようなリートの数々。以前にザルツブルク在住のピアニスト、小菅さんが、ザルツブルクでは冬は寒くて-20度にもなるんですよという言葉があったが、このリートには同じ季節感を共有するような、なんともいえない親しみを感じた。あなたの住むところも、5月になって春が来るんですか?と声をかけたくなるようなー。

いっせいに花開く5月という言葉には、長い厳しい冬の寒さという前書きがある。その言葉がなくても、感覚で理解出来るからだ。まだ緑のある公演で楽しそうに遊んでいる子供たちの映像には、若い親だった随分前の自分の姿と、自転車に飛び乗っては公園に行って遊んでいた子供たちの姿が重なって見えた。あんなときもあったんだなあと。

今は親元から巣立ち、それぞれの地域で信頼する友を見つけ、家庭を持ったり、仕事をしたりして忙しい。親に相談してくるということも、旅行の土産は何がいいか、なんていうことぐらいだ。こうやって日々1文を書いているのは親も元気にしてますよーということと、故郷の空からあなたたちを見守ってますよーというエールでもある。

歌曲集の中に、この3曲が入っているので早速聞いてみよう・・・。



















『仮面の真実』

2006年11月12日 | Weblog
2003年/イギリス・スペイン/110分。ポール・マクギガン監督。14世紀イギリス、出来心で追われる身となった若き神父が、旅の一座と出会った。村で実際に起こった事件を舞台劇にして村人に見せると、実は冤罪であることがわかり、真相を追求していく。中世の時代を背に、とにかくおもしろく、一気に引き込まれてみてしまった映画。

1380年イングランド、ノルマン人の支配が300年に及んでいた。教会と国家は権力を保つべく、結束していた。若き神父ニコラス(ポール・ベタニー)はペストが流行し、”つらくよからぬ時代だ”と民衆の不満が募っていることを踏まえ、絶望を捨て希望を持つのです。天のものに心を留め、地上のものを捨てよ、と説教する。しかし若さから道を踏み外し、追われる身となった。

逃げる途中で村を回る旅の一座に出会う。父親から座長を引き継いだマーティン(ウィレム・デフォー)は客を呼ぶために、村人が一番関心のある事件を劇にしようと思い切った提案を座員に持ちかける。ニコラスとマーティンは実際に獄中で鎖につながれているマーサに会いに行く。彼女は耳と口が不自由だった。自分が殺したのではないと手真似で説明し、助けてと涙ながらに訴えられた。

マーサの父親は、マーサは神の声を聞き、癒しを行えるという特別な力があったとマーティンに言う。そのことによって村の教会のデミアン神父がいつか捕まえに来ると考えていた。村人は正義を言えば、どうなるか知っていると。

いよいよ事件を舞台劇にして村人を呼ぶと、関心が高く大勢の観客が来た。劇が進むにつれて、殺された少年トマスの母親が描かれている内容と違うと叫ぶ。ニコラスはマーサに希望を与えたという気持ちもあって、無実を証明しようと少年の墓を掘り起こし、真相に迫っていく・・・。

迫真の演技を披露した主演のポール・ベタニーははじめて見た。問題を起こして教会を去っても、心のどこかには罪に対する「許し」を求めていて、それが少年に何があったかとどこまでも追求する動機付けにもなっている。マーサを救うことは自分を救うことにもなるのだと。か細い身体が迷える羊のようなイメージにぴったりだった。

ニコラスを後ろから援護する座長のウィレム・デフォーは久しぶりに見て、なつかしい。以前に見た映画がなんなのか忘れるほどだ。相変わらずストイックなけわしい表情。これがまたいいー。無駄な贅肉が一切ない肉体。時折挿入されるアクロバット?のような場面。コの字のような形になって、両足と両手が地に着いてしまうというやわらかさは、年齢を考えると驚異的な鍛錬の賜物。旅の一座というアウトサイダーの役柄が今も良く似合う。

出てくる場面は少ないが、領主役のヴァンサン・カッセルも、悪は悪なりに理由があるという迫力があってよかった。こういう憎まれ役に重々しさがないとうまくいかない。村人にとって、領主は最大の権力者。しかし彼ももっと大きな権力の変遷に巻き込まれている一人に過ぎない。3人ともそれぞれの持ち味が出ていて、そういう意味でもこの映画は成功したのでは。

最近、ノンフィクションしか見る気がしなくなっていたのが、フィクションでもこんな映画があったのかと、感嘆するほどおもしろかった。原作はバリー・アンズワースというイギリスの有名な作家だそうで、正義は勝つという描かれ方でないというところが、どこかシェイクスピアにつながっているのだろうか。













