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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その11【2018/6/9~10】

2022-09-13 06:07:21 | 鉄道撮影記
近江鉄道の「ガチャコンまつり2018」の続きです。前回は電気機関車を紹介しましたが今回は電車などそれ以外の車両を見ていきます。
こちらは近江鉄道の主力電車800系です。中でもこれは同社の鉄道むすめ「豊郷あかね」の絵が貼り出された807Fです。通常の黄色塗装の上に豊郷あかねの絵や☆マークを散りばめて貼っているので、そんなにどぎつくない印象。


大きく貼り出された豊郷あかね嬢。ビール列車の立ち絵なので、駅員なのか給仕なのか分からんです。やっぱり伊能津画がいいですな~。
実際にビール列車が走る時はこの807Fが専属で運用に就くみたいですよ。だからこの画なんですね。


800系は車両の大型化と冷房化を目的に中古の西武401系を導入したものです。自社向けに改造した上で1999(平成11)年に登場しています。特に前面は先に登場した220形を継承した独自の三面折妻になっています。


魔改造と車籍流用が特技の近江鉄道が体現した傑作、220形です!これは唯一の現役車226号です(2022年に引退済)。
近江鉄道の運行経費削減のために導入した軽快気動車が結果的には効果が薄かったことと車両が早々に寿命を迎えてきたので、それの更新用に1991(平成3)年~1996(平成8)年にかけて近江鉄道が自ら拵えた伝説の16m級単行電車です。
新車のような見た目ですが本質的には車体更新車両です。台枠は1940年代製の小田急1600形まで遡ることができると言われ、車体は西武701系の側面部材を台枠に合わせて切り継ぎ、前面は貫通型で額縁型の物(いわゆる近江顔)を自社で新規に製作。特に側面切り継ぎはまるで鉄道模型の改造だと言わしめるものでした。また走行機器は在来車や西武の中古をかき集めて流用しました。つまりこの見た目なのに吊り掛け駆動方式の電車です。でも台車は空気バネ装備のFS40。
一方で、製造にあたっては冷房化が命題の一つだったので、近江鉄道初の冷蔵装置を搭載しました。架線から得た1500V電気で直接稼働する珍しいやつだったそうな。たぶん冷房用の電源を置く場所が無かったんだと思いますが。またブレーキは、当時近江鉄道で主流だった自動空気ブレーキに替わって電気指令式ブレーキ(HRD-1)を採用。これは当時の大手私鉄に並ぶ新型装備でした。
戦前設計の古い機器と現代の新鋭機器を巧みに組み合わせた、まさにキメラ、魔改造と呼ぶに値する電車なのです。

気が付いたら営業運転からは撤退していたので、乗ることは叶わずともその姿だけでもひと目見ておきたい電車でした。どうやら展示物の扱いは受けていなかったですが、それでも見やすい位置に止まっていたので良かったです。
電車の後ろには砕石散布用ホッパー車を2台繋いでいます。旅客営業は終了しましたが、工事列車の牽引機など事業用としてはまだ使われていたのです。


乗客が乗る分には当時相応の接客設備だし単行電車で小回りも効いたので、近江鉄道の近代化に少なからず貢献しました。人は見かけによらないのだ。

カルト的人気を持つ220形ですが、意外なことにNゲージ化にはあまり恵まれていません。恐らく、一般の車両よりも車幅が狭いので特に動力ユニットの設計に苦慮するんだと思います。例えば100形の全幅は2,846mmありますが220形だと2,740mmと100mm狭いのです。既存の動力ユニットだと幅が干渉してしまうのかもしれません。16m級の車両は大方似たような狭幅な気もしますが。なお220形実車の全幅が狭いのは、流用した台枠の影響をモロに受けているんだと思われます。
唯一Nゲージで製品化しているのはあまぎモデリングイデアの金属キットですが、なんだか幅が広いように見えて、前面の印象が実車と異なって見えました。多分幅が・・・。しらんけど。


220形に繋がれている砕石散布ホッパ車のホキ11号とホキ13号です。12号もいるってこと?
国鉄のホキ800形っぽいしその譲渡車両だろうかねえ。


車庫の様子。
100形の左隣にいる長物車はチ11号(奥にチ12号)です。500系電車の車体を取っ払って台枠だけ残して長物車(レール輸送車)に改造したっていう近年稀に見るアレっぷり。昔の電車の台枠は貨車に改造しても耐えられる強度を持っていたので、かつては割と見られた改造らしいです。なお、種車の都合で台車は空気バネ装備のFS40形です。空気ばね台車の貨車って昔のコキ車でしか聞いたことないんだけど。


220形222号。奥の車番は分からない。これは見た感じ部品取りですかねえ。



820系の赤電塗装です。赤電は西武鉄道のが一般的ですが、近江鉄道などの西武系列の地方私鉄でも見られました。820系も西武車の中古なので似合いますわな。


改造待ちか部品取りで置いてあるんだと思う西武301系(モハ301-4)。


富士重工製モーターカーTMC200A形。製造番号No.60、1966(昭和41)年7月製造。今はもう使われていなさそう。


反対側はクレーン台か何かがありますよ。



転車台ですな。



ワ34号。隣にワ35号もいます。
有蓋貨車なわけですが、国鉄型のワムと比べると小ぶりな車体です。車籍は大正時代まで遡れるみたいで、車体はある時に鋼体化改造されています。
車体に黃帯が巻かれているということは、事業用として使われていたと思います。

500系501号。これも近江鉄道の名作で、車体を自社工場で12両分製作しました。登場は1969(昭和44)年で、当時の大手私鉄に比肩する外観をしています。なお、走行機器類は在来車や廃車発生品や中古の寄せ集め。知ってる。
800系により置き換えられて、この501号だけが保育園の遊具として残されました。前面には顔が描かれてキャラクターチックに。


ト50号です。見た目は長物車なのでチとするのが最適でしょうけど、よく見るとバタを撤去した痕があります。なので元々は無蓋車だったんでしょう。車輪をよく見ると松葉スポーク車輪を履いています。

