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落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その6

2025-04-06 12:50:38 | 旅行記・九州

3月5日 水曜日 その2

午後は筑紫君磐井の「石人」祭りだ。

Ⅱ.岩戸山古墳

それぞれ書いてある内容が違うらしいが「日本書紀」「筑後国風土記」「古事記」「国造本紀」に記述がある、西暦527年の「磐井の乱」で百済に援軍を送る大和朝廷対して、新羅の味方をして反乱を起こして鎮圧された筑紫君磐井。その人が生前に作った墓が「岩戸山古墳」で、墓の主が分かっているのは珍しいそうだ。

1.岩戸山古墳外観

まずは木が茂って全体像が良く分からない(ありがち)古墳へ。現地ガイドさんの説明も付く。

 

①別区(べっく)

後円部北にある約43m平方の広場。勝手にVIVANTの「別班」を連想する。

祭場跡だったらしく、元々は盗人が裁かれる様子の石人や石馬とかが置かれていたらしいが、磐井独自の埴輪じゃない石人達は大和朝廷に壊されたらしい。

レプリカは並んでいるけど、ただ並んでるだけ。

 

②後円部

一応、二段になっている。

 

③吉田大神宮

古墳あるあるで、南側に神社隣接。

何を祀っているか良く分からない古い神社は、伊勢社という天照大神を祀っている神社になるそうだ。

石垣は、葺石みたいになっている。1854年頃に作られたらしい。

江戸時代に作られた四国88か所を模したと思われる石仏。神仏習合の時代。江戸時代には賑やかな神社だったんだろうなあ。

 

2.岩戸山4号古墳(下茶屋古墳)

岩戸山古墳のすぐそばの住宅地にある古墳。中に入れるんだが、ツアー客を3等分にして入ったとはいえ、狭い。そして暗い。

石の大きさは、良く分かる。

 

八女市岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」

石人・石馬がいっぱい!

形が残っている、メインの石人は「はにわ展」に出張中なので、パネル展示。

私の写真よりも、公式HPの方が見やすい。比べる方が変かな。

↓ 石靫

靫(ゆき・ゆぎ)は矢を入れて背負ったバッグみたいな物なんだが、「はにわ展」でもやたらはにわのモチーフになってたなあ。なんか特別な意味があったんだろうなあ。

↓ 新羅からの金製垂飾付耳飾

他にも石人山古墳や弘化谷(こうかだに)古墳のレプリカもあった。

磐井氏って、大和朝廷とは別に新羅と貿易して、土製の埴輪じゃなくて人や動物を製作して、気分的には独立国だったんだろうなあ。

 

Ⅲ.石人山(せきじんざん)・弘化谷古墳公園

バスで10分位、西へ移動。

1.石人山古墳

「5世紀前半代に造られた八女地方最古の前方後円墳です。岩戸山古墳を生前に造った磐井の祖父の頃の墓と言われています。横穴式石室に安置された家形石棺外面には重圏文(二重丸の文様)と直弧文などが浮き彫りされており、最古期の装飾古墳としても有名です。また、墳丘には石室入口を背にして一体の武装石人が立っています。石室には鍵がかかっていますが、外から見ることができます。」

戦前は筑紫君磐井の墓とされていたそうだ。

ボランティアガイドさんに連れられて、墳丘(雑木林)を上がって行く。

 

①武装石人

この祠の中に石人がいる。扉は開かないので、隙間からのぞき込む。

脇腹に彩色が残っている。

江戸時代まではもっと彫刻が残っていたのだが、それ以降、信仰の対象として、手足や腰、肩などに痛みがある人が、石人の同じ所を打つとそれが治ると信じられ、打ったりなでたりされてきたため、削られてこんな形になったそうだ。地元の人にはお地蔵さん感覚だったんだろうなあ。石だし。

 

②家形石棺

さらに奥に進むと、こんな建物。

この中に棺蓋の装飾文様が有名な石棺が保存されている。ここも覗き込む。

↓ 「いわいの郷」でレプリカを撮影した画像

直弧文(ちょくこもん)と重圏文(じゅうけんもん)が浮き彫りになってて彩色されている。この模様って、岡山・吉備路の楯築遺跡旋帯文石(せんたいもんせき)と同じじゃん! そうか、今調べたら「ブラタモリ」でもやったのかあ。見逃したなあ。早く行き過ぎたなあ。行った頃は、謎の亀石だったんだが、最近は「弥生時代から古墳時代への移行期に首長の墓に供えられた特殊器台」と位置付けられているらしい。

 

2.弘化谷古墳

装飾壁画が有名な古墳。だけど一般公開の時期ではないので、外観のみを眺める。

閉っている扉は、靫の模様。特注かな?

レプリカは「いわいの郷」で堪能済み。

ただ、実物はもっと薄いみたい。

↓ パンフレットの画像

大和朝廷の顔色見て、石人を作るのは辞めたけど、独自の壁画を見つかれないように古墳の中に描くようになったのかな? 磐井一族の反骨精神は表れなのかな?

 

この後、福岡空港へ。空港2階のフードコート天神B.B.Quisineで、生ビールとビーフバター焼きを食べる。3日間、良く歩いたので、ガッツリ系が美味しい。

19:00発の飛行機で、20:40に羽田空港着。

邪馬台国がどこにあったか?という興味よりも、朝鮮半島に近い九州北部の、関東とは違う弥生時代の文化がとっても面白かった。

 

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その5

2025-04-01 13:22:18 | 旅行記・九州

3月5日 水曜日 その1

午前中は「たっぷり約3時間滞在」の吉野ヶ里遺跡の日だ。天気予報では、この日は雨が降らないとなっていたが果たして・・・?

