黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

北米project 4 ~Is the order a warbird? その60【2016/03/04~10】

2018-09-25 23:20:40 | 海外旅行記
マーチフィールド航空博物館のつづき。
数的には後半戦に入ったと思います。


ボーイングKC-135Aストラトタンカー(1956年・241機目)
アメリカ空軍の空中給油機ですね。輸出もされてますがアメリカだけで700機以上は造ってます。そして1957年から就役して今もなお徹底した近代化改修により多数が現役でいるという長寿な機体です。近代改修型のR型が在日アメリカ軍基地の友好祭なんかで展示されてますんで、割と馴染みがあるんじゃないかと。

これは有名な話なんであんまり書かなくていいと思いますが、ボーイングのジェット旅客機707はこのKC-135より後に出来たものです。
最初は367-80という試作機をジェット輸送機としてアメリカ空軍に売り込んだんですが、これは失敗してしまいました。
ところがB-47やB-52のようなジェット戦略爆撃機の高速について行けるような空中給油機がほしいと思っていた(当時は前々回くらいに見たプロペラのKC-95くらいしか持っていなかった)空軍の要請で、367-80の空中給油型を開発しました。
これが当たって合計で800機くらいの受注を得ました。さらにこれを旅客機化した707も1,000機以上の大ヒットになりました。当初の目論見通り輸送機として採用されてたらここまでは売れなかったとは思えず(これの座はこの後出てくるC-141が射抜いた)、いやはや何が幸いするか分かりません。


A型は普通の量産型でこれだけで700機以上造ってます。
近代化改修でエンジンがターボファンエンジンで大型化したR型しか見ていないので、A型のターボジェットエンジンはなんだか新鮮です。


空中給油ブーム。まあKC-95なんかと同じですわな。


ロッキードD-21(1964年・242機目)
ラムジェットエンジン搭載超音速無人偵察機です。あっ・・・これあるの。説明板も何もなくてただ置いてるだけだけど。
屋内で見たSR-71からエンジンだけ抜き取ってそこに羽だけ取り付けたような見た目ですが、実際SR-71とセットで語られることの多いやつです。こんなんでもマッハ3出せるのよ。
マッハ3出せる無人の小型偵察機ならSR-71よりも安全に領空侵犯しながら偵察できるよね、ということで造られましたけど、まあ色々ムリがありました。これも色々アレな機体です。

これのエンジンはラムジェットエンジンで、超音速飛行で生じる機体前面の衝撃波を取り込んで圧縮タービン無しで空気を燃焼して飛んでしまおうというやつです。超音速で飛んでる限り燃料が続く限り無限に動き続けるエンジンです。複雑で面倒な圧縮タービンが無いんで構造が簡単という利点もあります。
逆に言えば超音速飛行でないと飛べないわけなんですが、そうなると普通の離着陸ができんわけです。なのでSR-71の姉妹機M-21を母機にしてそれの背中に搭載、空中で超音速飛行している最中にD-21を分離しました。助走をつけさせたわけですね。そういう機体なので、こいつには足が付いていません。あんなものは飾りです。
ですが4回目の分離中に接触事故を起こして母機ともども墜落してしまいます。M-21の背中の垂直尾翼の間に配置するんだからそら接触するわっちゅうねん。パイロット1名も殉職する後味の悪い結果になっています。以降M-21への搭載は行われなくなりました。つまり以後は別の機体であるB-52に搭載して行われたんですがここでは割愛(手抜き)


ロッキードC-141Bスターリフター(1963年・243機目)
アメリカ空軍初のジェット輸送機です。C-130での機体構成を踏襲した造りになってます。
輸送機の割には細長い胴体が特徴的ですが、これが災いして積載量いっぱいになる前に貨物室が満載になってしまう容積不足の問題が出てきました。
1993年にC-17が就役すると次第に勢力を減らしていきますがそれでも2006年まで現役にいたようです。


セスナT-37Bツイート(1954年・244機目)
アメリカ空軍の初等練習機です。これに乗って育てられた訓練生が本当のツイッタラーや!(大嘘)
当時の空軍は練習機を全部ジェット機で賄おうと思っていて、その一環として導入されました。全過程をジェット化するので初等練習機でよく使われるプロペラ機は廃止されました。
ですが、初心者が初っ端からジェット機を扱うのはムリがあったので、飛行適正検査と最初期の訓練過程用にセスナの軽飛行機172型を転用したT-41を新たに採用する羽目になりました。ジェット化計画は失敗だったんですね・・・。
ちなみに座席配置は練習機でよく見られる訓練生と教官が縦並びに座るタンデム配置ではなくて横並びに座るサイドバイサイド配置。


ロッキードT-33Aシューティングスター(1日ぶり4機目・245機目)
またお前か。
今旅行で一番数を見る飛行機はどれだ選手権での優勝候補です。他にT-6、MiG-15、F-4、F-14など名だたる機体が候補に上がっています。


T-33の空気取入口に付いている板は境界層対策なんでしょうけど、具体的にはよく知りません(手抜き)


ノースアメリカンT-39Aセイバーライナー(1958年・246機目)
ノースアメリカンがビジネスジェットなんて造ってたんだ、という飛行機です。ただ、軍の発注で造られたのが最初で、民間型はそれより後に開発されています。
機体名はノースアメリカンのヒット商品F-86セイバーから取ったんだろうというところですが、主翼と垂直尾翼がセイバーのそれと似ているのも理由だそうです。

