日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

運命・・・

2020-09-20 09:14:26 | 生き方
 多くの人は、お金がなかったり、体が不自由な時、とても不安を感じます。それは、今から先がどうなるのか、よく分からないからだと思います。ついつい、多くの人は、マイナス面ばかりを考えてしまうのです(←特に、日本人は!)。
 しかし、世の中には、五体不自由で産まれても、皆に愛され、世の中を明るくしている人もいます。目が見えないのに、ピアノやバイオリンの演奏を上手にしたり、目も見えず、耳も聞えないのに、弁護士で活躍している人もいます。
 海外に行くと、よく理解出来ますが・・・→日本国民程、格差が少なく、多くの国民(人口数、世界で11番目です!)がとても恵まれている国は、例外ですね。例えば、「国民皆保険制度」、これだけでも、スゴイことです。財布を落としても、出て来る事が多い何て、海外では、正にミラクルですね。
 教育問題がいろいろ言われていても、現実に、日本人で、日常生活に必要な読み書き計算が出来ない人、殆どいませんね。戦後に、アメリカ兵が日本に来て、物乞いの人が新聞を読んでいたのを見て、驚いたそうですが・・・?!
 不思議なことに、大きなことをなした人の多くに、親を小さい時に失くしている人、多いのですが・・・→http://qt.quu.cc/gyakkyo111.htm
 ヒトは、産まれる時、時期も国も親も選べません。しかし、ヒトは、この世に産まれ、そして、多くの人は、(100~)150年も生きずに死んでしまいます。これって、ヒトの力では、変えられません。
 将来、150~200年程、多くの人が生きれる様になれるかも知れませんが、しかし、それでも、生あるものは、死んでしまう運命にあります。
 そんな運命的な中で、皆、独り独りが、お互いにいろんな関係を持ちながら、生き抜いています。
 産まれた時から、両親がいなかったり、自分の体が元々生まれつき弱いなどの運命的な辛さは、自分のせいではありません。そんな時、どう考えるかですが・・・→ニーチェは、ラテン語で、「Amor Fati!」、つまり、貴方の運命を愛しなさいと言っています。この意味が少し分かる年齢に達しました・・・?!

*写真は、龍ヶ岳の頂上から見た、龍ヶ岳町です。絶景です。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E6%99%BA(←福島智)


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医師のいろんな価値観・・・

2020-09-19 08:59:24 | 生き方
 世の中には、いろんな価値観を持った医師がいますが・・・→
1、民間の田舎の(150床前後の)救急病院で、何と、1カ月の内の3分の1も(多い時には、半分近くも)、当直をした人がいて・・・。
 その人が私に言いました、・・・→「当直しないと体壊すので(?!!)・・・当直している時、飲めないでしょ、しかし、当直でない時は、いつも飲んでいて、飲み過ぎて、体壊してしまう・・・」と。(→今は、他の病院に就職して、もう、当直はしてない様ですが・・・)
2、医師の中には、還暦で、開業した人もいますし(←それも、入院設備を持って)、90歳近くになっても、元気に診療している人もいます。毎日、診療に追われて、体の不調を感じながら休みなく仕事をされているドクターがいる一方で、臨床よりも、研究中心の生活をしているドクターもいます。
3、基礎系の大学院生のあるドクターが私に言いました・・・→「大学って、耐える訓練ですね、年間50万払っています。辛いです、基礎系なので、大学からの収入はゼロです・・・バイトで、何とか生活だけは・・・」と。
4、ある開業医(高齢)が言われていましたが・・・→「いやー、今開業する先生達、大変だなあ・・・自分の時は、医師なら銀行はいくらでも貸すって感じの時代で、2~3年で、直ぐに目途が立っていたけど、今は、1代で借金が返せなくて、後継ぎがいないと銀行も、なかなか首を縦に振らない時代になっているけど・・・医療情勢もどんどん厳しくなるし、ホント、大変だなあ・・・」と。
5、今回のコロナ禍で、医師も、大変です。コロナだけでなく、過労死で身体を壊しているケースも、あります。バイトで何とか生活をしているケースでは、コロナ禍でそれがなくなると、勤務先の給料だけでは生活出来ないケースも・・・。
 大学病院の臨床の教授の平均給与は、年俸約1000万円(手取り700万ちょっと)。これでも教授はいい方で、教授の場合は、他のお金も入ることが多いので・・・?!准教授では、仲人を依頼されることもまずないし、上と下に挟まれて、責任も重くて、大変です。
6、よく知っている小児科の先生の趣味で、「トンボ」に凝っている人、「蝶蝶」に凝っている人(←その本まで出して、頂きましたが)、いましたが・・・。多くの小児科医、仕事熱心な人、多くて、仕事が趣味って感じの人も、多かった気がしています。(←科別で言うと、歳を取ってもずっと最後まで仕事をしたい人の割合が一番多いのは、小児科医で、逆に、先々早く辞めたい科は、産科医みたいですが・・・?!)
7、医師の趣味って、仕事に追われて、なかなか極めるのって、難しいですね。それに、休みが取れても、その楽しさを充分に味わう時間が少ない感じで・・・。
 朝早くから夕方遅くまで、それに、日祝日もバイトに追われて忙しくしている若い医師、多いですね。開業医も、代わりがないケースでは、大変ですね(予約制にしておくと、尚更)。
 高齢の医師の調査では、それまで多くのことを犠牲にして仕事をして来ているのに、老後も、まだ、仕事を続けたいと思っている医師、多いんですね。正に、お医者様ですね。

