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北米project 5 ~How do you like Canada? その21【2016/6/15~22】

2022-11-03 07:12:54 | 海外旅行記
HMCSハイダの続きです。今回で最後です。


ここは浴室です。士官用の部屋でしょうな。


これも揚弾機です。


廊下内の張り出し。砲塔かしらね?


士官用ギャレーです。
HMCSハイダが航行中でない時にこの厨房が使用されて、料理人が艦長や士官に食事を振る舞うのだそうな。


第2無線室です。
この部屋には3台の高周波送信機と2台の高周波受信機があって、モールス信号やテレタイプに使われました。通常時は第1無線室の制御下ですが緊急時は独立して運用できるんだそうな。


操舵手の執務室です。操舵手は下士官の中でも特別扱いされていて、個室の執務室を割り当てられていました。他には郵便物の仕分けと発送をこの部屋でやっていました。


艦長の居室です。
居室と同時に執務室でもあるので、艦長はここから艦内の業務管理をしていました。部屋には他にもダイニング、寝室、私用の洗面所があります。
HMCSハイダが現役だった頃、航海中にこの部屋で緊急手術が行われた実績もあります。


艦長専用のトイレと浴槽です。


甲板に出ます。そろそろ見学路も終わりです。
さっき上から見た魚雷発射管を今度は同じ高さから見ます。HMCSハイダは近代化改修で多くの兵装を交換されていますが、この魚雷発射管は唯一就役時から原型を留めている兵装です。魚雷には磁気、音響、接触で反応する3種類があるんですが、HMCSハイダに搭載されていたのは接触反応する魚雷でした。


意外と細かい部品で構成されています。プラモデルだと省略されている形状が多いのだなと分かります。


反対側からも観察。


魚雷を通り過ぎると艦内見学は終了です。陸へ上がります。
最後に陸からHMCSハイダを眺めてみましょう。


艦橋付近。


右舷船体。このシワの付いた船体が歴戦艦の雰囲気を出しています。それにしても結構きれいな外観を保っていますね。


最後に全体を見て締めます。


これでHMCSハイダの見学はおわりです。
HMCSハイダはカナダ海軍の軍艦、イギリス系軍艦、かつ第二次世界大戦期建造の駆逐艦の現存例として貴重な存在です。それ以上によく手入れされている艦だと思いました。いい余生を送っていますね。
トロントからのアクセスも悪くないので、近くまで来たときには行って見る価値アリです。

というところで今日はここまで。


その22へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その20【2016/6/15~22】

2022-09-25 11:11:00 | 海外旅行記
HMCSハイダの続きです。艦橋からの眺めはこんな感じです。


次は艦橋から後ろへ進みます。艦橋のある階層から後ろを眺めてみるとこう見えます。


ボフォース40mm単装機関砲です。第二次世界大戦期の連合国側艦載対空砲の定番装備です。弊ブログでも過去に数度登場しています。HMCSハイダ新造時は20mmエリコン機関銃を装備していましたが、近代化改修時にボフォースへ置き換えています。
ボフォースの砲身は-10度~70度まで向けることが出来ます。-10度というのがミソで、これによって朝鮮戦争に派兵された時は海面を漂う機雷を破壊するのに非常に役立ちました。
HMCSハイダにはこれが4門装備されています。


右舷側のボフォース。


弾の大きさはこんな感じ。弾丸よりも薬莢のほうがずっと大きいのね。


右舷側の細い空中廊下を進みます。上部構造物の間を行き交うには便利です。


第二煙突に掲げられている赤い楓の葉。言うまでもなくカナダを示すものです。


上から見下ろすことのできる四連装魚雷発射管です。HMCSハイダにはこれが1基装備されています。再装填装置は無し。
第二次世界大戦期の実物の魚雷発射管なんて初めて見たので、大変興味深いです。戦艦や空母にはありませんものね。


後部構造物へ来ました。ここには船の操舵輪があります。あれ、操舵ってここから行うんですか?
しかし説明書きを読んでみると、ここは緊急用の操舵輪なのでした。うん、艦橋が露天だからって操舵まで露天なことないよね。
メインの操舵室は今立っている構造物の下の階層に装甲された部屋にあります。やっぱり操舵は重要区画なので駆逐艦でも扱いが厳重です。



エンジンテレグラフです。左右に1つずつあって、2軸あるプロペラの制御をそれぞれできるようになっていたんだと思います。


いやしかし、ここも露天ですか。キャンバスを張れば雨は防げるかもしれないですけど、風や波を受けることはしょっちゅうでしょうから、これは過酷でしたでしょう。


側面と天井に窓の付いている四角い箱の中が主操舵室です。なんだか一見わからないような所にあります。ここからだと外の様子ましてや前方は見えないので、艦橋からの指示を受けて操舵します。


この部屋は武器の修理工房です。妙に現役感が漂っていて、今でもちょっとした修理はここでやっているんでしょう。


湖の方を見る。海みたいな広さですけど湖ですよ。タグボートが何艘か係留されていました。


3.5インチ砲の弾薬庫です。200発以上収納できるそうな。弾薬のキャニスターは連結されていて、転がりまわるのを防止しています。
弾薬庫として使うからには頑丈でないといけないので、ゆえに砲兵の待避所としても使われたそうな。


艦尾に1基据えられている主砲は、艦首側の物と違いMk.33 3.5インチ連装砲になっています。これも近代化改修時に装備されました。
朝鮮戦争派兵時に、沿岸を走行する北朝鮮側の補給物資を積んだ列車の機関車を攻撃する時にこれで射撃しました。
砲弾が命中して機関車を破壊すると「列車撃破部」(Train Busters Club)に加入できるという国連軍側で人知れずできた非公式の決まりがありました。動員された駆逐艦乗りはこのクラブに入るために競争していたようです。こういう勲章的なクラブは他にもたくさんの種類があったみたいです。退屈だったのかなぁ、しらんけど。
HMCSハイダが鉄道に攻撃を加えたのは1952年12月19日アメリカ海軍の駆逐艦とともに操車場を攻撃したときでした。その2週間後に列車に砲撃する機会に恵まれましたが、その時は列車が隧道に退避して失敗しました。列車の機関士も鴨撃ちのようにただ狙われているだけではたまらないので、隧道に隠れたり昼間は走らなかったりして砲撃を避けていました。
年が明けて1953年1月29日に列車への砲撃が成功して、晴れてHMCSハイダも同年5月26日に列車撃破部への加入が認められたのでした。その後も機関車1台とその積み荷を破壊、またその後に機関車には逃げられたものの貨車は破壊しています。