これで彦根駅構内の車両は見終えました。電気機関車以外の保存車両の処遇はよく分かりませんが、501号は2019(令和元)年に解体済みです。他の貨車等も解体されていると思いますが・・・。
今更残念がっても仕方ないのですがやっぱり解体するには惜しい車両ばかりでしたな。


次は物販です。豊郷あかね専用スペースがありにけり。鉄道むすめはキャラクターを起こしてもらった後にどれだけ露出させて利用させるかが肝心だと常々思っていますが、近江鉄道はその点豊郷あかねをよくこき使っていると思います。聖地巡礼アニメみたいなグッズ展開しています。


物販には行列ができていましたが、並び始めでお品書きの紙を渡されてそれに記入してから係に渡して購入するというもの。行列を早く捌くことができる方法で、オタク向け物販を分かっている人の仕業です。鉄道イベントで遭遇するとは思わなかった。


近江鉄道ミュージアムの建物の中も見てきました。イベント中なので全部は見れなかった記憶ですが。鉄道むすめのスタンプラリーのグッズがありました。現地に行かないと買えないやつですね。ここの中の人が集めてきたんでしょうかね。


豊郷あかねグッズ一覧。ご覧の通り多いんですよね。立ち絵が2枚だけ(表情差分なし)でこれだけ作るとはようやる。


何かしらの車輪。機関車の動輪だと思います。


会場の奥には例のアレが!あれは800系の前面部品です。ずっと工場の建物に立てかけられているんですが、この時もありました。特に鉄道模型をやる人たちからは1/1エコノミーキットの改造パーツなどと呼ばれています。
たぶん、破損復旧用の予備部品だと思いますが、なんで外に置いてあるんでしょ。エコノミーキットで余った前面パーツは工場のストラクチャーに置いてあってもええんやでというメッセージなのだと勝手に受け取っておきます。


これでガチャコンまつりからは撤収します。
この機会を見て電気機関車を見に来たわけですが、これが最初で最後の対面になってしまいました。一度見れただけでも上々でしょう。

というところで今日はここまで。

その12へ→


 
 
 

東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その10【2018/6/9~10】

2022-08-30 22:21:27 | 鉄道撮影記
近江鉄道彦根駅を降りてこの日彦根駅構内で開催されている「ガチャコンまつり2018」へやって来ました。
鉄道会社がよくやつ車庫公開イベントで、現役の電車はもちろん近江鉄道が保存している歴史的な電気機関車も見ることができます。この電気機関車が目当てなのだ。
これらの電気機関車は「近江鉄道ミュージアム」の収蔵品の一部として保存されていて、ガチャコンまつりでなくても月に1日程度の頻度で一般公開されていたものです。ところがこのガチャコンまつりの後、近江鉄道は近江鉄道ミュージアムを2018(平成30)年12月に閉館(その後現在は八日市駅に移転)。所蔵していた電気機関車も基本的に解体される方針となりました。
日本の電気機関車黎明期の機体がいくつも現存する貴重な場所でしたが、民間企業単体で保存するには厳しかったのかもしれませんし、企業が私有する形での保存が必ずしも安泰でないことを示す例になりました。
話が逸れました。ガチャコンまつりに戻りましょう。


ED14形4号機と3号機。輸入箱型電気機関車の趣が深くていいですね。
ED14形は1926(大正15)年に鉄道省が4機を輸入したアメリカ・ゼネラル・エレクトリック製の直流電気機関車です。東海道本線、中央本線、飯田線などを転々として最終的に1966(昭和41)年に4機全てが近江鉄道に譲渡されました。貨物列車廃止後も近江鉄道には4機全てが現存していましたが、閉館後は逆に全て解体され消滅した運命を辿りました。


ED14形3号機です。黄色い台枠に水色の車体は近江鉄道の標準塗装です。
貴重な輸入電気機関車の生き残りですが、長年の現役生活のうちに所々改造されていて、新造時の原型は喪失しています。分かりやすいのは窓の改造です。前面窓は本来は幅がもっと狭くて縦長の長方形をしていました。片側4つある側窓も窓サッシが本来十字形だったものが、中央2つの窓は横のサッシがなくなり両端の2つは十字形サッシ自体がなくなってしまいました。両端の窓はサッシが無くなったのでスッキリしましたが電気機関車にしては妙に大きい窓に見えるようになりました。


ED14形4号機。当時の鉄道省は欧米先進国の各メーカーから2機ずつ電気機関車を輸入してゆくゆくは国産化のための品定めあるいは技術習得をしていたみたいですが、このED14形は4機を購入、さらに同じゼネラル・エレクトリックからED11形2機を先行して購入しています。合計6機、通常の3倍の数を買ったわけですが、よほどゼネラル・エレクトリック製が優秀だったのでしょうか?
この4号機だけは塗装が鉄道省時代のぶどう色に塗り直されています。たぶん色の塗り直しだけで車体の形態などは復元されず近江鉄道末期のままだと思いますが。


2つの台車の距離はかなり近くて、車体長さは台車のそれにきっちり合わせたものになっています。なので現代から見れば小さい車体ですが結構密度感のある印象を与えます。
側窓は左から2つ目の窓は原型をとどめているみたいですね。


ED14形は、アメリカ製電気機関車では珍しい板台枠台車を装着している点が目を見張ります。アメリカ製台車といえば一般的にはでかいイコライザを付けた物です。
もうひとつ、この角度からだとデッキの影で見えないですが、機関車の連結器が台車に直結しているのも珍しいです。台車の動きに合わせて連結器も首を振る、Nゲージで言うところの台車マウントカプラーなわけです。
この点はだいたい同時期に輸入されてかつ現存する同社製ED11形と比較した時に明確に異なる点です。板台枠台車も台車マウント連結器も結局日本では根付かなかったので、日本の鉄道車両史の特異点のひとつといえるかもしれません。


