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落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その5

2025-04-01 13:22:18 | 旅行記・九州

3月5日 水曜日 その1

午前中は「たっぷり約3時間滞在」の吉野ヶ里遺跡の日だ。天気予報では、この日は雨が降らないとなっていたが果たして・・・?

おおっ! 行きのバスでは車窓から虹が見える!結局青空はこの時だけだったが、雨は降らず。ありがたかった!

 

Ⅰ.吉野ヶ里遺跡

およそ117ヘクタールに渡って残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で、国営歴史公園として整備されている。そう、馬鹿みたいに(失礼な表現だが)広いのだ。

そして、ここの公式HPがとっても分かり易い。なぜ、そう推察したのかもきちんと載ってる。写真もここの方が晴天だし、とっても素晴らしい。

講師の方の「09:10発の園内バスに全員で乗る」という目標のため、速足でバス乗り場まで歩く。

 

おおっ!向こうの方に復元建物が見える!

全員でマイクロバスに乗って(若手?の私達は補助席にも座らず立つ)停留所2の古代の森体験館で下車。

古代の森体験館&古代の森をざっと歩く。

 

1.甕棺墓列

真ん中に道があってその両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられていたそうだ。甕棺墓!九州独特の風景だ!楽しい!

↓ こちらは埋め戻し後

↓ 復元した所

 

2.北墳丘墓

吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別な墓を人工的な丘で覆った丘墓(きゅうぼ)。内部は展示施設となっていて、発掘された状態での本物の遺構及び14の甕棺を見学できる。

甕棺は本物だけど、中の銅剣やガラス玉はレプリカらしい。

↓ こんな風に彩色されていて、埋葬されていたらしい。

さらにその南には

墓道と立柱と屋根だけ写ってる祀堂。その向こうの台形の丘が北墳丘墓。

その南には

再び甕棺墓列。

 

2.北内郭

クニの政(まつりごと)を最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に祖先の声を聞いてもらって決定していった場所と考えられている。古代中国の事例と発掘した遺物を付け合わせての推論らしい。

 

①入り口

 

②主祭殿(奥の3階建て)

↓ 2階

↓ 3階

 

③竪穴式住居の中

最高司祭者が寝泊まりしていたらしい。

 

3.南内郭

鉄製品が多く発掘されたので王や支配者層が住んでいた場所と考えられている。

 

①物見櫓

左側の、一番眺めが良いと講師お勧めの櫓に登ってみた。

王の一族の家を見下ろす。

南内郭の西、「倉と市」を見下ろす。

広いなあ。弥生時代の大都会だ。

 

②王達の住まい

↓ 王の妻の住まい

↓ 娘夫婦の住まい

↓ 王の住まい

う~ん、発掘調査からそういう結論(仮説)になったんだろうけど、娘夫婦の家って・・・どうよ。

 

3.展示室

講師の方と要所要所の現地ガイドの方の説明でたっぷり2時間見学。ここで一度解散となって、1時間後に公園センターのレストランで再集合。

↓ ええっ! 今、こんな御朱印があるんだ!

↓ 王塚古墳の壁画にもあった、双脚輪状文の分かり易い説明もあった。

王塚古墳で双脚輪状文のキーホルダーを買った私。そして、その元となったスイジガイは、今も(いや、私がバリバリのダイバーで沖縄に良く行ってた20~30年前か)沖縄では家の玄関の扉にぶら下げると魔除けになるという言い伝えがあって、私も一つ持っている。

 

4.倉と市

自由時間はここを見学する事にする。

海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった場所と考えられている。「レンガなどに描かれた古代中国の市の様子とよく似た構造をしており、また当時の交易の重要な交通手段と考えられている「舟」が利用できる大きな川がすぐ近くを流れていたこと、さらにはこの地域全体が大きな壕で厳重に囲まれていることなどが、こうした考え方の基になっています。」そうだ。

 

①倉庫群

 

②市楼

案内パネルには「市を管理する建物です。下の階で市に参加する許可をもらい、上の階で太鼓をたたいて市の開催を知らせた」とあった。

私も、知らせてみた。

 

5.天の浮橋

 

6.レストランにてランチ

佐賀牛のハンバーグと古代米! 

食事時間を入れるとたっぷり4時間、弥生時代の遺跡&復元建物を満喫!

確かに、邪馬台国は大陸との交易を考えると、ここだったかもと思わせる。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その4

2025-03-28 19:45:06 | 旅行記・九州

3月4日 火曜日 その2

土砂降りの雨の中、晴れていたらさぞ素敵だったろう海の中道のリゾート地を通って、志賀島へ。

福岡って、こんな近くに海のリゾート地やゴルフ場があるんだ。

 

Ⅲ.志賀島

1.ランチ

志賀島(陸続きだけど)の北にある、休暇村で名物のサザエ丼とサザエのつぼ焼き!

晴れてたら、目の前は白い浜と海。素敵なロケーションだったんだろうなあ。

生ビールの小と共に美味しく頂きました!

