日本の心・さいき

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定年後の過ごし方

2020-01-16 08:46:57 | Weblog
 仕事から完全に離れて、まる5ヶ月間、経ちました。仕事が全くないので、ゆっくり出来るかなと思いきや、そんなことは、私の場合は、ありません。
 国家公務員に、一番認知症が多いことは、よく知られていることですが、経済的に満足して、心配が全くなくなってしまうのも、良くないとのことらしいですが・・・?!
 心理学者のユングは、幸せの5条件の最後に、「朝起きてその日やらねばならぬことがあること」をあげています。
 ゲ一テも晩年、「結局、私の生活は、苦労と仕事より他の何ものでもなかった」と語っています。どうも、生き甲斐や幸福感は、楽しみでなく、仕事ややるべきこと、果たすべき役割(存在感)があることの中にあると言えそうでが・・・?!。
 定年後、どの程度その後も働くのか、何に楽しむのか、何に打ち込むのか、早くからそれなりに決めておくべきだと思います。人は、遊びだけでは、満足できません。定年後の醍醐味は、ゆとりのない現役時代と違って、仕事以外のやるべきことや遊び(趣味)とのニ足のわらじ、三足のわらじをが履けることだと思います。
 それと忘れてならないのは、パ一トナ一の存在です。夫が打ち込むことに妻の理解と協力がどうしても必要ですね。
 以下は、過去に私が書いた「遊びの哲学」の内容です。
「遊びの哲学」
 遊んでばかりいると言うよりも、趣味に凝っていると言うと、聞こえはいいのですが、実際は、遊びと趣味も同じ様なものだと思います。
 人間は、遊ぶ為に生きているのか、仕事をする為に生きているのか、そんな難しい話は、私には、分かりません。
 世の中には、仕事人がいて、自分は仕事をする為に生きていると言う人がいますが、その人に少しでも遊び心があるならば、又は、仕事をある所で半ば遊びみたいにしてしまえば、今以上に、能率良く仕事が出来ると思います。
 本当の遊びには、厳しい束縛があってはいけません。いつ辞めてもいい状態にあり、それでいて、したくてしたくて仕方がないと言った、楽しいものでなければいけません。
 明日、どうしても、付き合い上、ゴルフ(マ-ジャン・飲み)をしないといけないとなると、もう、遊びとは言えないのでは。遊びには、苦しさがあってはいけません。常に、ゆとりがないといけないと思います。変更がいつでも出来るのが(更には、先にも述べた様に、永久に止めることさえも簡単に出来るのが)本当の遊びと言えるでしょう。
 遊ぶ為には、まず、「金力」がいります。しかし、考え方によっては、必ずしも、大金の必要はないと思います。家族で自転車に乗って、弁当を持って、女島(めじま)の川縁に添って行くのも、立派な遊びになるし、大入島を自転車で一周するのも、立派な遊びだと思います。城山に登るのも、汲心亭(茶室、きゅうしんてい)に行って、一人300円のお金を出して、お茶を飲むのも、立派な遊びだと思います。
 遠くに行けないから、お金を掛けてないからと言って、いい遊びが出来ないと言うことは絶対にないと思います。
 父親だけが、ゴルフやマ-ジャン狂いをしても、奥さんと子どもにとっては、ちっとも面白くないですね。
 遊ぶ為には、「時間力」がないといけません。忙し過ぎて遊ぶ暇がないと言う人がいますが、そんな余裕のないことでは、人間関係もギスギスして、本当のいい仕事は、出来てないのでは?!
 遊べる時間が、沢山あったらどんなにいいだろかと思う人がいるかも知れませんが、本当にそうでしょうか?!
 あるスナックに行った時(かなり昔の話ですが)、些細な事で仕事を辞めて、1年近くパチンコばかりしている人と知り合いになりました。40歳前後の男性で、働き盛りであるのに、奥さんも子どもさんもいるのに、ちゃんとした仕事に就いていない。奥さんは、真剣に働いていました。本人は、パチンコばかりしていて、その人が、私に、直に次の様に、言ってくれました。
 ・・・初めの3カ月だけは、良かった。ああ、これで、しばらくは、解放される。今からは、あのいやな奴の顔を見なくていいし、誰にも気を使わなくていいし、好きなパチンコも、いつでも出来る。万歳!。
 そう思って、毎日、パチンコに行った。初めの1カ月は、本当に楽しかった。3カ月を過ぎても、思った様に職がなく、遊んでばかりいた。
