黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? ダイジェスト版

2016-03-11 21:15:25 | 日常記

前回の投稿から日が空きましたが、サボってたわけじゃないです。何を隠そう3月4日~10日の間にアメリカへ行っていたのです!2014年12月のシアトルから数えて4回目の北米Pです。2と3をまだ読んでない?これから書くんだよ!

内容としては博物館、博物館、アンド博物館という感じで、ほぼ博物館を回るのに費やしました。しかも軍用機やら軍艦やら軍事系博物館ばかり。もう飛行機は見たくねぇ~、B-25とP-38なんてもう思い出すだけで嫌になるぜ~ってくらいになりました。
今日は恒例のダイジェスト版をお送りします。

初日3月4日の未明、ビクトリア空港始発の飛行機でバンクーバー空港へ行き、そこから飛行機を乗り継いでロサンゼルス空港へ。そう、今回の行先はカリフォルニア州(ともうひとつ)なのです。
ビクトリアからはおなじみエアカナダのDHC-8ですが、バンクーバーからはエアカナダ・ルージュのB767。いつかも説明しましたがエアカナダ・ルージュはエアカナダグループのレジャー系LCCです。就航先は観光地が多いだとか。LCCなので座席が詰められていたり飲食物が有料だったり背面モニターが無かったりします。機材は親会社のお古。
まあ飛行時間は3時間だったのと思ってたよりシートピッチがあったので、不快にはならなかったです。

ロサンゼルス空港に着いたらレンタカーを借りていざ出撃。



最初の訪問地、Western Museum of Flight。日本でもあまり知られていないような小さい航空博物館だったのですが、調べてみるとなんとここ、ノースロップ・グラマンYF-23が展示されているんですね。こりゃ行かねぇととなるわけです。
YF-23はアメリカ空軍の試作ステルス戦闘機です。ロッキードYF-22との競作となり、結果YF-22が採用されF-22として量産されたことからYF-23は試作機止まりになっています。
F-22が多少独特な形状をしていながらも戦闘機だなって感じの外観をしているのに対してYF-23は未来を行っている感じがします。異形です。さすがB-2を造ったところは違うぜ。
他にもYF-17、F-14、元航空自衛隊のF-86など、小さいながら粒ぞろいの収蔵物を所有しています。



次はBattleship USS Iowa Museum。名前通り、アメリカ海軍の戦艦USSアイオワが保存されています。ほぼ戦艦の形をした資料館こと某ミカなんとかと違ってこっちは本物の戦艦でございます。
写真でしか見たことのない戦艦をこの目で見られたんですから痺れますなこりゃ。と同時に「あや?思ってたより大きくないな」とも思いました。艦橋構造物が小さいからなんでしょうな。

これで初日は終了。車で2時間くらいかけてチノという町のホテルへ。真っすぐ行けば90分くらいで着けたはずなんですが、ロサンゼルスのハイウェイで迷っていました。分岐と合流が延々と続く、首都高をだらだらと大きくしたような感じです。右車線走ってると分岐に吸い込まれるぞ・・・。



3月5日 2日目。
上記の通り今回は博物館を回るだけの旅行なわけですが、向かう先に鉄道があればそれも抑えていくスタイルなので、博物館が開く前に朝練をば。
ロサンゼルスでは通勤列車「メトロリンク」を撮影。ライトレールではないいわゆるヘビーレールです。先頭はヒュンダイロテム製の制御客車。アメリカの制御客車にしてはイカしたデザインとアメリカでは珍しいコルゲートレスのステンレス車体が目立ちます。2両目より後ろはボンバルディア製の八角形客車で、これじゃ編成美もクソもないですな。



2日目最初の襲撃地は、チノ空港にあるYanks Air Museum。
事前情報だと小さな博物館だと認識していましたが受付のおばちゃんに「うちには200機おるんやで」と説明され鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、入館すると本当にそのくらいいそうな収蔵量になっていておったまげました。
随時収蔵品を増やしているんですね。ここら辺は日本の機械系博物館(主に鉄道と航空関係しか訪れていませんが)では出てこない発想だと思います。一度箱を造ったらおしまいで、完成後の拡張性はないですものねぇ(今、大宮の鉄道博物館の拡張計画がグダグダになってますが、あんなの最初から大きい箱を建てておきゃ良かったのに)。あとここは、飛行機の復元工房も持っていて、そこで復元したものをどんどん展示品に加えているそうな。工房も日本のその手の博物館には無いよなぁ。