正面側。


艦尾にはスキッド対潜迫撃砲が2つ。潜水艦を攻撃する爆雷を投射するための装備です。イギリスで開発されたもので、英連邦の艦に搭載されました。
艦の後方に落とす形で運用されていた従来の対潜爆雷と違って、前方へ向かって投射できる点が特徴です。目標の動きを先読みして行く手に先回りして爆雷を落とす必要がなくなり、目標を見つけたら即座にそこへ向けて爆雷を投射することができるのです。
スキッドは艦のソナーと紐づけ・管制されていて、潜水艦が迫撃砲の射程内に入ると自動で発射されます。爆雷は一辺40mくらいの三角形の形になるように着水して、潜水艦のいる水深で起爆します。潜水艦至近距離での爆発による水圧で潜水艦を破壊するのです。


FEAR GOD HONOUR THE QUEEN.という一節。HMCSハイダの標語でしょうか。訳すなら「エリザベス女王を敬う神を畏れよ」でしょうかね。


これは、爆雷を迫撃砲まで運ぶレールですね。分かりやすいことに爆雷は奥の構造物の蓋から出てきているようです。


その構造物の中へ入ってみると、爆雷の弾薬庫ですね。ハンドルを回すと収納されている棚から爆雷が出てきて、コンベアで次々外へ送り出せるようになっています。中々システマチックです。

というところで今日はここまで。


その21へ→




北米project 5 ~How do you like Canada? その19【2016/6/15~22】

2022-09-19 21:57:08 | 海外旅行記
記念艦HMCSハイダの続きです。
また甲板上に出て艦首へ向けて進みます。
ちなみに観光地としてはガラガラな方で、見学に来た時は自分の他に数組のカナダ人がいるくらいなものでした。国の史跡に登録されているのでそう易易と取り潰されたりはしないでしょうけど、アメリカの空母や戦艦の記念艦と比べるとやっぱり寂しいところです。


艦首まできました。甲板の滑り止め模様はやけに大きくて、これならウォーターラインにしてもあまりオーバースケールとはならなさそうです。


艦首から後ろを振り返れば、主砲が背負式で2基配置されていて、その後ろに艦橋があります。いい眺めですな。


前方2つの主砲はMk XVI(16) 4インチ連装高角砲(QF 4-inch naval gun Mk XVI)です。
この主砲は近代化改修時に載せられたもので、建造当初は4.7インチ砲を装備していました。しかしこれは仰角が-10度~40度までで航空機には対応できませんでした。そこでこの4インチ連装高角砲に交換されたわけです。
主砲の前方には鋼鉄製の防盾がありますが後ろはキャンバスだけです。主砲の発射は電動式でしたが、弾の装填は人力でした。


蓋がされてますが、ここが装填口ですね。


横から。結構メカメカしいのよ。艦載の主砲の内側をまじまじと見たのはこれが初めてかもしれません。


ガンマウントとか。


再び船内へ。これは第2主砲の砲塔でしょうな。


これは主砲の揚弾機ですな。下層にある弾薬庫から上層の主砲へ弾薬を垂直移動させる機械です。・・・といっても詳しい説明が見当たらなかったので、原理や機構はよく分からないんですけども。


エンジンテレグラフに似ていますが、揚弾機のテレグラフですね。これで弾薬庫に指示を出すと思われ。



上級下士官の生活空間です。3段寝台ですがハンモックよりはマシです。


同じく上級下士官の居間です。
最上級の下士官は操舵士や一等航海士たちだそうな。下士官、士官、将官の待遇差というか格差はアメリカ艦をいくつか見てきた中で感じてきましたが、下士官の中でも上の方と下の方では格差があるんですね。これは初めて知る知見でした。これはイギリス式の格差なのかしらね。


彼らのための簡易的な台所です。これで冷たい食事も暖かくして食べることが出来ます。


機関室、ボイラー室の運転保守を担当する上級兵の住まいです。彼らも普通の下士官と区別されていたみたいです。何か手に職つけている人は違うんだねえ。


この暗ぼったい部屋は作戦室です。2つの机があって、片方は自艦とその他全ての艦船と潜水艦の動きを記載するためのもので、もう片方は自艦のいる海域の航空機を追跡するためのものです。どっちがどっちなのか分かりませんでしたけど。


艦長室です。自艦が洋上にいる時はここで生活します。艦橋や作戦室にも近いので便利です。反対側には舷窓もあります。ただし駆逐艦の艦長なのであんまり凝った作りではないんですね。それでも自艦が港にいるとき用の部屋が艦長には用意されています。


はしごを登ってまた外へ出ます。


外へ出たらそこは艦橋でした。・・・屋根がないんですか?まじで?さすがにキャンバスは張れると思いますけど、駆逐艦だと屋根ないんですね。
艦橋の役割は指揮、制御、連絡でございます。艦の行動は全部艦長か当直航海士、航法士官を通じて管理、許可、命令されていました。


いろいろな機械がありにけり。あのドーム状の真鍮の機械はなんだっけかな・・・。前にも見たことあったと思うけど。


これも分かりません・・・。


火器管制的な何かだと思います。


上を見ればマストの先端にレーダーです。これはAN/SPS-6C対空レーダーです。このレーダーは1948年にアメリカ海軍で開発された物で、アメリカの友好国にも輸出されました。近代化改修後のHMCSハイダにも搭載されました。


これは文字が彫られていたので辛うじてわかりましたが、魚雷の発射指示器のようです。魚雷発射管1番から4番までのスイッチがあります。大砲は艦内の火器管制室からの指示で砲撃しますが、魚雷は目視なのかしらん。


角度が分かる的なやつ?


