3月5日 水曜日 その1
午前中は「たっぷり約3時間滞在」の吉野ヶ里遺跡の日だ。天気予報では、この日は雨が降らないとなっていたが果たして・・・?
おおっ! 行きのバスでは車窓から虹が見える!結局青空はこの時だけだったが、雨は降らず。ありがたかった!
Ⅰ.吉野ヶ里遺跡
およそ117ヘクタールに渡って残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で、国営歴史公園として整備されている。そう、馬鹿みたいに(失礼な表現だが)広いのだ。
そして、ここの公式HPがとっても分かり易い。なぜ、そう推察したのかもきちんと載ってる。写真もここの方が晴天だし、とっても素晴らしい。
講師の方の「09:10発の園内バスに全員で乗る」という目標のため、速足でバス乗り場まで歩く。
おおっ!向こうの方に復元建物が見える!
全員でマイクロバスに乗って(若手?の私達は補助席にも座らず立つ)停留所2の古代の森体験館で下車。
古代の森体験館&古代の森をざっと歩く。
1.甕棺墓列
真ん中に道があってその両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられていたそうだ。甕棺墓!九州独特の風景だ!楽しい!
↓ こちらは埋め戻し後
↓ 復元した所
2.北墳丘墓
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別な墓を人工的な丘で覆った丘墓(きゅうぼ)。内部は展示施設となっていて、発掘された状態での本物の遺構及び14の甕棺を見学できる。
甕棺は本物だけど、中の銅剣やガラス玉はレプリカらしい。
↓ こんな風に彩色されていて、埋葬されていたらしい。
さらにその南には
墓道と立柱と屋根だけ写ってる祀堂。その向こうの台形の丘が北墳丘墓。
その南には
再び甕棺墓列。
2.北内郭
クニの政(まつりごと)を最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に祖先の声を聞いてもらって決定していった場所と考えられている。古代中国の事例と発掘した遺物を付け合わせての推論らしい。
①入り口
②主祭殿(奥の3階建て)
↓ 2階
↓ 3階
③竪穴式住居の中
最高司祭者が寝泊まりしていたらしい。
3.南内郭
鉄製品が多く発掘されたので王や支配者層が住んでいた場所と考えられている。
①物見櫓
左側の、一番眺めが良いと講師お勧めの櫓に登ってみた。
王の一族の家を見下ろす。
南内郭の西、「倉と市」を見下ろす。
広いなあ。弥生時代の大都会だ。
②王達の住まい
↓ 王の妻の住まい
↓ 娘夫婦の住まい
↓ 王の住まい
う~ん、発掘調査からそういう結論(仮説)になったんだろうけど、娘夫婦の家って・・・どうよ。
3.展示室
講師の方と要所要所の現地ガイドの方の説明でたっぷり2時間見学。ここで一度解散となって、1時間後に公園センターのレストランで再集合。
↓ ええっ! 今、こんな御朱印があるんだ!
↓ 王塚古墳の壁画にもあった、双脚輪状文の分かり易い説明もあった。
王塚古墳で双脚輪状文のキーホルダーを買った私。そして、その元となったスイジガイは、今も(いや、私がバリバリのダイバーで沖縄に良く行ってた20~30年前か)沖縄では家の玄関の扉にぶら下げると魔除けになるという言い伝えがあって、私も一つ持っている。
4.倉と市
自由時間はここを見学する事にする。
海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった場所と考えられている。「レンガなどに描かれた古代中国の市の様子とよく似た構造をしており、また当時の交易の重要な交通手段と考えられている「舟」が利用できる大きな川がすぐ近くを流れていたこと、さらにはこの地域全体が大きな壕で厳重に囲まれていることなどが、こうした考え方の基になっています。」そうだ。
①倉庫群
②市楼
案内パネルには「市を管理する建物です。下の階で市に参加する許可をもらい、上の階で太鼓をたたいて市の開催を知らせた」とあった。
私も、知らせてみた。
5.天の浮橋
6.レストランにてランチ
佐賀牛のハンバーグと古代米!
食事時間を入れるとたっぷり4時間、弥生時代の遺跡&復元建物を満喫!
確かに、邪馬台国は大陸との交易を考えると、ここだったかもと思わせる。