日本の心・さいき

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教育問題

2007-01-23 07:09:16 | Weblog
 学問は、何の為にするのだろうか?
 ある学者の意見では、ドイツでは、学問の為の学問に、イギリスでは、教養の為の学問に、アメリカでは、市民の為の学問に、フランスでは、実用の為の学問になっているとのこと。
 では、日本では、何の為に、学問しているのか?
 小学校、中学校、高校、大学、大学院と、その担っている目的は違うと思う。小学校や中学校は、義務教育。この義務の意味は、子ども達に、いい教育を受けさせる義務があると言うのが、本当の意味らしい。つまり、子ども達は、いい教育を受ける権利がある。
 いい教育とは、何か?特に、義務教育では。それは、教育基本法でも言われている様に、一番の目的は、人格形成の為である。
 となると、教育を受けて、人格がおかしくなったとしたら、やはり、その教育が間違っていると考えるのが筋である。
 教育には、学校教育だけでなく、社会教育、家庭教育とある。それ等は、お互いに影響を及ぼし合う関係にあり、共に協力して、永い目で子ども達と関わっていかなくてはいけない。
 しかし、その主眼は、違っていると思う。躾は、基本的には、家庭がするべきものであり、学問的知識を植え込むのは、学校が主体となるべきであろう。そして、社会は、具体的に生きる知恵を授ける所ではないだろうか?
 しかし、現実には、学校が、家庭での躾が出来ていない為に、学校教育が出来なくなっていたり、家庭が、かってに学問的知識を家庭中心で、させていたり、社会が、子ども達との関わりを避けて、非道徳的なことをしても、見て見ぬ振りをしているのが現実である。
 安倍総理は、教育を変えることにやっきになっているが、ここは、もっと多くの意見を取り入れて、オープンにして、激論を交わすべきだと思う。何か、子どもの立場になっていなくて、大人の立場、更には、政府の立場で、決めてしまおうとしている様に思えてならないが・・・。

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