おおっ! 行きのバスでは車窓から虹が見える!結局青空はこの時だけだったが、雨は降らず。ありがたかった!

 

Ⅰ.吉野ヶ里遺跡

およそ117ヘクタールに渡って残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で、国営歴史公園として整備されている。そう、馬鹿みたいに(失礼な表現だが)広いのだ。

そして、ここの公式HPがとっても分かり易い。なぜ、そう推察したのかもきちんと載ってる。写真もここの方が晴天だし、とっても素晴らしい。

講師の方の「09:10発の園内バスに全員で乗る」という目標のため、速足でバス乗り場まで歩く。

 

おおっ!向こうの方に復元建物が見える!

全員でマイクロバスに乗って(若手?の私達は補助席にも座らず立つ)停留所2の古代の森体験館で下車。

古代の森体験館&古代の森をざっと歩く。

 

1.甕棺墓列

真ん中に道があってその両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられていたそうだ。甕棺墓!九州独特の風景だ!楽しい!

↓ こちらは埋め戻し後

↓ 復元した所

 

2.北墳丘墓

吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別な墓を人工的な丘で覆った丘墓(きゅうぼ)。内部は展示施設となっていて、発掘された状態での本物の遺構及び14の甕棺を見学できる。

甕棺は本物だけど、中の銅剣やガラス玉はレプリカらしい。

↓ こんな風に彩色されていて、埋葬されていたらしい。

さらにその南には

墓道と立柱と屋根だけ写ってる祀堂。その向こうの台形の丘が北墳丘墓。

その南には

再び甕棺墓列。

 

2.北内郭

クニの政(まつりごと)を最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に祖先の声を聞いてもらって決定していった場所と考えられている。古代中国の事例と発掘した遺物を付け合わせての推論らしい。

 

①入り口

 

②主祭殿(奥の3階建て)

↓ 2階

↓ 3階

 

③竪穴式住居の中

最高司祭者が寝泊まりしていたらしい。

 

3.南内郭

鉄製品が多く発掘されたので王や支配者層が住んでいた場所と考えられている。

 

①物見櫓

左側の、一番眺めが良いと講師お勧めの櫓に登ってみた。

王の一族の家を見下ろす。

南内郭の西、「倉と市」を見下ろす。

広いなあ。弥生時代の大都会だ。

 

②王達の住まい

↓ 王の妻の住まい

↓ 娘夫婦の住まい

↓ 王の住まい

う~ん、発掘調査からそういう結論(仮説)になったんだろうけど、娘夫婦の家って・・・どうよ。

 

3.展示室

講師の方と要所要所の現地ガイドの方の説明でたっぷり2時間見学。ここで一度解散となって、1時間後に公園センターのレストランで再集合。

↓ ええっ! 今、こんな御朱印があるんだ!

↓ 王塚古墳の壁画にもあった、双脚輪状文の分かり易い説明もあった。

王塚古墳で双脚輪状文のキーホルダーを買った私。そして、その元となったスイジガイは、今も(いや、私がバリバリのダイバーで沖縄に良く行ってた20~30年前か)沖縄では家の玄関の扉にぶら下げると魔除けになるという言い伝えがあって、私も一つ持っている。

 

4.倉と市

自由時間はここを見学する事にする。

海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった場所と考えられている。「レンガなどに描かれた古代中国の市の様子とよく似た構造をしており、また当時の交易の重要な交通手段と考えられている「舟」が利用できる大きな川がすぐ近くを流れていたこと、さらにはこの地域全体が大きな壕で厳重に囲まれていることなどが、こうした考え方の基になっています。」そうだ。

 

①倉庫群

 

②市楼

案内パネルには「市を管理する建物です。下の階で市に参加する許可をもらい、上の階で太鼓をたたいて市の開催を知らせた」とあった。

私も、知らせてみた。

 

5.天の浮橋

 

6.レストランにてランチ

佐賀牛のハンバーグと古代米! 

食事時間を入れるとたっぷり4時間、弥生時代の遺跡&復元建物を満喫!

確かに、邪馬台国は大陸との交易を考えると、ここだったかもと思わせる。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その4

2025-03-28 19:45:06 | 旅行記・九州

3月4日 火曜日 その2

土砂降りの雨の中、晴れていたらさぞ素敵だったろう海の中道のリゾート地を通って、志賀島へ。

福岡って、こんな近くに海のリゾート地やゴルフ場があるんだ。

 

Ⅲ.志賀島

1.ランチ

志賀島(陸続きだけど)の北にある、休暇村で名物のサザエ丼とサザエのつぼ焼き!

晴れてたら、目の前は白い浜と海。素敵なロケーションだったんだろうなあ。

生ビールの小と共に美味しく頂きました!

 

2.蒙古塚(蒙古軍供養塔)

車窓からだけど。

昨年モンゴルに行ったので。あんな大草原の民族が見た事のない海を渡るって、無理あるよなあ。でも(なぜ、襲ってきた蒙古軍を供養してるんだ?)と思って調べたら、捕虜の蒙古軍をこの地で120名ほどの首をはねたらしい。しかもこの塚を建てた歴史もいろいろあって。詳細はこちらをどうぞ。

やっぱり北九州って、その立地から、古代からいろんな意味で国際都市だったんだなあ。

 

3.金印公園

天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所を公園にした所。後漢書による倭(日本)の記述で、西暦57年に後漢王朝の初代皇帝光武帝が倭の奴国(弥生時代に存在した国で、現在福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる)が与えたとされる小さな金印。

