もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

4 023 岡野雄一「ペコロスの母の玉手箱」(朝日新聞出版:2014) 感想5

2014年11月17日 00時00分53秒 | 一日一冊読書開始
11月16日(日):



191ページ  所要時間 2:35    図書館

著者64歳(1950生まれ)。

本書は、俺にとって評価を超えた存在だ。読んでいて何度も涙ぐみ、幸せな時間を過ごすことができた。前に読んだ「3 064 岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」(西日本新聞社;2012) 感想5」と同様とても素敵な本に仕上がっていた。って言うか、俺は本書の後半をほとんど書店で週刊朝日を立ち読みして読んでいた。

毎週、読むたびに鼻の奥がきな臭くなり、目をうるうるさせてしまう。気持ちのよい感覚だった。著者の描く認知症のお母さんが実に可愛らしくて愛しい感じがした。俺の亡くなった母は息子が言うのもなんだが美人で本当に優しかったが、73歳の若さで病気で亡くなってしまった。著者の母親のように老衰ではなく、認知症でもなく元気だったのに突然病気で世を去った。俺は本当に親不孝者だった。認知症の母の介護は、胃ろうの決断も含めて決して楽ではないと十分に思いつつ、本書のような形で俺も母を見送りたかったと思う。見方によっては、羨ましい母との別れを描いた本だと思う。また、そう読者に思わせてしまう岡野雄一さんを尊敬する。

もの言わぬ母を通して、亡くなった父の存在を想い、母に手を引かれていた自分と弟の姿を思い出す。母を通して過去の愛しい世界がどんどん蘇っていく。認知症になることによって母はかえって自由を得た。生前は超酒ぐせが悪かったが、亡くなった父は母にとても優しい人として登場したし、懐かしい姉妹や父母に逢うことも出来た。眠ったように動かない母を前にして、著者の想像の中で母は今と昔を自由自在に行き来し、若いころ、幼いころの母が、今の母から励ましと祝福を受ける。著者には、独特の感性があり、ファンタジーを描く才能がある。前著に比べて、お母さんは弱っていて、動きも乏しいので、作品化にきっと苦労されたと思うが、作品の質は落ちていない。ひょうひょうと軽いタッチでありながら、今の時代に必要な重みを持った作品である。

141116 「戦略的互恵関係」って言葉を使うな!/総選挙で「片山さつきの自民党にだけは絶対投票しない!」

2014年11月16日 16時17分43秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月16日(日):つれづれに思うこと。

  この言葉は、明らかに間違っている。片山さつきのいる自民党は絶対信用できない。
  憲法第25条) すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

◎「戦略的互恵関係」って言葉を使うな! 中国・韓国との国交の正常化に努力せよ。

 俺の一番嫌いな言葉に、安倍晋三が好んで使う「戦略的互恵関係」という小賢しい言葉がある。これって平たく言えば、「おまえなんて大っ嫌いだけど、お互いにそうも言ってられんわな。隣国同士だし、まあお互いに利口に行こうや、損せんように嫌いって部分は棚に上げておこうと思うけど、そこんとこよろしく!」ってことだ。

 この言葉は、2・8の法則(パレートの法則)で、一番大事な2割に手をつけず、あまり大事でない8割でバタバタ動き回ってる安倍晋三の本質と完全に重なる。お坊ちゃん育ちで堪え性がなく、嫌なことから逃げる意志薄弱な安倍晋三の政治全体を象徴していると言える。この男は、そういう生き方をしてきたのだ。

 そもそもどこの世界に「おまえのこと俺は大っ嫌いやけど」で始まる外交があるというのか? 頭の悪い安倍には「戦略的」という言葉の語感が良いのかもしれないが、いやしくも日本の総理大臣が大切な隣国との外交を語る際には、立て前であっても、江戸時代の朝鮮通信使で雨森芳洲が見せた「誠信の交わり」(誠信外交)を手本にお互いの信頼関係を築く努力をしていくべきだろう。

 安倍は、よく「戦略的互恵関係」と言い、「対話の窓口は常に開かれている」と言いながら、自らは努力せず相手の努力を求めて何もしないし、実際この2年間悪化こそすれ何も進展しなかった日中・日韓関係と日米関係の現実をみれば、安倍の言葉は、まったくもって幼稚なお坊ちゃんの甘ったれ言葉にしか聞こえない。

◎「141114 今回の総選挙は、この記事に尽きる。合言葉は「極右ビリケン(非立憲)自民党にだけは投票しない!」というタイトルについて、少し考えたこと。

 自民党安倍政権を「極右」と表現するのは、NGではないが、少し慎んだ方がよいのかもしれない。「極右」と呼べば、すぐに「極左」「左翼」という表現がこだましてきそうだ。しかし、問題の本質はそんな言葉遊び的なレッテル貼りのし合いにあるのではない。

 むしろ、日本に住む我々と子供・孫たちの現在と未来にわたって重大な禍根を残すひどい政治が現に行われていることについて、丁寧に具体的に語ることによって現在の日本のあり方を批判すべきなのだと思う。


 安倍晋三と麻生太郎の政府について言えば、世襲政治屋(バカボン)の弊がもっとも悪質かつ狡猾に行われ続け、政治の中で、何よりも東日本大震災・福島原発事故の記憶が急速に風化させられようとしていることが問題である。

 我々は、戦後最大・最悪の災害から、何も学ぶことなく貴重な経験を忘れさせられようとしている。被災者を忘れ、避難住民を忘れ、国内で<棄民>化が進み、多くのお年寄り・病人をはじめとする弱者が次々と悲惨な死を遂げている現在進行中の現実に、この国の人々は全く向き合おうとしないで、目先の日経平均の上昇に惑乱させられている。

 これは、現政権の悪質な人心操作によるものだ。「弱者を大切にしない。強者に阿るというか、自分たちは強者の利益代表であって弱者なんて二の次、それが政治だ。弱者・マイノリティの尊厳や人権を叫ぶのは<左翼>の仕業だ」というのが世襲政治屋の安倍・麻生に率いられた自民党の本音なのだ。これは、「極右」という言葉とはすでに離れた政治の哲学に関わる問題だ。

 自民党の世襲政治屋どもは、庶民(99%)の味方ではない。このままでは、日本はますます安心して生きていけない、安心して老後を迎えられない国になってしまう。弱者・マイノリティに対する自民党の冷淡さは異常と言える。むしろ国内の敵対勢力として敵視している感がある。生きている悪魔片山さつきの「生活保護は生きるか死ぬかがもらうもの」発言、高市早苗の「原発事故による死者はゼロ」発言を思い出すべし!

 弱者・マイノリティに対する国や社会の制度的配慮・優しさは、そうでない(と思っている)国民・市民にとっても「彼らが、大切にされるなら、我々も大切にされているはずだ」と国と社会に対する信頼感を高めるはずだ。しかし、今は世界的大企業と日本社会のごく一部(1%)に過ぎない大金持ちの利益だけが重視されて、そのお零れで庶民も豊かになれるというトリクルダウン経済政策をとり続けている。

 しかし、この弱者・マイノリティ、庶民(99%)に冷たい経済政策が理論的にも、実体経済的にも破綻しているのに、いまだに続けようとしているのがアベノミクスの正体だ。このアベノミクスという破綻した政策を「まだやり足りない」という現政権は、さらに破綻している原発再稼働政策を推し進めて我々から「日本の未来」を奪おうとしている。一体何が「美しい国日本」なのか?