ED14形を反対側から。


ED14形2号機です。


2号機を反対側から。意外と目立つような個体差は見受けられないですかね。窓のサッシの数くらいなものです。


さっき説明した台車マウントカプラーです。連結器が車体からではなく台車から生えているのが分かるかと思います。


ロコ1100形1101号機です。これは1930(昭和5)年に阪和電気鉄道(現JR阪和線)が自社線と省線の間の入換用機として導入した30t電気機関車です。これは東洋電機/日本車両製。
1951(昭和26)年に近江鉄道に譲渡されて、今よりも構内の広かった彦根駅で入換作業などに従事していたみたいです。ミュージアム閉館に際して引き取りては現れず、解体された模様です。阪和電鉄の現存車両は秩父鉄道三峰口駅に電気機関車が1機いましたが、それも2019(令和元)年に解体されてしまったため、阪和電鉄由来の車両は絶滅したことになります。

車体は可愛らしい凸型をしています。運転室扉をキャブの妻面に付けていて、そのためボンネットは向かって見て右側に片寄っています。


これも板台枠台車ですな。ED14形と比べるとリベット多めでごつい感じ。
ちなみにこの機体は古めかしい直接制御式だったそうな。


左から100形、ED14形1号機、ED31形3号機。


ED14形1号機です。それにしても同形式の保存対象車両が複数ある場合、大抵は1台だけ残してあとは解体なのですが、ED14形は4機全て保存されたというのは当時の近江鉄道の担当者たちの並々ならぬ思いがあったのでしょうか。


こちらはED31形3号機。これだけは他の機関車よりも塗装が綺麗でした。
元々は1923(大正12)年に伊那電気鉄道(現JR飯田線)が6機(デキ1~デキ6)導入した電気機関車です。製造は芝浦製作所/石川島播磨です。
これも凸型機関車ですが、やたら長いボンネットと開口部の小さい窓のおかげで特異な平べったいシルエットをしています。戦車や装甲車みたいな雰囲気を出していて、あんまりかっこよくはないかな・・・。
なんやかんやあって1950年代後半に6機のうち1号機~5号機の5機が近江鉄道へ譲渡されました。残りの6号機は上信電鉄へ譲渡されて現存しますが、現役時代に原型とは似ても似つかぬ箱型車体へ魔改造されています。
2000年代に全機が引退状態になってミュージアムの収蔵品となっていました。今回ここへ来るちょっと前の2017(平成29)年に3機が解体されています。残る3号機と4号機も解体の運命だったみたいですが、既の所でそれぞれ引き取り手が現れて解体の危機から救われました。今回の閉館に際して生き残ることのデキた2機です。3号機は、これを製造した芝浦製作所が現在の東芝という縁から東芝が2020(令和2)年に引き取り、府中工場にて他の電気機関車と共に保存されとります。府中工場はここぞという時に手を差し伸べてくれるやね。


ED31形4号機。
こちらはびわこ学院大学の大学生がクラウドファンディングを立ち上げて輸送費と移送先の土台と線路の建設費を賄ったことで解体を免れました。これが選定されたのは、国産電気機関車の初期の機体で日本のものづくりにおいて価値が高いだからだそうな。
ED31形2機だけ現存するという片寄った形になりましたけど、先に機関車保存に名乗りを上げたのはこの大学生チームみたいですし、後手になった東芝は自社製のED31形以外に選択肢はないですし、仕方ない面はあるかもしれないです。残りのED14形とロコ1100形もこの先も保存されるに値する機関車だったので、残せなかったのはちょっと残念でした。


国産機という扱いですが、一部の部品は輸入品のようです。台車はイギリスのドーマンロング製です。輸入から国産への過渡期の機関車という方が正確でしょうな。


思うにボンネットの根本の背が高いのがかっこ悪い要因だと思います。


謎パンタグラフ。

というところで今日はここまで。次回は機関車以外の展示物です。


その11へ→



 
 

東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その9【2018/6/9~10】

2022-08-25 08:05:00 | 鉄道撮影記
近江鉄道全線乗車を果たすために多賀線多賀大社前駅を降りました。列車の折り返しが発車するまでの時間は数十分あるので、その間に多賀大社を参拝しようと思います。参道の入口には大きな鳥居がありにけり。


参道にあった多賀町のマンホール蓋。
町章、町の鳥(うぐいす)、町の木(杉)、町の花(ササユリ)が配された正統派の蓋です。町の鳥と木は町章の中にあるのが特徴でしょうかね。


歩いていて楽しくなる適度な道幅とカーブの参道です。沿道の木造建築も良き。


延命地蔵尊。きれいなところですね。


糸切餅本家ひしや。趣き深い角地にある商店です。
糸切餅というのは多賀で江戸時代から親しまれてきた生菓子です。今回は多賀大社を往復するだけで時間いっぱいだったので買えず。
糸切餅屋は他に2軒あって、それぞれ総本家と元祖を名乗っており、ここの本家と並んで互いに譲らない模様。まさに元祖と本家の戦いです。


神社が近くなると参道っぽさを醸し出す舗装になってきました。


料理屋の亀屋。ここもいい店構えですな。


他にも色々。


やっと多賀大社へ来ました。ちょっと余裕こいて歩いていたら駅からここまで10分掛かりました。ちょっと時間が押しててまずいですわね。
結局入り口に立ってやあ!と挨拶をしただけで引き返しました。鳥居すらくぐれなかったよ。


帰りは早歩きでトンボ返りでした。
自転車操業・・・。


第17走者:近江鉄道多賀線高宮行(800系)多賀大社前10:25→高宮10:30
高宮駅へ戻ってきました。乗り換えまで時間があるので駅の外へ出てみます。乗り鉄☆たびきっぷなので乗り降りは自在です。


高宮駅のホームは大変古めかしいものですが、駅舎は2002(平成14)年に建て替えられた新しめの建物です。


駅舎は大きめですが、大半は高宮地区のコミュニティセンターとして使われています。


第18走者:近江鉄道本線彦根行(700系)高宮→彦根
彦根へ向かいます。乗るのはまたもや700系。今日はよく会いますね。


彦根駅で下車して、今日最大の目的地「ガチャコンまつり2018」会場へ!