写真はグラマンG-21グース飛行艇。映画「コマンドー」で「羽の付いたカヌー」とひどい言われ方をされていたことで一部では有名。いつの日かスミソニアンを訪れるまでこいつにはお目にかかれないと思っていただけに意外でした。



次の襲撃地はPlanes of Fame。軍用機マニアなら大抵の人は知ってるんじゃないかというくらい日本でも有名な博物館です。これもチノ空港にあってヤンクスとは隣同士です。合わせて訪問してみよう。きっと時間が足りないと思うけど。
なんで日本でも知られているかというと、飛行可能な、しかも原型のエンジンを搭載した零戦がここには保存されているのです。その零戦、2013年に所沢航空博物館に一時帰国していた時期があって、かくいう私もそれを見に行った口なのでした。この博物館を知ったのはその時で、「いつか行ってみたいものですなぁ」とかのんきなことを思っていたんですが、本当に来ちゃったよ。しかも想定よりもだいぶ早い。
なおその零戦は整備に入っていて、バラされた姿を見ることになりました。再会を楽しみにしていたのに・・・。

写真はリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機。ちょうどこの日これが飛行していたのでした。ただし博物館上空をフライパスするだけで私の貧弱機材ではあまりいい画は撮れなかったです。



3月6日 3日目。最初の襲撃先はOrange Empire Railway Museum。今回唯一の鉄道博物館です。
ここも大きい博物館でして、様々な車両を引き取って復元・動態保存を行っています。アメリカってこういうのばっかりだな。本当に頭がさがるというか羨ましいというか。
所有車両は蒸気機関車、ディーゼル機関車、客車といった定番ものをおさえていますが、ここのウリは多分PCCカーやストリートカーでしょう。もちろん動態保存だし乗車も可能。びっくりしたのが京都市電N19号を所有していることで、なんでこんなところにと思ったものです。当然のごとく動態保存です。
まだシーズンオフだったので一部の施設しか公開されていなかったのが心残りでした。シーズン中に再訪したいところです。きっとここは一日中居られます。

写真はユニオンパシフィックのEMD E8-Aディーゼル機関車。これ見たさに来たようなものでしたが、運良く当日の牽引機になっていました。大勝利です。



次の襲撃先、March Field Air Museum。
ここは動態保存はやっていませんが、代わりにえらい数の軍用機を保存しています。それこそ戦闘機のような小型機から輸送機・爆撃機のような大型機まで様々で、ひと通り見て回るだけでも一苦労です。

この後は、ひとつ列車を撮影してからロサンゼルス空港に戻ってレンタカーを返却し、そこから飛行機に乗ってアリゾナ州トゥーソンへ。なんと州を越えました。ついでにタイムゾーンも越えました。90分しか飛んでいないのに時計を見ると60分余計に進んでいる・・・。1時間でも睡眠時間の欲しかった私にとってはキツかったです。この日はトゥーソンで一泊。



3月7日 4日目。この日は襲撃先をPima Air & Space Museum一本に絞ります。
周辺にこの手の博物館が他に無いってのもあるんですが、何よりここはマーチフィールド以上に膨大な機体を保存しており、量でいえば今旅行最強の博物館でした(質でならヤンクスかな?)。滞在時間は多めに取りましたが結果を言えばそれでも足りませんでした。抑えるものは抑えましたが何機かは見逃したはずです、とほほ。



ここの博物館のウリはその物量の他に、「飛行機の墓場」ことデイビス・モンタン空軍基地内にある軍用機の保管所を見学するツアーがあることです。もちろんこれにも行ってきましたよん。
そりゃまあB-52、C-130、F-16、P-3その他諸々がそれぞれえらい数置かれているわけで、これ全部アメリカ人の税金だと思うとゾッとしますね。冷戦とはかくも恐ろしや。写真はF-16です。たぶんA型。
ここも開館から閉館まで一日中居られますな(今回は閉館数時間前に切り上げましたが足りませんでした)。

で、その切り上げた理由である次の街フェニックスへの移動には高速バス「グレイハウンド」を利用。2時間半の乗車で10ドルという値段設定低くてなんだか事故死しそうなバスでしたが終始安全運転で、杞憂に終わりました。Wi-Fiと電源もあって快適でしたよ。

