FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

音を楽しむ

2014年03月23日 | 音楽

 道路の雪解けが進み、車を運転しているときにもようやく音楽を聴く余裕が出てきた。この頃はまたモーツァルトを聞くようになって快調だ。それまではアイスバーンでガタガタの横揺れにスリップしたら大変、路肩に積まれた高い雪の壁に道路の幅が狭まり、対向車が来れば待避したり、割り込んでいくときには何度も車が来ないか確認したり…

この間のクラシック倶楽部で、ルノー・カプソンのバイオリンリサイタルが良かったねえ。ピアノはダヴィッド・カドージュという、二人とも若手演奏家だった。東京の紀尾井ホールで収録したそうだ。その中のベートーベンのバイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24 ”春”

ベートーベンもこんなにみずみずしい軽やかなメロディがあったんだなあと思わせる、春らしい曲。何度聞いてもフレッシュな気持ちになる。まだ若いころの作品らしい。

DVDの整理をしていたら、大分前に録画した「毎日モーツァルト」が出てきたので、これはいいと最初からヨーロッパのモーツァルトが作曲したゆかりの地の映像を見ながら楽しんでいる。

天才早熟を絵に描いたようなモーツァルトはすでに10代で素晴らしい曲がたくさんあって、青春の記念碑、17歳の時の作曲「交響曲第25番ト短調」の第1楽章は何度聴いても大好きだし、これは当時旧来の体制を見直して若者の価値観を重んじるというゲーテが中心となった「疾風怒濤」運動の影響下で作られた作品らしい。嵐のように駆け抜けていくという激しい動きが感じられる曲。

番組のテーマ曲になった「フルート四重奏曲ニ長調」も透明感がいいよねえ。飼っていたむく鳥の鳴き声を音に取り入れたという「ピアノ協奏曲第17番」も春らしく軽やかでいいなあ。今は運転しながら聴いているよ。モーツァルトは音を楽しむというのがピッタリ。教養とかなんとかそういう世俗の垢を超越したところで、すっと体の細胞に入り込み、のびのび呼吸できるようになる。


サザン

2013年09月23日 | 音楽

 WOWOWで35周年記念ツアーの最後を飾るという、宮城県仙台でのサザンオールスターズをライブ放送するというので。最近の歌「ピースとハイライト」の歌詞がいいから、久しぶりに見てみようかと…

 なつかしいなあ、やっぱり…よく聴いていたからねえ。YOU,ByeBye MyLove とか、ミス・ブランニュー・デイ、真夏の果実、希望の轍、最後のほうに歌ったいとしのエリーとかね。いい歌がいっぱいあって。

一番注目したのは「ピースとハイライト」。国と国、お互い挑発しないで仲良くしようよ、と人の親として平和を願う思いが溢れている歌。教科書では現代史を知りたいのに、その前に時間切れになる、どうして?みたいに結構鋭いことをいってるしね。

 だけど全部いいってわけじゃない。曲の間に登場した仕掛けにはあまりにも露骨なものがあって、うんざりしてしまった。こういうのがあって、このごろ引いてしまっているというのに…。

 その後はアルバム程度にしておけば良かったと後悔しつつ、陽水さんを思い出したよ。井上陽水さんは宇宙人!?ではあるけど、ここまでレベルを落とさない。世代の違いといえばそれまでだけど


そばにいれば

2012年10月19日 | 音楽

 この間の「クラシック倶楽部」で大好きなフランク作曲のバイオリン・ソナタ イ長調の放送があった。この曲の出だしがいいなあ。ピーンと張りつめたような音が響く。「ピエール・アモイヤル、バイオリンリサイタル」の中の1曲。毎晩友人であるもうすぐ300歳!というストラディバリウスとともにステージに上り演奏するのが至福の時間という。無心で音楽を楽しんでいる境地。肩の力が抜けた自然体の音色が印象的。