というところで今日はここまで。


その10へ→




東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その8【2018/6/9~10】

2022-06-03 17:54:00 | 鉄道撮影記
第14走者:近江鉄道八日市線八日市行(700系)新八日市8:58→八日市9:00
八日市行の電車が来たので、これに乗って新八日市駅を後にします。
来たのは、まさかの700系「あかね号」でした。1998(平成10)年に近江鉄道創立100周年を記念して西武401系を改造して2両編成1組を作り上げたワンオフの電車です。西武401系は、さっき見たばかりの820系と同じ車種です。820系は401系の原型をよく留めているので、あれがこれになったと思ってくれて良いです。
初めてお目にかかりましたが、これが音に聞こえた近江鉄道の名作品。わずかひと駅600mだけですが味わいました。


八日市駅に到着。ここからは本線に乗り換えます。乗り換え待ちが10分くらいあるのでそれまで700系を観察。
単純な形状ながらも流線型の前面を新たに付けているところが素晴らしいです。側窓も原型が扉間に4枚と戸袋窓2枚あったところを、一体感のある3枚の連続窓風固定窓に改造されています。特に戸袋部は手の込んだ改造をしています。
並の地方私鉄だったらイベント用車両として運用されるでしょうが、700系は他の一般車と混じって普通に走ることが多いそうな。


座席も気合が入っていて、転換クロスシートが奢られています。これで並行するJR西日本にも負けません。噂では、同時期にアコモ改善工事が施工されていたJR東日本185系の座席交換時に廃棄されたものを流用しているとか・・・。
そんな700系でしたが、2019(令和元)年5月に老朽化で廃車になりました。800系/820系など他の西武401系を起源とする電車は多数現役な中での引退でした。大改造が祟ったのかも・・・しれません。


留置線に止まっている800系。近江鉄道の主力車両です。


本線下り貴生川行の100形。これは西武新101系の中古です。中古車導入にあたって改造されていますが内容は必要なところだけやった感じで、例えば前面は西武時代のままで、近江鉄道独特の改造はされていません。
ただしこの編成は、中間電動車に先頭車の前部構体を移植して先頭車化改造されています。通常だと乗務員扉と戸袋窓の間に側窓が1枚あるんですが、それが無いのが見分けるポイントです。


第15走者:近江鉄道本線彦根行(800系)八日市9:13→高宮9:38
本線の上り列車が来ましたので、乗り換えます。


高宮駅に到着。ここで列車を降りて、多賀線に乗り換えます。
構内踏切、中線、低いホーム。近江鉄道は創立が古いだけあって、いまやJR線でもあまり見なくなった構内施設が見られるのがたまらないですね。


広めの構内。線路から生えている草は鉄道草かしら。
高宮駅は「た↑か→みや↓」という発音の車内放送をしていたのがやけに印象に残っています。地元ではそういう発音をするんでしょうかね。


年月を経て積み上がっていったプラットホームの地層が好きです。長い歴史を感じるのですね。構内踏切の周りだけ高さが低いのも良いです。


高宮駅は本線と多賀線の分岐駅です。多賀線への分岐は駅構内から始まっていて、多賀線の乗り場は急曲線を描いている途中にあります。こういう分岐ホームが大好物なのは四日市あすなろう鉄道でも述べましたが、2日連続で出会えるとは眼福でありますな。


この3番乗り場は特に急曲線で、かつては20m級車両は車体の端をホームに擦ってしまうのでここに入ることが出来ませんでした。20m級電車であるところの800系/820系では、車体裾の四隅を削り取って干渉を避けたほか、プラットホームも曲線を緩和する工事をして乗り入れできるようにしたそうです。
ホームを削ったというより継ぎ足して曲線を緩和したように思えます。継ぎ足した関係でホームの端と雨よけの屋根の位置関係がずれてしまっていますが、直す気はないみたいです。


いいですね~。いいですよ~。


分岐器を見てみると、分岐した直後に折れるように曲率が変わっています。緩和工事の影響でしょうかね。


高宮駅には広い留置線が広がっています。昔は貨物列車の操車場として賑わっていたと思われます。
今は買い取ってきた中古の電車の保管場所になっています。この時は西武鉄道から買ってきた大量の3000系6両編成2本が留め置かれていました。


多賀線の列車は本線下り列車と接続するので、それが到着するところを撮影しておきます。


やってきたのは100形でした。しかも鉄道むすめのヘッドマーク付き!今日は朝から撮れ高が良いです。


ヘッドマークには、近江鉄道の豊郷あかねと伊豆箱根鉄道の修善寺まきのの2人がいました。この取り合わせは、西武グループ繋がり・・・?


第16走者:近江鉄道多賀線多賀大社前行(800系)高宮9:48→多賀大社前9:54
高宮駅を発車です。留置中の3000系の端が見えました。植物の一部になりかけている・・・。
この3000系は結局2020(令和2)年に改造の上300形として営業運転に入りました。6両編成のうち中間電動車2両を先頭車化改造しました。運転台を提供した制御車ともう2両の中間電動車は、使える部品を剥ぎ取られた後解体されたそうな。6両編成の電車から2両編成の電車を錬成するというある意味大胆な手法なのでした。


スクリーン駅。スクリーンという会社が目の前にあるからスクリーン駅。
企業名が入った駅は数あれど、そのほとんどは「XX前」。ど直球に企業名だけ入れているのは珍しいです。スクリーンというのも一般名詞めいた単語なので、この駅の背景を知らないとなんのこっちゃねんという気もします。


多賀大社前駅に着きました。
多賀線に乗ったのは近江鉄道線の未乗区間がここだけだったから、この機会にすべて乗りつぶしたかったからです。よって、これにて近江鉄道は完乗したこととなります。


改札口です。こういう舟のある改札口もましてや現役のものとなると最近では珍しいです。
土休日は無人駅ですが、隣には観光協会の事務所とこの地域のコミュニティハウスが入っています。