 

2.蒙古塚(蒙古軍供養塔)

車窓からだけど。

昨年モンゴルに行ったので。あんな大草原の民族が見た事のない海を渡るって、無理あるよなあ。でも(なぜ、襲ってきた蒙古軍を供養してるんだ?)と思って調べたら、捕虜の蒙古軍をこの地で120名ほどの首をはねたらしい。しかもこの塚を建てた歴史もいろいろあって。詳細はこちらをどうぞ。

やっぱり北九州って、その立地から、古代からいろんな意味で国際都市だったんだなあ。

 

3.金印公園

天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所を公園にした所。後漢書による倭(日本)の記述で、西暦57年に後漢王朝の初代皇帝光武帝が倭の奴国(弥生時代に存在した国で、現在福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる)が与えたとされる小さな金印。

西暦57年の日本の歴史の史実を証明した大発見だ。

志賀島の秀治・喜平という2名の百姓が、水田の巨石の下の箱に入った金印を発見→雇用者の甚兵衛→那珂郡奉行→福岡藩→福岡県の儒学者が後漢書にある「金印」と認定したらしい。

単純に、よく誰も懐に入れないで無事、現代日本の国宝になったなあと思う。

土砂降りの中、レプリカを展示してるモニュメントも見学。

実際の発見場所とされているのはこの下の海の中で

発見当初はこのあたりが水田だったらしい。現在の陸地が実は海だったというのは良くあるパターンだけど、この海が250年ほど前には水田だった?というのは、信じられないんだけど。

 

Ⅳ.板付遺跡(いたづけいせき)

福岡空港のすぐそばで、「弥生時代前期(約2400~2200年前)の集落で、東西約80m、南北約110mの溝が楕円形に巡っており、環濠集落である。溝の内部には住居跡やコメなどの食料の保管をしていた貯蔵穴が見つかっており、周囲には水田跡が広がっている。水田には井堰を設置して水量を調整するなど、整備された水田が広がっていたことが分かっている。用水路からは木製の鋤・鍬や稲の穂を摘む道具である石庖丁など農工具が多く発見されており、水田からは当時の人々の足跡も発見されている。」

晴れていれば全体像がこんな感じ ↓

実際は土砂降りなので、歩くのも大変。

↓ 水田跡

↓ 濠

復元された竪穴式住居に一応入ってみた。

↓ この後訪れた、福岡市博物館にあった復元模型

板付遺跡弥生館(板付遺跡のムラの人々がどのような生活をしていたのか、出土遺物の展示や映像、ジオラマを見たり、復元した道具を触って確かめることができます。)は休館中でした。

 

Ⅴ.福岡市博物館

メインは金印。だけど、今福岡市博物館のHPを見たら、貸出中とあった。

見られてよかった。前にも東京国立博物館の「日本国宝展」で現物を見て、あまりの小ささに驚いた。もう10年も前かあ。そこに驚く。

↓ 九州北部特有の甕棺墓

これは翌日の吉野ヶ里遺跡の予習。

青銅器の出土も多い。

ちゃんと鋳型も残っている。日本でも作成してたんだなあ、大陸が近いから職人さんが来てたんだろうなあ、と実感。

4の鴻臚館の時代で、鴻臚館が大河ドラマ『光る君へ』で紫式部(吉高 由里子)と周明(松下洸平)が再開する場所じゃん。TBSドラマ『最愛』の流れで、『光る君へ』は観てたのよ~。なんか、話がつながってうれしかった。

特別展「黒田家名宝展示」もやっていて、講師の方推薦の槍を見る。

閉館時間近くがツアーの集合時間だった。その後、福岡ユウベルホテルに戻る。

 

Ⅵ.夕食

友人が「豚骨ラーメン」が食べたい!というので、ラーメン屋へ。ところがGooglemapで検索した店は閉まっていて、雨の中、そこから近そうなラーメン屋を再検索してそちらへ。

私は、ずっと独り者の会社員だから外食多いし、若い時は飲んだ後の〆のラーメンだったし、今でもバイト帰りこってりしたラーメンを食べたくなると一人でラーメン屋入る。けど、私の同世代で結婚して子供育てた女性は、あんまりラーメン屋って入った事ないんだなあ、と実感。

この後、ホテルのすぐそばの、北九州のみで展開している「ボン・ラパス」というスーパーでデザートを購入。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その3

2025-03-26 18:39:35 | 旅行記・九州

3月4日 火曜日 その1

今日午前中は装飾古墳の日! そして、私でも傘をさすほどの雨。寒い!

8:00出発で、高速に乗って福岡市の西へ。

↓ 博多港(う~ん、博多と福岡の区別が良く分からん)に停泊していたEUROPA(オイローパ、そのままヨーロッパと読んでしまった)2という豪華客船

南蔵院の涅槃像

この涅槃像を建立後、住職がジャンボ宝くじに当たったそうだ。

 

Ⅰ.王塚装飾古墳館

1.王塚古墳

まずは、古墳を見学。年2回の特別公開時にしか石室は覗けない。

2段の前方後円墳。1934(昭和9)年の彩土工事中に前方部が削られて、横穴式石室が発見された。6世紀中頃に作られたそうだ。

↓ この扉の向こうに本物がある。

登って、反対側にも行ってみる。

 

2.王塚装飾古墳館

すぐそばにある、古墳館で、ここでは王塚古墳のレプリカをたっぷり味わえる。

①常設展示

では、レプリカの中へ。構造についてはやっぱり公式HPに詳しい。

 

1)前室

左側の馬。黒い馬は雄だそうだ。小さいけど。

右側の馬。

↓ 天窓

 

2)後室(玄室)

全体写真が、私が写った写真しかなかった・・・。消しゴムマジックでも消せない大きさだ。

↓ 左側の壁。左側が石枕で、右は燈明台。

「正面に2体用の石枕がある石屋形(棺床)が据えられ、この前面には1対の灯明台とおぼしき板石が立てられています。」

↓ 天井の模様は、おそらく星

↓ 後室側から見た天窓

びっしり描いてるなあ。制作にかける時間があったんだろうなあ。国内最多の色使いだそうだ。レプリカって、満喫できるから楽しい。

 