もっと円熟した演奏で感動というより、感銘を受けたのは、14日放送の「ららら♪クラシック」~師匠と弟子の幸福な関係~で紹介されていたアナ・チュマチェンコさん。名演奏家にして、ミュンヘン大学で教鞭を執っている名教師でもあるということで、そのお弟子さんである若い女流バイオリニストたちが、次々にチュマチェンコさんの教えを胸に演奏家として活躍している。来日した時にも公開レッスンを行い、演奏する若い女性たち一人一人に短い言葉で温かく指導していた。

お弟子さんの演奏が少しずつ登場。ヴェロニカ・エーベルレさんはプロコフィエフの「無伴奏バイオリン・ソナタ 作品115」から第2楽章。今もミュンヘン大学に通う学生さんで、チュマチェンコさんから直接教えを受けているそうだ。もう一人はアラベラ・美歩・シュタインバッハさん。ドイツ人のお父さんと日本人のお母さんを持つ。日本人の黒髪には難しい緑色のロングドレスには、茶色の髪がぴったり。チャイコフスキーの「バイオリン協奏曲」から第3楽章。二人ともスケールの大きな表現力で、自信に溢れ、堂々たる演奏だった。

そして本家のチュマチェンコさんはシューマン一作曲、唯一の「バイオリン協奏曲」から第2、3楽章。シューマンはピアニストであることから、この曲は「ピアノ的な音型が多く、バイオリンでは実際に弾けないような音型を書いてあるところがある」という難曲。ところが…少しもよどみなく、しかも金属的な音がまったくしない包み込むような音色で、短く切った音の連続も難なく!?演奏していった。情熱的で温かい響き、なんども聴きたくなるような演奏。

若い演奏家へ「”ファストフード”感覚で音楽の栄養を取らないでほしいと願っています。成長するためには時間が必要。育ち方は生徒によって違うのです。今日、あまりにも単純な先入観、つまり若いうちにすべて成し遂げなければならないと考える傾向が強いですが、そんなことは不可能です。深く成熟させるためには時間が必要なのです」

シュタインバッハさんが行き詰って相談したときには「そんなに不安になるのはあなたが繊細だから。繊細だからこそ美しい音楽を生み出せる。それは音楽家にとって大切なこと。自由に心を開いて失敗を恐れないで。不安になっても大丈夫、そのほうが人間らしくていいじゃない?」…すべての若者にこういう大人がそばにいれば…、素晴らしい愛情に満ちた言葉…


夜の帳が下りるころ

2012年09月05日 | 音楽

 昼間の喧騒が去り、夜の帳(とばり)が下りるころ、静かにじっくり聴きたい音楽。この頃はそういう成り行きから、興味を持つのはクラシック音楽とそれに関連した番組ばかり。モーツァルトのクラリネット協奏曲、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番、それに埋もれた女流作曲家、吉田隆子さんという驚きべき存在。

毎週日曜日放送、毎度裏録している「ららら♪クラシック」という音楽番組。曲より解説が多くて、大抵はイライラしてしまうのだけど、8月19日放送、「天才モーツァルトの素顔」。この回はモーツァルトなのでまあ、いいかと我慢強い。エピソードはどうでもよく、最後に流れた「クラリネット協奏曲」K.622 を久しぶりに聴きたかったからだ。

ザビーネ・マイアーさんがいつだったか、来日されたときの演奏はなつかしいものだった。モーツアルトが生きていたころに使われたクラリネットに似せ、バセット・ホルンという低音域が出るように特別に作った楽器で演奏されていた。最晩年、1791年の作曲、追いつめられた状況でこんなにも澄み切ったメロディが生まれたのかと、何度聞いても涙が出そうになる、心に染み入る第2楽章。