駅舎。参詣路線の神社最寄り駅の常として、神社本堂っぽい建屋に見えます。
僅かばかりですが列車の折り返しまで時間があるので、せっかく来たんですから多賀大社にお参りしてこようと思います。

というところで今日はここまで。


その9へ→




東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その7【2018/6/9~10】

2022-05-27 12:31:00 | 鉄道撮影記
2018年6月10日。
滋賀県東近江市の旅館「はざま」で迎えた日曜日の朝です。食堂で朝ごはんを食べます。一般的でいかにもな朝食でした。こういうのがいいんだ。


旅館を後にして近江鉄道の駅へ向かいます。


昨夜歩いてきた道とは別方向を歩きます。八日市駅へは歩いていないのです。
この道路は昔から形を変えず残っているんだろうなという趣き。


滋賀県名物の飛び出し坊や。かわいそうなことに両腕をはねられていました・・・。身代わりになってくれたんだろうか。


近江鉄道の踏切を渡るときに線路を見てみると駅が見えました。ひとまずはあそこが目的地です。緑化軌道化が進んでますな。



ここも良い生活道路だ。飛び出し坊やがいるので一発でここが滋賀県と分かりますね。



はい、着きました。近江鉄道八日市線の「新八日市駅」です。
駅前は意外と広いのね。家屋もあるし。


新八日市駅は、昨日降りた八日市駅から600mほどしか離れていない位置にある駅です。主要駅八日市駅のすぐ隣にありますが、あんまり賑わってはいないようです。
新八日市駅と言ったら何と言ってもこの駅舎です。木造2階建ての堂々とした姿!この駅舎は1912(明治45)年設立の「湖南鉄道」の本社機能を有していたので、このような大きい建物となっております。
今は近江鉄道八日市線(万葉あかね線)になっているこの路線は歴史を辿ると湖南鉄道が1913(大正2)年に新八幡駅(現・近江八幡駅)からここまで開業させた路線でした。当時は八日市口駅という名前で(1919年に現駅名に改称)、ここと八日市駅の線路は今のように繋がっていませんでした。(後に開通した飛行場駅については割愛)
湖南鉄道はなんやかんやあって1944(昭和19)年に近江鉄道に吸収されて路線も八日市線となりました。1946(昭和21)年には新八日市駅と八日市駅をつなぐ線路が開通して本線と一体化しました。


この駅舎は1922(大正11)年築です。訪問当時でも築96年、執筆している今はちょうど築100年です。
建物は洋風というか、木造校舎の小さいやつみたいな雰囲気です。正面だけはうぐいす色に塗られているのが独特でおしゃれです。
よくも残っているものだと感心しますが、どちらかというと半ば放置されているようにも見え、いつ解体が決定されても不思議じゃないと思いました。
似たような築年数が極めて高い駅が同じ近江鉄道の日野駅にあります。これも築100年経った大変古い駅舎でしたが、地元の熱意でもって耐震補強と改修工事を行って現役でやっています。新八日市駅駅舎の行く末も恐らくは地元の意向次第で決まるでしょう。


広い駅前からも普通の途中駅じゃないというのが伺えるものです。


何かの商店だった建物かな?鉄道模型のストラクチャーのお手本になりそうな形です。


年季の入った駅名板。


室内も広いです。八日市の玄関口として賑わってた頃が想像されます。
写真右に写っている駅周辺地図が貼ってある壁は、その壁の向こうに特等の待合室のような小部屋があります。うまい具合に板で覆われていてこの時は気づきませんでしたが・・・。


平日の朝夕だけですが駅員のいる時間があるので、改札窓口は今も使われています。駅員が立っているということは平日の朝夕はそこそこ利用者がいるということね。


改札口。いいぞ~(語彙力のなさ)


改札口からプラットホームの間にある数段の階段は戦前の駅舎の特徴的な構造のひとつです(無い駅ももちろんあるが)。これを見ると古い駅だな~と感じるわけです。
ひし形に敷かれたタイルもこの時期特有というか、現代では見ない敷き方なんですよね。


別角度から。うむ、たまらんな。


ホームから改札口。


事務室。駅員が出入りする扉だけアルミ化されていますがそれ以外は当時物か?こちら側もうぐいす色で塗られているんですね。


良い腰掛けですな。


この脚のさりげない装飾が良いのだ。本社が直結している駅だったからか、今はくたびれていても当時は地元の顔のような駅だったのではないかと。


駅舎の妻面(?)はうぐいす色に塗られていなかったのかな?
黄色いトタンの小屋は便所です。一応あるよ、という程度で、あんまり使いたいとは思わなかったかな・・・。


近江八幡行の列車が来たので、駅撮りで撮影します。
元西武401系の820系です。昔は、103系に似た顔をした電車と思っていましたが、最近だとJR西日本岡山支社の115系の方が近いな、と考え直すようになりました。


駅舎と820系。


下りホームから見た駅舎。
プラットホームを見るに、何度もホーム高さを嵩上げしたような形跡は見られないです。


駅の横に置いてあるワムハチを発見。だからどうしたというあれですが。
ちなみにワムハチがいる辺りは昔は貨車の操車場だったそうな。駅舎と反対側にある近江八幡方面のホームも操車場が無くなった跡に建てられたものです。なので、駅舎はすごい立派だったけど旅客のプラットホームは1面1線しかなかったということに。貨物輸送主体だったんでしょうかねぇ。

というところで今日はここまで。


その8へ→


東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その6【2018/6/9~10】

2022-04-30 21:02:36 | 鉄道撮影記
第9走者:三岐鉄道北勢線西桑名行(270系)阿下喜15:34→西桑名16:27
北勢線を去ります。


終点西桑名駅で乗り換えます。これは桑名市のマンホール蓋。はまぐりですねぇ。


JR桑名駅に入って、そこから近鉄桑名駅に行きます。その途中には桑名駅名物のガバガバ自動改札機があります。こんなに突破の簡単な自動改札機もないでしょうが、天井の看板にもあるとおりこれはJRと近鉄の乗り換え改札口です。
なお、乗り鉄☆たびきっぷは、磁気切符ですし自動改札を通すことが出来ないので素通りします。