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言うが、現自民党政権では、第一次安倍政権の失敗を「見せ金とマスコミへの圧力で世論操作をするべきだった」と愚か者の小賢しい経験から狡猾に振舞おうとしている。安倍・麻生には哲学がない。非常に見え透いた権力の私物化によって国民・市民をコントロールできると思っている。

 天を恐れず、歴史を軽視するのは、安倍・麻生の知性の低さによるが、歴史を直視しなければ、未来のグランドデザインを描くことはできない。安倍・麻生のような他人の痛みのわからない政治屋では日本は地獄に堕ちていくしかない。そんな宰相しか頂けない、そんな愚劣な世襲政治屋にNo!と言えないまま我々は踊らされ続けている。我々は、日々侮辱を受けているのだ。

◎今、俺が政治に望んでいること: 本当は、軽重を付けられないのだが、あえてすれば、

(1)第一課題
原発再稼働反対、福島原発避難民の<棄民>化阻止、東北被災地復興推進、自然エネルギー政策推進、
消費増税反対:自殺者が増える。また3万人を超える。安倍・麻生は、手を汚さない<ひとごろし>だ。
集団的自衛権反対、閣議決定手続きそのものに反対:これを容認する民主党右派も糾弾する。
特定秘密保護法反対:ファシズムの温床。表現の自由、情報公開こそ民主主義の生命だ。
年金・医療等、社会保障政策を守れ!:片山さつきの落選運動を起こそう!
普天間米軍基地辺野古移設反対、沖縄の<棄民化>反対:沖縄の独立を俺は応援するかもしれない。
日中・日韓関係改善(誠信外交):「戦略的互恵関係」って言葉使うな!歴史を踏まえて大きな外交をしろ!
NHKの政治利用糾弾:まず会長と経営委員の政治的中立を保証しろ。このままだと受信料拒否だ!
ヘイトスピーチ取り締まり、規正法成立:日本の恥だ。政治屋の卑しい差別意識の反映だ。

(2)第二課題
・東京電力の責任追及:この電力会社は、全く懲りていない。他の電力会社も国民・市民を舐め切っている。
・公務員・政治家の身を切る改革推進
・生活保護他、弱者・マイノリティへの援助強化:最低限、攻撃材料にしないこと。
・多文化共生社会の実現:当り前のこと。
・在日外国人の特別永住者に参政権を認めよ:彼らは納税者。歴史的背景から見ても当然のこと。
・女性政治家の比率を増やし、世襲政治屋を制限せよ:当り前のこと。また、世襲のバカボンの弊がひど過ぎる。

4 022 東田直樹「跳びはねる思考」(イースト・プレス:2014) 感想3+

2014年11月16日 01時44分56秒 | 一日一冊読書開始
11月25日(土): 明日の沖縄知事選挙、翁長候補頑張れ! 沖縄県民、頑張れ! 辺野古基地、断固反対!

219ページ   所要時間 2:25     図書館

副題:「会話のできない自閉症の僕が考えていること」

著者22歳(1992生まれ)。千葉県在住。会話のできない重度の自閉症者でありながら、文字盤を指差しながら言葉を発していく「文字盤ポインティング」やパソコンを利用して、援助なしでのコミュニケーションが可能。13歳のときに執筆した書籍『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール)において、理解されにくかった自閉症者の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。

2ヶ月ほど前、NHKで自閉症の息子を持つイギリスの著名な作家が、著者13歳の著書によって息子を理解する目を開かれたと言って、著者を訪ねて来るドキュメントを見ていたので、図書館で目にした時、即借りることにした。感想は、微妙、優れた詩集を手にした印象である。詩集を味わうには、俺の速読による読書は馴染み難いのだ。

著者は、「線ではなく点となる時間の概念の違い」「挨拶の困難」など、自閉症者特有の障害に関する理解を求める面と、「居場所の大切さ」「人とのつながりの大切さ」「共に苦しんでくれる親への感謝」「外見による誤解への異議申し立て」「自然への親和性」など、正常かつ高い感性と表現力の両面がある。

著者のような高機能自閉症者が、外見だけで知的に低く判断され、子ども扱いされ、知的好奇心を伸ばす機会を奪われることへの苦しさへの理解を求めている。

書かれている文字の量は多くないが、詩句のように切れ味のよい繊細で洗練された言葉が、かなりの確度で心に響く。さまざまな気付きを与えてくれる。

詩集のような本なので、解読・コメントするのは難しいが、ふだん持ち歩いて折に触れ気に入ったフレーズを繰り返して覚えると良い感じだ。一方で、すぐには同意しづらい言葉も散見された。これも、詩集と同じで、気に入った詩や詩句を覚えればよいのであって、本書の全てを崇めて覚える必要はないのだ。

目次:
第1章 僕と自閉症:僕と自閉症/刺すような視線/障害を抱えて生きること/夏が来るたび/挨拶/植物/空いっぱいの青
①「壊れたロボット」のような体と向き合いながら。
第2章 感覚と世界:笑顔/乗り物/目/水が恋しい/フラッシュバック/観察/言葉/デジャブ
②音楽が、僕に言葉を運んでくれる。
第3章 他者とともに:悪い人間/涙/話せない僕の望み/絆/人の話を聞く/質疑応答/広くて狭い僕の世界
③自分が望むように、学びたかった。
第4章 考える歓び:罰/心配性/雨/新幹線の雨/夕日/空っぽな心/想像上の僕/よりどころ
④海外で初めての講演を終えて。
第5章 今を生きる:人生/苦しみ/必然と偶然/魂/失敗/自己の確立/別れと始まり
根源的な人間の豊かさ  佐々木俊尚

・時間は、過ぎ去っていくものです。限られた時間を有効に使うには、過去の時間まで未来につなげる工夫が必要なのだと思います。/けれども、僕にはそれができないのです。/僕にとっての記憶は、線ではなく点のようなものものだからだからです。十年前の記憶も昨日の記憶も変わりはありません。/失敗したこと自体は覚えていても、いつ、どんな失敗をして、自分がどうしなければいけなったのか、記憶がつながらないのです。22ページ
・僕の望みは、ただ抱きしめて「大丈夫だよ」と言ってもらうことでした。そうしてもらうことができて初めて、人間としての一歩を踏み出せたのです。/幸せな大人になれたのは、家族のおかげです。/僕が流した涙と同じくらい、家族も泣いてくれたことを、僕は忘れません。102ページ
・母は僕が泣くと「つらかったね」「悲しかったね」と言って、よしよししながら抱きしめてくれました。父や姉から、泣くなと注意されたこともありません。母の腕の中で、泣きたいだけ泣くことができたのは、本当に幸せでした。/僕の望みは。気持ちを代弁してくれる言葉かけと、人としての触れ合いだったと思います。/どんな自分も受け止めてもらえるという体験ができたからこそ、僕は壊れずに生きてこられたのでしょう。106ページ。
・僕は、相手のためだという理由で、好き勝手な意見を伝えるよりは、その人の悲しみや苦しみに、ただ寄り添うほうが、大切なこともあると感じています。/話すことよりも、聞くことのほうが難しい気がします。/話せない自閉症者は、人の話を聞くだけの毎日です。/そういう人は、知能が遅れていると思われがちですが、そうとは言い切れません。/人の話を黙って聞く、こんな苦行を続けられる人間が、世の中にどのくらいいるでしょう。116ページ
・必然と偶然は、まるで正反対のような感じですが、実はとても近い考え方ではないかと思います。/なぜなら、両方とも物事が起きてから、どうしてそうなったかの理由をあとづけするものだからです。その結果、自分にはどうしようもなかったのだと、という答えを導き出そうとします。188ページ

4 021 蒔田直子「大学生活の迷い方―女子寮ドタバタ日記」(岩波ジュニア新書:2014) 感想 4

2014年11月15日 19時09分01秒 | 一日一冊読書開始
11月15日(土):

238ページ  所要時間 2:55    図書館

著者60歳(1954生まれ)。静岡県出身。同志社大学松蔭寮「寮母」。25歳(1979年)~、現在に至る。在日韓国人の夫君の姓を娘に継がせたくて、娘の名を蒔田・朴沙羅(パクサラ)として話題になった。市民運動家としても有名である。

懐かしい感じのする内容の本だ。今の社会に必要かつ出るべき本がようやく出てきた印象である。実(じつ)のある時代の証言だ。著者の基本的価値観を俺は共有できる。ここに描かれている世界は、一種のユートピア(どこにもない町:理想郷)である。巣立って行った多くの寮生を紹介する冒頭に「発達障害」の学生を置いたのも本書のセンスの良さを感じさせる。

著者は、自らも同志社大学文学部のディープな卒業生(休学と留年)である。「寮母」を、管理人ではなく、何かしらの生き難さを抱えた寮生たちに寄り添う伴走者と位置付けている。

著者は、学生時代に在日朝鮮人差別の問題に出会い、運動の深みにはまり、大阪生野区のオモニハッキョに通いつめ、不倫事件を起こして傷心の復学をする。その後、寮母制度の廃止をはかる大学側と自治を重んじる寮生の闘争のはざまで、半年の臨時を経て本雇いへと移る。