次は8月28日放送のクラシック倶楽部、「若き名手たちによる室内楽の極(きわ)み」。それぞれ活躍されているバイオリン、ビオラ、チェロ二人ずつ、6人編成による「弦楽六重奏曲」。その中でブラームス作曲、変ロ長調、作品18、弦楽六重奏曲 第1番の第2楽章。重々しい旋律ながら、フランス映画にも使われたという、耳に残るメロディ。車を運転しているときにもこのメロディが浮かんできたほど印象的だった。日本人演奏家若手6人は和気あいあいという感じで、たのしそうに演奏していたねえ。

もう一つは9月2日放送「ETV特集 吉田隆子を知っていますか」~戦争・音楽・女性~という番組。1910年生まれ(他界した父と同じ生年)の女流作曲家、特高による検挙で実に4度も拘留されながら志を曲げず、大衆のための音楽を作曲したいとプロレタリア音楽同盟に参加。女性は交響楽団にも入れないという時代に、自ら楽団を立ち上げて演奏会を開催、石川啄木の短歌に曲を付けたり、黒い式服にネクタイという姿で指揮する姿に拍手喝さいを受ける。

折しも日中戦争、太平洋戦争と国家が戦争遂行に突き進む中、そのために障害となるものを排除しようと共産党員ばかりか、文化人、芸術家まで一斉検挙されていく。その中でプロレタリア作家、小林多喜二の獄死という事態も起こり、その追悼曲を作曲したが集会も禁止され、ついに日の目を見ないまま。

獄中の劣悪な環境に体調を崩しながらも何とか戦中を生き延び、戦後も反戦平和を貫き、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」やヴァイオリンソナタを作曲。後にプロレタリア演劇の作家久保榮と出会い、私生活でもパートナーとなって、久保榮演出、吉田隆子劇音楽「火山灰地」を上演する。

昭和13年初演、北海道出身の久保榮が書いた、十勝地方の農業試験場場長と農民がいがみ合いながら農民生活の向上に努力する姿を描いたものだそうで、戦後は宇野重吉さんや奈良岡朋子さんが演じている映像が残されている。吉田隆子さんは昭和31年(1956年)、がん性腹膜炎で没、享年46歳。昭和33年(1958年)久保榮没、享年58。

女性と音楽のかかわりについて研究してきた小林緑さんは「男性中心の音楽界で埋もれてしまった典型が吉田隆子さん」「音楽史の中で女の事は何も言わない。作曲をイメージするのは男、演奏するのは女」だという。日本にもこういう時代に先駆けた開拓者がいたのかと、同じ年代の音楽評論家、吉田秀和さんが脚光を浴び続けたのに比べ、あまり知られていない存在、その生き方にも衝撃を受けた。

 


吉田さんの問いかけ

2012年07月25日 | 音楽

 7月23日の「クローズアップ現代」でやっていた「”そこに自分の考えはあるか”音楽評論家・吉田秀和の遺言」…、吉田さんが亡くなられたのは5月22日だから、少し時間を置いての番組だけど、そのメッセージは心に残るものだった。

グレン・グールド(1932~1982年) 極端に低い椅子に座って、足を組み、声を出しながらピアノを弾いていく。このピアニストをどう評価すべきか。バッハの「ゴールドベルク変奏曲」はゆったり弾かれるのが一般的だったのを、まるでジャズの即興演奏のように弾くという型破りの演奏家が出現したからだ。

「楽譜の繰り返し記号をことごとく無視した、疾走するスポーツカーのような演奏」「私にはグールドという人が私たち常人に比べて、はるかに微視的感受性を持っていて、異常に鋭敏で迅速な感覚を持っているのではないかという気がしてならない。」「これだけの演奏を聴いて冷淡にいられるというのは、私に言わせれば到底考えられないことである」「私は日本のレコード批評の大勢がどうであるかとは別に、このことに関しては自分一人でも正しいと考えることを遠慮なく発表しようと決心した」と評した。

