日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

宮崎市に1泊

2020-06-11 17:18:10 | 旅行
 令和2年6月10日(水)午前中、宮崎市に、電車で、家内と一緒に行きました。まだ、延岡市から引っ越して、まる1ヵ月も経っていないのに、宮崎県、久し振りに行ったって感じになりました。電車内、まだ、乗客、少ないです。佐伯駅で乗る時も、帰りに佐伯駅で降りる時も、私達二人だけでしたが・・・。
 佐伯駅を出発して、宮崎駅に着き、いつもの店「らくい」に行き、チキン南蛮定食を食べました(←超美味しい!)。店の中も、いつもよりは、少なく、いつも利用している「サラダバー」も、中止になっていました。
 翌日、(県病院での)用事を午前中に済ませて、再び、11:35の特急で帰りました。
 片道2時間余掛かるのに、行きも帰りも、さほど長く感じませんでした。延岡駅から佐伯駅に帰る時、延岡市に住んでいた時は、長く感じていたのに、今回、その倍もあるのに、そう感じませんでした。何故かなあ?
 それに、たったの1泊なのに、数日間、県外にいた感じになりました。何故かなあ?
 今は、起きたい時に起き、寝たい時に寝て、仕事全くしなくて、今までで一番、超贅沢な生活をしていますが・・・このままだと、気が付いたら、浦島太郎って感じになっているのかな?!




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子どもは、天才!

2020-06-10 06:37:50 | 演奏
 平成12年、大川市の教育委員会から特別非常勤講師に任命されて、1年間大川市立道海島小学校の小学4年生~6年生全員に、「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えました。
 そこで、私は多くのことを学びました。又、そこの学校の先生方も多くのことを学び、そのことで研究発表までしています。つまり、太鼓で学校全体の雰囲気が明るくなり、はっきりと変わったのです。
 具体的には、一人一人が積極的になり、授業中によく発表する様になったのです。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にして、相手の立場になって考えることが出来る様になったのです。
 そして、何よりも各児童が自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなったのです。
 学校の体育館で、平成12年4月から始めました。6月頃に生徒にアンケートを取ってみました。それによれば、「楽しくて続けたい」と「きついから、出来たら止めたい」の意見がほぼ半々でした。学校での総合学習では、生徒は好き嫌いに関係なく、全て受けざるを得ませんでした。しかし、時間外の(大人も募集して)道海太鼓チームとしての練習は、自由参加でした。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に頻回に練習を重ねました。
 そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く打てたのです。大人から絶賛されたのです。練習をあまりして来なかった子ども達の前で。
 それからです、太鼓がいやで乗り気に打って来なくて市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは太鼓演奏で誰一人、嫌がる子はいなくなりました。
 市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や秋の体育際や大川市最大の祭りである「大川木工祭」や卒業式など、子ども達は大いに活躍し、大拍手をどこでも受けました。お年寄りが涙を流して喜んでくれたことで、子ども達も大いに燃えました。秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏しました。
 今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を道海島小学校の子ども達はそのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも毎年、盆踊り太鼓を打っているかどうか、定かでありませんが・・・。
 学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いてましたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、私に、次の様に言ったことがありました。
「田原先生、一つだけ心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞きますと、「生徒から馬鹿にされてないかとヒヤヒヤしています。生徒の方が覚えがいいので・・・」と言われました。その時、私は、「子どもが覚えがいいのは当たり前です。子どもは天才ですから」と言いました。
 又、別の担当の女の先生から次の様に言われました、「私達が注意してもなかなか聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆、真剣に聞いている。どうしてですかネエ」。私は言いました、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは一緒に遊んでいれば、それだけで充分だったんですが。小学校4年生になると生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言いました。
 私は、生徒の前で決して叱りませんでした。「素晴らしい、覚えがいい」、そして訂正すべき時は、「それでもいいけどこうした方がもっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで出来ないのが太鼓。練習すれば必ず出来る様になる」。そして、時々言いいました、「練習は本番、本番は練習」。「上手になる人と下手な人の違いは一つしかない、それは、出来る人は皆の見てない所で一生懸命に練習している。ここでの練習時間は、限られているから、たいしたことない」と。
 教師たる者の教えるコツは、その楽しさと、努力すればどんな子も、必ず上手になることを、出来るだけ早めに気付かせることが大切だと、今でも、思っています。
 子どもは、どの子も、天才ですから。