西暦57年の日本の歴史の史実を証明した大発見だ。

志賀島の秀治・喜平という2名の百姓が、水田の巨石の下の箱に入った金印を発見→雇用者の甚兵衛→那珂郡奉行→福岡藩→福岡県の儒学者が後漢書にある「金印」と認定したらしい。

単純に、よく誰も懐に入れないで無事、現代日本の国宝になったなあと思う。

土砂降りの中、レプリカを展示してるモニュメントも見学。

実際の発見場所とされているのはこの下の海の中で

発見当初はこのあたりが水田だったらしい。現在の陸地が実は海だったというのは良くあるパターンだけど、この海が250年ほど前には水田だった?というのは、信じられないんだけど。

 

Ⅳ.板付遺跡(いたづけいせき)

福岡空港のすぐそばで、「弥生時代前期(約2400~2200年前)の集落で、東西約80m、南北約110mの溝が楕円形に巡っており、環濠集落である。溝の内部には住居跡やコメなどの食料の保管をしていた貯蔵穴が見つかっており、周囲には水田跡が広がっている。水田には井堰を設置して水量を調整するなど、整備された水田が広がっていたことが分かっている。用水路からは木製の鋤・鍬や稲の穂を摘む道具である石庖丁など農工具が多く発見されており、水田からは当時の人々の足跡も発見されている。」

晴れていれば全体像がこんな感じ ↓

実際は土砂降りなので、歩くのも大変。

↓ 水田跡

↓ 濠

復元された竪穴式住居に一応入ってみた。

↓ この後訪れた、福岡市博物館にあった復元模型

板付遺跡弥生館(板付遺跡のムラの人々がどのような生活をしていたのか、出土遺物の展示や映像、ジオラマを見たり、復元した道具を触って確かめることができます。)は休館中でした。

 

Ⅴ.福岡市博物館

メインは金印。だけど、今福岡市博物館のHPを見たら、貸出中とあった。

見られてよかった。前にも東京国立博物館の「日本国宝展」で現物を見て、あまりの小ささに驚いた。もう10年も前かあ。そこに驚く。

↓ 九州北部特有の甕棺墓

これは翌日の吉野ヶ里遺跡の予習。

青銅器の出土も多い。

ちゃんと鋳型も残っている。日本でも作成してたんだなあ、大陸が近いから職人さんが来てたんだろうなあ、と実感。

4の鴻臚館の時代で、鴻臚館が大河ドラマ『光る君へ』で紫式部(吉高 由里子)と周明(松下洸平)が再開する場所じゃん。TBSドラマ『最愛』の流れで、『光る君へ』は観てたのよ~。なんか、話がつながってうれしかった。

特別展「黒田家名宝展示」もやっていて、講師の方推薦の槍を見る。

閉館時間近くがツアーの集合時間だった。その後、福岡ユウベルホテルに戻る。

 

Ⅵ.夕食

友人が「豚骨ラーメン」が食べたい!というので、ラーメン屋へ。ところがGooglemapで検索した店は閉まっていて、雨の中、そこから近そうなラーメン屋を再検索してそちらへ。

私は、ずっと独り者の会社員だから外食多いし、若い時は飲んだ後の〆のラーメンだったし、今でもバイト帰りこってりしたラーメンを食べたくなると一人でラーメン屋入る。けど、私の同世代で結婚して子供育てた女性は、あんまりラーメン屋って入った事ないんだなあ、と実感。

この後、ホテルのすぐそばの、北九州のみで展開している「ボン・ラパス」というスーパーでデザートを購入。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その3

2025-03-26 18:39:35 | 旅行記・九州

3月4日 火曜日 その1

今日午前中は装飾古墳の日! そして、私でも傘をさすほどの雨。寒い!

8:00出発で、高速に乗って福岡市の西へ。

↓ 博多港(う~ん、博多と福岡の区別が良く分からん)に停泊していたEUROPA(オイローパ、そのままヨーロッパと読んでしまった)2という豪華客船

南蔵院の涅槃像

この涅槃像を建立後、住職がジャンボ宝くじに当たったそうだ。

 

Ⅰ.王塚装飾古墳館

1.王塚古墳

まずは、古墳を見学。年2回の特別公開時にしか石室は覗けない。

2段の前方後円墳。1934(昭和9)年の彩土工事中に前方部が削られて、横穴式石室が発見された。6世紀中頃に作られたそうだ。

↓ この扉の向こうに本物がある。

登って、反対側にも行ってみる。

 

2.王塚装飾古墳館

すぐそばにある、古墳館で、ここでは王塚古墳のレプリカをたっぷり味わえる。

①常設展示

では、レプリカの中へ。構造についてはやっぱり公式HPに詳しい。

 

1)前室

左側の馬。黒い馬は雄だそうだ。小さいけど。

右側の馬。

↓ 天窓

 

2)後室(玄室)

全体写真が、私が写った写真しかなかった・・・。消しゴムマジックでも消せない大きさだ。

↓ 左側の壁。左側が石枕で、右は燈明台。

「正面に2体用の石枕がある石屋形(棺床)が据えられ、この前面には1対の灯明台とおぼしき板石が立てられています。」

↓ 天井の模様は、おそらく星

↓ 後室側から見た天窓

びっしり描いてるなあ。制作にかける時間があったんだろうなあ。国内最多の色使いだそうだ。レプリカって、満喫できるから楽しい。

 