イラク~ヤシの陰で~

2006年11月10日 | Weblog
2005年/オーストラリア/95分。ウェイン・コールズ=ジャネス監督。WOWOWで放送された。2003年春、戦争が始まる4週間前から米軍による攻撃が始まるまでを、オーストラリア人の監督がバグダッドなどの市民の日々の暮らしを撮影しているドキュメンタリー映画。

街頭で新聞を売るおじさんは、朝6時から働いて、午後3時には終わる。この仕事が好きだし、満足している。働いているのがしあわせだとカメラに向って言う。女子高生はスクールバスに乗って登校しているが笑顔を見せ楽しそうだ。スカーフを被らない生徒もいて、キリスト教徒とイスラム教徒が隣り合わせて席についている。同じアラブでもアフガニスタンなどとは相当に違う環境であることがわかる。ファッションショーさえ開かれていたのだ。

老人たちがカフェに毎週集い文学論をたたかわせている。その中の一人で女子校の校長先生(らしく見える)は、傍にいる先生の一人が、イラクに兵器があるのかと問いかけてくると、イラクの何があるとかじゃない。アフガン、イラク、イラン、シリア、サウジ。そういうプログラムなのだ。

順を追ってだんだんと世界を支配していく。そして最大の植民地保有国になる。アメリカは植民地主義の伝統を踏襲している。目新しいことじゃない。ヨーロッパの旧帝国が行ってきたことだ。英国、フランス、スペイン、ポルトガル。どの国も世界を支配しようとしてきた。今、アメリカが同じようなことをしていると。

女子校では攻撃に備えて応急処置の授業が行われていた。レスリングのコーチは大会の前に子どもたちを自宅に預かって送迎や食事までさせている。妻は自分の子どものように思えると子どもたちを可愛がっている。

この映画監督の通訳をしている男性の母親も登場する。母親はキリスト教もユダヤ教も平和を愛している。私たちイスラム教徒も平和を愛している。私たちがテロリストですって?彼らこそ石油と富を狙うテロリストよ。

アメリカ軍の侵攻と空爆によって、日々の暮らしと平穏を願う人々が住む家も仕事も失ってしまう。道路には仕事を失った男たちで溢れている。レスリングコーチはスポーツも家庭も捨て、祖国の為に戦うといって、連行されて行方がわからなくなってしまった。残された妻と息子たちは必死に探している。

アメリカ軍の兵士の話も出てくる。子どもが4人いる。誰が敵か分からない危険な場所にいるが、妻も子どもたちもそれを知らない。知らせたくないとも言う。アメリカ軍の兵士は今も亡くなっている。

アメリカで中間選挙があり、民主党が下院で圧勝し、上院でも民主党が94年以来12年ぶりに多数派を獲得する勢いということだ。それによって、ラムズフェルド国防長官が更迭された。ブッシュ大統領の鮮やかな変身振り。しかし、イラクは元に戻らず。今や内戦状態になり、治安が悪化してどうしようもなくなっている。

なによりも小泉首相が真っ先にブッシュ政権のイラク侵攻を支持した。日本人もイラクを戦場にした側にいるという思いに駆られる。小泉政権は無傷のまま任期を全うするほどの長期政権だった。街を戦場にし、兵士をそこへ送り込む側はいまだに生き長らえている・・・。












心の闇

2006年11月05日 | Weblog
今日は最高気温16度とやら。晴れ渡って遠くの山々が一望できるほどだ。初雪が遅れているのが地方ニュースになっている。一冬を通してみれば、例年通りの降雪量ということになるというのはわかっている?ものの、やっぱり暖かい日が一日でも長く続いて欲しい。

毎日モーツァルトは第157回、交響曲第40番ト短調。K.550.第1楽章より。1788年、モーツァルト32歳。ゲストは俳優の滝田栄さん。このお話が素晴らしく、久しぶりに書く気になった。(現在進行形の毎日モーツァルトはいよいよ佳境に入り、最終回に向って進んでいる。)

人の為とかサービス精神じゃなくて、自分に対して問いかけた曲という感じがするんですね。39,40,41番と3つがつながっている感じがするんですが、中でも40番というのは、どうしようーという、はじめて迷った、悩んだ苦しいときに考えた深い不安とか、悩みといった、人に見せなかったものを、交響曲で書いた感じがするんです。

あの最初の旋律がハムレットが生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ、と自分に問いかける。それと同じように、追い詰められて傷ついて疲れ果て、弱りきっているモーツァルトが、生きるべきか、死ぬべきかではなく、音楽か死か、どちらか。

その迷いが最初は分からなかった。もっと若い時には。聞いたとき何なんだろうか。何を訴えているんだろうかと。自分が大人になったときに、あー迷いなんだ、苦しいんだモーツァルトはって、わかった時に、モーツァルトを大好きになっていく切っ掛けになっていきました。