*汲心亭でお点前している私。


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人間の価値・・・

2020-09-18 10:19:21 | 生き方
 ある例ですが・・・ある土曜日に、天草市本渡でプロ集団の太鼓演奏があり、前々からそのチケットを買って、それを自分だけ見に行くことになっていた。しかし、ちょうどこの日、家内の兄弟が熊本市に集まれると言うことになり、チケットを他の人にあげて、数年振りの再会をすることになった。しかし、その日の午後、熊本市へ出発しようとした時、産科の先生から前置胎盤で急に緊急の帝王切開となったのでと頼まれてしまった(実際に、深夜0時過ぎに、前置胎盤による胎盤早期剥離で、緊急の帝王切開となって、かろうじて母子共に救命したことがありましたが・・・)。で、仕方なく、帝王切開に付き、熊本市行きを断念していまった。
 これは、あくまでも例えですが、こんなことは、今まで沢山経験してきています。太鼓の演奏何て、今まで何度も見ているので、見れなくても、そんなに悔やみません。親族の再会にしても、又の機会がある訳で、何とかなります。しかし、緊急の帝王切開となりますと、直ぐに替わりのドクターが見つかる訳でなく、緊急なので、直ぐにそちらを優先するしかありません。
 そんな時、代わりに仕事を頼める人がいれば、その人に事情を言って、予定通りに出来ますが、自分しかいないとなると、自分が頑張るしかありません。田舎の病院で、小児科医が自分独りとなると、尚更です。
 かって、子どもが小さかった頃、子どもと約束していたり、家族で食事をする予定だったことが、仕事で、何度も中断したことがあり、家族の信頼は、殆どゼロに近かったけど・・・?!
 多くの父親は、仕事≧家庭≧自分の順に優先していることが多いと思います。いや、今では、バリバリ仕事をしている女性にも、そんなことが多くなっているかと思いますが・・・。
 ソウル大学の生活科学部のキム・ナンド教授は、ある講演の中で、「人間の価値」に付いて・・・→人間の価値は、人との関係から生まれ、次の3つのことがあると言われていました。
 1、愛する人がいて、愛してくれる人がいる
 2、世の中を良くしようとする人
 3、昨日より成長する自分
 とても意味深い内容だと思います。