②企画展「ほぼ実寸 装飾古墳壁画展」

全国(と言っても18ヶ所は九州)22か所の装飾古墳のから写し取った「装飾」を原寸大で紙にプリントアウトして、つないで展示。

↓ 福岡県うきは市の日岡古墳

ちょっと高校の文化祭ぽい感じだったけど、原寸大で装飾がきちんと間近で見られるから、学術的価値は高いに違いない。

↓ 見に行った事のある茨城県ひたちなか市の虎塚古墳

↓ 福島県泉崎村の泉崎横穴4号墓

おまけに、ツアー客全員に、この企画展の立派なパンフレットを配布してくれた。

この資料って、凄いぞ!多分

 

Ⅱ.竹原古墳

バスで北へ30分位行った所。昭和31年3月18日に諏訪神社の相撲場の土俵の土取りをした時に発見されたそうだ。

昭和31年当時は立派な神社だったに違いない。

この社の左横に、保存施設があって、なんと本物を見せてくれるのだ。

保存施設も狭いし、見学も腰をかがめて一人ずつ。外で待っている間、寒かった・・・。

↓ 保存施設で、まずビデオを観る。

同じビデオが、ここにアップされている→https://youtu.be/Iv8ZYiaMZZ0

そして、なんと、本当にこのビデオ通りにはっきりと見えるのだ。もっと色褪せてるとかではなくて、結構きれいだ。びっくり!

↓ もちろん撮影禁止なので、ネットから拾った画像

↓ 王塚装飾古墳館でいただいた、企画展のパンフレットからの図柄

とってもエキゾチックな図柄だ。

↓ 古墳をもぐらから守る守るための、ペットボトル風車

管理をまかされている、神社の階段下に住む年配夫婦の手作りだそうだ。こんな素朴な保存方法なのに、きちんと保存されているのが不思議だった。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その2

2025-03-21 22:21:22 | 旅行記・九州

3月3日 月曜日 その2

Ⅱ.「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

 

2.新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群

上の地図の右上の展望台からスタートして1の前方後円墳まで歩く。

丸い禿げた小山みたいのが円墳43~34号で、木が茂っているのが21号や22号古墳。

「沖ノ島祭祀を担い、沖ノ島に宿る神に対する信仰を宗像三女神信仰へと発展させた古代豪族、、宗像氏の墳墓群です。5世紀から6世紀にかけて当時の入海に面した台地上に、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。長期にわたる様々な規模や形態の古墳が集中して築かれていることが特徴で、台地上からは旧入海の田園とその向こうの玄界灘が見渡せ、海を意識してこの古墳が造られたことがわかります。」

 

↓ 34号かな?発掘調査中なのかな?

ちょうど菜の花がきれいな季節でラッキー!

 

↓ 多分30号墳

 

↓ 多分24号墳

 

↓ 22号墳に登ってみる

「22号墳…推定全長80メートルの前方後円墳だが、方墳部分は失われている。5世紀前半の造営。新原・奴山古墳群の中で最大規模で、最古の部類に属す。周溝と周堤も巡らされていた。墳丘上には後世に祀られた縫殿宮の石祠がある」

祠に見えます?

 

↓ 多分12号墳

1号墳は崩れてるとかで近寄れなかった。

 

↓ 21号墳の、鎌倉時代の供養塔

「 5世紀前半に築造された直径17メートルの円墳です。22号墳の周溝がこの古墳を避けていることから、それ以前に造られた小首長の古墳と考えられます。古墳の上に立っている8基の石柱は、築造から800年後の鎌倉時代に造られた供養塔です。地元ではこれが単なる小山ではなく墓だと知っていて、そこを利用したと考えられます。」

令和の時代、保存されているだけでありがたい。

 

Ⅲ.宮地獄(みやじだけ)神社・宮地獄古墳

神社なのに地獄!と驚いたけど、「みやじだけ」と読むそうだ。

何が一番有名かと言うと、この階段を登って振り返ると

年2回、海に沈む夕陽が一参道と一直線になるこの「光の道」 ↓

嵐が出演したJALのCMの効果もあって、大人気で、きれいにみえるかいだんの場所は祈願料5,000円だそうだ。

いろいろ見所いっぱいの神社。創建も1,700年前。

まずは、三つの日本一。うち、しめ縄は「毎年掛け替えられる巨大しめ縄」では日本一だそうだ。大きいしめ縄と言えば、出雲大社の神楽殿を思い出すけど、実際は茨城県にある出雲大社の分社、常陸国出雲大社の大しめ縄が大きさで言えば日本一だそうだ。大太鼓と大鈴もガラス越しに見てきた。

そして、本殿の屋根は金色

新日鐵チタン建材だそうだ。

そして、奥之宮八社巡り

小さな祠が8つとかじゃなくて、結構立派なお社を持つ神社が斜面に建つ。

「宮地嶽神社には、神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿の他に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られています。「一社一社をお参りすれば大願がかなう」という信仰があり、昔から多くの人が訪れています。奧之宮八社巡りの信仰は日本最大級の石室古墳発掘を機に不動神社(史跡)が奉祀されたことから盛んになりました。」

毎年220万人以上の参拝客が訪れ、三が日には100万人以上の人々が訪れているというだけあって、ご利益いっぱい!

そしてメインは三番社・不動神社! 神社なのに不動。神仏習合の緩やかな感じが日本ぽくていいね。

「奥之宮三番社不動神社は日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしております。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、金の鐙(あぶみ)・冠(かんむり)・馬具類・大太刀等数多くの埋蔵物が発掘され、20点が国宝に指定を受けています。」

古墳の石室利用は、他にもあるから。あるものを利用するのは世の常だ。とはいえ、ここは宮地嶽古墳

賽銭箱を挟んで内部を覗くだけでは、「日本一」の大きさは感じられないなあ。

外から古墳の形をみると、こんな感じ。

周囲の石は、昭和の戦前に並べられたもの。

なぜか、フクロウも飼育されていた。

帰りに参道の名物「松ヶ枝餅」を購入。と言うか、到着する前のバスで希望数を集計して、注文。帰りがけにすぐに受け取れるようにしてもらっていたのだ。ツアーの良い所!