で、フェニックスで一泊。



3月8日 5日目。
もう飛行機を見るのは懲り懲りなので、この日は気分を変えて野球観戦それもメジャー観戦としゃれこみます。
まだメジャーリーグは開幕前ですが、プロ野球がこの時期春キャンプをやっているのと同様にメジャーでもスプリングトレーニングというのをやっております。午前中は(たぶん)個人練習みたいのをやって、午後は他球団と練習試合をします。
今回観戦したのはシカゴ・カブス対ロサンゼルス・ドジャース。どちらも日本人選手の所属している球団ですが、出てきませんでした。がっくし。
ていうか私、野球は「球を場外へ打てばホームランで得点が入るよ」程度の知識の持ち主でアレなので、今回は大船のやきうのお兄ちゃんを引きずり出してきたんですが、どういうわけか来ませんでしたねこの野郎。

話逸れますがこの日から唇が荒れ始めてきて「あ、いよいよ野菜不足で栄養失調か。それか水分不足か」と思いましたね。アメリカは食事に気を遣わないと炭水化物だけをやたら摂取しねないので、注意が要ります。基本的に朝食は野菜が無い。これがなかなか辛いのだ。
行く前から気をつけていましたがダメでしたね。ていうか初日から4日間ずっと昼飯抜きだったんで(博物館を見る時間が足りなくて昼飯の時間が惜しい、あとはそもそも周りに食堂がない)、それも影響していたんだろうなぁ。

写真はカブスの投手フィル・コーク。なおカブスは負けた。



フェニックスにはライトレールが走っているので、試合後にそれの撮影。なんだか顎が・・・って感じで両手を挙げてカッコいいとはいえんかなぁ。
ちなみにシアトルのLRVとレイアウトが似ているなと思ったら同じ近畿車輛製なのでした。

その後はフェニックス空港へ移動してそこから飛行機に搭乗、サンディエゴへ向かいます。そのままサンディエゴで一泊。



3月9日 6日目。実質最終日です。
まずは朝練。「コースター」というサンディエゴの通勤列車とアムトラックの「パシフィック・サーフライナー」という快速(?)列車がここでは走っているのでそれを撮ります。あとはついでにライトレールも撮影します。
コースターはボンバルディアの八角形客車で、パシフィック~はスーパーライナーの近郊型仕様です。



サンディエゴにもSan Diego Air & Space Museumというでかい博物館があるのですが、飛行機はもうお腹いっぱいだろうと事前に予想していたので(そしてそれは大当たりしたのだった)、今日は船を見に行きます。
最初はMaritime Museum of San Diego。帆船を中心に保存している博物館です。帆船はほとんど目に触れる機会がないので色々勉強になりました。他にもソ連の潜水艦B-39も見たかったのですが運悪く整備中で非公開。これは再履修だ・・・。
写真は印度之星ことStar of India。



次はUSS Midway Museum。そのまんまアメリカ海軍空母USSミッドウェイの記念艦ですね。よくこんなの浮いてられるなぁって形してます。
「もう飛行機はいいっちゅうねん」と言っても無駄、これは空母なので嫌でも戦闘機が視界に入ります。トム猫とかもう何匹目だよぅ~。
空母あるいはそういう系の軍艦(ひゅうがとかいずもとか)に乗艦するのは初めてだったので、これもいろいろためになりました。デカさや迫力ではUSSアイオワよりも上でしたね。
余談ですが、今までの僻地にあるような博物館と違いUSSミッドウェイは街中にあるのでやたらと見学者が多く、身勝手ながら鬱陶しいと思いましたw機体を写そうとすると人が写り込んでくるなんて今まで無かったのです・・・。

写真は当然USSミッドウェイなのですが、これはフェリー上から撮影したもの。というのもUSSミッドウェイはお尻を岸壁に向けて係留されているので、岸側からだとお尻の写真しか撮れないわけです。そこでフェリーから撮影すりゃいいじゃんとなったわけですな。これのために乗船賃10ドル出したんだぞ・・・。まあ他の現役の原子力空母も撮影出来たし出しただけの価値はあったと思います。

この後はサンタフェ・ディーポ駅からアムトラックのパシフィック・サーフライナーに乗ってロサンゼルスのユニオン駅へ、そこからシャトルバスFlyawayに乗り換えて空港へ行き、空港近くのホテルで一泊。