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続・藤井聡太君

2020-06-09 11:00:44 | 趣味
 将棋の最年少棋士・藤井聡太七段(17歳)が、6月8日(月)、ヒューリック杯棋聖戦五番勝負の第1局で、渡辺明棋聖(棋王、王将、36歳)に、157手で勝利し、タイトル戦初挑戦で初勝利しました。
 昼前から夕方過ぎまで、気にして、初め時々、後半は、ずっと座って見ていました。棋士って、正座して、同じ姿勢でずっとしてるんですね。座っているだけでも、長いと、きついのに、正座なんて、血の巡りが悪くなって、身体に良くないのでは、何て思ってしました。
 渡辺三冠も、藤井君も、私のファン(それに、羽生さんが)なので、共に勝って欲しいのですが、勝負の世界、どちらかが勝ち、どちらかが負けますね。両者にとっても、勝っても負けても、かなりのストレスですね。一手でも、間違って打てば、負けますので、試合中、ずっと緊張が続きますね。(相手の番の時、トイレにしばしば行って、トイレで、ストレッチ体操でもするといいのでしょうが?!)
 羽生→渡辺→藤井って感じで、将棋界のトップが変遷している感じですが、強くても、いつかは、王者も、弱くなって行きます。誰しも、ピークの時があり、ホント、勝っても、それを維持することの方が、もっと大変ですね。
 後半は、渡辺さんが飛車二枚、角一枚持ち、藤井君は、角一枚で、そんな中で、解説者は、五分五分、しかし、少し藤井君の方がいいのか何て、解説していましたが、私には、そう思えない場面のことの方が多く・・・しかし、藤井君、最後の終盤で、持ち時間が両者なくなってから、危ない場面を何とか切り抜ける感じになって、気が付くと、しっかり勝っていました。
 世の中、コロナ、コロナと騒いで、暗い中、先の突如花火にしても、この将棋の勝敗にしても、心躍りますね。
 見る方も、疲れましたが、気分は、爽やかって感じです。
 両者、有り難うございました。残りの闘い、又、いい内容、期待しています。