著者の寮母としての35年の歩みが、そのまま大学の大切な一断面の歩みの分厚い証言となっている。同志社大学は、本意かどうかは別にして、実に個性的であらまほしき寮母を採用してしまったことになる。本書の存在は、同志社大学の印象・評価を随分と高からしめるだろうと思う。

本書に一貫する価値観は、異なる存在を面白がる、多様性こそ素晴らしい、人間は一人一人尊重されねばならない、という「多文化共生」「人間尊重」の精神である。また、通常、男の世界の向こうにかすんで女が描かれるのに対して、本書では当然だが、同志社大学という西日本で一番の知性を誇る私立大学の女学生たちの多様で人間臭い生き生きとした姿とその後の人生が描かれている。男の姿は、松蔭寮という梁山泊に集う女学生たちの背後にかすんで見えるのみだが、まちがいなく男も存在しているのだ。こういう視角で見る社会(世の中)の風景も悪くない。

多くの卒業生が実名で寄稿しているのは著者の人柄によるのだろう。多様さを温かく見守る著者の存在自体が、同志社大学の卒業生たちにとって大学生活の欠かせない風景の一部になっているのだ。

俺も、ん十年前、4年間を大学の寮で過ごした。男子寮に隣接して建っていた女子寮は、4年間全く縁のない高嶺の花園だった。1・2回生は2人部屋、3・4回生は1人部屋だった。もちろんこんな寮母さんはいなかったが、自治寮だった。外部からの音に敏感で、人付き合いの苦手な俺にとって、寮生活はひたすら苦痛で孤独(孤立ではない)な場だったが、それでも寮特有の付き合いはあったし、たった20人ぐらいで大学センターに向けて時代遅れのジグザグ闘争デモ行進と大学当局との団体交渉に参加したこともあった。一階だったのでムカデやゲジゲジの侵入に仰天したり、窓辺に来る猫に餌をやったり、上の階からの小便の雨に気をつけたり、夜になると何故か寮の一角に屋台が出ていたりした。同じ階の創価学会の学生に勧誘されたり、まあいろいろあった。あれも青春と言えば言えたのかな?

■目次
◎松蔭寮ってどんなとこ?
◎しんどさをかかえながら:・ふしぎのアッコちゃん/・大好きで大嫌いな場所/・You live freely only by your readiness
◎阪神大震災のときには:
◎汚部屋ランキング:・ベッドごと腐った/・どこに寝ているの~?/・引越し決死隊
◎仕事を見つける:・生命保険会社/・主婦/・修道女/・弁護士/・お店を出す
◎留学生たちと:・ペマちゃんの4年間/・韓国の受験競争を降りてみた
◎日本の外に出てみたくて:・バックパッカー/・留学とワーキングホリデー/・暮らす場所になる
◎わたしの「大学生活の迷い方」:・寮母さんになるまで/・松蔭寮にやってきた/・初仕事は西成署へ/・最初の一年/・せっけん洗剤と中庭開拓団

141114 今回の総選挙は、この記事に尽きる。合言葉は「極右ビリケン(非立憲)自民党にだけは投票しない!」

2014年11月14日 23時40分02秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月14日(金):

 何か、落ち着かない日々である。安倍極右政権の解散、総選挙に対する基本的な考え方を整理したいと思うが、ゆっくりまとめる気にもならない。<「ジャーナリスト同盟」通信>サイトで俺と同じ考え方の見解を見つけた。やっぱり、俺の考え方が普通の思考だと確認できた。この内容が実現すれば、確かに日本の政治は息を吹き返すだろう。結局、自民党に対抗する<野党の受け皿(信頼するに足る受け皿)>次第である。そのためには、代々木即ち共産党の利敵行為と、民主党内の松下政経塾(第二自民党)の動きを抑えることが鍵となるのは間違いないが、どちらも難しそうだ。日本を破滅に導くのは、やはり共産党と松下政経塾なのかもしれない。ため息…。

2014年11月13日
民主・共産の対応次第<本澤二郎の「日本の風景」(1816)

<課題山積・強くない自公>
 「野党がばらばらなうちに総選挙を」と、国家主義・改憲軍拡野望の自公と官邸が動き出した。集票マシーンの創価学会も。平成の治安維持法と自衛隊参戦に踏み切った公明党が、安倍に塩を送っている。2匹目のドジョウはいない。
アジア外交を破綻させ、アベノミクスで日本経済と財政を悪化させ、庶民の暮らしを混迷にさせている安倍・自公政権を勝利させる日本国民であろうか。民主・共産の野党の出方次第で安倍退陣・自公政権の崩壊が起こりうる。

<野党の受け皿が決めて>
 野党が「反国家主義・改憲軍拡NO」の統一戦線を組むことが出来れば、6割以上の無党派層は、支援を惜しまないだろう。第2自民党的な野合では、勝利は出来ない。わかりきっていることである。
 国家破綻へと急落している。財政再建に無関心な、ばら撒き自公政権では日本の再生はない。靖国参拝・改憲軍拡の国粋主義では、国民を安心・安全な大地に送り届けることは出来ない。財閥優遇から民衆優遇の政治に切り替える必要がある。それが今である。大局的見地から、野党は考えて体制を組めば勝てる。多くの国民の声である。

<代々木の野党分断やめよ>
 そのためには、いつも自民党に塩を送っている日本共産党の動向が左右する。あえて指摘する必要があろう。表では「自共対決」とほざきながら、実質は野党分断に懸命な同党の対応は、国家主義・国粋主義の自公政権の下では、もはや許されないだろう。
 これは天の声である。代々木は、従来の姿勢を改めて乾坤一擲の決断を有権者の前に見せて、歴史に名を残すべきだが、どうだろうか。

<謙虚・謙虚の民主党へ>
 野党第1党の民主党の責任も重い。リベラルの結集である。党内の極右・松下政経塾に翻弄されるようでは、大事をなすことはできない。
 静かに民意がどこにあるか、そこから野党連携に向けていけばいい。改憲軍拡を庶民・大衆は望んでいない。平和・福祉重視の公平・公正な日本社会実現に期待を寄せている。
 拉致問題にみられる自公の謀略外交を望んでいない。戦争体制を推進する日本を世界は見たくない。民主党は謙虚・謙虚に民意を汲み取る野党連携に、必死で知恵を出したら勝てる。
 戦後最悪の自公政権を打倒することが民意である。

2014年11月13日記

141114 消費増税先送りの卑劣な解散は、国民を猿並みに観る『朝三暮四解散』『愚民視解散』と呼ぶべし!

2014年11月14日 19時00分23秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月14日(金):

十分な説明もなく、結局実施する消費増税を選挙のためだけに先延ばしする今回の解散、総選挙は、安倍晋三自民の反知性主義を象徴している。子供騙しで、国民を猿並みに舐め切っているとしか言えない。まさに『朝三暮四解散』『愚民視解散』というべきだ。

朝三暮四(ちょうさんぼし):本質は変わらないのに、口先でうまくだます、又は、だまされることその愚かさのたとえ。
出典:『列子』の以下の故事による。
(白文)「宋有狙公者,愛狙,養之成群,能解狙之意;狙亦得公之心。損其家口,充狙之欲。俄而匱焉,將限其食。恐衆狙之不馴于己也,先誑之曰『與若芧,朝三而暮四,足乎』、衆狙皆起而怒。俄而曰『與若芧,朝四而暮三,足乎』衆狙皆伏而喜。」
(現代語訳)中国、春秋時代、宋の国に狙公と呼ばれる人がいて、猿をかわいがっており、また、猿もそれに応えた。狙公がお金なくなってしまい猿達に与える餌を減らすことにした。それを猿達に『今日から朝の餌を減らす』と説いたところ猿達は激怒し狙公は『ならば夜から餌を減らす』と言ったところ猿達は皆ひれ伏して喜んだ。  (ウィクショネリーより)

141109 29万超え: 運転再開に向けた審査を申請中の原発と半径250km圏=原発地元は最低でも250km圏内だ!