もう一つは1983年、当時78歳になっていた伝説のピアニスト、ウラディーミル・ホロヴィッツが来日して演奏した時。日本中が熱狂して一枚数万円にもなるチケットに長蛇の列が出来たそうだ。朝日新聞の音楽展望というコラムには「ホロヴィッツを聴いて」と題し、「今、私たちの目の前にいるのは『骨董』としてのホロヴィッツに他ならない。」「この芸術はかつては、無類の名品だったが、今は…もっとも控えめに言っても…ひびが入っている」「それも一つや二つのひびではない(略)忌憚なく言えば、この珍品には欠落があって完全な形を残していない」と。

TV画面の演奏している姿からは、確かに素人の耳にもミスではないかという音の違和感があったが、演奏会場では尋常ではない熱気が立ち込め、大きな拍手にスタンディングオベーションという最大級の賛辞で、この演奏家を見送る聴衆が映っていた。

今年の5月28日の朝日新聞の評伝という記事には…その後代理人が演奏テープを送ってきたが、「生演奏でなければ比較できない」と聴くのをこたわったという。そうした芸術に対する誠実さが、自らの心に対する偽りのない、洗練された言葉の源になった…という、どこまでも妥協しない吉田さんの仕事ぶり。

吉田さんのこうした姿勢の背景にはあの世界大戦があり、20代、音楽に関する翻訳の仕事から、内閣情報局という新聞・出版の検閲、戦争反対論を弾圧・統制する役割の仕事に回されたという戦争中の体験から、「私はどんな小さなことにしろ、自分の本当の仕事がしたくなったのだった。(略)そうして死が訪れた時に、ああ、自分は本当に生きていたのだという気がする。そういう生活に入りたいという願いだけがあった」。

さらに「私たち今日の日本人は『流行』に恐ろしく敏感になっている。(略)何かが流行るとだれもかれも同じことをしたがる。(略)こんな具合に流行を前にした無条件降伏主義、大勢順応主義と過敏症を、これほど正直にさらけ出している国民は珍しいのではないかと、私は思う」と。

朝日新聞の記事の中にあった評論家片山杜秀さんの言葉は印象的だ。「単なるクラシック評論ではない。民主主義は一人一人がものを考える力をつけ、対話しなければならない。そのためにはいい音楽を聴き、いい絵を見て文学を読み、教養を身に着けることが必要だと考えた。評論の主たる対象がたまたまクラシックだっただけで、戦後の批評家で例のない存在だった」。
このあたりに吉田さんの存在の大きさが伺える。音楽の分野に閉じこもるのではなく、一人の自立した市民を生み出す、その手助けにこそ音楽はあるという考え。

戦争体験からの強い反省が生み出した、残された命を何のために使うかという姿勢が、吉田さんの批評精神を後押ししたのだろうと思う。最晩年に強い絶望感に襲われたという福島原発事故、その後の再稼働という経緯を見れば、一人一人が考える力をつけるという日本人の民主主義は吉田さんが願うようなところには届いていないということだろうが、「そこに自分の考えはあるのか」という問いには、毎週金曜日夜や、全国の都市にも広がっている脱原発デモの流れが、もっともよく答えを出しているのかもしれない。


こういうときは

2012年07月15日 | 音楽

 奥歯が折れてしまって歯医者へ行ったら、根っこが割れているかもしれないと言われ、2回目の時にとうとう抜歯。なんでも開業している当の歯医者さんは4月から入院しているそうで、毎回応援に来た違う先生が治療する。

これも困ったものだけど、それ以上聞くのも失礼かなと思い、とりあえずなんとか治療してもらわなくてはと、脱脂綿を奥歯に挟んで発音もままならず、頓服と化のう止めの薬を飲むことになる。

おまけに昨日はコンサドーレ札幌が9連敗…、J1に滑り込みで昇格したばかりにこれだもんねえ。ずっと引き分けもないんだから悲惨だ。手をこまねいていないで、何かを劇的に変えないとズルズルいってしまう。韓国人DFを獲得したらしいけど、なんせクラブの対応が遅すぎるよと腹が立つ。