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挫折した趣味・・・

2020-06-08 10:50:36 | 趣味
 30歳ちょっと越えた頃、佐伯市にある救急病院で、24時間365日って感じで、新生児・小児の救急中心に、入院をどんどん受け入れて、仕事ばかり、一生懸命にしていました。
 その時、大分医大の外科のある先生から、「仕事も大切ですが、仕事だけだと、それにぶつかった時、逃げ場がなくなる・・・。別のことで、一つでもいいですから、自分で納得出来る感じの趣味があるといい、仕事と全く関係ないと、更にいい・・・」と言われました。
 で、「ハッ」とその時、気が付いて、仕事馬鹿にならない様にしなければと、それから思う様になりました。
 で、今思うに、つらくても今まで潰れなかったのは、趣味のお陰だったと思っています。
 学校の先生や医師の場合、先生先生と言われて、どうしても見る目が狭くなりがちです。自分では、それに気が付いてないことが多いので、更に、やっかいです。
 一生、仕事に生きるって医師もいますが、本人がそれで楽しければ、いいと思うのですが、老害ってこともありますし・・・。
 せっかく生きてきたのですから、仕事以外に没頭することも、あった方がいいと思います・・・。
 ある外科の医師、大阪大学卒業後、初期研修終了して、外科専攻医ののち外科専門医取得してから、趣味のお酒がこうじて2019年春、都内にBarをオープンさせています。現在フリーランス医師をしながら、 自身の店でオーナーバーテンダーとして活動しています。無理せず楽しく生きることをモットーとしているとか。 素晴らしい。
 私自身、挫折した趣味、沢山あります。
・小学生の時のバイオリン、教わっていましたが、中途半端で、却って、自分に自信をなくしてしまいました。
・中学生の時、ピアノ、これも、高校の音楽の先生に付いてしばらくしていましたが、中途半端で、自信をなくしてしまいました。
・中学の時、ギター、これも中途半端でした。
・胡弓、大人になって、買って来たのですが、独学は無理で、しなかったですね。他人に挙げましたが。
・ドラム、大人になって、独学でしょうとしましたが、駄目でした。
・水墨画、大人になって、先生について、しばらくしたのですが、続かなかったですね。
・大人になって、茶道、ヨーガ、太極拳(太極剣)(8年間続きましたが)、書道、謡曲(仕舞)、(超)一流の先生について、その時は、一生懸命にしていましたが、今は、していません。
・スポーツに関しては、中学で軟式テニスに、大学でも軟式テニスに入部しましたが、上手になれませんでした。(←練習への真剣さが足りなかったですね)
・ 西田病院ゴルフ同好会に入って、2~3年間?、ゴルフに懲りました。卓球(台が今も、車庫にありますが)、バドミントンも、ちょっとしました。
・茶道は、「西田病院お茶同好会」を私が結成し、そこを退職する直前まで、10人ほどで、していました。近所の子どもさんを集めて、「子ども茶会」を佐伯で初めて結成して、お茶会を何度もしました。インドネシアの人やアメリカの人にも、教えて、お茶会で点てて頂きました。
・300余ページの本を自費出版しました。2冊。それを全国の医学部に配りました。書くことは昔から好きでしたので。もう、本を出す元気、ありません。
・時間外の小児患児の統計を長いこと執っていました。これも、私にとっては、趣味だったのかなあ。
 茶道に関しては、趣味の中で、一番長い間、していたのですが、又、今も、する気はあるのですが、脚が痛くて、今は、休んでいます。(←明日、立礼で、点ててと言われれば、何とか、まだ、出来そうな気もしているのですが?!)
 今は、「多国語」と「1時間の独りボランティア演奏」、それに、(コロナ収束後の)「旅行」ですね。 詰め将棋、400問、又、挑戦始めました。
 思うに、老後は、趣味があると、毎日、することがあって、生きていることが、楽しいですね。
 趣味も、直ぐ出来るのは、直ぐに飽きます。私のお茶の師匠が言っていました、「お茶は、3年もすると、お茶の面白さが分かって、辞められなくなります。辞めるなら、早めの方がいいですね。」と。



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放言

2020-06-07 09:04:34 | 雑感
 中国は、香港の民主化運動を押さえ込んでしまった。もう、香港では、今までの様なデモ隊による意思表示は、出来なくなってしまった。
 中国の軍隊は、国民の反乱を押さえ込む為のものって感じですね。今回のコロナ騒ぎの前にも、中国国内では、一党独裁の中国共産党の支配に対して、アチコチで暴動がしばしば起きていましたが・・・。
 その点、日本は、ホント、国民を守る自衛隊って感じになっていますね。でも、憲法上、軍隊と言えないのも、問題だと思います・・・北朝鮮にも、強く出れないし・・・。
 米国大統領のトランプ氏、軍隊を使って、デモ隊を鎮圧しようとしているけど、これ、やり過ぎですね。さすがに、トランプ陣営の中でも、反対意見が出ているけど。このままでは、再選、無理と思われます。こんな状態でも、再びトランプ氏が再選されたとしたら、アメリカ人の常識が疑われます。
 中国は、軍を、一党独裁の中国共産党を維持する為に使い、トランプ氏は、選挙に勝つ為に使う、両方とも、おかしい・・・!
 今の世界は、中国の習近平氏とアメリカのトランプ氏に、振り回されている気がしてなりません。中国人の一人一人は、別に、問題ない普通の人が多いのになあ(←私個人的には、中医学で、中国の漢方医には、大変お世話になってきていますが)。
 そんな中で、日本は、どうあるべきか?日本人、もっと真剣に考えないといけないと思います。今、政府だけでなく、朝日新聞やNHKなど、マスコミもおかしくなっている気がしますけど・・・(南京事件や慰安婦問題など、マスコミは、事実を曲げて取り上げているけど・・・第二次世界大戦時にしても、大衆を煽り、嘘の報道をしてきているけど・・・)。
 コロナ騒ぎにしても、マスコミは、脅し過ぎですね。そして、安倍総理、東京オリンピック・パラリンピックを来年にしたいみたいですけど(←無理では)・・・今、コロナで生活に困っている人のことを優先的に考えて、早く助けてあげて下さい。
 習近平氏の訪日、来年も、延期して、出来れば中止にすると、世界の為にはいいのではと、個人的には、思っています。
 いい政治家や政府を願っても、それがどうしても出来ない時は、民衆が団結して、いい政治家や政府に育てるしかないですね(まあ、代わりに、優秀な人がするって、手もありますが、これには、まず、お金が要らない選挙制度にすることが必要ですね!)。
 視聴率を気にするマスコミに対しては、不買運動をしたり、テレビを見ないって手もありますが・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=oAQN6Ncor1o(←武田邦彦先生の話)


