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為になるかも知れない本(その3)

2007-02-17 08:41:39 | Weblog
  破れた。完敗だ。・・・1年間浪人して頭を冷やす。あの受験生の中の浪人の顔は、寂しそうだった。1年間、この日の為にと思って勉強してきた彼等。みじめだ、実にみじめだ。
 でも、あの経験が自分には必要だ。人生の本当の味を知るには、浪人生活だ。人生は長い。何が本当に自分の為になるのか、分からないと思う。僕は、泣かない。僕は、くやしくない。でも、周囲の人が気を使ってくれるのが、一番心配だ。一年間、浪人生活を悔いなく過ごす自信は、ある。
 みんなが僕を悲しまない様にと気を配ってくれるだろう。ありがたい。感謝しなければいけないと思う。母は、又、1年間、保険の仕事に今以上に精を出さなければいけないだろう。兄貴の心配事(長兄は、大学卒業後に、ある有名な会社に入ったが、高校の英語の教師になる為に、再び他の大学を受験して入学した)で一杯だったのに、僕のことも父は心配しなければいけない。皆に迷惑を掛ける。
 来年合格しなかったら、再来年学芸学部に入って、物理の先生となり、学生といろんな事を語ってみたい。
 ・・・授業の1時間1時間を完全に消化して行くことが大切だった。理社の追い込みが不充分だった。僕はあまりにも入試勉強として満足にやったことがなかった・・・。
 これは、周囲に対してすまなかったという気持ちと、僕はまだ息をしていると言うことが書きたかっただけだ。
 3月4日、23時30分~3月5日、1時30分、受験の帰りの「むらさき丸」の一等室にて






(本に記載されてない追加文)
 今から39年前のことを、今でも、それなりに覚えている。付き添って頂いたクラスの担任の先生は、既に、故人となられている。不合格であったが、お礼に、シャツを差し上げたことを覚えている。
 自分の場合、化学で、記入の仕方を間違えたのが、落ちた原因だった。それを、旅館に帰った時に、気が付いた。
 わずか、零点5点の差で落ち、成績は、104番で、補欠の3番であったが(翌年は、補欠の3番まで、合格していたが)。
 この時、2浪して、同じ旅館で又受験して、再び落ちるなんて、誰が予想できたであろうか。

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