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旅行やら映画やらの独り言

ラオス ルアンパバーン あっと言う間の最終日 その8

2024-01-09 17:38:05 | 旅行記・ラオス

12月11日 月曜日 その2

14:30頃ルアンパバーンの街の到着。自動車で1㎞位走って、最後の観光地へ。いや地元の人には宗教の場所です。

 

ワット・シェーントン

モザイクや金箔の絵画が美しい寺院。モザイクに使用している色ガラスは日本の物もあるそうだ。

1560年にラーンサーン王朝のセーターテイラーと王時代に建立されたそうだが、モザイクなどの装飾は1960年代かららしい。

1.本堂

↑ 右の建物が本堂

どの方向から見てもなかなか美しい。壁面は、黒色に金箔。

↓ そして本堂背面には、マイ・トーン(黄金の木)

「かつてこの地に立っていたとされる高さ160mの大木をモチーフとし、仏教に関する物語が色ガラス(鏡の銀色部分に色が付いている)モザイクで描かれている。」

↓ 本堂内部

ここはかなり上部に天井があった。

 

2.霊柩車庫

「1960年のシーサワンウォン王の葬儀で使用された霊柩車が納められる。霊柩車は黄金の竜をモチーフとしている。」

霊柩車って言っても ↑この龍の台車の事で、その上に乗った後ろの壺が棺桶。棺桶には立った状態で安置したそうだ。

ここの内部壁面は、赤にモザイク画。

 

3.レッドチャペル(赤堂)

「本堂斜め後ろに位置する小さな祠で、1959年、セーターティラート王によって寝仏が置かれた。祠の外壁は本堂と同様にピンク地のモザイク画で彩られるが、これは1957年にブッタ生誕2500年を記念し施されたものである。」

この窓から顔を出して写真を撮るのが流行りらしい。なので、現地ガイドさんがやたら撮影してくれたんだが。断るのも悪くて一応ポーズをとったが、60歳超えてるからなあ。痛いなあ。

他にも祠やストゥーパなどがいっぱい! 素朴なモザイクの色が可愛い、なかなか華やかな寺院でした。

 

⑧地元のスーパーマーケット

「旅のしおり」のスケジュールの最期の訪問地。空港に向かうまでの、時間調整なんだろうなあ。朝、寄ったマーケットみたいな感じではなく、しっかりした店舗。日本の感覚のスーパーマーケットだった。

でも、買うもの、ないんだよなあ。お釣りでもらった現地紙幣でジュースが買えたので、外で飲んでた。

なんと、おにぎりが売っていた! 多分、日本で買うのと同じ位の値段。

ベトナムのハノイでは、電線が地中に埋まっていたので、電信柱も電線もなかったのに。ルアンパバーンは、日本の台東区の下町みたいだ。ただ、現地ガイドさんによると(訳が正しいかどうかは分からない)電線よりLANケーブルだと言っていたが・・・。

↑ しっかり育ってね!

この後、ルアンパバーンの空港へ。小さい空港なので一切並ばない。19:15のベトナム航空機で、20:20にハノイ着。

ハノイ空港でパクチーがいっぱい入った、想像通りのバインミーを食す。今回一緒だった、1人参加の客が「パクチーは見るのも嫌だから絶対に食事に出さないでくれ」と旅行会社に電話したせいか、それとも好き嫌いが激しい食材なので旅行会社が最初から気を利かせたのか分からないが、パクチー、食事に一切出なかった。

 

12月12日 火曜日

00:20ハノイ発→7:00成田着。2時間時差があるので、実際に飛行機に乗っているのは4時間40分。でも、別に疲れないや。短い滞在だけど、有名観光地は全て訪れた充実の旅行だった。

雑感

①ミネラルウォーター

ハノイでももちろん、ラオスでも、やたらペットボトルの水をサービスしてくれる。

ルアンパバーンのドライバーさんは観光地から自動車に戻るとクーラーボックスから冷やした280ml位のペットボトルをどんどんくれる。断わり切れなかったペットボトルを、日本に持ち帰ってしまいました。

 

②ベトナム戦争時のアメリカ軍の爆撃

Wikipediaなどで、ラオスの項目を見ると「ベトナム戦争に巻き込まれ」とあるが、現地ガイドさんの話によると、ホーチミン・ルートがあったため、かなりアメリカ軍に爆撃されたらしい。現地ガイドさん曰く「ベトナムよりラオスの方が爆撃されている」「先週も当時の不発弾が爆発して死者が出た」と言っていた。ベトナム戦争を知っている世代の私は、ラオスの「ベトナム戦争」にビックリ!!した。

現地ガイドさん、いろいろ教えてくれてありがとう!