②企画展「ほぼ実寸 装飾古墳壁画展」

全国(と言っても18ヶ所は九州)22か所の装飾古墳のから写し取った「装飾」を原寸大で紙にプリントアウトして、つないで展示。

↓ 福岡県うきは市の日岡古墳

ちょっと高校の文化祭ぽい感じだったけど、原寸大で装飾がきちんと間近で見られるから、学術的価値は高いに違いない。

↓ 見に行った事のある茨城県ひたちなか市の虎塚古墳

↓ 福島県泉崎村の泉崎横穴4号墓

おまけに、ツアー客全員に、この企画展の立派なパンフレットを配布してくれた。

この資料って、凄いぞ!多分

 

Ⅱ.竹原古墳

バスで北へ30分位行った所。昭和31年3月18日に諏訪神社の相撲場の土俵の土取りをした時に発見されたそうだ。

昭和31年当時は立派な神社だったに違いない。

この社の左横に、保存施設があって、なんと本物を見せてくれるのだ。

保存施設も狭いし、見学も腰をかがめて一人ずつ。外で待っている間、寒かった・・・。

↓ 保存施設で、まずビデオを観る。

同じビデオが、ここにアップされている→https://youtu.be/Iv8ZYiaMZZ0

そして、なんと、本当にこのビデオ通りにはっきりと見えるのだ。もっと色褪せてるとかではなくて、結構きれいだ。びっくり!

↓ もちろん撮影禁止なので、ネットから拾った画像

↓ 王塚装飾古墳館でいただいた、企画展のパンフレットからの図柄

とってもエキゾチックな図柄だ。

↓ 古墳をもぐらから守る守るための、ペットボトル風車

管理をまかされている、神社の階段下に住む年配夫婦の手作りだそうだ。こんな素朴な保存方法なのに、きちんと保存されているのが不思議だった。

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その2

2025-03-21 22:21:22 | 旅行記・九州

3月3日 月曜日 その2

Ⅱ.「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

 

2.新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群

上の地図の右上の展望台からスタートして1の前方後円墳まで歩く。

丸い禿げた小山みたいのが円墳43~34号で、木が茂っているのが21号や22号古墳。

「沖ノ島祭祀を担い、沖ノ島に宿る神に対する信仰を宗像三女神信仰へと発展させた古代豪族、、宗像氏の墳墓群です。5世紀から6世紀にかけて当時の入海に面した台地上に、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。長期にわたる様々な規模や形態の古墳が集中して築かれていることが特徴で、台地上からは旧入海の田園とその向こうの玄界灘が見渡せ、海を意識してこの古墳が造られたことがわかります。」

 

↓ 34号かな?発掘調査中なのかな?

ちょうど菜の花がきれいな季節でラッキー!

 

↓ 多分30号墳

 

↓ 多分24号墳

 

↓ 22号墳に登ってみる

「22号墳…推定全長80メートルの前方後円墳だが、方墳部分は失われている。5世紀前半の造営。新原・奴山古墳群の中で最大規模で、最古の部類に属す。周溝と周堤も巡らされていた。墳丘上には後世に祀られた縫殿宮の石祠がある」

祠に見えます?

 

↓ 多分12号墳

1号墳は崩れてるとかで近寄れなかった。

 

↓ 21号墳の、鎌倉時代の供養塔

「 5世紀前半に築造された直径17メートルの円墳です。22号墳の周溝がこの古墳を避けていることから、それ以前に造られた小首長の古墳と考えられます。古墳の上に立っている8基の石柱は、築造から800年後の鎌倉時代に造られた供養塔です。地元ではこれが単なる小山ではなく墓だと知っていて、そこを利用したと考えられます。」

令和の時代、保存されているだけでありがたい。

 

Ⅲ.宮地獄(みやじだけ)神社・宮地獄古墳

神社なのに地獄!と驚いたけど、「みやじだけ」と読むそうだ。

何が一番有名かと言うと、この階段を登って振り返ると

年2回、海に沈む夕陽が一参道と一直線になるこの「光の道」 ↓

嵐が出演したJALのCMの効果もあって、大人気で、きれいにみえるかいだんの場所は祈願料5,000円だそうだ。

いろいろ見所いっぱいの神社。創建も1,700年前。

まずは、三つの日本一。うち、しめ縄は「毎年掛け替えられる巨大しめ縄」では日本一だそうだ。大きいしめ縄と言えば、出雲大社の神楽殿を思い出すけど、実際は茨城県にある出雲大社の分社、常陸国出雲大社の大しめ縄が大きさで言えば日本一だそうだ。大太鼓と大鈴もガラス越しに見てきた。

そして、本殿の屋根は金色

新日鐵チタン建材だそうだ。

そして、奥之宮八社巡り

小さな祠が8つとかじゃなくて、結構立派なお社を持つ神社が斜面に建つ。

「宮地嶽神社には、神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿の他に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られています。「一社一社をお参りすれば大願がかなう」という信仰があり、昔から多くの人が訪れています。奧之宮八社巡りの信仰は日本最大級の石室古墳発掘を機に不動神社(史跡)が奉祀されたことから盛んになりました。」

毎年220万人以上の参拝客が訪れ、三が日には100万人以上の人々が訪れているというだけあって、ご利益いっぱい!

そしてメインは三番社・不動神社! 神社なのに不動。神仏習合の緩やかな感じが日本ぽくていいね。

「奥之宮三番社不動神社は日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしております。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、金の鐙(あぶみ)・冠(かんむり)・馬具類・大太刀等数多くの埋蔵物が発掘され、20点が国宝に指定を受けています。」

古墳の石室利用は、他にもあるから。あるものを利用するのは世の常だ。とはいえ、ここは宮地嶽古墳

賽銭箱を挟んで内部を覗くだけでは、「日本一」の大きさは感じられないなあ。

外から古墳の形をみると、こんな感じ。

周囲の石は、昭和の戦前に並べられたもの。

なぜか、フクロウも飼育されていた。

帰りに参道の名物「松ヶ枝餅」を購入。と言うか、到着する前のバスで希望数を集計して、注文。帰りがけにすぐに受け取れるようにしてもらっていたのだ。ツアーの良い所!