3月10日 最終日。
この日はもう帰るだけです。昨日までの慌ただしさから解放され、ゆったりとした朝を堪能した後に空港へ。
搭乗口で待っていると意外にも飛行機撮影にうってつけだったので(ただし窓ガラス2枚越し)、アメリカでしか見られないキャリアの機材を撮影しながら帰りの飛行機を待っていました。
帰りは行きと逆のルートで、バンクーバーまではエアカナダ・ルージュB767、ビクトリアまではエアカナダ・エクスプレスDHC-8でした。

以上となります。


7日間(実質6日間)で9箇所の博物館を周りました。航空機はきっちり数えてはいませんが200~300機くらいは見たんじゃないんでしょうかw米軍の戦後の機体はだいたい網羅してしまったのかも知れません・・・。
で、どこも見学時間が足りなかったです。慌てずゆっくり見学できたのは西部航空博物館とサンディエゴ海洋博物館くらいでした。どこもヘビー級なのです。ピマは完全にペース配分を間違えました。こんな辺境の地きっと二度と来ねぇから隅々まで見てやると意気込んだんですが、ここも可能なら要再履修だ。
カリフォルニア州にはこの手の博物館があちこちにあって、今旅行で訪れたロサンゼルスやサンディエゴにも今回行けなかった博物館がいくつかあります。サンフランシスコ周辺も面白そうなんで、しばらく経ったらもう一回行ってみたいですな。

さて肝心の本掲載ですが(笑)、執筆開始が下手すりゃ1年後というシャレにならない事態になりかねんです。
今執筆中のスチームパンクの記事が書き終わる頃には遅れ9ヶ月という遅延新記録を更新することと思います(悲
その次が北米P2(シアトル)、少し間を置いて北米P3(カナディアンロッキー)、更にその背後にコモックスエアショーが待ち構えているんですが、いずれもヘビー級なので遅延が増大する可能性が高いです。で、北米P4も密度の濃い博物館を9箇所も周ったので連載の長期化は必至なんですよ。もう泣きそう。
ただし秋以降はカメラを持って出かけることがほぼなくなってしまったので、そこでどれだけ追いつけるかが勝負になります。1ヶ月でカタを付けたいな。
私としても周回遅れだけはイヤなので、ここはなんとしても阻止したいところ。・・・頑張ります。

今後の黒鉄重工にご期待ください。

そこはスチームパンクの世界だった その2 【2015/06/20】

2016-03-02 23:11:32 | 旅行・イベント記
園内の奥に進んでいくんですよ、するとなんだか煙いなぁって感じるんですよ、途中で大量のトラクターを見かけるんですよ、なんだかこの施設ヤバそうって察知するんですよ、最後に広場につくんですよ。



これだもんなぁ。本物だもの、動いているもの。すげぇ(呆れ
ちょっと意味合い違うけどこりゃまさにスチームパンクだ。



というわけで、まずはこいつから。ケース社の蒸気トラクター。
1915年製で出力は65馬力です。今年でちょうど100歳。ケース社はアメリカの農業機械メーカーで、今も世界有数の農機メーカーとして存在しています。
ボイラーを水平配置にしているため、蒸気機関車の車輪を換えただけのような見慣れた形状です。



シリンダー。右側に一箇所だけ取り付けられています。
蒸気圧から機械エネルギーへの変換の仕方は蒸気機関車と・・・というかレシプロ式の蒸気機関はどれも似たようなもので、高圧蒸気をシリンダーに導いてピストンを往復運動に変換させ、その次にクランクを介してはずみ車を動かして回転運動に変換します。最後にギヤとか何とかを介して車輪を動かしトラクターが動くというものです。間違ってたらすまんな。



反対側。蒸気ドームやら汽笛やら、やはり蒸気機関車に似ています。
蒸気ドームは、ボイラーで温めた蒸気を溜める部品で、そこから管を通して各所に蒸気を配分します。このトラクターだと右側に延びているシリンダー、左側の汽笛です。手前中央の管はよく分からんけど減圧用の弁かな?そんなものあるのかしらんけど。
左奥には滑車が取り付けられています。これは上の写真にあるはずみ車と同じシャフトで繋がっていて、ベルトを介して脱穀機など他の機械を動かすのに使っていたんだそうな。トラクター以外に可搬式のエンジンとしても利用できたというわけです。