小腹が空いてたので、美味しく頂きました。

 

Ⅳ.ホテル

2泊とも、福岡ユウベルホテルというビジネスホテルだ。最近流行の、女風呂の入り口はパスワード付大浴場付き(凄い大きい訳ではない)。連泊の場合、掃除は4泊目のみだそうだ。浴場も掃除も人件費節約だ。夕飯は付いてないツアーなので、Googlemap見ながら食べに行ったんだが、だいたい15分位歩いた。

朝ご飯のバイキングは、ビジネスホテルの割には充実(かな?) 筑前煮や焼きラーメン、酢もつなど、福岡(博多)名物があった。

 

Ⅴ.夕食

友人が「イカの刺身が美味しいと聞いたから」との事で、「呼子のイカ」でGooglemapで検索して、お手頃価格の「大名やぶれかぶれ 西中洲店」へ。

動いてるので友人、大喜び。美味しかった。これで1,000円だ。

私は残りのヒレと足をどう食いちぎろうかと悩んでいたら、店員さんは「ヒレと足はおつくりします。どうされますか?」というので、皆さんが良く頼むという天ぷらにしてもらう。

これも美味しかった。

あと、煮込んだ餃子も頼む。この日は寒かったし。

〆のお茶漬け。飲み物を2杯ずつしか頼まなかったせいもあって、これで二人で7,480円だけだった。ご馳走様!

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その1

2025-03-16 12:16:41 | 旅行記・九州

吉野ヶ里遺跡と九州に多い装飾古墳と磐井の石人に興味があった私は、コロナ禍明けにこのツアーを申し込んでいたんだが、3日前に発熱して半日で下がったけど用心のためにキャンセルしたんだ。

で、今回リベンジ。どこかに行きたいという友人も同行。

【歴史への旅】邪馬台国はどこだ⁉「吉野ヶ里遺跡と謎の女王卑弥呼」福岡・佐賀の古代探訪3日間 講師&添乗員同行

台湾と同じ旅行会社だ。囲い込みされているのかな、私。

 

3月3日 月曜日

8:00羽田発のJAL307便で10:00に福岡空港着。早速大型観光バスへ。ほぼ満席。年齢層はもちろん高い。杖を付いた方も5名。若手な私達。

 

Ⅰ.ランチ

今日昼食は付いてないので、飛行機やバスで持って行ったパンを食べたりもしたけど、「道の駅むなかた」で40分休憩という事なので、そこの「おくふろ食堂『はまゆう』」で。学食みたいに美味しそうな小皿料理もいっぱいあって楽しい。

私は「玄海茶漬け」

たっぷりゴマダレに、鯛やマグロなどの他の丼にも使った魚の刺身が入っている。美味しかった。

美味しかったんだけどさ、「玄海茶漬けセット」を頼んでも、味噌汁や漬物はいらないから、メニューにあった「玄海茶漬け」の単品を頼んだんだ。

そしてたら「ごはんは?」と聞かれたので「大」と答えて、大盛りにもしてくれるんだと思ってたら、なんとご飯は別料金!

レシートを見たら、「お茶漬け 930円 ごはん(大)350円」

「お茶漬け」でごはん別料金? ごはんがないお茶漬け? しかもゴマダレがたっぷり過ぎて、そのまま食べてお茶漬けにしなかった・・・。不思議なお茶漬けだった。

 

Ⅱ.「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

 

1.宗像大社・辺津宮( へつぐう)

神話としても、史実としてもきちんと文字に残っている宗像大社。天照大神とスサノオノミコトとのあいだに誓約(うけい)で生まれた三女神。近親相姦かと思ってギョッとしたら、誓約。なるほど。その三女神の長女を祀る辺津宮。

「元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であったとされる。海を隔てた大陸や半島との関係が緊密化により土着神であった三神が4世紀以降、国家神として祭られるようになったとされる。」なるほど。分かり易い解説だ。

二の鳥居を寄贈したのは、麻生太郎の曽祖父。

寒い。

 

①手水舎

これは、手を浄めやすい! 大勢をさばける。 

 

②門

 

③拝殿

 

④本殿

 

⑥高宮祭場 (たかみやさいじょう)

宗像大社のHPだと「市杵島姫神の降臨の地とされ、社殿がない古代祭場です。月次祭にはお祭りがあり、10月3日には夜神楽(悠久舞)が舞われます。」と、割とそっけない説明。

階段を結構登る。なぜ、ツアーの皆さんが手摺をしっかり握っているかというと、登る時に階段を踏み外した人がいるからです。

現地の説明看板だと「沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所のひとつです。神社に社殿が構築される以前の祭祀形態である、神籬(ひもろぎ:樹木)の祭場です。岩や木々など自然をはじめとする万物に神々が宿るという神道の根源である自然崇拝を今に伝える、全国でも稀な古代祭場です。」沖ノ島で行われていた祭祀の姿を色濃く残す場所だそうだ。

 

⑦第二宮 第三宮(ていにぐう ていさんぐう)

沖ノ島と大島の分霊を祀っている第二宮と第三宮。ここも詣でれば宗像三宮を拝した事になる。

建物の資材は、伊勢神宮の式年遷宮の際に下賜されたもの。

 

2.神宝館

「沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されています。」

8万点の国宝!