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藤井聡太君

2020-06-06 09:12:20 | 趣味
 将棋の藤井聡太七段(17)が、6月4日、棋聖戦・決勝トーナメント決勝で、永瀬拓矢二冠(27)に100手で勝利し、渡辺明棋聖(棋王、王将、36)への挑戦権を獲得しました。
 17歳10カ月20日での挑戦は、従来の記録を31年ぶりに更新する新記録となりました。(ちょっと前の話では、コロナ流行で、対局自体がキャンセルになる可能性もあっただけに、良かったですね。)
 デビューから数々の快記録を打ち立ててきた天才棋士が、又、新たな歴史を作り上げました。棋聖戦五番勝負は、6月8日、開幕しますが、相手は、三冠の渡辺さん、今、最強と言われていますから、もしも勝てば、大変なことですね。
 かって、羽生さんが、阪神淡路大震災の時、6冠を取り、翌年、谷川さんに勝って、7冠を取った時には、もう、こんな人、出ないと思っていましたが、先のことは誰にも分からないものですね、ここに、藤井君が現われました。
 この様に育てられた親御さんは、どんな教育をされたのでしょうか?
 それは、羽生さんに関しては、彼が7冠を取った時、その父親(鹿児島県出身)の言葉に集約されている様に、思いました。
 「ある時は、勝ちに安堵し、負けに落胆しながら成長を見守って参りましたが、今回、”王将位及び7冠を預かる”にあたり、将棋は勝ち負けを争うゲームであることは存じておりますが、私ども家族は、現在、複雑な心境です。と申しますのは、阪神大震災の中心地、神戸出身である谷川浩司王将が、力を充分に出し切れないままに終わったことです。大震災による物理的、精神的な痛手、更に、善治の7冠へのマスコミ報道が、谷川王将に重荷になったと思います。7冠奪取、独占など大それた気持ちを持つことなく、一時期、”7冠を預かる”心構えの棋士であると同時に、社会人として更に精進するように望んでおります。」と言われています。父親、素晴らしい方ですね。この父親あっての羽生棋士だと思いました。
 藤井聡太君には、4歳上の兄がいて、父親は、東京に単身赴任している様です。両親も兄も、将棋にはあまり関心がない様で、将棋は、祖母が初めに聡太君に教え、その祖母が直ぐに勝てなくなり、祖父が次に教え、その祖父も、直ぐに勝てなくなり、その後、将棋教室に通うことになっています。聡太君、兄と違って、ゆっくり型なんですが、負けると、大泣きして、根っからの負けず嫌いだったんですね。趣味は、電車とか。
 聡太君の母親は、子どもが好きなことは、何でもどんどんさせる教育方針で、焦らず、遠くから見守る感じに思えます。又、父親は、聡太君に、「キュボラ」のおもちゃを与えていますが(←これで、右脳が鍛えられたのかな?)・・・父親の教育方針、情報が少なくて、よく分かりません。恐らく、両親とも、子どもは子どもと思って、常に冷静に、「遠くからよく見守る」接し方(←理想的)だったんですね。
 反対に、近くから、アレコレ指図して、親の言う通りにさせようとすると、上手く行かないことが多いみたいですね。
 