動輪とか。
動輪はトラクター特有の大直径のものですね。畑のような柔らかい地面の上でも駆動力を伝えるために大きい動輪を採用しています。
あとは、ステアリングのシャフトが見えますね。



運転台。原則立ち乗りっぽいです。
目の前に機械の駆動部があって巻き込まれそうで怖いですな。右側にステアリングホイールは分かります。が、左側にあるのは加減弁ハンドルかな(見きれていてアレですが)?逆転機もあるはずですが分からないです。真ん中のレバーがそうかな?
火室はまあ、普通?気になるのが燃料を溜めておくスペースがないことでして。蒸気機関車よろしく後ろに炭水車でも繋いでいたのかしら?燃えるものだったら何でも燃料になるのが蒸気機関の利点ですから、畑に落ちていた何かを燃やしていたのかも・・・?
水はどっから供給しているのかはよく見てなかったです。ボイラーに水を満たせるだけで追加のタンクなんかは無かったのかも。当時は蒸気機関が稼働しているという衝撃が強すぎて、今みたいに冷静な見聞は出来てませんでした、ええ。日本じゃ稼働する蒸気機関といえば蒸気機関車くらいしか無いんですもの。



次はこいつ。イギリスMann's Patent Steam Cart and Wagon Company(1894~1930)のNo. 881 5トンワゴン。名前こそワゴンですが実態はトラックです。昔はトラックをワゴンと呼んでいたかもしれない。解説ゼロだったんですが、1910年代の車だと思われ。
日本語だとマン・特許蒸気自動車・ワゴン社?「特許」ってなんやねんとなるわけですが、この会社の発明した「単偏心逆転機 single-eccentric reversing gear」という逆転機(ワゴン車の動く向きを切り替える装置)が従来技術よりもコンパクトで画期的だったんだそうな。社名に特許なんて付けるくらいですからよほど凄かったんでしょう(よく理解していない



先ほどのトラクターと比べると外板と屋根が付いていて赤く塗装もされていて全体的におしゃれ。
トラクターと違って燃料入れがあり、燃料は豆炭。豆炭といえばおばあちゃんの家のこたつが前は豆炭を使っていましたね。
蒸気機関を動かすのにもうひとつ大切なのが水なんですが、これも特にタンクらしきものが無かったんでボイラーに入る分だけが積載量だったのかも。蒸気機関の燃費は極悪と言いますが、この大きさのボイラーだと航続距離はどのくらいだったんざんしょか?



運転席。イギリス製なので右ハンドル。
ステアリングホイール(構造上仕方ないとしてなんだかすごい方向に刺さってる)は今の自動車と同じですが、ペダルはないです。
これもステアリングホイールが付いている以外は蒸気機関車と似たようなもので、真ん中から延びているL字状のハンドル、これが逆転機のハンドルでしょう。これでワゴンの進行方向とおそらく自動車でいう変速機のような役割を行っていたはずです。
もうひとつ、超見づらいですが逆転機ハンドルとステアリングホイールの間に電気機関車のノッチのようなレバーがあります。これは加減弁(アクセルのようなもの)だと思います。
直接聞いたわけでも裏を取ったわけでもないんで話半分に聞いといてください。
座席がハンドル類から離れていてなんだか快適性悪そうではある。この後実際に走行しているところに出くわしたんですが、少し前屈みになって運転していたんで、まあそうなるなって感じでした。
ところでブレーキがないな。本当に無いのかただ見落としているだけなのか・・・。



ボイラーの火室です。
位置が悪いし火室扉もすごく小さいです。蒸気機関車のように休む間もなく大量に石炭を投げ込むということはしなくてもよさそうですな。
火室の右上にあるガラスの箱状の部品はボイラーの水面計でしょうね。蒸気機関車でも同じものを見たことあります。



駆動輪への動力の伝達は・・・知らん。チェーンで後輪のシャフトを回していたんだろうな。
なお蒸気トラクターや蒸気運搬車といった車両のことをまとめてトラクションエンジン Traction Engineと呼びます。蒸気自動車(乗用車)は別にスチームビークル Steam Vehicleと呼ぶので、トラクションエンジンは事業車用の名称と考えて問題は無さそうです。