まあ、そんなこんなでムシャクシャした時には音楽が一番と、NHKBS「クラシック倶楽部」を見てみたら、久しぶりにモーツァルトをやっていた。うれしかったなあ。セレナード ト長調 K.525. アイネ・クライネ・ナハトムジークという曲名で知られている。誰もが一度は聴いたことがあるのではというほど、日本人にも人気の曲。

チェコ・フィルハーモニー室内合奏団演奏会。2011年7月1日フィリアホール。この方たちは3月大震災当時、日本に居合わせたということで、TV画面には再び日本を訪れ、日本のみなさまに少しでも貢献できることを心から嬉しく思っています、という団員一同のあたたかいメッセージが書かれてあった。

次に演奏されたチャイコフスキー作曲、セレナード ハ長調 作品48というのも、よく耳にする曲。第一楽章の冒頭からドラマチックな曲調から一転、第2楽章は軽やかに音が運ばれ、これ、どこかで音楽番組のテーマ曲じゃなかったかなあという気がしたけど。どうだったか。耳に残るメロディ。

もう一つは7月13日放送の「クラシック倶楽部」、アルティ弦楽四重奏団演奏会、2011年10月29日、フィリアホール。これは日本人ばかり、京都市交響楽団ソロ首席奏者のチェリスト、上村昇さんを中心に結成されたそうで、曲目はチャイコフスキー作曲、弦楽四重奏曲 第一番 ニ長調作品11.

これも耳に覚えのある曲で、特に第2楽章は「アンダンテ・カンタービレ」として、単独でも演奏される人気の曲なんだそうだ。たしかに何度も聴いたことがあるよ。モーツァルトもチャイコフスキーもよかったなあ。

クラシック好きだった父は、先ごろ亡くなられた音楽評論家、吉田秀和さんとおんなじ世代。手回し蓄音機と重たいレコードを今でも覚えているよ。不詳の娘も子供たちが巣立って自由な時間が増え、モーツァルトをとっかかりにクラシックを聴くようになった。バイオリンの複雑な音色が好き。お陰で楽しみが一つ増えた。父も天上から喜んでいるかもしれない。


すっかりファン

2012年02月01日 | 音楽

 今日は朝からあまり雪も降らず、ふわふわパウダースノーの雪かきはなし。窓の結露がひどいので拭いたりして、録画した音楽番組を整理する。30日に放送されたNHK「クラシック倶楽部」、2010年ショパン国際コンクールでマルタ・アルゲリッチ以来の女性優勝者ということで世界中の注目を浴びた、ユリアンナ・アヴデーエワのピアノ・リサイタル。

1985年、ロシア、モスクワ生まれ。いかにも若くて生きがいい。5歳からグネーシン特別音楽学校に入学したというのだから、早熟な才能だったんだねえ。この人、なんか見たことがあると思ったら、N響と共演しているんだった。札幌コンサートホールKitaraへも来たようだ。番組は2011年11月15日、東京オペラシティコンサートホールにおける演奏。

演目はどれもはじめて聞くものばかり。①ラヴェル作曲のソナチネ ②プロコフィエフ作曲のピアノ・ソナタ第2番ニ短調作品14 ③ワーグナー作曲の歌劇「タンホイザー」序曲/リスト編曲 ④チャイコフスキー作曲の18の小品72からめい想曲

アヴデーエワさんはインタビューにも英語で明晰に答えていた。プロコフィエフの曲には「3楽章は叙情的で他と比べると昼と夜のようです。その心象はとても暗く、恐ろしい世界です。一方、4楽章はやり遂げる、あきらめない、死なないという力強さがあります。この世にある善を信じる心、進み続けるという信念です。その力強さは他にはない特徴的なものになっています。」

