落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

減圧症2

2008-10-02 22:38:00 | 減圧症

081002 月曜日にチャンバー友達と銀座の沖縄料理屋で会いました。7月に与那国に一緒に遊びに行く予定だったのに(潜らないよ。観光とシュノーケリングだけの予定だった。)、私が子宮筋腫の全摘出手術になってしまったので、彼女も与那国行きを止めてしまったのだ。ごめんね。

彼女とは東京医科歯科大学のチャンバーで知り合ったのだが、その後彼女は再発しているので、治療を目的としたダイビングショップのツアーに参加したり、減圧症のMLに参加している。まあ、さすがにもうダイビングに未練はないそうだ。でも、MLで情報は入ってくるようで、最近東京医科歯科大学も混んでいるらしいとか、簡易トイレができたらしいとか。

私が治療に行ってた時は、朝9時に行って診察受けて、着替える。(下着の下のみに、病院支給の布製のガウンみたいの)。今日チャンバーに入る人全員の診察が終わったら、いよいよチャンバーに。その時点ですでに昼近い。圧力をかけて、自分の名前を書いた「マイマスク」で15分位酸素を吸って、10分位マスクをはずすというのを繰り返す。その間は3時間位かな。で、だんだん普通の気圧に戻していって計5時間半位。チャンバー出ると、お医者さんの「誰か先に診察受けてよ~」という声を無視して全員がトイレに向う。で、診察受けて、1日が終わりなんだけど、すでに5時なんで、慌てて会計に。5時過ぎると「次回でいいよ」と言われる。で、払うお金が、1割負担の時だったんで、710円のみ。もっと取ってもいいのになあ、と思った。で、その後会社に行って、11時頃まで働いてた。重い割には元気だったんだなあ。

彼女とは来年は北海道に観光に行こうね!という話でまとまった。

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減圧症1

2008-09-27 21:20:08 | 減圧症

パソコンと一緒にスキャナーも買ったので、ダイビングしてた頃のモーターマリンⅡ(フィルムの水中カメラ)のプリントをデータ保存する作業をやってみる。

2003年の1月、減圧症になってから、潜るのをやめてしまった。年に一度、「体験ダイビングは何度かしたことがあります。」と嘘をついて、沖縄で体験ダイビングはしてるけどね。「チャンバーに7回入りました」とは絶対言えないし。医者に「良かったね。トイレ行きたいかどうかは分かるんだ。」、すなわち「あと1歩で、トイレに行くかどうかの神経もやられるところだった」と言われ、チャンバー仲間(治療のため5時間半入るので、一緒に入った人と仲良くなる)が次々再発をしてるのを見てたら、さすがに怖くて、水深10m以上は潜れなくなりました。

私がカードを取った20年前(!)は、まだ飛行機の乗る8時間前まで、潜っていい事になってたんだよね。今は24時間前らしいねえ。まあ、そんな感じでかなり乱暴な潜り方だったからなあ。私たちの年代と、そんな私たちと気の合った現地ダイビングショップは。木曜日か金曜日の最終便で沖縄に飛んで、次の朝一の船か飛行機で離島に渡って、その日で3本位潜って、翌日から1日3~4本潜って、羽田に最終便で戻る日も潜ってた。次の日会社で仕事してる時、手の指先が痺れてるなんて事はしょっちゅうだったし。

私は運動神経鈍かったら、300本超えてから楽しくなってきたのに、431本で終わりかあ・・・。せっかくの経験(?)なんで、おいおい思い出して書いていきます。080927

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