FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『アイアン・エンジェルズ/彼女たちの戦い』

2006年05月28日 | Weblog
2004年/124分/アメリカTV映画。WOWOWで。ヒラリー・スワンクが演じるアリス・ポールという女性運動家の1912年から1920年までの歩み、婦人参政権獲得までの苦闘を描いている。TV映画だったが、見ごたえがあった。今から100年くらい前のアメリカの女性たちの戦いを知ることが出来て、貴重なものを見たという思いがした。

イギリスで運動していたというアリス・ポール(ヒラリー・スワンク)とルーシー・バーンズ(フランシス・オコナー)は、NAWSA(全米婦人参政権協会)の会長、アナ・ハワード・ショーと次期会長といわれているキャリー・チャップマン・キャット(アンジェリカ・ヒューストン)を訪ね、自分たちの活動を承認してもらいにいった。

支部設立を承認されるものの、イギリスのような過激な活動は許さないといわれる。当時のアメリカでは全米のうち、9州しか参政権が認められず、NAWSAは民主党大統領のウィルソンを支持し、州法を変えることで参政権を獲得するという長い道のりを選んでいた。

アリスとルーシーはビラをまき、街頭で訴えて参加者を募り、ワシントンDCの行進を行った。ウィルソン首相が来た当日にぶつけることによって、新聞にも取り上げられるかもしれないという期待を持っていた。しかし、パレードを見ていた男性たちに襲撃され、100人が病院に運ばれるという事態になった。

その後、NAWSAには自分たちと同じ資金提供者の下、新聞を発行している。なぜ本部に送金をしてこないのか、支出の使途を調査すると大会で糾弾される。アリスはNAWSAと決別し、現存するいかなる党からも独立したものであるとして、新しくNWP(全米女性党)を設立した。

議員を立候補することはしないが、憲法改正によって婦人参政権の実現を目指すとメディアの前で読み上げた。そのうち、地方に送り込んで遊説させていた仲間が過労から亡くなったことで、アリスは悩み自分を責める。そばにいたルーシーは向こう見ずな私たちだから、なんだってできる。容赦ないあなたが大好きなのよとアリスを励ます。

1917年1月10日、「いつまで待てば自由になれるの?」と横幕を掲げて、ホワイトハウスの門の前に立ち、運動を続ける。NAWSAの会長になったキャリーは婦人参政権論者の1割で作ったきわめて異端な組織だと非難する。すでにヨーロッパが戦場になっていた大戦だったが、ドイツに宣戦布告してアメリカも参戦することになった。

アリスは今、運動すれば悪影響を及ぼすとためらうが、ルーシーは民主主義のための戦争とウィルソン大統領が言ったことを逆手に利用することを主張する。参戦の目的と国の現状が矛盾していると。ホワイトハウス前の横幕は「私たちは民主主義のために戦う」に変わった。

しかし、全員「往来妨害罪」という罪状で逮捕される。アリスはいなかった。罰金10ドル、禁固60日を言い渡されるが、罪を認めることになると払わず、拘留される。NAWSAのキャリーは無政府主義者より悪いと発言。アメリカ兵の死者は326名になっていた。

いよいよアリスも門の前に立つ。横幕の文字は「大統領はドイツ皇帝のように女性を支配するの?」それを見て、水兵が襲ってきた。アリスも逮捕される。留置所の中では、ハンガーストライキを敢行するが、餓死する覚悟で運動を続けようとするアリスに病院で強制飲食をする。口を無理やり器械で開けて、のどからチュウブを挿入し、生卵を溶いて流し込むという方法だった。

これがメディアに伝わり、連日新聞にも取り上げられて大問題となる。アリスは釈放され、1920年8月18日、憲法改正へ賛成票が集まるかどうかの決戦となった。8月26日、憲法修正第19条で婦人参政権が認められた。この日は歴史的な日となった・・・。

既存の運動の組織と対立するというあたりは、女同士といえども、世代間の対立や戦い方の違いもあり、袂を分かつことになるという難しい問題が浮き彫りになっていた。戦争中であるにもかかわらず運動するというのは、これはもう非国民扱いが当然だろうという空気の中でやるわけだから、餓死も辞さずの強い決意がないと出来なかっただろう。