これは信号旗を収納しておく箱ですね。
以上、分かっていそうで分からないことだらけだった艦橋でした。
というところで今日はここまで。


その20へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その18【2016/6/15~22】

2022-08-18 06:13:02 | 海外旅行記
カナダ海軍駆逐艦HMCSハイダの続きです。それじゃあ乗船します。敷地内にある事務所で入館料を支払って乗船します。


左舷甲板から乗船。


この格子のある構造物は、ボイラーへの空気取入口です。この位置にあるのね。上下には蓋もあるので必要に応じて開閉できるみたいですよ。


内火艇の留具ですね。で、あの白い矢印の先が順路です。


厨房、いわゆるギャレーです。


横には食料庫(General mess stores)があります。昔の船ですからね、缶詰ばっかりですよ。アイルマーという銘柄の缶詰ですが、これは実在かつ現存する物です。


艦首へと続く廊下です。まあ狭いですな。床がチェック模様のタイル貼りなのがおしゃれ。


ここは送信室(Transmitting station)です。通信室とは違い、外部との通信で使われることはありません。ここでは主砲の照準と発射に必要な情報を処理・送信する部屋です。
射撃指揮装置、Mk.34レーダーで取得した目標の距離、方位、移動速度、移動経路とHMCSハイダ自身の動きと合わせて、火器管制装置に入力するのです。
この情報は手動入力だったそうな。たぶんあの黒い箱だと思います。これはたぶんアナログコンピュータじゃないかな。
送信室のある場所は艦橋の真下なので、やっぱり重要区画なのでしょうな。


艦首は食堂(Canteen)になっていて、その一角には酒保があります。タバコ、酒、清涼飲料水、髭剃り、洗髪料、手紙と筆なんかを売っていたそうな。


ここが食堂です。


食堂と言ってもここぞという時は戦闘区画になります。あちらこちらに戦争の匂いが。


これは主砲の弾丸の荷揚げ装置(Ammunition ramp)です。弾丸は船の下層に収納してあるので、射撃する時は砲弾を主砲のあるところまで上げてこないといけません。
弾薬庫にある砲弾はホイストを使って食堂のある階層まで引き上げられます。そしたら人力でこの荷揚げの傾斜ランプへ収めます。最後にこのランプごと上に持ち上げて主砲へ砲弾を運ぶのです。
この4インチ砲弾の薬莢含めた重さは約30kg(68lbs)あります。持てなくはない重さですね。


天井はそれなりに低いです。食堂は艦首にあるので、舷窓のある壁は艦首形状に沿った複雑な形をしています。


艦内の中でも広い空間でありますので、食堂として使うだけでは勿体ないです。なので就寝時は天井にたくさん取り付けてある留具からハンモックを吊るして、水兵はここで寝ます。
他の写真を見ると天井の至る所に留具が付いているのがわかると思います。


下層への階段。降りれませんでしたが。


食堂を出ます。


倉庫・補給事務所(Stores office or Supply office)です。
HMCSハイダに搭載されている食料、水、清掃具、各種予備品の在庫管理をこの部屋でしていました。


在庫表っぽい書類の束が置かれています。


洗面台(Wash place)です。洗面台は10台もないですが、これだけで180人以上の水兵の手洗いうがい洗顔髭剃りなんかを賄っていました。1人に割り当てられる時間は数日に1回数分だったそうな。


通信室(Radio room)です。HMCSハイダにはそれぞれ役割の異なる4部屋の通信室がありにけり。この部屋の通信室は、通信内容の送受信と監視をしていた主となる通信室でした。
通信にはモールス信号が用いられました。HMCSハイダの通信士は、毎分平均25単語の速度で通信していたそうな。


おトイレですねえ。


廊下の天井の配管。やはり配管の種類についてちゃんと書かれているんですな。

というところで今日はここまで。


その19へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その17【2016/6/15~22】

2022-07-29 06:05:45 | 海外旅行記
2016年6月16日(木)14時6分
オンタリオ州マウントホープ カナディアン・ウォープレーン・ヘリテージ停留所
カナダ軍用機歴史博物館を後にして、博物館の前の道路にあるバス停からバスに乗って移動します。
オンタリオ州の旭川電気軌道(社名的な意味で)こと、ハミルトン・ストリート・レイルウェイ(HSR)の#20系統 Aライン急行の北行に乗ります。車両はNFI D40LF (#1001)です。
このバスでハミルトン市街地を抜けて北へ走り、オンタリオ湖湖岸に近いGUISE at JOHNバス停で下車します。この間50分くらい。


同日14時57分
オンタリオ州ハミルトン HMCSハイダ国定史跡
バス停を降りてすぐ、今日の2箇所目の目的地へ辿り着きました。「HMCSハイダ国定史跡」です。ここは、カナダ海軍の駆逐艦「HMCSハイダ」をまるごと保存してある博物館船です。


HMCSハイダが保存されているのは、オンタリオ湖の岸壁です。つまり湖なわけですな。保存に際して、2隻のタグボートによって大西洋からはるばる運河を遡ってここまで曳航されてきました。駆逐艦も悠々と通行できる広い運河があるのがカナダ/アメリカのスケールのデカさを感じるわけです。
ちなみにアメリカは、第二次世界大戦時にアメリカ海軍の練習用空母をミシガン湖に浮かべて、艦載機の発艦着艦訓練をしていました。内陸のミシガン湖ならドイツのUボートは存在しないので、安全に訓練ができるというわけです。あとは、外洋と比べて波風が立たないのも新米パイロットには丁度いいというのもあったみたいです。


艦首旗です。カナダ海軍の艦首旗は時代によって何度か変わっているんですが、この旗は1957~1965年に使われていたものです。これはHMCSハイダの晩年の頃のことです。


さて、HMCSハイダの簡単な経歴をご紹介。
HMCSハイダは、1943年8月30日に就役したカナダ海軍のトライバル級駆逐艦の1隻です。トライバル級は、イギリス海軍が1934~1939年にかけて16隻建造した駆逐艦です。同時期外国で出現していた大型重武装の駆逐艦(例えば日本海軍の特型駆逐艦など)に刺激されて設計されたため在来型よりも大型重武装となっています。
イギリス海軍向け16隻の建造は1939年で完了しましたが、その後カナダ海軍向け8隻、オーストラリア海軍向け3隻が続けて建造されました。HMCSハイダもそのうちの1隻です。
死闘を繰り広げる第二次世界大戦中に就役したHMCSハイダは、ノルマンディー上陸作戦や北方での護衛任務などに従事しつつも大戦を生き延びました。この間、HMCSハイダはドイツのZ級駆逐艦、Uボート、駆潜艇などを撃沈。カナダ海軍で史上最も戦果を上げた軍艦として今も記録されています。
第二次世界大戦後は予備役と再就役を繰り返しましたが、1950年に勃発した朝鮮戦争により1952年に本格的に前線へ復帰しました。朝鮮戦争では沿岸を走る鉄道施設や列車を砲撃していました。なおこの朝鮮戦争出兵の際には佐世保港を中継地点にしていたようです。
朝鮮戦争後はNATOの共同任務に就くことが多かったです。1960年になると老朽化が深刻になり、その後数年はドックで修理を受ける日々を過ごしました。
1963年4月にHMCSハイダは五大湖で訓練・巡航任務を務めた後、同年4月30日に退役しました。想像ですが、老朽化の進みが深刻でもう以前のような外洋航行はできない状態だったかもしれませんが、それでも名誉あるカナダ海軍駆逐艦として最後の花道を飾らせたかったのだと思います。

