日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

マリンビューとY染色体

2009-01-19 15:39:16 | Weblog
 昨日のNHKの内容だと、Y染色体は、後500万年後には、消滅するとのこと。で、初めは、Y染色体の大きさは、X染色体と同じ大きさだったらしいが、次第に小さくなって、今は、X染色体の13分の1しかない。
 ヒトの祖先の哺乳動物が誕生したのは、恐竜時代で、その時、か細い哺乳動物が生き延びる為の手段として、発生学的に卵よりも胎盤で育つ道を選んだのだ。これだと、卵よりも安全。つまり、母親と共に動けるし、お腹の中で胎盤を通して栄養をもらえるから。
 1億6600万年前に、オスになる為のSRY遺伝子によりY染色体が誕生し、又、精子を作る遺伝子も出来たのである。又、胎盤は、オスが存在して、初めて出来ることになったのである。
 X染色体は、女性の場合は、2本あり、お互いに補え合える。しかし、男性の場合は、Y染色体は、コピーの連続でしか保てない。かくして、長い年月の末、年限と共に傷ついたY染色体は、次第に小さくなって行き、先々は、消滅の運命にあるのだ(大変だ!)。
 アマミトゲネズミやトクノシマトゲネズミは、SRY遺伝子がない!つまり、オスがいないことになっているが、生存の理由として、突然変異が起きて、Y染色体がないけれども、他の染色体がY染色体の働きをしているのではと考えられているとか?!ヒトも、突然変異が起きて、運良く生き延びられるかも知れないが、その確率は極めて低いらしい?!
 チンパンジーの精子と比べると、ヒトの精子の数、雲泥の差である。何せ、チンパンジーは、乱婚で、元気のいいオスの精子のみが子孫を残し、その結果、その生存競争で勝ち進んで来た精子が極めてたくましく残っている。その点、一夫一婦制を保ってきたヒトの場合は、次第に精子に精彩を欠いてきている。
 ジョン・エイトキン博士によるヨーロッパ男性の3500人の調査だと、正常の精子は、わずか15%しかいなくて、1mlに2000万匹以下の(不妊の)ケースが20%にも達し、40%もが基準以下だとか。フィンランドでの極最近の調査では、この最近のわずか5年間で、精子の濃度が27%程も低下しているとか。
 折しも、1978年にイギリスで初めて生まれた試験管べービーのルイーズさん、30歳に達した。又、1992年から、多くの施設で、顕微受精が広く行われている。今のデンマークでは、14人に1人が、顕微受精だとか。
 2005年、見かねたイタリア政府は、生殖医療は、カップルのみとしたが、今のアメリカでは、精子バンクまで出来て、好みのオスを女性が選べるビジネスが盛んだ。
 そう言えば、今度の島原の旅でも、鬼池港からのフェリー船の中、中高年パワーで活気があったなあ。「よか男、探しに行くから・・・」何て、65歳過ぎの女性軍団の内の1人が周りの人に冗談めいて言っていたけど。
 帰りの島原から熊本へのオーシャンアローも、中高年女性軍団で一杯だったなあ。
 それと対照的だったのは、帰りのマリンビューで、立派な造りなのに、ガラガラで、正に現在の日本男児の精子の姿って感じかな。
 写真は、マリンビューのもの。