小腹が空いてたので、美味しく頂きました。

 

Ⅳ.ホテル

2泊とも、福岡ユウベルホテルというビジネスホテルだ。最近流行の、女風呂の入り口はパスワード付大浴場付き(凄い大きい訳ではない)。連泊の場合、掃除は4泊目のみだそうだ。浴場も掃除も人件費節約だ。夕飯は付いてないツアーなので、Googlemap見ながら食べに行ったんだが、だいたい15分位歩いた。

朝ご飯のバイキングは、ビジネスホテルの割には充実(かな?) 筑前煮や焼きラーメン、酢もつなど、福岡(博多)名物があった。

 

Ⅴ.夕食

友人が「イカの刺身が美味しいと聞いたから」との事で、「呼子のイカ」でGooglemapで検索して、お手頃価格の「大名やぶれかぶれ 西中洲店」へ。

動いてるので友人、大喜び。美味しかった。これで1,000円だ。

私は残りのヒレと足をどう食いちぎろうかと悩んでいたら、店員さんは「ヒレと足はおつくりします。どうされますか?」というので、皆さんが良く頼むという天ぷらにしてもらう。

これも美味しかった。

あと、煮込んだ餃子も頼む。この日は寒かったし。

〆のお茶漬け。飲み物を2杯ずつしか頼まなかったせいもあって、これで二人で7,480円だけだった。ご馳走様!

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福岡・佐賀の遺跡巡りのツアー参加 その1

2025-03-16 12:16:41 | 旅行記・九州

吉野ヶ里遺跡と九州に多い装飾古墳と磐井の石人に興味があった私は、コロナ禍明けにこのツアーを申し込んでいたんだが、3日前に発熱して半日で下がったけど用心のためにキャンセルしたんだ。

で、今回リベンジ。どこかに行きたいという友人も同行。

【歴史への旅】邪馬台国はどこだ⁉「吉野ヶ里遺跡と謎の女王卑弥呼」福岡・佐賀の古代探訪3日間 講師&添乗員同行

台湾と同じ旅行会社だ。囲い込みされているのかな、私。

 

3月3日 月曜日

8:00羽田発のJAL307便で10:00に福岡空港着。早速大型観光バスへ。ほぼ満席。年齢層はもちろん高い。杖を付いた方も5名。若手な私達。

 

Ⅰ.ランチ

今日昼食は付いてないので、飛行機やバスで持って行ったパンを食べたりもしたけど、「道の駅むなかた」で40分休憩という事なので、そこの「おくふろ食堂『はまゆう』」で。学食みたいに美味しそうな小皿料理もいっぱいあって楽しい。

私は「玄海茶漬け」

たっぷりゴマダレに、鯛やマグロなどの他の丼にも使った魚の刺身が入っている。美味しかった。

美味しかったんだけどさ、「玄海茶漬けセット」を頼んでも、味噌汁や漬物はいらないから、メニューにあった「玄海茶漬け」の単品を頼んだんだ。

そしてたら「ごはんは?」と聞かれたので「大」と答えて、大盛りにもしてくれるんだと思ってたら、なんとご飯は別料金!

レシートを見たら、「お茶漬け 930円 ごはん(大)350円」

「お茶漬け」でごはん別料金? ごはんがないお茶漬け? しかもゴマダレがたっぷり過ぎて、そのまま食べてお茶漬けにしなかった・・・。不思議なお茶漬けだった。

 

Ⅱ.「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

 

1.宗像大社・辺津宮( へつぐう)

神話としても、史実としてもきちんと文字に残っている宗像大社。天照大神とスサノオノミコトとのあいだに誓約(うけい)で生まれた三女神。近親相姦かと思ってギョッとしたら、誓約。なるほど。その三女神の長女を祀る辺津宮。

「元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であったとされる。海を隔てた大陸や半島との関係が緊密化により土着神であった三神が4世紀以降、国家神として祭られるようになったとされる。」なるほど。分かり易い解説だ。

二の鳥居を寄贈したのは、麻生太郎の曽祖父。

寒い。

 

①手水舎

これは、手を浄めやすい! 大勢をさばける。 

 

②門

 

③拝殿

 

④本殿

 

⑥高宮祭場 (たかみやさいじょう)

宗像大社のHPだと「市杵島姫神の降臨の地とされ、社殿がない古代祭場です。月次祭にはお祭りがあり、10月3日には夜神楽(悠久舞)が舞われます。」と、割とそっけない説明。

階段を結構登る。なぜ、ツアーの皆さんが手摺をしっかり握っているかというと、登る時に階段を踏み外した人がいるからです。

現地の説明看板だと「沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所のひとつです。神社に社殿が構築される以前の祭祀形態である、神籬(ひもろぎ:樹木)の祭場です。岩や木々など自然をはじめとする万物に神々が宿るという神道の根源である自然崇拝を今に伝える、全国でも稀な古代祭場です。」沖ノ島で行われていた祭祀の姿を色濃く残す場所だそうだ。

 

⑦第二宮 第三宮(ていにぐう ていさんぐう)

沖ノ島と大島の分霊を祀っている第二宮と第三宮。ここも詣でれば宗像三宮を拝した事になる。

建物の資材は、伊勢神宮の式年遷宮の際に下賜されたもの。

 

2.神宝館

「沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されています。」

8万点の国宝!