2014年11月11日 01時15分38秒 | 閲覧数 記録
11月9日(日):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1128日。

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朝日新聞夕刊  


4 020 シンシアリー「韓国人による沈韓論」(扶桑社新書:2014.9月) 感想 3+

2014年11月11日 01時15分05秒 | 一日一冊読書開始
11月10日(月):

267ページ  所要時間 2:10     図書館

著者40代?(1970代生まれ)。韓国生まれの韓国育ち、生粋の韓国人。韓国で歯科医院を営む。子供の時から日本語に親しみ日本語を自由に操り、本国韓国ではなく、日本に向けて日本語ブログを解説している匿名のブロガーである。

以前に読んだ中国人たちが中国の悪口を言い続ける下品な本に比べると、ずっとまともな内容の本だ。書かれている内容は、評価の仕方はいろいろできたはずだが、基本的な事実関係に違和感はない。悪口本一般にみられる独善や阿りはあまりなく、むしろナイーブな印象を持たされる。

不快さはないが、何かしらどっと疲労感を覚えさせられる内容だった。「やれやれ日本はえらい扱いの難しい人々を植民地支配してしまったんだなあ」と心からため息が出た。俺だって韓国の人々を100%の被害者で、全く非の無い聖人君子だなどとは思っていない。むしろ人間の性質(たち)としては、現在の日本人の方が、全体としてはずっと韓国人よりも上品で寛容だと思っている。

一方で日本が近代史の中で朝鮮半島の人々を踏み台にして、ついには韓国併合をして植民地にしてしまった。土地調査事業で朝鮮の人々の土地と生活基盤を奪い、同化政策で言葉を奪い、誇りを奪い、民族を抹殺して皇民化教育を行ってしまった事実を踏まえれば、過去を誤魔化さず、謝罪すべきは謝罪して、負の歴史であっても記憶すべき歴史として認めるべきだと思っているのだ。

しかし、著者が本書で述べる韓国人の弱さ、卑劣さ、ずるさはリアルであり、本当のことだと思う。もちろん、その弱さ、卑劣さ、ずるさは、日本人にも同等に散在しているものである。それにしても、これほど大きな声で明け透けに聞かされると、何かしら韓国に対して持っている俺自身のこれまでの共感や過去の歴史への反省の信念が、韓国に正当な受け手を持っていないのではないかと不安にさせられる。「それはおまえ自身の歴史認識が甘っちょろいからだ」と言われれば、「もう少し努力します」としか言いようは無いのだが、個人の日本人の立場では、本書を読むことによってぐらりとくる部分があることは否めないのだ。

世間一般よりは、人権や歴史の理解をしているつもりの俺でも、気分が不安定になるのである。ほとんど知識や理解の無い一般の日本人や若者が本書を読んだ時の影響のひどさは十二分に想像できる。その意味で本書は、かなり危険な影響を与える本である。

それが著者の意図だというのは分かっている。また、河野談話を虚仮にしたり、現在の性被害者と並べて相対化して、従軍慰安婦の女性たちを「ただの売春婦だ」と言いたげな論調には断じて与することはできない。さらに、極右安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」を全面的に支持する姿勢などおよそ信用できない。著者が、日本社会の民主的発展に寄与する意志が無いまでも、そこまでの配慮も責任の意志も無いことは明らかだ。

この書によって、即ち、韓国と韓国人を貶めることによって、日本人に自信を持てと言うならば、そんなつまらないマスターベーションのような自信や優越感は唾棄すべきであって不要だ。この書の内容を肯定した先に、「建設的な未来が無い」という点では、やはり一般の嫌韓・嫌中の虚しい本の中の一つとしか言えない。


・「韓国では多様な文化を認めるのでなく、常にそれが自分たちよりも上か下かの二択しかできない。」

・悪名高い創氏改名の一側面として、被差別民の「ベクチョン」が職業がそのまま姓氏になっていたのを、「日本は韓国の姓氏による身分制度を廃止し、ちゃんと勉強すれば出世できる制度を韓国にも持ち込み、その際に、ヤンバン(両班、支配階級)の姓にこの人たちを「統合」した」「身分の低い人たちから見ると、「生まれがどうであれ、頑張って勉強すれば出世できる」という日本が持ち込んだ制度は、救世主の福音みたいなものだったでしょう」「80年代まで「チョン・バン・ジ・チュク・マ・ゴル・ピは身分が低い」という都市伝説存在した。」(194~196ページ )などは大変興味深かった。

141108 「3・11前に戻るのか 川内原発」(東京新聞社説)

2014年11月09日 01時57分13秒 | 徒然・雑感
11月8日(土):

3・11前に戻るのか 川内原発  2014年11月8日 東京新聞社説
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014110802000137.html          

 鹿児島県が同意して、手続き上、川内原発の再稼働を妨げるものはない。ゼロから3・11以前へ。多くの疑問を残したままで、回帰を許すべきではない。
 何をそんなに急ぐのか。残された危険には目をつむり、不安の声には耳をふさいだままで、流れ作業のように淡々と、手続きが進んだようにも見える。
 「安全性は確認された」と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は言う。
 原子力規制委員会の審査書は、規制基準に適合すると認めただけである。田中俊一委員長も「安全を保証するものではない」と話しているではないか。

◆責任など負いきれない
 「世界最高レベルの安全対策」とはいうが、未完成や計画段階にすぎないものも少なくない。
 知事は「住民には、公開の場で十分説明した」とも主張する。
 しかし、鹿児島県が先月、原発三十キロ圏内の五市町を選んで主催した、規制委による住民説明会の会場では「本当に安全なのか」「審査が不十分ではないか」といった不信や不満が相次いだ。
 再稼働への懸念を示す質問が司会者に遮られる場面もあった。なぜこんなに食い違うのか。
 「万一事故が起きた場合、政府が責任を持って対処する」
 鹿児島県の求めに応じ、政府が入れた一札である。
 だが、どのように責任をとるのかは、明らかにしていない。
 今年もあと二カ月足らず。何万という被災者が、放射能に故郷を追われて四度目の新年を迎えることになる。補償問題は一向に進展しない。
 原子炉の中で溶け落ちた核燃料の取り出し作業は延期され、地下からわき出る汚染水さえ、いまだに止められない。繰り返す。原発事故の責任を負える人など、この世には存在しない。

◆はるか遠くに降る危険
 議会と知事は、川内原発の再稼働に同意した。だが起動ボタンを押す前に、明確な答えを出すべき課題が、少なくとも三つある。
 法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。

 第一に、地元とはどこなのか。
 伊藤知事は「県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分」というのが、かねての持論である。「(原発による)苦労の度合いが違う」というのが理由である。気持ちはわからないでもない。
 原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。
 福島の事故を受け、避難計画の策定などを義務付けられる自治体が、原発の八~十キロ圏内から三十キロ圏内に拡大された。
 福島の事故から二週間後、当時原子力委員長だった近藤駿介氏は、半径百七十キロ圏内でチェルノブイリ同様強制移住、二百五十キロ圏内で避難が必要になるという「最悪のシナリオ」を用意した。
 原発事故の深刻な被害が及ぶ地域には、「地元」として再稼働を拒む権利があるはずだ。

 次に、火山のリスクである。
 九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。
 約四十キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。
 ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。
 一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。
 これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。

 三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、三十キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、三十時間近くかかってしまうという。
 入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。
 知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。

◆代替エネルギーはある
 そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
 原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。3・11以前への回帰であり、安全神話の復活である。

 川内をお手本に次は高浜、そして…。原発再稼働の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。

141108 原発の地元は全国民の総意であり、最低でも250km圏内である!30km圏内でも立地県でも断じてない!