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島原城

2009-01-19 11:04:37 | Weblog
 1月17日(土)、朝、7:35のバスで、龍ヶ岳町の高戸を出発して、9時過ぎに天草市の本渡に着き、本渡(ほんど)のバスセンターで乗り換えて、五和(いつわ)町の鬼池港に行った。対岸の口之津港まで、フェリーで30分で着いた。口之津港、大きい。何でも、南蛮貿易の関係で、大きな船が入っていた為にその造りになっているとか。そこからバスで島原市に行った。島原、初めて訪れた。こじんまりとして、とてもいい所だった。
 行って直ぐに、島原城を見た。敷地内に雲仙普賢岳の災害のことなど、いろんな内容のビデオがあった。その後、武家屋敷を見た。そしてアチコチぶらぶらと散策して、薄暗くなった頃に、涅槃像を見た。この日は、天気に恵まれて幸いだった。
 地元の人から、平成新山(噴火で出来た山)のことや、1991年6月3日の雲仙普賢岳の火砕流のことについて聞いた。アッと言う間に、その時、43人もの死者・行方不明者が出ている。島原市にどかっと座った感じの眉山(まゆやま)が、島原市の島原城の周りの人を救った感じだ。過去の噴火のことを見通して、それから逃れられる為に、島原城を建てたらしい?とのことだった(198年前にも、同じ様な大噴火があった)。今回、9432回も噴火して、平成8年6月3日にやっと終息宣言が出されている。
 翌日(日)は、長崎は雨だったって感じで、小雨がずっと降っていた。朝、10:15のオーシャンアローに乗って、30分後に熊本港に着いた。オーシャンアロー、乗客も多くて、立派なフェリーで驚いた。かもめがずっと追い掛けて来ていて、カモメって、飛ぶ時に飛行機と同じで、足をちゃんとしまい込んで飛んでいることに気が付いた。
 熊本港からは、4月から廃止になることが決まっているマリンビューに乗った。10年前に出来たそうで、残念だなあ。乗客、家内と私を入れてわずか5名だった。あいにくの雨で、周囲がよく見えなかった。
 75分後に本渡港に着いて、本渡のスーパーで家内と買い物をして、いつもの16:55のバスに乗って、上天草病院前に18:40に着いた。
 少し疲れたけど、ホント楽しかった。長崎県、天草からだと近いなあ。

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講 義

2009-01-16 13:25:52 | Weblog
 久し振りに、看護学校で講義をした。1年生に、「発生学」を教えた。CDを使い、カラー入りのプリントを使い、パワーポイントに入れ込んだスライドを使い、最後に、20問の試験をした(スライド試験が半分)。
 早口で喋ったが、理解できたのかなあ?内容が多くて、全てを喋ることは、至難の業だ。まあ、統計学よりも、自分の理解度がいいかなあと思いながら、話した。
 統計学は、順列・組合せ、確率、微分・積分、それ等が理解できて、統計学の意味がよく理解できると思う。発生学も、解剖・生理が理解できていると、理解し易い感じだ。
 医学関係者が教わる内容は、毎年増えている。ちょっとした雑誌を見ると、生化学や免疫学の内容があり、それなりに知識がないと理解し難いことが多い。新聞の広告にも、アラキドン酸やシトルリンなどの化学名がしばしば載っている。
 医師の国家試験にしても、看護師の国家試験にしても、講義をちゃんとものにしていても、国家試験前には、それなりの勉強を又しないと合格出来ない何て、何か無駄が多い感じがするけどなあ。
 司法試験や上級官吏試験や医療関係の国家試験のあり方、それを受けるまでの教育を含めて、じっくりと吟味する時代に既に来ていると思いますけど。
 いやいやながら、試験前に苦痛を感じて覚えたことは、終わるとすっかり忘れているかな。

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ワークシェアリング

2009-01-15 08:46:26 | Weblog
 ワークシェアリングと言う言葉がある。ある会社が潰れそうになった時、リストラするよりも、皆の給与を少なくして、それを防ごうと言うのだ。
 昨年退官したある(高専の)教授と話したら、63歳で一応定年で、後2年間は、特任教授の肩書きで、65歳まで勤めることになっていると言った。で、仕事量は、全く同じとのこと。
 多くの会社では、早いところでは55歳ぐらいでもう定年で、その後は、給料を少なくして働いている。会社もその人の経験を活かせて、両者好都合だ。問題は、仕事量だなあ。少なくなった給料分、仕事量も少なくしてもらうべきだ(当然当然)。
 多くの団塊世代が、そんな感じで、上手に会社と関わっていけばいいと思う。
 国も、国家公務員の給料を2割カッとし、天下りをなくしたら、消費税も上げずに財源確保できると思うのだが、自民党も民主党も、票が少なくなるので困るのかなあ。
 正に、国民全体に、このワークシェアリングの精神が大切な気もするなあ。