 あんなにパチンコが好きだったのに、いつでも出来るとなると、行く気が全然しなくなる。むしろ、朝になると、嗚呼、パチンコに今日も行かないといけないのかって感じになって、だんだんと苦痛になってきた。
 家にいても、何もすることがなくて、仕方なく、パチンコに行っていた。
 それから、だんだんむなしくなり、このままでは、自分は馬鹿になるのではないだろかと、思う様になってきた。
 そうこうしている内に、1年も経ち、今は、兎に角、仕事がしたい。何でもいい。あれば、明日からでも。選ぶ段階ではないもんな(→現在は、ちゃんとした仕事に就いておられて、妻子の為に頑張っています!)。
 つまり、遊びと言うのは、楽しいのですが、その楽しさは、苦しい時を背中合わせにしているからこそ、楽しいのです。いつも時間を持て余している人にとっては、本当の遊びの楽しさは、享受出来ないのではないでしょうか・・・?!  
 トルストイの小説の中にもあったかと思いますが・・・→乞食が何でも美味しそうに食べるのを見て、王様は、何故、そんなに美味しく食べれるのかと、不思議がる場面がありました。いつも、ごちそうばかり食べている王様にとっては、その理由が分からないのです。
 忙しければ、忙しい程、遊べますよ。暇な人は、何もしません。これが終わってからしようと思う人も、同じです。する人は、もう、始めています。
 忙し過ぎて(24時間、365日、拘束されて、全く遊べないと言う人は、いないはず)、遊ぶ暇がないと言う人がいますが、そんなに忙しいのなら、他人のせいにしなくて、忙しくない様に、自分なりに工夫すればいいと思います。  
 忙しくても、好きなゴルフの為ならば、朝、3時過ぎに、起きている人もいます。仕事で徹夜すると、ひどく疲れるのに、好きな徹夜マ-ジャンだと(勝った時は、特に)、疲れていない人もいます。
 毎日、寝る前に、15分間でも、自分の好きなことをしていれば、1年間経ち、2年間経ち、3年間も経てば、継続は力也で、何かが出来ているはずです。出来ると、又、面白くなってきます。何もしなければ、いつまで経っても、0です。0にどんなに大きな数字を掛けても、0です。
 忙しくて、いろいろ手を付けている人は、仕事も遊びも、集中的にせざるを得ません。そうしないと、遊べないので、仕事以外も、何もかもが、一生懸命って感じにならざるを得ないのです。
 同じ時間を与えられながら、10年ほど経った時には、忙しかった人の方が、好きな趣味をそれなりに達成していることが多いのです。
 賢人の教えに、”どうしてもしてもらいたい事を頼む時は、暇な人でなく、忙しい人に頼め”、との内容があります。
 遊ぶ為には、「体力」がいります。旅行や山登りやサイクリングやマリンスポ-ツは、もちろん、囲碁、将棋、マ-ジャン、パチンコに至るまで、ある程度の体力が必要です。
 遊んだ後の後遺症が仕事に差し支える様では、いい遊びをしていることになりません。
 本当のいい遊びをしている人には、遊びでの疲れはないし、仕事にも、それがプラスされているはずです。昔から、「よく遊び、よく学べ!」、と言われています。  
 そして、最後に、最も大切な事は、それを楽しいと感じ取れる「感性力」だと思います。
 海外旅行に行っても、スケジュ-ルに追われて、充分にその楽しみが味わえなかったとしたら、反省すべきではないでしょうか。実際、自分の職場の看護師さんが、新婚旅行で、外国から帰って来ての初めの言葉が、「ああ、疲れて、気を使って、英語が出来ないもんだから、怖くて、神経をすり減らして、ゆっくり、楽しむどころでなかった。最後に別府の白菊に泊まったけど、ここが一番良かった!」でした。
 目的を持って、自分なりの、納得する楽しみ方をするべきだと思います。外国に行くのなら、歴史や地理を前もって勉強して、現地の言葉も、ちょっとだけ話せるぐらいの楽しみ方があってもいいかと思います。外国のいい景色を見ても、その素晴らしさを理解出来る度合いは、人によって、かなりの差があると思います。地学や考古学や天文学を勉強している人であれば、それ相応の楽しみ方があると思います。
 要は、その人個人の感性のキャパスィティ-の問題が大きく、それを小さい時から常に磨いておくべきだと思っています。

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