2014年11月08日 12時46分44秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月8日(土):

福島原発事故で、東京をはじめ関東全域も同様に高レベルで放射能汚染している事実を忘れたのだろうか。

川内原発再稼働手続きの一件、あまりの茶番に怒り心頭、怒髪天突く。貧しい田舎の鼻面に原発交付金をぶら下げて子々孫々に続く巨大過ぎる負の遺産を受容させる醜い光景。赤ん坊を抱いた若い母親がしたり顔で「これで少しは経済が良くなると思うし…、まあいいんじゃないかなと…」、タクシーの運転手が「まあうちらとしては、これで一段落やね」という。田舎じゃそうなのか? 札束見せられたら、30km圏内の自分たちだけの金回りが良くなればよいのか? 大人のくせに日本のことを考えられないのか? いつまでこの「人間」を侮辱した光景を見させられ続けなければならないのだろう。

政治家は愚劣なものと分かっていても、世襲と大金持ちの支配層しか実質的に政治に参加できない構造は、もはや新しい<制限選挙>ができあがっているとしか言えない。国民は、大衆化している。無反省で「自分たちこそがこの国の支配者だ」という家業意識しか持たない、哲学も優しさのかけらも無い愚か者どもの支配を受け続けるしかないのか。

政治の腐敗は確実に進行し、グローバル化と称して人間を食い物にする財界と癒着したマスゴミや家業政治屋どもによって、日本が戦後大切にしてきた多くのものが蝕まれ大幅に崩されていく。憲法、原発、社会保障(年金、医療、生活保護)、教育、自衛隊、武器輸出、外交、公共事業、沖縄・福島の棄民化等、ありとあらゆる面から押し寄せて来るような感じで、市民の声は軽視され、今まさに呑み込まれていく。

国民・市民の生活と民主主義が、すでに相当程度に傷んでいるのに、読売新聞とNHKを中心にしたマスゴミの世論操作は確実に効果を上げて、大衆は自分たちの墓穴を掘らされていることに気付かず50%の国民(日本には外国籍市民に参政権が無い)が安倍晋三と麻生太郎という知能の低い、堪え性のない家業政治屋どもを支持している。何か悪い夢を見ているようであり、冗談にしてもたちが悪過ぎる。

財界は、自民党政権に大衆が倦み飽きた後に備えて、維新や民主党の政治屋どもにも手を回しているはずだ。安倍晋三という愚か者の後に現れる維新・民主を中心にした政権も、恐らく目先を変えて目新しく見えるが、実態は同じ独占資本の犬どもだろう。維新・民主の連中も次の自分たちの順番が来るのを待っているだけの同じ穴の貉だ。もし希望が少しでもあるとすれば、民主党が分裂してリベラル中道の第三極を作ることだが、海江田某にはその気も、その力もない。悲しいまでに<道理>の通じない時代になった。ある意味、真の意味での<世紀末>が今到来しているのかもしれない。

人々は皆、政府を信用できないので利己主義と自衛に走り、お互いに助け合うことを忘れる浅ましい時代の到来だ。カリスマが現れたとしたら、それは救い主ではなく、滅びに導く独裁者だろう。立ち上がるとすれば今しかないのだろうが、やり方がわからない。なによりも民主党がまず分裂することが最も大切だ。俺の票を返せ!

川内原発の一件、何よりも最終責任者が誰なのかがわからない。誰もが責任者になることから逃げながら、国運を決めるような重大な決定が下されようとしているのだ。これは、アジア・太平洋戦争の時と何が違うのか?

「140522 チェーン・メール希望!大飯原発差止「控訴審」に勝つため、福井地裁判決文を広めましょうm(_ _)m」からの抜粋です。


5月21日(水)の大飯原発運転差止の福井地裁判決

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨


主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

(略)

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。


10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子


以下、朝日新聞朝刊一面より

川内原発再稼働、県も同意 規制委許可から2カ月  2014年11月8日05時00分 朝日デジタル
■原発回帰、問われる覚悟  
 《解説》いま原発を再稼働させることは、単に止めていた原発を動かすのとは意味が違う。日本は、福島の事故で原発が抱える大事故のリスクを学んだ。そのうえで踏み出すことは、リスクを受け入れ、再び原発路線を選ぶ重みをもつ。その判断には責任と覚悟が問われる。
 川内原発は、その第1例となる。本来なら国民的な議論の対象となるはずが、自治体での議論の成り行きに任された。このままでは2番目、3番目と個別の手続きに気をとられているうちに、全国の原発が動いている状況になりかねない。
 日本は節電と火力発電に頼って3度の夏と冬を「ほぼ原発なし」で過ごした。政府は電気料金を下げるためにも原発が必要だというが、「何基を動かせばどう改善される」といった全体像は十分示されていない。
 原子力規制委員会が「100%安全とは言わない」としている意味も真摯(しんし)に考えるべきだ。新しい規制基準で審査が進むが、これは「車検」のようなものだ。古い車の車検をいくら厳しくしても、設計から安全性を高めた最新型にはならない。「日本の原発は世界一安全になった」とはいえない。
 大規模な爆発や被曝(ひばく)が心配されるような極限状況で誰が収束作業にあたるのかについて、関係機関は議論を避けている。自治体は住民の避難計画づくりに苦労している。避難がうまくいったとしても土地が汚染されれば故郷には戻れない。
 私たちは福島の事故後、政策を大きく変えようと思ったはずだ。しかし現実には、事故が提起した課題はつきつめられることなく、多くが元に戻ろうとしている。それは、日本社会が納得する「答え」ではない。(竹内敬二)

141107 本末転倒。チンピラ右翼政権の浅ましさ。天皇を蔑ろにする右翼・保守って完全に外道に堕している。

2014年11月07日 22時38分32秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月7日(金):

宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」より

天皇家と安倍政権が対立!? 護憲姿勢強める天皇・皇后を首相の側近が批判!
http://lite-ra.com/2014/11/post-605.html
2014.11.05. リテラ

 それは、安倍首相に対して発せられたとしか思えないものだった。10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、美智子皇后が「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問に、こう答えたのだ。

「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」

 実はこの皇后発言の2ヶ月前、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。

 皇后の言葉はこうしたタイミングで出てきたものだ。しかも、それは記者からA級戦犯をどう思うかと質問されたわけではない。自らA級戦犯の話題を持ち出し、その責任の大きさについて言及したのである。

「天皇と皇后両陛下は、安倍政権の改憲、右傾化の動きに相当な危機感をもたれている」

 宮内庁記者や皇室関係者の間では少し前からこんな見方が広がっていた。天皇・皇后は、即位した直後からリベラルな考えをもっているといわれていたが、それでも以前は、一言か二言、憲法や平和、民主主義についてふれる程度だった。それが、第二次安倍政権が発足し、改憲の動きが本格化してから、かなり具体的で踏み込んだ護憲発言が聞かれるようになったのだ。

 たとえば、昨年、天皇は誕生日に際した記者会見で、記者の「80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事を」という質問にこう答えている。

「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

 日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき、大切なもの」と最大限に評価した上で、わざわざ「知日派の米国人の協力」に言及し、「米国による押しつけ憲法」という右派の批判を牽制するような発言をしたのである。

 また、美智子皇后は昨年の誕生日にも、憲法をめぐってかなり踏み込んだ発言をしている。この1年で印象に残った出来事について聞かれた際、皇后は

「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」
 
 としたうえで、以前、あきる野市五日市の郷土館で「五日市憲法草案」を見た時の思い出を以下のように語り始めたのだ。

「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」

 日本国憲法と同様の理念をもった憲法が日本でもつくられていたことを強調し、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、けっして右派の言うような「占領軍の押しつけ」などでないことを示唆したのである。 

 そして、今回のA級戦犯発言──。これはどう考えても偶然ではないだろう。この期に及んでA級戦犯を英雄視する首相に対して、「責任をとることの意味を考えなさい」と諭したとも受け取れる言葉だ。

 もっとも、安倍首相やそれを支える右派勢力にこうした天皇・皇后の発言を真摯に受けとめようという気配はまったくない。それどころか、首相の周辺からは、天皇に対する批判発言までが飛び出している。

 今年4月、安倍政権下で教育再生実行会議委員をつとめるなど、安倍首相のブレーンとして知られる憲法学者の八木秀次が「正論」(産業経済新聞社)5月号で「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」という文章を発表。そこで、天皇・皇后に安倍内閣の批判をするな、と説教をしたのである。

「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」
「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」

 この憲法学者は、日本国憲法第99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文があることを知らないらしい。そもそも現天皇は戦後憲法によって天皇に即位したのであり、自己の立脚基盤を憲法におくことは当然なのだ。象徴天皇制とは戦後レジームの象徴であり、だからこそ天皇と皇后は常に戦後憲法理念である平和と民主主義の擁護を語ってきた。そういう意味では、先に喧嘩を売ったのは、その戦後天皇制の立脚点をはずしにかかった安倍政権のほうなのだ。