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初 釜

2009-01-14 16:37:03 | Weblog
 初釜が、佐伯市立の茶室「汲心亭(きゅうしんてい)」であった。皆、和服姿で来ていた。午前中、炭手前→濃茶→薄茶の順で終わった。やはり、お濃茶、美味しいなあ。そのお茶室からわずか道路を隔てて10m程先にある料亭「さくら亭」で昼食を摂った。昨年来てないだけに、話に花が咲いたかな。
 食事の初めに挨拶をとのことで、あいさつをして、三本締めを皆で手拍子でした。食事をしながら、出し物があり、自分のが(最後で)3番目であった。篠笛で、さくら亭での食事と言うことで、「さくら」の曲を吹き、次に、佐伯の盆踊り曲「佐伯小唄」、そして、「Amazing Grace」の曲を吹いた。
 食事を終えて、14時にタクシーで佐伯を出発し、犬飼久原のバス亭から15時過ぎのバスに乗り、熊本バスセンターには、18:30過ぎに着いた。18:45の天草行きのバスの乗り、20:30に松島に着いた。ニコニコ堂で夕食の買い物などをして、そこからタクシーに乗り、21時過ぎに無事に着いた。これが車を持っていない時に、(初めと終わりにタクシーを利用しての)バスを利用する場合の(時間的に)最短コースと思うが、やはり、7時間は掛かっているのだ。と言うことは、日本からオーストラリアのケアンズまでの距離となるのだなあ。
 途中で見た阿蘇の景色、少し雪化粧されて、良かったなあ。
 翌日、師匠から、お礼の電話が来た。(87歳の)師匠(名誉正教授)からは、「80歳まで、自分の体力に合わせて、仕事を続けなさい。」又、「そんな遠くにいなくて、早く近くに帰ってらっしゃい・・・」と言われた。


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初提言

2009-01-14 09:25:03 | Weblog
 今日の熊日日新聞によると、熊本県保険医協会が、県民向けに救急医療を崩壊させない為の初の提言をまとめて、3400人の会員に配布して、院内に掲示して、理解を求める取り組みをしている。
 その内容を大きな項目6は、以下の如くである。

「救急医療を崩壊させないための提言」
1、みんなで救急医療を守り抜きましょう。
2、救急以外は時間内に受診してください。
3、救急医療体制が限界であることを知ってください。
4、医療の不確実性を理解してください。
5、終末医療をどうしたいのかにつてい日頃から話し合っておきましょう。
6、かかりつけ医と在宅医療

 熊本県内の救急搬送件数はここ数年、67000件程度で推移しているが。

 そうですね、政治が上手く行くには、有権者の意識が大切と言うことと同じで、いい医療が維持される為には、制度ももちろん大切ですが、受診者の正しい医療の掛かり方も、確かに大切デスね。
(納得納得)






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彩木の会

2009-01-13 13:03:21 | Weblog
  郷里の佐伯に久し振りに帰った。佐伯を良くしようとしている「JJ彩木の会」の会長と話をした。
 JJ彩木の意味は、情熱と実行のJ、さいきの「さ」は、差別をしないの「さ」。誰が会長になってもいいし、参加者にさ別を全く付けない。「い」は、遠慮なく意見を述べるの「い」。「き」は、皆で聴いてあげるの「き」。
 で、佐伯を私欲なく良くしようとの主旨の「JJ彩木の会」の会員は、(昨年立ち上げたばっかりで)まだ30人余であるが。その会長さん、(佐伯)市政モニターOB会会長もしている。JJ彩木の会の会員の中には、現役医師や元教師や元NHK特派員の人など、いろんなジャンルの人もいる。
 で、JJの意味を、会長のモットーである「情熱と実行」から、更には、自由に意見を交換する、情報交換のJも考えられるとのこと。
 ムーッ、なるほどなあ。そうだよなあ、渡辺喜美氏の発言を見ても、今の政治にそれを求めている感じだなあ。  
 常に、状況は変化しているのだ。特に今は。それに対応できる様に、臨機応変にその状況に応じて、指針も変えないといけないはず。しかし、この国、一度決めると、それを変えること、ホント大変だ。情報を自由に公開して、多くの人の意識を高めることが大切だと思う。