沖ノ島では4世紀から9世紀まで祭祀が行われていて、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たていた証拠が国宝となっている。

巨石好きな私が面白いと思ったのが、沖ノ島の祭祀って、最初は島の巨石で行われていて、だんだん場所が変わっているところ。

上の図で字は読みにくいんだが、岩上→岩陰→半岩陰・半露天→露天。

↓ 神鏡 沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製香炉状品 伝沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製龍頭一対 沖ノ島【国宝】

↓ 奈良三彩小壺 沖ノ島【国宝】

↓ 金銅製高機 伝沖ノ島【国宝】

沖ノ島、女人禁制だけど、それでいいじゃん。スピリチュアルとかもてはやしてるんだったら、それはそれで、大事にしてあげればいい。調査で上陸する女性がいるなら、騒がないでそっと上陸すればいい。よ、私は思う。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その8

2025-03-15 16:59:09 | 旅行記・台湾

2月16日 日曜日

やっと台湾にいる実感が湧いてきたのに最終日。そして、13:00のホテル出発まで自由時間! やった自由だ!

友人とホテルから北西へ15分位で歩いて行くことができる迪化街を散策して、その後時間が余ったら、台北駅に行ってみようという事になった。

 

Ⅰ.迪化街(てきかがい、ディーホアジエ)

↓ 春節の飾りかな? キノコかな?

ここを右側に進むと迪化街入り口。

↑ この写真は帰る時に撮ったので人が多いが、私達が着いた9:30頃は早かったからか、もっと閑散としてた。

「迪化街では、19世紀中頃の清朝末期、貿易や船荷を扱う商店が街を形成し始めました。清朝は樟脳、日本統治時代には茶葉が台湾の特産品となり、20世紀初頭の日本統治時代は、台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店が集結し、台湾の主要な商業エリアとなりました。通りには、美しいバロック建築の建物が並び、裕福な商人たちはこの街に集結したのです。
戦後になって「迪化街」という地名がつきました。」

370棟の建物が並び、その半分程度にあたる178棟が主に日本統治時代に建てられた歴史的建築物。でもね、通りが狭くて建物が大きいから、うまく写真が撮れない。

↓  こんな風に見上げた感じでした写真が撮れないのだ。

 

①永樂市場

ここにも、ランタンが。

可愛いのかなあ?

今調べると、2階や3階の生地売り場が有名だったらしいが、私達が覗いたのは1階の飲食店コーナー。

↓ 並んでいる魚が、沖縄・那覇の公設市場の魚に似てる。

↓ ここの店、鉄板に手で生地を塗りつけている!熟練の技だ!

寿司屋もあり混んでいた。

朝から、行列ができている餅屋みたいのもあった。

 

②遊客案内(Visitor Center)

市場の前の建物の3階に、吊るされたランタン(提灯)が見えたので行ってみたら、Visitor Centerだった。

階段を登ってもいいよ、というので上がる。

2階は、コスプレ写真スタジオ&カフェ。

3階は、外から見えた提灯の部屋。

提灯の部屋の奥には、日本統治時代の小学校を再現した教室があった。

 

③霞海城隍廟

永樂市場の隣。1856年創建。600以上の神が一堂に会する台湾では神像密度の最も高い古廟だそうだ。

お参りに来ている人が大勢いて、真剣に祈っているので、観光客の私達は奥に入らず。

 

④ティータイム:南街得意

民藝埕という歴史的建造物の2階のカフェ。偶然見つけて、入ったんだが、人気店らしくて、私達が席についてしばらくすると満席だった。

建物の間口は狭いが奥行きが深くて、トイレの向こうは別店舗もあって、迷路みたいだった。建物の構造が見られて、うれしかった。

烏龍茶は、10種類の中から、香りをかいで自分で決められる。

↓ こちらがお茶請け2名分。

おかわりのお湯は、魔法瓶が1本。

これで、1名分280元(×5=1,400円)。安い! まったりできる! この後、台北駅まで行って、機内食がでる17:00位までの間のために何か食べようかと言っていたんだが、「もう、ここでまったりしよう!」となった。

 

⑤お買い物

お茶請けで食べたドライフルーツが美味しかったので、すぐ近くの店で購入。

↑ もちろん、これは店頭の写真で、私が購入した商品写真ではない。

100元(×5=500円)とか150元(×5=750円)なので、ツアーに組み込まれていた土産物屋の2,000円以上のパイナップルケーキが(気持ち的に)高くて買えなかった私は喜ぶ! とは言え、3袋買っただけだけど。

ただ、ここは現金しか使えない。「すぐそばに銀行のATMがあるから、そこで台湾元をおろしてくるよう」言われたが、まだ手持ちの現金があったので、それを使う。現地のATMで自分の口座から引き落とすって、なんか怖くてさ。

 

⑥いちご大福

迪化街で大流行らしくて、こんな屋台があちこちに。そして、この屋台でいちご大福を作っているのだ。この店舗は人気店らしくて、20名ほどが並んでいた。

↓ こんな店もあった。

自由時間は、これで終わり。ホテルに戻る。

 

Ⅱ.台湾桃園国際空港

二人で珈琲2カップと、サンドウィッチ1袋購入。これで、初日、ガイドさんに両替してもらった1,000元(5,000円)の現金を使い切る。ちなみに昼や夕食の際のビール代が、大瓶1本で150元で、これは現金払いだった。

成田空港着が20:25なので成田から早目の電車に乗ろうと、友人がキャスターバッグを手荷物で持ち込もうとしたら、大きさはOKなのに、チャイナエアラインの規定で重量が7㎏までなので、持ち込めなかった。「パイナップルケーキ2箱分の重量オーバーだ」と友人は言っていた。