 だが、彼らにこんな理屈は通用しない。ネット上では安倍首相支持者が、護憲発言を繰り返す天皇・皇后に対して「在日認定」という表現で非難するケースまで出てきている。

 これまで、安倍首相が議連会長をつとめる神道政治連盟はじめ、右派勢力は天皇を再び国家元首にかつぎあげることを公言し、天皇を中心とした祭政一致国家の復活を声高に叫んできた。ところが、天皇が護憲や平和、民主主義を口にし始めたとたん、その存在を敵視し、天皇を棚上げするかたちで国家主義政策を進め始めたのだ。現在の天皇・皇后はむしろ、政権に疎んじられ、完全に孤立しているようにすら見える。

 しかも、こうした状況に拍車をかけているのが、マスコミの対応だ。新聞、テレビはオランダ王室との華やかな宮中晩餐会などを大々的に報道する一方で、天皇や皇后のこうした憲法発言はほとんど取り上げようとしない。

 たとえば、天皇が昨年の誕生日会見で、「平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り〜」と憲法に言及した部分について、NHKは安倍政権に配慮して、完全に削除してしまった。また、今年の美智子皇后の「A級戦犯」発言についても、この部分を大きく取り上げた新聞、テレビは皆無に近かった。全国紙の政治部記者がその理由をこう解説する。

「読売、産経、NHKは安倍政権の広報機関のようなものですから、改憲に水を差すような発言は報道しない。一方、朝日などの左派系メディアは今、弱っていますから、それを取り上げることで『天皇の政治利用だ!』 と言われるのを恐れて腰が引けている。結局、天皇陛下や皇后陛下がどんなに護憲発言をしても、国民には伝わらない、そういう状況になっています」

 この先、おそらく天皇と皇后はますます孤立を深め、何を話しても政権から無視される状態になっていくだろう。だが、そのことは、天皇が政治利用される危険性がなくなるということとイコールではない。たとえば、代替わりをして、次の天皇や皇后が自分たちの意に沿う発言をしてくれるとなれば、改憲をめざす国家主義的勢力は確実に「天皇のお言葉を聞け」と政治利用に乗り出すはずだ。

 実際、安倍政権と一部の保守勢力はすでに皇太子、雅子妃夫妻を今の天皇、皇后とは逆の方向に導くべく動き始めているという見方もある。次回はその辺りについても検証してみたい。

(エンジョウトオル)



141104 捏造小僧の安倍晋三は、嘘つきのガキ。ガソリンが超高すぎるぞ!毎日新聞11月2日(日)社説

2014年11月04日 22時03分44秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
11月4日(日):

こんな世襲の馬鹿ガキが日本の総理大臣である。

社説:首相の「捏造」発言 冷静さを欠いている
              毎日新聞 2014年11月02日 02時30分(最終更新 11月02日 13時55分)

 一国の首相の口からこんな発言が軽々しく飛び出すことに驚く。

 安倍晋三首相が朝日新聞を名指しして、その報道を「捏造(ねつぞう)だ」と国会の場で断じた。だが、捏造とは事実の誤認ではなく、ありもしない事実を、あるかのようにつくり上げることを指す。果たして今回の報道がそれに当たるかどうか、首相は頭を冷やして考え直した方がいい。

 経過はこうだ。首相は先月29日昼、側近議員らと食事した。終了後、出席者の一人が報道陣に対し、首相はその席で政治資金問題に関し「(与野党ともに)『撃ち方やめ』になればいい」と語った、と説明した。これを受け、朝日のみならず毎日、読売、産経、日経など報道各社が、その発言を翌日朝刊で報じた。

 ところが首相は30、31両日の国会答弁で朝日の記事だけを指して「私は言っていない。火がないところに火をおこすのは捏造だ」などと批判し続けた。一方、当初、報道陣に首相発言を説明した出席者はその後、「発言者は私だった。私が『これで撃ち方やめですね』と発言し、首相は『そうだね』と同意しただけだ」と修正した。つまり発端は側近らのミスだったということになる。

 首相は「発言を本人に確かめるのは当然」と言う。その通りである。ただし現在、首相と担当記者との質疑の場は実際には首相側の都合で時折設定されているに過ぎない。首相がそう言うのなら、小泉純一郎首相時代のように1日2度、定期的にインタビューの場を設けてはどうか。

 首相はかねて朝日新聞を「敵」だと見なしているようで、今回の記事も「最初に批判ありきだ」と言いたいようだ。「安倍政権を倒すことを社是としていると、かつて朝日の主筆がしゃべったということだ」とも国会で発言している。だが、朝日側はその事実はないと否定しており、首相がどれだけ裏付けを取って語っているかも不明である。

 あるいは慰安婦報道や東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」報道問題で揺れる朝日を、「捏造」との言葉で批判すれば拍手してくれる人が多いと考えているのだろうか。

 いずれにしても今回、報道に至る経過を首相が精査したうえで語っているようには見えない。「私は語っていない」と報道各社に修正を求めれば済む話だったと考える。

 従来、批判に耳を傾けるより、相手を攻撃することに力を注ぎがちな首相だ。特に最近は政治とカネの問題が収束せず、いら立っているようでもある。しかし、ムキになって報道批判をしている首相を見ていると、これで内政、外交のさまざまな課題に対し、冷静な判断ができるだろうかと心配になるほどだ。

140802 安倍晋三よ、おまえは一体何をしてるのか? 仮設のお年寄りを泣かせるな!(怒)

2014年11月04日 00時16分14秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
2014年08月02日 20時49分16秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

8月2日(土):

昨日、ブラジルのサンパウロで安倍晋三の世界漫遊の大名行列(政府代表団一行の車列)が軽い事故にあったそうだ。この男は、一体何をしてるんだろう…? さっぱり訳が分からない。東北の震災被災者の仮設住宅暮らしが3年半を経過しても、復興住宅の建設計画が予定の10分の1も進んでいない状況を放置して、仮設暮らしが続く大勢のお年寄りたちが涙を流しているのだ。

総理として東南アジア、インド、アフリカ、ロシア、アングロアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、そして今回のラテンアメリカと世界中を回ってグローバル外交(本人はそのつもり)を気取っているようだが、一体何の役に立つのか。バカじゃないか。

戦後の日本の総理たちの外交を振り返れば、吉田茂は、占領下の日本でGHQとわたり合い、サンフランシスコ平和条約で独立を達成した。鳩山一郎は、モスクワに乗り込んで日ソ共同宣言を結び、日本の国連復帰をもたらした。岸信介は、評価は別にして日米安保条約を結び直して日米同盟を強固にした。佐藤栄作は、日韓基本条約、沖縄返還を達成した。田中角栄の日中共同声明・日中国交正常化はやはり偉大な業績だ。福田赳夫が日中平和友好条約で続いた。宮沢内閣の河野談話。村山富市の村山談話。橋本内閣の北方領土交渉、普天間基地返還交渉。

あの小泉純一郎ですら、北朝鮮に自ら乗り込んで拉致問題を認めさせ、日朝平壌宣言を出した。いずれも、覚悟を決めて困難な相手と正対して、腰をしっかりおとして腹の据わった外交交渉を行ってきた。

しかし、この安倍という薄っぺらい男が、首相を辞めた後に、これらの上滑りで軽薄な行動は歴史に残るだろうか。「日本の国際的地位向上のために精力的に世界を回ったが、中国・韓国との政治的関係は戦後最悪にまで冷え込み悪化したままであった。また新たに、日本をとばした形で米中接近がはかられ、G2関係の模索が行われた。」とでも書かれるのが関の山だろう。

この男の行動を見ていると、この男の血縁の松岡洋右を重ね合わせてしまう。本来、最も重要な日米関係を棚に上げて、全く信用できないソ連のスターリンをヒトラーの三国同盟に引き込んで四国協商でアメリカ包囲網を作ったと得意になって、独ソ戦で両国に裏切られ、日本を道化師にして破滅に陥れた男だ。