沖ノ島では4世紀から9世紀まで祭祀が行われていて、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たていた証拠が国宝となっている。

巨石好きな私が面白いと思ったのが、沖ノ島の祭祀って、最初は島の巨石で行われていて、だんだん場所が変わっているところ。

上の図で字は読みにくいんだが、岩上→岩陰→半岩陰・半露天→露天。

↓ 神鏡 沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製香炉状品 伝沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製龍頭一対 沖ノ島【国宝】

↓ 奈良三彩小壺 沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製高機 伝沖ノ島【国宝】

沖ノ島、女人禁制だけど、それでいいじゃん。スピリチュアルとかもてはやしてるんだったら、それはそれで、大事にしてあげればいい。調査で上陸する女性がいるなら、騒がないでそっと上陸すればいい。よ、私は思う。

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神話のふるさと宮崎1泊2日 柱状節理を楽しむ その4

2024-03-24 17:33:22 | 旅行記・九州

3月11日 月曜日 その2

4.天岩戸神社~天安河原 14:15~15:30

バス用の駐車場を降りると、民家の玄関先にはしめ縄と神楽の面が飾ってある。

↓ 岩戸川にかかる天岩戸橋には、こんな人形も。そして歩道には下を見下ろせる透明ガラスがあった。宮崎の流行か?

↓ 乗用車の駐車場には、岩戸を投げようとする天手力雄命(あめのたぢからおのかみ)がいる。おおっ、天岩戸伝説を盛り上げる!天岩戸の話は私でも知っている。

で、あの岩が飛んでった先が戸隠だそうだ。ええっ! それは初耳!

 

天岩戸神社西本宮

こちらの宮司さんに説明を受け、拝殿前でお祓いを受ける。

で、拝殿右横の入り口を入って左に進むと、ご神体の天岩戸が、本当にあった。

写真撮影は禁止なので、ネットで拾った画像 ↓

実際見ると、洞窟というよりもっと大きな円形の岩盤にしめ縄が飾ってある感じ。でも、ちゃんと天岩戸に見えるんだよ。信じちゃうよ、私でも,天岩戸伝説を。

なんか、ちゃんと神聖な感じがした。

拝殿横の神楽殿では天岩戸神楽のビデオが上映されていた。

 

②天安河原

西宮の先、一度車道に出てから、下を流れる岩戸川沿いの遊歩道を10分位歩く。天安河原は天照大神が天岩戸に隠れて世界が真っ暗になってしまった時に、八百万の神々が善後策を協議した場所。

おおっ、あった。

石積みをすると願い事が叶うらしい。なので、石積みがびっしり。

ここは洞窟としては面白かったけど、天岩戸ほどのインパクトや神聖な感じはしなかったなあ。

 

5.宮崎空港

18:00頃空港着。

なかなか立派な空港だ。そして、19時になるとカラクリ時計が神楽を演じてた。

空港の蕎麦屋さんで宮崎牛の釜揚げそばと日向夏酎ハイを美味しく頂く。なんか、今回初めてゆっくり食べられたなあ。

19:40発のJAL698便で羽田空港へ。観光中は晴れてたけど、宮崎空港に向かうバス乗車中に結構な雨になり、飛行機も「九州と羽田空港付近にも前線があるので揺れますよ」的アナウンス。そんなに揺れなかったけど、追い風が強かったのか、21:15到着予定が21:00には着陸してた。行きは2時間飛んで立たのに。不思議だあ。天岩戸の扉の岩も、風に乗れば戸隠まで飛ぶのかもしれない・・・。

パワースポットというより、岩を満喫した2日間だった。

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神話のふるさと宮崎1泊2日 柱状節理を楽しむ その3

2024-03-20 11:38:46 | 旅行記・九州

3月11日 月曜日 その1

今日は、宮崎市内から馬ケ背経由で高千穂峡に行く、柱状節理の日。

ホテルを8:00出発。6:30からのホテルの朝食バイキングに6:50に行ったら、私が参加しているツアー客で満席。20分待った。

高速沿いの、戦闘機注意の看板を見ながら北上。

 

1.馬ケ背 9:10~10:00

「日向岬は日豊海岸国定公園の南端に位置するリアス式海岸で、長さは約5キロメートル。その中に、柱状節理の荒々しい岩肌の「馬ヶ背」があります。馬ヶ背は、海上から見ると馬の背のように見えることからこの名が付いています。目も眩むような岩の裂け目で、高さは50メートル、幅10メートル、奥行きは200メートルほどあります。遊歩道の先端の日向岬展望台まで行くと、視野を遮るもののない太平洋の大パノラマが開け、地球が丸いことが改めて分かります。また、この一帯に広がる柱状節理は日向岬の柱状節理として国の天然記念物に指定されています。」

↓ 上空から見るとこうらしい。

地上から見ると、柱状節理は良く見えるけど、何が「馬の背」なのかさっぱり・・・。

こんな感じの遊歩道を歩く。

柱状節理の上に土がのってて、木が頑張って根を張ってる。

 

①馬ケ背展望台「スケルッチャ!」

2022年にできたばかりの、床が透けてる展望台なんだが。

ほとんど下が見えない。なんだ?この中国の観光地っぽい感じは。

こんな感じの眺めです。

 

②日向岬展望台

天気の良さに感謝。夕方から雨の予報だが。

北アイルランドの、ジャイアンツ・コーズウェイ、行っちゃおうかなあ。

 