チャイナエアライン、台北発16:25→成田空港着20:25。

帰りの飛行機は、洋画の日本語字幕があったので、評判が悪くて映画館で観なかった「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観る。ジョーカーのカリスマ性が否定されて、レディ・ガガ演じる心理学者の実験材料にされるという哀れなアーサーの物語だった。その後「ボヘミアン・ラプソディ」のLive Aidシーンを観てたら、日本に着いた。

やっぱり近いな台湾。そして、フリーで行く場所だな。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その7

2025-03-14 16:17:46 | 旅行記・台湾

2月15日 土曜日 その2

 

Ⅵ.十分で天燈上げ

バスは細くて高い位置にある高速道路を移動して、1時間位で十分(シーフェン)へ。

参加した日本の旅行会社の企画で、いろんな出発地や旅行日数のツアー客300名近くを集めて、夜に天燈上げをするイベントに参加するためだ。

天燈もランタン(日本だと新潟の津南町のが有名)で、分かり易いのがディズニー映画の「塔の上のラプンツェル」のランタン。

2月14日に見学したのも「桃園ランタンフェスティバル」だ。そして、Yohoo!で「ランタン」を検索すると、キャンプ用品の照明器具ばかり出てくる。

ランタン、なんて守備範囲の広い発光体の言葉なんだ!

車窓は、日本の田舎みたいな風景になったと思ったら、見えてきた十分(シーフェン)の町。

空に何か飛んでいるのが見えますか? すでに天燈が飛んでいる!

 

十分(シーフェン)の町

バスの駐車場から15分位歩いて、十分の中心地へ。イベント開始まで50分程自由時間。

なるほど! こういう場所だったんだね!

「十分は台湾の中でも神のすみかにもっとも近いと言われ、ここから天燈を上げると願いごとがかなうと言われている」らしく、線路の両脇に店で、天燈に直接筆で願いごとを書き、線路上で店の人に天燈内の固形燃料みたいのに火をつけてもらい、スマホで写真も撮ってもらい、天燈を上げるという、観光客大満足のイベントが体験できる場所なのだ。

ガイドさん曰く、「天燈は紙製だし、下の円形の金具は、専門の回収業者がいるから環境には問題ない。周辺は常緑広葉樹に囲まれ湿気も多いから山火事の心配もない」そうだ。

皆、とっても楽しそうだ。

お値段もこんな感じで、1色だけの天燈なら1,000円からだ。

日本人の若いカップルもいて「NISA爆上がり!」と願っていて、笑った。

ただ、この線路、電車が通る!50分の間、上下線1本ずつ通過した。けたたましくホイッスルが鳴ると、一斉に皆線路上から避難して、電車行ってしまうとまた、この状態。

なかなか、楽しい場所だ!

 

②旅行会社企画の天燈上げ

バスの駐車場と十分の町の中間点位が会場。

なんとこの会場、日本の台湾統治時代の石炭の採掘場跡地なのだ。多分、採掘した石炭置き場が広場になっててそこが会場だ。

その建物が今も残っている。

スミ

司会の、旅行会社の台北支店勤務の若い女の子は「ここは昔、炭(スミ)を作っていた場所です」と案内してた。可愛いなあ。

ここに、多分バス10台分位の日本人観光客が集結する。第1グループが130名、第2グループが150名。

最初に特大天燈を上げて、段取りを説明される。

参加したグループ人数ごとに畳まれた天燈を1コもらえて、広げて、予め渡されていて前の晩願い事記入済の、両面テープの付きB4サイズのコピー用紙を貼り付ける。町の人が着火してくれたら、上の方を持ちながら、足で下の円形の針金を押さえる。そして、司会の女の子の合図で手を放すと上がるそうだ。

友人と1コの天燈で、私達は第1グループ。手を離したら、想像よりはるかに早いスピードで上がって行く。

綺麗だ。

第2グループの天燈上げは、ゆっくり動画で撮影。

おおっ! 結構、感動! 町の観光客にも見せてあげたかったなあ。

面白かったのは、願い事の紙を貼ったため重かったのか、数個落下してくるのだ。会場の広場内に落下したのもあって、避けて走る人もいた。誰の願い事が落下してしまったんだろう?

この後、各バスの客毎にガイドに引率されて、暗い道を駐車場に戻ったんだが、私達の客1名が行方不明に。実は私達、前日のランタンフェスティバルも今夜も、ガイドさんから「私は迷子です。ガイドの電話番号は下記の通りなので電話をしてくだい」というカードを持たされていたのだ。で、20分程で迷子は無事に生還。

 

Ⅶ.夕食

台北市内に戻って20:00位から夕食。

やたら、茶色の家庭料理だ。同じ旅行会社のバス達もここで夕食。

食べた店は2階なんだが、1階は、コメダ珈琲とか鶏三和とかココ壱番屋だった。

今回の旅行、前半は土砂降りだったけど、今夜も今日も晴れて良かった。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その6

2025-03-13 19:46:36 | 旅行記・台湾

2月15日 土曜日 その1

 

Ⅰ.台北でのホテル

14日15日と台北での連泊ホテルは、旅行会社からの案内だと「台北桃禧大飯店(TAIPEI HOTEL ORCHARD PARK)」という、立地の良いビジネスホテルだったんだが、私たちの滞在中、ホテルのロゴがどんどん、「The Holiday Inn Express Taipei Train Station」に変わっていってたのが、面白かった。

すでに、ホテルの看板はHoliday innの「H」になっている。

エレベーターホールにある壁面MAP。これがとっても分かり易い! ここもすでにWE ARE HEREが「H」になっている。

 