昭和天皇が、最も忌み嫌ったのも、松岡洋右であった。第二次近衛内閣で、外相を外されたが、もはや手遅れであった。今の天皇を最も苦しめているのは、おそらく安倍晋三だろう。<反知性主義>の愚か者が、調子に乗って、戦後69年間、国民と皇室が<平和主義>と<立憲主義>を営々と築き上げてきた貴い努力を、わずか2年弱で突き崩そうとしているのだ。

月並み過ぎて使うのもはばかられるが、安倍外交を見ていると「パレートの二・八の法則」を想起せずにいられない。要するに、最も大事な意味の8割は全体の中の2割に存在する。残り8割は所詮2割の意味しかなく、どうでもよいことだ。だから、その肝心な2割をしっかり押さえれば、8割の仕事をしたのと同じである。逆にその2割を外した8割の部分でいくら動き回ってもせいぜい2割分の意味しかなく、残る8割の本来果たされねばならない仕事が残っている。

安倍晋三は、傍から見ていて「なんて暇なんだろう」と思うぐらい世界中を股にかけて大名行列を行い、スタンプ・ラリーのように何の意味もない形式的握手を無数に繰り返してきた。しかし、一番肝心かなめの2割の部分は、最も重要な二国間関係である隣国中国・韓国との関係であり、アメリカとの信頼関係である。そして、何よりも国内の東日本大震災・福島原発事故によって<棄民化>しつつある犠牲者・被災者のいる仮設住宅の問題であろう。

何度も言うが、この世襲の愚か者総理が、足を運ぶべき肝心かなめの2割の場所は、中国であり、韓国であり、アメリカであり、東北の被災者の住む現地である。

中国、韓国とは首脳会談はおろか、事務方の取り組みも進んでいない。アメリカのオバマ大統領からは、完全に軽蔑されて疎んじられている。東北に対しては、財界人とは会食で「川内原発の再稼働は任せて下さい」と楽しげに語る気楽さは微塵もなく、この愚か者が被災者の仮設住宅に足しげく通い、ことあるごとに被災者への思いを言及しているという話は寡聞にして全く知らない。

この愚か者は、仮設住宅にほとんど足を運んでいない。稀に、遠く東京の首相官邸から儀礼的にできるだけ少なく東北について言及するのみだ。たとえば、復興住宅の大幅遅延に見られるように東京五輪開催に伴う東北の復旧の大幅な遅れに対する特別措置を全く怠ている<不作為>の罪を犯し続けながら、一方で財界と一体化して原発再稼働の推進を公然と表明している。

本当に総理大臣がやるべきことは、外遊(まさに外で無駄に遊んでいるだけ!)を控えて、その分で東北の被災地の仮設住宅に何度も何度も足を運んで被災者たちの、そして自治体の担当者の声を直接聞き続けることだろう。

ただ、それをすれば、被災者や自治体担当者から、政府の原発推進政策に対して厳しい言葉をたくさん突きつけられるだろう。いくら馬鹿でも、この男も、そのことは分かっているはずだ。それが恐くて行けないのだろう。しかし、そこを敢えて足を運び、厳しい声に耳を傾けるのが、政治家、首相というものだろう。


この愚か者の姿を見ていると、辛くて痛いけれども一番肝心な2割の核心部分を避けて、そのまわりの8割の周縁部ををぐるぐると回っているだけで、結局、仕事としては全く無駄なことをしているようにしか見えない。<意志薄弱>、<堪え性のない馬鹿>とは、この男のことを言うのだ。“ガキ”のような陣取り感覚で、中国の後追いをして中南米に今行くことにどれほどの意味があるというのか。

お前がやるべきことは、中国、韓国に頭を下げてでも二国間関係の修復を働きかけ、東アジアの不安定化要素を少しでも減らして、アメリカのオバマ大統領の信頼を取り戻して真の意味での日米パートナーシップを強化する。そうすれば、沖縄の問題にもおのずと違った展開が開けていくことだろう。

そして、何よりも福島をはじめ岩手、宮城など被災地の仮設住宅の人々(特にお年寄りの方々)のところに自らが通って、その声にきちんと耳を傾け、問題・課題の理解・解決にまっすぐ向き合うことだ。

ここまで書いてきて、やはりこの男(安倍晋三)では、今の日本の総理大臣は務まらない。「無理だ!」ということが身にしみて感じられる。中国・韓国との関係改善には<歴史認識>に対する高度な知性が必要だ。アメリカに対しては、国際外交、安全保障、国際経済、原子力、人権問題、その他の複雑な連立方程式に取り組み、オバマをうならせねばならない。東北の震災被災者の声に耳を傾けるには、世襲馬鹿議員には無い弱者へのいたわり・共感のセンスが必要だ。この愚か者には、必要な、すべてが欠けている。どころか、北朝鮮の拉致被害者家族を出汁にして、出涸らしになるまで政治利用しながら、自ら北朝鮮に乗り込むだけの工夫も知恵も度量もないのだ。嗚呼…。

4 019 大和和紀「あさきゆめみし 7」(講談社コミックスミミ:1986) 感想5

2014年11月04日 00時08分05秒 | 一日一冊読書開始
11月3日(日):

202ページ  所要時間 2:30 (お風呂でマッタリ)    蔵書

著者38歳(1948生まれ)。

明石の姫君の裳着の儀、入内を終えた後の宮廷桐壺での紫の上と明石の御方の初めての対面が感動的!

源氏(太政大臣)は養女の玉鬘(夕顔の娘)の裳着の式の腰結い役を頭の中将(今は内大臣)に依頼するため、左大臣の大宮邸で二人は久しぶりに再会する。

玉鬘には帝の尚侍(ないしのかみ)入内の話、兵部卿の宮やひげ黒の大将が言い寄る。政略上娘を求めていた頭の中将は、この上ない玉鬘を得たが、意外と使い難い。源氏の手が付いていると邪推し、太政大臣の夫人も悪くないと考えたりする。

中でも熱心であったひげ黒の右大将は、実父頭の中将に許可をもらい、ついに六条院に忍び入り、玉鬘を自分のものにしてしまう。ノーマークだったまじめいちずの武骨者にしてやられた源氏も諦めざるを得ず三日夜餅の用意をする。

玉鬘を得た右大将は有頂天になるが、家庭は崩壊する。北の方は、長年物の怪にとり憑かれる心の病を患っており、夫婦の関係は冷え切っていたが、長女と次三男を設けていたが、北の方の実家が妻娘を奪うように引き取ってしまったのだ。

右大将の方も家庭崩壊にあい、玉鬘の尚侍としての参内を一時的に認める。玉鬘の美しさに冷泉帝の覚えもめでたく、危機感を覚えた大将は無理やり連れ帰るが、行き先は六条院ではなく、大将の新調した屋敷だった。

当初、源氏を愛し始めていた玉鬘は、あまりに武骨なだけの右大将を蔑み、嘆いていたが、右大将が長年病妻をかかえて家族のため辛抱強く家庭を守ってきたことを知り、初めて心を開き、やがて右大将の息子を生む。

幼き頃の初恋を引き裂かれたまま、文のやり取りを続けている夕霧と雲居の雁の関係は一向に進展せぬまま双方が恋に疲れ果て始める。六位から出発した夕霧も18歳、参議の中将になっている。ついに頭の中将が折れて、内大臣家の藤の宴に夕霧を招く。頭の中将と夕霧のわだかまりが解消したその夜、雲居の雁と夕霧は結ばれる。

明石の上から紫の上が預かり育てたちい姫がついに裳着の儀を迎え、秋好む中宮に腰結いをしてもらう。そして女御として入内する日が訪れる。立派な姫君に育った明石の姫君を紫の上は、身分の低い明石の上に返す日が来たと考え、明石の上を姫君入内に伴う女房として参内する。

明石の姫君は、内裏の桐壺に入り、そこで養母紫の上と実母明石の上の二人が顔を合わせて言葉を交わす。互いに相手をこの上なく素晴らしい方として認め合い、長いもの思いの日々が終わったことを確かめ合う。しかし、明石の上は、姫君を非の打ちどころなく育て上げてくれた紫の上の背に深く頭を垂れるのだった。