 

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ラオス ルアンパバーン あっと言う間の最終日 その7

2024-01-04 13:03:33 | 旅行記・ラオス

12月11日 月曜日 その1

もう最終日だ。

 

①散歩と朝食

朝ご飯前に、咲いてる睡蓮を見に、ホテル敷地内を散歩。

モネの世界とは全く違う、ラオスの睡蓮。そして、今日も朝の空は厚い雲に覆われている。

8:15 ホテルピックアップ

 

②プーシー・マーケット

朝市でやたら売っていた「川海苔」。その日のランチで食べたら美味しかったので、「買いたい!」と言ったら、地元の人が行くマーケットに連れて行ってくれた。

あらゆる商品が売っているマーケット。

↓ 購入した川海苔。メコン川の海藻を平たく乾燥させた物だから、神経質な人は駄目かも。ゴマがぎっしりまぶされていて、ニンニクや赤ピーマンのスライスが張り付いてる。分厚い韓国海苔みたいな感じ。帰って来てから、炙って食べた。もちろん、ご飯にもパンにも酒のつまみにもそのままでも美味しかった。40㎝四方のが20枚入って、米ドルで4ドル払って、現地通貨でお釣りをもらった。

 

①メコン川クルーズ

8:40出航。王宮博物館の裏側から船に乗る。

奥から3艇目だったと思う。船頭は20歳前かと思うお兄さん。やっぱりラオスの人は若く見える。彼には奥さんと子供がいた。しかもパークウ洞窟で待ち合わせしていた。

↑ 地元の人が利用するフェリー。対岸に渡るには船しかない。Googleマップで確認したが、周辺に橋は全くない。

↑ 私たちの船と同型。このタイプの船に客は、現地ガイドさんとツアー参加者の計4人だけ。川だから揺れないし、トイレもきれいだし、快適!メコン川をゆっくり上る。

↑ 宿泊もできる船。

↑ 貨物船。船員が寝泊まりできるベランダ付きの“家”付きです。

↑ 畑部分は雨期には川の水位が上がるので水没してしまうそうだ。そして、川周辺の村には、電気・ガス・水道の3つが揃っている村はないそうだ。ルアンパバーンのみが外国人観光客向けに整備されているんだなあ。

で、この頃になると太陽が照り付けてくる。太陽が出ると確かに暑いんだが、2023年の東京の夏を経験しているの全然平気。

中国ラオス鉄道の鉄橋をくぐる。こんなに立派なのに単線らしい。丁度良く電車は来ない。ガイドさんは「本数が少ないから」時刻表が頭に入っていた。

 

④バーンサーンハイ村

10:00到着。↓ 船着き場。

まずは、ラオス焼酎「ラオラーオ」の製造現場見学。

午前中、ドラム缶で蒸に煮するらしい。

試飲もさせてくれる。↑ 左下の3本で、赤いのが赤いモチ米で現地ガイドさんは「ワイン」と訳してた。右端の透明なのがさらに蒸留しているらしくて、50度位あるそうだ。

で、この2本を3米ドルで購入。両方とも15度で、甘い。特に乳白色の方は甘酒みたいな味だった。余り酒が飲めない私には、飲みやすかった。

先に進むと、結構整備されていた土産物屋が続く。でも、売り子さんはパジャマ姿の人が複数。

ルアンパバーン郊外の家の窓は、雨戸みたいに両開きの木の扉が付いていた。

さらに奥に歩くと寺院。

村の人に愛されている感じが伝わる、良い感じの寺院。ルアンパバーン市街地の寺院より、なんか良い感じがした。語彙力ないなあ、私。

塗装を塗りなおしている、僧侶達。

お釈迦様の一生が描かれている壁画。

10:30 出発

岩山が近づいてきた。

 