しかし、それでも貫く強靭な意思を持つ女性が歴史を変えたのだと身震いするような感動をおぼえた。日本人でも亡くなった母が話していた何人かの運動家がいる。映画『ベアテの贈り物』の中にも登場していた。戦後、進駐軍の中で働いていたアメリカ人のベアテさんが日本国憲法の中に男女平等の精神を盛り込むなど、先進的な民主主義の思想を日本女性にプレゼントしていってくれた。ベアテさんの母国の歴史という意味でも興味深い映画だった。

ヒラリー・スワンクが圧倒的な存在感だった。相手をまっすぐ見据える目に強さがあらわれていて、アメリカ映画では当分彼女の主演映画が続くのだろう。















『グッドナイト&グッドラック』

2006年05月23日 | Weblog
2005年/93分/アメリカ/白黒映画。第2次世界大戦後、米ソは対立を深め冷戦時代に入った。ソ連の脅威に対する恐怖心から、国を守るという名の下に急速に世論は反共主義に傾き、マッカーシー議員の赤狩り旋風が吹き荒れた。職場を追われた人は数千人に上ったという中でCBSのニュースキャスター、エド・マローがその番組の中でマッカーシー批判を行った。信念を貫き、歴史を変えた実在のキャスターの戦いを描いた映画。

マロー(デヴィッド・ストラザーン)はデトロイトの地方紙に載っていた小さな記事に目をつける。家族が共産主義と疑われ、除隊処分にされかけているという話。真相は誰にもわからないのに解雇されなければならないのかと番組の中で訴える。経営陣もスポンサーもひるみ、番組の広告代金はマローとプロデューサーのフレンドリー(ジョージ・クルーにー)が払っていた。

対決を前に番組スタッフはコミュニストと付き合いがあるものはいるかと問われる。その中の一人が妻の母親が共産党大会に行ったことをいい、自分は(迷惑をかけるから)この番組を降りるという。1954年、3月9日。アメリカの報道史に伝説として語り継がれる番組が放送される。「アメリカは国内の自由をないがしろにしたままで、世界における自由の旗手となることは出来ない」という言葉で締めくくる。

1954年4月6日、マッカーシーが反論に出る。その翌週、マローはマッカーシーにどのように攻撃されたとしても、真実を報道されるのは意義があると語った。上院はマッカーシーを公聴会に召還するとの声明を発表する。流れは確実に変わっていた・・・

1958年10月、マローは報道番組制作者協会のパーティの壇上でスピーチをする。「・・・もし、私の意見がまちがっていたとしても、失うものはなにもない。もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、もともと何の価値もない。テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めている。だが、それはあくまでも使い手の自覚次第だ。そうでなければ、テレビはメカの詰まった”ただの箱”だ。グッドナイト&グッドラック(いつも番組の最後を締めくくる言葉)」

ジョージ・クルーにーは父親が地方局のニュースキャスターをしていたそうだ。自身も大学でジャーナリズムを学んでいる。「お金の為に作る映画じゃない。僕はこの映画をどうしても撮りたかった。それができなかったら自分が70歳になったとき、一体何を残したといえるだろう。」イラク戦争の前に、現代のマローがいたらという思いがあったのかもしれない。

この映画を海の向こうのアメリカという国の話、しかも何十年も前の出来事と思って見る向きには、ただタバコの煙が充満する娯楽性の足りない映画に過ぎないが、ここで描かれているのは今の日本のテレビ報道のあり方に一石を投ずる内容でもある。報道こそテレビ局の良心が問われる看板番組でなければならないと主張している。

先の選挙で郵政民営化一本に戦いが絞られ、それに賛成か反対かで色分けしてしまった責任が報道側にないとはいえないと思う。その掛け声に乗せられてしまった選挙民の問題というものがあるにせよー。TVの視聴率を上げるような政治家があらわれ、激しく攻撃する対象に、日ごろのうっぷんを乗せるような形で大衆があおられたらー。

