日本の心・さいき

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寛容の精神・・・

2008-04-07 10:21:59 | Weblog
 アメリカがキリスト原理主義を持ち込んで、イスラム原理主義を打破しようとしても、それは土台無理と言うもの。世界が全く違うのだ。お互いに歩み寄ると、益々その違いの大きさに気が付いてくるはず。
 両者の主義を難しく考えなくても、その態度を見れば、少なからず理解できるであろう。エイズがイスラム圏には、実に少ない。
 日本には、「武士道」と言うものがあった。現在でも、日本人のある人にはあるだろうし、ない人にはない。勝って奢らず負けて挫けずの精神であるが、イギリスにも、「騎士道」なる精神がある。ゼンツルマンのルーツは、そこにあるのでないかと思う。
 ところで、移民の国、アメリカはどうだろうか。そこでは、自分の身を守る為には、見知らぬ相手には、自分を強く見せるしかなかったと思う。既に、そこにはアメリカインディアンもいたし。
 アメリカの男性も女性も、年頃になった時、如何にして自分の良さを異性に売り込むかで、一生懸命になるとのこと。見合結婚なんて原則的にない。自分の相手は自分で探し、それで失敗しても、全て自分で責任を取るしかないのだ。
 日本も次第にそんな感じになりつつある。就職するしても、自分の能力を最大限にアピールする力がなければ、難しい。巷の謙虚な精神では、待ちぼうけを食うことになり兼ねない。
 ダッカに行った時に、ホームステイした家でも、客に招かれて行った家でも、親御さんが自分の子どもの自慢話を延々とする。学校の通知表まで何もこちらが言わないのに見せてくれた。私が、「スゴイですねえ」と言うと、とても嬉しそうだった。
 日本では、こんなことは、ちょっと奇怪に思われるだろう。豚肉を食べない、1日に5回祈る、金持ちが1割の寄付は当たり前、利子で生活をしてはいけない、外からのお客は最大限にもてなす、こんなことは、イスラム教の世界では極めて普通のこと。
 トルコの人は、トルコ語が世界で一番難しいと思っていて、いつも家族の自慢話だ。それを寛容な精神で快く良く受けることの出来る人は、トルコ人と立派にやっていけると思う。
 要は、自分の主義をや価値観を相手に押し付けずに、寛容の精神でその違いを理解しようと努めることだと思う。そうしないと、トラブルになるし、自分自身もそれでイライラするはずで、健康にも良くない。
 それは、個人でも、国単位でも、宗教が違っていても、言えることだと思う。


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