2.高千穂神社&各自ランチ 11:20~13:00

高千穂神社

第11代天皇の垂仁天皇の頃の創建だそうだ。垂仁天皇が実在するなら3世紀後半か4世紀初めの頃。神話の時代だ。

由来などは、こちらの方のHPに詳しい。

樹齢が数百年という杉の木がたくさん!中には、大河ドラマで中川大志が演じた畠山重忠が手植えした樹齢800年の杉の木もあった。

社殿は、1778年創建。

東側脇障子の彫像は、祭神の三毛入野命(みけぬのみこと)が暴れん坊の霜宮鬼八荒神(しもみやきはちあらがみ)を退治したシーンで、切り取った足を持って鬼八を踏みつけている。その後、首・胴・手足の三つに切り裂いて、町内の三つの塚に埋葬したそうだ。切り裂かないと、復活してしまうそうだ。で、その鬼が投げた岩が高千穂峡に「鬼八の力石」として祀られていた。鬼滅の刃の鬼みたいだ。

↑ 源頼朝寄進の鉄製狛犬は、錆びるといけないので社殿のガラスの向こうに鎮座。

夜は、毎日神楽の奉納もあるそうだ。

 

②ランチ

まず飲食店があまりない。あっても開いてなかったり。とりあえず、ネットで目星をつけていたともえ丸食堂さんへ。

しめ縄は、高千穂町ではお正月だけでなく一年中しめ縄を飾る風習があって、 毎年、年末になると一年間の無病息災に感謝して、年神様を迎えるために新しいしめ縄に掛け替えるそうだ。

満席で、行列に並ぶ私の前に2組。しかも同じツアーの客。すぐに空くかなあと思ったら、20分ちょい待った。私の後に結構な数の欧米人も並んでた。

せっかくなので、チキン南蛮定食。結構、甘かった。

 

3.高千穂峡 13:05~14:00

バスに戻ってちょっと移動。バス用駐車場に止めて、ガイドさんの先導の元、ゾロゾロ道路を歩いて峡谷の遊歩道へ。

地図を見なおすと、高千穂峡遊歩道を端から端まで歩いたのかあ。噂通り、小規模だったなあ。その小規模が別世界だったのかあ。不思議だ。

 

①遊歩道入り口付近

おおっ、グニャグニャだあ。見ごたえあり! 27万年~9万年の4度の阿蘇の火山活動の結果だそうだ。

 

②三段橋

下から「神橋(石橋)」「高千穂大橋(鋼橋)」「神都高千穂大橋(コンクリート橋)」で、峡谷に三本もの橋が架かっている風景は全国的にも珍しく、絶好の撮影ポイントとなっているそうだ。

 

鬼八の力石

推定200トン。こんな事ができるのは、やっぱり、鬼滅の刃の「鬼」だな。

甌穴もたくさんある。

 

④滝見台

おおっ、これぞ高千穂峡。真名井の滝と柱状節理の自然のハーモニー。

一眼で撮ったり、スマホで撮ったり。この一画だけ本当に別世界だ。今、調べたら、ボートの予約は休日は午前中早くに終了してしまうみたいだ。

 

⑤おのころ池

「池の中には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)両神により生み出された島「おのころ島」があります。」

チョウザメしか目が行かなかったが、そんな神聖な場所だったのか。

 

⑥御橋からの真名井の滝

土産物屋さんのマイクロバスに乗って、バスに戻る。韓国・済州島の天帝淵瀑布などの風景を思い出した。あそこも柱状節理だったよなあ。

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神話のふるさと宮崎1泊2日 鬼の洗濯板(波状岩)を楽しむ その2

2024-03-17 18:58:01 | 旅行記・九州

3月10日 日曜日 その2

バスは鵜戸神宮に向けて海岸線を南下。

海岸線が、ずっと「鬼の洗濯板」こと波状岩。8km続くそうだが、もっと長く感じた。凄いじゃん、宮崎!

↓ 巾着島

↓ イルカ岬の沖

昭和25年位までは、本当にイルカが見られららしい。ガイドさんの説明によると、ここは写真を見て分かるように、右から左の波と左から右への波がぶつかっているそうだ。

 

2.鵜戸神宮 13:10~14:30

大型観光バス用の駐車場は、麓にあるので、下車後、ガイドさんに連れられて15分位、階段を登ったり降りたり、トンネルをくぐったり。

 

到着!

①神犬石

ガイドさん曰く「木やら草を刈ったら、見つかった岩」だそうだ。

 

海沿いの参道を歩く。

 

②神門

 

③楼門

 

④燈篭とうさぎ

うさぎは「鵜戸神宮の神使は「うさぎ」。神使とは、その名のとおり神様の心を代行して現世と接触する使者の動物のこと。それがうさぎとなったのは、御祭神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の「鵜」が「卯」に転じたためとの説があります。本殿のある洞窟奥には、撫でると病気平癒・開運飛翔などの願い事が叶うとされる「撫でうさぎ」の像や、うさぎの絵馬など鵜戸神宮ならではの縁起物が迎えてくれます。」だそうだ。

インスタ映えを狙ったとしか・・・。社務所・儀式殿・斎館などの建物も立派で。お能の上演のクラファンも行っていた。どなたか、名プロジューサーがいるのだろうか? 親戚が神社をやっている私としては、羨ましい。

なんて、思いながら階段を下って行くと・・・。

 

⑤本殿

洞窟(豊玉姫が主祭神の鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)を産むための産屋を建てた場所)の中に本殿。本殿・幣殿・拝殿が1体となった権現造りで、拝殿には神仏習合の名残で寺院に見られる窓枠があった。1711年から何度も改修が行われたが、様式はそのままだそうだ。

↓ 皇子神社 彦五瀬命(ひこいつせのみこと)という神武天皇のお兄さんを祀っているそうだ。

 

亀石

200円で5個の運玉。やってみたら、最後の1コが見事に窪みの中へ。上の方の左側の方の玉が私のです。投げるのに一生懸命で願いごとをするのを忘れた。

 