桑名駅から乗るのは、養老鉄道です。養老鉄道は近鉄から分離した路線で、桑名駅の乗り場は近鉄の構内にあります。しかし養老鉄道は近鉄とは線路の幅が異なるので、線路は物理的に分断されています。


第10走者:養老鉄道養老線大垣行(600系)桑名16:45→西大垣17:53
養老鉄道は初乗車です。養老鉄道の車両は近鉄時代から引き継いだ600系で占められています。
ですがそこは細かい区分をしている近鉄の電車なので、単に600系と括られていますがその中身は細かく分けることが出来ます。これは厳密には610系なのだそうな。
本当は、養老鉄道でも途中の駅で降りたり撮影したりして楽しもうと思っていたのですが、思いの外時間が推してしまったので今回は諦めました。またの機会とします。


途中の養老駅で列車交換です。反対方面からやってきたのは、600系のセンロク塗装車でした。この600系の改造前の姿だった名古屋線の1600系がこの塗装を纏っていたので、その復刻版なのです。翌年にこの塗装は消滅してしまったので、記録できて良かったです。
養老駅では下車する予定を立てていましたが、もう夕方なのでこれも断念です。とほほ。


西大垣駅で下車します。ここでも列車交換します。これは620系です。中間車の窓配置が不自然ですが、それにつっこんだ先は沼でしょうから、見なかったことにしておきます。


ここまで乗ってきた電車も後追いで撮影。


駅は中線もある大きめの規模ですね。あとは車両基地もあります。これが目当てで降りたんですが、あまり良く見えずこれはさほど収穫がありませんでした。


有人駅です。開放感があっていいですな。


西大垣駅舎どす。


次の列車を待つのも時間がかかるので、路線バスに乗って大垣駅へ行きます。


第11走者:名阪近鉄バス(日野・リエッセII)工業高口18:12→大垣駅前18:20
バスはすぐに来てくれましたが、乗ったのがこれ。リエッセIIです。リエッセと名乗っているけど、これはトヨタ・コースターでしょう。マイクロバスじゃん。うーんなんだか意外だ。


大垣駅で夕ご飯にします。あんまり選択肢がなかったですが、さっき桑名駅であのドムドムハンバーガーを見たのが印象に残っていたので、ロッテリアでハンバーガーにしました。



大垣駅からはJR線に復帰。これは豊橋行の313系300番台新快速ですがこれには乗りません。



美濃太田支線の313系3000番台。これにも乗りません。いまだ支線には乗れていないので乗りたいところなんですけどね。



第12走者:JR東海道本線新快速米原行(313系)大垣19:04→米原19:39
米原行の列車に乗って、東海道線を下りJR東海在来線の最西端へ行きます。


おう、新快速にボックスシートの3000番台が入る時があるのか。いつもは最高速度時速85kmの飯田線ばっか走っているだろうから、たまには時速120kmの高速運転をしないと足が鈍ってしまうのかも知れませんな。


米原駅に着きました。もう日没です。


さて米原駅は新幹線も止まる鉄道交通の要衝でありますが、駅前が賑やかかと聞かれるとそうでもないよ、と答える駅です。
というわけではないですが、ここからさらに移動を進めます。


第13走者:近江鉄道本線貴生川行(820系)米原19:50→八日市20:36
では米原駅から近江鉄道に乗り換えてさらに西へ移動します。
なんと乗り鉄☆たびきっぷで近江鉄道にも乗ることができるのです。近江鉄道は東海地方の外にある鉄道ですけど、米原駅で接続しているというのが接点となってこの切符で乗ることのできる路線に適用されたんでしょうか。
並行する米原から先の東海道線はJR西日本管轄で乗車不可ですから、近江鉄道のおかげでこの切符でも滋賀県南部を移動することができるのです。


八日市駅に着きました。主要駅のひとつで、近江鉄道単独駅としては最大規模です。
今日の移動はここまでです。あとは歩いて宿まで行きます。


宿は少し離れています。だいたい5分ちょっとか。途中で商店街を抜けます。


ちゃんとしたアーケード街になっていますが、ほとんど店は閉まっています。まあ、もう21時だしな。


「ビジネス旅館はざま」に着きました。今日はここで一泊です。


お部屋。出張や合宿で使うような旅館という感じですな。大きい民宿という気も。しかも光明石の人工温泉があるので今日の疲れを取るにもいいです。
画一的なビジネスホテルを離れてこういうところに泊まるのもいいものですな。

というところで今日はここまで。

その7へ→


  
 
 

東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その5【2018/6/9~10】

2022-04-27 23:05:44 | 鉄道撮影記
三岐鉄道北勢線に乗って楚原駅で降りました。西桑名行の列車とすれ違いするところを見届けたら駅を出ます。


自動改札付きの有人駅で、特殊狭軌路線にはギャップ萌えといったところでしょう。


沿線撮影するために駅を出て歩きます。住宅街を進みますが、昔からある地区のようですね。


とある人家で見つけた防火用水(防火水槽)です。昭和アイテムの一つですが、さすがに見つけられる機会はあんまりないです。これはコンクリート製ですが面を石で装飾してあるのがおしゃれで、文字は彫刻されているのもいいですね。現存する防火用水は植木鉢化していることもあるようですが、これは一応まだ水溜の使命を保っているようです。


タバコ屋の看板。昼夜営業というのは、この自販機のことかな?