*写真は、市立「汲心亭」での、長男のお点前(茶箱)。


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成長実感・・・

2020-09-17 11:20:28 | 生き方
 他界した父(小学校の教員)が、次の様にポツンと言ったことがありましたが・・・→
 「学校の先生って、そんなに給料も良くなく(←昔は、今よりも、薄給でしたが・・・)、生徒のことだけでなく、父兄からもいろいろ理不尽なことを言われ(←今は、第2の学校=塾もあり!)、時間外にどれだけ頑張っても、それでお金が余分に入る訳でなく(←昔は、授業に付いてこれない子を、放課後残して、特訓している姿がありましたが・・・)、頑張れば頑張る程、報われない様にあったが・・・(一番嬉しいことって)教えた生徒が大きくなって、後で礼にわざわざ来て、先生のお陰でこんな風に立派になれました・・・と言われた時かなあ・・・」と。
 他界した義理の父(中学校の教員、専門国語)も、次の様に言われたことがありましたが・・・→
 「子ども3人共、いい結婚相手と一緒になれて、良かったなあと(義理の母に)いつも言っています。孫7人も、皆、順調に成長していて、こんな幸せなこと、ありません・・・今は、もう、自分たちは、先がないんで、いつも話すことは、もっぱら孫のことばかりになっていますが・・・」と。
 そうですね、医師も、同じでしょうか・・・医師の場合は、結果が直ぐに出ることが多いのですが(←特に、小児科の場合)、教育の場合は、その子がどんな風に成長しているのか何て、ずっとずっと先まで見ないと、分かりませんね。
 親が子どもを育てる場合にしても、同じですね・・・(今の時代だと)苦労が多いですが、子どもが順調に成長して、感謝の言葉をちょっとだけでも掛けてもらえると、とても嬉しいですね。
 生きていてとても嬉しい時は、自分が一番価値感を抱いているものの「成長」が実感出来ている時ではないでしょうか?
 趣味の世界に入って、難儀しながらもどんどん上達して行く時、「アレッ、俺ってこんなにやれる能力があったんだ・・・」何て思って、とても嬉しくなるものです。
 
*写真は、1998年5月31日に、私が会長で、「日本の心・さいき」(The Spirit of Japan in Saiki) を、佐伯の三余館で開催した時の、インドネシアの研修生による素晴らしい舞踊です。


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独りボランティア演奏

2020-09-16 07:58:37 | 演奏
 今から4年前の内容ですが・・・→
 2016年9月15日(木曜日)の18時15分から、上天草総合病院に隣接する「きららの里」で、恒例の「夕涼みの会」がありました。
 初めに、7本調子でテープのピアノに合わせて「荒城の月」を吹きました。
 次に、「炭坑節」を吹き、「炭坑節」で、太鼓を打ちました。篠笛で、古賀政男メドレー4曲、「月の砂漠」、8本調子でテープのピアノに合わせて「荒城の月」を吹きました。
 最後は、私の篠笛演奏で、「幸せなら手を叩こう」で、終わりました。
 楽しかったです。ありがとうございました。
https://www.youtube.com/watch?v=gN2YO2ALi68(←篠笛で、炭鉱節)
https://www.youtube.com/watch?v=D3hkCM8KBFo(←和太鼓で、炭鉱節)
https://www.youtube.com/watch?v=bKDTLK91OJM(←古賀メドレー4曲)
https://www.youtube.com/watch?v=Dtm-gkgejqM(←月の砂漠)
https://www.youtube.com/watch?v=W0xrS7uVh_Y(←8本調子で、荒城の月)
https://www.youtube.com/watch?v=b-ux5ykrV4U(←月が出た?!)
https://www.youtube.com/watch?v=O99J-B8b57k(←幸せなら手を叩こう)


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他がよく見える・・・

2020-09-15 08:32:01 | 生き方
 いろんなお城を見てきましたが・・・私にとって、お城って、遠くから見ると、例外なくスゴク恰好よく見えます。が、実際に、中に入って近くで見ると、ああ、あのまま遠くからだけで見ていれば良かったと思ったこと、何度かありました。
 (←熊本城は、超スゴイ城って感じで、中に入って、内部を知れば知るほど、スゴイ城って感じになりますよ!)
 「故郷(ふるさと)は遠くにありて思うもの」って言う言葉があります。故郷の佐伯にいる時は、佐伯の良さにあまり気付かなかったのですが、遠くに永くいると、佐伯の良さがとてもよく理解できます。今は、佐伯の良さ、(遠くにいて佐伯の良さを知ったので)満喫しています。
 喜劇王のチャップリンは、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言っています。
 そうですね、そんな事って、かなり多いですね。
 救急病院でとても忙しく仕事をしているドクターの場合、年齢が40歳に近づくと、開業を一度は考える傾向にある様ですが(←私は41歳で開業しましたが・・・)、実際に開業したドクターの場合は、借金も半分以下になり、患者さんの数がピークを過ぎて次第に少なくなってくると、かっての勤務医を懐かしがる傾向にある様ですが・・・?!
 独身者は、結婚に憧れ、家庭持ちは、独身に憧れるってこと、ありますね。専業主婦は、仕事をバリバリしている女性に憧れ、仕事をしている女性は、専業主婦に憧れるってことも、確かにある様です。(←まあ、個人差は、確かにありますが・・・)
 現役の時には、有給休暇も充分に取らずに、多くのことを犠牲にして忙しく働いて、後、悠々自適なバラ色の生活を夢見ていたはずなのに、定年後、大きな病気になって、それも叶えられない人もいました。又、退職後、(仕事熱心だった人であればある程)別人の様になっているケースも(特に公務員で、長が付いていた人の場合)、時にいますが・・・。
 私ですか、仕事ないですが、すること多くて、忙しいです。毎日、ブログ書いているし、ピアノ弾き、笛を吹き、太鼓を打ち、語学をし、旅行の本を見て、皿洗いも、楽しくしていますよ。
*写真は、2008年4月4日に、熊本市役所の食堂から撮った、(被災前の)熊本城。