というところが、就役から退役までのざっとした流れです。


HMCSハイダの見どころは、なんといっても現存する唯一のトライバル級駆逐艦というところ。下手すりゃイギリス海軍系の駆逐艦でも唯一の現存例かもしれません。イギリス、あんなに海軍でブイブイいわせてたのに第二次世界大戦後は退役した軍艦をほぼ全てスクラップにしてしまったので・・・。あれはお金がなかったのかしらん。
あとは、第二次世界大戦を戦った駆逐艦というくくりで見ても結構貴重です。隣のアメリカにはフレッチャー級が数隻保存されていますが、それ以外では確か残っていないはずです。
まあHMCSハイダは朝鮮戦争前後にあちこち近代化改修されていますし、今の保存形態も晩年仕様ですから、第二次世界大戦時の仕様からは遠いですが、この細く引き締まった船体は就役時からのものですから、雰囲気は十分味わえると思います。


艦橋とかマストとか。


煙突。駆逐艦らしくて素晴らしい。



後部構造物。船体と構造物で色が違うのね~。
艦尾の方は柵で遮られていて行くことができませんでした。


地面に置かれている謎の対空機銃。ボフォース40mmでしょうかねえ?よく分かりません。


後ろ。なんだかでかい釘を重しにして固定しています。


機雷は嫌い、という渾身のギャグでおなじみの機雷。これもただ置いてあるだけなので詳細不明です。飛び出ている触覚に触ったら爆発するやつかなあ。
ちなみに機雷の右の緑の筒はゴミ箱です。カナダの街中や観光地にはこういうゴミ箱が割りとあるんですのよ。極東の島国、ゴミのポイ捨てをどうこう言うならゴミ箱でも置いて管理でもしたらどうですかねえ。民度は悪くないんだからゴミ箱置けばみんなそこに捨ててくれると思うヨ。


21インチMk.IX魚雷です。これだけ説明書きが立っていたので分かりました。
これはHMCSハイダが搭載していた魚雷と同種の訓練弾です。


機関部ですねえ。


空気室ですかねえ。


弾頭ですねえ。訓練弾では発射後にここに空気が入るようになっていて、次第に魚雷が海面に浮いてくるようになっていたのでした。後で魚雷を回収するためですね。魚雷はお高いので訓練では使い捨てできないんです。

というところで今日はここまで。次回から乗船します。


その18へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その16【2016/6/15~22】

2022-05-16 19:28:58 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回で最後です。
屋外展示を一通りみたところで格納庫内に戻りますが、その時目に入るのはアブロ・ランカスターです。うう、大きい・・・。
しかしあれだ、機体下面が黒いおかげで写真で撮ると黒で潰れてしまうがな。


この角度から撮るといい感じ。なにより機体からかっこよさがにじみ出てきているぞ。
四角い断面の胴体はランカスター特有のかっこよさですなあ。


爆弾倉とエンジンハッチが開いています。エンジンの方は、さっきぶん回していたのでそれを終えた後の確認をしているものだと思っていましたが、後で飛行前点検だったんじゃないかと気づきました。


ノーズアートも華やかに。爆弾の数は任務の回数を示していると思われ。大戦を生き延びただけあって任務をこなした数は多そうです。それか、機体の由来と全く関係ないマーキングかも。


イギリスの至宝、マーリンエンジンです。前も書きましたが、ランカスターはマーリンを4発使うわけで、このランカスターのマーリン4発を使えばスピットファイアが4機も動態復活できるのです。
厳密なこと言うと、同じマーリンでも爆撃機用と戦闘機用だとチューンの仕方が違っているそうなので、そう簡単な話でもないみたいですが。とにかく、エンジンを4発も必要とする大型爆撃機はひどく贅沢な飛行機だということです。


あちこち点検している博物館のボランティアたち。人間がいると爆撃機の大きさも際立つものです。車輪は子供の背丈よりも高そうです。



館内に戻りました。ここまで見物ばかりしていたので、休憩しながらお昼ごはんを食べます。なんと館内に食堂があるので、そこでお昼を食べられました。博物館の周りには何も無いところなので、これはありがたいです。食料的にもここは1日中楽しめる博物館です。
食べたのはフレンチフライとサンドイッチとジンジャエールという栄養が偏りそうなコンボ。美味しかったけど安い食事を頼むとこうなりがち。


博物館の2階に上がって、上から収蔵機体を見てみようというものです。こうやって見るとプラモデルのジオラマみたいで楽しいです。
CF-104の前には遠足できた子どもがボランティアの説明を受けているんだと思います。ここに遠足に来たら楽しいだろうなあ、いいなあ。


で、そういえばランカスターがいないなとおもったら倉庫の奥へ移動していました。いつのまに?どうやって?どうして?
答えはエンジンを回して自力で空港の誘導路まで移動したでした。ランカスターはこの後誘導路をさらに進んで左側の方へ見えなくなって消えていきました。
じゃあその後にすることといえば、滑走路から離陸する以外にないんじゃ・・・。ん、まじすか?あのランカスター飛ぶ気ですか?


見えなくなって少し経った後、急に左側から右奥へ進むランカスターが出てきました。エンジン音は聞こえてきませんでしたね。
で、浮いてます、あいつ。


うわぁー、本当に飛んでいる...。す、すごい。第二次世界大戦の4発爆撃機が飛んでいるところを初めて目撃した。あんな遠くからでも迫力が伝わってきます。


離陸した後、旋回して博物館の真上を通過していきました。すごい!これには思わずランカスターへ手を振りました。遠足の子どもたちも喜んでいます。まさか彼らのために飛ばしたわけじゃないでしょうが。


まさかこんな日にこの博物館を尋ねることができるとは思いも寄りませんでした。最高じゃないですか!
ランカスターはそのまま行ってしまいました。どこへ向かったんだろう・・・。


ランカスターの感動の余韻がまだビンビンに残っていますが、行ってしまったので地上に目を向けて収蔵機を見てみましょう。これはCF-5Aフリーダムファイター。


CF-104スターファイター。


ハーバードMk.IV。よく見たらこれはまだ見たこと無い個体でした。ハーバードの説明は省くとして、この個体は1952年にカナディアン・カー&ファウンドリーで製造された機体です。
T-6テキサン(ハーバード)は第二次世界大戦期に製造されたものがほとんどですが、カナダでは戦後も生産された時期がありました。
1950年代にソ連の台頭で冷戦が始まると、カナダ空軍はソ連の爆撃機の来襲を迎え撃つためのパイロットを育てる練習機を必要としたのです。そのためアメリカから中古のT-6Jを100機買ってきた他にカナディアン・カー&ファウンドリーに270機のハーバードMk.IVを発注したのです。この大量のハーバードが完全に引退したのは、1966年のことでした。


