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山形交通高畠線の旧高畠駅には保存車両の他に駅舎も残されています。国登録有形文化財で、高畠線が高畠鉄道により開業した1922年に建てられたものです。高畠鉄道の本社屋も兼ねていました。
地元名産の高畠石という凝灰岩をふんだんに使っているのが特徴です。石造りの鉄道駅舎は珍しいもので、私の知る限りでは他にはJR北海道の美瑛駅を思い浮かべるくらいです。高畠鉄道への地元の期待が大きかったのではないかと感じます。
屋上の手すりがおしゃれだなと。
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待合室はこの規模なら一般的な広さと設備です。
内部は非公開でした。これは現代の耐震基準に満たないので一般公開できないからです。ただ、2019年5月17日付の山形新聞で駅舎を改修した上で公開する計画が策定されたことが報道されました。まだ調査段階のようですが、うまく弾みが付いてこの駅舎が活かされるようになるといいですね。
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錆びついた山形交通のバス停。高畠待合所という名前です。このバス停の路線が現役だった頃はこの駅舎がバスの待合室に使われていたということですかね。
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裏側に回ってみると、プラットホームがあります。上記の山形新聞の記事によればこのプラットホームも登録有形文化財に指定されています。
プラットホームとその奥の保存車のある線路の関係からして、現在の芝生の場所は公園化される際に埋め立てられたと見るべきでしょうか。
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公園内には駅舎以外にも高畠石造りの建物が残っています。当時の建物ではないかと思うもなんの建物なのか手がかりが無くてずっと謎だったのですが、新聞記事を読んでこれの正体が変電所だとようやく分かりました。
高畠鉄道の電化が1929年ですのでその時建てられたものでしょう。これも登録有形文化財。
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公園のトイレと化しているので気づきませんでしたが、これも高畠鉄道時代の1938年に建てられた倉庫です。登録有形文化財。駅舎をもして建てられた最近の建物だと思った・・・。
ただトイレに改造されているので入り口や間取りは原型を留めていないと思います。
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石造りの車庫なんて妙だな・・・と不思議に思っていましたが、やはり登録有形文化財。駅舎正面の向かいにある1939年築の自動車修繕庫です。
思った以上にゴロゴロ残っていてびっくり。
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最後に、これは山形県置賜郡高畠町のマンホール蓋。桜木町というのはこの蓋のある小字です。字名だったり道路の名前だったり色々あるみたいです。
角型分割式の蓋は初めて見たので撮影した次第。
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旧高畠駅を見学して高畠町での用事は済みましたのでJR高畠駅へ戻ります。行きと同じ廃線跡を戻るのも面白くないので帰りは町の方を走ります。
この道は駅前通りだったからか、商店が多めでしたね。
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拡幅工事されて見通しの良くなった道とか。
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高畠町役場にもご挨拶。土曜日だから閉まっているけどね。
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道路を走ったのは道中でお昼を食べれたらいいなというのもありました。無かったら高畠駅までやり過ごせばいいですが、赤湯ラーメンののれんが目に入ったのでここにすることに。赤湯ラーメンは何かで聞いたことがありますね。
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普通の赤湯ラーメンにしました。味噌ラーメンに赤い辛味噌が乗っかっているやつです。そういえばそんな感じのラーメンでした。
味噌ラーメンは普段食べないですけど、ここのは美味しかったです。辛味噌を溶かして食べるとまた食欲が刺激されるのだ。
「龍上海 高畠店」という店でしたが、執筆時点の現在では閉業してしまいました。行った時は昼時で席は殆ど埋まっていたのですが・・・。赤湯に本店があるし他にも支店があるのでそこへ行けばまた食べることはできます。
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庁舎通りをずっと西へ走ると、行きに通った高畠線の廃線跡の遊歩道とぶつかります。ここで廃線跡に復帰しまして、その近くにある浜田広介記念館へ立ち寄りました。行きの時に見かけて少し気になりまして。
浜田広介(1893(明治26)年~1973(昭和48)年)は高畠町出身の童話作家です。恥ずかしながら彼と彼の作品のことは存じないのですが、記念館の敷地内にある浜田広介生家が気になったので少し見ていきます。
これは江戸時代末期建築の木造茅葺平屋建ての農家造り。浜田が生まれてから米沢中学校(現米沢興譲館高校)に入学するまで住んでいました。2000(平成12)年に記念館敷地内に移築・復元されていますが茅葺きは止めてしまったようで。
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土間と囲炉裏ですね。
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天井には煙逃しがあるのだ。
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家具ですね。箪笥とか化粧鏡とか湯たんぽとか。
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電球の包は特に意味があるわけではないでしょう。
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糸車。製糸業が盛んアピール?
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梁とか。
中途半端ですが今日はここまで。