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今、幸せ?

2020-09-14 09:56:05 | 生き方
 幸せになるには、「今、幸せと感じているかどうか?」、これが大切ですね。
 今、落ち込んでいると思っていても、それから更に落ちて行くと、前はまだ良かった、出来れば、前の状態にでも戻れれば、何て考えてしまうこともありますね・・・?!俳人正岡子規が、結核の病に倒れて、次第に死に近づいて行く時、そんな状況がありましたが・・・。
 順調にどんどん行っていたのに、T大学の大学院の試験に落ちて、(今まで順調に行っていただけに)命を絶った人もいましたが・・・。順調に行き過ぎると、失敗に耐えられなくなるんでしょうか?!まあ、失敗も、成功への肥やしと思えばいいのでしょうが・・・?!
 ある時、北朝鮮から脱北した女性16名が、韓国のテレビ番組に出て、面白おかしく放送されていたことがありましたが・・・その中の一人が、次の様に言われていました・・・→
 「今までの(北朝鮮での)生活を考えれば、今からは、どんな辛い事にも耐えて行けます・・・」と。そうですね、それまでの生活は、自分の運命だったと思って、それを土台に今から生きるしかないんですね。過去は消えませんから・・・。
 初めに楽を覚えると、後が大変で・・・やはり、初めは、トコトン、苦しいことを経験しておくべきと思っています。特に、男の子の場合は、それが当てはまる気がしています。
 そうしていると、後、結構、理不尽なことできつくても、さほどきついと思えなくなります。もちろん、個人差はあるでしょうが・・・。
 初めから楽をしようと思っていると、いつまで経っても、もっともっと病になっていて、不平不満がずっと継続する感じになっている様にも思えますが・・・。
 「若い時の苦労は、買ってでもせよ!」との先人の言葉があります。「知足の精神」、大切ですね。明日は、あるかどうか、誰にも分かりません。隕石が落ちてきて、それで、終わりってこともあります。(←競馬で、それまでトップを走っていた馬が、急にその場で倒れて、原因を調べると、隕石が頭に落ちてきたことによるものってことがあったとか・・・?!)
 今が幸せかどうかが問題です。貴方は、今、幸せですか?

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続・今日がもし最後の日としたら・・・

2020-09-13 10:27:48 | 生き方
 大分市の「天心堂へつぎ病院」を退職して、まる1年間、完全なる無職者でした。この期間を、かってからの夢実現の為に、使いました。つまり、独りでの1年間の海外滞在に・・・実際には、その都度、日本に帰っていたので、3分の2程でしたが。

11、(2005/1/22~2/8)、バングラデシュの首都ダッカで、ベンガル語を教わったAPUの学生さんの家で、ホームステイをし、その間、アチコチで、篠笛・和太鼓演奏をしました。イスラムと言う異質の世界を初めて経験した感じで、生きる意味を深く考えさせられました。
12、(2005/2/9~2/17)、ダッカからの帰国前に、マレーシアのクアラルンプールで、過ごしました。又、その間、キャメロンハイランドで2泊しました。マレーシアの運転手さんは、どの人も、英語ペラペラで、語学の大切さを知りました(←英語が出来ないと、仕事がない。)。
13、(2005/3/1~3/31)、インドネシアのバリ島のサヌールで、何もしない感じで、ボーッとして、過ごしました。この年、メチャ、暑かったです。その間、ウブドで2泊しました。ニュピを経験しました。生きる上での宗教の大切さを知りました。
 現地の人から(英語で)インドネシア語を教わりたかったのですが、探し出すことが出来ませんでした。しかし、レストランでは、常にインドネシア語を話しました。
14、(2005/4/18~5/18)、イタリアのフィレンツェでホームステイをして、イタリア語の語学学校に通って、イタリア語を勉強しました。その間、ローマ&シエナ&ピサを観光しました。5月のフィレンツェ、景色、良かったです!
15、(2005/6/11~7/31)、カナダのバンクーバーでホームステイして、語学学校に通って、英語の勉強をしました。その間、ヴィクトリア観光2泊しました。その後、トロント大学に行って、英語の勉強をしました。その間、ナイアガラ観光、モントリオール観光2泊、ケベック観光2泊をしました。トロント大学では、そこの寮に滞在しました。カナダは、いい所です!