⑤バークウー洞窟 

「町の中心地からメコン川を北上して約30km。メコン川沿いの岩肌に現れるパークウー洞窟(通称 タムティン)。その中には住民たちが運び込んだ新旧さまざまな仏像が合計4,000体も納められています。」

11:15~12:15

鍾乳洞の穴に地元の人が願いを込めて仏像を並べていった、という感じ。

まずは、↑ 右側の階段の上の洞窟のタム・ティン。

いたずら書きしたような、お公家様の像が・・・。

彫ったのか、自然のいたずらか。牛に見える。

↑ 右側に見える階段を登って、上の洞窟のタム・プンへ。

200段位登る。途中の、ミサンガみたいのをのんびり売りに来る子供達が10人以上いるが、飴をあげると去って行った。

到着。立派な門だ。この洞窟はかなり広い横穴。階段がきついせいか、観光客はグッと減るが、こちらも是非。

中は、こんなに広い。最初は暗い中、現地ガイドさんの持っている懐中電灯で見学していたんだが、後半は電灯が付いて明るくなった。

こちらの洞窟にはお坊さんが修行するのに使った、3×5m、厚さ30㎝位の石舞台みたいのがあった。

↑ 最近、彫ったのかなあ?

↑ 地獄の絵。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出させる。

 

⑥ランチ

対岸の、貨物船をおしゃれに改造した水上レストランへ。

スープに入っている円状のものは豆腐。

食べやすい、おかずがいっぱい!主食はもちろん、もち米。

食後の飲み物、紅茶を選んだら、↓ こんな感じ。

この場合、前歯をカップのフチに立てて、前歯で葉や茎の侵入を防ぎながら飲むことを私は知っている。

13:15頃出発。

洞窟の近くには、建設中の発電所。人々が暮らしやすいように、インフラは整っていくんだなあ。

欧米人は、1週間位ルアンパバーンに滞在するので、だいたい太陽が照り出す昼前に観光に出発するそうだ。なので、帰りは欧米人が乗る船によくすれ違った。

 

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ラオス ルアンパバーン 充実の1日 その6

2024-01-03 18:50:00 | 旅行記・ラオス

12月20日 日曜日 その3

プーシーの丘の南側。

 

ワット・ビスンナラート

公式の、ルアンパバーン観光のHPはなぜかリンクが貼れない・・・。そりゃ、正式には貼るもんじゃないけど。

「1512年、ヴィスンナラート王の時代(1501-1520)に建てられた寺院は、ルアンパバーンに現存する最古の寺院です。当時は王国の結束の象徴として地元の人々に愛されていました。窓に取り付けられた木製の格子は、ラオス南部チャンパサック県にあるアンコール王朝時代の遺跡「ワット・プー」を彷彿とさせる、クメール様式が採用されています。本堂内には歴史のある仏像や石碑が納められています。 さらに境内には、その見た目からラオス語でスイカ寺を意味する「ワット・マークモー」(正式名That Pathoume)と呼ばれる仏塔があり、人目を引いています。」

↓ なるほど、門からしてクメール様式っぽい。

↓ スイカに見える?仏塔

↓ 本堂

タイからの観光客のお坊さんと、スポンジ・ボブとスマイルマークのコラボトレーナーの2人組が楽しそうに観光してた。

天井はなくて、直接屋根裏。どこの寺院もそうだった。

金ぴかの御本尊はミャンマーと似てる顔で、周囲の黒い仏像は時代が古くてクメール様式だそうだ。

↑ 屋根瓦の寄進

↑ 新月に叩く太鼓

↑ 托鉢前に叩く木の鐘(木魚というか)

大分、ラオスの寺院にある建物のパターンを覚えたような気がする。

↑ 菩提樹と仏像。手前の女神は、水の神様。

境内に観光客用土産物屋が出てて、3つで13ドル(買い物は米ドルでOK。ただしお釣りは現地通貨なので、日本から1ドル札をいっぱい持って行った)で購入。でも、この後のナイトマーケットで買った方が安かったかなあ。まっ、いいか。

 

ワット・アハム

ワット・ビスンナラートに隣接している。見学予定にはなかったんだけど、現地ガイドさんが「ラオスにも鬼がいる」というので「ラオスの鬼ってどんな鬼?」という私の疑問に答えるために寄ってくれた。

タイ様式なのかなあ?