子供たちも、源氏を取り巻く女性たちも皆納まるべきところに収まった。あとには源氏と紫の上の二人だけ。二人で幸せな残された人生を生きるはずだった。源氏の四十の賀(今だったら還暦か?)に、冷泉帝は準太上天皇の位を授けた。源氏は六条の院と呼ばれることになり、六条院には冷泉帝、朱雀院の行幸、太政大臣となった頭の中将が訪れ盛大な宴が開かれる。

その絶頂の場で、源氏は出家への意志を披露する。しかし、運命は思わぬ展開をする。

源氏の兄朱雀院が、六条院の宴の後、出家を決意する。4人の内親王を残す、ことに何の後ろ見もない三の宮をのこすことが心残りで仕方がない。様々な婿を想定するが、頼りになる者がいない。夕霧ならばと思うが、夕霧は新婚である。

結局、六条の院源氏に白羽の矢が立つ。三の宮を受け入れれば、紫の上は正妻の地位を失う事になる。しかし、まさか「13、14歳の三の宮との話など、今さらこの歳で受けるまい」と安心していたのだが…。

三の宮が、亡き藤壺の血縁と知り、源氏は思わず承知してしまうがあとの祭り、なるようになるさ、と気楽な源氏。紫の上の表面的な平静さの裏の深い思いを読み違える。「わたしのなかでなにかくだけてしまったものがある。それをあなたはお気づきにならないのね…」

紫の上は、しずかに切れてしまったのだ。
そして、六条院に内親王様御到着!

141102 バイクのバッテリー問題顛末記  未だ出口見えず…

2014年11月02日 19時22分18秒 | 日記
11月2日(日):

   

俺の人生を振り返って気付くことの一つが、人生に草臥れ果てて、何もかもがウザくて邪魔くさくなって「死んでしまいたい」気分になった時って、バイクの調子が悪くなっていた時が多かった気がするのだ。若い時からだと原付き時代も含めれば6~7台のバイクに乗ってきた。ふだん快調に走るバイクが、うんともすんとも動かず、重い鉄の塊となり、それをまた一生懸命に押し進めながら、バイクが直る見通しが立たない、そんな時だった。バイクって本当に重いのだ。車だったら故障しても、ダメだ!と開き直って諦めることができるが、バイクの場合、なまじ頑張れば人間の力で動かせるのでついつい押し進めてしまうのだが、当然疲労困憊して体力・気力ともに削がれてしまうのだ。

10月21日(火)に職場を早退して、バイク屋に行って弱くなったバッテリーについて相談をしたが、「もはや寿命」ということで「何とか安くして、お願い」と相談して、GSユアサの純正品YTX7-BS(税込17970円。工賃込みで20000円はかかる)でなく、外国製のバッテリー(13310円;税込14375円)にしてもらい、工賃1000円で1万5375円。「バッテリーだけでなく、充電圧が12.7Vと低過ぎて充電できないかもしれない」と言われたが、そちらの修理代は「まず問題個所を検査するだけで数千円、修理代はさらに数万円かかる」とのことで、「正直丸10年間2万5000kmを走ってきたので、車体のあちこちに問題を抱えている。今さら大きな修理をするなら新しいバイクに買い換える方が得策」と発電・充電機能の修理は断った。結果、その他電球交換など小さなメンテを加えて総計1万7895円(内、消費税1325円)だった。

それでも純正ではないが、新しいバッテリーに替えてバイクは息を吹き返して快適だった。しかし、それもつかの間、3日ほど前、何かエンジン起動時のセルボタンに違和感を覚え、嫌な気分になった。案の定、2日前からはセルだけではダメで、押しがけをしないとエンジンは起動しなくなった。昨日は、朝、晩で充電不可によるバッテリーの空っぽ状態を確信し、思い知ることになった。「この冬だけでも越せたら、あと1年持っていける。それでも儲けもの」と思っていたが現実は全く甘くなかったのだ。買い換えるのか。俺はいつもバイクは中古しか買わないが、それでも最低35~40万円は掛かる。それ以上に、買い換えた中古バイクと信頼関係を結べるまでには数度のちょっときつめの故障を乗り越えなければならない。バイク屋との心理戦、攻防戦は正直億劫だ。

昨夜は、さすがに気持ちが沈んだ。この冬を越せないどころか、今日、明日からのバイク通勤があやしくなった。本当に気持ちが塞ぎ込んでしまった。

今日11月2日(日)午後、バッテリーを交換したバイク屋に泣きつきに行った。
(1)バッテリーの補充電のみ:バッテリー外し料700円、工賃1400円。合計2100円(税込2268円)
(2)充電系不調修理の費用:①バッテリー補充電 2100円
 ②原因診断料 2000円
 ③ガソリンタンクなど外装脱着料 2100円
 ④制御機(レギュレータレクチファイヤ)交換:部品料 6900円、工賃3500円
   ※ここまでで済めば、16600円+消費税1328円  総計17928円
 ⑤発電機(ステーター)交換:部品料 22800円、工賃4200円
   ※⑤をするためには、⑥ガスケットはがし料 390円、工賃1260円/⑦オイル 3040円が必要になる。
    16600円に31690円を加えて48290円、消費税3863円を加えて、総合計52153円(端数を引いても、5万2150円)
   ※新しい部品取り寄せには、少なくとも3日はかかり、その間通勤にバイクは使えない。嗚呼…。

既に、10日前、バッテリー交換などでバイク修理に1万7895円を使っている俺としては、ここで5万円を超えるかもしれない、合計7万円の出費を買い替えを目前にした今、このバイクのためにするのは厳しい。しかも、それでエンジンがきちんとかかるようになる保障は何処にもないのだ。前回同様新しい故障、改善の必要な個所が出てくれば、総計はさらに高くなるだろう。他にも悪い所はいっぱいあるのだ。「これですべてOK、安心です」とはいかないのだ。この7万円超の出費は、35万円~40万円の中古バイク費用を考えれば、20%近い比率を占める。

修理見積書を前に俺が呻吟していると、バイク屋から「とりあえず、特製のバッテリー充電器を使って急場をしのいで見ては如何。型落ちなので、1万2000円を1万円にしておく」との提案があった。

この冬だけでも、バッテリーの充電10数回やり続けてしのいでみようか、と思ったりもしていたので、自分の家でバッテリー充電ができるというのは、結局バイク買換えという答えは変わらなくても、心の準備と中古バイクの物色にはやはり今のバイクが必要だという事情を当面解決できる天の声に聞こえた。しかし、1万円か…、微妙だ…。と思っていると、「ホームセンターだったら半分の値段で売ってるでしょうがね」と事も無げに説明が付け加わった。さらなる天の声である。

さらにバッテリー充電器の俺のバイクでの装着方法などを教えて頂き、そのバイク屋で次なる中古バイクを買えば、いくらぐらいかかるかを実物を前に説明を受けたのち、バイク屋の懇切なる対応に丁寧にお礼を述べて俺は一路ホームセンターに向かった。

まず驚いたのは、10月21日に「税込17970円。工賃込みで20000円はかかる」とされたGSユアサの純正品YTX7-BSが、店頭価格12800円(税込13824円)で売っており、フロアスタッフに尋ねると、バッテリーの装着はとても簡単でポンポンと置きかえるだけでよい。素人の俺でも十二分にできるとのこと。工賃込み2万円が、自分でやれば6千円も安くできたのだ。今後、ホームセンターをもっと積極的に考えに入れるべきだと身に沁みて思った。

そういえば、バイクの指示器部分が折れて途方に暮れた時も、ホームセンターでPP(ポリプロピレン)に使用できるセメダイン(600円ほどだったか?)で意外と簡単に修理できたこともあった。ホームセンターを積極的に利用して、自分でできることは自分でやるのが、やはり合理的な節約方法ということになるだろう。

それはそうと、ホームセンターには確かに店頭価格3780円(税込4082円)で、バイク、自動車兼用の充電器が見つかった。10mの延長コード1080円(税込1166円)も一緒に購入して家に持ち帰り、さっそくバイクのシートを外して、充電を試みた。充電には10時間はかかるが、2時間後ぐらいにセル・スターターを使ってみると調子良く起動したので、まずまずではある。

いつまでも充電し続けるのは、難しかろうが何とか目前の問題は少し先延ばしできた。バイク屋とホームセンターを行き来するのに、何度も何度もバイクを押しがけしたので帰宅の時には草臥れ果てていた。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)