 2005年8月中旬から、上天草市立上天草総合病院に就職し、12年間近く、そこで仕事をしました。この間、海外旅行をし、多国語を整理し、篠笛・和太鼓の演奏活動もし、(講義を受け持ったこともあって)発生学や生化学や統計学の勉強もし、そして、老後のお金もそれなりに貯めることが出来ました。(←感謝感謝です!)

16、(2008/9/26~10/2)、家内と一緒に、アトランタに行きました。当時、長女が通っていたカイロプラクター養成所の「ライフ大学」を見学しました。(←長女は、Life UniversityをValedictorianで卒業!)
17、(2009/4/7~4/10)、家内と一緒に、台北3泊旅行。ここは、台湾語でなく、北京語でした。
18、(2009/4/14~4/18)、家内と一緒に、ソウル4泊。私のハングル、通じました。
19、(2009/5/12~6/11)、オーストラリアのグラッドストーンで、学校中心に、演奏三昧でした(回数が多くて、疲れて、フラフラ状態でしたが・・・)。家内は、演奏全くしませんが、常に、一緒に同行。
20、(2010/5/12~5/27)、家内と一緒に、イスタンブール15泊、超面白かったです!
21、(2010/7/5~8/10)、家内と一緒に、オーストラリアのグラッドストーン(帰国時に、ゴールドコースト3泊、ブリスベン2泊)で過ごしました。演奏全くせず、いい気候で、二人で、ゆったりと至福の時を過ごしました。
22、(2012/5/8~5/12)、韓国清州市にて、4カ所で、篠笛・和太鼓の演奏をしました。家内と一緒に。前回(2001年9月)も、今回も、韓国の文化人に、とてもよくしてもらいました。(韓国には、今までに6回も行っています。安くて、近くて、安全ですね。ハングル、少しでも話せると、旅がとても楽しくなりますね。)
23、(2012/5/21~6/20)、家内と一緒に、パリ1ヵ月。建物が凄いですね。 モンサンミッシェルに行き、地下鉄14本、全て乗りました。ベルサイユ宮殿、シャルトルにも、行きました。
 買い物やレストランでのフランス語、少し、慣れました。
24、(2012/6/14~6/17)、パリ滞在中、長女家族が住むニューヨークにパリで切符を買って行きました。初孫に会えて良かったです。
25、(2014/2/1~2/8)、家内と一緒に、ドバイ5泊。その間、アブダビ&シャルジャも、観光しました。残念なことに、(せっかく覚えて行った)アラビア語を話す機会が少なかったです。又、いろんな面で、いろいろ考えさせられました。
26、(2016/3/19~3/30)、家内と一緒に、ポーランド11泊。ワルシャワ4泊→クラクフ4泊→ワルシャワ3泊。クラクフでは、私の50年程の念願のアウシュビッツ収容施設を見学しました。意義深い旅行でした。ホテルでの片言でのポーランド語(←1年間、独学で)、何とか、通じました。

 海外旅行で、お金も時間も労力も、それなり使いましたが、悔いはありません。又、海外旅行が出来ることを夢見て、その準備をしています。元気でないと、出来ません。
 トランプ大統領は、74歳、バイデン氏は、77歳、自民党幹事長の二階氏は、81歳、そして、管氏は、まだ、71歳ですね。私も、まだ、71歳です。
 私は、仕事はもう頑張れないけど、趣味には、まだ、頑張れます。

*写真は、長女が通っていた「ライフ大学」の前で。
*http://izumiwellness.com/(←Izumi Family Chiropractic and Wellnessイズミ ファミリー カイロプラクティック アンド ウェルネス)