1788年6月、郊外の新居に引っ越した。7月、交響曲第39番に引き続き、第40番を完成させた。冒頭で奏でられる憂いに満ちた旋律。モーツァルトの心境を映すかのように、悲痛な情感に満ちている。この頃モーツァルトは友人プフベルクに借金依頼の手紙を次々に出していた。

1788年6月27日、モーツァルトの手紙
”私の現状はどうしても借金せずにはいられないほど困窮しています。”
”でも一体誰を頼ったらいいのでしょうか?あなたをおいて最上の友よ。他に誰一人いません”

借金を求める手紙には時折モーツァルトを襲う「暗い考え」が顔をのぞかせている。”ここに移り住んで十日の間に以前の二か月分よりもっと多くの仕事をしました。たびたび暗い考えに襲われさえしなければ、尚いっそううまくいくでしょうに”

交響曲第40番の緊迫感が溢れたその曲調は後世さまざまな解釈を生み出した。
”悲劇的な苦痛にみちたもの””激情を募らせたるものは不幸な愛への希求と後悔”モーツァルトの傑作のひとつとして広く親しまれている交響曲第40番は、モーツァルトの心の闇を表すかのように暗い抒情美をたたえている。

滝田さんの言われるように、ある年齢にならないと分からないことって確かにありますね。モーツァルトも若い頃聴いてもただそれだけで終わっていたと思いますが。今、この年齢になって出合ったことが大事で、シェークスピアなんかも、いくら名解説!を聞いてもぴんと来ないのとおんなじような気がします。モーツァルトの悩み苦しんだ末に出来た作品。だからこそ素晴らしいものが生まれたのでしょう。25番と同じくらいこの曲の出だし、第1楽章は好きですねえ。

佐藤しのぶさんのソプラノリサイタルという番組で、モーツァルトの歌曲ばかりやるというので、期待して聞いたらー。全曲原語でさっぱり気持ちが歌の中に入っていけず。「フィガロの結婚」の中の有名なアリアなどもあったというのに。多分プログラムには詳細な解説が載っていたのだろう。字幕を画面の下に入れるとか、何がしかの内容や物語の流れの中でこういうシーンに歌われるとかあれば。どういう人を対象に番組を流したのだろう・・・。
















『伽耶子のために』

2006年11月05日 | Weblog
1984年/小栗康平監督。在日2世の大学生と朝鮮人の父、日本人の母を養父母とする高校生の少女、という複雑な歴史と生い立ちを背負った二人の出会いと別れを描いた映画。戦争という激動を背景に、ただのラブストーリーには終わらない重みを持った作品。

昭和33年、東京で学生生活を送っていた在日2世の相相俊(呉昇一)は北海道の森町に父親(加藤武)の同胞、松本(浜村純)を訪ねる。そこには日本人女性の妻(園佳也子)と見たことがない少女、伽耶子(南果歩)がいた。日本人の親から捨てられた美和子は、松本に拾われて名前も伽耶子になっていた。

もう一度訪れた相俊と伽耶子は大沼公園でボートに乗るなど、次第に心を通わせ、その後は文通するようになったが、両親との争いから家出をしてしまう。伽耶子の友達から居場所を教えられ、会いに行ってみると、身を寄せているのは捨てられたはずの母親のところだった。朝鮮も日本も大嫌いと、二つの国のどちらにも属せない葛藤を相俊にぶつける。

苦しみを受け止めた相俊と伽耶子はそのまま上京して、同棲生活を始めるが、古本屋に本を売るなど生活の基盤がなく、つかの間のしあわせに浸りながらも行く末など見えない二人。やがて伽耶子の両親が二人の部屋に踏み込んでくる・・・

静かなやさしさを漂わせた表情の相俊が何かのきっかけで、樺太での過去の子ども時代の映像が画面にパッと入ってくる。海岸に仰向けになって、服を着ているのに骨が見えている死体をじっと見ているシーン、包丁をすばやく持つと外にでて、それを地面の下に隠すと、見えないようにそこに座っている。監視のロシア兵に日本人は駄目だといわれる場面。

父親から朝鮮人になれといわれる相俊は同じ立場の学生と民族衣装を着けて踊る女性たちのそばにいたり、民族蜂起で8万人もなくなったという歴史を教えられたり。しかし、次第に日本人社会の中で同化していく自分。両方の国と民族の狭間で自分は何者なのか、と揺れながら悩む姿。