⑦山窟前の嚴岩

亀石周辺の岩の浸食が面白い。台湾の「女王の首」みたいだ。(今、女王の首を検索したら、メチャメチャ開発されてる・・・。20年前はただの海岸だったのに。)

 

3.堀切峠 14:45~15:15 

旅行会社からの行程表にはなかったが、ガイドさんがトイレ休憩兼ねて寄ってくれた。「宮崎市の象徴・代表ともいえる風景」で、よくポスターにもなっている眺めだそうだ。

洗濯板を堪能した1日だった。

その後、バスは宮崎市街へ。

山にはガイドさん曰く「ヤマザクラ」が咲いていた。

↑ 戦争遺産の掩体壕が2コ

宿には16:00過ぎに到着。宿は、アートホテル宮崎スカイタワー

 

4.夕飯

夕食は各自。昼、食べ過ぎてお腹は空いてない。とりあえず、駅周辺をブラブラ。

日向夏ポスト

軽く居酒屋でと思って、ネットで目星をつけていた駅の建物内の「炎の舞らくい 宮崎駅店」に行ったら、予約でいっぱいだそうで・・・。昼に続いてここもかあ。1人なのに。んん~、コロナ禍以後、従業員不足だったり飲食店もいろいろあるからなあ。

同じ建物内の「立呑ごんぱち」へ。立呑とうたっているけど、カウンター席がいっぱいある。

ゆずの濁り酒ロックと鶏のたたきと乾燥イチジク。おでんは350円のお通し。3,000円近かったかな。そう考えると、昼ご飯、お得だったなあ。

宮崎料理って、5~6年前に居酒屋「塚田農場」が東京にやたら店舗を出してきて。クーポンやらポイントカードでお得に飲食できるからと、一時期会う人にやたら塚田農場に連れていかれて。それで、ちょっと食傷気味で・・・。

ホテルに帰ってから、駅の土産物屋でやたら売っていた「チーズ饅頭」も食べてみた。饅頭で、ちょっとチーズの味がした。

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神話のふるさと宮崎1泊2日 鬼の洗濯板(波状岩)を楽しむ その1

2024-03-17 10:48:52 | 旅行記・九州

ネット見てたら行った事のない宮崎のツアー広告が出てたので、ポチった。

「神話のふるさとが織りなす絶景とパワースポット8景 気軽に宮崎フォトジェニック旅2日間」1名参加で53,640円。高千穂峡に行ってみたかったからだ。

 

3月10日 日曜日 その1

07:15旅行会社団体カウンターで搭乗券を受け取る。羽田空港第1ターミナル、かなりの人出で、カウンターの人に「手荷物検査場が混んでるからすぐに行ってください」と言われる。

快晴!

08:05発のJAL687で宮崎空港へ。

昨年行った小室山と行けなかった大室山がはっきり見えた。

09:55 宮崎空港到着。現地ガイドさんのお迎えを受けて、バスに乗り込む。バスはほぼ満席で44名参加。

 

1.青島 10:30~12:50

ガイドさんに連れられて、全員で青島神社本殿まで。その後、自由行動で昼食も各自でというスケジュール。

 

青島神社

右側にずっと「鬼の洗濯板」。宮崎県が2007年に洗濯岩でなくて「洗濯板」と名称を統一した波状岩。ここで遊ぶ若者の何割が現物の「洗濯板」を知っているのだろうか・・・。

参道の地面は砂でなくて、貝の欠片。

拝殿・本殿は昭和49(1974)年に火災後再建されたものだそうだ。

オリジナリティ溢れるお守り ↓

最近流行の、釣り上げる鯛御籤 ↓

神殿奥に進むと、亜熱帯性植物のヤシ科に属するビロウの森。

奥に進むと ↓ 本宮

↑ 「本来の社地であったと伝わる。本社と同じ3柱の神を祀る。祭祀が行われていたと推定され、弥生式土器、獣骨等が出土している」

↓ その横の「真砂の貝文」

青島って、参道の地面がそうだったように、貝殻の二千四百万年前の隆起海床に貝殻が堆積してできた島で、平安時代からこの岩の上に神社前で拾ったタカラガイを願をかけて供えていたそうだ。その説明文の看板を読んだ人は「最初に言ってくれないと、今から探しに行くのもなあ・・・」と言っていた。観光客は忙しいからなあ。

 

鬼の洗濯板

では、国の天然記念物「青島の隆起海床(りゅうきかいしょう)と奇形波蝕痕(きけいはしょくこん)」を満喫しよう!


中新世後期(約700万年前位)に海中で出来た水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層:宮崎層群)が少し傾いた状態で隆起し、長い間波に洗われ、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになったそうだ。バスの車窓から、山の断面の地層が見える場所があったが、山の断面もこの地層だった。そのため、泥岩部分が柔らかいので、雨量が多い場合は土砂崩れの恐れがあるそうだ。

ハチノス状に穴があいている場所もある。写真だと、凸に見えるなあ。

↑ ひなた木の花ドームとサーファー

宮崎はサーフィンが盛んなんだそうだ。

触ったりして、堪能した。よし、昼ご飯だ!

 

③昼食

当初予定してた、ひで丸さんは店先で予約でいっぱいと言われたので、さらに南にあるホテルやSPAなどの複合施設内にある魚益さんへ。ここはゆったり座れた。

せっかくなので、こぼれ海鮮丼(2,680円)と白ワイン(660円)。豪勢だ。帰ったらバイト入れればいいし。

かなりな量だが、もちろん完食。甘口醤油で美味しくいただきました。海鮮丼を食べた後の生臭い感じは全くなかった。

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