歌劇は知らなくても、序曲はよく耳にする「タンホイザー序曲」はお気に入りの一つだそうだ。その迫力に圧倒された。交響楽団が奏でる大音量に負けないくらいの壮大さを、ピアノ一台でどれだけ表現できるかに挑んでいるかのようだった。聴くほうも緊張を強いられるが、力がこもっていた熱演には驚きの連続。

それまで果敢に攻めの姿勢で、エネルギッシュに難曲を弾きこなしてきたという印象が、最後のめい想曲ではようやく静寂が訪れた感じ。チャイコフスキー最晩年1892年作曲だそうで、やさしい音楽で静かに終わりたいという曲だった。

引きずるようなロングドレスではなく、真っ黒いパンツスーツスタイルで登場した若きピアニストはいかにも21世紀にふさわしい。長い髪を後ろに束ねた髪留め、胸に付けたブローチ、シルバーかゴールド色のマニキュア。よく見ると、とてもおしゃれな人だった。目がちょっとアンリに似てるかな。魔法使いのような高いお鼻が気になるが、前を向くとチャーミングな笑顔に変わる。颯爽と歩く姿に、古典音楽家も現代に生きなければね!というメッセージを受け取り、すっかりファンになった。


寒くなって来た

2011年10月13日 | 音楽

 玄関に差し込まれた納品書を見たら、大きなタンクには300リットル以上の灯油が入れられてあった。取り扱う店とは一冬単位で契約しているので、なくなる頃合を見計らっては、時々こうして入れていく。明日の朝には霜が降りるかもしれない…そうだ。

10月2日(日曜日)のN響アワー、~永遠の名曲たち。ドボルザークの交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界から」~、これがよかった。ヘルベルト・ブロムシュテットさん指揮。この方なんと御年84歳というのだから驚き!!(毎度、アーセナルのベンゲル監督に感じが似ていると思いながら)

 第1、第2楽章の抑えた音の次には、第3楽章の大音量の迫力は躍動感がいっぱい…、と続く流れが印象的。管楽器の奏でるメロディが心に残り、もの悲しいこの季節感にぴったり。

ブロムシュテットさんは指揮に先立ち、インタビューでは自ら歌いながら、ドボルザークがアメリカの地で黒人霊歌「静かに揺れよ楽しい馬車」のメロディを少しアレンジして、曲の中に使っていると話されていた。”解説します”という感じでないところが、いかにも自然体だ。

1892年、ドボルザークはニューヨークのナショナル音楽院の校長に招かれていった。そこで先住民族や黒人霊歌(5音音階)に触れ、同時に故郷ボヘミアをも強く意識するようになったという。

その頃からもう100年以上経ったアメリカ。ドボルザークが新しい息吹を感じた若々しい国も、今やアメリカンドリームの夢破れ、失業者で溢れるようになった。この頃はアメリカと言えば、ウォール街を占拠せよ!に端を発した、若者のデモのニュースが大きく報じられている。

 




 


こういう日は

2011年09月06日 | 音楽

台風の影響で雨が降ったり、止んだりが続いている。こういう時には出かける気にならないので、録画していたクラシック番組「名曲アルバム」をまとめて”視聴”することにした。

地デジ教育TV午後1時55分~2時までの5分間の番組。この間特集があって、その時の人気投票100位までの名曲100選が入っている。

普段あまり地デジを見ないので気が付かなかったが、特集が組まれたことで、こういう番組があったんだと、それからは続けて録画している。ほかの番組とぶつかったりしても裏録出来るので安心。

人気投票1位は当然!モーツァルトだろうと思ったら、なんとヴィヴァルデイ作曲「四季」…。今日はパッヘルベルというオルガン奏者としても有名だった、ドイツの作曲家の室内曲「カノン」。

曲の感じからイタリアの作曲家だろうかと想像していたので、ドイツの作曲家とわかって驚いた。心に染み入るバイオリンの音色。ゆかりの地はチューリンゲン州の州都、エルフルトという街が紹介されている。

