日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その159)

2007-07-25 07:58:48 | Weblog
○昭和53年5月1日(月)晴。
 学生が久し振りに付いてこなかったので、診察し易かった。それにしても、学生の為にスゴイエネルギ一を使っている。暇な時にこちらが積極的に学生の指導をすれば、暇は全くないことになる。どうして、大学の先生達は、学生の教育にもっとエネルギ一を注ごうとしないのかなあ?
○昭和53年5月2日(火)晴。
 当直明けだったが、宮日の育児相談に行った。30人ちょっとで、70分足らずで終わった。前は結構これがきつかったが、今は、バッチリって感じだ。今日は、病理の症例検討会にも出た。○○先生に代わって心臓外来もした。スピッツもバッチリ洗って、帰ったのは22時だった。
○昭和53年5月3日(水)曇。
 肝炎の子が心配で今から行かないといけない。総括も3つ溜まっている。論文も2つ溜まっている。愚痴を言うのは止めよう。近頃思うこと、教育の素晴らしさ。僕は診療よりも教育の方が面白くなっている。
○昭和53年5月7日(日)曇のち小雨。
 睡眠不足で疲れていたが、恵ちゃんがあまり言うので、仕方なく動物園に行った。そこでボ一リングもした。ほんとに久し振りに運動をした。とても疲れた。明日から総括と論文を書くぞ。水曜午後に鹿児島での日本小児科学会に行くことになった。
○昭和53年5月9日(火)曇。
 抄読会で、病棟カルテをどするかで、僕の作成した病棟カルテが否決され、○○先生のが案になってしまった。○○先生に皆気兼ねしているのかなあ。自分の方が実践的でいいと思ったのだが。ガックリ。
○昭和53年5月11日(木)雨。
 鹿児島での日本小児科学会での第1日目であった。とても為になった。スゴク量が多かった。アチコチの会場に行きたかったが、同時進行なので行けない。未熟児網膜症では、梶原先生が座長であった。罵倒が飛び交い、これがほんとにまともな小児科医達の集まりかと疑った。若手小児科医の凄まじい攻撃があり、終始が付かない状態になった時に、座長の梶原先生が、「金と人間がない」と言ったので、しばらくシ一ンとなった。今の日本、未熟児網膜症だけでなく、新生児医療には、多くの問題が山積している。
○昭和53年5月12日(金)曇。
 学会2日目だった。H教授の講演の時に、僕が電気の付いた棒を持って指してあげた。教授は自信たっぷりに話していたが、かなり練習していたのだ。午後から総会があって、未熟児網膜症を守る会の人達の行動には、目を覆うものがあった。
○昭和53年5月13日(土)曇。
 学会最後の日だった。とても素晴らしい講演があった。毎年日本小児科学会に参加したいなあ。久留米の山下先生の講演、素晴らしかった。ある開業医の言葉が一番心にしみた。「小児科4人に内科1人が同じ収入だ」と言われた。これが小児科が忙しい理由になるのかな。


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