クリーニング店の看板。他にも何軒かの旧商店がありました。鉄道利用が今よりも盛んだった頃のこの通りを行き交い店を利用していた人々が思い浮かびます。


旧員弁町のマンホール蓋。この建造物はいなべ公園にある五重塔です。有名観光地なのかもしれない。


楚原駅から西桑名寄りに歩いていって、田んぼの横の築堤を走る線路沿いに陣取って列車を待ちます。
しばらくして来たのは、旧三重交通塗装の270系でした!これは狙っていた列車でした。行きの電車に乗っている時これとすれ違ったので、ぜひとも抑えておきたいところでした。


三重交通塗装の特徴といえば、旧三重交通時代に製造されたク202号を連結していることでしょう。準湘南顔といえるその古風な顔は被写体として魅力的なのです。この時は後追い撮影となりましたが、実はこの列車は楚原駅止まりなので、すぐに折り返してやってきます。これも狙いましょう。


と、いっても、ク202の前面は逆光になってしまっているので、結局側面に重きをおいた写真に仕上がりましたとさ。これはこれで編成内の凸凹ぶりが際立つのでいいと思いますが。


中間車のサ201号。・・・これはあれですね、中間車化改造されたやつですね。
車体の左端は運転台の跡というのがありありと伝わってきます。妻面も少し後退角を持った前頭部形状がそのまま残っているのが分かります。こういうのは好きですねぇ。
というかこの旧三重交通車の3台、連接台車なのか。知らなかった。


モ277号。旧型車との体格差が分かります。


三重交通列車を撮影したら楚原駅に戻ります。ここからは終点阿下喜駅を目指します。
ホームで待っていたら、西桑名行の270系が先に来ました。


引いた位置でも撮影。うねうね~。


上り坂を駆け上がってくる阿下喜行の270系。写真に写り込んでいる勾配標識はなんと33.3パーミル!相当急坂です。


第8走者:三岐鉄道北勢線阿下喜行(270系)楚原14:42→阿下喜14:56
終点阿下喜駅に着きました。


昔来たときと変わらない駅舎。


駅前は広いロータリーが広がっていて使いやすそう。


北勢線で使われていた旧型車両モニ226号も保存されています。こちらも変わらず美しい姿ですね。


その足で駅から少し歩いた畑沿いの線路で270系を撮影してきました。
撮影したら、これの折り返し列車に乗るべく早足で阿下喜駅へ戻りました。

というところで今日はここまで。

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その4【2018/6/9~10】

2022-04-08 22:40:00 | 鉄道撮影記
第5走者:四日市あすなろう鉄道八王子線あすなろう四日市行(260系)日永11:48→あすなろう四日市11:52
日永駅から四日市駅へ戻ります。


近鉄四日市駅へ戻ってきました。


駅前に停車しているバス撮影です。これは三岐鉄道バス(三岐バス)の日野ブルーリボンKV290。三岐鉄道ってバス事業やっていたんですね。


三重交通のいすゞエルガSE(#5762)です。
SEというのはSemi Express (準高速仕様)ということだそうな。つまりはトップドア車ということでしょうか。地味にエルガでは珍しい、前面風防が分割されていない1枚窓になっています。


近鉄四日市駅で昼ごはんとします。おにぎりの桃太郎でおにぎりと唐揚げをば。


貸自転車を回収してJR四日市駅へ戻ってきました。ひと気がないねぇ・・・。


第6走者:JR関西本線普通名古屋行(313系)四日市12:40→桑名12:55
四日市市を後にして隣の桑名市に移動します。


桑名駅で降りて、桑名市にあるもうひとつの狭軌路線、三岐鉄道北勢線に乗り換えます。
この北勢線は「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」で乗ることのできる路線です。ただし同じ三岐鉄道の三岐線は、この切符で乗ることができません。JR東海の路線と接続していないからです。乗り換えできない距離じゃないと思うんだけどね、たぶん”近鉄”富田駅が起点なのがだめだったかもしれない。


第7走者:三岐鉄道北勢線阿下喜行(270系)西桑名13:05→楚原13:51
北勢線と内部線・八王子線は同じ特殊狭軌路線ですが、路線の起源はそれぞれの会社が立ち上げています。その後近鉄がどちらも買収して近鉄の路線になりました。
北勢線も2000(平成12)年に近鉄が廃線を表明していて、その後三岐鉄道が沿線自治体の依頼を受ける形で事業を継承しています。


途中の東員駅で列車交換します。車外に出て西桑名行の270系を撮影。
この270系もあすなろう鉄道の260系も近鉄時代に製造された電車ですが、微妙に形状は違っているんですね~。


東員駅のホーム。


蘇原駅に着きました。ここで列車を降ります。
軌間は762mmですがレール自体は40kgレールか50kgレールを使っていると思われ、軌間の狭さが際立っています。


蘇原駅で列車交換があるので、停車しています。


サ136。妻面が丸っこくて他車と見比べた時に目立ちます。車体長も若干短いです。これは1950年代に三重交通が製造した付随車で、相当な古豪が今も現役なのです。


西桑名行の列車が入ってきたところで、今日はここまで。

その5へ→







東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その3【2018/6/9~10】

2022-04-03 22:59:21 | 鉄道撮影記
第3走者:四日市あすなろう鉄道八王子線西日野行(260系)あすなろう四日市10:43→西日野10:51
四日市止まりの列車が到着しました。これの折り返しの西日野行に乗ります。
車両は近鉄時代から使っている狭軌線専用の260系です。外観形状こそ近鉄時代と似ていますが、移管後車体に大規模工事を施工して大幅な近代化を果たしています。


車内銘板。
四日市あすなろう鉄道の車両と線路などは四日市市が所有していて、四日市あすなろう鉄道はそれを借りて運行している上下分離方式の運営です。ですので、車両所有者の示す銘板は四日市市の表記がされているんですね。


近鉄時代の260系はボロかったんですが、移管後は大工事してきれいで近代的になりました。上を走っている近鉄の通勤電車よりも新しく見えると思う。
乗降扉の位置も変えたらしく、それだったらもう新造したら良かったんじゃという気もしますが。工事施工は近鉄の車両工場で行われたみたいなので、大改造もお手の物かしらん。


妻面側は機器が艤装されています。冷房装置かと思われ。更新工事に際して一部存在した非冷房車も全部冷房化されたそうな。


ごろごろとした走りで終点の西日野駅に到着。時間にして10分足らず、短い。


終点にしては中途半端。というのも八王子線のここより先の区間は昔すでに廃止されていたのでした。廃止区間に旧伊勢八王子駅もあったそうで。一応伊勢国でしょうけど、四日市市内で伊勢を冠するのは違和感ありますね。
線路上に造られた駐輪場には自転車がほぼ満車で駐輪されているので、休日でも学生の利用はあるんですねえ。