エルフルトの大学には宗教改革を行ったマルティン・ルターがいたそうだ。それまでローマ・カトリック教会が手中にしていた絶対的な権威に反旗を翻した偉い人だ。改革派は大弾圧にあいながら、宗教を通して革命を起こし、世界を変えていった。

もう他界した父がクラシック音楽好きで、よく家の中にクラシック音楽が流れていたのに若い頃はさっぱり。こんな年になってから里帰りしたようになって、クラシックを聴きだした。それが少しも抵抗がないんだから、環境というのは不思議なものだ。

8月28日放送の「特選オーケストラ・ライブ」尾高忠明指揮、札幌交響楽団演奏会もよかった。これは少し前放送されたチャイコフスキー作曲「交響曲第6番ロ短調作品74『悲愴』」に、バイオリニスト諏訪内晶子を迎えてブルッフ作曲「バイオリン協奏曲第1番 ロ短調作品26」の演奏も加えたもの。

諏訪内さんのスケールの大きな、堂々たるバイオリン演奏は圧倒されるほどの迫力がいっぱい。聴く側が襟を正してしまうような、真摯に音楽と向き合う姿勢が伝ってきた。真紅のドレスもよく似合って素敵だったねえ。


なつかしさ

2011年08月01日 | 音楽

7月31日放送「オーケストラの森」~札幌交響楽団・創立50周年・北海道から世界へ~という番組。地元の楽団なのに、札響の番組をTVで見るという機会がなかなかないので、なつかしい思いで録画して見た。

札響はこの5月、50周年を記念してヨーロッパツアーを行い、イタリア、イギリス、ドイツの5都市を巡って公演した来たそうだ。演奏が始まる前には現在、音楽監督をされている指揮者の尾高忠明さんのお話。日本人演奏家は”本場”へ行くと舞い上がってしまいがちだが、札響の楽団員は普段通りの演奏が出来てそれが現地で評価されたことがうれしい。札響の特徴は北海道の風土と札幌がはぐくんだ「綺麗な音」。そこから次第にスケールの大きな演奏へと広がっていったのはやはり、コンサートホールKitaraが出来たことが大きい。(札響の誕生は1961年)、尾高さんは正式に就任される前から、お付き合いがあり、かれこれ40年になるそうだ。

この日は50周年記念、ヨーロッパ公演帰国記念演奏会から~、チャイコフスキー作曲、交響曲第6番、ロ短調、作品74【悲愴】、アンコールはエルガー作曲変奏曲「なぞ」から第9変奏~。(8月28日朝6時から全曲が放送されるという。)

札響の演奏なのでちゃんと聴こうと耳を傾けた。シベリアを含む広大な国土から生まれたロシアの芸術はどっしりと風格があり、これを噛みしめて聴くのは体力が必要かもなどと…。だけどスラブ風の重々しさだけではない、第2楽章は軽やかだし、第3楽章もはっきりとしたリズムが踊る。起伏に富んだメロディが全篇を貫き、思ったほど疲労感がなかった。尾高さんは指揮終了とともにどっと疲労困憊という感じで、情熱がほとばしる渾身の指揮だった。

随分前になるが、ペーター・シュバルツさんが指揮をしていた時代で、確か厚生年金会館だったか、そういうところで演奏会があったと記憶している。その後は、指揮者の岩城宏之さんが全道へ出張して演奏するグリーンコンサートがあり、子供を連れて行った。座る場所に敷物を敷いて、野外で演奏を聴いたものだった。

子育てのころはドタバタと過ぎていく日々だったが、それも終わってみるとクラシックを聴いてみようかという気になる。そういう時間もいいものだなあと。明治生まれですでに他界しているが、クラシックの重たいレコードと手回し蓄音機を持っていた父を思い出しながら…。