3月4日 火曜日 その2
土砂降りの雨の中、晴れていたらさぞ素敵だったろう海の中道のリゾート地を通って、志賀島へ。
福岡って、こんな近くに海のリゾート地やゴルフ場があるんだ。
Ⅲ.志賀島
1.ランチ
志賀島(陸続きだけど)の北にある、休暇村で名物のサザエ丼とサザエのつぼ焼き!
晴れてたら、目の前は白い浜と海。素敵なロケーションだったんだろうなあ。
生ビールの小と共に美味しく頂きました!
2.蒙古塚(蒙古軍供養塔)
車窓からだけど。
昨年モンゴルに行ったので。あんな大草原の民族が見た事のない海を渡るって、無理あるよなあ。でも(なぜ、襲ってきた蒙古軍を供養してるんだ?)と思って調べたら、捕虜の蒙古軍をこの地で120名ほどの首をはねたらしい。しかもこの塚を建てた歴史もいろいろあって。詳細はこちらをどうぞ。
やっぱり北九州って、その立地から、古代からいろんな意味で国際都市だったんだなあ。
3.金印公園
天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所を公園にした所。後漢書による倭(日本)の記述で、西暦57年に後漢王朝の初代皇帝光武帝が倭の奴国(弥生時代に存在した国で、現在福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる)が与えたとされる小さな金印。
西暦57年の日本の歴史の史実を証明した大発見だ。
志賀島の秀治・喜平という2名の百姓が、水田の巨石の下の箱に入った金印を発見→雇用者の甚兵衛→那珂郡奉行→福岡藩→福岡県の儒学者が後漢書にある「金印」と認定したらしい。
単純に、よく誰も懐に入れないで無事、現代日本の国宝になったなあと思う。
土砂降りの中、レプリカを展示してるモニュメントも見学。
実際の発見場所とされているのはこの下の海の中で
発見当初はこのあたりが水田だったらしい。現在の陸地が実は海だったというのは良くあるパターンだけど、この海が250年ほど前には水田だった?というのは、信じられないんだけど。
福岡空港のすぐそばで、「弥生時代前期(約2400~2200年前)の集落で、東西約80m、南北約110mの溝が楕円形に巡っており、環濠集落である。溝の内部には住居跡やコメなどの食料の保管をしていた貯蔵穴が見つかっており、周囲には水田跡が広がっている。水田には井堰を設置して水量を調整するなど、整備された水田が広がっていたことが分かっている。用水路からは木製の鋤・鍬や稲の穂を摘む道具である石庖丁など農工具が多く発見されており、水田からは当時の人々の足跡も発見されている。」
晴れていれば全体像がこんな感じ ↓
実際は土砂降りなので、歩くのも大変。
↓ 水田跡
↓ 濠
復元された竪穴式住居に一応入ってみた。
↓ この後訪れた、福岡市博物館にあった復元模型
板付遺跡弥生館(板付遺跡のムラの人々がどのような生活をしていたのか、出土遺物の展示や映像、ジオラマを見たり、復元した道具を触って確かめることができます。)は休館中でした。
Ⅴ.福岡市博物館
メインは金印。だけど、今福岡市博物館のHPを見たら、貸出中とあった。
見られてよかった。前にも東京国立博物館の「日本国宝展」で現物を見て、あまりの小ささに驚いた。もう10年も前かあ。そこに驚く。
↓ 九州北部特有の甕棺墓
これは翌日の吉野ヶ里遺跡の予習。
青銅器の出土も多い。
ちゃんと鋳型も残っている。日本でも作成してたんだなあ、大陸が近いから職人さんが来てたんだろうなあ、と実感。
4の鴻臚館の時代で、鴻臚館が大河ドラマ『光る君へ』で紫式部(吉高 由里子)と周明(松下洸平)が再開する場所じゃん。TBSドラマ『最愛』の流れで、『光る君へ』は観てたのよ~。なんか、話がつながってうれしかった。
特別展「黒田家名宝展示」もやっていて、講師の方推薦の槍を見る。
閉館時間近くがツアーの集合時間だった。その後、福岡ユウベルホテルに戻る。
Ⅵ.夕食
友人が「豚骨ラーメン」が食べたい!というので、ラーメン屋へ。ところがGooglemapで検索した店は閉まっていて、雨の中、そこから近そうなラーメン屋を再検索してそちらへ。
私は、ずっと独り者の会社員だから外食多いし、若い時は飲んだ後の〆のラーメンだったし、今でもバイト帰りこってりしたラーメンを食べたくなると一人でラーメン屋入る。けど、私の同世代で結婚して子供育てた女性は、あんまりラーメン屋って入った事ないんだなあ、と実感。
この後、ホテルのすぐそばの、北九州のみで展開している「ボン・ラパス」というスーパーでデザートを購入。
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