マローは仲間の密告(ジェームス・ディーンを世に送り出した名作「エデンの東」の監督をしたエリア・カザンもこのとき仲間を売ったとして、後の作品で主演するマーロン・ブランドに非難されている。またロバート・デ・ニーロ主演のたしか『真実の瞬間』という題名の映画でもこのレッド・パージにあったが、抵抗するハリウッドの人間を描いていた)という手段で大衆の恐怖心を形にし、しかもその内容を公にもせず社会的に抹殺してしまう、という中世の魔女裁判のようなやり方に立ち向かっていった。

大衆に中にうっ積した恐怖心や不安をあおって一つの攻撃対象に向ける、というマッカーシーのレッド・パージは昨日の出来事ではない(イラク戦争へ突入していった過程がまさにそうだった。その後正気を取り戻したメディアは、次々と開始した理由の不当性を暴いていき、政権の支持率が大幅に下がっている。)と見る側に警鐘を鳴らし、報道の作り手も受け取る視聴者も、流れにうかうかと乗る怖さを冷水を浴びるように感じる必要があると訴えている映画。

ハリウッド映画人の中にもこんな気骨のある人間がいたのかと、失礼ながらにやけた感じのハリウッドスターに見えたジョージ・クルーニーにはすっかり脱帽だ。マロー役のデヴィッド・ストラザーンはこの役が乗り移ったかのような迫力がある。厳しくストイックなマローそのものになりきっている表情が魅力的で素晴らしい。









『雲が出るまで』

2006年05月17日 | 映画
2004年/フランス/ドイツ/ギリシャ/トルコ/98分。脚本・監督はトルコ人女性のイェシム・ウスタオウル。トルコ映画。第一次大戦中、国外追放されたトルコのギリシャ系移民の家族。生き残った姉と弟。民族紛争によって、引き裂かれた家族の悲劇を描いた物語。

第一次大戦中、トルコのギリシャ系移民は国外追放された。どこまでも行進が続く長い南下の果てに生き残った姉と弟。ギリシャ名を隠し、二人を保護してくれたトルコ人の新しい父と新しい姉がいる家族の一員として暮らしてきた。弟は行動を共にしなかった。アイシェ/エレニ(ルチュハン・チャルシュクル)はその姉の夫が亡くなった後に、長い間独身のまま、一緒に暮らして世話をしてきた。

トルコ北東部、1975年。ツレボレーという小さな港町に、朝から一斉に行われた国勢調査が入る。8歳の少年メフメツ(ルドワン・ヤージュ)が頻繁にアイシェのところへ出入りしている。実の親子のように仲がいい。アイシェのところに二人の調査員がやってきて、聞き取りを始めた。

その最中に姉のセルマが亡くなった。アイシェは本当はギリシャ人であることが知られ、一気に50年前の出来ごとの中に引き戻された。山の景色、雲の行方を毎日眺めては長い間苦しんできた弟ニコのことを思い出す。一人になったことで生きる気力をなくし、死にたいと思うようになる。異教徒とわかった後でもメフメツとその母親は立ち直らせようと世話をしてくれた。

そんな中、港町にふらりと一人の老年の男が訪れた。タナシスと言った。舟で働く同年代の男に語りかけ抱き合う。1916年、家族とロシアに逃げたときに助けてくれたなという。その後、ギリシャに移り、1947年ゲリラになったが逆にソ連に追いやられることになり、28年間抑留されたという。

今になってギリシャ政府は帰郷を許した(軍事政権が倒れたことによるのではないか。)59年前追い出された場所に戻った。どこが故郷か探しに来たと語った。メフメツたちは彼がニコに違いないとアイシェに会わせる。一緒にギリシャにいこうとその男がいうが、アイシェは断った・・・

トルコにいて暮らしながら、名前を隠し心の中でギリシャ人であることを捨ててはいない。そういう立場の人間を抑圧した側のトルコ人が脚本・監督をして映画にした。そのことだけでも拍手したい気持ちになる。

トルコとギリシャ、それにバルカン全体にかかわる歴史はあまりにも入り組んでいて、ちょっと本を読んだぐらいではとてもおぼえられない。この映画ではやはり故郷がどこか探しているタナシスという同類の人間が登場したときから、一気に歴史が動いていくような感じになった。タナシスも故郷から強制的においだされ、自分の居場所が見つからない歴史に翻弄された人間だった。

ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「シテール島への船出」の中でやはりロシアから帰還してきたかつてのパルチザンの老活動家の男が登場する。敵と戦った山はスキーのリゾート地として売り出され、村の住民はこぞっって契約書にサインしようとするが、彼は資本に屈服することに同調出来ずに、大混乱を引き起こす。

ロシアの船に引き渡そうとするが、当局は彼がそれも同意せずに困り果て、港の浮き桟橋に置いてきぼりにされる。それを見て、長い間留守を守って子供を育て上げた妻が、彼のところへ行きたいと叫ぶ。この映画では妻が男を助けようとする。アイシェは逆にタナシスに助けられる。いわば同士のようなあたたかい気持ちを持って見守ってくれた。

タナシスは「シテール島への船出」の帰還する老活動家に重なって見えた。どこに身を置いていいのかわからない、過去の歴史の亡霊に付きまとわれ、新しい空気になじめない人間。多くの喪失したものを取り戻そうとしている人間。

アンゲロプロス監督の映画は簡単には解釈がわからないような終わり方をするが、最後に救えるのは人間のあたたかい愛情ではないか、というところはおんなじように見えた。ウスタオウル監督はトルコ人の良心を貫く存在として、どうしてもメフメツ親子を登場させたかったのだろう。















『カナリア』

2006年05月13日 | Weblog
2004年/132分/塩田明彦監督。カルト教団から児童相談所へ送られた12歳の男の子が、そこを脱走し別れて暮らしている妹と行方不明の母親を探す旅に出る。そこへ援助交際から命拾いした、同じ12歳の女の子が家に帰りたくないと加わった。塩田明彦監督は是枝監督の「誰も知らない」と並ぶような衝撃的な映画を作り出した。

12歳の岩瀬光一(石田法嗣)は児童相談所を脱走した。迎えに来た祖父が光一の引取りを拒否。4歳年下の朝子を連れて帰った。母親は事件の実行犯として指名手配され、連絡も取れなかった。この二人にどうしても会いたい一心だった。途中で援助交際の相手と車に乗っていた12歳の新名由希(谷村美月)は、横転した車から這い出して命拾いしたところで光一と出会った。由希にも複雑な家庭の事情があり、一度は別れて家に帰ろうとしたが、やっぱり家には帰りたくない。誰かの役に立ちたいと光一と一緒に祖父のいる東京へと向う・・・

旅の映像の合間に、ニルヴァーナ教団での光一の生活、母道子や妹朝子とのやりとりが入ってくる。光一は教団内で母と別れて暮らし、朝子と二人、他の子供たちとともに毎日が合宿のような暮らしぶり。直接接した子供たちの教育係にぬくもりと影響を感じてきた。

一方の由希は母親も祖母もなくなり、父親からは愛情の薄い言葉しかかけられない。援助交際でお金を手にした経験から、光一に足りない鋭い現実感覚があり、お金はないしこれから泥棒ばかりするの?と再び援助交際をしようとするが、これは追っかけてきた光一に止められる。

路頭に迷うようにして町をさまよっているときに、かつての教団、ニルヴァーナで子供たちの教育係をしていた伊沢彰(西島秀俊)に出会う。光一は思わず伊沢に抱きつき泣き出した。教団の解体後、教団に残ったものもいるが、離れた元信者たちは肩を寄せ合うようにして仕事をし、生きていた。

ここでようやく、光一たちを生み出した大人たちの側の苦しみと現在に至る心境が語られる。「ニルヴァーナで修業することによって、自分を完膚なき迄作り変えて、いつか世界そのものを変えることが出来ると信じていた。だけど大きな間違いだった。ニルヴァーナもまた、一つの現実。この現実そっくりのもう一つの現実そのものに過ぎなかった。おまえはおまえだ。おまえ自身だ。それ以外の何者でもない。だからお前は自分が何者であるか決めなくてはならない。それはつらいことかもしれないが、その重荷につぶされるな。」

母道子も教団の中で言っていた。「来世でも来来世でも会える。今生解脱したら転生だって出来る。今、特別なワークをしているの。完璧にやり遂げたら、解脱できる。また光一や朝子を集めて一緒になれるのよ。」