*私自身は、小学校と中学校では、将棋をよくしていました。高校になると、それが囲碁になり、大学でも、教養部の時は、(初段の人と)よくしていました。その後、詰め将棋を時々する程度になってしまいましたが・・・又、始めようかなあ・・・。


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祈り・・・

2020-06-05 11:20:28 | 演奏
 月日の経つのは早いもので、次女に、昨年、男児が産まれて、来月(7月)で、その児も、満1歳になります。
 3年余前の3月25日(土)の東京の渋谷での次女の結婚式を、しばしば、思い出しています。
 長女夫妻は、0歳と5歳の子どもを抱えて、ニューヨークから来ました。
 乾杯の直後に、私が篠笛で「さくら」を演奏しました。(リハーサル全くなくて、いきなり本番でしたが)
 次女は、バイオリンで四曲、演奏しました。
 最後の四曲目の時は、正にサプライズで、次女が、新郎と一緒に、「糸」を演奏しました。新郎、右手から練習し、次左手、そして、やっと両手・・・と、コッソリと1年間、一生懸命に練習をしての成果でした。正に、愛の結晶の演奏でした。
 音楽で始まり、音楽で終わった感じの、とても楽しい、個性的な素晴らしい結婚式でした。
 次女が多くの人の前で演奏するのを直に聴いたこと、何故か、中学生の時以来、一度もありませんでした。(この立派な演奏が親への恩返しだと思いました。)
 今、コロナのパンデミックで、世界中が大変ですが、そんな中で、次女のバイオリンの音色を聴いて、祈りたいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=YStWwxlk_OE(←私の篠笛演奏)
https://www.youtube.com/watch?v=EHfaX1c4WLA(←次女&シンガーの演奏)
https://www.youtube.com/watch?v=qxKKjsLF5zY(←次女の演奏)
https://www.youtube.com/watch?v=ow5FrWRfrDQ(←次女の演奏)
(←最後の方で、長女の次女が、感激してか、奇声を発していますが?!)
https://www.youtube.com/watch?v=9EFRy_QCIyY(←新郎と新婦の演奏)
https://www.youtube.com/watch?v=tWM7xeN2Rm0(←新郎&新婦の演奏)


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医療従事者と海外旅行

2020-06-04 10:37:36 | 生き方
 佐伯市で開業していた時、平日は、朝7:30から、夜は、365日、20:00に集めて診ていましたが・・・独身のナースには、息抜きで、海外旅行をしてもらっていました(家族持ちは、家族で国内旅行を、お金は、医院持ちで)。
 年に1回だけでしたが、それが、大ウケでした。
 実際に、都会のある医療施設でも、似た事例が時々ある様ですが・・・。
 ある(たはら小児科医院の)ナースが言われていました、「私達、いつも、当直しているからか、外国に行ってる時、時差ボケ、直ぐ回復するのに、一緒に行った事務員さん、時差ボケ、苦しんでいた感じで・・・」と。
 (天草で一緒に仕事をしていた)ある独身の内科のドクター、海外旅行大好きで、毎年、ちょっと暇があると、何度か、海外に、気軽に行っていましたが、その話が面白くて・・・→
 「当直明けに行くと、飛行機の中で、グッスリ眠れて、時差ボケなくて、すっきりして、全く問題なし・・・」「インドに行った時、着いたら、私の名前を書いた紙を挙げている人が二人いて、どっちを選んだらいいのか、迷って・・・まあ、中国でいろいろあったけど、それ何て、インドの事を考えると、かわいいもの・・・そんなインド、行った時、どうなるか不安で一杯だったけど、又、行ってみたい・・・」と。何でも、インドにはまる人、抜け出れないってこともあるみたいで・・・?!
 忙しい職場であればある程、有給休暇を使い切って欲しいですね。コロナで活躍されている医療従事者には、感謝の気持ちを込めて、是非、(海外)旅行して(←お金は、病院持ちで)頂きたいですね。
 旅は、年齢によって、その感じ方が違いますね。出来れば、若ければ若いほど、そして、近くより、より遠くの方が、いい感じがしています。旅は、する前も、している時も、そして、した後も、楽しめます。あの世に行く直前まで。