コーネルMk.IIです。これもさっき見たのとは別の個体ですな。この個体はフリート社がライセンス生産した機体で、ちょうどフリート製コーネルの1,000機目にあたる個体です。


DC-3です。またなんか動かしていました。


ミッチェルMk.IIIです。


C-47。


といったところで、カナダ軍用機歴史博物館からは撤収します。
長い歴史と高い経験に裏付けされた密度の高い実機展示が魅力的な博物館でした。多くの機体が飛行可能な動態保存状態であるのも特筆すべき点です。動態保存が静態保存よりも格上であるわけではないですけど、動く機械として維持されているのを見るとやはりわくわくするものなのです。
このように大規模だと定期的なエアショーをやっているはずで、またその機会を見つけて行ってみたいと思う博物館でした。また来ます。


博物館を後にしてバス停へ歩いていると、ランカスターが着陸していくところを目にしました。割りと短時間の飛行だったようです。試運転だったのかな?

というところで今日はここまで。


その17へ→

北米project 5 ~How do you like Canada? その15【2016/6/15~22】

2022-05-12 06:32:56 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。引き続き屋外展示を見ます。
これはカナディアCF-104スターファイター(1954年初飛行)です。悪夢のセンチュリーシリーズのうち、よく分からん戦闘機2種のうちのひとつ、ロッキードF-104をカナディアがライセンス生産したものです。カナダ空軍は200機の単座型と38機の複座型を採用しました。
カナダ空軍の運用したCF-104は、G型に相当する機種です。F-104Gにということです。つまり、CF-104は欧州に展開するカナダ空軍による核攻撃機として運用されとったわけです。
F-104は戦闘爆撃機には不向きな飛行機なものですから、西ドイツ軍同様多数の事故機を生み出してしまうのです。就役中に喪失したCF-104は110機にのぼり、実に半数近くが事故で失われたことになります。パイロットも37名殉職しており、ロッキードの開発者もこれでは天国に行けないでしょう。ただ、CF-104の前任のF-86よりも事故の発生件数と殉職者数は少ないからそれよりはマシだよ、という話も有りにけり。


CF-104は、本土の訓練部隊を除いて欧州に配備されていました。この個体もそうで、西ドイツに展開していた第439飛行隊セイバートゥースに配備されていた機体です。
虎柄の派手な機体は、NATO加盟国の合同演習「タイガーミート」に参加した時の塗装です。タイガーミートに因んで各国が工夫をこらした虎柄の特別塗装機で参加することが多々あります。これもその時の特別塗装というわけです。


全身を虎柄に塗る機体は珍しいです。大抵は垂直尾翼だけを虎柄にします。
全身虎柄はよく目立つので、プラモデルや完成品模型でもよく題材にされてます。この虎柄CF-104も過去にハセガワがプラモデルで発売していました(今は絶版)。


F-104の翼端にはチップタンクという増槽をつけた状態がデフォですが、この個体はチップタンクを外した状態です。せっかくなので少し見ておきましょう。
なんといってもこの薄い主翼です。こんなんで離陸できるんかいと思うんですけども、実はフラップはもちろん主翼前縁も折り曲がるようになっていて、見かけ上はそれなりに主翼に厚みを持たせることができるらしいです。


うしろ。


マクドネルCF-101Bブードゥー(1954年初飛行)です。
これもセンチュリーシリーズのひとつで、よく分からん戦闘機のうちのもう1種です。カナダ空軍、よりによって開発目的がよく分からん戦闘機を2機種すべて採用している稀有な空軍です。どうして・・・。
開発中止となってしまった国産迎撃機アブロカナダCF-105アローの穴埋めにアメリカから購入した戦闘機です。この頃だと新型の火器管制装置を積んだF-102がアメリカで就役しているはずなんですが、それを入れなかったのはF102に禁輸措置でも発動したのか、カナダのド田舎だと地上のレーダー網装置が無いので接続することが出来なかったのか・・・。


センチュリーシリーズの中では唯一の双発機です。
エンジン排気口の上から後ろに長く伸びた尾翼部なんてのは、後のF-4ファントムでも見られる形状です。マクドネルに戦闘機を作らせるとこうなるんだよという文法めいたものを感じます。
なお、迎え角を取るとそのまま機種上げが止まらなくなり、最悪エンジン停止という大欠陥を持っていました。水平安定板が悪かったのか、F-4では位置が変わっていますね。ちなみにその操作上の癖の解決方法は機首上げしないで真っ直ぐ飛ぶという、曲がりなりにも戦闘機に取らせる対策ではありませんでした。


細かいところの観察。脚庫でござい。


主翼はそんなに広くない印象です。
この時代のカナダ空軍機は、胴体の稲妻上のストライプがかっこいいんですよね。


機首は太め。ここらへんもなんとなくF-4っぽさを感じるところです。


CF-101Bの兵装は胴体の爆弾倉に搭載するんですが、蓋に半埋込式のような具合で搭載するようになっています。ミサイル2発を撃ち尽くすと、蓋が半回転して、裏側に仕込んであったもう2発のミサイルがコンニチワするという。他には見られない方式。省スペース化にはつながると思いますが、他にあまり利点がなかったんでしょうかね、以後には繋がりませんでした。
なおこれに写っている兵装はAIR-2ジニー核ロケット弾ですね。ひえー。誘導弾ではないのでロケット弾です。目標に対して多少狙いを外しても核爆発起こすんだからイチコロじゃよ、という雑な論理です。


反対側にはAIM-4ファルコンミサイルがいました。


ミサイル取付部はこういうようになっているよ。


操縦席はこんな感じだよ。


カナディアT-33ANシルバースター(1948年初飛行)です。御存知ジェット練習機の常連ロッキードT-33のライセンス生産版です。ということで機体説明は割愛。
カナディアで生産したT-33ANは、ジェットエンジンをアリソンJ-33に代えてロールスロイスのニーン10を搭載しました。これはJ-33よりも強力な出力を出すものでした。また、本家ロッキードではシューティングスターという名前で親しまれますが、カナダではシルバースターと呼んでいました。
この個体は、曲技飛行部隊「スノーバード」の支援機として運用されていた機体でした。白無垢の塗装が特徴であり、2022年現在はその仕様に復元されているようです。