Ⅱ.朝の散歩

朝から晴天だし、ホテル周辺をブラブラ。やっと台湾に来たと実感。

↓ 相変わらず原付バイクが多いが、鬼滅の刃の煉獄さんの痛車に会うとは・・・

↓ 台湾有事・・・? 地階のあるビルにはこの標識があった。

 

Ⅲ.故宮博物館

バスはホテルを09:00に出発して、地下1階の博物館の車止めで下車。帰りもそこからバスに乗ったので、故宮博物館の建物は全く見る事ができなかった。

ガイドさんに連れられ、最初は1時間ガイディングレシーバーで解説を聞きながら、2階(書画の部屋には行かず)と3階の見どころを見学。名物「翡翠の白菜」は、南部院区に出張中。公式HPにはその旨がきちんと告知されている。白菜は24年前に来館した時見たし、その後も上野の国立博物館で見たな。

その後、自由行動。友人は書画のコーナーへ。私は、古代のロマンを感じる青銅器の部屋もう一度行った後、他の部屋を回る。11:35の再集合時間まで、結構ゆったり見えられた。入館後は空いてたけど、10時過ぎたあたりから、団体で混みだしてきた。

前は写真撮影禁止だったけど、今回はOKになっていたので、お気に入りを撮りまくった。公式HPに3D解説の方が、分かり易くいていいんだけど。

 

①陶器のコーナー

 

②翡翠等のコーナー

↓ 有名な豚肉。これは自然の勝利の作品だ。

 

③青銅器のコーナー

↓ メキシコの、アステカ文明の暦の柄みたいだ

 

④1階の特別展示コーナー

↓ 1階の、象牙かな? どうやって彫ったんだろう?

 

Ⅳ.ランチ

小籠包の昼食。

円卓に10名程着いているので、正直、誰が何個取ったとか、まだ私はこれを取ってないとか、ちょっと面倒だった。どんどん出てくるから、冷えちゃうし。

 

Ⅴ.中正紀念堂の見学と桜鑑賞

台湾に来て、初めての青空だ! そして、暑い!

紅梅みたいなのが、台北の桜。 

日本のソメイヨシノのイメージは最初から捨ててたので、「結構咲いてるじゃん!」って感じ。

ソメイヨシノみたいな小さな桜の木も2本位あった。

で、中正紀念堂。24年前は、まだまだ蒋介石の評価が高かったんだが。時代は変わるんだよねえ。

蔣介石像前での儀仗隊交代式は「『脱・個人崇拝』を目的として、『「パトロール訓練」「場の安全維持」という本来の任務』の一環として、記念堂1階の左右の門をそれぞれ出発し、記念堂を囲むように敷設されている道に沿って民主大道まで行進する形式に改められた。」そうだ。

観光客の私達は呑気に、写真を撮影する。

この後、免税店に連れていかれる。「免税店」なんて、懐かしい響きなんだろう。昔はやたら連れていかれたよねえ・・・。と、友人と建物内をブラブラ歩く。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その5 台中&台南&高雄

2025-03-01 14:25:28 | 旅行記・台湾

2月14日 金曜日

今日は、高雄→台北→九份→桃園ランタンフェスティバルというスケジュール。9:00にホテルを出発。

 

Ⅰ.高雄:美麗駅

宿泊していたホテルの直近の地下鉄の駅の1コ隣。アメリカの旅行サイト【Travel & Leisure(トラベルアンドレジャー)】が2012年に「世界で最も美しい駅」第2位に選ばれた美麗島站(美麗駅)

平日の9時過ぎなんて、ラッシュじゃないの?と思って地下に降りたら、閑散としてる。

で、この先にあった。

確かに素晴らしい。音と光のショーもあるそうだ。デザインの意味は、このサイトに詳しい。

でも、乗客がいない。市民の足になってない。

ガイドさん曰く「観光地には行くけど、職場に行く市民の足としてはルートが違う。台北の地下鉄はもっと混んでる。」

ええっー!どんな美しい駅を作ろうが、利用する乗客がいなければ意味じゃん。私が高雄市民なら絶対抗議活動してやる。税金返せ! いったいどんな政治的陰謀があったんだ?

しかも、なぜか江ノ電とタイアップ企画してる。

他にも地下鉄(MRT)と江ノ電のマスコットのポスターとかもあった。

あと、こんなのも。

友人は、ボソッと「京王多摩センター駅の方がいろんな意味でいいかも」と言っていた。調べると確かに。

 

Ⅱ.高雄:高雄港大港橋

若者向け観光スポット「駁二藝術特區」にある、水平に回転して船を通す仕組みの橋。お洒落なウォーターフロント開発計画。

橋の展望台からみる風景。

左側の不思議な白いハチの巣みたいな建物は「海洋文化及流行音樂中心」で、ガイドさんは「ジュディオングの旦那さんが設計した」と言ってたけど、今調べると、なんか違う感じが・・・。

この橋、「550人と自転車が同時に渡れる」そうなんだが、果たしてそんなに渡る人がいるのだろうか? 平日の午後3時には回転のデモンストレーションがあるらしい。

橋を渡った先はこんな感じ。これは雨だし、平日の朝だからこんなに寂れてるけど、週末の夜になったら、きっとお洒落な若者で大混雑のはずだ。たぶん。

 

Ⅲ.高雄:民芸品店

ツアー参加者の義務だ。ツアー受入の地元旅行会社に貢献する時間だ。とは言え、かさばるパイナップルケーキ8個入りが日本円で2,000円以上。他のお客さんは購入しているので、その人たちに任せた。

会社は辞めたし、親兄弟は旅行の土産に興味がない。日本の地元の“世界のお菓子屋さん”で、1箱500円のパイナップルケーキ、マンゴーケーキ、ヌガーは既に購入済。台湾の高級パイナップルケーキよりはパサつくが、「日本で買ったけど雰囲気土産」として親兄弟にはそちらを渡す。