 今までの海外旅行26回(16カ国、海外演奏延べ10カ国)です。
1、1989/3/29~4/1。シンガポール(JTB)、家内と一緒に。
2、1999/7/15~7/17。茶道関係者4人で韓国ジョイロード旅行。(この年の5月31日までをもって、たはら小児科医院での診療を終える)
3、1999/7/26~8/11。オーストラリア(シドニー宿泊、ブリスベン宿泊、グランドストーン宿泊、ヘロン島宿泊)、長女と長男と三人で。佐伯市の姉妹都市のグラッドストーンでの国際フェスティバルで篠笛・和太鼓演奏。(この年の9月末より、福岡県大川市高木病院の勤務医となり、T大小児科のスタッフと一緒に2年7カ月間一緒に仕事をする)
4、2000/10/18~10/24。カナダのトロントにある「日加文化会館」で、「鼓舞龍」の一員として、篠笛・和太鼓で海外演奏、ナイアガラ観光。
5、2001/5/18~5/20。韓国浦項市にて、茶道関係者14名で合流茶会をし、その時に篠笛・和太鼓演奏。
6、2001/9/20~9/25。韓国清州市にて、学校や施設で篠笛・和太鼓の演奏。独り旅行。
7、2003/12/5~12/11。アメリカのホノルル。佐伯市とホノルル市の友情都市調印式にて、篠笛演奏、パンチボールにて篠笛・和太鼓演奏。
8、2004/9/5~10/22。タイのチェンマイ、サンデーマーケットにて、路上で篠笛・和太鼓演奏。現地で30回ほど、タイ語の個人レッスンを受ける。独り旅行。(2004年の8月~2005年7月まで、1年間、完全なる無職で・・・自分のかってからの夢を叶える為に、イスタンブールから出発の予定であったが、トルコ語を教わっていたAPUの学生さんの都合が付かなくなり、やむなく予定変更→タイ語を教わっていたAPUの学生さんの父親により、タイのチェンマイのゲストハウスを紹介されて、そこに宿泊)
9、2004/11/4~11/30。ニュージーランドのオークランドにて、フェスティバルや学校や施設で、30回余、篠笛・和太鼓演奏(日本国総領事館から和太鼓を借りる)。完全なる独り演奏旅行。
10、2004/12/9~12/28。韓国釜山市、大学と語学学校にてハングル語(猛?)勉強。
11、2005/1/22~2/8。バングラデシュのダッカで(ベンガル語を教わったAPUの学生さんの家で)ホームステイ、篠笛・和太鼓演奏。
12、2005/2/9~2/17。マレーシアのクアラルンプール(キャメロンハイランドで2泊)。(ダッカからの帰国時に)。
13、2005/3/1~3/31。インドネシアのバリ島(ウブドで2泊) 。(何もしない感じで、ボーッとしていました・・・ニュピを経験しましたが・・・)。
14、2005/4/18~5/18。イタリアのフィレンツェ。ローマ&シエナ&ピサ観光。イタリア語の語学学校でホームステイして研修。
15、2005/6/11~7/31。カナダのバンクーバーにある語学学校(ヴィクトリア観光2泊)とトロント大学(ナイアガラ観光、モントリオール観光2泊、ケベック観光2泊)で、英語研修。(バンクーバーでは、ホームステイ、トロント大学では、そこの寮に滞在)
16、2008/9/26~10/2。 アトランタ(長女在住)。家内と一緒に。
17、2009/4/7~4/10。 台北3泊。家内と一緒に。
18、2009/4/14~4/18。 ソウル4泊。家内と一緒に。
19、2009/5/12~6/11。 オーストラリアのグラッドストーンで、学校中心に、演奏三昧(回数が多くて、疲れて、フラフラ状態でしたが・・・)。家内は、演奏全くしませんが、一緒に同行。
20、2010/5/12~5/27。 イスタンブール15泊。家内と一緒に。
21、2010/7/5~8/10。 オーストラリアのグラッドストーン(帰国時に、ゴールドコースト3泊、ブリスベン2泊)。家内と一緒に。(演奏全くせずに、いい気候で、二人で、ゆったりと過ごしました)
22、2012/5/8~5/12。 韓国清州市にて、4カ所で、篠笛・和太鼓の演奏。家内と一緒に。
23、2012/5/21~6/20。 パリ30泊(途中、孫がいるニューヨークへ)。家内と一緒に。
24、2012/6/14~6/17 ニューヨーク(パリ滞在中)。家内と一緒に。
25、2014/2/1~2/8 ドバイ5泊(その間、アブダビ観光&シャルジャ観光も)。家内と一緒に。
26、2016/3/19~3/30 ポーランド11泊(ワルシャワ4泊→クラクフ4泊→ワルシャワ3泊、クラクフでは、私の50年程の念願のアウシュビッツ収容施設を見学) 。家内と一緒に。