Tナンバーが付けられているのでこれも練習機です。輸送機などの大型機用の練習機でしょうね。他にも小型輸送機としても使ってたとかで。


ノースロップYA-9(1972年・247機目)
これは珍しいやつです。なんでここにいるんだ。
アメリカ空軍の近接航空支援(CAS)用の攻撃機として「A-X計画」において試作されたやつです。A-X計画では複数社による競争試作によるもので、最終的にノースロップさんチームのYA-9とフェアチャイルドさんチームのYA-10が最後まで残り、決勝戦となりました。
結果、勝ったのはフェアチャイルドさんチームで、YA-10は晴れて制式採用されてA-10サンダーボルトIIになりました。
一方ノースロップさんチームはYA-9を2機造っただけで終わりになってしまいました。2号機がここに、1号機はエドワーズ空軍基地に保存されています。


攻撃機なので主翼には兵装ステーションがたくさん。片側5箇所あります。
他に固定武装として機首にバルカン砲を装備できる仕様だったそうです。
エンジンは胴体中央部に2つ付いてます。


尾翼は十字翼。
A-10と比べるとずいぶんシンプルな機体構成なんだなと思います。というかA-10が先進的というか前衛的というか。
普通の形状じゃダメだと懲りたのか次回作となるYF-23では思いっきり前衛的な方向に振りましたけど、これもダメでしたね・・・。


オシュコシュP-15化学消防車
1977年に開発された空港用の化学消防車です。基本的に軍用に使われたようです。表記からして隣のマーチ空軍基地で使われていたものをもらったようですね。


ノースロップF-89Jスコーピオン(1948年・248機目)
アメリカ空軍初期の全天候型迎撃戦闘機3兄弟(F-89、F-94、F-86D/L)のうちのひとつ。開発開始時期からも型式番号からも3兄弟の長男なんですが、トラブっている間に次男と三男に就役時期を抜かれてしまい、F-89が本格的に配備されたのは一番最後になってしまいました。というか、F-89の開発が炎上してたもんで急遽F-94とF-86Dが生まれたわけですが。

この頃の全天候型戦闘機はWWIIの夜間戦闘機の延長みたいな感じで、機首にレーダーを搭載することでどんな飛行条件でも敵を発見して攻撃、撃墜できるような戦闘機のことを言いました。
自機のレーダーと地上からのレーダーで目標まで誘導し、自機の火器管制装置で照準まで付ける、極端な話パイロットは引き金を引くだけという、自動操縦、自動戦闘装置のひとつといえるものです。
そうは言っても1948年当時のレーダーと火器管制装置(FCS)はまだまだ大型でした。なのでそれらを搭載したF-89の機首は大きく張り出したものになっていて、当時の全天候型戦闘機の特徴のひとつです。

で、F-89は主翼の強度不足という大きな欠陥があったので初期の量産型は何機も空中分解、墜落してしまいました。
それでもノースロップは何度も機体を改良してようやくまともな型式、D型を配備します。初飛行からすでに6年、21世紀の戦闘機か旅客機の開発遅延くらいの遅さです。当時としてはかなり時間がかかったと思われ。
なおこの頃にはすでに急遽代打指名されたF-94とF-86D/Lが配備されていましたし、全天候型戦闘機の決定版として開発されているF-102も前年に初飛行を済ませ量産まで秒読みという段階でした。それでもD型が量産されたのは世界初の空対空ミサイル「ファルコン」が搭載できたからと言う部分があるでしょう。

D型はさらに発展して、1957年からは空対空ミサイルのある意味では頂点である「ジーニー」核ミサイルを搭載できるJ型が量産されました。
という感じのまあ狂気に飲まれてるよなという戦闘機です。


ちなみにスコーピオンつまりサソリの由来となったのは細長い胴体尾部と尾翼がサソリの尾節に似ているからとかで。前作のP-61ブラックウィドウはクロゴケグモの意味だし、なんかそういう系の節足動物が好きだったんですねぇ。


ノースアメリカンF-86Lセイバードッグ(1949年・249機目)
全天候型戦闘機3兄弟の末っ子。F-86の派生型とされることもありますが、部品の共用率は25%程度と低く、事実上別の機体です。当初はF-95という別型式を与えられそうになっていたのもその根拠と言えましょう。F-86の派生型になったのは、全くの新型機よりも既存機の派生形のほうが予算が通りやすいという議会対策というのが定説ですがホントのところは分かりません。たぶん最初は根も葉もない所からたった噂だったんでしょうけど。
FCSのオペレーターが必須だった当時の全天候戦闘機としては異例の単座戦闘機になっています。当時の全天候機はとてもじゃないですけど機体の操縦とFCSの操作をひとりでやれるような代物じゃなかったんです。それが新型のFCS E-4をどうにかこうにかして完成させて単座機に仕上げました。

最初に造られたのがD型で、後にL型が造られました。L型は例の対空レーダーネットワークシステムのSAGEとのデータリンク接続ができるよう開発されたやつです。
他にモンキーモデルのK型がいるんですが、これ完全にNATO向けの輸出用なんでアメリカにはおらずNATO諸国の博物館に行かないと見れませぬ。


D/L型の武装はロケット弾です。対爆撃機用の全天候型戦闘機なので機関砲は積んでないよ。元のF-86は制空戦闘機ですが、D/L型は間違っても戦闘機相手には戦えません。
搭載場所が面白くて、コックピットの真下にマイティマウス24発を入れたランチャーを載せています。でもこのままだと空気抵抗になってしまうので飛行中は機内に収納して射撃時にランチャーがガシャンと飛び出る素敵ギミックを持ってます。

今日はここまで。