 

Ⅲ.高雄→台北

高雄駅から新幹線で台北まで移動。

↑ 右端のTR Bentoで、お弁当を受け取る。ツアー客だけでなく、一般の人もどんどん購入してた。

見てくれは悪いが、肉とご飯の間には野菜もたっぷり入っていて、美味しかった。高雄駅での待ち時間で食べちゃった。

高雄駅発11:55で台北駅着13:29。

車両は日本の新幹線と同じだし、車窓の風景も同じだし。外国感ゼロ。

台北駅に到着すると、再び観光バスに乗って、九份へ。

 

Ⅳ.台北:九份

また、雨が降り出した・・・。

15:00前に到着して1時間位フリータイムがあったんだが。

↓ 階段を登り切った所にある小学校

結構、不気味だなあ。

なんか、伊香保温泉と江ノ島を混ぜたような観光地。

時間が余ったらお茶でもしようかと友人と話して、ガイドさんからもらったイラスト地図を見ながら、階段を降りて途中のアーケード街を右に進んだ。

そしたら、その地図によるとアーケード街は短かったのに、実際歩いたら長くて、集合時間が近づいてきた。

夜に来たら感動したのかなあ。ただの観光地だった。

私としては金山としての歴史遺構を見た方が楽しかったかもしれない。

 

Ⅴ.夕食

観光バスで台北に戻り、桃園という到着した空港のある市へ移動。

台湾の高速道路って、やたら橋桁が高くて、おまけに同方向の2車線のみで道幅が細い。高所恐怖症の私には怖い造りだ。

↑ 高速道路からの車窓の風景がこれだよ。どんだけ、高い所を走ってるんだ? 

高架を入っている電車をさらに見下ろしてるんだよ。耐震構造なんだろうなあ。

↑ 車窓から見た墓地。じっくり見たかったなあ。墓地って社会人類学的に興味がある。

だんだん晴れてきたのが、うれしい。

夕飯は、桃園空港の近くのホテルのレストランで。だんだん写真も撮らなくなってきたな。

 

Ⅵ.2025台湾ランタンフェスティバルin桃園

毎年開催地を変え、盛大に行われている「台湾ランタンフェスティバル(臺灣燈會)」が今年は桃園で開催。私達が見たのはメイン会場のみと思うが、東京ドーム2~3個分あったかな? よく分からんが。

↑ 駅側の入り口。翌日の土曜日は大混雑でパニックだったらしい。

∞マーク(ガイドさんは今年の干支の蛇と言ってたがそうは見えない)が、今年のメインランタン(これをランタンと言うのか?)で、30分に1度回転してショータイム。

夕食でビールを飲んだ私達二人はトイレに行きたくなったのだが、簡易トイレに行くのも何だしなあ・・・と思ってたら近くにオープンしてるIKEAが! 行ってみたら、地下が普通(IKEAの客でなくても駐車できる)駐車場でトイレもあった。良かった。

その後、落ち着いて、各ランタンを見る。

↓ 一番カッコ良かった龍のライトアップ時

↓ ランタン時

↓ 日本からも企業や県が出展してた

ついつい撮ってしまう。

↓ チラッと見えた、別会場のランタン

無事、時間通り(19:45)ツアー客全員集合。夜なので、台湾語で「私は迷子です。ガイドに電話してください」という、電話番号が記載された迷子札を私達は渡されていたのだ。笑

その後、心配した渋滞に巻き込まれることもなく、21:00には台北のホテルに着いた。

 

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池上庭園 満開の梅 昼間&夜のライトアップ

2025-02-27 19:07:52 | まち歩き・東京

2月26日 水曜日

入っていたバイトに前日キャンセルをくらった。派遣会社から代替案は提示されたけど、それは辞退させていただいて、TVで取り上げられていた、梅満開の“池上庭園”に行ってみた。

家からバス1本で行ける!

区立の公園なので、入場料は100円。これで、夜のライトアップにも再入場できる。駐車場には警備員の方も4~5名もいて、挨拶をしてくれる。なんか申し訳ない。

斜面に梅の木が植えられている。そして右側に回り込むと庭園が続いている。

↓ 斜面の上まで登って、見下ろすとこんな感じ

↓ メジロもいたよ!

斜面を降りると、やたら“座論梅”はこちらの矢印が・・・。完全に特別扱いだ。なので、矢印に従ってみた。

池上梅園のパンフには「蕊(しべ)が複数あるため実が多くなるものをいいますが、当園の座論梅は一つの枝に対になって花が咲きその姿が中国の賢人が座論をかわしている姿に似ていることから命名されました」とあるが、ネットで調べると、違う説もあるし。10年前に書かれたある方のブログによると日本に4本しかないという記述もある。

↑ 座論に見えますか? 私はよく分からん。

他の花も綺麗に咲いてる。

↓ 多分、椿の侘助

↓ 福寿草

甘酒を200円で飲んだりして、一度退園。

池上本門寺を本殿から総門へ。建物が大きい!

そして、“藍屋”で、ビールと5時までOKのランチの宇和島風鯛めし定食! ただ、この藍屋 久が原店は、もうすぐバーミヤンになってしまうらしい。

日没後に再び、池上梅園へ。

↓ 頂上の展望台、高層ビルに隠れているのは富士山に違いない

だんだん、暗くなってきた。

ライトアップの時間帯は、階段のある場所は全て封鎖されていた。

バス1本で気軽に来れる私には、ありがたいライトアップだ。100円なんて申し訳ない。

↓ 昼と夜です

 

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