*写真は、ローマ→ニュージーランドのオークランド→アブダビ




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日課

2020-06-03 11:02:43 | 生き方
 令和2年6月の私が毎日している事・・・→
1、車庫(車ないのですが)で、ダーツをしています。(6本使用して)真ん中の円の中に何本入るか、自分自身で試しています。的と足との距離を次第に広げています。
2、太鼓演奏を、夕方、周りに迷惑にならない様に、(完全ではありませんが)防音室で、しています。
3、篠笛演奏を、昼間、窓を閉め切って、しています。
4、ピアノを弾いています。半世紀ぶり(!)に、ソナチネの1番を練習していますが・・・。
5、毎日ではないですが、私のブログに、いろんな事を書き込んでいます。
http://sousei65.blog.fc2.com/(←私のブログ)
6、インターネットで、いろんな情報を得ています。
7、NHKのテレビの語学番組で、録画して、勉強しています(今は、特に、中国語と韓国語に力を入れています)。
8、食後の皿洗いを、(71歳から)始めました。水に触れるのって、気持ちいいですね。
9、料理、まだ、本格的でないですが、ちょっとずつしています。
 実際に、(上)天草では、数年間、院内の売店で食材を買って、朝食だけは、独りで作っていました(家で飼っていたウサギが亡くなるまで、家内がいなかったので)。大学時代も、時々、作って、後輩に食べてもらったこともありましたが。
 今は、時々、家内と一緒に作っていますが、その内、本格的に作れればいいなあと思っています。
10、ホワイトボードを使って、いろいろ書き込んで、それをユーチューブに載せるつもりでいます。(看護学校で教えていた、私なりの覚え方なども含めて)
11、良く噛んで食べること、適度の運動をすること(かかと落とし運動、もも上げ運動、太極拳、アイウベ運動、ラジオ体操、ゾンビ体操、合谷・三里点の指圧、ヨガなど)、インターネット中毒にならないこと、心掛けています。
12、1時間の独りボランティア演奏、多国語学習、継続して行きたいと思っています。




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突如、花火!

2020-06-02 14:34:09 | 生き方
 令和2年6月1日(月)、夜8時過ぎ、前触れもない感じで、日本アチコチで、花火が一斉に打ち上げられました。
 佐伯では、見られませんでしたが、テレビでそれを知り、感激しました。
 オンラインで結ばれた「日本煙火協会青年部有志」が、自粛に疲れた人たちに大空の花火を見上げて笑顔になってもらおうとのことでの企画でした。
 感染拡大防止のため「集客しない」「打ち上げ時間は5分以内」などを条件に全国の花火業者に参加を呼びかけたところ、163業者が賛同しての演出でした。
 見た人は、良かった、元気を頂いた、感激したって感じで言われていました。
 とてもいい企画だったですね。
 毎年、アチコチで、夏、花火大会が催されますが、今年は、殆どが、キャンセルになる感じですが・・・残念です。
 録画は、昨年の、佐伯での花火大会の前の市民総盆踊り大会で、私が太鼓を打っているものです。孫も、70歳の私が打つ太鼓を、楽しんで見てくれました。
 
https://www.youtube.com/watch?v=WNGZjlaW5nY(←昨年のものです、佐伯音頭)
https://www.youtube.com/watch?v=K5X1MBaASd4(←昨年のものです、佐伯小唄)


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