ノールダイン・ノースマンMk.V(1935年初飛行)です。
カナダで開発された未開地用航空機「ブッシュプレーン」のひとつです。滑走路などが整備されていないカナダ北部の未開地でも運用できるよう頑丈な機体構造とされ、降着装置も車輪、水上用フロート、スキー板のどれかを選択可能で交換も容易な設計でした。
第二次世界大戦が始まってカナダ空軍やアメリカ陸軍から大量の発注が入ったことによって、最終的な生産数は900機程度になりました。中小メーカーのブッシュプレーンとしては成功した機数と言えるんじゃないでしょうか。
この個体は、1950年にカナディアン・カー&ファウンドリー社で製造されたもので、ブリティッシュコロンビア州の林業会社で働いていました。その後東部の会社に何社か転職して2015年に当館に寄贈されて現在に至ります。まだ寄贈されて日が経っていないです。これも当然のように飛行可能です。


博物館の敷地外というか空港の敷地内には、UPS航空のエアバスA300-600F (N154UP)が止まっていました。
前にも書きましたがこの博物館はハミルトン空港に隣接する形で立地しているので、博物館のすぐ隣は空港なのです。ハミルトン空港はトロント近郊にあり、トロント・ピアソン空港のセカンダリー空港としての役割があります。特にトロントにおける貨物機の一大拠点となっている模様。
UPSは、国際貨物会社ですね。FedExやDHLみたいなものです。UPSの機材もA300も、ここで目撃したのが初めてでしたので、実は収穫がある一幕なのでした。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その14【2016/6/15~22】

2022-04-24 23:23:32 | 海外旅行記
2016年6月16日(木)12時12分
オンタリオ州マウントホープ カナダ軍用機歴史博物館 
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。格納庫内の収蔵機は回り終えたので、次は外に展示されている収蔵機を見ようと思います。



これはさっきドナドナされていたDC-3(C-47)。第二次世界大戦時に製造されてカナダ空軍で使われたのち民間放出されて民間航空会社を何社か渡り歩いた後1981年に当館に寄贈されました。飛行時間は82,000時間以上で、現存するDC-3の中では最も長い飛行時間記録を持っているんだそうな。

アブロ・アンソンMk.V(1935年初飛行)です。輸送から偵察から練習から色々な用途に使われた多目的な双発機です。あだ名はアニー。イギリスで開発された機体ですがカナダでも生産されました。その数約11,000機で、実はチーム1万機軍団の一員です。そのうちカナダ製は約3,000機。
Mk.Vは航法訓練用の練習機です。カナダ製ですね。Mk.Vの胴体は、戦時中の鋼材不足を補うために合板で出来た木製飛行機です。戦時中に生産された他のアンソンも木造で、これらはビダール・アンソンを呼ばれてました。それでも1,000機以上生産されました。
潰しの効く機体だったので第二次世界大戦後もカナダ空軍で運用されて1954年に退役しました。


この個体は1944年製で、写真撮影用に使われいたんだそうな。1940年代後半に退役して民間に払い下げられ、1956年鉱山会社が買い取って1980年代まで鉱物調査に使いました。
現在の展示では、第二次世界大戦中の航法訓練機仕様に仕上げられています。
黄色が薄い気がしますけどこんなものなのかしら。


デ・ハビランド・カナダDHC-5Aバッファロー(1964年初飛行)。軍用の軽輸送機で、短距離離陸性能に優れた前線で使いやすい輸送機です。前作DHC-4カリブーの発展型で、エンジンをレシプロからターボプロップに強化したものと捉えれば概ね大丈夫と思います。
1963年、アメリカ陸軍の要求から開発された機体です。アメリカ陸軍は元々DHC-4をAC-1として運用していて、それの性能向上型(積載量5.4t)としてまず4機の試作機が製作されました。しかし、DHC-4時代には有用だったSTOL輸送機も、より大型な機体が同等のSTOL性能を有してきたのと輸送ヘリコプターの大型化で中途半端に見えるようになりました。
あとは、DHC-4とDHC-5は陸軍の所有する機体ですが、1966年に固定翼機は全部空軍の管轄という線引が設けられたことでこの2機種も空軍機に移管されます。それにより余計に扱いにくい機体になってしまったのではないでしょうか。アメリカ軍内のこうして方針転換の影響でDHC-5の本採用は消えてしまいました。
ところが捨てる神あれば拾う神ありで、1964年カナダ空軍がDHC-5を15機発注しました。デ・ハビランド・カナダ社の救済目的が多少はあったんじゃないかと思います。カナダ空軍ではCC-115と命名しました。あだ名はバフ。
はじめは空挺部隊や物資投下の訓練、多目的輸送などに使われて、後に黄色い塗装がよく目立つ救難救助任務を主体とする部隊へ配属されて現在に至ります。STOL性能を活かして田舎の飛行場でも運用できるので救難救助には適しているみたいです。しかし運用開始から50年以上経過しいい加減老朽化してきたみたいで、2022年1月にコモックスにいる最後の機体が最終飛行を終えて退役しました。後継機はCC-295キングフィッシャーです。295でピンときた人はすごいですが、ベース機はEADS CASA C-295です。



CC-115のもうひとつの役割が国連の平和維持活動です。白無垢に国連のマーキングをした機体が中東に派遣されて、カイロ、ベイルート、ダマスカスの間を飛行していました。1974年にはシリアを飛行中に撃墜されて乗員全員が戦死する痛ましい事件もありました。


この個体は1978年製で、スーダン空軍に納品された機体です。DHC-5はカナダ空軍が採用後に中小国を中心に受注を伸ばし、最終的に126機を製造しました。アメリカ軍の需要には合いませんでしたが、他の国の潜在需要を掘り起こして成功を収めたのです。
2003年に民間会社を通じて収蔵し、CC-115の国連仕様に復元しました。機体番号#115461は、シリアで撃墜された機体と同じで、その時の乗員はもちろん当時の平和維持活動に従事した全てのカナダ軍人に捧げられたものです。