今度は据え置き式の蒸気機関がいくつか。なんだこの充実ぶりwもうほんとに、ボイラーとシリンダーが何台もガショガショ動いていて、ここは蒸気機関の天国かと思ってきます。すごいところです。完全に舐めてましたね。
蒸気機関って場所を取るイメージだったんですけど、ここにあるのは結構小型で一家に一台置けそうですよ。



ハンドサイズのボイラーと垂直置きの蒸気機関2種。蒸気機関はボイラーと機関部がセットになったものを指すのかと思ってたのですが、狭義では機関部だけを指してボイラーは別物なんですね。この蒸気機関&ボイラーセットはExpo 86ことバンクーバー国際交通博覧会で展示されたそうな。
この垂直式ボイラーは「ウッド&コール」という名前が付いていて、これ単に木と石炭という燃料になるものを名前にしただけじゃんっていう。左にある2つの機関に蒸気を供給しています。

中央の機関は、給油用桟橋にいる海軍軍艦に給油するための重油を燃やすためのボイラーに燃焼用空気を送り込むための機関だそうです。これほぼ直訳なんですが、ちょっとよくわからん。給油機のボイラーを動かすための始動機ということかしらん?エンジンの詳細はよく見てなかったのでどういうのかは分からず。
なおこの機関はカナダ海軍エスクイモルト基地内のコルウッド桟橋で使われていたもの。地元で使われていたエンジンというわけです。

右の機関は、ジェームズ島(ここから北東方向に近いところにある島)で撹拌機(ミキシングパドル)の動力として使っていたそうな。
なにを撹拌していたのか明言されていないのですが、この機関および当時のジェームズ島の所有者がカナダ工業社 Canadian Industries Ltd. (C.I.L.)という化学工業系メーカーでその企業は島で1913年からダイナマイト工場を運営していたということですから、ダイナマイトの爆薬を撹拌するのに使っていたんじゃねーの?というのが素人なりの推測です。たしかダイナマイト製造の際にはニトログリセリンを安定化させるためにケイ藻土なんかと混ぜるはずなんで。まあ例によって確証はないです。
1977年まで工場は操業していて、第二次世界大戦中は月産900トンのダイナマイトを生産していたとかなんとか。これが多いのか少ないのかは分からないですが、島の広さから工場の規模を逆算すると、特筆して多いってわけでもないんだと思います。上には上がいるでしょう、きっと。
島にある工場なんで周りからは隔絶されているわけで、最盛期で800人いたという工員たちは島内に建てられた村で生活していたんだそうです。村には学校、食料雑貨店、ホール、屋内プール、ボウリング場、男性用独身寮なんかが備えられていたそうな。外界と接触しにくいためなのか工員とその家族ごと生活していて、福利厚生も中々充実しているんじゃないの?と思えます。
ちなみに現在の航空写真を見ると島の南側半分が植生のないハゲ島になってたんでどうもそこに工場と村があったようですね。今は更地とゴルフ場と数本の道路があるだけです。

蒸気機関ひとつから色々なことが分かるなぁw



2枚上の写真に写っている別のボイラーから蒸気を得ている機関。可搬式というよりもはや卓上蒸気機関と言える小ささですね。
これは解説なしだったので詳細不明。



カナダのぞいやソイヤー&マッシー社製蒸気機関。トラクションエンジンのように見えますが、コレ自体は自走できず何かに牽引されなくてはいけません。前輪から牽引用アームが延びているのが分かると思います。なので可搬式エンジンといったところでしょう。
1907年7月26日にBC州シドニー(ここから10kmほど北にある町)のブラックブラザーズ社が購入。サーニッチ半島にある農場の脱穀サービス事業に使われていました、ということなんで脱穀機のエンジンとして利用されていたんですな。
ですがわずか2年後、1909年にメイン島(ビクトリア~バンクーバーの間にあるガルフ諸島の島のひとつ、有人島)のウィリアム・デキンに売却されます。そこではやはり脱穀のために年に2日程度使われていて、1935年に引退したんだそうな。
最後に1970年にSHASに寄贈、現在に至ります。



機関部。右側の脱穀機用滑車にしか動力を伝達していないのが分かるかと。



後ろ。運転するための座席や立ちスペースがないのでやはり自走は出来ないというのが分かります。



蒸気ベンチ。蒸気パワーでベンチが前後に揺れるぞ!平和的だなぁ。

今日はここまで。
今回もやけに長い文章を書いてしまった・・・。


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