福島第一原発の事故はいつまでも収拾がつかず、一人暮らしの子供には、とうとうペットボトルの水やらなんやら送ることになった。荷物が届いたという電話口の声にはホッとする。
今日のニュースでは、核燃料を冷やし続けなければならない水がどこかから漏れて下に溜まり、それにも汚染された測定値が出ていることが発表された。
政府・東電側も延々と時間を浪費するわけにはいかないと、ようやくフランスから汚染水除去の専門家を呼んだようだ。こんなことなら、はじめから支援を要請すればよかったのにと腹立たしい。
インターネットを調べると、フリージャーナリスト田中龍作さんの記事には、27日に反原発のデモが銀座で行われ、1000人以上が参加。デモに参加するのははじめてという、都内在住という若い女性のプラカードには「私、原発に無関心だったことを反省しました」という文字が書かれていた。
大手新聞の記者クラブは大スポンサーの東電を批判する質問には及び腰だという話だ。新聞、TV局と電力会社と関係に横たわる長年の癒着。おまけにそのスポンサー料!?は東京大学をはじめ、いくつもの大学の原子力関連講座に寄付金として流れているというのだから、学者さんたちが東電に遠慮するのは当然の成り行きか。女性記者たちの糾弾の声もさっぱり聞こえてこない。どうしたわけだろう。
首都圏に住む人々の豊かな消費生活を支えていた電力が実は他県から送られていること、そこに住む人々が地震国にもかかわらず危険と隣り合わせでいくつもの原発のそばで暮らし、その方たちが津波や今度の事故で大変な被害に遭われ、しかも自分たちのところにも放射性物質が今後も飛来し続ける。このままでいいのかと、構造的な問題を考えざるを得ないところまで来たのだ。
新聞もTV局も石油からくるエネルギーと違って、二酸化炭素を出さない原子力発電、環境を汚さない、地球にやさしいオール電化生活…みたいな伝え方をしてきたはず。「朝日ジャーナル」緊急増刊号に「『第4の革命』で未来を切り開く」~地域分散型自然エネルギー開発の可能性~という、エネルギー革命を意欲的に語っている飯田哲也さんの記事冒頭でさえも、…地球温暖化とエネルギー危機はますます深刻になっている…という書き出しで始まる。
元副大統領ゴアさんが見せた「不都合な真実」の映像が広まったということもあり、二酸化炭素が環境破壊の源という”常識”を覆すのは容易ではない。それじゃあ、原子力でもなんでも、二酸化炭素さえ出さなければいいのか?
広瀬隆さんの「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(集英社新書)を読めば、これがいかに政治的意図に操られたメッセージかということがわかる。温暖化というより、太陽の黒点活動を見れば、むしろ地球は寒冷化に向かっているのではないかという説。地球の気候はいくつもの要素が複雑に絡まり、二酸化炭素一人の責任を追及すれば解明されるというものではないという。ヒートアイランドという都市化現象の問題も大きい。
人間の歴史が始まって以来、IPCCが発表した21世紀まで右肩上がりに地球の気温が上がっているというのはまやかし。しかもこれは意図的な改ざんであり(クライメート・ゲート事件、ウォーターゲート事件をもじってつけられた)、欧米ではすでに報道済み。
日本のマスメディアは政府の国策であり、大スポンサー電力会社が唱える原発推進と歩調を合わせ、欧米ではよく知られたこうした報道さえしていない。ここでも(政治とカネと同じ)真実を書かない日本の大手新聞・TV局の腐敗堕落、ゆがんだ報道姿勢がはっきりと見える。
今になっても原子力発電はコストの面からほかのエネルギーには譲れない経済性があると唱えている先生方がいるのには唖然とする。巨額の補償金が必要とされる今起こっている事故、赤ちゃん、幼児、妊婦、若い女性にとってより脅威となる放射能汚染、排熱によって生態系を壊す環境破壊、必ずバックアップのために必要とされる火力、水力などの発電所、稼働とともに大量に生み出される核廃棄物の処理、それをどこに作るのか、しかも地震国で管理する危うさ。そうしたことを考えて尚、安い電力と言えるだろうか。