

脱水のひどいのが2人来て、肺炎のひどいのが1人来て、夜けいれんが止まらないのが1人来て、全部で190人来て、忙しかった。病院のはからいで、東京女子医大の腎センタ一の伊藤克己教授が2月24日(金)に、ここに特別診療で来てくれるとのこと。
○昭和59年2月7日(火)晴。
○○○の人(MR)と、○○でフグの食事をごちそうになった。白子などたらふく食べた。気になる値段だが、MRの人2人と自分で何と○万以上もしていた。この世界は、普通の世界ではないなあ。
○昭和59年2月10日(金)晴。
200人を越えた。入院できるベッドがない。病院全体で、4つしか空いていない。今が最高に多い時なのだろう。明日も明後日も休みだが、結構来るだろうなあ。
○昭和59年2月11日(土)晴。
70人ほど診た。結構重症もいて、自分の存在感は大きいと思う。月報の原稿を書かないといけない。パソコンの勉強もあまり進まない。
○昭和55年2月11日(日)記載なし。
50人前後来た。明日は多いだろうなあ。よく自分でも重症が多いのに上手くこなしているなあと思う。
○昭和59年2月12日(月)晴。
時間内に265人、全部で279人来た。最高だ。自分の実力が皆から認められたのだなあ。信用されているのだ。実績の賜だ。ここに来た時、少なくて、実績しかないと思った。患者さんの中には、ここしかないと思ってくれている人もいる。今一番の心配は、ベッド不足。
○昭和59年2月18日(土)晴。
少し睡眠不足でペ一スが落ちたが、それでも200人以上診た。○○君が(代診で)来てくれるので助かる。月に2回休めれば(土曜の17:00~月曜の朝まで)、何とか僕の体ももつ。(月に2回、いつも宮医大の○○先生から来てもらうことが多くなっていた)
○昭和59年2月20日(月)晴。
休んだせいで体の調子がいい。190人以上来たが、そんなに忙しく仕事をしたとは思わなかった。帰って、昨日続きのパソコンの勉強をした。説明書をよく読むことが大切だなあ。諦めなければ、いつかは出来る様になるだろう。