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数えの61歳を迎えて

2009-01-09 08:15:49 | Weblog
 十干十二支、つまり、十干は甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)をいい、十二支は子(し)(ね)、丑(ちゅう)(うし)、寅(いん)(とら)、卯(ぼう)(う)、辰(しん)(たつ)、巳(し)(み)、午(ご)(うま)、未(び)(ひつじ)、申(しん)(さる)、酉(ゆう)(とり)、戌(じゅつ)(いぬ)、亥(がい)(い)をいう。この十干と十二支を組み合わせて暦日(れきじつ)を数えるのであるが、かりに甲子(きのえね)の年から始めると10と12の最小公倍数が60なので、61年目にふたたび甲子となる。それで数え年61歳となると還暦(かんれき)の祝いをする風習が始まったのである。
 と言うことは、私の場合、昭和24年生まれ、西暦1949年の己丑「つちのとうし」が再び来て、もう、来ることはないと思われる(後、20年生きたら、充分に感謝すべきと思っているが)。
 厄年や還暦では、何故かはっきりとはしてないが、体の不調をきたすと言われているらしい。60歳を越えても、ガンガン現役並みにまだ働いている人も確かにいるが、それを多くの人に求めるのは不自然だと思われる。
 自分の経済力、家族力、体力、人脈力、趣味力、実績力、時間力、総合力、アイデア力、意欲、いろんな力を駆使して、今後を生き抜くしかない。もう時間がないと思うより、まだ時間が残されていると思うべきであろう。
 そこで一番大切なのは、やはり、人とのつながりだと思う。お金があっても、地位があっても、やはり、ホントの人同士のつながりがないと、寂しいなあ。
*写真は、年賀状として、大分市の鉄心(てっしん)太鼓のリーダーから頂いたモノ。(かって、大分文化会館で、一緒に、篠笛・和太鼓の演奏をさせて頂いた)

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新しいリーダー

2009-01-08 10:45:22 | Weblog
  アメリカの次期大統領のオバマ氏が、今までの大統領4人(カーター、ブッシュ、ブッシュ、クリントン)をホワイトハウスに招いて、会合を持っている。又、有能な共和党の政治家を2人採用し、民主党の大統領選で争ったヒラリーも国務長官に採用している。
 ブッシュとは、全く違う手腕であることが分かる。皆との協力を常に全面に出している。これだ!、この姿勢が今の政治家には最も大切なのだ!
 日本の場合、政党間での利害関係で、しがらみが多い中で、政治がなされている、これ、正に、どげんかせんといかんな。

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母への贈り物

2009-01-08 08:49:26 | Weblog
 3月の中頃に姪が結婚する。その時に、親族が集まるので、その機会に、母の米寿のお祝いをしようとの話がまとまりつつある。
 母は、現在、満87歳で、今年の5月の初めには、満88歳になる。そのお祝いを(最後になるかも知れないが)して上げたいと思っている。
 少し認知症があるが、本人自身も、「少しボケた様になる」とか、「ボケて分からんごとなってる」と言う。が、何とか家でさほど手を取らなくて毎日を過ごしている。
 佐伯に帰ると、私はよく、母の前で、「青葉の笛」の曲を笛で吹く。すると、母が歌い出す。とても嬉しそうにしていて、何でも、尋常小学校の時に、教師からこの曲を何度も歌わされたとか。
 父は、既に他界しているが、父の18番は、手を使っての赤ちゃんの泣き声をまねることだった。私も、コッソリとそれを今練習している。産声、お腹を空かした時の声、喃語、いろんな赤ちゃんの声を、父は、余興でよく演出して、喝采を浴びていた。
 母の米寿の祝いには、母の好きな「青葉の笛」を吹き、そして、父がよくしていた赤ちゃんの泣き真似を、サプライズって感じでするつもりだ。受けるかなあ・・・?!


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