児童相談所に来た祖父は「お前の母親は人間として失格だ。」と光一にいった。光一は祖父の首を絞めた。「この人を殺してもいい理由がある」と思った。道子は最後の電話で祖父に、「私はお父さんの魂を救うことは出来なかった」と言い残した。

自分を変えようとする宗教的な行為が尊師を筆頭とする教団ではハルマゲドン思想にすりかわり、社会に対する攻撃という形になった。地下鉄サリン事件だ。被害者たちは今も苦しみ、裁判は続いている。高い教育を受けている信者たちも殺人という行為を防ぐことは出来なかった。批判や疑問が封じられた後の人間の恐ろしい姿だ。

彼らは特別に異常でも弱い人間でもないだろう。真剣に生きようとした結果、大きな間違いを犯した。今でもこの現実に悩み苦しむ多くの人間が、カルトまがいの教団に飲み込まれていっている。光一役の石田法嗣と由希役の谷村美月は目に表現する力があって、いい役者になる可能性が感じられた。

重い内容の映画を最後まで引っ張っていく力量はすごい。「オウム真理教が起こした事件に関して、何らかの答え方を映画の側からしたいという思いはあった」という渾身の力作。塩田監督はカナリアのように危険の最前線に立たされた子供たちに精一杯の応援歌を送っている。







『セントラル・ステーション』 

2006年05月10日 | Weblog
1998年/ブラジル/111分。都会の片隅で一人生きてきた中年女性と母親の突然の死によって頼るものがいなくなった少年が、少年の父親を探しに旅に出るというお話。びっくりしたような目が誰かに似ていると考えたら、日本女優の名わき役、故沢村貞子さんに似ているかなあと思い出した。芸達者な女優と賢そうで、味のある!子役の少年のコンビがとてもいい。

大都会の街角で、誰かに当てた手紙を文字を書けない人に代って書き、郵送もするという代筆屋をして生活している中年女性のドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)は、母親と少年が父親にあてた手紙を代筆した。その直後、母親は事故に遭い亡くなった。一人になった少年ジョズエ(ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ)を自宅に連れ帰ったドーラは、翌日養子をほしい人間に子供を斡旋する組織に売り渡してしまう。しかし、そこは臓器斡旋などもするような組織とわかり、少年を助け出し、二人は手紙の住所を頼りにバスに乗って少年の父親を探す旅に出ることになる・・・


生き難さにささくれだったようなドーラの神経も次第に少年の存在に慰められ、いつしかお互いに助け合う関係になっていく。乗せてもらったトラックの運ちゃんにちょっと待ってねと、口紅までつけて戻ったら、いなくなっていたとか、女友達に頼んで振込みされているはずのお金が入ってなくて、さあ、お金がないというときに少年が機転を利かすとか。いろんなエピソードが入ってくる。

夜の闇の中、たくさんの信者がローソクの明かりのもと、救いを求めて祈る姿のシーンが印象的。学校に行ってないジョズエのような少年の存在、文字を書けない人がこんなにもいるから代筆という稼業が成り立つというブラジルの貧しさ。救いようもない世界に取り囲まれて進むストーリーも、最後には浄化されたようなドーラには思わずホッとし、ジョズエにはなんとかうまくいってほしいと願う気持ちになる。

旅の途中で、実はドーラも親に捨てられた存在だったことが明かされる。ジョズエを救おうと考えた彼女にもそう思う理由があったのだ。それほどまでにして父親の元へ返そうというドーラを信用せず、悪い人だといっていたジョズエは旅をしていく中で、母親ではないが彼女に頼るしかないんだ、と二人が行き詰ったとき遂に運命共同体のように彼女も自分をも救うという行動に出る。

若くはない身で都会を生き抜くドーラ役のフェルナンダ・モンテネグロがうまさ抜群。女優でこれだけわるの存在感を出すというのはすごいものだと感嘆してしまう。しかもそれは生きるためで、どこか孤独感を漂わせながら。それと対照的な少年役がいてその毒も薄められる。最後は後味がとてもよかった。ブラジルにこんないい映画があったのかと驚きながら・・・。