外国人登録証明書みたいなものが出てくる。それを開くと、自分の顔写真の下には人差し指の拇印が押されていた。日本人には到底分からない屈辱感だ。

この悩みは今に至っても、2世や3世に引き継がれているのだろう。2世の姜尚中さんがすぐ朝鮮民族と分かる顔が嫌で、写真が嫌いだったというようなことを言っていた。今は盛んに北東アジアの火消し役になろうとして、いろんな場所に出て発言している。なんとか日韓双方の架け橋になろうと、懸命に努力しているのが伝わってくる。まして一つの民族が引き裂かれて、いっそう複雑な様子になっているから尚更だ。

伽耶子の立場は、母親の悔しさやら無念やらいろんなものを背に受けて、自分を捨てた母親は生きている。日本人でありながら、日本人を憎む気持ち。飛び立つのを引き戻そうとする両親の気持ち。伽耶子も二つの民族の間で揺れ動いている。しかもその後ろには植民地支配した国とされた国という過去の戦争がある。若い二人が解決するには重すぎる荷物だった。

大人になった相俊が凍って真っ白になった海を渡っていく、民族衣装姿の同胞たちを遠くから見つめる場面が一番印象的。そのゾロゾロと歩く人々の中から子どもの自分が向ってきて、海を通って行くんだと大人の自分にいいにくる。たとえ真冬の雪原を歩いてでも行くという、朝鮮民族の厳しい歴史を象徴するようなシーンだった。












『癒された地』

2006年11月01日 | Weblog
アジア・フィルム・フェスティバルから。2005年/ベトナム/日本。ベトナムのチュエン監督が、戦争が終わってから、人々がどう生きてきたか、戦後のベトナム人の生命力を伝えたかったという映画。南ベトナムの兵士だったタイには、二人の妻がいたが、生活の為に禁止されている危険な地雷掘りをすることになる、という逸話に基づいた作品。

戦争が終わり、旧政権兵士は殺されると思っていたがそうではなかった。村には女性兵士ウエンがやってきて村人を指導する。ドクロの看板が立っている区画、くず鉄拾いは危険ですと警告する。ある日、塹壕に土をかける作業をしているとタイが地雷を発見する。いっせいに避難するが、ウエンは全部撤去した、混乱させて革命の邪魔をする気かと。

タイは県指導者に呼ばれ、尋問される。そこで妻が二人いることが知られ、元の妻のところへ。しかし、そこでも仕事につかず、とうとう配給の米を持たされ、出ていくことになる。妻のトゥアンはミシンを使って市場で洋服をこしらえ、大きい女の子ラインと、小さな男の子を養っていた。

お米を頭に載せて川を渡り、2番目の妻のところに戻ると、与えられた土地はやせて石ころだらけ。ラインが後妻のところへ来て、家の手伝いをしていた。3番目の子を産むトゥアンも初産の後妻も、タイの子供を同じ参院で産むことになった。村では地雷撤去隊が組まれ、見つけてはタイにやり方を教えていたナムさんに頼んで処理していたが、そのナムさんも失敗して爆死してしまう。それでもタイはワイヤや鉄柱は酒代にしかならない、とまた地雷掘りを続けていく・・・・

ベトナム戦争反対を叫んだ若かりし頃。映画の中で俳優ではない一般の市民が出ている場面を見ると、ベトナムの人々のことをなんにも知らなかったという気持ちがこみ上げて来た。まして戦争後のベトナムについては。この映画ではじめて人々の暮らしを知ることになった。2005年という今に近い時点で映画が作られたというのは、そういう意味でも大きなことだ。

南ベトナムの兵士だったものが収容所送りになり、戦後は一転、解放軍兵士の指導者の下に尋問!されたりしながら暮らしていくが、漁業をやればと妻に言われても、船を使って逃げるのではないかということで仕事に付けない。苦し紛れにやったくず鉄拾いから、もっとお金になる地雷掘りに手を染める。これは発覚すれば捕まるし、仕事にも爆死の危険がいつも付きまとう。

実際、元ゲリラ兵士でタイに地雷掘りの極意?を手ほどきするナムさんほどの腕前でも、爆死した。この場面が一番印象的だった。爆発の音とともに空から血が顔に落ちてくる。見上げるとナムさんが使っていた厚底のゴムサンダルが木の枝に引っかかっている。戦争が終わってもベトナムの人にとっては終わりのない戦いが続いている、ということを象徴しているようなシーンだった。

中学生くらいの少女に見えたタイの娘ラインは、母親とタイの間を気遣い、後妻のところにまで行って実に良く働くいい子だ。いつ学校に行っているのかとハラハラしてみていたら、杞憂に終わってこれはホッとした。べトちゃんドクちゃんくらいしか(今度結婚されるそうだ。)知らなかった戦争後のベトナムがわかり、チュエン監督の思いが十分伝わってきた。タイも二人の妻もラインも、生まれたばかりの子どもたちも、みんなたくましくベトナムの地で生き抜いて欲しい。