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臨床の難しさ・・・

2020-09-12 08:42:31 | 医学
「臨床の難しさ」
 10年前の9月11日に「臨床」と題して記載した内容です。

 あるベテランの弁護士さんが、テレビで・・・「一人前の弁護士になるには、試験に合格しただけでは不充分で、実際にいろんな例を受け持って、一つ一つ体で受け止めて体験して行く中で、いい弁護士になれる・・・」って感じで言われていました。
 そうですね。学校の先生や看護師さんや医師も、同じと思います・・・。
 教科書にちゃんと書いてあるよって言う人いるけど、各論になると、いろんなケースがあって、それに個人差もあるので、教科書通りに行かないことが多い。
 昨日、(発生学の講義が終わって)12時半過ぎに、9歳の男児が急患で来た。よく、外来に来る子どもだった。学校でお腹を痛がったと言うことで来院した。
 鼻汁、咳嗽、発熱、頭痛、嘔吐、下痢全くなし。喉も赤くない。髄膜刺激症状もない。朝は、全く元気だったとのこと。顔色悪く、お腹をとても痛そうにずっと曲げている。左下腹部を特に痛がる。母親も、大事な一人息子なので、心配そうな顔をしている。
 「今朝、うんち出た?」
 「ハイ、今日は、出てます。」
 「普段、便秘がち?」
 「いいえ、便秘でこんなにきつがったこと、今まで一度もありません。」
・・・取り敢えず、感染症はない感じに思えたので、浣腸した。→すると、便が少し出ただけで、硬さも普通。
 「お母さん、便秘が原因じゃないみたい。点滴して、外来でしばらく様子を診たいと思います。点滴する時、一緒に、検査も出来ますから・・・」(母親納得)
 実は、こんな例、今まで数多く経験してきている。いろんな原因で、腸管の循環不全が起きているのでは(?)と、思っているのだが・・・?!
 大学で、心臓の手術後に、時々、お腹痛がって、小児科診察を依頼されたことがある。腸への虚血と思われる。
 10年半余勤務した佐伯の救急病院では、子どもが頭を打った後に、脳外科専門医から、「先生、頭じゃないごとある…先生の方みたい・・・」って感じで、小児科にしばしば紹介されていた。
 この場合、あまり周りが騒ぐので(?)、「アセトン血性嘔吐症(?)」になった感じですが・・・。そんな無欲状顔貌になって、嘔吐と腹痛があって、尿アセトン強陽性の子ども、数多く経験しましたが・・・。(この場合、年齢やその子の性格や既往歴がとても大切になりますが・・・)
 今回は、暑さで、脱水気味になり、腸が虚血になっていると思われた。
 点滴をすると、腹痛が嘘の様に軽快して、眠ってしまった。で、検査も、脱水所見(尿素窒素の上昇あり)以外に、特に問題なし。(レントゲンの検査もなく、薬もなし)
 で、目が覚めて元気なので、16時過ぎまで点滴をして、帰した。(暑さで脱水にならない様にと説明して・・・)
 又、この日、18時前に救急車で、15歳の女児が来院。掛かりつけでなく、数年間、全く当院を受診してない。当直は、卒後9年目の臨床バリバリの自治医大卒の女性の産婦人科医。
 その先生から、電話あり。けいれん(医師は診ていない)あり、発熱ない、呼び掛けても応じなくて、目の動きがおかしいとのこと。血圧正常、呼吸数、心拍数正常。
 CT正常。一緒に来た養護の先生が、あまり慌てていない(おかしい?)。目の動きが悪い割には、一般状態がいい(おかしい?)。神経の得意な院内の内科医が診て、「HY」じゃないかと言う。血液検査もいいし、「ヒステリー」と考えると、診断に不自然なことがない。
 それによく話を聞くと、2~3年前にも同じ様なことがあって、しばらくしたら、元気になって入院せずに帰れたとのこと。
 で、恐らく、今回も、同じ経過をとるだろうって感じになって、しばらく様子を見ていたら、嘘みたいに元気になったので、点滴終了後に、入院せずに帰した。
 目出度し、目出度し。
 臨床には、時に、思わぬ落とし穴がある。思い込みは、いけない。常に、医師は、シャープな頭の状態にして的確な情報を得て、的確な判断をしていかないといけないが・・・。経過を見て、後で診断が付けられることも多い(最後まで、付けられないこともあるが・・・)。
 医師としては、帰る時に、患者さんが元気になって、親御さんから喜んでもらえると、ホント嬉しいですね。