鬼かあ。まあ、鬼だなあ。

ちなみに、狛犬 ↓

ふざけている訳ではないらしい。

↓ ここにも、菩提樹&仏像。

 

王宮博物館

建物の中は写真撮影禁止。写真がないと、記憶があいまいに・・・。

↓ ルアンパバーンの名前の由来になったパバーン仏が鎮座する黄金の祠

正面と中はキラキラしてて素晴らしいんだが、横(プーシーの丘のチケット売り場)から、この建物の屋根を見ると・・・。

「国立博物館は旧王宮を使用しています。王宮はラオスとフランスの友好の象徴として、ルアンパバーンがフランスの保護領となるわずか数年前の1904~1909年の間に建てられました。 建物は当初、フランスの美術館のスタイルにラオスの伝統的な建築様式を混ぜてデザインされましたが、シーサワンヴォン王の時代に王座の間のちょうど真上に位置する屋根の上に尖塔を付けるデザインに改良され、現在のラオス式のデザインが完成しました。 館内には、王族が使用した刀、装飾品、家具、食器などのランサーン王国時代の調度品や、外国からの贈答品が展示されています。」 

シーサワーンウォン王の後の建物(劇場)のロッカーに荷物は全て預ける。

↑ 旧王宮の建物

この中に王の家族が住んでいて、その部屋を利用して、王室コレクションが展示されていた。凄い豪華だったかと聞かれると、それほどでは・・・としか答えられない。

また、この後ろのガレージに、王の乗り物コレクションのクラシックカーがあった。

 

プーシーの丘

「328段の階段を登った頂上からは、世界遺産の町並みや、メコン川やカーン川が一望できます。夕暮れ時にはメコン川に沈む夕日を見る人で賑わいます。プーシーの丘は地元の人達にとっては大切な場所。その昔プーシーの丘にたどり着いた2人の仙人がルアンパバーンの町を作ったという伝説があります。頂上には寺院(ワット・チョムシー)と黄金に輝く仏塔があり、現在でも地元の人々は参拝に訪れ、お正月には伝統的な仏教行事が執り行われます。またカーン川側の中腹には、涅槃像や仏足が納められた岩穴などもあり、併せて見学することができます。」

頑張って登る!

↑ ここで少し休憩したが、あとは一気に登れた。

↓ 頂上からの風景

↑ この一画が世界遺産の街並みらしい。

夕陽を見るための観光客がごった返している。で、この岩場で韓国人はこのポーズで写真を撮らなければならない決まりがあるらしく、夕陽そっちのけで岩場独占。

これにイラついた、欧米人の若者たちが次々と岩場を越えて、夕陽が見やすい向こう側に行く。 このプチ争いを見てると、飽きない。

おっ、雲の切れ間から夕陽が見えてきた。

無事夕陽鑑賞!

 

⑩ナイトマーケット

王宮博物館とプーシーの丘の間の道路に、ナイトマーケットが出現! 現地ガイドさん曰く、「オープンしたばかりの方が値段が安いよ。」

結構、可愛い小物がいっぱい! 楽しい!

 

左のバッグがアメリカドルで4ドル。右のパンツが3ドル。安いなあ。でも、終活に向けて余計な物は買わないようにした。

18:30に再集合。

 

⑪夕食

旅のしおりによると「ラオス風フレンチ」

フランス人経営のKIRIDARAホテルの中のレストン。

ラオスの、地元の料理で良かったんだけど。主食(もち米もパンも)がないから、満腹感がないし。デザートも、それらしく盛り付けてるけど、美味しくはないし。

とは言え、充実の1日だった。

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