黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その31【2016/03/04~10】

2018-01-25 23:56:15 | 海外旅行記

POFの3回目。
別の格納庫へ向かいます。
次はポンド格納庫へ入りますが、ひとまずここは後回し。



その隅にひっそりと入口のあるUSSエンタープライズ格納庫へと行ってみましょう。
あんまり入り口がちっさいので、下手すりゃ見過ごすんじゃないかっていう。



この通り、空母の格納庫のような演出がされた格納庫にアメリカ海軍機がここに集結しています。
来場者が立ち入れるのはこの妙な演出の通路までで、それより先は行けません。なので機体をじっくりと見ることは出来んのです。いらん演出だなー。



ゼネラルモーターズ(イースタン)TBM-3Eアベンジャー(1941年・累計103機目・2時間ぶり2機目)
アメリカ海軍の雷撃機です。グラマンが開発した機体なんですが、程なくして自動車メーカーのゼネラルモーターズ内の航空機部門「イースタン航空機」でライセンス生産されることになります。製造会社が違うので、グラマン製の型式はTBFですがGM製はTBMと異なる型式になっています。
F4F(GM製名称;FM)のところでも書きましたが、ノースアメリカンやリパブリックと較べてグラマンは生産能力が低く、F6F戦闘機を生産するので手一杯だったのです。TBF/TBMは約9,800機が造られましたが、その内75%はGM製だったのです。

搭乗員3名、12.7mm機銃3門(前方*2、後方*1)、7.6mm機銃1門、その上魚雷を腹の中に抱えて飛ぶようにした結果、大柄な機体になりました。
よくこんなデカいのを空母で運用できたね、という印象で、エンジンに物を言わせて力づくで飛ばしたんじゃないかしら。



主翼を折り畳めるように設計されたのはTBFが初めてなんだそうな。
魚雷を機内の爆弾倉に仕舞い込んで飛行できるのも特徴で、胴体がバカでかくなったのもこれが要因。

この機体は1945年7月に就役、空母USSフランクリンに配属されますが実戦は経験せずに終戦。1959年にPOFに取得されて1983年に動態保存化され現在に至ります。当然今も飛行可能。

見づらくて仕方ないんで、今回はこんなところで。
また2日後に見るんで、詳しくはそこで書きましょうか(ブログ上で書くのがいつになるかは知らない



ヴォートF4U-1コルセア(1940年・累計104機目・2時間ぶり2機目)
ヤンクスでも見たF4Uです。柱が邪魔で見にくい・・・。
主力として採用されながら最初は不遇の扱いを受けていたものの、後にそこに返り咲くというこっちはこっちで十分シンデレラストーリーだなというのは前にも書きました。
戦後も1953年まで生産が続けられたということで、これは知りませんでした。恐竜的進化が続いたこの時代の飛行機としては長期間生産されていたのですね。
この個体は1943年8月に就役、太平洋上で実戦にも参加しています。



ノースアメリカンSNJ-5テキサン(105機目・2時間ぶり3機目)
やっぱり居た、博物館の常連テキサン。アメリカ海軍では海軍の命名規則に則ってSNJという型式になっています。Sは偵察、Nは練習、Jはノースアメリカンです。
練習以外に偵察にも使うつもりだったということですね。そのせいか、塗装は海軍の練習機伝統の黄色一色ではなく青の迷彩色です。イエローペリルという名前も引き継がれていないようです。



航空魚雷・・・なんだと思います。



ダグラスSBD-5ドーントレス(106機目)
ヤンクスでも見た急降下爆撃機。アメリカ海軍/海兵隊の機体の迷彩って、ネイビーブルー一色だけかと思いきや、時期によって色々種類があるんですね。考証が大変そうだなぁって。その代わり陸軍航空軍のような派手なペイントやノーズアートは無いです。規律が厳しかったんだろうか?
1943年10月にアメリカ海兵隊に配属されて、翌年3月にニュージーランド空軍に転属したそうな。実戦も経験済み。



ライアンFR-1ファイアボール(1944年・107機目)
誰だコイツ・・・。たぶん試作機なんだろうと思いきやうっかり66機造っちゃったみたいで、ちゃんとした制式機なのか。保存されている1型はまさに量産型ですからね。ちなみに現存するのはこの1機だけだそうな。POFのにしては珍しく静態保存機です。貴重な現存機であんまりいじり倒すのもよくないと思いますし、この状態で良いと思います。
パッと見普通のプロペラ艦上戦闘機に見えるんですが、これの真髄は尾部にあります。



これがFRの後ろ姿。別に普通じゃんって?
よく見ろ、尾部の先端。DANGERって書いてある部分。その先っぽを見てみろ・・・。



ここ。よく見るとこの部分、ジェットエンジンの排気口!つまりこいつ、レシプロエンジンとターボジェットエンジンのハイブリッド戦闘機なのだ!
1940年代に入るとジェットエンジンが実用化されてきたんですが、まだ信頼性が低いし燃費も悪いし出力も低い。滑走距離も長くなるので空母の飛行甲板では短すぎ・・・。そんな事情があったので、離着艦時や巡航時はプロペラ、加速時や上昇時はジェットを使い分けることでどうにかしようと思い付き、この複合戦闘機を開発させたのでした。
ライアンはあんまり耳にすることのない会社です。代表作はリンドバーグが大西洋横断飛行に使ったスピリット・オブ・セントルイスですかね。

機体は奇をてらわず、普通のプロペラ戦闘機のケツにジェットエンジンを付けたという感じ。
レシプロエンジンはR-1820サイクロンで、ジェットエンジンはゼネラルエレクトリックJ31です。でもR-1820はこの年にしては低性能な1500馬力級だし、J31もまあ性能低いし、どこまで本気だったのかという感じはします。
それでもうっかり量産された66機が実戦部隊に配備されました。対日戦も目前となったところで、日本が降伏したので気が抜けてしまいそのまま実戦の洗礼を受けること無く1947年に全機退役。ジェット機の発達も早かったので、FRみたいなまさに過渡期の機体はすぐに用無しになってしまったのです。



こういう過渡期の機体は割と好きです。今にしてみればおかしな機体ですが当時の人達は大真面目に考えついた機体なわけで。
ちなみにジェット機に不可欠な空気取入口ですが、主翼の付け根にあります。こんな小さい口で大丈夫だったのかな・・・。

もうちょい見やすいところに置いてくれればなー・・・。やっぱこの通路要らないんじゃ。



ダグラスA-4Fスカイホーク(1956年・108機目)
アメリカ海軍のジェット攻撃機。傑作機です。POFにはB型とF型の2機がいるんですが、ここにいるのは背中にラクダのこぶがあるので後者でしょうね。
風防がマスクされてたりするんで、整備中といったところでしょう。というかとにかく見にくい位置に置かれているのでこれについてはここまで。その後も何機も出てくるし。



グラマンF9F-SPパンサー(109機目・90分ぶり2機目)
左に写ってるMARINESの表記が眩しいやつがそれです。めちゃくちゃ撮りづらい・・・ほんとこの空母の演出邪魔だ。エンタープライズなんてミッドウェー海戦で沈んじゃえばこんなことには・・・。この点だけを見ても当時の極東の島国の海軍は無能と言わざるを得ませぬ。

主翼の折り畳みの角度が外に開いていてちゃんと畳めてないじゃんと思いきや、これで正解なんですね。


海軍機をやっつけたところで今日はここまで。


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