 これからちょうど10年後の今、改めて自分の書いたこの内容を読んでも、納得出来ます。そうなんです、病名は同じでも、一人一人、皆、経過は、それなりに違います。何年経っても、臨床では、新しい発見があります。思い込みや、自信過剰や、慢心は、誤診の元です。常に、謙虚で、患者さんの言うことに耳を傾け、よく診ることが大切だと思います。
*写真は、「たはら小児科医院」の院長室で、お点前している私です。MRさんなど、お客さんが来たら、ここで、母の手作りのお菓子を付けて、一服、差し上げていました。又、職員や子ども達や外国の人達の茶道の練習場所でもありました。

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今日が、もし最後の日としたら・・・

2020-09-11 09:10:18 | 生き方
 スティーブ・ジョブズは、60歳まで生きなかったけど、スティーブ・ジョブズは、「今日が、もし最後の日としたら・・・」と、投げかけていますが・・・。
 小学校の時から、気が付くと、眠る前に、地図帳を殆ど毎日見ていました。そして、それが現実となって、今までに、海外旅行を26回しています。(16カ国で、その内、海外演奏を延べ10カ国で)。

1、シンガポール(1989/3/29~4/1)に、JTBで行きました。海外旅行は、これが初めてで、家内と一緒に行き、戸惑うことが多かったです。(写真参照)
2、次に、退職後、茶道関係4人で、 2泊3日で、韓国に「韓国ジョイロード旅行」で(1999/7/15~7/17)。(この年の5月31日に、「たはら小児科医院」での診療を終えました。)
3、更に、(1999/7/26~8/11)、オーストラリアに(シドニー宿泊、ブリスベン宿泊、グランドストーン宿泊、ヘロン島宿泊)、長女と長男と三人で行きました。この時、佐伯市の姉妹都市のグラッドストーンでの国際フェスティバルで、篠笛・和太鼓演奏、更に、仕舞を披露しました。

 この年の9月末より、福岡県大川市高木病院の勤務医となり、東大小児科のスタッフと一緒に2年7カ月間、勤務しました。その後、大分市の「天心堂へつぎ病院」で、2年2ヵ月、勤務しました。

4、太鼓と踊りの集団、「鼓舞龍」の一員として、(2000/10/18~10/24)、カナダのトロントにある「日加文化会館」で、篠笛・和太鼓演奏をしました。この時、ナイアガラ観光もしました。(演奏での演奏は、この時以外は、全て、独りでした。)
5、(2001/5/18~5/20)、韓国浦項(ポハン)市で、茶道関係者14名で、合流茶会をし、その時に篠笛・和太鼓演奏を披露しました。
6、(2001/9/20~9/25)、独り旅行で、韓国清州市にて、学校や施設で篠笛・和太鼓の演奏をしました。(片言のハングル使いながら・・・周り字がハングルばかりなので、驚きました!)
7、(2003/12/5~12/11)、佐伯市民と一緒に、アメリカのホノルル旅行をしました。この時の佐伯市とホノルル市の友情都市調印式で、(独り)篠笛演奏をし、神聖なるパンチボールで篠笛・和太鼓演奏しました(←アメリカの寛容さに、敬服!)。
8、(2004/9/5~10/22)、タイのチェンマイで、1カ月半余、独り旅行。サンデーマーケットでの路上で、篠笛・和太鼓演奏をする。現地で30回ほど、タイ語の個人レッスンを英語で受けました。(→自分でも驚くほどのタイ語の上達で、そこから帰る時は、タイ語だけで話していました。)

 2004年の8月~2005年7月まで、1年間、完全なる無職で・・・(自分のかってからの夢を叶える為に)イスタンブールから出発する予定が、トルコ語を教わっていたAPUの学生さんの都合が付かなくなり、やむなく予定を変更して→タイ語を教わっていたAPUの学生さんの父親により、タイのチェンマイのゲストハウスを紹介されて、そこに宿泊しました。そこでは、いろんな人に出会い、(朝食付き1泊1000円の)安値で、良かったです。

9、(2004/11/4~11/30)、日本国総領事館から和太鼓を借りて、ニュージーランドのオークランドで、完全なる独り演奏旅行をしました。フェスティバルや学校や施設で、30回余、篠笛・和太鼓演奏をしました。
10、(2004/12/9~12/28)、韓国釜山市で、大学と語学学校のダブルスクールで、オンドルの効いたホテルに宿泊して、ハングルの猛勉強をしました。

*写真は、初めての海外旅行(シンガポール)で、撮ったもので、私の(パソコンのある)部屋に飾っています。



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