DHC-4とDHC-5はその開発経緯からよく似ていますが、見分けるポイントは意外と簡単。尾翼がT字翼になっている方がDHC-5です。DHC-4は普通の尾翼。


これは機内に入ることが出来ました。電車よりも狭いかな。


操縦室にはバッファローくんががが。


操縦席はこんな感じ。


ロッキードC-130以降に開発された輸送機ですので、胴体後部が開いてカーゴランプになる、輸送機の正解の設計です。


PBYカタリナの胴体ですね。詳細不明。レストア待ちなのかも。



カナディアCF-5Aフリーダムファイター(1968年初飛行)。御存知はやいうまいやすいでおなじみノースロップF-5です。黒鉄重工推し戦闘機のひとつ。カナダ空軍での正式名はCF-116ですが、これは誰も使っていない説・・・。
西側中小国にばら撒くための戦闘機ですが、カナダ空軍でもF-86の後継機として単座型89機複座型46機を採用しました。その時にカナディアがライセンス生産をして、エンジンはオレンダがGEのJ85をライセンス生産しました。
ノースロップ製のオリジナルと比較して設計変更を加えられた箇所がありにけり。例えば前脚は高さを2段階に調整できて、高い位置では迎え角を取ることで離陸滑走距離を短くする効果があります。他にも空中給油プローブや空気取入口の追加などがあります。
このカナディア製のCF-5は自国向けだけでなくオランダへの輸出もされ、合計240機が製造されました。


戦闘機ですからもちろん戦闘機として自国内以外にも欧州へも展開していたんだそうな。あとは、軽快な機動力を生かした戦闘訓練での敵役にも使っていたそうな。
この個体の塗装もアグレッサー機のそれです。だいぶ色あせちゃってるみたいですが、CF-18と同じ色の塗料を使っているような気もします。


エリアルールのお手本みたいな機体形状を見よ。


この個体は1970年製で、コールドレイク基地第434飛行隊に配属されました。1989年に退役して、トレントン基地のカナダ空軍記念館に展示されました。その後1996年に当館に収蔵されました。
ちなみに、退役したCF-5の一部はボツワナ共和国やベネズエラに売却されてそこの戦闘機として第二の人生を送っています。両国ともまだ使っているよという噂もありますが果たして・・・。


正面から。


車高調できる前脚ですが、このときの展示では高さの低い方の位置だったと思います。



というところで今日はここまで。

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北米project 5 ~How do you like Canada? その13【2016/6/15~22】

2022-04-20 08:22:00 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回は飛行機の復元作業をしている区画です。
今まで見てきた機体からも分かる通り、この博物館の保存機は飛行可能な動態保存機が多いです。動態化の維持や収蔵機の整備復元なんかを自前でやっています。いや、全部内製化しているかは知りませんが。


ちょっとした整備工場のような感じで本格的です。


これは今まさに復元中のフェアチャイルド・ボーリングブロークMk.IVT(1939年初飛行)です。同社のブレニム軽爆撃機をカナダのフェアチャイルドでライセンス生産した機体です。カナダ沿岸の対潜哨戒機とか爆撃機の練習機とかに使われていたんだそうな。
これは1980年代にマニトバ州で回収された8機のボーリングブロークの残骸から1機に復元しているみたいです。ニコイチじゃなくてハッコイチ。


動態の構体の復元はあらかた終わったように見えます。ただ主翼はまだまだのようです。今これを書いている2022年時点でもまだ復元は完了していないようですから、相当長い道のりで作業をしているのでしょう。


エンジンの部品が転がっています。


主翼とエンジンマウントです。


機首ですね。なんで機首の風防、変ににえぐれてるんだ。まあ操縦士の視界のためでしょうけど。変な形だなあ。


こっちにも作業場。作業やってますね。復元作業もボランティアで回しているんでしょうかね。今日は水曜日ですけども。


グラマン・アベンジャーAS3(1941年初飛行)です。ご存知アメリカ海軍の艦上攻撃機ですね。
第二次世界大戦後にアメリカで余剰になったアベンジャーを1950年にカナダ海軍が購入して、大型の機体構造を活用して対潜哨戒機に改造して運用しました。ただ後継機のCS2Fトラッカーがすぐに就役してきたので、1950年代のうちに退役したそうな。
この個体はカナダ海軍が使っていたアベンジャーではありません。これは1945年にイースタン航空機(GMの航空機製造部局で、自動車譲りのありえん生産能力を持つ)で製造されたアメリカ海軍向けTBM-3Eです。退役後は民間放出されてカリフォルニア州で農薬散布機に改造されたそうな。
2000年にフランスの保存団体が取得したんですが大西洋を渡る輸送手段が手配できなかったとかで、2009年に当館の所蔵に収まったみたい。


散布機として近年まで使われていたこともあって状態は良いみたい。復元の進み具合からも分かります。それで、2022年時点では復元が完了してカナダ海軍の塗装で展示しているという話です。今後は動態化への作業が待っているそうな。


グラマンCS2F-1トラッカー(1952年初飛行)。アメリカ海軍の対潜哨戒機ですね。カナダ海軍がアベンジャーの後継機として導入しました。機体はデ・ハビランド・カナダ、エンジンはカナダ・プラット&ホイットニーでライセンス生産されました。
CS2Fはカナダ海軍の空母HCMSボナベンチャーの搭載機として運用されていました。1970年にHMCSボナベンチャーが退役すると、陸上基地に拠点を移して1990年に退役しましたとさ。
この個体はカナダ海軍向けの機体を1997年に譲り受けたものです。動態とエンジンと主翼の根元あたりまでは完成しているような雰囲気でした。2022年時点では静態復元が完了しているみたいで、今後は動態化するんだそうな。


さっきも見たミッチェルMk.III。


機首の機銃のフタを開けるとこうなってるんだよ、っていう。


航空博物館おなじみの、飛行器模型コーナー。絶対あるんだよね。ちなみに、この博物館の模型クラブの作品です。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その12【2016/6/15~22】

2022-03-23 23:40:23 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。
これは、フェアリー・ファイアフライMk.VI(1941年初飛行)です。イギリスの艦上戦闘機なんだよ、ということくらいしか知らないのですが、初めて見ることなのと現存機の少ない機種なこともあって楽しみにしていました。だがしかし、整備中のためバラされていたのでした、残念!
カナダには他に数箇所にしかいないし、あとは本家イギリスか同じイギリス系のオーストラリアの博物館に行かないと見れないんだ、よよよ。


艦上戦闘機、ということでもちろん空母で運用することを想定して設計されています。一応ね。なので主翼は折り畳んで省スペース化が図られています。ファイアフライの場合やたら図体のでかい機体なのでこれは効果があったでしょう。その代わり構造を強化せにゃならずすなわち重量が増えるというデメリットあり。
んで、この通り主翼の折り畳まるところで分解されていたのでした。おかげで組立時では見れない部分が見られるのはラッキーと捉えておく方が健康上良いでしょう。しかしこれ、戦闘機の主翼の厚みには見えんのだが。