小さいながら駅舎があります。


帰りの切符を買って折り返しの電車に乗ります。旧近鉄路線なのにICカード使えないんですね...。


第4走者:四日市あすなろう鉄道八王子線あすなろう四日市行(260系)西日野11:00→日永11:03
来たのを同じ電車で折り返します。


車体は小さいんだけど、踏切を渡る自動車を躱すために架線は高め。なのでパンタグラフも頑張って上がっているように見えますね。特殊狭軌路線で電化というのは実は向いていないのかもね。


八王子線と内部線が分岐する日永駅で下車します。
ここで列車交換もしています。内部行の列車が入ってきました。これは2両編成ですか。



内部行が到着すると四日市行が発車。線路の分岐点は駅の構内にあります。


内部行が過ぎていきました。260系の塗り分けは上下ツートンとその間の細帯という割りと古典的なものですが、色使いが現代的なのでそんなに古臭く見えないですね。車体はへこみや充填剤の跡も見えないし、近鉄の改造技術はすごいな。


日永駅は駅構内で路線が分岐しているので、内部線(手前)と八王子線(奥)のホームがそれぞれ独立してあります。八王子線の方は曲線上にホームがあります。大正~昭和初期頃に建設された私鉄線の分岐駅では時々見られた構造です。
曲がっている方(分岐する方)のホームは大概急曲線を描いていて、以降の時代に登場する大型車だと車体が鑑賞して乗り入れできないとか、急曲線上での乗降は車両とホームの間の隙間が大きくて安全上よくないとか、あとは分岐する方の路線が廃止になってしまうとか、いろいろな理由から減りはせども増えはしない構造です。残っているのは、あすなろう線のように路線規格が特殊だったから生き残ってしまったような例が大半ですかね。
古い私鉄線の独特かつ稀有な地上設備なので、たまりませんね。



ホームに反して駅舎は近代的です。


日永駅から四日市方面へ歩いて、鹿化川を渡る橋のたもとへ来ました。ここで数本列車の撮影でもしましょう。四日市~日永間なら、両路線の列車が通るので高効率です。


西日野行の260系。


内部から来た四日市行の260系。


堤防を越えるため勾配を登ってくるのでなかなか迫力あります。


引き付けてもう一度シャッターを切ります。


橋を渡る内部行260系。橋にはコンクリートの側壁があるので、どうしても車体は隠れますがな。というか近鉄系の路線は、単線でも架線柱が線路の両側に立っているのですっきりとした写真は狙いにくいんですな。


川を渡って、側面寄りの写真を撮影。四日市行の260系です。
ここで狙えそうな基本的な構図の写真は一通り撮影できたと思うので、あすなろう鉄道からはこれにて撤収しましょう。

というところで今日はここまで。


その4へ→


 
 
 

東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その2【2018/6/9~10】

2022-02-23 06:46:00 | 鉄道撮影記
末広橋梁を渡るDD51形のJR貨物の貨物列車を撮影後すぐに陣地転換、橋梁の先の専用線へ。
踏切を渡ろうとしたらすでに閉まってて、貨車を引っ張ってきたDD51形1156号機が通っていきました。


踏切の横の機回し線で列車が停車。
踏切を渡って道路側から。タキ1900形(タキ71997)の形式写真をば。


ここまでセメントを運んできたDD51は列車の到着後すぐに貨車から切り離されて機回し線を通って反対側まで戻ってきました。


さらにそのすぐ後に太平洋セメントのディーゼル機関車が貨車を受け取りに参上。DD511号機とでも呼ぶべきか。専用線の入換機としては大きめで、本線を走っていても遜色がなさそうです。


貨車と連結します。


連結完了。工場へ向けて出発します。
このJR貨物から太平洋セメントへの貨物の受け渡しはとても手早いもので、なんとも手慣れたものでした。のんびり移動していたらもう終わっていたでしょうね。


踏切を渡ります。


煤煙を出しながら工場へ走っていきました。


さよならさよなら~。


今思えば工場の発着場まで追いかけてもよかったかもしれませんけど、早く次に行きたかったので今日のところはこれで撤収します。また来ます。


関西本線の踏切を渡る時に伊勢鉄道イセIII形102号が通っていきました。ラッキー。
伊勢鉄道の列車をまともに撮影したのは初めてなのでした。


JR四日市駅を通り越して近鉄四日市駅へ向かいます。歩いていけないこともないけど自転車で走ると楽に移動できますね。
途中通った道にはこういう川というか用水路が。今どき柵のない用水路も珍しいですね。


近鉄四日市駅へ着きました。自転車は駐輪場に停めてきました。
駅前には三重交通のいすゞ・エルガミオ。


三重交通のバスといえば、車体に取り付けられた広告の枠ですね。とにかく車両1台あたりの広告枠が多いなという印象です。


さて、乗り鉄☆たびきっぷでは近鉄電車は乗れません。競合しているからだと思いますけど。同じような理由で名鉄も乗れないです。あとはなぜか大井川鉄道にも乗れません。
じゃあ何しに来たのという話ですが、今から四日市あすなろう鉄道に乗ります。・・・いや、この鉄道にも乗れないんですけどね。近くまで来たのでついでに寄っていくことにしました。


四日市あすなろう鉄道は、近鉄内部線・八王子線の運営を引き継いだ鉄道路線です。移管前に一度乗りに来たことがありますが、移管後は初めてです。
四日市駅の駅設備は近鉄時代をよく残していますね。


四日市あすなろう鉄道は、国内の残る3社の軌間762mm特殊狭軌路線のひとつです。いわゆる軽便鉄道規格で建設された鉄道です。
その昔は全国各地にこういう軽便鉄道がありましたが、ほとんどは1067mm狭軌に改軌されるか廃止に追い込まれるかしています。それがどっこい現代まで生き延びているので、生きた化石みたいな印象も持ちます。

今日はここまで。


その3へ→