機首です。エンジンはロールスロイス・グリフォン74型を搭載しています。ちなみにこれ、ファイアフライとしては唯一の動態保存機です。なのでこのグリフォンもちゃんと動くんですねえ。
やっぱり戦闘機としてはでかい機体で、そうと知らずに見たら爆撃機か攻撃機じゃないかと見間違えると思います。なぜか複座機だし・・・。ファイアフライの前身であるフルマーも重くて鈍い複座機だし、イギリス海軍は何かひどい勘違いをしていたんじゃないでしょうかし。


プロペラですねえ。


このファイアフライは後期生産型のMk.VIという型式です。Mk.IからMk.IIIまでは機首に顎が付いていて、そこにラジエーターの空気取入口があったんですが、Mk.IV以降は空気取入口を主翼前縁に移設しています。顎が無くなったのでその分空気抵抗が減ったわけです。移設した空気取入口というのが、主翼前縁の根本にある四角い穴ですね。



なおエンジンの空気取入口は、機首前方、プロペラ軸の直下にあります。機体形状と一体的に成形されてて、これは空気抵抗の増大を極限にしたとても良くできた形状になっています。ただこれ、ノースアメリカンP-51の形状をパクったんじゃないかという気もしますが・・・。


主翼が折り畳む部分の断面。こんな感じなのよ。


反対側の主翼。


ファイアフライの謎の部分、後部座席です。艦上戦闘機なのになんで2人も乗せる必要があるのよ。目標物が何もない海上で飛行したらパイロットが迷子になっちゃうという理由で航法士を乗せるために付けたみたいです。でも、日本もアメリカも単座機で問題なく運用しているしなあ。イギリス海軍の航空隊ってよっぽどヘボだったんじゃ?
この後部座席には銃座など付いておらず、戦闘中なんかはマジで重しでしかなかったんだと思います。この形状だと後方視界も効かないし。

結局これを艦上戦闘機に使うのは無理があろうと思いますとイギリス海軍も気づいたのか、偵察やUボートの哨戒や爆撃なんかに使い道を見出していたみたいです。そらそうだろうな。
カナダ海軍は第二次世界大戦後の1946年にファイアフライMk.Vを空母の艦載機として装備しました。初めから対潜水艦用の機体AS Mk.5としての採用でした。64機導入しましたが1950年代末までにグラマン・アベンジャーに置き換えられたそうな。
なおこの個体はオーストラリアで運用されていたMk.VIで、カナダ海軍の塗装に塗られていますがそことは何も縁のない機体です。


セスナ・クレインMk.I(1939年初飛行)です。カナダ空軍が採用した双発高等練習機です。
元々はセスナT-50という民間機として開発された機体でした。第二次世界大戦が始まると、アメリカ軍がAT-17ボブキャットの名前で双発機以上の操縦士訓練用の練習機として採用されました。あとはUC-78/JRCの型番で小型輸送機としても使っていました。それをカナダ空軍でも1940年にクレインという名前で採用したということです。全体で5,000機以上が生産されて、セスナ社の躍進に一役買いました。
ちなみにボブキャットというのは北米では一般的な野生動物である山猫のこと。日本語だとねこ太郎みたいな語感ですが。なおグラマンにはボブキャットという名前の飛行機はいませんよ。
クレインというのはよく分かりませぬ(適当)


かわいらしい双発機です。カナダ空軍の双発練習機はすでにアブロ・アンソンを運用していましたが、クレインはこれを更新する機体です。どうやら木造の機体らしいです。
この個体は、1941年8月にカナダ空軍に納品されて、第4飛行隊と第11飛行隊で運用されました。1945年11月に民間に払い下げられて、いくつかの所有者を渡り歩いた後1976年に博物館へやってきました。その後10年掛けて飛行可能状態に復元されましたが、今は地上展示のみだそうです。


南昌CJ-6A(1958年初飛行)です。
中国がソ連のYak-18を原型にして開発した人民解放空軍の初等練習機です。原型機とは似ても似つかぬ姿に再設計されています。
ベストセラー機で、生産数は2,000機とも1万機とも。開きがすごい。2007年の話では、農薬散布用のG型が未だ生産されているとかで。
人民解放軍からは退役していると思いますが、退役機が国外へ払い下げられてアメリカやカナダでは個人所有となっている機体が数百機単位で存在するんだそうです。


これは中国空軍で使われていた機体の中でも、曲技飛行部隊で運用されていた機体です。ふざけた塗装をしていると思いましたが、これはその曲技飛行部隊の塗装なのだそうな。


飛行ゴーグルを付けたパンダ。中国ってこの頃からパンダ推しなのよね。


エンジンにはシャッター付き。寒冷地向けの装備です。エンジンとプロペラは新品に換装してあるんで、はやーいんだそうな。


主翼に上反角が付いているのが特徴。


ここにもフリート・フォートがいました。さっき見たものとは別の機体です。
この個体は、飛行機の復元作業の教材として使われています。機体の右舷側は復元前の状態で、左舷側は復元後の美しい状態という、あしゅら男爵みたいな姿です。
収蔵当初の塗装が色あせて剥げ落ち、部品も欠損した状態から、優れた博物館の整備士たちが長い年月を費やして法令上問題ないレベルまで飛行できる状態に復元していくのです。


復元後の状態。美しいですね~。
飛行機の復元作業も斯くの如く大変な道のりなのだ。


ビーチクラフトCT-134マスケティア(1963年初飛行)です。いや、これは知らない飛行機ですね。
1960年代初頭のカナダ空軍の練習機課程は、初等練習機にDHC-1チップマンク、高等練習機にCT-114チューターを使っていました。CT-114は操縦性が良かったので「これもう初等練習機要らないんちゃう?」と考えて実際にDHC-1を後継機不在のまま退役させました。しかし、その後訓練生の6割から9割が落伍してしまう大惨事になり、これは大失敗。1967年に退役したDHC-1を呼び戻して復活させて、次の初等練習機を採用するまでの繋ぎにしました。
そしてDHC-1の真の後継機となったのがこのCT-134なのでした。ビーチクラフト・マスケティアという民間の小型機を採用しました。軍用に改修されているみたいですが、ようわからん。


CT-134は機体の疲労が蓄積していたので民間に払い下げはされず、博物館への寄贈がされるのみでした。これもそのひとつ。
この個体は10年間カナダ空軍の練習部隊に配置されていました。退役後は解体されて保管されていて、その後2012年に博物館が手に入れたそうな。

というところで今日はここまで。


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